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大伴 家持~百人一首でアルケーを知りたい(892)

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▼ かささぎの 渡せる橋に置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける  6 感想 かささぎの写真を見ると、姿がかわいい。背中は黒く、腹が白い。Wikipediaの解説には6番歌も引用されている。家持さんに歌ってもらって良かったねえ。 ▼ 大伴 家持  おおともの やかもち 公卿・歌人 718(養老2)年、奈良生まれ(?)。父親は 大伴旅人 。 731(13) 父・旅人が死去。 738(20) 内舎人 。 784(66) 持節征東将軍 。 785(延暦4)年10月5日、陸奥国で死去。67歳。  人物 (出所 asahi-net.or.jp)   筑紫歌壇 の影響の下、 若年から歌作り に精進。   人麻呂・赤人ら宮廷歌人の伝統 を引き継ぐ。   万葉歌の世界を綜合 した大歌人。  三十六歌仙の一人。   新しき年の始の初春の 今日降る雪の  いや重け吉事(よごと)   春の野に 霞たなびき うら悲し  この夕影に 鴬鳴くも 【キーワードと感想】 内舎人  うどねり。宮中における役職。 持節征東将軍  じせつせいとうしょうぐん。 征夷大将軍のこと。征夷=蝦夷を征討する大将軍。朝廷の令外官の一つ。武人の最高栄誉職。 【ネットワーク】 大伴 旅人  おおともの たびと 665(天智天皇4)年 - 731(天平3)年8月31日 公卿・歌人。▼家持の父親。筑紫歌壇の中心人物。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yakamot2.html

猿丸 大夫~百人一首でアルケーを知りたい(891)

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▼ 奥山に 紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき  5 感想 奥山とは、 人がめったに足を踏み入れないような奥深くの山のこと。鹿からすれば、紅葉踏みわけ歩く人の 姿を見るときぞ 秋は悲しき、かも。 ▼ 猿丸 大夫  さるまるの たいふ  ? - ?  歌人。三十六歌仙の一人。  平安時代の書物に「何(いず)レノ世ノ人トモ知レズ」と  ある謎の人。    をちこちのたづきも知らぬ山中に  おぼつかなくも呼子鳥かな  ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬ  とみしは山のかげにざりける 【キーワードと感想】 三十六歌仙  藤原公任 が撰んだ和歌の巨匠36名。 【ネットワーク】 藤原 公任  ふじわら の きんとう 平安時代中期の公卿・歌人。大納言公任。百人一首55: 滝の音は 絶えてひさしく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E4%B8%B8%E5%A4%A7%E5%A4%AB https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sarumaro.html

山部 赤人~百人一首でアルケーを知りたい(890)

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▼ 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の   富士の高嶺に 雪は降りつつ  4 感想 赤人の歌はどれも良い。どれが百人一首に入っても良いくらい。この句の「富士の高嶺に雪」というキラー・フレーズが撰者をして選ばしめたのではないか、と思うんだけど、どうだろう。 ▼ 山部 赤人  やまべ の あかひと  奈良時代の歌人。歌聖。三十六歌仙の一人。 生年不明。千葉県生まれ。  役人。聖武天皇の行幸に随行し和歌を詠む。 736(天平8)年、滋賀県で死去。?歳。   春の野の すみれ摘みにと こしわれそ     野を懐かしみ 一夜寝にける   吾兄子(わがせこ)に 見せむと思ひし 梅の花     それとも見えず 雪のふれれば   若の浦に 潮満ち来れば潟をなみ     葦辺をさして 鶴鳴き渡る 【キーワードと感想】 田子の浦  たごのうら。千葉県鋸南町。 【ネットワーク】 聖武天皇  しょうむてんのう 第45代天皇。▼赤人が仕えた天皇。赤人は天皇の各地への行幸に従い、土地讃めの歌を作った。 紀 貫之  『古今和歌集』の仮名序で「人麻呂は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麻呂が下に立たむことかたくなむありける」と両名を称えた。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

柿本 人麻呂~百人一首でアルケーを知りたい(889)

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▼ あしひきの 山鳥の尾のしだり尾の  ながながし夜を ひとりかも寝む  3 感想 600-700年代は尻尾の長い山鳥が見られたのだろう、今は無理っぽいけど。百人一首にはこの歌が収まりが良い。私は、言挙げせぬ国、言霊の助くる国と歌った「メッセージソング」が好き。メロディはないんだけど。 ▼ 柿本 人麻呂 / 人麿 / 人丸 かきのもと ひとまろ  飛鳥時代の歌人。 三十六歌仙の一人。 660(斉明天皇6)年、不明。 680(20) 出仕、歌人として活動。 724(神亀元)年3月18日、島根県益田市(石見国)で死去。64歳。  葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国  敷島の 大和の国は 言霊の助くる国 ぞ まさきくありこそ  大船に 真楫しじ貫き海原を   漕ぎ出て渡る 月人壮士   東の野に かぎろひの立つ見えて   かへり見すれば 月かたぶきぬ   巻向の山辺響みて行く水の   水沫の如し世の人吾等は   鴨山の 岩根し枕ける 吾をかも   知らにと妹が 待ちつつあらむ 【キーワードと感想】 言挙げせぬ国  辞書: ことさら言葉に出して言いたてること。 感想:言挙げしないように気をつけます。 言霊の助くる国  辞書: 古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。感想:これからは言霊が助けてくれる言い方と書き方にします。 【ネットワーク】 大伴 家持  おおともの やかもち 公卿・歌人。▼倭歌の学びの道を「 山柿之門 」と称した。山は山部赤人、柿は柿本人麻呂。 紀 貫之  きのつらゆき 貴族・歌人。▼人麻呂を「 うたのひじり 」と呼んだ。 藤原 俊成  ふじわらのとしなり公家・歌人。▼人麻呂を時代を超越した「 歌聖 」と呼んだ。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html  

天智天皇 / 中大兄皇子~百人一首でアルケーを知りたい(888)

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▼ 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ  1 感想 この歌の詠み手、天智天皇すなわち中大兄皇子は、中臣鎌足すなわち藤原鎌足と大化の改新を押し進めた日本史上のイノベータ。大化の改新で日本という国名が定まった。この「秋の田」は、「日本」を始めた人物の歌。この歌が百人一首の1番歌になっているのに納得。 ▼ 天智天皇   てんちてんのう  /   中大兄皇子  なかのおおえのおうじ 626推古天皇34年 - 672天智天皇10年1月7日  舒明天皇の第二皇子、第38代天皇。 645(19) 蘇我入鹿 (?) を 中臣鎌足 (31)と暗殺。 乙巳の変 。 大化の改新 を開始。 660(34) 水時計を採用。 663(37) 百済復興を目的とした 白村江の戦い で敗戦。以後、国土防衛強化のため烽火・防人を設置。 668(42) 第38代天皇に即位。 670(44) 日本で初めての戸籍の作成事業を開始。 671(45) 水時計 で計った時刻を 鐘で 大津宮に伝える 時報を開始。6月10日が「時の記念日」。 672天智天皇10年1月7日、病気で死去。46歳。 701大宝元年、大宝律令完成。広義での大化の改新の終了。 【キーワードと感想】 乙巳の変  いっしのへん。中大兄皇子と中臣鎌足が中心となり、蘇我入鹿を斬り殺した事案の名称。時期は645年、場所は奈良県明日香村にあった皇極天皇の皇居、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)。 大化の改新  たいかのかいしん。645年の乙巳の変に始まる一連の国政改革。期間は、狭義には650年まで、広義には701年の大宝律令完成まで。その結果、①豪族中心の政治から天皇中心の政治へシフトした。②「日本」という国号と「天皇」という称号が定まった。③日本初の元号「大化」が始まった。 白村江の戦い  はくそんこうのたたかい。日本・百済遺民連合軍と唐・新羅連合軍の戦争。時期は663年、場所は朝鮮半島錦江河口付近の白村江。 水時計  みずどけい。サイフォンの原理で階段状の水槽に水を滴り落とし水面の高さの変化で時をはかる時計。天智天皇が水時計で時報を始めたと『日本書紀』にある。時期は671年6月10日。 【ネットワーク】 蘇我 入鹿  そが の いるか 豪族  ? - 645皇極天皇4年7月10日  父親 蘇我蝦夷 そがのえみし  教育 学問堂で学

王仁~百人一首でアルケーを知りたい(887)

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今回からアルケーを知るのに百人一首を取り上げます。 ▼ なにはづに咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花  序歌 感想 序歌は、競技かるたの冒頭で読まれる和歌。作ったのは王仁(わに)という渡来人。この和歌を序歌に選んだのは、国学者の佐佐木信綱。佐佐木は唱歌『 夏は来ぬ 』の歌詞~ 卯の花の 匂う垣根に 時鳥早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ ~ を書いた人。タッチが似ている気がする。あとで 『 夏は来ぬ 』 を歌ってみようかな。 ▼ 王仁 わに 【プロフィール】  生没年不詳の伝承上の人物  百済から日本へ渡来した漢人。  『 古事記 』では和邇吉師(わにきし)。  『 日本書紀 』では王仁。  日本に『 千字文 』と『 論語 』を伝えた。  全日本かるた協会が競技かるたの「序歌」に指定。  大会の時、一首目に読まれる歌。  序歌に選定したのは、佐佐木信綱。 【キーワードと感想】 古事記  こじき、ふることふみ 712和銅5年。日本の日本神話を含む歴史書。現存する日本最古の書物。元明天皇のオーダーで太安万侶が編纂。 日本書紀  にほんしょき、やまとふみ 720養老4年。日本の歴史書・神話。『古事記』と並ぶ最古の歴史書。 千字文  せんじもん 520年前後。子供向けの漢字と書道教育を兼ねた漢文の長詩。詩文はすべて異なる1000の文字を使用。武帝のオーダーで文官の周興嗣が一晩で作成。 論語  ろんご 孔子と弟子の言行録。BC?に成立。 【ネットワーク】 佐佐木 信綱  ささき のぶつな 国学者・歌人。御歌所寄人、歌会始撰者。  1872明治5年7月8日 - 1963昭和38年12月2日  三重県鈴鹿市生まれ。熱海市「凌寒荘」で死去。91歳。  父親 佐々木弘綱。国学者・歌人。  師匠 高崎 正風。薩摩藩士・政治家・歌人。  教育 東京帝国大学文学部古典講習科卒業。  仲間 新村 出。言語学者。広辞苑の編纂・著者。  モットー  ひろく、ふかく、おのがじし  作品 唱歌『夏は来ぬ』の作詞。作曲は小山作之助。    卯の花の 匂う垣根に 時鳥早も来鳴きて  忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ  仕事 万葉と歌学。『校本万葉集』、『英訳万葉集』、『日本歌学史』ほか 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%

一休 宗純~定型詩でアルケーを知りたい(886)

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今回は和歌。 ▼ 門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし 感想 インスパイア和歌。誕生日も冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし。 ▼ 一休 宗純  いっきゅうそうじゅん 僧、詩人  【プロフィール】 1394(明徳5)年2月1日、京都生まれ。父親は武将。 1400(6) 京都の安国寺で修行。 1406(12) 漢詩『長門春草』、1408(14) 漢詩『春衣宿花』が洛中で評判。 1415(21) 京都大徳寺の高層・華叟の下で修行。華叟の 公案 「洞山三頓の棒とは」。一休の答え「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」。感心した華叟が一休の号を授ける。 1420(26) 夜、カラスの鳴き声を聞いて大悟。華叟は印可を与える。  以後、詩、狂歌、書画と風狂の生活。 1474(80) 後土御門天皇の勅命で大徳寺の住持。草庵酬恩庵を結ぶ。 1481(文明13)年12月12日、酬恩庵でマラリアのため死去。87歳。 【キーワードと感想】 公案  こうあん。禅宗における問答。禅問答。要領を得ず、解答があるかすら不明。 【ネットワーク】 足利 義満  あしかが よしみつ 1358(延文3)年9月25日 - 1408(応永15)年5月31日 室町幕府第3代征夷大将軍。鹿苑寺(金閣)を建立。東山文化の祖。▼義満と一休は親子ほど年齢の差があるものの、二人は同時代の人だった。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94