1938、核分裂~ノーベル化学賞を受章したハーン(独):アルケーを知りたい(770)

今回は化学。

核分裂:nuclear fission。原子核が分裂して同程度の大きさの原子核に分かれること。オットー・フリッシュが生物の細胞分裂から転用して命名。

▼ハーンのここが面白い:一流の実験化学者が核分裂の現象を弟子シュトラスマンと共に見つける。この実験の解釈を一流の物理学者リーゼ・マイトナーに手紙で相談する。なぜ手紙かというとリーゼ・マイトナーはナチスから逃れるためベルリンを脱出していたから。脱出先でリーゼ・マイトナーは甥のオットー・フリッシュと一緒に手紙に書かれている不思議な現象について物理の視点で解釈する。フリッシュは生物学の細胞分裂の用語を流用して核分裂と命名する。これが平時ではなくWWII直前の1938年の話。WWIIが続いている1944年、ノーベル化学賞を受章。戦後はマックス・プランク協会の会長を続ける。ハーンは、時代の動きの中での言動とは?とか仲間とのかかわり方とは?など、結論を出せない問題を考えさせてくれる存在であることが面白い。

オットー・ハーン Otto Hahn 1879年3月8日 - 1968年7月28日
 ドイツの化学者・物理学者 
【人物】父親は有機化学者。
【教育/活動】
1901(22) マールブルク大学で博士。指導教員はテオドール・ジンケ
1902-03(23-24) マールブルク大学でジンケの助手。
1904(25) ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンでラムゼイに師事。放射性トリウムを発見。
1905(26) カナダのマギル大学物理学研究所でラザフォードに師事。放射性アクチニウムを発見。
1906(27) ベルリン大学化学研究所でエミール・フィッシャーの下につく。
1907(28) 講師資格を取得。物理学者のリーゼ・マイトナーとβ線、磁気スペクトルなどに関して長期に渡る共同研究を開始。
1912(33) カイザー・ヴィルヘルム化学研究所の放射能部門で責任者。
1914-18(35-41) WWI。
1917(38) プロトアクチニウムを発見。
1928(49) カイザー・ヴィルヘルム化学研究所で所長。
1932(53) シュトラスマンが研究に参加。
1933(54) ナチス党の権力掌握。研究所で働き続ける条件となるナチス党への協力を拒みシュトラスマンが辞任。ハーンとマイトナーが研究費で雇用。
1934-38(55-59) マイトナー、シュトラスマンと共に多数の放射性核変換生成物を発見。
1938(59) マイトナーがベルリンを脱出。シュトラスマンと共にウランに中性子を照射してバリウムを生成。実験結果の解釈について、ベルリンを脱出した物理学者マイトナーと手紙のやり取りを続ける。結果、原子核分裂の発見となる
1939-45(60-66) WWII。
1944(65) ノーベル化学賞受賞(原子核分裂の発見)
1946(67) カイザー・ヴィルヘルム協会で会長。
1948(69) マックス・プランク協会で会長。
1960(81) マックス・プランク協会で名誉会長。

▼ノーベル化学賞を受章しなかったシュトラスマン
フリッツ・シュトラスマン Friedrich Wilhelm "Fritz" Strassmann 1902年2月22日 - 1980年4月22日 ドイツの化学者・物理学者。
【教育/活動】
1929(27) ハノーバー工科大学で物理化学博士。
1929-32(27-30) カイザー・ヴィルヘルム化学研究所で奨学金研究員。
1932(30) ハーンの下で研究生。
1933(31) ナチスが権力掌握。ナチス党への協力を拒んだため独立研究者への道が閉ざされる。ハーンとリーゼ・マイトナーが持つ研究予算で特別助手になる。
1938(36) ハーンと共にウランに中性子を照射する実験を行う。原子核分裂を発見。
1939-45(37-43) WWII。カイザー・ヴィルヘルム研究所でハーンの不在時の代理。
1946(44) マインツ大学で無機化学と核化学の教授。
1970(68) 引退。

【ネットワーク】
テオドール・ジンケ Ernst Carl Theodor Zincke 1843年5月19日 - 1928年3月17日 ドイツの化学者。ヴェーラーやケクレの弟子。▼ハーンの博士指導教員。

ウィリアム・ラムゼー William Ramsay 1852年10月2日 - 1916年7月23日 スコットランドの化学者。1904(52) ノーベル化学賞受賞(空気中の貴ガス元素の発見と周期律におけるその位置の決定)。▼ハーンの師匠。

エミール・フィッシャー Hermann Emil Fischer 1852年10月9日 - 1919年7月15日 ドイツの化学者。1902(50) ノーベル化学賞受賞(糖類およびプリン誘導体の合成)。▼ハーンの師匠。

オットー・フリッシュ Otto Robert Frisch 1904年10月1日 - 1979年9月22日 オーストリア生まれ、英の物理学者。▼リーゼ・マイトナーの甥。ハーンの実験についてリーゼ・マイトナーと議論し、核分裂という名称を付けた。

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〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_Hahn
https://en.wikipedia.org/wiki/Fritz_Strassmann

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