投稿

万葉集巻第1_41番歌(釧着く答志の崎に)~アルケーを知りたい(1748)

イメージ
 ▼40番から42番までは人麻呂3首セットの歌。今回はその二首目。たまもが続けて出て来るのが面白い。しかも40番では玉裳、41番では玉藻になっているのが面白い。40番では乙女が主人公、41番では男たちが主人公、、、、なのかな。 釧 (くしろ) 着く答志 (たふし) の崎に今日もかも 大宮人の玉藻刈るらむ  万41 *答志の崎で今日も大宮人が玉藻を刈っていることでしょう。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_40番歌(嗚呼見の浦に)~アルケーを知りたい(1747)

イメージ
▼40番から42番までは人麻呂3首セットの歌。一度に全部見てしまうのは惜しいので今回は40番を見る。持統天皇が伊勢の国に行幸したとき、人麻呂は京に残り、この歌を詠んだ。をとめギャルらがわざと裳を濡らして 裾が 足にくっつくのを喜んでいる様子が浮かぶ。  伊勢の国に幸す時に、京に留まれる 柿本朝臣人麻呂 が作る歌 嗚呼見 (あみ) の浦に舟乗りすらむをとめらが 玉裳の裾に潮満つらむか  万40 *嗚呼見の浦で舟に乗っている娘子たち。美しい裳の裾まで潮が満ちているでしょうか。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_39番歌(山川も依りて仕ふる)~アルケーを知りたい(1746)

イメージ
▼今回の反歌で、36番に始まる2首セットの2群構成が完結。後書きに持統天皇の吉野行幸がリストになっている。持統天皇は繰返し吉野に行ってエネルギーをチャージしていたのだ。天武天皇が手掛けた事業を完成させるため全精力を使っていたので、吉野行きは持統天皇にとって必須だったと思ふ。  反歌 山川も依りて仕ふる神ながら たぎつ河内に舟出せすかも  万39 *山や川が仕える神として、波が激しい河内に舟をお出しになろうとしています。  右は、二本紀には「三年己丑の正月に、天皇吉野の宮に幸す。 八月に、吉野の宮に幸す。 四年庚寅の二月に、吉野の宮に幸す。 五月に、吉野の宮に幸す。 五年庚寅の二月に、吉野の宮に幸す。 五月に、吉野の宮に幸す。 五年辛卯の正月に、吉野の宮に幸す。 四月に、吉野の宮に幸す」といふ。 いまだ詳らかにいづれの月の従駕にして作る歌なるかを知らず。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_38番歌(やすみしし我が大君)~アルケーを知りたい(1745)

イメージ
▼今回の38番歌は後に反歌を率いる2首構成。前回の36-37番も長歌と反歌の2首構成。で 参考書の伊藤博氏の脚注によると 、その二首構成の群れが二つ集まって、吉野讃歌としてのまとまりを持つのだそうだ。 やすみしし 我が大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち  国見をせせば たたなはる 青垣山 山神 (やまつみ) の 奉 (まつ) る御調 (まつき) と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり  一には「黄葉かざし」といふ 行き沿ふ 川の神も 大御食 (おほみけ) に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下す瀬に 小網 (さで) さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも 万38 *山も川もそろって仕える神の時代です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_37番歌(見れど飽かぬ)~アルケーを知りたい(1744)

イメージ
▼今回は36番の長歌のエッセンスを凝縮した反歌。吉野の川は見ても見ても飽きない。川の流れと同じように絶えることなく見に来ると詠う。持統天皇にとっての吉野は天武天皇との時間を感じる場所なのだ、と感じる。  反歌 見れど飽かぬ吉野の川の常滑の 絶ゆることなくまたかへり見む  万37 *いくら見ても見飽きることがない吉野の川の滑らかな流れを絶えることなくまた見に参りましょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_36番歌(水激く滝の宮処は)~アルケーを知りたい(1743)

イメージ
▼ 今回の35番は持統天皇が吉野に行幸したときの歌。 柿本人麻呂は天武天皇の時代から朝廷に務めていた人らしい。天武天皇は大海人皇子だった時期、吉野で暮らしていた時期があった。天武天皇の妻、持統天皇は吉野に思い入れがあり、天武天皇が崩御した後も足しげく通っていた。それを良く知る人麻呂が吉野を誉める歌を詠い、持統天皇の気持ちを表したのだ(ろうと思ふ)。  吉野の宮に幸す時に、 柿本朝臣人麻呂 が作る歌 やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 舟並めて 朝川渡る 舟競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激く 滝の宮処は 見れど飽かぬかも  万36 *吉野の宮はいくら見ても見飽きません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_35番歌(これやこの大和にしては)~アルケーを知りたい(1742)

イメージ
▼今回の35番は冒頭の「これやこの」のフレーズが印象的な歌。そして「背の山」で締めてるんだけど、前に「 名に負う」が付く 。この名に負うという言葉も良き良き。インスパイアされてマネしてみた:これやこの武蔵にしては我が恋ふる 豊後にあるといふ名に負ふ由布の山。  背の山を越ゆる時に、阿閉皇女の作らす歌 これやこの大和にしては我が恋ふる 紀伊道にありといふ名に負ふ背の山  万35 *これが大和にいて私が見たくてしかたなかった紀伊道にあると言うあの有名な背の山なのですね。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1