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万葉集巻第八1482‐1480番歌(皆人の待ちし卯の花)~アルケーを知りたい(1389)

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▼今回の4首はホトトギスを題材に、説明的に詠っている作品 。真似たくなる。1482は皆人の待ちし年末終わるとも明くる年来る我れ忘れめや、 1483は 我が背子が作りしAgendaを読み来週の会議我が支度し、 1484は 我が机の上の文房具あちこち散りて ホコリ に埋もれつ、 1485は 正月の郵便受けに我が出せば年賀状 響め鳴かましやそれ。   大伴清綱 が歌一首 皆人の待ちし卯の花散りぬとも 鳴くほととぎす我れ忘れめや  万1482 *皆で待っていた卯の花が散っても、鳴いているホトトギスのことを私は忘れませんよ。   奄君諸立 が歌一首 我が背子がやどの橘花をよみ 鳴くほととぎす見にぞ我が来し  万1483 *宴会を主催するご主人宅の橘の花が見事なので ホトトギス が来て鳴きます、その ホトトギス を見に私どもは参りました。   大伴村上 が橘の歌一首 我がやどの花橘をほととぎす 来鳴き響めて本に散らしつ  万1493 *我が家の花橘に ホトトギス がやって来て、鳴き声を響き渡らせて、花びらを根元に散らしました。  筑波山に登らざりしことを惜しむ歌一首 筑波嶺に我が行けりせばほととぎす 山彦響め鳴かましやそれ  万1497  右の一首は、高橋連虫麻呂が歌の中に出づ。 *筑波山の嶺に登れば、 ホトトギス は山びこになるほど鳴いてくれたのでしょうか。登らなくて残念なんですけど。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 栗隈王  くりくまのおおきみ ? - 676天武天皇5年6月 飛鳥時代の人物。筑紫率(筑紫大宰)。壬申の乱では外国への備えを理由に大友皇子の出兵要請を断る。 大伴 清縄  おおとも の きよつな ? - ? 奈良時代の官吏。 奄君 諸立  あむのきみ もろたち ? - ? 奈良時代の人。 大伴 村上  おおとものむらかみ ? - ? 奈良時代の官吏。 754年、大伴家持邸での年賀の宴で歌を詠んだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1530‐1533番歌(玉櫛笥蘆城の川を)~アルケーを知りたい(1391)

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▼今回は、福岡筑前の大宰府、滋賀県の 伊香山を詠った作品。筑前煮で一献、参りますか。師走だし。  大宰の諸卿大夫幷せて官人等、筑前の国の蘆城の駅家にして宴する歌二首 をみなえし秋萩交る蘆城の野 今日を始めて万代に見む  万1530 *女郎花と秋萩が入り混じっている大宰府の蘆城の野原。今日から末永く見て行きましょう。 玉櫛笥蘆城の川を今日見ては 万代までに忘らえめやも  万1531  右の二首は、作者いまだ詳らかにあらず。 *大宰府の蘆城川を今日見ました。これから先いつまでも忘れられないでしょう。   笠朝臣金村 、伊香山にして作る歌二首 草枕旅行く人も行き触れば にほひぬべくも咲ける萩かも  万1532 *旅人がちょっとでも触れたら染まりそうなくらい萩が咲き乱れています。 伊香山野辺に咲きたる萩見れば 君が家なる尾花し思ほゆ  万1533 *伊香山の野に咲いている萩の花を見ると、貴方様の家に咲くススキの花を思い出します。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 廬井 鯨  いおい の くじら ? - ? 飛鳥時代の人物。近江軍の武将。672年の壬申の乱で大友皇子側の将。中道の戦で敗北。 笠 金村  かさ の かなむら ? - ? 奈良時代の歌人。万葉集に45首。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1511‐1517番歌(経もなく緯も定めず)~アルケーを知りたい(1390)

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▼万葉の時代の人は、雁や黄葉に季節や思いを感じていたようだ。1512の大津皇子の歌は経糸、緯糸の区別が出てくる。これは今でも織物のポイント。確かに山の黄葉は経糸も緯糸もないのかも。  秋雑歌   岡本天皇 の御製歌一首 夕されば小倉の山に鳴く鹿は 今夜は鳴かず寝ねにけらしも  万1511 *夕方になると 鹿が 小倉山で鳴く。でも今夜は鳴かずに寝てしまったらしい。   大津皇子 の御歌一首 経もなく緯も定めず娘子らが 織る黄葉に霜な降りそね  万1512 *縦糸も横糸も決めないで娘子たちが織った山の黄葉に霜が降りています。  穂積皇子の御歌二首 今朝の朝明雁が音聞きつ春日山 もみちにけらし我が心痛し  万1513 *今朝の明け方、雁が鳴いて飛んでいく声が聞こえる春日山。紅葉したのだろう、心が痛い。 秋萩は咲くべくあらし我がやどの 浅茅が花の散りゆく見れば  万1514 *秋萩が咲く季節になったらしい。我が家の浅茅の花が散り始めたところをみると。  但馬皇女の御製歌一首 一書には「子部王が作なり」といふ 言繁き里に住まずは今朝鳴きし 雁にたぐひて行かましものを   一には「国にあらずは」といふ  万1515 *人の噂話が煩い里から、今朝鳴いた雁と一緒にどこか違う場所に行ければ良いのに。   山部王 、紅葉を惜しむ歌一首 秋山にもみつ木の葉のうつりせば さらにや秋を見まく欲りせむ  万1516 *秋山で紅葉している木の葉が散ってしまうと、もっと秋を見たい気持ちになるでしょうね。   長屋王 が歌一首 味酒三輪の杜の山照らす 秋の黄葉の散らまく惜しも  万1517 *三輪山の杜を照らすような秋の黄葉。散っていくのが惜しい。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 中臣 金  なかとみ の かね ? - 672天武天皇元年9月24日 飛鳥時代の官人。中臣可多能祜の孫。鎌足の従兄弟。天智天皇、大友皇子の重臣、壬申の乱で敗れて斬殺。 岡本天皇 = 舒明天皇  じょめいてんのう 593 - 641 第34代天皇。蘇我蝦夷が立てた天皇。政治の実権は蘇我蝦夷。630(37) 遣唐使を開始。皇后は皇極天皇。息子は中大兄皇子。 大津皇子  おおつのみこ 663 - 686 天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。異母兄が草壁皇子。 山部王  やまべおう ? - 672...

万葉集巻第八1474‐1476番歌(ひとり居て物思ふ宵に)~アルケーを知りたい(1388)

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▼1474と1475 の歌を詠んだ 大伴坂上郎女は大伴旅人の妹。旅人は任地先の大宰府で妻を亡くしたので、叔母の 坂上郎女が 残された兄弟 を育てた。 1480と1481を詠んだのが弟の書持。 兄は家持。兄弟ともに母亡きあと、叔母の 坂上郎女に育ててもらったわけだ。▼ ホトトギスの鳴き声は東京特許許可局。  大伴坂上郎女、筑紫の大城の山を思ふ歌一首 今もかも大城の山にほととぎす 鳴き響むらむ我れなけれども  万1474 *今でも大城の山で ホトトギス がよく鳴いていることでしょう。私はそこにはいませんけど。  大伴坂上郎女が霍公鳥の歌一首 何しかもここだく恋ふるほととぎす 鳴く声聞けば恋こそまされ  万1475 *どうしてこれほど私は ホトトギス を恋しいと思うのでしょうか。人恋しさがまさるばかりというのに。   小治田朝臣広耳 が歌一首 ひとり居て物思ふ宵にほととぎす こゆ鳴き渡る心しあるらし  万1476 *ひとりで物思いにふける夜。鳴きながら飛んでいく ホトトギス がいます。私の気持ちが分かってるようです。   大伴書持 が歌二首 我がやどに月おし照れりほととぎす 心あれ今夜来鳴き響もせ  万1480 *今夜は私の家には月がよく照っている。思いやりがあるなら ホトトギス よ、家に来て鳴いておくれ。 我がやどの花橘にほととぎす 今こそ鳴かめ友に逢へる時  万1481 * ホトトギス よ、今こそ私の家の花橘に来て鳴いておくれ。今、友達と会っているところなので。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 美努王 /三野王 みぬおう/みのおう ? - 708和銅元年6月22日 飛鳥時代の人物。父は栗隈王。壬申の乱の前、父と面談した佐伯男から兄弟の武家王と共に父を守る。 小治田 広耳  おわりだの ひろみみ ? - ? 奈良時代の歌人。 大伴 書持  おおとも の ふみもち ? - 746天平18年 奈良時代の貴族・歌人。父親は大伴旅人。大伴家持の弟。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1469‐1473番歌(あしひきの山ほととぎす)~アルケーを知りたい(1387)

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▼ホトトギスの歌4首。1469の 沙弥は、出家したばかりの人という意味。誰かは分からない。1472と1473は問答歌というほどではないけれど、堅魚のつぶやきに似た歌に対して大伴旅人がホトトギスに託して自分の心情を述べた歌。   沙弥 が霍公鳥の歌一首 あしひきの山ほととぎす 汝が鳴けば家なる妹し常に偲はゆ  万1469 *山ホトトギスよ、お前の鳴き声を聞くと家で留守番している妻を思い出す。   刀理宣令 が歌一首 もののふの石瀬の杜のほととぎす 今も鳴かぬか山の常蔭に  万1470 *石瀬の杜のホトトギスよ、今、鳴いてくれないか、山の中で。  式部大輔 石上堅魚 朝臣が歌一首 ほととぎす来鳴き響もす卯の花の 伴にや来しと問はましものを  万1472  右は、神亀五年戊辰に、大宰帥大伴卿が妻大伴郎女、病に遇ひて長逝す。 その時に、勅使式部大輔 石上朝臣堅魚 を大宰府に遣はして、喪を弔ひ幷せて物を賜ふ。 その事すでに畢、駅使と府の諸卿大夫等と、ともに記夷の城に登りて望遊する日に、すなはちこの歌を作る。 * ホトトギス が来てよく鳴いています。卯の花の伴連れとして来ているのか尋ねてみたいものです。  大宰帥大伴卿が和ふる歌一首 橘の花散る里のほととぎす 片恋しつつ鳴く日しぞ多き  万1473 *橘の花が散る里の ホトトギス は、亡き妻を思い出しては鳴く日が多いようです。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 武家王  たけいえのおおきみ ? - ? 飛鳥時代の皇族。栗隈王の子。栗隈王が大友皇子の命に従わない場合、殺す命を帯びていた佐伯男を兄弟の三野王と共に威圧。 三方 沙弥  みかたのさみ /  山田 三方 やまだ の みかた /  ? - ? 飛鳥時代~奈良時代の貴族・学者。 刀利 宣令  とり の せんりょう ? - ? 奈良時代の官人・学者。氏は土理・刀理とも記す。百済系の渡来氏族。 石上 堅魚  いそのかみ の かつお ? - ? 奈良時代の貴族。大宰府で妻を亡くした旅人にお悔みを伝えた人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1465‐1468番歌(神なびの石瀬の杜の)~アルケーを知りたい(1386)

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▼ ホトトギスの鳴き声から湧き出る感慨を歌にした作品4首。実際の鳴き声を聞いた記憶がほぼないんだけど、あるような気がするのが不思議。  夏雑歌  藤原夫人が歌一首  明日香の清御原の宮に天の下知らしめす天皇の夫人なり。字を大原大刀自といふ。すなはち新田部皇子の母なり。 ほととぎすいたくな鳴きそ汝が声を 五月の玉にあへ貫くまでに  万1465 * ホトトギス よ、そんなに鳴かないで。お前の声を五月の節句の薬玉をつなぎ通す糸にするまで。  志貴皇子の御歌一首 神なびの石瀬の杜のほととぎす 毛無の岡にいつか来鳴かむ  万1466 *神奈備の岩瀬の杜のホトトギスよ、毛無の岡にはいつ来て鳴いてくれるのだろう。  弓削皇子の御歌一首 ほととぎすなかる国にも行きてしか その鳴く声を聞けば苦しも  万1467 * ホトトギス がいない国に行きたいものだ。その鳴き声を聞くとつらくなるから。  小治田の広瀬王が霍公鳥の歌一首 ほととぎす声聞く小野の秋風に 萩咲きぬれや声の乏しき  万1468 * ホトトギス の声が聞こえていた小野。秋風が吹いているからもう萩が咲いたのだろうか。 ホトトギス の声が小さくなっている。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 佐伯 男  さえき の おとこ ? - ? 飛鳥時代の人物。壬申の乱で大友皇子の遣いで筑紫国の栗隈王に出兵を要請すれど断られる。大友皇子から断ったら殺せと命令されていたが、栗隈王の二人の子が剣を持って守っていたので断念。乱の後は赦免。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1442‐1447番歌(風交り雪は降るとも)~アルケーを知りたい(1385)

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▼寒い師走に春の歌を眺めるのも一興。1442の「悲しさ」はいとおしいの意。悲しい気持ちも混じった味わいの言葉のようだ。  大蔵少輔丹比屋主真人が歌一首 難波辺の人の行ければ後れ居て 春菜摘む子を見るが悲しさ  万1442 *難波の方に夫が出張に行った後、残って春菜を摘む子を見るといとおしさが募ります。  丹比真人乙麻呂が歌一首 屋主真人が第二子なり 霞立つ野の上の方に行きしかば うぐひす鳴きつ春になるらし  万1443 *霞が立つ野原に登ってみるとウグイスが鳴いています。春になったのですねえ。  高田女王が歌一首 高安が女なり 山吹の咲きたる野辺のつほすみれ この春の雨に盛りなりけり  万1444 *山吹が咲いている野原の壺スミレ。この春の雨で勢いよく咲いています。  大伴坂上郎女が歌一首 風交り雪は降るとも実にならぬ 我家の梅を花に散らすな  万1445 *風が吹き雪が降ってもいいけれど、まだ実をつけない我が家の梅の花を散らさないでおくれ。  大伴坂上郎女が歌一首 世の常に聞けば苦しき呼子鳥 声なつかしき時にはなりぬ  万1446  右の一首は、天平四年の三月の一日に、佐保の宅にして作る。 *ふだんは耳にしても面白くもない呼子鳥だけど、その鳴き声に懐かしさを覚える時になりました。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 山部王  やまべおう ? - 672天武天皇元年7月31日 飛鳥時代の皇族。壬申の乱で大友皇子の将。味方の蘇我果安、巨勢比等(巨勢人)に殺された。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8