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1807、ナトリウム、カリウム~デービー(英):アルケーを知りたい(591)

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今回は化学。 ▼ ナトリウム の元素記号は Na、原子番号11、英語ではsodium。名前の由来は、ラテン語で天然炭酸ソーダの意味のナトロン natron。 ドイツ語は Natrium、英語は sodium、日本語はドイツ語が一般的。ただし医薬学や栄養学では英語を用い、工業分野ではソーダと呼ぶ。 用途は、トンネルでオレンジ色に光っている照明のナトリウム灯、電池高速増殖炉の冷却材ほか。 ▼ カリウム の元素記号は K、原子番号19、英語では potassium。カリウムという名前の由来はアラビア語で「植物の灰」を意味するkali。アルカリの kali と同じ。 英語の potassium はデービーが potash に因んで命名。potash とは、鍋 pot に植物の灰 ash と水を入れて加熱して得られる生成物のこと。 生物の神経細胞の情報伝達に必要な必須元素。窒素・リン酸と共に肥料の三要素。 ▼カリウムの経緯。 1797年、ドイツのクラプロートが鉱物の中から potash を発見。potash は新しい元素を含んでいると考え kali と呼ぶことを提案。 1807年、デービーが電気分解でカリの単離に成功。potassium と命名。英語圏とフランス語圏で定着。 1809年、ドイツのギルバートがデービーの potassium に Kalium という名前を提案。ドイツ語圏で定着。 1814年、スウェーデンのベルセリウスがkaliumの元素記号に K を提案。 ▼ ハンフリー・デービー  Humphry Davy 1778 - 1829 イギリスの化学者 【人物】父親は利益より芸術性を追求するタイプの木彫職人。 【教育】デービーの才能に気づいた大人たちが教育機会を提供。実験を繰り返しながら技量を上げる。 【職業】1801(23)ロンドンの王立研究所で講演者、実験者、編集者。 【業績】1805(27)コプリ・メダルを受賞 1807(29)ナトリウム、カリウムを発見。 1808(30)マグネシウム、カルシウム、ストロンチウム、バリウム、ホウ素を発見。 1815(37)炭鉱で使う安全燈「デービー灯」を発明。 【同じ年生まれの人】 ゲイ=リュサック  Joseph Louis Gay-Lussac 1778 - 1850 フランスの化学者、物理学者。▼パリに来たデービーと面

1805、モルヒネ~ゼルチュルナー(独):アルケーを知りたい(590)

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今回は化学。 ▼ モルヒネ morphine は鎮痛作用を持つ薬剤。原料はケシ。 痛みを 夢のように取り除く ので、ギリシア神話の夢の神、モルペウス Morpheus にちなんでモルフィウム morphium とゼルチュルナーが命名した。 ▼ ゼルチュルナー  Friedrich Wilhelm Adam Sertürner 1783 - 1841  ドイツの薬剤師。 【人物】人類の恩人。アルカロイド化学の父。自らもモルヒネを服用し中毒に苦しんだ 【教育】薬剤師の見習い。1817(44)イエナ大学から名誉博士号 【職業】薬局経営 【業績】 1804(31)阿片(ケシの実から出る汁を乾燥させたもの)からモルヒネの単離に成功。モルヒネと命名 1817(44)論文を出版、モルヒネが普及 【同時代人】 ジョージ・スチーブンソン  George Stephenson 1781 - 1848 イングランドの土木技術者。鉄道の父。蒸気機関車を使った公共鉄道の実用化に成功。スチーブンソンが決めたレールの間隔1,435 mm は世界標準になった。 広瀬 淡窓  ひろせ たんそう 1782 -  1856 江戸時代の儒学者。大分県の日田で私塾「咸宜園」を主宰。高野長英、大村益次郎を輩出。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Friedrich_Sert%C3%BCrner

1803、パラジウム、ロジウム~ウォラストン(英):アルケーを知りたい(589)

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今回は化学。 ▼ パラジウム は元素記号は Pd、原子番号46、palladium。名前の由来は1802年に発見された小惑星 パラス pallas 。用途は、歯の詰め物用金属、ジュエリー用貴金属、触媒。 ▼ ロジウム は元素記号は Rh、原子番号45、rhodium。名前の由来はロジウム塩化物の水溶液の色がバラ色 rhodeos。 ▼ウォラストンは、自分が開発したプラチナの精錬法を使い、 イギリス国内で20年にわたって独占的にプラチナの販売 を行った。裕福だったので、マイペースで研究を進めた。パラジウムとロジウムの発見もプラチナ研究の成果。業績の割に現在の知名度が低いのは、発表方法(匿名)等が原因。 ▼プラチナについては:1748、白金の発見~ウジョーア(西):アルケーを知りたい(553) ▼ ウィリアム・ウォラストン  William Hyde Wollaston 1766 - 1828 イギリスの化学者 【人物】父親は聖職者でアマチュア天文学者 【教育】1793(27)ケンブリッジ大学で医学博士 【職業】プラチナ販売業の経営 【業績】1800(34)プラチナ鉱石の精製法を発見、プラチナの独占販売 1802(36)コプリ・メダル受賞 1803(37) プラチナ 鉱石からパラジウムとロジウムを発見 1806(40)スケッチするときに対象と自分が描く線を紙の上で重ね合わせて正確な描写ができる光学装置カメラ・ルシダ(camera lucida:明るい部屋の意)を発明。現在もアマゾンで販売中 1809(43)タンタルとニオブが同じ元素と主張(これは間違いだった) 【同時代の有名なイギリスの学者】 ジョン・ドルトン  John Dalton 1766 - 1844 イギリスの化学者。原子説を提唱。 トマス・ヤング  Thomas Young  1773 - 1829 イギリスの物理学者。ヤング率。ヤング=ヘルムホルツの三色説。 ハンフリー・デービー  Humphry Davy 1778 - 1829 イギリスの化学者、発明家。ファラデーの師匠・ライバル。 【ネットワーク】 オルバース  Heinrich Wilhelm Matthias Olbers 1758 - 1840 ドイツの医師・アマチュア天文学者。▼1802年、小惑星の中では最大の パラス Pallas を発

1803、セリウム~ベルセリウス、ヒーシンガー、クラプロート:アルケーを知りたい(588)

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今回は化学。 ▼ セリウム は元素記号は Ce、原子番号58、cerium。名前の由来は火星と木星の間にある準惑星セレス。 銀白色の軟らかい金属。ガラスやエナメルの着色に使うほか用途は多い。 ▼セリウムの経緯。 1803年、 ヒージンガー と ベルセリウス が、スウェーデンのバストネス鉱山で発見した酸化物にセリア ceria (当時発見された準惑星セレスに因む)と命名。 ドイツの クラプロート が同じ鉱山から同じ 酸化物 を発見し、テールオクロイト terre ochroite(黄色い土という意味)と命名。 1839年、ベルセリウスの弟子 モサンデル がセリウムの単離に成功。 ▼ ヒージンガー  Wilhelm Hisinger 1766 - 1852  スウェーデンの化学者。 【人物】父親はスウェーデンの有名な精錬所のオーナー。豊かな財力でベルセリウスらを援助。自らも実験室を持ち鉱物研究を行った。 【教育】ウプサラ大学 【職業】化学者 【業績】1803(37)ベルセリウスとともにセリウムを発見。 【同じ年生まれの人】→アルケーを知りたい(586) 【ネットワーク】 クラプロート  Martin Heinrich Klaproth 1743 - 1817 ドイツの化学者(→572)。▼1803(60)セリウムを発見。 ベルセリウス  Jöns Jacob Berzelius 1779 - 1848 スウェーデンの化学者、医師。▼1803(24)セリウムを発見。 モサンデル  Carl Gustaf Mosander 1797 - 1858 スウェーデンの化学者。ベルセリウスの弟子。▼1839(42)セリウムの単離に成功。 ピアッツィ  Giuseppe Piazzi 1746 - 1826 イタリアの天文学者・数学者。▼1801ケレスを発見。発見後、太陽に接近したため行方不明になった。 ツァハ  Franz Xaver Freiherr von Zach 1754 - 1832 ドイツの天文学者。▼行方不明になっていた小惑星ケレスをガウスの計算に基づいて10カ月後に再発見。 オルバース  Heinrich Wilhelm Matthias Olbers 1758 - 1840 ドイツの医師・アマチュア天文学者。▼行方不明になっていたケレスをガウスの計算に基づいて10

1803、ヘンリーの法則~ヘンリー(英):アルケーを知りたい(587)

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今回は化学。 ▼ ヘンリーの法則は、気体は圧力をかけるほど溶媒に溶ける、という気体の溶解度に関する法則 。 気体の溶解の前提は、 (1)気体は溶媒の体積が大きいほど溶けやすい。 (2)気体は温度が低いほど溶媒に溶けやすい(炭酸飲料は温めるとCO2がすぐ抜ける)。 (3)気体は圧力が高いほど溶媒に溶けやすい。 ▼ ウィリアム・ヘンリー  William Henry 1775 - 1836 イングランドの化学者 【人物】父親は外科医・薬剤師でマンチェスター文学哲学協会の創設者 【教育】1807(32)エディンバラ大学で医学博士 【職業】病気のために医師として勤務できなかったためエジンバラ大学で化学の研究者 【業績】1799(24)『 Elements of Experimental Chemistry 』を発行、 好評を得て版を重ねる 1803(28)ヘンリーの法則を発表 1808(33) コプリ ・メダルを受賞 【同じ年生まれの人】 シェリング  Schelling 1775 - 1854 ドイツの哲学者。ドイツ観念論を代表する哲学者。 アンペール  André-Marie Ampère 1775 - 1836 フランスの物理学者。電磁気学の創始者のひとり。 マリュス  Etienne-Louis Malus 1775 - 1812 フランスの軍人、物理学者。反射光、偏光が専門。ホイヘンスの光の理論を証明する実験を行った人物。 【ネットワーク】 トーマス・ヘンリー  Thomas Henry 1734 - 1816 イギリスの外科医・薬剤師。ウィリアムの父。スパークリングミネラルウォーターを開発、販売。現在『Thomas Henry Tonic Water』のブランドで販売されている。 トーマス・パーシヴァル  Thomas Percival 1740 - 1804 イギリスの医師。労働衛生と医療倫理の祖。▼ウィリアム・ヘンリーの師匠。 宇田川 榕菴  うだがわ ようあん 1798 - 1846 津山藩(岡山県津山市)の藩医で蘭学者。 ヘンリーが1799年に出版した『Elements of Experimental Chemistry』がドイツ語に訳され『Chemie für Dilettanten』となり、それがオランダ語に訳され『Leidraad der Chem

1803、ドルトンの法則~ドルトン(英):アルケーを知りたい(586)

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今回は化学。 ▼ ドルトンの法則 、別名、 分圧の法則 。酸素と窒素を混ぜた気体を入れたシリンダにPの圧力をかけたとき、酸素の圧力がP1と窒素の圧力がP2ならば、P=P1+P2の関係が成り立つ。 ▼ ジョン・ドルトン  John Dalton 1766 - 1844 原子説を提唱したイギリスの化学者 【人物】父親は織工。貧しいクエーカー教徒の家庭。 【教育】非国教徒は大学に入れなかったので裕福なクエーカー教徒の家に住込み、働きながら学ぶ。 【職業】マンチェスター・アカデミーで数学と自然哲学の教師。家庭教師。 【業績】 1803(37)ドルトンの法則(分圧の法則)を発表 。※1802年にゲイ=リュサックがシャルルの法則を発表(→584) 1808(42) 原子論を発表 。 【同じ年生まれの人】 ジョン・レスリー  John Leslie 1766 - 1832 スコットランドの物理学者。初めて人工的な氷を作った人。 ロバート・ダーウィン  Robert Waring Darwin 1766 - 1848 イギリスの医師。 チャールズ・ダーウィン の父親。息子のチャールズがビーグル号で航海に出る計画には危険が大きいと考え反対した。 ウィリアム・ウォラストン  William Hyde Wollaston 1766- 1828 イギリスの化学者、物理学者、天文学者。太陽光のスペクトルからフラウンホーファー線を発見した。 マッキントッシュ  Charles Macintosh 1766年12月29日 - 1843年7月25日 スコットランドの化学者。防水レインコート『 Mackintosh』の祖。 【ネットワーク】 トマス・トムソン  Thomas Thomson 1773 - 1852 スコットランドの化学者。シリコンの名付け親。▼ドルトンの原子論を論文で紹介し普及させた。 ジュール  James Prescott Joule 1818 - 1889 ジュールの法則を見つけたイギリスの物理学者。▼ドルトンはジュールの家庭教師として1834(68-67)から3年間、科学や数学を教えた。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/John_Dalton

1804、オスミウム、イリジウム~スミソン・テナント(英):アルケーを知りたい(585)

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今回は化学。 ▼今回は、 オスミウム と イリジウム 。 ▼ オスミウムは元素記号は Os、原子番号76、osmium。名前の由来はギリシア語のosme(臭いの意)。煙のようなにおいがしたため。用途は、万年筆のペン先、昔のハーバー・ボッシュ法の触媒。 ▼ イリジウムは元素記号 Ir、原子番号77 、iridium。名前の由来はギリシャ神話の虹の女神イリス。 用途は高級な指輪や万年筆のペン先、昔のキログラム原器やメートル原器の材料。 ▼ スミソン・テナント  Smithson Tennant 1761 - 1815 イギリスの化学者 【人物】父は貴族。経済的に裕福。 【教育】1790(29)ケンブリッジ大学で医学博士。学位取得後、農園を購入して農学実験を行った 【職業】1813(52)ケンブリッジ大学で化学教授。フランス旅行中に橋の崩落事故で死去 【業績】1804(43)白金の残留物からイリジウムとオスミウムを発見 【同じ年生まれの人】 ヴァシーリー・ペトロフ  Vasily Vladimirovich Petrov 1761 - 1834 ロシアの実験物理学者。当時世界最大のボルタ電池で電気アーク効果を発見。 ウィリアム・グレガー  William Gregor 1761 - 1817 イギリスの牧師でアマチュア鉱物学者。1791年、メナカン谷で採取した鉱物をメナカナイトと命名。1795年、クロプロートが別の鉱石から発見し、チタンと命名。結果、メナカナイトとチタンは同じ元素だった。 【ネットワーク】 American Elements社 1997年 -  先端材料の製造・販売企業。▼2016年、子会社「 スミソン・テナント 」を設立、純イリジウムの 指輪と結婚指輪の生産と販売 を開始。 マイケル・シルバー  Michael Nathan Silver 1955年5月10日 -  アメリカの経営者。世界的なハイテク材料メーカーであるAmerican Elementsの創設者兼 CEO 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Smithson_Tennant