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柿本人麻呂の万葉集239-241番歌~アルケーを知りたい(1180)

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▼この和歌の主人公の長皇子 (ながのみこ) は天武天皇の皇子。息子が 文室浄三 。百人一首の歌人、 文屋康秀と朝康はだいぶ後の子孫。 ▼この歌は「 い匐ひ〇〇〇 」が四回続いて出てくる。鹿は「拝」、鶉は「廻」がセットになっているのが印象的。  長皇子、猟路の池に遊す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷せて短歌 やすみしし 我が大君  高光る 我が日の御子の  馬並めて 御狩立たせる  若薦を 猟路の小野に  鹿こそば  い匐ひ拝め   鶉こそ  い匐ひ廻れ   鹿じもの  い匐ひ拝み   鶉なす  い匐ひ廻り   畏みと 仕へまつりて  ひさかたの 天見るごとく  まそ鏡 仰ぎて見れど  春草の いやめづらしき  我が大君かも 万239  反歌一首 ひさかたの天行く月を網に刺し 我が大君は蓋にせり  万240 *天に浮かぶ月を網で捉えて、我が大君は日よけの傘にしていらっしゃいます。  或本の反歌一首 大君は神にしませば真木の立つ 荒山中に海を成すかも  万241 *大君は神でいらっしゃるので、険しい山の中であっても海を作っておられます。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。 文室 浄三  ふんや の きよみ 693 - 770 飛鳥時代~奈良時代の皇族・公卿。天武天皇の孫。長親王の子。 天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒を  万4275 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集235番歌~アルケーを知りたい(1179)

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▼今回の歌は、万葉集第三巻の冒頭に出てくる人麻呂作の雑歌。この天皇が誰をいうのかというと、持統天皇、天武天皇、文武天皇の説があるらしい。   天皇、雷の岳に幸す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 大君は神にしませば天雲の 雷の上に廬らせるかも  万235  右は或本には「忍壁皇子に献る」といふ。 その歌には「 大君は神にしませば雲隠る 雷山に宮敷きいます 」といふ。 *大君は神であられるので、天の雲、雷の上の廬にいらっしゃる。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ホルミズド4世  Hormizd IV 540 - 590 ササン朝の王。ホスロー1世の息子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集226-227番歌~アルケーを知りたい(1178)

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▼226番歌は、人麻呂の222番歌にインスパイアされた 丹比真人 (たぢひのまひと) という人物が詠んだ作品。  讃岐の狭岑の嶋にして、石中の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌 沖つ波来寄る荒磯を敷栲の 枕とまきて寝せる君かも  万222 *沖から波が寄せる荒磯を枕にして寝ている人がいる。  丹比真人 <名は欠けたり> 、柿本朝臣人麻呂が意に擬へて報ふる歌一首 荒波に寄り来る玉を枕に置き 我れここにありと誰か告げけむ  万226 *荒波に寄せられて来る玉のような波を枕にして私が横たわっていることを誰が妻に知らせてくれたのだろうか。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ホスロー2世  Khosrow II 570 - 628 ササン朝最後の偉大な王。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集223-225番歌~アルケーを知りたい(1177)

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▼死に臨む人麻呂が妻を気にかける歌。夫の帰りを待つものの会えないままの妻の歌。  柿本朝臣人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首 鴨山の岩根しまける我れをかも 知らにと妹が待ちつつあるらむ  万223 *鴨山の岩の間で行き倒れている私のことを知らずに妻は私を待っているのだろう。  柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子が作る歌二首 今日今日と我が待つ君は石川の狭に <一には「谷に」といふ>  交りてありといはずやも  万224 *お帰りは今日か、今日か、と私がお待ちしているあなた様は、石川の谷に迷い込んでいらっしゃるというではありませんか。 直に逢はば逢ひかつましじ石川に 雲立ち渡れ見つつ偲はむ  万225 *直に逢いたいと思っても逢えるものではありません。石川に雲が立ちましたら、それを見て偲びます。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。 蘇我 馬子  そが の うまこ 551 - 626 飛鳥時代の政治家、貴族。蘇我蝦夷の父親。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集220-222番歌~アルケーを知りたい(1176)

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▼今回は、讃岐の海岸の岩場に横たわっている死人を見て人麻呂が作った歌。 ▼人麻呂はその人を見て「 家知らば 行きても告げむ  妻知らば来も問はましを (その人の家が分かれば行って知らせるものを、妻が知ったらかけつけて言葉をかけるものを)」と思い、その人に妻がいれば、妻は 「 おほほしく待ちか恋ふらむ  はしき妻らは (消息が分からないまま待ち焦がれているのだろう)」と思う。  讃岐の狭岑の嶋にして、石中の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首  幷せて短歌 玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 足り行かむ 神の御面と 継ぎ来る 那珂の港ゆ 船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波騒ぐ 鯨魚取り 海を畏み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 佐岑の島の 荒磯面に 廬りて見れば 波の音の 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床に ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは  万220  反歌二首 妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山 野の上のうはぎ過ぎにけらずや  万221 *妻がいてくれたら一緒に摘んで食べただろうに。沙弥の山の野草(嫁菜)は盛りが過ぎてしまった。 沖つ波来寄る荒磯を敷栲の 枕とまきて寝せる君かも  万222 *沖から波が寄せる荒磯を枕に寝ている人が見える。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。 推古天皇  すいこてんのう 554 - 628推古天皇36年4月15日 第33代天皇。日本初の女帝。父親は欽明天皇。敏達天皇の妻。皇太子は厩戸皇子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t

柿本人麻呂の万葉集217-219番歌~アルケーを知りたい(1175)

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▼表題に出てくる采女 (うねめ) とは、朝廷で、天皇や皇后の身の回りのサービスを担当した お側付きの 女官。容姿端麗・聡明などの条件をクリアした女性の役職名。 ▼長歌に「 時にあらず過ぎにし子 」という表現がある。 吉備津の死因が 自殺だったことを伝える。  吉備津采女 (きびつのうのめ) が死にし時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首  幷せて短歌 秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひ居れか 栲繩の 長き命を 露こそば 夕に立ちて 朝は 失すといへ 梓弓 音聞く我れも おほに見し こと悔しきを 敷栲の 手枕まきて 剣太刀 身に添へ寝けむ 若草の その夫の子は 寂しみか 思ひて寝らむ 悔しみか 思ひ恋ふらむ 時にあらず   過ぎにし子 らが 朝露のごと 夕霧のごと 万217  短歌二首 楽浪の志賀津の子らが <一には「志賀の津の子が」といふ>   罷り道の川瀬の道を見れば寂しも  万218 *楽浪の志賀津の娘子らがこの世を去っていった道、川瀬の道を見ると寂しくて仕方がない。 そら数ふ大津の子が逢ひし日に おほ見しくは今ぞ悔しき  万219 *大津の娘子と逢った日に、私はそのお姿をぼんやりと見るだけだったことが今になってみると残念だ。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。 蘇我 蝦夷  そが の えみし 586年 - 645 飛鳥時代の政治家・貴族。蘇我馬子の子。入鹿の父親。乙巳の変で自害。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集213-216番歌~アルケーを知りたい(1174)

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▼今回の挽歌は、前回210-212番の元歌。同じ言い回しがある 。印象的なのは 「 我妹子が形見に置けるみどり子の 乞ひ泣くごとに取り委する (210番では 与ふる ) 物しなければ 男じもの脇ばさみ持ち 」の句。泣く子を抱えて右往左往している様子が悲しい。  或る本の歌に曰はく うつそみと 思ひし時に  たづさはり  我がふたり見し  出立の 百枝槻の木  こちごちに 枝させるごと  春の葉の 茂きがごとく  思へりし 妹にはあれど  頼めりし 妹にはあれど  世間を 背きしえねば  かぎるひの 燃ゆる荒野に  白栲の 天領巾隠り  鳥じもの 朝立ちい行きて  入日なす 隠りにしかば  我が妹子が 形見に置ける  みどり子の 乞ひ泣くごとに  取り委する 物しなければ  男じもの 脇ばさみ持ち   我妹子と 二人我が寝し  枕付く 妻屋のうちに  昼は  うらさび暮らし  夜は  息づき明かし  嘆けども  為むすべ知らに  恋ふれども  逢ふよしをなみ  大鳥の  羽がひの山に  汝が恋ふる  妹はいますと  人の言へば  岩根さくみて  なづみ来し  よけくもぞなき  うつそみと  思ひし妹が  灰にていませば  万213  短歌三首 去年見てし秋の月夜は渡れども 相見し妹はいや年離る  万214 *昨年見た秋の月夜は今年も同じだが、一緒に見た妻とは年が隔たるばかりだ。 衾道を引手の山に妹を置きて 山道思ふに生けるともなし  万215 *衾道の引手山に妻を置いて帰る山道を思うと生きる気力が失せる。 家に来て我が屋を見れば玉床の 外に向きけり妹が木枕  万216 *家に戻って寝室を見ると妻の床の上の木枕はあらぬ方を向いていた。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 舒明天皇  じょめいてんのう 593 - 641 第34代天皇。蘇我蝦夷が立てた天皇。皇后は皇極天皇。息子は中大兄皇子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%8