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アルケーを知りたい(156) 中間子 meson

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 ▼中間子。原子核は陽子と中性子から構成される。ではプラス同士の陽子、電荷を持たない中性子がなぜまとまって原子核を構成しているのか。その答えが中間子。 ▼高校物理では中間子は扱わない。なぜだろうか。私は次のように思う。せっかく培ってきた古典物理学的体系の理解が、量子物理学に踏み込むことで、揺らぐ、もしくは整合性が取れなくなる、あるいは訳が分からなくなってしまう、のを防ぐため。理解したい人は大学に入ってやってください、と。というのも、日常生活の諸問題を考えるには古典物理学で十分で、別に困らない。 ▼しかし今日はSociety5.0と言われる時代であり、量子コンピュータという言葉を日常的に見る。こうなると、量子力学の知見が必要になっている気がする。ところが中間子の説明を見ただけでも分かるように量子力学的世界観は難解。 ▲湯川 秀樹さん。日本の物理学者。1907年、六本木生まれ。1929年(22才) 京都帝国大学理学部物理学科卒業。副手、講師。1935年(28才)  「素粒子の相互作用について」を発表。中間子の存在を予言。1938年(31才) 大阪帝国大学で博士(理学)。1939年(32才) 京都帝国大学で教授。WWII。1945年(38才) WWII終戦。1948年(41才) IASプリンストン高等研究所で客員教授。1949年(42才) コロンビア大学で客員教授。ノーベル物理学賞受賞(陽子と中性子との間に作用する核力を媒介するものとして中間子の存在を予想)。1981年(74才) 京都で死去。 ▲セシル・パウエル Cecil Powellさん。イギリスの物理学者。1903年、イギリスのケント生まれ。1925年(22才) ケンブリッジ大学Sidney Sussex College卒業。キャヴェンディッシュ研究所でラザフォードさんの下で助手。1927年(24才) キャヴェンディッシュ研究所でPh.D.(物理学)。ブリストル大学で研究助手。1938年(35才) 写真乳剤を改良し素粒子の軌跡を記録する方法を改良。1947年(44才) ジュセッペ・オキャリーニさん、H・ミュアヘッド、セザーレ・ラッテスさんとパイ中間子を発見。1948年(45才) ブリストル大学で教授(Melville Wills Professor of Physics)。1950年(47才) ノーベル物理学賞を受

アルケーを知りたい(155) 中性子 neutron

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▼中性子。陽子と共に原子核を構成する核子。 ▲ジェームズ・チャドウィック  James Chadwickさん。イギリスの物理学者。1891年、イングランド北部のチェシャー州生まれ。1908年(17才) マンチェスター・ビクトリア大学に入学。師匠はラザフォード先生。1912年(21才) マンチェスター・ビクトリア大学で修士(理学)。ラザフォード先生と共著で最初の論文を発表。1913年(22才) ベルリンに留学、ハンス・ガイガーさんのもとでベータ線の研究。1914年(23才) WWI。ドイツのルーレーベン収容所に抑留。実験室を作り研究を続行。1918年(27才) WWI終戦。釈放されマンチェスターに戻る。1919年(28才) ラザフォード先生がキャベンディッシュ研究所の所長に就任、スタッフとして加わる。1921年(30才) ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジで博士(指導教員はラザフォード先生)。1921年(30才) キャベンディッシュ研究所でラザフォード先生の助手。1928年(37才) ケンブリッジで開かれたベータ粒子とガンマ会議でガイガー先生と再会。ガイガーミュラーカウンターを見せてもらう。1932年(41才) 中性子を発見。ネイチャー誌で発表。1935年(44才) リヴァプール大学で教授(物理学)。サイクロトロン建造計画に着手。ノーベル物理学賞を受賞(中性子の発見による)。1939年(48才) WWII。リヴァプール大学でサイクロトロン完成。1941年(50才) マンハッタン計画にイギリスチームの長として参加。1944年(53才) ロスアラモスに転居、マンハッタン計画の実現に尽力。1945年(54才) トリニティ実験に出席。WWII終戦。ナイトになる。ワシントンDCに一家で転居。1946年(55才) イギリスに戻る。1974年(83才) 死去。 ▲アーネスト・ラザフォード Ernest Rutherfordさん。イギリスの物理学者。1871年、ニュージーランド生まれ。1894年(23才) ニュージーランド大学カンタベリー校でBA。1895年(24才) 英国ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所で研究員。1897年(26才) ケンブリッジ大学で学士。1900年(29才) ニュージーランド大学でPh.D.(理学)。1898年(27才) カナダのマギ

アルケーを知りたい(154) 陽子 proton

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▼陽子。プロトン。水素原子から電子を取り去ったもの。 ▲ロバート・ボイル Robert Boyle 1627-1691  1627年、アイルランド・ウォーターフォード県リズモア生まれ。父は大地主。1641年(14才)遊学先のフィレンツェでガリレオ先生に師事(ガリレオ先生は翌年死去)。1643年(16才)父が死去。イングランドの荘園とアイルランドの地所を相続。1654年(27才)アイルランドからオックスフォードに転居。1657年(30才)ドイツの物理学者オットー・ゲーリケ氏が1950年に発明した真空ポンプを知る。ロバート・フックさんを助手に自ら真空ポンプの製作を開始。1662年(35才)ボイルの法則(一定の温度の下では、気体の体積は圧力に反比例する)を発表。1663年(36才)Invisible Collegeがチャールズ2世の許可を得て王立協会に改名して発足。設立協議会の一員として参加。1691年(64才)ロンドンで死去。 ▲ヘンリー・キャヴェンディッシュ Henry Cavendish 1731–1810 1731年、イギリス生まれ。父は貴族デヴォンシャー公で物理の研究家。母も貴族。1748年(17才)ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。物理学と数学で優れた成績を収める。1751年(20才)学位を取らずに3年で退学(当時は珍しくなかった)。1760年(29才)王立協会の会員になる。死去するまで会員。発表論文は18本、大部分が未発表。1766年(35才)亜鉛・鉄・スズに硫酸あるいは塩酸を加えると、可燃性の気体(水素)が発生すると論文発表。1773年(42才)荷電した粒子間に働く力(反発または引き合う)はそれぞれの電荷の積に比例し、距離の2乗に反比例することを発見。1783年(52才)父が死去、財産を相続。生活ぶりに変化なし。「科学者の中で一番の金持ち、金持ちの中で最も偉大な科学者」と言われる。1810年(79才)死去。 1839年、遺産を引き継いだデヴォンシャー公が未発表の実験記録と論文を公表。1874年、デヴォンシャー公がキャヴェンディッシュ研究所を設立。初代所長は電磁気学のマクスウェルさん。1879年、『ヘンリー・キャヴェンディシュ電気学論文集』刊行。キャヴェンディッシュさんの電気に関する研究の全体像と先進性が明らかになる。

アルケーを知りたい(153) 原子量 atomic weight

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▼原子量。C12原子を基準にした相対的な質量。単位はない。 ▲イェンス・ベルセリウス  Jöns Berzeliusさん。スウェーデンの化学者、医師。1779年、スウェーデンのリンシェーピング生まれ。1783年(4才) 父親が死去。1802年(23才) ウプサラ大学医学部で医学博士。1803年(24才) セリウムCeを発見。準惑星ケレスに因んで命名。1804年(25才) ストックホルムで開業。カロリンスカ医学外科学院で医学と薬学の無給助手。1807年(28才) カロリンスカ医学外科学院の教授。1813年(34才) 元素記号の表記法を提唱、すぐ普及定着。1817年(38才) セレンSeを発見。ギリシャ神話の月の女神セレネに因んで命名。1828年(49才) トリウムThを発見。北欧神話に出てくる雷神トールに因んで命名。1848年(69才) 死去。 ▲スタニズラオ・カニッツァーロ Stanislao Cannizzaroさん。イタリアの化学者、政治家。1826年、シチリア島パレルモの名家に生まれる。ナポリ大学とピサ大学で学ぶ。1845年(19才) ピサ大学で助手(有機化学)。1847年(21才) シチリア島独立運動。弾圧されたためパリで研究、高級脂肪酸を発見。1851年(25才) ピエモンテのアレッサンドリア工科大学で教授。1853年(27才) カニッツァーロ反応を発見。1856年(30才) ジェノヴァ大学で化学主任教授。1858年(32才) 「ジェノバ大学における化学理論講義概要」を発表。アヴォガドロの再評価につながる。1860年(34才) カールスルーエ国際化学者会議で原子量、分子量の正確な計算方法を発表。水素の原子量を1とした。1861年(35才) パレルモ大学で教授。ローマの元老院議員として「統一」イタリア王国憲法制定に加わる。1871年(45才) ローマ大学で主任教授。1906年(80才) ローマ開催の国際応用化学者会議で名誉総裁。1910年(84才) 死去。

アルケーを知りたい(152) 原子質量単位 atomic mass unit #2

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▼原子質量単位の2回目。67回が初出。原子質量単位は、いまは統一原子質量単位unified atomic mass unitに代わっていること、単位のuはその頭文字であることが追加情報。 ▲ジョン・ドルトン John Daltonさん。原子説を提唱したイギリスの化学者、物理学者。1766年、イングランドのカンバーランド州生まれ。父はクェーカー教徒で機織り。1778年(12才)地元の小学校で代行教師。博物学者や気象学者の元で学習。1793年(27才)マンチェスター・アカデミーで教師(数学と自然哲学、1800年まで)。1800年(34才)Manchester Literary and Philosophical Society で職員。気体の研究を開始。1801年(35才)理想気体の混合物の圧力が各成分の分圧の和に等しいとする、分圧の法則を発見。1804年(38才)ロンドン王立研究所で講師(自然哲学)。1805年(39才)倍数比例の法則を発表。1808年(42才)原子説を発表。1822年(56才)王立協会フェロー。1834年(68才)ジュールさんの家庭教師で科学や数学の初歩を教える(1837年まで)。1844年(78才)マンチェスターで死去。2019年、統一原子質量単位にダルトン〔Da〕が採用。 ▲ジェームズ・プレスコット・ジュールさん。16-18才のとき、ドルトンさんが家庭教師だった。

アルケーを知りたい(151) 同位体 isotope

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▼同位体。重水素や三重水素のように、陽子数が同じ元素の中で、中性子の数が違っている原子。 ▲フレデリック・ソディ Frederick Soddyさん。イギリスの化学者。1877年、イングランド南部のイーストボーン生まれ。1892年(15才) イーストボーン・カレッジ入学。技師を目指す。1894年(17才) ユニヴァーシティ・カレッジに転学、科学と古典学を学ぶ。その後、オックスフォード大学マートンカレッジで有機化学を学び、最優秀で卒業。オックスフォード大学で研究者(1900年まで)。1900年(23才) モントリオールのマギル大学で助手(化学)。同僚のラザフォードさんと放射性崩壊を研究(1903年まで)。1902年(25才) ラザフォードさんと「原子壊変説」を発表。放射性物質はアルファ線・ベータ線・ガンマ線を発生して崩壊し他の元素になる。1903年(26才) ウィリアム・ラムゼーさんとラジウムエマネーション(気体状の放射性物質)の崩壊によるヘリウムが生成を確認。1904年(27才) グラスゴー大学で講師(1914年まで)。アイソトープの命名。アルファ崩壊では原子番号が2つ小さい方へ、ベータ崩壊では1つ大きい方へと原子が遷移すると示す。1914年(37才) WWI。スコットランドのアバディーン大学で教授。1919年(42才) オックスフォード大学で教授(化学、1936年まで)。1921年(44才) ノーベル化学賞受賞(放射性物質の化学に関する研究)。1956年(79才) イングランドのブライトンで死去。 ▲ウィリアム・ラムゼー William Ramsayさん。イングランドの化学者。1852年、グラスゴー生まれ。グラスゴー大学を経てドイツのテュービンゲン大学に留学、博士。1879年(27才) ユニバーシティ・カレッジ・ブリストルで教授(化学)。1881年(29才) ユニバーシティ・カレッジ・ブリストルで学長。1887年(35才) ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで教授(化学)。1894年(42才) レイリー卿(ジョン・ウィリアム・ストラットさん)の講演に参加。空気中の窒素の研究からアルゴンを発見。1895年(43才) レイリー卿とアルゴンの発見を発表。ヘリウムの単離に成功。1898年(46才) クリプトン、ネオン、キセノンを発見。1903年(51才) ソディさんとの

アルケーを知りたい(150) 原子の基本スペック atom

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▼原子の基本スペック。電子、陽子、中性子のみなさん。 ▲J・J・トムソン Joseph John Thomsonさん 1856 - 1940 イギリスの物理学者。1897年、電子を発見。ラザフォードさんの師匠。1906年、ノーベル物理学賞受賞(気体の電気伝導に関する理論および実験的研究)。 ▲アーネスト・ラザフォード Ernest Rutherfordさん 1871 - 1937 イギリスの物理学者、化学者。1918年、陽子を発見。チャドウィックさんの師匠。1908年、ノーベル化学賞受賞(元素の崩壊、放射性物質の化学に関する研究)。 ▲ジェームズ・チャドウィック James Chadwickさん 1891-1974 1932年、中性子を発見。1935年、ノーベル物理学賞受賞(中性子の発見)。