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1745、『クライストの壷』を発明~フォン・クライスト(独):アルケーを知りたい(551)

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今回の話題は(A)物理学。 ▼『 クライストの壷 』は ライデン瓶の3か月前に発明された静電気を蓄えるコンデンサ 。 ▼エヴァルト・ゲオルク・フォン・ クライスト  Ewald Georg von Kleist 1700 - 1748 ドイツの科学者 【同時代人】同じ年にスイス生まれの数学者の ベルヌーイ がいる。 ライデン瓶の名付け親 でフランスの 牧師兼物理学者ジャン=アントワーヌ・ノレットも同じ年。 【教育】ライデン大学で法学。数学のスグレイヴサンデ先生の影響で電気に興味を持つ 【職業】プロシアの聖堂の主席司祭、ポーランドのコシャリン王立裁判所の長官 【業績】1745(45)静電気を貯める『 クライストの壷 』 を独自に発明 。 ライデン瓶の先駆者 【ネットワーク】 ヴィレム・スグレイヴサンデ  Willem 's Gravesande 1688 - 1742  ライデン大学の数学教授。ミュッセンブルークの指導教員。▼クライストはスグレイヴサンデ先生から 静電気貯蔵瓶のインスピレーション を得た。 ピーテル・ファン・ ミュッセンブルーク (→480)  Pieter van Musschenbroek 1692 - 1761 オランダの科学者。ライデン大学で数学、哲学、医学、占星術の教授。▼クライストは静電気を貯める方法を発見、ベルリンの科学者グループに伝える。その情報を元にミュッセンブルークが ライデン瓶を発明 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Ewald_Georg_von_Kleist

1746、亜鉛の発見~マルクグラフ(独):アルケーを知りたい(552)

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今回の話題は化学。 ▼今回は、亜鉛。元素記号Zn、原子番号30、zinc。 ▼鉄の薄板に亜鉛メッキを施したのがトタン板。 ポルトガル語のツタンナガ Tutanagaが日本に伝わってトタン(吐丹)になった 。 ▼トタン葺きの屋根や壁は風雨にさらされるうちに錆が出ていい感じに味わいが出てくる。 そういえば、この頃、トタン屋根の上に猫がいるのを見てない。ちなみにブリキは鉄の薄板をスズでメッキしたもの。ブリキは缶詰やおもちゃに使われる。ブリキはいったん錆びるとただ錆が進むだけ。 ▼ アンドレアス・マルグラフ  Andreas Sigismund Marggraf 1709 - 1782 ドイツ 化学者 分析化学のパイオニア 【時代環境】一つ年下がフランスで子午線弧長プロジェクトを進めた ルイ15世 。三つ年下がドイツの フリードリッヒ2世 。1756-63(マルグラフが47-54)は7年戦争の時代。 【教育】薬剤師兼薬局経営者の父のもとで製薬と医療ビジネスを学ぶ。Collegium Medico-Chirurgicumの医学部で学ぶ 【職業】薬剤師、大学で講義、王立科学アカデミー物理クラスのディレクター 【業績】 1746(37)亜鉛鉱石と炭素を加熱して亜鉛を単離 【ネットワーク】 パラケルスス  Paracelsus 1493年11月10日 - 1541年9月24日 スイス出身の医師、化学者、錬金術師。▼Zincの名前の由来は、著書『 Liber Mineralium II』で「歯のような、尖った、またはギザギザの」という意味の「zinke」と呼んだことから。 フランツ・アチャード  Franz Karl Achard 1753年4月28日 - 1821年4月20日 ドイツの化学者 ▼マルグラフの弟子。師マルグラフが発見したビートから砂糖を抽出する方法を洗練させ産業化に導いた。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Andreas_Sigismund_Marggraf

1744、最小作用の原理~モーペルテュイ(仏):アルケーを知りたい(550)

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今回の話題は(A)物理学。 ▼ モーペルテュイの 『 最小作用の原理』は力学の話。難しいので略。 ▼モーペルテュイは 1700年代フランスの上流階級の人物。 プロフィールの 【職業】に適切な表現が当てはまらないので【 肩書 】にした。 ▼Wikipediaの英語版に「気難しい気質で常に口論_ Maupertuis's difficult disposition involved him in constant quarrels 」という性格描写がある。論争タイプのようだ。 ▼ピエール=ルイ・モロー・ド・ モーペルテュイ  Pierre-Louis Moreau de Maupertuis 1698 - 1759 フランスの数学者、軍人 【時代環境】1756-(58-) 「7年戦争」 18世紀の世界大戦 【教育】家庭教師による家庭教育 【 肩書 】フランス軍騎兵将校、フランス科学アカデミー会長、プロイセン科学アカデミー会長 【業績】1736(38) 子午線弧長を測量するラップランド隊で隊長 1738(40)『地球の形状』La figure de la terre を発表、 地球は南北に扁平な楕円体形状(扁球)であると結論 最小作用の原理 :1741(43)の論文"Loi du repos des corps"、1744(46)の論文"Accord de plusieurs lois naturelles qui avaient paru jusqu’ici incompatibles"で発表 【ネットワーク】 ヨハン・ベルヌーイ Johann Bernoulli 1667 - 1748 スイスの数学者。『ベルヌーイの法則』のダニエル・ベルヌーイ(1700 - 1782)の父親。行動に問題がある人物。▼モーペルテュイの学問上のメンター。 ジャック・カッシーニ  Jacques Cassini 1677 - 1756 フランスの天文学者・測地学者。土星の四つの惑星を発見した天文学者ジョヴァンニ・カッシーニ(1625 - 1712)の息子。地球が南北に長い回転楕円体(長球)と主張。▼モーペルテュイらの調査の結果、地球は長球ではなく扁球と判明。 ジョルジュ=ルイ・ルクレール  Georges-Louis Leclerc 1707

1743、ダランベールの原理~ダランベール(仏):アルケーを知りたい(549)

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今回の話題は(A)物理学。 ▼ダランベールの原理は力学の話。難しいので略。ダランベールはパリ大学の文学士だから「文系」のはずなのに、数学や物理学がバリバリ。どういうことなのか、不思議。 ▼ ジャン・ル・ロン・ダランベール  Jean Le Rond d'Alembert 1717 - 1783 フランスの哲学者、数学者、物理学者。『百科全書』の編集者。 【時代環境】フランス啓蒙思想の時代。サロンの時代。イギリスは産業革命の時代 【教育】パリ大学で文学学士 【職業】1751 - 59(34 - 42)百科全書の編集長 【業績】1751(34)百科全書の序論を執筆 百科全書の「動力学」の項目で「ダランベールの原理」を執筆 【ネットワーク】 ヴォルテール  Voltaire 1694 - 1778 フランスの哲学者 ▼ダランベールの仲間 百科全書派 ジャン=ジャック・ルソー  Jean-Jacques Rousseau 1712 - 1778 フランスの哲学者 ▼ダランベールのサロン仲間 ドゥニ・ディドロ  Denis Diderot 1713 - 1784 フランスの哲学者 ▼ダランベールと共に百科全書の編集長 エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック  Étienne Bonnot de Condillac 1714 - 1780 フランスの哲学者、聖職者 ▼ダランベールのサロン仲間 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Jean_le_Rond_d%27Alembert

1735、コバルトの発見~ブラント(瑞):アルケーを知りたい(548)

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今回の話題は化学。 ▼コバルトを発見したスウェーデンの 化学者 ブラントは、年齢が前回のデュフェ(→546)の4つ上。同世代人。 ▼なぜブラントはコバルトを発見したのか、経緯がよく分からなかった。そもそもブラントの時代のスウェーデンはいったいどんなふうだったのか、これもよく 分からなかった。これから少しずつ、ってことで。 ▼ イギリスでは ハリスンがクロノメータ の精度を高めようと頑張っていた、 フランスではブーゲらが子午線弧長の測定 に力を入れていた、 日本では甘藷(かんしょ)先生 =青木昆陽が飢饉に備えてサツマイモの栽培を広めていた時期。 ▼コバルトについて。元素記号Co、原子番号27、cobalt。由来はドイツの地の妖精・コーボルト。コーボルトが坑夫を困らせるために鉱物に魔法をかけたと考えて命名。 ▼ イェオリ・ブラント  Georg Brandt 1694 - 1768 スウェーデンの化学者、鉱物学者 【教育】ランス大学(?)で医学博士 【職業】ストックホルム鉱山局で役人、王立造幣局で冶金部長、ウプサラ大学で化学教授 【業績】 1737(43)コバルトを発見 【ネットワーク】? 【似顔絵サロン】同時代人たち。 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Georg_Brandt

1733、2種の電気~デュフェ:アルケーを知りたい(547)

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今回の話題は(A)物理学。 ▼ 2種の電気 という言葉から現代人が想定するのは、静電気かそうでないか、とか、直流か交流か、とか、正か負か、とか、強電か弱電か、その他、だろう。1733年、デュ・フェは 樹脂電気 と ガラス電気 に分けた。詩的な味わいがある名前だ。 ▼ シャルル・フランソワ・デュ・フェ  Charles François de Cisternay du Fay 1698年9月14日 - 1739年7月16日 フランスの物理学者 【教育】? 【職業】フランス軍人。パリ植物園の監督官 【業績】 1733(35)帯電した電気は「樹脂電気」と「ガラス電気」の2種がある、とした 【ネットワーク】 スティーヴン・グレイ (→546) Stephen Gray 1666 - 1736 王立協会フェロー。静電気の移動、導体・不導体を発見。▼デュ・フェは、グレイの帯電現象の説明を修正し前進させた ベンジャミン・フランクリン  Benjamin Franklin 1706 - 1790 アメリカの政治家、物理学者。静電気実験のため、雷雲の中で凧を上げる無謀な実験を行った ▼デュ・フェの「樹脂電気」と「ガラス電気」ではなく「 正 」と「 負 」の2種に分けた。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Fran%C3%A7ois_de_Cisternay_du_Fay

1729、電気の伝導~グレイ:アルケーを知りたい(546)

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今回の話題は(A)物理学。 ▼グレイは63才のとき静電気が移動することを実験で示した。 電気の父 、と言われる。しかし、なぜかグレイという人は一生を貧困のままに過ごした。グレイの回りにいた人からするとグレイは都合よく使いやすかったのか、それともグレイ本人の判断だったのか・・・。 ▼63才のときの実験が歴史に残った。王立協会から受賞もした。長い下積みが報われた遅咲きの科学者である。 ▼ スティーヴン・グレイ  Stephen Gray 1666 - 1736 イギリスの染物師、科学者 【教育】学校教育の後、父親と兄の元で布染め見習い。独学でレンズの研磨、望遠鏡の自作、天体観測 【職業】染物屋 【業績】1729( 63 ) 静電気の伝導実験に成功 。 導体と不導体の存在を確認 1733(67)王立協会のフェロー 【ネットワーク】 ジョン・フラムスティード  John Flamsteed 1646 - 1719 イギリスの天文学者。▼1696からグレイ(30)はフラムスティードの仕事を 無給で手伝い 始める。フラムスティードは有力者ニュートンと折り合いが悪かった。グレイは科学者になりたかったものの、ニュートンからフラムスティード派とみなされ、可能性は開かなかった。 ジョン・デサグリエ  John Theophilus Desaguliers 1683 - 1744 フランス生まれのイギリスの科学者。▼グレイ(40代後半)は、王立協会デモンストレーターの仕事を行うデサグリエの 無給助手 になる。 ハンス・スローン  Hans Sloane 1660 - 1753 イギリス王室の医師。投資家。 1727(67)、ニュートンの後任の王立協会会長。▼1719、困窮状態のグレイ(53)は、スローンとフラムスティードからロンドンの 救貧院、年金 の手配をしてもらう。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Stephen_Gray_(scientist)