投稿

1934、共有結合半径~ボーリング(米):アルケーを知りたい(768)

イメージ
今回は物理学。 ▼ 共有結合半径 :covalent radius。共有結合している原子の大きさを表す尺度。 ▼ボーリングのここが面白い:ノーベル賞を一人で二つ受賞した人物。ひとつが化学賞、もうひとつが平和賞。学者として成果を創り出す力量がすごい。 ▼ ポーリング  Linus Carl Pauling 1901年2月28日 - 1994年8月19日  アメリカの量子化学者・生化学者 【人物】父親は薬剤師。薬局店経営。 【教育/活動】 1922(21) オレゴン州立大学で化学工学士。 1925(24) カリフォルニア工科大学で物理化学と数理物理学の博士。 1925-27(24-26) 奨学金を得てヨーロッパ留学。 ヴァルター・ハイトラー と フリッツ・ロンドン が行った 水素分子中の結合の量子力学的解析 を知り、将来の研究テーマにする。 1927(26) カリフォルニア工科大学で理論化学の助教。 1929(28) カリフォルニア工科大学で准教授。 1930(29) カリフォルニア工科大学で教授。渡欧し電子線回折法を学ぶ。帰国後、電子線回折装置を構築、分子構造解析に活用。 1932(31) 原子軌道の混成の概念を提唱。 1939( 38 ) 化学結合に関する研究の成果をまとめた著作『化学結合の本性』を発表 。化学界に大きな影響を及ぼす。 1939-45(38-44) WWII。 科学研究開発局OSRD で潜水艦や飛行機の酸素状態の測定機器を開発。戦後、乳児用保育用の酸素分析計を開発。   1954( 53 ) ノーベル化学賞受賞(化学結合の本性、ならびに複雑な分子の構造研究) 。 1962(61) ノーベル平和賞受賞(核兵器に対する反対運動)。 【ネットワーク】 フリッツ・ロンドン  Fritz Wolfgang London 1900年3月7日 - 1954年5月30日 ドイツ生まれアメリカの物理学者。▼留学中のポーリングがロンドンとハイトラーの研究に出会い、将来の研究テーマを決めた。 ヴァルター・ハイトラー  Walter Heinrich Heitler 1904年1月2日 - 1981年11月15日 ドイツの物理学者。▼留学中のポーリングがハイトラーとロンドンの研究に出会い、将来の研究テーマを決めた。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 http

1934、中間子論~湯川秀樹(日):アルケーを知りたい(767)

イメージ
今回は物理学。 ▼ 中間子論 : 原子核の中にあって中性子と陽子を結びつける力として湯川が提唱した理論。陽子と電子の中間の重さだから中間子と命名。 ▼湯川 秀樹のここが面白い: 電子はマイナス、原子核はプラスと習った。原子核の中の陽子はプラスだからお互いに反発して原子核は散りじりになるはず。なのになぜまとまったままでいるのか? それを説明したのが中間子論。中間子は中性子や陽子の中に立ってまとめる働きをしている。 ▼ 湯川 秀樹   Hideki Yukawa 1907年1月23日 - 1981年9月8日 日本の理論物理学者。 【人物】父親は地質学者。 【教育/活動】 1908(1) 父が京都帝国大学の教授になり一家で東京から京都に転居。 1914-18(7-44) WWI。 1929(22) 京都帝国大学理学部物理学科卒業。 1932(25) 結婚、湯川家の婿養子となり小川から湯川に姓が変わる。京都帝国大学で講師。 1933(26) 大阪帝国大学でも講師(兼任)。 1934( 27 ) 中間子理論を発表 。 1935( 28 ) 「素粒子の相互作用について」を発表。 中間子の存在を予言 。 1938(31) 大阪帝国大学で理学博士。   1939(32) 京都帝国大学で教授。WWII。 1942(35) 東京帝国大学理学部で教授。 1945(38) WWII終戦。   1947(40) セシル・パウエル が宇宙線の中から π中間子を発見 。湯川の中間子論が実証された。 1948(41) IAS 高等研究所で客員教授。  1949(42) コロンビア大学で客員教授。 1949( 42 ) ノーベル物理学賞受賞(陽子と中性子との間に作用する核力を媒介するものとして中間子の存在を予想)。 1970(63) 京都大学退任、名誉教授。 1981(74) 急性肺炎のため京都で死去。 【ネットワーク】 ニールス・ボーア  Niels Henrik David Bohr 1885年10月7日 - 1962年11月18日 デンマークの理論物理学者。1922(37) ノーベル物理学賞受賞(原子構造とその放射に関する研究)。 ▼1937年、来日したとき湯川に「君はそんなに新粒子がつくりたいのかね」と言った。 セシル・パウエル  Cecil Frank Powell 1

1934、チェレンコフ効果~チェレンコフ(露):アルケーを知りたい(766)

イメージ
今回は物理学。 ▼ チェレンコフ効果 : Cherenkov  radiation。荷電粒子が空気や水などの媒質中を運動する時、荷電粒子の速度がその媒質中を進む光速度よりも速い場合に光が放射される現象。その青白い光がチェレンコフ光。チェレンコフ光は使用済燃料の貯蔵プールやプール型原子炉の炉心など非常に強い放射線を出す物質の周囲で見られる。 ▼チェレンコフのここ:放射線を扱う研究者で86歳の長寿を全うしたのが尊い。 ▼ チェレンコフ  Pavel Alekseyevich Cherenkov 1904年7月15日 - 1990年1月6日  ロシア の物理学者  【人物】父親は農夫。 【教育/活動】 1928(24) ヴォロネジ州立大学理数学部を卒業。 1930(26) モスクワのレベデフ物理学研究所で上級研究員。 1934(30) 上司 ヴァヴィロフ の下で放射線が照射された水からかすかな青い光を観察 。 1940(36) 理数学の博士。 1953-67(49-62) 実験物理学の教授。 1959(55) レベデフ物理学研究所の光中間子プロセス研究室で室長。 1958(54) ノーベル物理学賞受賞(チェレンコフ効果の発見とその解釈) 。 【ネットワーク】 ヴァヴィロフ  Sergei Vavilov 1891年3月24日 - 1951年1月25日  ロシア の物理学者。1934-51(43-68) レベデフ物理学研究所で所長。▼ヴァヴィロフはチェレンコフがチェレンコフ光を発見したときの上司。チェレンコフの博士指導教員。 イーゴリ・タム  Igor Tamm 1895年7月8日 - 1971年4月12日 ロシアの物理学者。 エーレンファスト研究室で研究。▼1958(63) ノーベル物理学賞受賞(チェレンコフ効果の発見とその解釈)。 イリヤ・フランク  Ilya Mikhailovich Frank 1908年10月23日 - 1990年6月22日  ロシア の物理学者。▼1958(50) ノーベル物理学賞受賞(チェレンコフ効果の発見とその解釈)。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Pavel_Cherenkov

1933、マイスナー効果~マイスナー(独):アルケーを知りたい(765)

イメージ
今回は物理学。 ▼ マイスナー効果 :Meissner effect。臨界温度以下になると超伝導体に磁場が侵入しなくなる。 1933年、マイスナーの助手オクセンフェルトが発見、マイスナーとオクセンフェルトの名前で発表された。 ▼ マイスナー のここが面白い:マックス・プランクの門下生であること。1920年代に所属するミュンヘン工科大学で世界第3位の規模の ヘリウム液化装置を作って低温物理学の拠点にしたこと。そして弟子と共に マイスナー・オクセンフェルト効果を発見したこと。 ▼ マイスナー  Fritz Walther Meissner 1882年12月16日 - 1974年11月16日  ドイツの物理学者 【人物】ベルリンっ子。 【教育/活動】 ベルリン工科大学で機械工学と物理学を学ぶ。博士指導教員はマックス・プランク。 ベルリンの物理工学院(PTR : Physikalisch-Technische Reichsanstalt)で研究。 1920(38) タンタル、ニオブ、チタン、トリウムなど新しい超伝導元素を発見。 1922-1925(40-43) ミュンヘン工科大学で世界で3番目に大きいヘリウム液化装置を設立。 1933( 51 ) 超伝導体の磁場が減衰するマイスナー・オクセンフェルト効果を発見 。 1934(52) ミュンヘン工科大学で技術物理学の教授。 1939-45(57-63) WWII。 1946(64) バイエルン科学人文科学アカデミーで会長。 【ネットワーク】 オクセンフェルト  Robert Ochsenfeld 1901年5月18日 - 1993年12月5日 ドイツの物理学者。▼マイスナーの弟子。1933(32) マイスナーと共にマイスナー・オクセンフェルト効果を発見。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Walther_Meissner

1932、位相差顕微鏡~ゼルニケ(蘭):アルケーを知りたい(764)

イメージ
今回は物理学。 ▼ 位相差顕微鏡 :光線の位相差をコントラストに変換して観察する光学顕微鏡。倍率は、1000~1500倍。特徴は、標本を無染色・非侵襲で観察できるので、生物細胞や微生物、臨床検査で多用。 ▼ゼルニケのここが面白い:オランダの科学の伝統を継承した学者である点。それも光学顕微鏡である点。1600年代後半の顕微鏡製作者・微生物学の父 レーウェンフックがゼルニケの位相差顕微鏡を見たら嬉し驚くことだろう。 ▼ ゼルニケ  Frederik Zernike 1888年7月16日 - 1966年3月10日  オランダの物理学者 【人物】父親は数学教師。 【教育/活動】 1905(17) アムステルダム大学に入学。専攻は化学、副専攻が物理学と数学。 1913(25) フローニンゲン大学の天文学研究所で カプテイン の助手。 1914(26) オーンスタイン と共同で、臨界点理論におけるオーンスタイン-ゼルニケ方程式を発表。 1915(27) フローニンゲン大学で博士。理論力学と数理物理学の講師。 1920(32) フローニンゲン大学で数理物理学の教授。 1930(42) 回折格子を使ってスペクトル線を研究。位相コントラストを開発。 1933(45) 物理医学会議で顕微鏡の位相コントラスト技術を発表 。反応は、ショボい。 1938(50)  ファン・チッタート と共同で ファン・チッタート-ゼルニケの定理を発表。 1941(53) WWII。 オランダを占領したドイツ国防軍がゼルニケの位相差顕微鏡に着目 。これがきっかけで位相差顕微鏡の価値が認められる。 1953( 65 ) ノーベル物理学賞受賞(位相差顕微鏡の発明) 。 【ネットワーク】 ザイデル  Philipp Ludwig von Seidel 1821年10月24日 - 1896年8月13日 ドイツの数学者・光学者・天文学者。▼収差の理論の先達。ゼルニケがザイデルの理論を前進させた。 カプテイン  Jacobus Kapteyn 1851年1月19日 - 1922年6月18日 オランダの天文学者。▼ ゼルニケ は、星がどのように作られたかを研究していたカプティンの助手を務めた。 オーンスタイン  Leonard Salomon Ornstein 1880年11月12日 - 1941年5月20日 オランダの物

1932、コッククロフト・ウォルトン回路~ウォルトン(アイルランド):アルケーを知りたい(763)

イメージ
今回は物理学。 ▼ コッククロフト・ウォルトン回路 :世界初の粒子加速器。加速した陽子をリチウムの原子核にぶつけてヘリウムの原子核に変換した装置。 ▼ウォルトンのここが面白い:ウォルトンはコッククロフトの6才下。アイルランドで生まれ育ち、イギリスのケンブリッジ大学で学び、ノーベル賞物理学賞につながる研究成果を上げた後またアイルランドに戻り研究生活を続けた。コッククロフトの多動な印象に対してウォルトンは静かな印象であるのが面白い。 ▼ ウォルトン  Ernest Thomas Sinton Walton 1903年10月6日 - 1995年6月25日  アイルランドの物理学者。 【人物】父親は牧師。 【教育/活動】 1926(23) ダブリン大学トリニティ・カレッジで学士。 1927(24) ダブリン大学トリニティ・カレッジで修士。 1931(28) ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで博士。指導教員はラザフォード。 1932( 35 ) コッククロフト・ウォルトン回路で粒子加速器で原子核壊変を観察 。 1934-74(31-71) ダブリン大学トリニティ・カレッジ物理学科でフェロー、教授。 1946-(43-) 同大学同カレッジでエラスムス・スミスの自然および実験哲学教授職。 1951( 48 ) ノーベル物理学賞受賞(加速荷電粒子による原子核変換の研究) 。 1995(92) ベルファストで死去。 【ネットワーク】 ラザフォード  Ernest Rutherford  1871年8月30日 - 1937年10月19日 イギリスの物理学者・化学者。原子物理学の父。1908(37) ノーベル化学賞受賞(元素の崩壊、放射性物質の化学に関する研究)。▼コックロフトとウォルトンの師匠。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_Walton

1932、コッククロフト・ウォルトン回路~コッククロフト(英):アルケーを知りたい(762)

イメージ
今回は物理学。 ▼ コッククロフト・ウォルトン回路 :世界初の粒子加速器。人工的に加速した原子核粒子で原子核変換を起こす装置。 ▼コッククロフトのここが面白い:経済力が大きなアメリカに対し、イギリスは経済力は小さいものの物理学の理論では先を行く。原子核を壊す実験をしたいというモチベーションで、低予算の粒子加速器を作り、目的を達成。かつ、ノーベル賞も受賞。コッククロフトは環境に適応してサクセス・ストーリーを作れる力を持っているのが面白い。 ▼ コッククロフト  John Douglas Cockcroft 1897年5月27日 - 1967年9月18日  イギリスの物理学者  【人物】父親は製粉所のオーナー。 【教育/活動】 1914(17) マンチェスター大学に入学。WWIが始まり、士官訓練隊に入隊。 1915(18) イギリス陸軍に入隊。 1918(21) 王立野戦砲兵隊で中尉。 1919(22) WWI終戦。マンチェスター市立工科大学で電気工学を学ぶ。 1920(23) マンチェスター市立工科大学で理学士。 1922(25) マンチェスター市立工科大学で修士。 1924-25(27-28) ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所で カピッツァ (30-31) の助手。ケンブリッジ大学で博士。指導教員はラザフォード(53-54)。 1927(30) キャベンディッシュ研究所のラザフォードの下に ウォルトン (24) が参加。 1929(32) ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで機械科学の監督者。 1932( 35 ) コッククロフト・ウォルトン回路で原子核壊変を観察 。 1939(42) ケンブリッジ大学で自然哲学のジャクソン教授職。WWIIが始まり補給省で科学研究副局長。 1940(43) MAUD委員会で委員。ティザード・ミッションで訪米。レーダー、近接信管の研究と調達に携わる。 1945(48) WWII終戦。イギリスの原子力利用を推進。 1951( 54 ) ノーベル物理学賞受賞(加速荷電粒子による原子核変換の研究) 。 1959(62) ケンブリッジ大学チャーチル・カレッジで学長。 【ネットワーク】 カピッツァ  Pyotr Leonidovich Kapitsa 1894年6月26日7月8日 - 1984年4月8日 ロシアの物理学者。ケンブ