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万葉集巻第1_27番歌(淑き人のよしとよく見て)~アルケーを知りたい(1734)

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▼今回も歴史的な場面で詠まれた歌。天武天皇が吉野に皇子を集め、のちに持統天皇となる皇后と共に、兄弟お互いに争うことなく助け合います、と約束させた。27番はそのときの歌。時期は、672年の壬申の乱の7年後。686年に崩御するまでこの約束は守られた。   天皇、吉野の宮に幸す時の御製歌 淑き人のよしとよく見てよしと言ひし 吉野よく見よ良き人よく見  万27 *よい人が吉野を見てヨシと言った。その吉野をよく見なさい、よい人よ、よく見なさい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_26番歌(み吉野の耳我の山に_2)~アルケーを知りたい(1733)

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▼壬申の乱の主人公、大海人皇子=天武天皇の歌。今回の26番は25番歌の「 句々相換れり 」 バリエーション。違った箇所に色をつけてみた。25番の「時なくぞ」が26番では「時じくぞ」になっている。どっちが良いかなーと楽しめる。  或本の歌 み吉野の 耳我の山に 時じくぞ 雪は降るといふ 間なくぞ 雨は降るといふ その雪の 時じきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を 万26 *吉野の耳我の嶺には絶え間なく雪と雨が降っている。そのように私は山道を曲がるごとに思いを巡らして進んだ。   右は句々相換れり。 これに因りて重ねて載す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_25番歌の作者:大海人皇子、壬申の乱~アルケーを知りたい(1732)

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▼今回は、大海人皇子が大友皇子と戦った「壬申の乱」の人びとを見る。 時は、645年の乙巳の変から27年後の672年7月から8月にかけての一か月間。 戦が起こった場所は、琵琶湖周辺の地域、美濃、近江、伊勢、伊賀、大倭。 戦ったのは、天智天皇の息子で皇太子の大友皇子を頭とする 近江朝廷軍。 対するは、天智天皇の弟、大海人皇子を頭とする と大海人皇子軍 。 結果は、大海人皇子軍の勝利。 翌673年に天皇に即位し、天武天皇となる。 ▼壬申の乱の時期と25番歌の季節は一致しないが、深くて緻密に考える様子が壬申の乱勝利とつながる気がする。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_25番歌(み吉野の耳我の嶺に_1)~アルケーを知りたい(1731)

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▼今回の歌は大海人皇子が大友皇子と戦うときに詠った長歌。雪と雨が絶え間なく降るなか、この戦いを考えながら山道を歩いた、という内容。672年、壬申の乱。  天皇の御製歌 み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間なくぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を 万25 *吉野の耳我の嶺には絶え間なく雪と雨が降っている。そのように私も思いを巡らしながら山道を進んだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_24番歌(うつせみの命の惜しみ)~アルケーを知りたい(1730)

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▼今回は、麻続王が時の人の問いかけに応えた一首。後書きによると本人は因幡に流され、子どもは伊豆の島に流された。前書きに「 哀傷しびて」とあるように、運命が、離散が、生きることが、悲しいと言っているよう。   麻続王 、これを聞きて哀傷しびて和ふる歌 うつせみの命の惜しみ波に濡れ 伊良虞 (いらご) の島の玉藻 (たまも) 刈り食む  万24 *この世の命を惜しんで波に濡れながら、伊良虞の島で玉藻を刈っては食しています。   右は、日本紀を案ふるに、曰はく、「天皇の四年乙亥の夏の四月戊戌の朔の乙卯に、三位麻続王罪あり。 因幡に流す。一の子をば伊豆の島に流す。」といふ。 ここに伊勢の国の伊良虞の島に流すといふは、けだし後の人、歌の辞に縁りて誤り記せるか。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_23番歌(打ち麻を麻続の王海人なれや)~アルケーを知りたい(1729)

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▼今回は流罪になった麻続王に語りかける 「時の人」の歌。海辺に佇む人物の姿が目に浮かぶ。前書きにシチュエーションが書かれているのがありがたい。   麻続王、伊勢の国の伊良虞の島に流さゆる時に、人の哀傷しびて作る歌 打ち麻 (そ) を麻続 (をみ) の王 (おほきみ) 海人 (あま) なれや 伊良虞の島の玉藻刈ります  万23 *麻続の王は漁師なのでしょうか。伊良虞の島で玉藻を刈っていらっしゃいます。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_22番歌(川の上のゆつ岩群に)~アルケーを知りたい(1728)

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▼今回の22番歌は、女性が若さを慈しむ内容。若々しさを良しと思う気持ちは昔も今も女も男も変わらない。十市皇女の父親は天武天皇、母親は額田王。結婚した相手は天武天皇の兄、天智天皇の息子である 大友皇子。天武天皇と大友皇子は672年の壬申の乱で敵味方に分かれるので、十市皇女にとっては父と夫が戦う辛い立場。▼古代ギリシャの賢人ソロンの言葉「人は死ぬまで幸福であり続けるとは限らない」を思い出す。   明日香の清御原の宮の天皇の代 天渟中原瀛真人天皇、謚して天武天皇といふ 十市皇女 、伊勢の神宮に参赴ます時に、波多の横山の巌を見て、 吹芡刀自 が作る歌 川の上のゆつ岩群に草生さず 常にもがもな常処女にて  万22 *川の回りの岩には苔が生していません。こんなふうにいつも若々しくありたいものです。   吹芡刀自はいまだ詳らかにあらず。 ただし、紀には「天皇の四年乙亥の春の二月乙亥の朔の丁亥に、十市皇女、伊勢の神宮に参赴ます」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1