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アルケーを知りたい(209) ノーベル物理学賞 1924年 マンネ・シーグバーンさん

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▼1923年のノーベル物理学賞受賞者は、マンネ・シーグバーンさん(38)。「X線分光学における発見」に対して。  ▼師匠のリュードベリ先生は高校物理の水素原子のスペクトルのところで「リュードベリの式」「リュードベリ定数」として登場する。 ▼1938年にベルリンを脱出したリーゼ・マイトナーさんはシーグバーンさんの研究所で働く。ナチスから逃れられたことは幸い、しかし、この研究所はマイトナーさんというカードを確保しつつ、研究 活動は封じられたように見える。 シーグバーンさんによる待遇は、 マイトナーさんにとって快適ではなかったようだ。

アルケーを知りたい(208) ノーベル物理学賞 1923年 ロバート・ミリカンさん

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▼1923年のノーベル物理学賞受賞者は、ロバート・ミリカンさん(55)。「電気素量、光電効果に関する研究」に対して。  ▼水滴ではなく油滴を使って電気素量を測定したミリカンの実験は高校物理で出てくる話。

アルケーを知りたい(207) ノーベル化学賞 1922年 フランシス・アストンさん

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▼1922年のノーベル化学賞受賞者は、フランシス・アストンさん(45)。「非放射性元素における同位体の発見と質量分析器の開発」に対して。  ▼本業では、質量分析器の開発でノーベル化学賞を受賞したほか、音楽・写真・スポーツ・天体観測の才能に恵まれた人物。

アルケーを知りたい(206) ノーベル物理学賞 1922年 ニールス・ボーアさん

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▼1922年のノーベル物理学賞受賞者は、ニールス・ボーアさん(37)。「原子構造とその放射に関する研究」に対して。  ▼物理学者の経歴を一人ずつ調べた時期(2020年)、ニールス・ボーアさんは親しみが持てて、とても興味深い人であると共に、どうして若くしてニールス・ボーア研究所を構えられたのか分からなかった(今もだけど)。 ▼原子モデルの追求過程でボーアさんは量子力学視点を導入してラザフォードさんの原子モデルを前進させた。同時に原子核に対する電子のありようがビジュアル的に分かりにくくなった(苦)。どこに電子がいるのか統計的に推測するしかない、という動的な状況はラザフォード先生のモデルがいったんアタマに入ると更新しにくい。 ▼ナチスがデンマークに侵入して研究所に乗り込んだWWIIの時期、研究所にいたヘヴェシーさんがラウエさんらのノーベル賞の金メダルを王水に溶かしてうまく隠し通した映画のようなエピソードも生んだ。 ▼ナチスが支配するベルリンに残り続けていたリーゼ・マイトナーさんの脱出を助けたのは研究所の物理学者ディルク・コスターさんだった。

アルケーを知りたい(205) ノーベル化学賞 1921年 フレデリック・ソディさん

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▼1921年のノーベル化学賞受賞者は、フレデリック・ソディさん(44)。「放射性物質の化学に関する研究」に対して。同じ元素なのに質量数が異なる物質をどう扱うか、という問題を「同位体」という概念で解決した。 ▼ソディさんが20代のときに共同研究した相手が6才上のラザフォードさんや25才上のラムゼーさん。この上ない相手。プロトアクチニウムの発見ではハーンさんとマイトナーさんのベルリン大学グループが先行した。

アルケーを知りたい(204) ノーベル物理学賞 1921年 アルベルト・アインシュタインさん

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▼1921年のノーベル物理学賞受賞者は、アルベルト・アインシュタインさん(43)。「光電効果の法則の発見等」に対して。  ▼アインシュタインさんの人脈はとても広い。今回は、プリンストン研究所に集った人ということにした。クルト・ゲーデルさんとは一緒に散歩するのを楽しみにしていたという。 ▼今回の発見は、アインシュタインさんの所有していたバイオリンが、1727年製のグァルネリ・デルジェス「ヨーゼフ」だったこと。すごいのを持ってたんだ。

アルケーを知りたい(203) ノーベル化学賞 1920年 ワルター・ネルンストさん

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▼1920年のノーベル化学賞受賞者は、ドイツの化学者ヴァルター・ネルンストさん(56)。「熱化学の研究」に対して。 ▼熱力学第三法則(third law of thermodynamics)とは、完全結晶のエントロピーは絶対零度ではすべて等しくなる、という定理。 ネルンストの定理とは、有限回の操作では決して絶対零度には到達できない、という定理。 熱力学第三法則とネルンストの定理は、同等(Wikipedia)。