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大伴旅人の万葉集1472-1473番歌~アルケーを知りたい(1124)

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▼旅人が大宰府にいたとき、妻を失った。朝廷は弔問使を派遣して弔意を伝えた。 ▼今回は、その 弔問使の 石上堅魚 が詠んだ歌と旅人が答えた歌。  式部大輔石上堅魚朝臣が歌一首 ほととぎす来鳴き響もす 卯の花の伴にや来しと 問はましものを  万1472 *ホトトギスが来てよく鳴いています。お前は卯の花と一緒に来たのか、と問いたくなります。  右は、神亀五年戊辰に、太宰帥大伴卿が妻大伴郎女、病に遇ひて長逝す。 その時に、勅使式部大輔石上朝臣堅魚を大宰府に遣はして、喪を弔ひ幷せて物を賜ふ。 その事すでに畢(をは)りて、駅使と府の諸卿大夫等と、共に記夷の城に登りて望遊する日に、すなはちこの歌を作る。  大宰府帥大伴卿が和ふる歌一首 橘の花散る里のほととぎす 片恋しつつ鳴く日しぞ多き  万1473 *橘の花が散る里で鳴いているホトトギスは、散った花に思いを寄せて鳴く日が多いのでしょう。 【似顔絵サロン】旅人(665-731)の同時代人。 石上 堅魚  いそのかみ の かつお ? - ? 奈良時代の貴族。728年、弔問使として旅人にお悔みを伝えた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集969-970番歌~アルケーを知りたい(1123)

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▼731年に旅人が奈良の家で自分の故郷である明日香古京を思って作った歌二首。この年に旅人は66歳で亡くなる。  三年辛羊(かのとひつじ)に、大納言大伴卿、寧楽(なら)の家に在りて、故郷を思ふ歌二首 しましくも行きて見てしか神なびの 淵はあせにて瀬にかなるらむ  万969 *ちょっとでも行ってみたいものだ。故郷にある神なびの川の淵は今は浅くなって瀬になっているのではなかろうか。 さすすみの栗栖の小野の萩の花 散らむ時にし行きて手向けむ  万970 *栗栖の小野の萩の花が散るころ合いには行って幣を捧げてお祈りしよう。 【似顔絵サロン】旅人(665-731)の同時代人。 弘文天皇  / 大友皇子 648 - 672  天智天皇の第一皇子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集965-968番歌~アルケーを知りたい(1122)

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▼今回の歌は別れの歌。「別れの易きことを嗟(なげ)き、その会ひの難きことを歎(なげ)く」、 「恨ムル所、別ルルコトハ易ク、会フコトハ難シ」の歌。 良き。  冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京に上る時に、娘子が作る歌二首 おほならばかもかもせむを畏みと 振りたき袖を忍びてあるかも  万965 *普通のお方でしたらあれこれできましょうが、貴方様は畏れ多い方ですから、お別れに振りたい袖も振らずに我慢しています。 大和道は雲隠りたりしかれども 我が振る袖をなめしと思ふな  万966 *大和への道はるか遠くに続いていきます。私が我慢できずに袖を振っても生意気だと思わないでください。  右は、大宰帥大伴卿、大納言を兼任し、京に向ひて道に上る。 この日に、馬を水城に駐めて、府家を顧み望む。 時に、卿を送る府吏の中に、遊行女婦あり、その字を児島といふ。 ここに、娘子、この別れの易きことを傷み、その会ひの難きことを嘆き、涕を拭ひて自ら袖を振る歌を吟ふ。  大納言大伴卿が和ふる歌二首 大和道の吉備の児島を過ぎて行かば 筑紫の児島思ほえむかも  万967 *大和道の吉備にある児島を通り過ぎる時、ここ筑紫の児島を思い出すことでしょうね。 ますらをと思へる我れや 水茎の水城の上に涙拭はむ  万968 *自分では自分のことをますらをと思っているのですが、水茎の水城の上で別れの涙を拭っていますよ。 【似顔絵サロン】旅人(665-731)の同時代人。 テウデリク3世  Theuderic III 654 - 691 37歳 メロヴィング朝の8代目の国王。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集960-962番歌~アルケーを知りたい(1121)

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▼最初の2首は、 旅人が 遠く離れた都や失った妻を思って詠んだ歌。 ▼続く1首は、良い馬を調達する役割の 大伴道足が大宰府にやってきたとき、旅人が饗応の席を設けた。そのとき 参加者たちに歌を詠むよう請われた 葛井連広成が、自分などにはとてもと遠慮する歌。歌で返しているのがいとをかし。  帥大伴卿、遥かに吉野の離宮を思ひて作る歌一首 隼人の瀬戸の巌も鮎走る 吉野の滝になほ及かずけり  万960 *隼人の瀬戸の大渦の激しい流れも、鮎が跳ねる吉野の滝にはなお及ばない。  帥大伴卿、次田の温泉に宿り、鶴の声を聞きて作る歌一首 湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく 妹に恋ふれや時わかず鳴く  万961 *湯の原で鳴いている葦鶴。私のように妻を恋しがって時を分かたず鳴いている。  天平二年庚午に、勅して 擢駿馬使(てきしゅんめし) 大伴道足宿禰を遣わす時の歌一首 奥山の岩に苔生し畏くも 問ひたまふかも思ひあへなくに  万962 *奥山の岩に苔が生しているように畏れ多く感じておりますのに、私めに歌を詠むよう仰せでしょうか、とても思いつきません。  右は、勅使大伴道足宿祢に帥の家にして響す。 この日に、会集ふ衆諸、駅使葛井連広成を相誘ひて、「歌詞を作るべし」といふ。 その時に、広成声に応へて、則ちこの歌を吟ふ。 【似顔絵サロン】 旅人(665-731)の同時代人。 道慈  どうじ ? - 744 奈良時代の僧。山上憶良と同じ時期に遣唐使に加わった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集957-959番歌~アルケーを知りたい(1120)

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▼今回の歌の舞台である香椎は福岡県東区にある博多からすぐの町。香椎の潟と歌われている場所は今の香椎海岸近辺と思ふ。  冬の十一月に、大宰の官人等、香椎の廟を拝みまつること訖りて、退り帰る時に、馬を香椎の浦に駐めて、おのおのも懐を述べて作る歌  帥大伴卿が歌一首 いざ子ども香椎の潟に白妙の 袖さへ濡れて朝菜摘みてむ *さあさあ皆さん、ここは香椎の潟ですから、白妙の袖を濡らしながら朝菜にする藻を摘みましょう。  大弐小野老朝臣が歌一首 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟 潮干の浦に玉藻刈りてな *潮が満ちるときに吹く風が出てきましたよ、さあさあ香椎潟の潮干の浦で藻を集めましょう。  豊前守宇努首男人が歌一首 行き帰り常に我が見し香椎潟 明日ゆ後には見むよしもなし *仕事の往復でいつも見ていた香椎潟ですが、異動になりましたので明日以降はもう見られません。 【似顔絵サロン】旅人(665-731)の同時代人。 元明天皇  げんめいてんのう 661 - 721 60歳。第43代天皇。文武天皇の母親。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集955-956番歌~アルケーを知りたい(1119)

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▼大宰府勤務の同僚が「先輩、都をなつかしんでおられるでしょう」と言ったのに対し、旅人は「大和もここも同じとぞ思ふ」と返したやりとり。 ▼旅人の答えは、私人としての心情より官人としての心がけを面に出しているように思ふ。  太宰少弐石川朝臣足人が歌一首 さす竹の大宮人の家と住む 佐保の山をば思ふやも君  万955 *都の大宮人が家にして住んでおられる佐保の山を貴方様はなつかしく思っていらっしゃることでしょう。  帥大伴卿が和ふる歌一首 やすみしし我が大君の食(を)す国は 大和もここも同じとぞ思ふ  万956 *我らが大君が支配する国ですから、大和も筑紫も同じと思っておりますよ。 【似顔絵サロン】 旅人(665-731)の同時代人。 道鏡  700 - 772 72歳。奈良時代の僧侶。平将門、足利尊氏とともに日本三悪人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集880-882番歌~アルケーを知りたい(1118)

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▼旅人の松浦作用姫の歌を見て、憶良が旅人に贈った歌。自分も都に帰りたいよおという気持ちが伝わる。ダイレクトに 「 奈良の都に召上げたまはね 」とはっきり伝えている。  敢へて私懐を布ぶる歌三首 天離る鄙に五年住まひつつ 都のてぶり忘らえにけり  万880 *都からはるかに離れたこの田舎に住んでもう5年、都のライフスタイルを忘れてしまっております。 かくのみや息づき居らむあらたまの 来経行く年の限り知らずて  万881 *私はこんなふうにため息をつきながら何年こうしているのか分からないまま過ごしていくのでしょうか。 我が主の御霊賜ひて春さらば 奈良の都に召上げたまはね  万882 *わがご主人様のお恵みを賜り 、春になったら奈良の都にお呼びくださいませ。  天平二年十二月六日 筑前国司山上憶良 謹上 【似顔絵サロン】 旅人(665-731)の同時代人。 文室 浄三  ふんや の きよみ 693 - 770 77歳。天武天皇の孫。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA