1825、ベンゼン~ファラデー(英):アルケーを知りたい(616)

今回は化学。

ベンゼン。分子式 C6H6、benzene。6個の炭素原子が「亀の甲」のようにつながっている。原油に含まれる。無色、香りあり、引火性が高い、人体に有害。用途はプラスチック、ナイロンなどの原料。
名前の由来は不明。

▼経緯。
1825年、ファラデーが鯨油を熱分解したときに発見
1833年、ドイツの化学者ミチェルリヒが化学実験で得た物質にbenzinと命名
1845年、ドイツの化学者ホフマンの下でイギリスの化学者マンスフィールドがコールタールからベンゼンを単離
1855年、ホフマンがベンゼン化合物に「芳香族」と命名
1865年、ドイツの化学者ケクレが「ベンゼンの環状構造式(ケクレ構造式)」を提案
1867年、イギリスの化学者デュワーがベンゼンの環状構造を提案。ケクレ研究室に招かれる。

▼ファラデーのここが面白い:ファラデーは家の経済事情のため14才から書店で働いていた。その環境が良かった。本を読むのをオーナーが許してくれたり、絵の上手な奉公仲間が絵の描き方を教えてくれた。知識を蓄え、実験図を描くスキルがついた。お客のウィリアム・ダンス氏は若くて明るい書店員ファラデーの勉強熱心さを認め、王立研究所でデービーが行う講演の入場チケットをプレゼントしてくれる。これがファラデーが王立研究所に出入りするきっかけになる。若い時からファラデーは雇用主、仲間、お客から好かれるキャラだった。

マイケル・ファラデー Michael Faraday 1791年9月22日 - 1867年8月25日 
イギリスの化学者・物理学者
【人物】父親は鍛冶屋
【教育】1805-12(14-21) 製本業兼書店で年季奉公。この間の読書で科学に関心を持つ。
【職業】1813(22) 王立研究所でデービーの助手。
 1825(34) 英国王立実験所でデービーの後任所長。
 1833(42) 王立研究所で初代フラー教授職
【業績】1825(34) ベンゼンを発見

【ネットワーク】
ダンス William Dance 1755年12月20日 - 1840年6月5日 イギリスのピアニスト、バイオリニスト ▼1812(57) 書店員だったファラデーを応援

フラー John Fuller 1757年2月20日 - 1834年4月11日 イギリスの軍人、政治家、ジャマイカの農園所有者。王立研究所のサポータ兼スポンサー。▼ファラデーのメンター。1833(76)、王立研究所でフラー化学教授制度を設立し、ファラデーを初代教授につけた。

デービー Humphry Davy 1778年12月17日 - 1829年5月29日 イギリスの化学者、発明家。▼22才のファラデーを王立研究所で助手として採用。

ミッチェルリヒ Eilhard Mitscherlich 1794年1月7日 - 1863年8月28日 1833(39)、benzinを命名したドイツの化学者

ホフマン August Wilhelm von Hofmann 1818年4月8日 - 1892年5月5日 「芳香族」を命名したドイツの化学者。

マンスフィールド Charles Blachford Mansfield 1819年5月8日 - 1855年2月26日 1845(26)ホフマンの下でコールタールからベンゼンを単離したイギリスの化学者。

ロシュミット Johann Josef Loschmidt 1821年3月15日 - 1895年7月8日 1861(40) 、ベンゼンの構造をケクレに先駆けて発見したオーストリアの化学者、物理学者。

デュワー James Dewar 1842年9月20日 - 1923年3月27日 1867(25)、ベンゼンの環状構造を提唱したイギリスの化学者・物理学者。

【似顔絵サロン】






















〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Faraday

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