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大伴旅人の万葉集459番歌~アルケーを知りたい(1092)

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▼今回の歌は旅人が731年に逝去したとき余明軍の5首に続き、旅人の看護人だった犬養人上(いぬかいのひとかみ)が歌った1首。 ▼犬養は旅人の死去を、「 黄葉のうつり行けば ( もみじの葉が散るように )」と言い表した。詞書に「医薬験なく、逝く水留まらず。これによりて悲しんで」この歌を作ったと解説がついている。 見れど飽かずいましし君が黄葉(もみじば)の うつりい行けば悲しくもあるか  万459 *見ても見ても飽きることのない存在だったあなた様が、黄葉の葉が散るようにこの世から去って行かれたので悲しい。   右の一首は、内礼正県犬養宿祢人上に勅して卿の病を検護(とりみ)しむ。しかれども、医薬験なく、逝く水留まらず。これによりて悲慟(かな)しびて、すなはちこの歌を作る。 【似顔絵サロン】 藤原 武智麻呂 (ふじわら の むちまろ) 680 - 737 57歳 長屋王と対立した藤原四兄弟の長兄。藤原南家の開祖。長屋王の変の8年後、天然痘で死去。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集454-458番歌~アルケーを知りたい(1091)

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▼今回の歌は旅人が731年に逝去したとき資人(しじん、従者)の余明軍(よのみょうぐん)が悲しみを歌った5首。旅人を慕っていた心情が伝わる。 天平三年辛未(かのとひつじ)の秋の七月に、大納言大伴卿の薨ぜし時の歌六首(うち最初の5首) はしきやし栄えし君のいませば 昨日も今日も我を召さましを  万454 *お慕い申し上げているあなた様がご存命であれば、昨日も今日も私めをお召し出しくださったことでしょうに。 かくのみにありけるものを萩の花 咲きてありやと問ひし君はも  万455 *お亡くなりになる前、私めに「萩の花は咲いておるか」とお尋ねになりましたあなた様。 君に恋ひたもすべなみ葦鶴の哭(ね)のみし泣かゆ朝夕(あさよひ)にして  万456 *あなた様が恋しくて葦鶴が泣くように朝と言わず夕と言わず泣いています。 遠長(とほなが)く仕へむものと思へりし 君しまさねば心どもなし  万457 *遠く長くお仕えするものとばかり思っておりました。あなた様がいらっしゃらなくては心の支えもなくなりました。 みどり子の匍(ほ)ひた廻(もとほ)り朝夕に 哭(ね)のみぞ我が泣く君なしにして  万758 *赤ん坊が這い回るようにして、朝も夕も、あなた様がいらっしゃらないので泣くばかりです。 右の五首は、資人余明軍、犬馬の慕(したひ)に勝(あ)へずして、心の中に感緒(おも)ひて作る歌。 【似顔絵サロン】 長屋王 (ながやおう) 676 - 729 53歳  藤原四兄弟と対立して起きた長屋王の変。 旅人が九州にいる間に起こった事件。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集451-453番歌~アルケーを知りたい(1090)

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▼今回の歌は旅人が京都の自宅に戻ったときに詠んだ3首。 ▼空っぽの家、二人で作った庭、妻が植えた木。 独りになった寂しさが伝わる。 古郷に家に還り入りて、すなはち作る歌三首 人もなき空しき家は草枕 旅にまさりて苦しくありけり  万451 *妻がいない空っぽの家は、旅で宿に泊ったとき以上の苦しさがある。 妹としてふたり作りし我が山斎(しま)は 木高く茂くなりにけるかも  万452 *妻と相談して作った我が家の庭に目をやると、一緒に植えた木が伸びて葉が茂っている。 我妹子(わがもこ)が植ゑし梅の木見るごとに 心むせつつ涙し流る  万453 *わが妻が植えた梅の木を見るたびに、胸が詰まり涙が出る。 【似顔絵サロン】同時代の人物: 行基 (ぎょうき) 668 - 749 81歳 仏僧。奈良の大仏造立の責任者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集449-450番歌~アルケーを知りたい(1089)

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▼今回の歌は旅人が730年に京都に向かう旅の途上、広島県福山市の駿馬の崎を過ぎた日に作った2首。 ▼旅人が大宰府に赴任するときは妻と一緒に通った道中の風景が、帰るときは一人。その悲しみを歌ったもの。 妹と来し駿馬の崎を帰るさに ひとりし見れば涙ぐましも  万449 *妻と共に見た駿馬の崎を帰る時は一人で見ると涙が出る。 行くさにはふたり我が見しこの崎を ひとり過ぐれば心悲しも (一には「見もさかず来ぬ」といふ) 万450 右の二首は、駿馬の崎を過ぐる日に作る歌。 *行くときは二人で見たこの駿馬の崎を一人で通り過ぎるのは心が悲しい(別バージョン「見ることなく通り過ぎた」)。 【似顔絵サロン】同時代人。 陳 子昂 (ちん すごう) 661 - 702 41歳 唐の詩人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集446-448番歌~アルケーを知りたい(1088)

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▼今回の歌は旅人が730年に京都に向かう旅の途上、広島県福山市の鞆(とも)の浦で作った3首。いずれも 大宰府で亡くなった妻を偲ぶ歌。 天平二年(730年)庚午(かのえうま)の冬十二月、大宰帥大伴卿、京に向ひて道に上る時に作る歌五首 我妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は 常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき  万446 *(京都から任地の大宰府に行く途中で)我が妻と見た鞆の浦のむろの木は、当時のまま立っている。しかし、今、妻はいない。 鞆の浦の磯のむろの木見むごとに 相見し妹は忘られえめやも  万447 *鞆の浦の磯のむろの木をこの先見ることがあれば、昔一緒に見た妻のことを思い出すだろう。 磯の上に根延(ねば)ふむろの木見し人を いづらと問はば語り告げむか  万448 右の三首は、鞆の浦を過ぐる日に作る歌。 *磯の上で根を張っているむろの木に、一緒に見た人はいまどうしているかと問えば答えてくれるのだろうか。 【似顔絵サロン】旅人の同時代人、 太 安万侶 (おおのやすまろ) ? - 723 貴族・武人。712年『古事記』を編纂。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集438-440番歌~アルケーを知りたい(1087)

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▼万葉集 438から440番 歌は旅人が任地先の大宰府で妻を亡くした悲しみを歌ったもの。 ▼大伴旅人の和歌と*勝手に解釈 神亀五年(728年)戊辰(つちのえたつ、3月)、大宰帥大伴卿、故人を思(しの)ひ恋ふる歌三首 愛しき人のまきてし敷たへの 我が手枕をまく人あらめや  万438 右の一首は、別れ去にて数旬を経て作る歌。 *愛しい人がしていた私の手枕、その人はもういない。 帰るべく時はなりけり都にて 誰が手本をか我が枕かむ  万439 *大宰府から都に帰る時が来た。しかし戻ったとて私を手枕にした人はいない。 都なる荒れたる家に独り寝ば 旅にまさりて苦しかるべし  万440 右の二首は、京に向ふ時に臨近(ちか)づきて作る歌。 *都に残していた荒れた家に戻って一人で寝るのは旅の宿で寝るよりも辛いだろう。 【似顔絵サロン】似顔絵は 旅人の妻が死去した年、 神亀5( 728)年に生まれた坂上田村麻呂 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集333-335番歌~アルケーを知りたい(1086)

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▼今回の歌は、前回の続き、 大宰府で開いた宴会で詠んだ歌の2の2。 万葉集に収められた旅人の歌のうち二番目に出てくる作品。「 つばらつばらにもの思ふ 」はナイスなフレーズ。 ▼このとき旅人は5首の歌を詠んでいる。前回に続く今回は、残りの3首と 満誓及び山上憶良の歌 。 ▼大伴旅人の和歌と*勝手に解釈 帥大伴卿(そちおおとものまへつきみ)が歌五首(のうちの後の三首) 浅茅原つばらつばらにもの思へば 古りにし里し思ほゆるかも  万333 *つらつらともの思いしていますと、古びた里を思い出します。 忘れ草我が紐に付く香具山の 古りにし里を忘れむがため  万334 *私の服の紐に憂いを忘るという草を結んでいます。それも香具山の古びた里を忘れたいがためです。 我が行きは久にはあらじ夢のわだ 瀬にはならずて淵にしありこそ  万335 *私の大宰府在任は長くはないでしょう。夢のわだと呼ばれる象の小川が浅瀬にならず、深い淵であって欲しいものです。 ▼旅人のこの歌の次に、沙弥満誓が「 しらぬひ筑紫の綿は身に付けて いまだは着ねど暖けく見ゆ (万336)」と続ける。満誓が宴席の空気を変えようとする気配がある。 ▼そして最後に 山上憶良 が「 憶良らは今は罷らむ子泣くらむ それその母も我を待つらむぞ (万337)」で宴会の緊張感をさらにほぐして会を閉じる。 ▼小野老朝臣、大伴四綱、そして旅人、満誓、憶良の歌が息をのむドラマのよう。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA