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万葉集巻第6_976-977番歌(難波潟潮干のなごり)~アルケーを知りたい(1828)

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▼今回は、最初の作品が出かけた先で見た難波潟の風景を妻に伝えるために「よく見てむ」と詠った歌。風景を家づとにせむという優しい気持ちが良き。次の作品は、干潟が太陽を反射してきらきらしているのを見て、そうか、だから「おしてるや難波の海」というんだと納得した歌。作者は神社老麻呂 (かみこそのおゆまろ) さん。この人、観察したものを言語化する気持ちと現地と現地を表現する言葉の関係に納得する気持ちの持ち主、とみた。インタビューしてみたい人。  五年癸酉に、草香山を越ゆる時に、 神社忌寸老麻呂 が作る歌二首 難波潟潮干のなごりよく見てむ 家にある妹が待ち問はむため  万976 *難波の干潟にたまった水のありさまをよく見ておこう。家で待っている妻に説明するため。 直越 (ただこえ) のこの道にてしおしてるや 難波の海と名付けけらしも  万977 *直越のこの道から日が海を照らすのを見て「押し照るや難波の海」と表現したのだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_975番歌(かくしつつあらくをよみぞ)~アルケーを知りたい(1827)

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▼楽しい時間であるほどに限られた人の寿命を思う歌。「かくしつつあらくをよみぞ」がどういう意味なのかよく分からないが (笑) 、良い歌だと思えるのはなぜ? 「短き命を長く欲りする」が続くからだろうか。    中納言 安倍広庭 卿が歌一首 かくしつつあらくをよみぞたまきはる 短き命を長く欲りする  万975 *こうやって時を過ごすのが楽しいから、短い命を少しでも長くと思うのですね。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_972番歌(千万の軍なりとも)~アルケーを知りたい(1826)

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▼今回は前回の長歌に続く反歌。長歌はふわっとした感じだったのに対し、972番の歌はなかなか圧が強い(笑)。周囲の期待とプレッシャーの下で成果を出さないといけない役人たち。今も昔も変わらない。高橋虫麻呂に「いよっ!言挙げせず(敵を)征伐して戻ってくる男」と称えられては、藤原宇合もあれこれ言うことなく 西海道の節度使として活躍 するしかない。▼ほかに節度使が置かれた地域は東海道・東山道・山陰道がある。 東海・東山は宇合の兄の 藤原房前が、 山陰道は宇合よりずっと年長の 多治比県守が任命された。  反歌一首 千万 (ちよろづ) の軍 (いくさ) なりとも言挙げせず 取りて来 (き) ぬべき士 (をのこ) とぞ思ふ  万972 *大軍を率いても大げさなことは言わず、敵を平らげて戻ってくる士と思います。   右は、補任の文に検すに、「八月の十七日に、東山・山陰・西海の節度使を任ず」と。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_971番歌(白雲の竜田の山の)~アルケーを知りたい(1825)

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▼今回の長歌はタイトルから5W1Hがだいぶ分かる。When=四年壬申( 732年)、Who=藤原宇合、Where=西海道(九州)、 What=節度使。 ほんわりとぼやかした表現が多い和歌では珍しい。 で、節度使は何をするのか、というと、防衛拠点の筑紫を中心に九州全域の国形=現地調査。この歌は、節度使になった藤原宇合を送り出すとき、高橋虫麻呂が讃えた作品。  四年壬申に、 藤原宇合 卿、西海道の節度使に遣はさゆる時に、 高橋連虫麻呂 が作る歌一首  幷せて短歌 白雲の 竜田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山 (いほへやま)  い行きさくみ 敵 (あた) まもる 筑紫に至り 山のそき 野のそき見よと 伴の部 (とものへ) を 班 (あか) ち遣はし 山彦の 答へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国形 (くにかた) を 見したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 竜田道の 岡辺 (おかへ) の道に 丹つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参ゐ出む 君が来まさば  万971 *732年、竜田山が紅葉する時期に、西海道節度使(九州と島々の防衛を司る役職)として筑紫に赴任した藤原宇合卿。現地の山や野など地理状況を細かく調査し把握します。冬があけて春になり竜田道につつじや桜が咲き匂う頃、お帰りになるときにお迎えに参ります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_964番歌(我が背子に恋ふれば苦し)~アルケーを知りたい(1824)

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▼今回も坂上郎女が大宰府から都に戻る途上で詠んだ歌。いつも一緒にいたい人と別れているのが辛い。海の岸辺に出て、恋しい心を忘れさせるという恋忘れ貝を拾っていきたい、時間があれば。前の963番で名児山を恨んだ後、海の近くを移動しているので、少し気分が落ち着いたようだ。  同じき坂上郎女、京に向ふ海道にして、浜の貝を見て作る歌一首 我が背子に恋ふれば苦し暇あらば 拾ひて行かむ恋忘れ貝  万964 *大切な人が恋しいので暇があれば恋しさを忘れさせてくれるという貝を拾っていきたい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_963番歌(大汝少彦名の神こそば)~アルケーを知りたい(1823)

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▼今回は坂上郎女が山に八つ当たりしている(笑)歌。「なごやま」という名前なのに私のッ心はいっこうに和まない、と。最初悲しい歌と思ったけれど、実は面白い歌だった。駄洒落とバカにするなかれ、だ。   冬の十一月に、 大伴坂上郎女 、帥の家を発ちて道に上り、筑前の国の宗像の郡の名児の山を越ゆる時に作る歌一首 大汝少彦名 (おほなむち すくなびこな) の 神こそば  名付けそめけめ 名のみを 名児山と負ひて 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに 万963 *名児山という立派な名前の山だけれども、私の心の千の重荷の一つも和ませてくれないのね。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_962番歌(奥山の岩に苔生し畏くも)~アルケーを知りたい(1822)

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▼今回は、「一首歌を!」と人に言われて、「私に作れるわけないでしょう」と答えたのがそのまんま歌になる、というパラドックス作品。・・・というふうに見せて、実はうまく作った歌。いやいや、ちょっと嫌味か(笑)。   天平二年庚午に、勅して、擢駿馬使 大伴道足 宿禰を遣はす時の歌一首 奥山の岩に苔生し畏くも 問ひたまふかも思ひあへなくに  万962 *畏れ多いことに私に歌を作れと仰いますか、思い付きもいたしませんのに   右は、勅使大伴道足宿禰に帥の家にして饗す。 この日に、会集ふ衆諸、駅使 葛井連広成 を相誘ひて、「歌詞を作るべし」といふ。 その時に、広成声に応へて、即ちこの歌を吟ふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_961番歌(湯の原に鳴く葦鶴は)~アルケーを知りたい(1821)

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▼今回は大伴旅人が大宰府近くにある 温泉で鶴の鳴き声を聞き、妻を詠った 作品。解説によると妻が亡くなってすぐ後のことらしい。それを知るとこの歌から感じる悲しさが増す。  帥大伴卿、次田 (すきた) の温泉に宿り、鶴の声を聞きて作る歌一首 湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく 妹に恋ふれや時わかず鳴く  万961 *湯の原で鳴く鶴は、私のように妻を恋しがって時を分かたず鳴いている。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_960番歌(隼人の瀬戸の巖も)~アルケーを知りたい(1820)

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▼956番で「我が大君の食(を)す国は大和もここ(大宰府)も同じとぞ思ふ」と言ったかと思うと今回の960番では「隼人の瀬戸の巖だって吉野の滝には及ばない」と言う。こっちが本音とぞ思ふ。  帥 大伴卿 、遥かに吉野の離宮を偲ひて作る歌一首 隼人の瀬戸の巖も鮎走る 吉野の滝になほ及かずけり  万960 *隼人の瀬戸の巖でも、吉野の滝には及びません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_957-959番歌(いざ子ども香椎の潟に)~アルケーを知りたい(1819)

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▼奈良時代、大宰府に勤務する役人が異動するときの歌。香椎は福岡県東区の地名。Wikipedia によると、大伴旅人ら一行が行ったという香椎の廟は724年の創建。行ったのは728年なので、創建4年後のこと。帰りに香椎潟に寄って海の香りを楽しんだようだ。959番歌では、異動が決まった 豊前守は「もう香椎潟が見られなくなる」と残念がる。後年、埋め立てが進んで見られなくなるんだけど。  冬の十二月に、大宰の官人等、香椎の廟を拝みまつること訖 (をは) りて、退 (まか) り帰る時に、馬を香椎の浦に駐めて、おのおのも懐を述べて作る歌   帥大伴卿 が歌一首 いざ子ども香椎の潟に白栲の 袖さへ濡れて朝菜摘みてむ  万957 *さあ皆さん、香椎の岸に入り服の袖を濡らして朝菜を摘みましょう。  大弐 小野老 朝臣が歌一首 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟 潮干の浦に玉藻刈りてな  万958 *風が吹く時間帯になったので、この香椎潟の潮干の浦で玉藻を採りましょう。  豊前守 宇努首男人 が歌一首 行き帰り常に我が見し香椎潟 明日ゆ後には見むよしもなし  万959 *行き帰りの時にいつも私が見ていた香椎潟ですが、明日からのちは見ることもなくなります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_955-956番歌(さす竹の大宮人の家と住む)~アルケーを知りたい(1818)

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▼今回は2首セット。大宰府の長官に赴任した大伴旅人に、迎えるスタッフが声をかけたやりとりの歌。石川足人は、旅人が住み慣れた都を「さす竹の大宮人の家と住む佐保の山」と表現する。旅人は「大君が治める国だから大和も筑紫も同じ」と応える。旅人は山上憶良、 沙弥満誓ら歌仲間が出来る。人呼んで筑紫歌壇。  大宰少弐 石川朝臣足人 が歌一首 さす竹の大宮人の家と住む 佐保の山をば思ふやも君  万955 *大宮人がホームにしている佐保の山を思い出しておられますか、貴方様は。  帥 大伴卿 が和ふる歌一首 やすみしし我が大君の食 (を) す国は 大和もここも同じとぞ思ふ  万956 *我らが大君が治める国だから、大和もここも同じと思いますよ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_954番歌(朝は海辺にあさりし)~アルケーを知りたい(1817)

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▼雁を見て自由さが羨ましいと詠う膳部王。窮屈な暮らしをしている自分、と思ったのだろう。 長屋王の変に巻き込まれる運命の人なので、その予兆っぽいものをどこかで感じていたのかも。一方、 朝は海辺に出て食べ物を探し、夜は巣に戻るルーチンを繰り返す雁からすると「朝は海辺であさりす我を見夕されば大和へ越ゆる我を見し膳部王の羨ましも」。この雁も狩りに遭う運命かも知れない、と思うと・・・ 。   膳部王 が歌一首 朝は海辺にあさりし夕されば 大和へ越ゆる雁し羨しも  万954 *朝は海辺で魚を探し、夕方にになれば大和へ飛んで帰る雁が羨ましい。   右は、作歌の年審らかにあらず。 ただし、歌の類をもちて、すなはちこの次に載す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_949番歌(梅柳過ぐらく惜しみ)~アルケーを知りたい(1816)

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▼今回は前回の長歌に続く反歌。この一首で、この連中は仕事をサボって遊んでたことを全く反省してないのが分かる。平穏な日だし、春もそろそろ過ぎるから、みんなで球蹴りでもしない?とか言って、おれもおれもと参加者が増えて、宮近くの野原で遊んだわけだ。乱や変がなくて、あるいは、乱や変の合間で一息つきたい気分だったか。そのスキを狙うように大宮を襲ったのが敵だったら、大ごとになった。敵ではなく、雨降り雷電が轟いたくらいだったので幸いでした。でも大君や回りの人が侍従や侍衛を詠んでも、誰も出てこない。防衛体制ゼロ。大君はこんな状態を見てさぞ情けなかったことでしょう。で、浮かれてた連中を授刀寮に閉じ込めて反省させた。ところが、この連中、949番に見るように、何が問題だったか、分かってるんだか分かってないんだか。この能天気さのおかげで日本が続いているのかも。  反歌一首 梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に 遊びしことを宮もとどろに  万949 *春を告げる梅や柳を楽しみたくて佐保で遊んだだけのことなのに、大宮ではそのことをメチャ大げさに非難しています。   右は、神亀四年の正月に、数王子と諸臣子等と、春日野に集ひて打毬(だきう)の楽をなす。 その日たちまちに天陰り、雨ふり雷電(いなびかり)す。 この時に、宮の中に侍従と侍衛と無し、勅して刑罰に行ひ、みな授刀寮に散禁せしめ、妄りて道路に出づること得ざらしむ。 その時に悒憤(いぶせ)みし、すなはちこの歌を作る。作者未詳。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_948番歌(ま葛延ふ春日の山は)~アルケーを知りたい(1815)

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▼今回の長歌の背景は次。ある春の日、大宮勤めの皆が仕事をサボって野原に出て遊んだ。間の悪いことにこの日に限って天気が急変した。しかし大宮のセキュリティ担当は持ち場にいない。直ちに天皇は勝手に持ち場を離れた諸王・諸臣子に謹慎を命じた。 948番歌の作者は、叱られた諸王・諸臣子のうちの誰か。 最後が「道にも出でず恋ふるこのころ」で締めているのを見ると、あまり反省してない印象(笑)。  四年丁卯の春の正月に、 諸王・諸臣子等 に勅して、授刀寮に散禁せしむる時に作る歌一首  幷せて短歌 ま葛延ふ 春日の山は うち靡く 春さりゆくと 山峡に 霞たなびき 高円に うぐひす鳴きぬ もののふの 八十伴の男は 雁がねの 来継ぐこのころ かく継ぎて 常にありせば 友並めて  遊ばむものを 馬並めて  行かまし里を 待ちかてに 我がせし春を かけまくも あやに畏く 言はまくも  ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に 岩に生ふる 菅の根採りて しのふくさ 祓へてましを 行く水に みそきてましを 大君の 命畏み ももしきの  大宮人の 玉桙の 道にも出でず 恋ふるこのころ  万948 *いつもなら皆で春を楽しむのに、あらかじめ知っておけば由々しき事にならずに済んだものを、今は畏れ多い大君のご命令に従って外出もせず閉じこもっております。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_947番歌(須磨の海女の塩焼き衣の)~アルケーを知りたい(1814)

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▼今回は、 「塩焼き衣のなれなばか」と言って、 身に着けている服が体によくフィットしている様子を歌った作。オヤジにフィットしてもしょうがないので(笑)、ここはやはり「須磨の海女」でなければ、と納得。  反歌一首 須磨の海女の塩焼き衣のなれなばか 一日 (ひとひ ) も君を忘れて思はむ  万947 *須磨の海女の塩焼き衣が着馴染んでいるように、一日も貴方様の思いが心から離れません。   右は、作歌の年月いまだ詳らかにあらず。 ただし、類をもちての故に、この次に載す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_946番歌(御食向ふ淡路の島に)~アルケーを知りたい(1813)

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▼言葉遊びが仕掛けてある長歌。一つ目は御食(粟)と淡路=あわつながり、二つ目は深海松と見る=みるつながり、三つ目は「なのりそ」と「なおしみ」=名乗る・名を惜しむ。赤人の定番、沖辺には~浦みには~の対比もちゃんとある。 最後は、手紙も出せずに生きた心地もしない、で結んでいるけど、これはちょっと大げさすぎではないか。・・・ということは、これは軽いノリの歌なんじゃないか。知らんけど。  敏馬 (みめね) の浦を過ぐる時に、 山部宿禰赤彦 が作る歌一首  幷せて短歌 御食 (みけ) 向ふ  淡路 の島に 直向 (ただむか) ふ 敏馬の浦の 沖辺には 深海松 (ふかみる) 採り 浦みには なのりそ刈る 深海松の 見まく 欲しけど なのりその おのが名惜しみ 間使い (まつかひ) も 遣らずて我れは 生けりともなし 万946 *淡路島の敏馬の浦の深海松を見たいのと同じく貴方に会いたいけれど、名を惜しんで使いも出さず我慢しています。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_943-945番歌(玉藻刈る唐荷の島に)~アルケーを知りたい(1812)

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▼今回の反歌三首は、旅先で早く家に帰りたくてしょうがない、でも簡単には帰れない気分を詠う赤人。943番は鵜を見ては自分を重ね、944番では故郷に向かって進む船を見て羨ましく思う。944番では海が荒れるので危険を避けて湾内で大人しくしている。 まだまだ続きそうな、波を気にし ながらの海の旅。  反歌三首 玉藻刈る唐荷の島に島廻 (しまみ) する 鵜にしもあれや家思はずあらむ  万943 *唐荷の島を廻る鵜になった気分で家を偲んでいます。 島廻り我が漕ぎ来れば羨しかも 大和へ上るま熊野の船  万944 *島廻りしながら私たちが漕いでいると、羨ましいことに大和に向かう熊野の船が見えました。 風吹けば波か立たむとさもらひに 都太 (つだ) の細江に浦隠り居り  万945 *風が吹いて波が立つのではないかと様子見して、いま都太の細江に浦で大人しくしています。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_942番歌(あぢさはふ妹が目離れて)~アルケーを知りたい(1811)

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▼赤人が長旅の途中、船から風景の移り変わりを眺めながら「 隈も置かず 」家を恋しがる長歌。赤人の目には、島々、山々、雲が家から離れた象徴に映る。家への思いが募る。  唐荷の島を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首  幷せて短歌 あぢさはふ 妹が目離れて 敷栲の 枕もまかず 桜皮 (かには) 巻き 作れる船に 真楫貫き 我が漕ぎ来れば 淡路の 野島も過ぎ 印南都麻 (いなみつま)  唐荷の島の 島の際ゆ 我家を見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎたむる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々 隈も置かず 思ひ我が来る 旅の日 (け) 長み  万941 *妻と別れて船旅で淡路までやってきました。我が家はというと青い山と白い雲のずっと向こう。船は相変わらず島々の間を漕ぎ進んでいますが、長い旅の一日、考えるのは我が家のことばかり。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_939-941番歌(沖つ波辺波静けみ漁りすと)~アルケーを知りたい(1810)

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▼今回は、前回の美しい938番の長歌に続く三首の反歌。心弾む明るさが伝わってくる。939番で旅先の賑わいを詠い、次の940番で旅先での夜が長いので家が偲ばれると詠い、941番では帰途につくことになってニンマリする自分を詠う。「 下笑まむ」が効いてくる。  反歌三首 沖つ波辺波静けみ漁りすと 藤江の浦に舟ぞ騒ける  万939 *波が静かになると、 藤江の浦が 漁に出る 舟で 賑わいます。 印南野の浅茅押しなべさ寝る夜の 日長くしあれば家し偲はゆ  万940 *印南野で野宿すると夜が長いので、家のことばかり偲ばれます。 明石潟潮干の道を明日よりは 下笑 (したゑ) ましけむ家近づけば  万941 *明石潟が干潮になると現れる道を進むと思うと 嬉しくなります。明日から だんだん家に近づくから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_938番歌(印南野の邑美の原の)~アルケーを知りたい(1809)

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▼今回も山部赤人が明石の海を褒める歌。歌は3段構造になっている。①最初に場所を知らせ、②対比で説明し、③褒めて締める。938番は②の対比が鮮やか。こういう表現ができるようになりたい。   山部宿禰赤人 が作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君の 神ながら 高知らせる 印南野 (いなみの) の 邑美 (おふみ) の原の 荒栲の 藤井の浦に 鮪 (しび) 釣ると  海人舟 (あまぶね) 騒ぎ 塩焼くと  人ぞさはにある 浦をよみ  うべも釣りはす 浜をよみ  うべも塩焼く あり通ひ 見さくもしるし 清き白浜 万938 *藤井の浦にはマグロを釣りに漁師が集まり、塩を焼きに人が集まります。浦が良いから、浜が良いからです。だから天皇もお通いになるのでしょう、この清い白浜に。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_936-937番歌(玉藻刈る海人娘子ども)~アルケーを知りたい(1808)

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▼前回の長歌の後に続く反歌二首。観光だな、これはと思ふ。 936番は普段の生活では見られない仕事と人を見たい気持ち、937番は普段の生活では見られない風景を見たい気持ち。この気持ちを満たすのが観光なんだ。なんだか発見した気分。  反歌二首 玉藻刈る海人娘子 (あまをとめ) ども見に行かむ 舟楫もがも波高くとも  万936 *玉藻を刈る漁師や娘子たちを見に行く舟と楫があれば、波が高くても行きたいものです。 行き廻り見とも飽かめや名寸隅 (なきすみ) の 舟瀬の浜にしきる白波  万937 *周回して見ても飽きることがないでしょう。名寸隅の舟瀬の浜に寄せる白波は。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_935番歌(名寸隅の舟瀬ゆ見ゆる)~アルケーを知りたい(1808)

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▼今回の長歌は、726年の作品。聖武天皇行幸に合わせて笠金村が詠んだ歌。 名寸隅 (なきすみ) は地名で、現在の明石市の魚住町付近という。聞いたことがある町名だなと思ったら、中学時代の友人が住んでいる地名だ。天皇行幸の地なんだ、すごいな。 「朝なぎにと夕なぎに」「ますらをのとたをや女の」の対比が良き良き。  三年丙寅の秋の九月十五日に、播磨の国の印南野 (いなみの) に幸す時に、 笠朝臣金村 が作る歌一首  幷せて短歌 名寸隅 (なきすみ) の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに  玉藻刈りつつ 夕なぎに  藻塩焼きつつ 海人娘子 (あまをとめ)  ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ ますらをの  心はなしに たわや女の  思ひたわみて た廻 (もとほ) り 我れはぞ恋ふる 舟楫をなみ 万935 *淡路島の浦では海人や娘子たちが朝は玉藻を借り、夕は塩を焼くそうな。見に行くにも舟と楫がないので、益荒男の気持ちはどこへやら、手弱女のように思い悩んで、じりじりするばかり。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_934番歌(朝なぎに楫の音聞こゆ)~アルケーを知りたい(1807)

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▼海の近くで暮らしていると、朝凪が実感できるのだろう、と思うと羨ましい。というか自分が風に鈍感なのだろう。凪で静かになっているだけに楫の音がよく響くのだろう。野島の 海人の舟の楫の音、聞いてみたい。  反歌一首 朝なぎに楫の音聞こゆ御食 (みけ) つ国 野島の海人の舟にしあるらし  万934 *朝なぎのなか楫の音が聞こえます。御食の国の野島の海人が漕ぐ舟のようです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_933番歌(天地の遠きがごとく)~アルケーを知りたい(1806)

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▼「天地の遠きがごとく、日月の長きがごとく」は悠々としていて、リズムも響きも良い。こういうフレーズで詠う山部赤人と柿本人麻呂を大伴家持が「山柿」と呼んだのは、ごもっともなこと。後半は鰒も出てきて食欲を誘う。こうしてみると長歌も良いものだなーと思ふ。  山部宿禰赤人が作る歌一首  幷せて短歌 天地の  遠きがごとく 日月の  長きがごとく おしてる 難波の宮に 我ご大君 国知らすらし 御食つ国 日の御調と 淡路の 野島の海人の 海の底 沖つ海石に 鮑玉  さはに潜き出 舟並めて 仕へ奉るし 貴し見れば 万933 *天地が広大なように、時間が悠久のように、我が大君は国をお治めになる。淡路の海人が舟を並べて海から取った鮑玉を奉げるのは何とも貴いことです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_932番歌(白波の千重に来寄する住吉の)~アルケーを知りたい(1805)

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▼白波が寄せては返す住吉の浜。932番歌は陸に見える「埴生=赤や黄色の粘土」が焦点。 衣を染めて行きたいくらい良い色らしい。 埴生は 埴輪を作る時の土という。今でいうとカーキ色。そういえば今日のチノパンがカーキ色だ。何か嬉しいぞ。埴輪に染まる気分で、ゆったり過ごそう。  反歌一首 白波の千重に来寄する住吉の 岸の埴生 (はにふ) ににほひて行かな  万932 *白波が繰り返し寄せて来る住吉の岸の埴生に染まって行こう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_931番歌(鯨魚取り浜辺を清み)~アルケーを知りたい(1804)

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▼今回は大阪の住吉(すみのえ)の浜の歌。同じ地名で、大分には住吉浜( すみよしはま )という 歌川広重が絵にした 海岸がある。こちら「潮干狩り 浜辺を清み」の浜で、朝なぎに千重波寄せ、夕なぎに五百重波寄せているのだろう。浜は良いなあ。   車持朝臣千年 が作る歌一首  幷せて短歌 鯨魚 (いさな) 取り 浜辺を清み うち靡き 生 (お) ふる玉藻に 朝なぎに  千重波寄せ 夕なぎに  五百重波 (いほへなみ) 寄す 辺つ波の いやしくしくに 月に異に 日に日に見とも 今のみに 飽き足らめやも 白波の い咲き廻れる 住吉 (すみのえ) の浜  万931 *清らかな浜辺に玉藻が揺れています。朝のなぎに波が寄せ、夕のなぎにも波が寄せて来ます。 見飽きることがありません。白波が花のように咲き乱れるここ住吉の浜は。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_929-930番歌(荒野らに里はあれども)~アルケーを知りたい(1803)

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▼929番の「 大君の敷きます時は」を「所は」と誤読していたのに今、気づきました。ということは、大君がいらっしゃるとき、そこが都になる、と詠っているのでした。次の930番は場面が一転。棚なし小舟の楫の音の歌。貸しボートのイメージでとらえてしまったので、オールの音に聞こえてしまう。オリジナルの楫の音ってどんなだ?  反歌二首 荒野らに里はあれども大君の 敷きます時は都となりぬ  万929 *荒野にいくつも里はあるけれども大君がここと決めたところが都となるのです。 海人娘子棚なし小舟漕ぎ出らし 旅の宿りに楫の音聞こゆ  万930 *海人や娘子が小型の舟を漕ぎだしているようだ。旅の宿に楫の音が聞こえて来るところを見ると。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_928番歌(もののふの八十伴の男は)~アルケーを知りたい(1802)

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▼今回の笠金村の長歌は「大君がここと定めると臣下の大勢の男たちが集まって都を成す」という、大君と従う臣下を褒める内容のようだ。末尾に「旅にはあれども」とあるのは、行幸の途中でも大君がいらっしゃる場所が都になる、と強調しているのかな・・・難解歌のひとつ。  冬の十月に、難波の宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首  幷せて短歌 おしてる 難波の国は 葦垣 (あしかき) の 古 (ふ) りにし里と 人皆の 思ひやすみて つれもなく ありし間に 続麻 (うみを) なす 長柄の宮に 真木柱 太高敷きて 食 (を) す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味経 (あじふ) の原に もののふの 八十伴の男は 廬りして 都成したり 旅にはあれども  万928 *難波の国に対して人々はつれなかったけれど、大君がここと決めたからには、八十伴の男たちが旅の途中のキャンプを張って都にするのです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_927番歌(あしひきの山にも野にも)~アルケーを知りたい(1801)

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▼大がかりな狩り。狩場全体を見渡せる場所から、人々の動きをショート動画のように見せる歌。  反歌一首 あしひきの山にも野にも御狩人 (みかりひと)   さつ矢手挟み騒きてあり見ゆ  万927 *山にも野にも狩人のみなさんが幸矢を持って機敏に動き回っている様子が見えます。   右は、先後を審らかにせず。 ただし、便をもちての故に、この次に載す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_926番歌(み吉野の秋津の小野の)~アルケーを知りたい(1800)

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▼今回は天皇が吉野で行った狩りを詠う長歌。場所は野原や山。 ターゲットは鹿・猪・鳥。 時間は朝と夕方。 跡見や 射目を配置し、 馬を並べて実施 。大きい猪は、ものすごいパワフルで危ないから、きっと離れた所から矢で射たのだろう。となると、鹿や鳥を獲るのも矢だろう。当時の人たちはみな弓矢の名人ぞろいだろう。頼もしい。 やすみしし 我ご大君は み吉野の 秋津の小野の 野の上には 跡見 (とみ) 据ゑ置きて み山には 射目 (いめ) 立て渡し 朝狩に 鹿猪 (しし) 踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て 馬並めて 御狩ぞ立たす 春の茂野 (しげの) に 万926 *わが大君は吉野の野原と山にポイントを設け、朝は鹿と猪を、夕は鳥を狩りに、供と馬を並べて春の野にお立ちになります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_924-925番歌(み吉野の象山の際の)~アルケーを知りたい(1799)

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▼924番に出てくる「ここだくも(こんなにも)」が良い。ここだくも見つかる土産話かも、とか、ここだくもやらねばならぬ仕事かも、とか。ここだくもは、次に続くのが肯定的・否定的を問わず行ける。例えば、ここだくも輝く夜空の星の光かも、ここだくも鳴る尻の声かも。  反歌二首 み吉野の象山の際の木末には ここだくも騒く鳥の声かも  万924 *吉野の象山の木立では鳥がこんなにも騒いで鳴く声が聞こえるんですね。 ぬばたまの夜の更けゆけば久木 (ひさぎ) 生ふる 清き川原に千鳥しば鳴く  万925 *夜が更けるにつれて久木が生えているきれいな川原で千鳥がしきりに鳴きます。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6