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源重之の歌~アルケーを知りたい(1014)

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▼ 源 重之 は百人一首48番歌「 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな 」の作者。「 くだけてものを思ふころかな 」のフレーズが良き。 ▼「 年ごとに昔は遠くなりゆけど 」で始まる歌もある。 重之は印象的で汎用的な フレーズでキメるのが上手い。 ▼ 源 重之  みなもと の しげゆき  ? - 1000長保2年 60歳(?)  平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。 967(?) 冷泉天皇 が即位、近衛将監。百首和歌の祖。 976-(?) 相模権守・信濃守・日向守・肥後守・筑前守など地方官を歴任。 991-(?) 大宰大弐・ 藤原佐理 を頼って筑紫に下向。 995-1000(?) 陸奥守・ 藤原実方 に従って陸奥国に下向。 ▼源重之の和歌と*勝手に解釈 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな *風が激しく岩にぶつかって砕ける波のように、 思い煩いに 心が砕けている。 うち忍びなどか心もやらざらむ 憂き世の中に花は咲かずや *忍んでいつか心を晴らそう。憂き世でも花は咲くものだから。 ほたるをよみ侍りける 音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ 鳴く虫よりもあはれなりけれ *音もたてず思いに身を焦がしている蛍こそ、うるさく鳴く虫よりも趣が深いぞ。 秋風は昔の人にあらねども 吹きくる宵はあはれとぞ思ふ *秋風は昔の人ではないのに、秋風が吹く宵は趣が深いと思う。 右馬助(うまのすけ)にて播磨へ行くに、明石の浜にて夜いと暗きに千鳥なきて沖のかたへいぬ 白波に羽うちかはし浜千鳥 かなしきものは夜の一こゑ *白波の上で羽ばたいている浜千鳥。夜に鳴く一声は悲しく聞こえる。 秋、身まかりける人をおもひいでてよめる 年ごとに昔は遠くなりゆけど 憂かりし秋はまたも来にけり *一年ごとに昔は遠くなっていく。しかし、貴方が亡くなった寂しい秋がまたやってきた。 みちのくににて子のかくれたるに 言の葉にいひおくこともなかりけり 忍ぶ草にはねをのみぞなく *言葉にして言い残すことなどない。亡き子を忍ぶばかりだ。 水のおもに浮きたる泡を吹く風の ともに我が身も消えやしなまし *水面に浮いた泡を吹き飛ばす風よ、ついでにこの私も吹き消してくれまいか。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%

大中臣能宣の歌~アルケーを知りたい(1013)

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▼ 大中臣能宣 は百人一首49番歌「 みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ 」の作者。 ▼能宣は目で捉え、耳で聞き、鼻で香った感覚を和歌にする匠の人。御垣守の歌は、かがり火の炎とか火が映し出す衛士の影が目に浮かぶよう。 ▼ 大中臣 能宣  おおなかとみ の よしのぶ 921(延喜21)年 - 991(正暦2)年8月  平安時代中期の貴族・歌人。大中臣能宣朝臣。 大中臣頼基 の子。三十六歌仙の一人。   平兼盛 ・ 源重之 ・ 恵慶 らと親交。 951(30) 和歌所寄人。『万葉集』訓読と『後撰和歌集』撰集。 960(39) 天徳内裏歌合に参加。 973(52) 伊勢神宮祭主。 986(67) 正四位下。 ▼大中臣能宣の和歌と*勝手に解釈 みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ *皇居の衛兵のかがり火が夜は燃え、昼は灰になって消えている。私のもの思いも同様だ。 もみぢせぬときはの山にすむ鹿は おのれ鳴きてや秋をしるらむ *紅葉の風景がない常磐の山にいる鹿は、自分の鳴き声で秋の訪れを知るのだろう。 かをらずは折りやまどはむ長月の 月夜にあへる白菊の花 *香らなければ折るかどうか迷っただろう、九月の月夜の光に浮かんだ白菊の花を。 梅の花にほふあたりの夕暮は あやなく人にあやまたれつつ *梅の花の香が漂う夕暮れ。来客かと訳もなく勘違いするばかリだ。 春の歌の中に 花散らばおきつつも見む常よりも さやけく照らせ春の夜の月 *花が散るならばいつもより夜更かしして眺めよう。明るく照らしてくれないか、春の夜の月。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E8%87%A3%E8%83%BD%E5%AE%A3 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yosinobu.html

藤原実方の歌~アルケーを知りたい(1012)

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▼ 藤原実方 は百人一首51番歌「 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじなもゆる思ひを 」の作者。 ▼さしも草は灸のもぐさのこと。小生、体が弱かったので子供時代にたくさん灸をした。もぐさ入れを皮で手作りしたこともある。 ▼灸をすえたことのない人は「 さしも知らじなもゆる思ひを 」で「さしもしらじなもゆる匂ひを」だろうけど。なかなかに痛みに味があるものよ(笑) 。 ▼藤原実方 ふじわら の さねかた  959(?) - 999長徳4年1月3日 40歳。  平安時代中期の貴族・歌人。中古三十六歌仙の一人。   藤原公任 ・ 源重之 ・ 藤原道信 らと交流。 975(16) 侍従。 986(27) 内裏歌合に出詠。 995(36) 陸奥守。 999(40) 陸奥国で巡視中、落馬事故で死去。  ▼藤原実方の和歌と*勝手に解釈 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじなもゆる思ひを *お灸のもぐさよろしく、あなたはご存じないでしょうね、私の燃える思いを。 宇佐のつかひの餞(はなむけ)しける所にて、よみ侍りける 昔見し心ばかりをしるべにて 思ひぞおくる生の松原 *(宇佐神宮までお出かけになると聞いて、餞別として)昔と同じく縁起の良い生の松原の祈りの心をお贈りします。 実方朝臣、陸奥国みちのくにに下り侍りけるに(中納言隆家が)餞はなむけすとてよみ侍りける 別れ路はいつもなげきのたえせぬに いとどかなしき秋の夕暮 *別れは嘆きが絶えないもの。それにしてもなんと悲しい秋の夕暮れでしょうか。  ↓ 返し とどまらむことは心にかなへども いかにかせまし秋の誘ふを *私もこのままこちらに留まりたいのですが、秋がさあ行きましょうと誘うのです、これはどうしましょう。 陸奥に侍りけるに、中将宣方朝臣のもとにつかはしける やすらはで思ひたちにし東路に ありけるものをはばかりの関 *思い立ってすぐ東路に向かいました。ところが、はばかりの関まで来たところ、先に行くのが憚られる気分です。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9F%E6%96%B9 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sanekata.html

藤原義孝の歌~アルケーを知りたい(1011)

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▼ 藤原義孝 は百人一首50番歌「 君がため惜しからざりし命さへ ながくもがなと思ひけるかな 」の作者。 ▼二十歳でこの世を去った。もっともっと「ながくもがな」であって欲しかった。残念。 ▼ 藤原義孝  ふじわら の よしたか  954天暦8年 - 974天延2年10月4日 20歳。  平安時代中期の公家・歌人。 藤原伊尹( 謙徳公 ) の三男。   清原元輔 ・ 源順 と交流。  971(17) 右少将。  972(18) 息子の行成が誕生、父親の伊尹が死去。  974(20) 疱瘡のため死去。 ▼藤原義孝の和歌と*勝手に解釈 女のもとより帰りてつかはしける 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひぬるかな *惜しいと思ってなかった自分の命でしたが、貴方のために長くありたいと思うようになりました。 秋はなほ夕まぐれこそただならね 荻の上風はぎの下露 *萩の上を吹く風、萩の下の露といい、秋の夕間暮れがただならない風情がある。 露くだる星合の空をながめつつ いかで今年の秋を暮らさむ *露を地上にもたらす星の出た夜空を眺めつつ、どうやって今年の秋を暮らそうかと思う。 夢ならで夢なることをなげきつつ 春のはかなき物思ふかな *夢ではないこと、夢であることを嘆きながら、春のはかなさにもの思うのだ。 一条 摂政、身まかりにける頃よめる 夕まぐれ木しげき庭をながめつつ 木の葉とともにおつる涙か *夕間暮れ、木が茂った庭を眺めながら木の葉と共に涙が落ちる。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%BE%A9%E5%AD%9D https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yositaka.html

藤原道信の歌~アルケーを知りたい(1010)

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▼ 藤原道信 は百人一首52番歌「 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほうらめしき朝ぼらけかな 」の作者。この歌も良いけど「 さ夜ふけて風や吹くらむ花の香の にほふここちのそらにするか な」もなかなかじゃないかい、と思う。 ▼二十二歳で死去したのが残念。 いい歌をたくさん詠んだはずなのに。 ▼ 藤原道信  ふじわら の みちのぶ  972天禄3年 - 994正暦5年8月20日 22歳。  平安時代中期の貴族・歌人。中古三十六歌仙の一人。  和歌に秀で、奥ゆかしい性格。 藤原公任 ・ 藤原実方 と親交。 986(14) 元服、侍従。 990(18) 養父が死去。 992(20) 実父が死去。 994(22) 従四位上。死去。 ▼藤原道信の和歌と*勝手に解釈 さ夜ふけて風や吹くらむ花の香の にほふここちのそらにするかな *夜が更けて風が出たようだ。花の香りがここまで運ばれてくるような気がする。 秋はつる小夜更けがたの月見れば 袖ものこらず露ぞおきける *秋が終わる頃の夜更けの月を見ていると、袖まで露が下りてくるようだ。 つれづれと思へばながき春の日に たのむこととはながめをぞする *長い春の日にぼんやりしていると分かったことがあります。それは、いま自分は風景を眺めているんだってことですね。 朝顔を何はかなしと思ひけむ 人をも花はさこそ見るらめ *人はなぜ朝顔を見てはかないと思うのだろう。花のほうも人をそう思っているかも知れない。 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな *夜が明ければまた暮れるのは分かっちゃいる。それでも夜明けは恨めしい。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E4%BF%A1 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mitinobu.html

藤原公任の歌~アルケーを知りたい(1009)

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▼ 藤原公任 は百人一首55番歌「 滝の音は絶えてひさしくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ 」の作者。 ▼ 公任 は、歴史的な役職である 検非違使や勘解由使 のトップを務め、かつ 歌壇の第一人者で有職故実に通じた 人物 。 ▼これほど輝かしい経歴だけど、昇進のスピードがライバルより遅いのを苦にしていた。世渡りで面した悲哀が味わい深い歌に昇華した。 ▼藤原 公任 ふじわら の きんとう 966康保3年 - 1041長久2年2月4日 75歳。  平安時代中期の公卿・歌人。大納言公任。 長男が 藤原定頼 。 980(14) 元服、侍従。 983(17) 左近衛権中将、讃岐守如元。 986(20) 藤原道長 (20) が漢詩 、和歌 、管絃の達人を船に載せて興じる 「三舟の遊興」を開催。 公任は和歌の舟を選択。「 小倉山嵐の風の寒ければ もみぢの錦きぬ人ぞなき 」を詠む。 989(23) 蔵人頭。 992(26) 参議。 995(29) 定頼 が誕生。 996(30) 検非違使別当。 花山上皇 の命を受け 私撰和歌集『拾遺抄』の編集を開始。 998(32) 勘解由 使 長官。 1005(39) 『拾遺抄』を増補して 勅撰和歌集『拾遺和歌集』が完成。 1009(43) 権大納言。 1012(46) 長女が結婚。 『和漢朗詠集』を 引き出物にする。 1023(57) 次女が死去。 1024(58) 長女が死去。 権大納言を辞任。 1025(59) 邸宅が焼亡。 1026(60) 出家。 新築した山荘で暮らす。 1041(75) 瘡湿のため死去。 ▼藤原公任の和歌と*勝手に解釈 嵯峨大覚寺にまかりて、これかれ歌よみ侍りけるによみ侍る 滝の音はたえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ *嵯峨大覚寺にあった滝の水は枯れて久しいけれども、その名声は今でも滝の音のように響いている。 春のころ、粟田にまかりてよめる うき世をば峰の霞やへだつらむ なほ山里は住みよかりけり *峰の霞が浮世と隔ててくれるので、山里は住み心地がよい。 いづかたに秋のゆくらん我が宿に こよひばかりの雨やどりせよ *秋はこれからどちらに行くのだろうか。雨なので、今夜はわが家に雨宿りしてはいかが。 維摩経十喩、此の身は水の泡のごとしといへる心をよみ侍りける ここに消えかしこに結ぶ水の泡の うき世にめぐる

藤原道雅の歌~アルケーを知りたい(1008)

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▼ 藤原道雅 は百人一首63番歌「 いまはただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな 」の作者。この歌を詠んだのは道雅が24歳くらいのとき。 ▼乱行が絶えず 悪三位 と言われた。 藤原 道雅 / 左京大夫道雅 ふじわら の みちまさ  992正暦3年 - 1054天喜2年8月25日 62歳。  平安時代中期の公卿・歌人。 藤原伊周 の長男。祖父が 藤原道隆 。 1005(13) 侍従。 1010(18) 父親の 伊周が「人に追従して生きるよりは出家せよ」と遺言して 死去。 1013(21) 暴行のため謹慎処 分。 1016(24) 蔵人頭、従三位。 事件を起こして勘当処分 。 1024(32) 殺人教唆の嫌疑 。 1026(34) 左近衛中将を罷免。 1027(35) 賭博で喧嘩騒動 。 1054(62) 出家。死去。 ▼藤原道雅の和歌と*勝手に解釈 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな *今はただ貴女への思いを断とうと、人づてでなくお伝えしたい。 東山に百寺拝み侍りけるに、時雨のしければよめる もろともに山めぐりする時雨かな ふるにかひなき身とはしらずや *私と一緒に山巡りをしているような時雨だ。ふっても甲斐のない身と知らないのか。 題しらず 涙やはまたも逢ふべきつまならむ 泣くよりほかのなぐさめぞなき *涙は再会のきっかけになるのだろうか。泣くよりほかに慰めがない。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%9B%85 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mitimasa.html