1925、行列力学~ハイゼンベルク(独):アルケーを知りたい(744)

今回は物理学。

行列力学: matrix mechanics。量子力学における理論形式の一つ。運動量や位置などの物理量を行列を用いて表現した。古典物理から量子力学への転換点。

▼ハイゼンベルクのここが面白い:「博士審査の口頭試問に全く答えられず平均的な評定。ボルンの助手になることが決まっていたので、すぐボルンに会い『私をまだ採用するおつもりがあるかどうか知りたいです』と尋ねた。というエピソードが面白い。口頭試問をカッコよくクリアできず心配になってボルン先生に確認するという慌てぶり。量子力学の創始者のひとりでも、こういう場面があったことに親しみが湧く。

ハイゼンベルク Werner Karl Heisenberg 1901年12月5日 - 1976年2月1日
 ドイツの理論物理学者
【人物】父親は現代ギリシャ語の教授。
【教育】1923(22) ミュンヘン大学で博士。師匠はゾンマーフェルト。
【活動/業績】
1923(22) ゲッティンゲン大学でマックス・ボルンの助手。
1924(23) 教員資格を取得。ニールス・ボーアの下に留学。
1925(24) ボルンとヨルダンの協力を得て行列力学を導出
1926(25) コペンハーゲン大学で講師、ボーアの助手。
1927(26) 不確定性原理を導出。ライプツィヒ大学で理論物理学の教授。
1932(31) ノーベル物理受賞(量子力学の創始ならびにオルト、パラ水素の発見)
1939-45(38-44) WWII。プランクの「今は生き残るために妥協を強いられるにしても、破局の後の新しい時代のドイツのために残るべきだ」という意見に従う。シュタルク、レーナルトらナチス党員の物理学者から「白いユダヤ人」と呼ばれて攻撃を受ける。
1941(39) ベルリン大学で物理学教授、カイザー・ヴィルヘルム物理学研究所で所長。
コペンハーゲンでボーアと会い原子炉のメモを渡す。メモを見たアインシュタインは原子爆弾の開発競争を予想。ドイツの原爆開発チーム「ウラン・クラブ」の一員として重水炉を開発。アメリカはハイゼンベルクの暗殺を試みるも失敗。終戦後、イギリス情報局秘密情報部によりイギリスで軟禁。1946年に帰国。
1946-70(45-69) マックス・プランク物理学研究所で所長。
1957(56) ミュンヘンの研究用原子炉、西ドイツ初の原子炉の計画に尽力。
1960-70(59-69) マックス プランク物理学・天体物理学研究所で所長。

【ネットワーク】
ヨルダン Ernst Pascual Jordan 1902年10月18日 - 1980年7月31日 ドイツの物理学者。▼行列力学の導出に尽力。1933(31) ナチ党に参加。

【似顔絵サロン】















〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Werner_Heisenberg

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