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万葉集巻第三427番歌(八十隈坂に手向けせば)~アルケーを知りたい(1299)

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▼ 刑部垂麻呂の歌 は、万葉集第三巻に2首ある。一つが今回の挽歌。もう一つが「 馬ないたく打ちそな行きそ 日ならべてみても我が行く志賀にあらなくに  万263」。両方とも実際は違うんだけど、気持ち的にはこうあったら良いのに、という思いが下敷きにある。現実と思いのギャップを歌にしている。   田口広麻呂 が死にし時に、 刑部垂麻呂 が作る歌一首 百足らず八十隈坂に手向けせば 過ぎにし人にけだし逢はむかも  万427 *黄泉に通じるというくねくねと曲がった八十隈坂に捧げ物をすれば、もしかして亡くなった方に再び会えるだろうか。 【似顔絵サロン】 田口 広麻呂  たぐち の ひろまろ ? - ? 飛鳥時代の貴族。逝去した後、刑部垂麻呂が427番歌を詠んだ。 刑部 垂麻呂  おさかべ の たりまろ ? - ?  飛鳥時代の人物。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三417‐419番歌(岩戸破る手力もがも)~アルケーを知りたい(1298)

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▼今回は、大宰師だった河内王の逝去を悲しむ、妻の手持女王の歌三首。み心に適うはずもないのに豊前の鏡山を宮に定めた、と切り出す 417番 。鏡山に岩戸を立てて籠ったまま出ていらっしゃらない、という 418番 。腕力のない女である私は岩戸を開ける力もない、と嘆く419番。三首で一つのストーリーになっている歌。   河内王 を豊前の国の鏡の山に葬る時に、手持女王が作る歌三首 大君の和魂あへや豊国の 鏡の山を宮と定むる  万417 *大君のお心に適ったとでもいうのでしょうか。豊国の鏡山を宮となさったのは。 豊国の鏡の山の岩戸立て 隠りにけらし待てど来まさぬ  万418 *豊国の鏡山に岩戸を立てて中にお籠りになりました。いくらお待ちしてもお出でになりませぬ。 岩戸破る手力もがも手弱き 女にしあればすべの知らなく  万419 *岩戸を引き開ける腕力もない女ですので、再びお目にかかりたくとも方法がありません。 【似顔絵サロン】 河内王  かわちのおおきみ ? - 694年 飛鳥時代の皇族。筑紫大宰帥を務めた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三416番歌(磐余の池に鳴く鴨を)~アルケーを知りたい(1297)

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▼吉野の盟約が679年。それから7年後の686年、吉野の盟約を主催した天武天皇が崩御、同じ年に 大津皇子 は 謀反を理由に 死を賜る。416番は、大津皇子の辞世の歌。   大津皇子 、死を被りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首 百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ  万416 *磐余の池で鳴いている鴨を見るのは今日かぎりか。これから私はこの夜を去らねばならないのだから。  右、藤原の宮の朱鳥の元年の冬の十月。 【似顔絵サロン】 大津皇子  おおつのみこ 663年 - 686年 天武天皇の皇子。 679年、吉野の誓いに参加 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三388‐389番歌(いざ子どもあへて漕ぎ出む)~アルケーを知りたい(1296)

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▼仲間に呼びかけるときのフレーズ「いざ子ども」を搭載した作品。今回の場面は港・船、さあ、みなさん、これから海が静かなので船を出しましょう、という呼びかけ。一方、短歌のほうは海を航海していると故郷が恋しいと泣きを入れている。作者は歌の専門家、 若宮年魚麻呂 。  羇旅の歌一首  幷せて短歌 海神は くすしきものか  淡路島 中に立て置きて  白波を 伊予に廻らし  明石の門ゆは 夕されば  潮を満たしめ 明けされば  潮を干しむ 潮騒の  波を畏み 淡路島  磯隠り居て いつしかも  この夜の明けむと さもらふに  寐の寝かてねば 滝の上の  浅 野の雉 明けぬとし  立ち騒ぐらし いざ子ども  あへて漕ぎ出む 庭も静けし  万388 *淡路島の磯で早く船出したいと待ち構えています。夜が明けて 雉が騒がしくなりました。さあみなさん、船を出しましょう、海も穏やかです。  反歌 島伝ひ駿馬の崎を漕ぎ廻れば 大和恋しく鶴さはに鳴く  万389 *島伝いに船を進め駿馬崎を漕ぎ廻ると、大和が恋しくなります。鶴も鳴きたてます。  右の歌は、 若宮年魚麻呂 誦む。ただし、いまだ作者を審らかにせず。 【似顔絵サロン】 若宮年魚麻呂  わかみやのあゆちまろ ? - ? 奈良時代の歌人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三382‐383番歌(筑波嶺を外のみ見つつありかねて)~アルケーを知りたい(1295)

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▼今回は、 鶏、雪を組合せて 筑波山を詠った歌。詠み手は 丹比国人。季節は冬、筑波山を見たくて雪でぬかるむ道を歩いた、と詠う。  筑波の岳に登りて、 丹比真人国人 が作る歌一首  幷せて短歌 鶏が鳴く 東の国に  高山は さはにあれども  二神の 貴き山の  並み立ちの 見が欲し山と 神代より 人の言ひ継ぎ  国見する 筑波の山を  冬こもり 時じき時と  見ずて行かば 増して悲しみ  雪消する 山道すらを  なづみぞ我が来る  万382 *男山と女山が並び立つ筑波の山を見ずにはいられません。だから、 雪でぬかるむ山道を苦労しながら歩いてきました。  反歌 筑波嶺を外のみ見つつありかねて 雪消の道をなづみ来るかも  万383 *筑波の嶺を遠くから眺めているだけでは飽き足らないので、雪の泥道を足を取られながら嶺までやってきました。 【似顔絵サロン】 丹比国人  たぢひのくにひと ? - ? 奈良時代の官吏。出雲守、播磨守、大宰少弐を歴任。757年、 橘奈良麻呂の乱に連座した罪で 伊豆に配流。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三371、375番歌(意宇の海の川原の千鳥)~アルケーを知りたい(1294)

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▼371番は出雲守として島根県に赴任している門部王が、千鳥の鳴き声を聞いて、故郷の佐保川を思い出す歌。372番は湯原王が吉野の菜摘川で鴨の鳴き声を聞いて作った歌。両方とも、川と鳥を素材にしながらも、味わいは異なる。それが不思議。  出雲守 門部王 、京を思ふ歌一首  後に大原真人の氏を賜はる 意宇の海の川原の千鳥汝が鳴けば 我が佐保川の思ほゆらくに  万371 *島根の意宇の海に流れる川原の千鳥よ、お前が鳴く声を聞くと、我が故郷の佐保川が思い出されてならない。   湯原王 、吉野にして作る歌一首 吉野にある菜摘の川の川淀に 鴨ぞ鳴くなる山蔭にして  万375 *吉野にある菜摘川の川淀で鴨が鳴いている。ちょうど山の蔭だから。 【似顔絵サロン】 門部王  かどべおう ? - ? 奈良時代の皇族。天武天皇の孫。高市皇子の子。 湯原王  ゆはらおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族・歌人。天智天皇の孫。志貴皇子の子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三368‐369番歌(大船に真楫しじ貫き)~アルケーを知りたい(1293)

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▼今回は役所の仕事で動く男たちの歌。368番は大きな手漕ぎ船に乗って若狭湾あたりを移動している時の作品、369番は物部ファミリーの男は天皇の命で動くと宣言している歌。統治はよく行き届いた社会になっている印象。   石上大夫 が歌一首 大船に真楫しじ貫き大君の 命畏み磯廻するかも  万368 *大型船の横から楫を突き出して、大君のご命令に従って磯を廻るのです。  右は、今案ふるに、 石上朝臣乙麻呂 、越前の国守に任けらゆ。けだしこの大夫か。  和ふる歌一首 物部の臣の壮士は大君の 任けのまにまに聞くといふのもぞ  万369 *物部につらなる男は、大君のご命令に従って立ち働くのである。  右は、作者いまだ審らかにあらず。ただし、笠朝臣金村が歌の中に出づ。 【似顔絵サロン】 石上 乙麻呂  いそのかみの おとまろ ? - 750年 奈良時代の公卿・文人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3