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大伴家持の万葉集470-474番歌~アルケーを知りたい(1209)

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▼21歳の家持が亡き妻を偲ぶ5首の歌。歌の中に「 かくのみにありけるものを 」「 かくのみとかつ知れど 」と「はかないもの」の意味の「 かくのみ 」が二度出てくる。  悲傷しびいまだ息まず、さらに作る歌五首 かくのみにありけるものを妹も我れも 千年のごとく頼みたりけり  万470 *こんな死別の状態になるものなのに、妻も私も千年もお互いに頼れるものと思っていた。 家離りいます我妹を留めかね 山隠しつれ心どもなし  万471 *我が家を離れたわが妻。留められず山に隠れてしまった。自分の気持ちも消え入る。 世間は常かくのみとかつ知れど 痛き心は忍びかねつも  万472 *世の中とは常にこういうものだと分かってはいる。けれども痛い心は我慢し辛い。 佐保山にたなびく霞見るごとに 妹を思ひ出て泣かぬ日はなし  万473 *佐保山にたなびく霞を見るたびに妻を思い出して泣かない日はない。 昔こそ外にも見しか我妹子が 奥城と思へばはしき佐保山  万474 *昔は特に思い入れもなかった山だが、妻が眠る墓所なので、いとおしい佐保山である。 【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)の同時代人。4歳年下。 淡海 三船  おうみ の みふね 722 - 785 奈良時代後期の皇族・貴族・文人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=174 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yakamot2.html

大伴家持の万葉集465-469番歌~アルケーを知りたい(1208)

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▼家持が仲の良かった妻を亡くした後、寂しく悲しく 「 心痛く 」 妻を偲ぶ歌。  朔に移りて後に、秋風を悲傷しびて家持が作る歌一首 うつせみの世は常なしと知るものを 秋風寒み偲ひつるかも  万465 *現実の世は安定することがない。秋風が寒くなると故人を偲ぶ気持ちになる。  また、家持が作る歌一首  幷せて短歌 我がやどに 花ぞ咲きたる そを見れど 心もゆかず  はしきやし 妹がありせば  水鴨なす ふたり並び居  手折りても 見せましものを   うつせみの 仮れる身にあれば  露霜の 消ぬるがごとく  あしひきの 山道をさして  入日なす 隠りにしかば  そこ思ふに 胸こそ痛き  言ひもえず 名付けも知らず  跡もなき 世間もあれば  為むすべもなし  万466  反歌 時はしもいつもあらむを心痛く い行く我妹かみどり子を置きて  万467 *時はいつでもあるものなのに、我が妻は幼子を残して逝ってしまった。 出でて行く道知らませばあからじめ 妹を留めむ関も置かましを  万468 *我が家から出た先の道があらかじめ分かっていれば、我が妻を留める関所を置いていたのに。 妹が見しやどに花咲き時は経ぬ 我が泣く涙いまだ干なくに  万469 *妻が眺めていたわが家の庭に花が咲き、時が経った。しかし私の涙はいまだに止まることがない。 【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)の同時代人。3歳年下。 ジャービル・イブン・ハイヤーン  Jābir b. Ḥayyān 721 - 815 バグダードの錬金術師。「アルカリ」の命名者。アルカリは植物の灰の意。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=174 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yakamot2.html

大伴家持の万葉集462-464番歌~アルケーを知りたい(1207)

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▼今回から大伴家持の歌を見て行く。初回は家持が妻を亡くし悲しむ歌。464番のなでしこの花を見て妻を偲ぶ歌が沁みる。  十一年己卯の夏の六月に、大伴宿禰家持、亡妾を悲傷しびて作る歌一首 今よりは秋風寒く吹きなむを いかにひとり長き夜を寝む  万462 *今からは寒い秋風が吹くだろうが、どうやってひとりで長い夜を過ごせば良いのか。  弟大伴宿禰書持、即ち和ふる歌一首 長き夜をひとりや寝むと君が言へば 過ぎにし人の思ほゆらくに  万463 *そんなふうに兄さんが言うと、私も故人を思い出して寂しくなります。  また、家持、砌 (みぎり) の上の瞿麦 (なでしこ) の花を見て作る歌一首 秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑし やどのなでしこ咲きにけるかも  万464 *秋が来たらこれを見て私を思い出してくださいと妻が庭に植えたなでしこ。その花がもう咲いたなあ。 【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)の同時代人。同じ年生まれの コンスタンティノス5世  Kōnstantinos V 718 - 775 東ローマ帝国イサウリア王朝の第2代皇帝。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=174 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yakamot2.html

山部赤人の万葉集1431、1471、3915番歌~アルケーを知りたい(1206)

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▼今回は、赤人のウグイスと藤の歌。ところで昨日、多摩川の水の匂いをかぎに行った。水辺近くに立つとほんのりと。雨の後の草の匂いのほうが強かった。赤人の歌は今日でおしまい。明日からは大伴家持の歌。  山部宿禰赤人が歌一首 百済野の萩の古枝に春待つと 居りしうぐひす鳴きにけむかも  万1431 *百済野の萩の古枝にとまって春を待っていたウグイスは、そろそろ鳴き始めているでしょうか。  山部宿禰赤人が歌一首 恋しけば形見にせむと我がやどに 植ゑし藤波今咲きにけり  万1471 *恋しい時の形見にしようと思って私の家に植えた藤がいま、咲いています。  山部宿禰赤人、春鶯を詠む歌一首 あしひきの山谷越えて野づかさに 今は鳴くらむうぐひすの声  万3915  右は、年月と所処と、いまだ詳審らかにすること得ず。 ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す。 *山と谷を越えた小高い場所で、今、うぐいすが鳴いているのでしょう。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 ホノリウス  Honorius 384 - 423 西ローマ帝国テオドシウス王朝の皇帝。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』 『新版 万葉集四』 角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集1424-1427番歌~アルケーを知りたい(1205)

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▼赤人は、野外に出てスミレ摘みする精神的・時間的なゆとりがあったのだ。自分にはそんな心の余裕がないと反省。多摩川に水の匂ひを嗅ぎにいくか。  山部宿禰赤人が歌四首 春の野にすみれ摘みにと来し我れぞ 野をなつかしみ一夜寝にける  万1424 *春の野のスミレを摘もうとやってきた私です。草原の美しさに浸りたくて一夜を過ごしました。 あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらば いたく恋ひめやも  万1425 *山桜花が何日も咲き続けるとしたら、これほど心惹かれるでしょうか。 我が背子に見せむと思ひし梅の花 それとも見えず雪の降れれば  万1426 *私の夫に見せたいと思っていた梅の花、雪が降り積もってどれが花か分かりません。 明日よりは春菜摘まむと標めし野に 昨日も今日も雪は降りつつ  万1427 *明日から春菜摘みに行こうと思って繩を張っていた草原に、昨日も今日も雪が降っています。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 謝 霊運  しゃ れいうん 385 - 433 詩人・文学者。「山水詩」の祖。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集1005-1006番歌~アルケーを知りたい(1204)

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▼吉野を「山高み 川早み」「この山の この川の」といって讃える歌。赤人は、吉野に宮を造るのは山と川が素晴らしいからと説明する。  八年丙子の夏の六月に、吉野の離宮に幸す時院に、山部宿禰赤人、詔に応へて作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君の  見したまふ 吉野の宮は  山高み  雲ぞたなびく  川早み  瀬の音ぞ清き  神さびて 見れば貴く  よろしなへ 見ればさやけし  この山の  尽きばのみこそ  この川の  絶えばのみこそ ももしきの 大宮ところ やむ時もあらめ 万1005  反歌一首 神代より吉野の宮にあり通ひ 高知らせるは山川をよみ  万1006 *神代の時代から吉野の宮に通い続け、宮殿を御つくりになるのは、山と川が素晴らしいからです。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 アッティラ  Attila 406 - 453 フン族とその諸侯の王。ロシア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国を築き上げた大王。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集1001番歌~アルケーを知りたい(1203)

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▼今回は聖武天皇が難波宮に行幸したときに同行したメンバーが詠んだ歌6 首のうち4首をピックアップした 。1001番が赤人の作品。ますらをたちは狩りに行き、娘子たちは赤袴で浜を歩く。  春の三月に、難波の宮に幸す時の歌六首 眉のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて 漕ぐ舟泊り知らずも  万998  右の一首は船王(ふなのおほきみ)が作。 *眉のような雲の間に 阿波の山が見えています。山を 目指して漕ぎ進む舟はどこに停泊するのでしょう。 子らしあらばふたり聞かむを沖つ洲に 鳴くなる鶴の暁の声  万1000  右の一首は守部王が作。 *妻がいれば二人して聞けたものを。沖の洲で明け方に鳴く鶴の声を。 ますらをは御狩に立たし娘子らは 赤裳裾引く清き浜びを  万1001  右の一首は、山部宿禰赤人が作。 *男たちは狩りに出かけています、娘さんたちは赤い裾を翻しながら清らかな浜辺を歩いています。 馬の歩み抑へ留めよ住吉の 岸の埴生ににほひて行かむ  万1002  右の一首は安倍朝臣豊継が作。 *馬の歩みを緩めて止まりましょう。そして住吉の岸の粘土質の土、埴生の香りを楽しみましょう。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 太武帝  たいぶてい 408 - 452 北朝北魏の第3代皇帝。道教を保護、仏教を弾圧。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html