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柿本人麻呂の万葉集264・266番歌~アルケーを知りたい(1183)

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▼人麻呂が近江の川と海で詠んだ歌2首。「 網代木にいさよふ波の 」とか「 近江の海夕波千鳥 」とかカッコ良いフレーズが味わい深い。水辺に立って口ずさんでみたくなる。  柿本朝臣人麻呂、近江の国より上り来る時に、宇治の川辺に至りて作る歌一首 もののふの八十宇治川の網代木に いさよふ波のゆくへ知らずも  万264 *宇治川に設置されている網代木でせき止められながら流れる波は、どこに行くのだろう。  柿本朝臣人麻呂が歌一首 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのにいにしへ思ほゆ  万266 *近江の海の夕方の波の上で千鳥が鳴くと、心が萎れて昔のことを思ってしまう。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 用明天皇  ようめいてんのう ? - 587 第31代天皇。欽明天皇の第四皇子。息子が厩戸皇子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集261-262番歌~アルケーを知りたい(1182)

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▼人麻呂が天武天皇の息子である新田部皇子 (にいたべしんのう) に献上した歌。 人麻呂の長歌の中ではいちばん短い作品。短くても枕詞が三つ 「やすみしし」「 高光る 」 「ひさかたの」が入っている。  柿本朝臣人麻呂、新田部皇子に献る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君  高光る 日の御子  敷きいます 大殿の上に  ひさかたの  天伝ひ来る  雪じもの 行き通ひつつ  いや常世まで  万261 *我が大君がお住まいになっておられる大殿の上に遥かな天から雪が降ってきます。その雪のようにこれからも長く長く通い続けたいものです。  反歌一首 矢釣山木立も見えず降りまがひ 雪の騒ける朝楽しも  万262 *矢釣山の木立も見えないほど雪が降り舞っている朝は楽しい。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 崇峻天皇  すしゅんてんのう 553 - 592 第32代天皇。蘇我馬子に殺される。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集249-256番歌~アルケーを知りたい(1181)

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▼ 羇旅は旅のこと。旅行中のあれこれを詠んだ歌。船での移動のようだ。場所は、野島が淡路島、 敏馬が神戸、藤江が明石。  柿本朝臣人麻呂が羇旅の歌八首 御津の崎波を畏み 隠江の船なる君は野島にと宣る  万249 *御津の崎の波が高いので安全のため、隠江に船を入れて静まるのを待っていた主君は、さあ野島に向かおうと宣言する。 玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の 野島の崎に船近づきぬ  万250  一本には「処女を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす我は」といふ。 *敏馬のあたりを過ぎて、夏草が茂る野島の先に船が近づいている。 淡路の野島の崎の浜風に 妹が結びし紐吹き返す  万251 *淡路の野島の崎で吹いてくる浜風に、妻が結んだ服の紐が風にたなびいている。 荒栲の藤江の浦に鱸釣る 海人とか見らむ旅行く我れを  万252  一本には「白栲の藤江の浦に漁りする」といふ。 *藤江の浦で鱸を釣る海人と見られるかも知れないな、旅をしている私は。 稲日野も行き過ぎかてに思へれば 心恋しき加古の島見ゆ <一には「水門(みと)見ゆ」といふ>  万253 *稲日野を通り過ぎたと思っていると心恋しい加古の島が見えてきた。 燈火の明石大門に入らむ日や 漕ぎ別れなむ家のあたり見ず  万254 *燈火のある明石大門に入る日になると、漕ぎながら別れるのだろうか、家のあたりを見ることもなく。 天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば 明石の門より大和島見ゆ  万255  一本には「家のあたり見ゆ」といふ。 *田舎の長い道を家が恋しいなあと思いながら進むと、明石の門から大和島が見えてくる。 笥飯の海の庭よくあらし 刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船  万256  一本には「武庫の海船庭ならし漁りする 海人の釣船波の上見ゆ」といふ。 *笥飯の海はよい漁場のようだ、海人の釣船がたくさん出ている。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ホスロー1世  Khusrau I ? - 579 ササン朝ペルシア帝国の第21代君主。不死の霊魂を持つ者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%

柿本人麻呂の万葉集239-241番歌~アルケーを知りたい(1180)

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▼この和歌の主人公の長皇子 (ながのみこ) は天武天皇の皇子。息子が 文室浄三 。百人一首の歌人、 文屋康秀と朝康はだいぶ後の子孫。 ▼この歌は「 い匐ひ〇〇〇 」が四回続いて出てくる。鹿は「拝」、鶉は「廻」がセットになっているのが印象的。  長皇子、猟路の池に遊す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷せて短歌 やすみしし 我が大君  高光る 我が日の御子の  馬並めて 御狩立たせる  若薦を 猟路の小野に  鹿こそば  い匐ひ拝め   鶉こそ  い匐ひ廻れ   鹿じもの  い匐ひ拝み   鶉なす  い匐ひ廻り   畏みと 仕へまつりて  ひさかたの 天見るごとく  まそ鏡 仰ぎて見れど  春草の いやめづらしき  我が大君かも 万239  反歌一首 ひさかたの天行く月を網に刺し 我が大君は蓋にせり  万240 *天に浮かぶ月を網で捉えて、我が大君は日よけの傘にしていらっしゃいます。  或本の反歌一首 大君は神にしませば真木の立つ 荒山中に海を成すかも  万241 *大君は神でいらっしゃるので、険しい山の中であっても海を作っておられます。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。 文室 浄三  ふんや の きよみ 693 - 770 飛鳥時代~奈良時代の皇族・公卿。天武天皇の孫。長親王の子。 天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒を  万4275 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集235番歌~アルケーを知りたい(1179)

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▼今回の歌は、万葉集第三巻の冒頭に出てくる人麻呂作の雑歌。この天皇が誰をいうのかというと、持統天皇、天武天皇、文武天皇の説があるらしい。   天皇、雷の岳に幸す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 大君は神にしませば天雲の 雷の上に廬らせるかも  万235  右は或本には「忍壁皇子に献る」といふ。 その歌には「 大君は神にしませば雲隠る 雷山に宮敷きいます 」といふ。 *大君は神であられるので、天の雲、雷の上の廬にいらっしゃる。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ホルミズド4世  Hormizd IV 540 - 590 ササン朝の王。ホスロー1世の息子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集226-227番歌~アルケーを知りたい(1178)

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▼226番歌は、人麻呂の222番歌にインスパイアされた 丹比真人 (たぢひのまひと) という人物が詠んだ作品。  讃岐の狭岑の嶋にして、石中の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌 沖つ波来寄る荒磯を敷栲の 枕とまきて寝せる君かも  万222 *沖から波が寄せる荒磯を枕にして寝ている人がいる。  丹比真人 <名は欠けたり> 、柿本朝臣人麻呂が意に擬へて報ふる歌一首 荒波に寄り来る玉を枕に置き 我れここにありと誰か告げけむ  万226 *荒波に寄せられて来る玉のような波を枕にして私が横たわっていることを誰が妻に知らせてくれたのだろうか。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ホスロー2世  Khosrow II 570 - 628 ササン朝最後の偉大な王。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集223-225番歌~アルケーを知りたい(1177)

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▼死に臨む人麻呂が妻を気にかける歌。夫の帰りを待つものの会えないままの妻の歌。  柿本朝臣人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首 鴨山の岩根しまける我れをかも 知らにと妹が待ちつつあるらむ  万223 *鴨山の岩の間で行き倒れている私のことを知らずに妻は私を待っているのだろう。  柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子が作る歌二首 今日今日と我が待つ君は石川の狭に <一には「谷に」といふ>  交りてありといはずやも  万224 *お帰りは今日か、今日か、と私がお待ちしているあなた様は、石川の谷に迷い込んでいらっしゃるというではありませんか。 直に逢はば逢ひかつましじ石川に 雲立ち渡れ見つつ偲はむ  万225 *直に逢いたいと思っても逢えるものではありません。石川に雲が立ちましたら、それを見て偲びます。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。 蘇我 馬子  そが の うまこ 551 - 626 飛鳥時代の政治家、貴族。蘇我蝦夷の父親。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html