1936、テクネチウム~セグレ(伊):アルケーを知りたい(769)

今回は物理学。

テクネチウム:technetium。原子番号 43。元素記号 Tc。比重 11.5。融点 2172 °C。天然ではまれ。最初の人工放射性元素。銀白色。名前の由来は、ギリシャ語の人工 technitos。

▼セグレのここが面白い:フェルミのチーム出身者(当然、優秀でデキる人)、WWIIでひどい目に遭う(ユダヤ人)、ノーベル賞が取れた、など紆余曲折がある。どんな局面でもゆとりを感じさせる。器の大きさがすごい。

セグレ Emilio Gino Segrè 1905年2月1日 - 1989年4月22日
 アメリカの物理学者 
【人物】父親は製紙工場経営者。ユダヤ人。
【教育/活動】
1922(17) ローマ大学サピエンツァ校に入学、工学を学ぶ。
1927(22) ローマ大学の大物コルビーノの助けで工学から物理学に転学。フェルミとラセッティの研究チーム「パニスペルナ通りの少年達」に加わる。
1928(23) ローマ大学で博士。師匠はフェルミ。
1928-29(23-24) イタリア陸軍で対空砲兵隊の少尉。
1929(24) 「パニスペルナ通り」の研究チームに戻り研究再開。
1930(25) フェルミの助言を受けハンブルグ大学のシュテルンとアムステルダム大学のゼーマンの下で研究。
1932-36(27-31) 「パニスペルナ通り」の研究チームに戻る。ローマ大学物理学部で助教授。
1936(31) パレルモ大学で物理学教授、物理学研究所所長。
ローレンス研究所を訪れ、研究所のサイクロトロンの一部であった放射性スクラップ金属に興味を持つ
1937(32) パレルモ大学に戻り、ローレンスから送ってもらった放射性スクラップ金属のモリブデン箔を分析して新元素を発見
1936-38(31-33) パレルモ大学の物理学研究所で所長。
1938(33) ムッソリーニのファシスト政府が反ユダヤ主義の法律を施行、職を失う。渡米、ローレンスの下でバークレー放射線研究所で研究助手。
1941(36) WWII。
1943-46(38-31) ロスアラモス国立研究所でマンハッタン計画のグルーリーダー。
1944(39) 米国市民。
1946-72(41-67) バークレー放射線研究所に戻り物理学と科学史の教授。
1947(42) 36年に発見した新元素をテクネチウムと命名。
1955(50) チェンバレンらと共に反陽子を発見
1959(54) ノーベル物理学賞受賞(反陽子の発見)
1974-75(69-70) ローマ大学で原子核物理学の教授。

【ネットワーク】
ゼーマン Pieter Zeeman 1865年5月25日 - 1943年10月9日 オランダの物理学者。1902(37) ノーベル物理学賞受賞(放射に対する磁場の影響の研究)。▼1930年、セグレ(25)を研究室に受入れ。

シュテルン Otto Stern 1888年2月17日 - 1969年8月17日 アメリカの物理学者。1943(55)ノーベル物理学賞受賞(原子線法の開発と陽子の磁気モーメントの発見)。▼1930年、セグレ(25)を研究室に受入れ。

コルビーノ Orso Mario Corbino 1876年4月30日 - 1937年1月23日 イタリアの物理学者。ローマ大学で初の理論物理学の教授。ローマ大学に原子核分野でエンリコ・フェルミらが活躍する基礎をつくった。▼1927年、セグレが工学から物理学に転学するのを助けたローマ大学物理学研究所所長。

ムッソリーニ Benito Amilcare Andrea Mussolini 1883年7月29日 - 1945年4月28日 イタリアの政治家。ファシスト党統領。▼1938年、反ユダヤ法でユダヤ人を公職から追放した。

チェンバレン Owen Chamberlain 1920年7月10日 - 2006年2月28日 アメリカの物理学者。博士指導教員はフェルミ。▼1959(39) ノーベル物理学賞受賞(反陽子の発見)。セグレと共同受賞。

【似顔絵サロン】






























〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Emilio_Segr%C3%A8

コメント

このブログの人気の投稿

大伴旅人の万葉集459番歌~アルケーを知りたい(1092)

大伴旅人の万葉集876-879番歌~アルケーを知りたい(1117)

大伴旅人の万葉集577番歌~アルケーを知りたい(1097)