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万葉集巻第三270‐275、277番歌(旅にしてもの恋しきに)~アルケーを知りたい(1276)

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▼今回は、 高市黒人 が 旅の途中で見た風物の和歌スケッチ8点。キーワードは、港、船、鶴、山、日暮れ、紅葉。色は船の赤、鶴の白、海の青、山の緑、夕暮れの橙などなど。     高市連黒人 が羇旅の歌八首 旅にしてもの恋しきに山下の 赤のその船沖に漕ぐ見ゆ  万270 *旅の途中、もの恋しい気持ちになっていたら、山の下にいた赤塗の船が沖を漕ぎ進んでいるのが見えた。 桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟 潮干にけらし鶴鳴き渡る  万271 *桜田に向かって鶴が鳴きながら渡っていく。年魚市潟の潮が引いているらしい。鶴が鳴きながら飛んでいる。 四極山うち越え見れば笠縫ひの 島漕ぎ隠る棚なし小舟  万272 *四極山を越えて風景を眺めると、進んでいた棚なしの小舟が笠縫の島で見えなくなった。 磯の崎漕ぎ廻み行けば近江の海 八十の港に鶴さはに鳴く   未詳  万273 *磯の崎を漕ぎ進むとそのは近江の海。たくさんの河口で鶴が鳴いている。 我が舟は比良の港に漕ぎ泊てむ 沖へな離りさ夜更けにけり  万274 *私の舟は比良の港に停泊する。陸からあまり離れないでね。夜も更けたし。 いづくにか我が宿りせむ高島の 勝野の原にこの日暮れなば  万275 *さてどこに宿を取ろうか。高島の勝野の原も夕暮れて来たことだし。 早来ても見てましものを山背の 多賀の槻群散りにけるかも  万277 *もっと早く見たかったなあ。山背の多賀の紅葉が散ってしまっている。 【似顔絵サロン】 高市 黒人  たけち の くろひと ? - ? 持統・文武朝の官人・歌人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三263、265、267番歌(馬ないたく打ちそな)~アルケーを知りたい(1275)

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▼263番は、分かりにくい言い回しが特徴の歌。最初は、は?、と思う。言いたいのは、志賀の風景はじっくり時間をかけて見たいので、馬を急がせる必要はない、だろう。でもストレートにそう言うより「日ならべて見ても我が行く志賀にあらなくに」と表現したほうが注意を引く。後の265番と267番は、とても分かりやすい。  近江の国より上り来る時に、 刑部垂麻呂 が作る歌一首 馬ないたく打ちそな行きそ日ならべて見ても 我が行く志賀にあらなくに  万263 *馬に鞭してそんなに急がせなくてよろしい。ここ 志賀 の風景は何日もかけて見たいほどだから。  長忌意吉麻呂が歌一首 苦しくも降り来る雨か三輪の崎 狭野の渡りに家もあらなくに  万265 *タイミングの悪いときに降る雨だね。三輪崎、狭野の渡し場には 雨宿りできる家もないというのに。  志貴皇子の御歌一首 むささびは木末求むとあしひきの 山さつ男にあひにけるかも  万267 *ムササビが梢に行こうとしたら狩人と出くわしてしまった。 【似顔絵サロン】 刑部 垂麻呂  おさかべ の たりまろ ? - ?  飛鳥時代の人物。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三257‐260番歌(楫棹もなくてさぶしも)~アルケーを知りたい(1274)

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▼高市皇子が逝去した後、香具山の宮が荒れている様子を 鴨君足人 が詠った歌。「 遊ぶ船には  楫棹もなくてさぶしも  漕ぐ人なしに 」。   鴨君足人 が香具山の歌一首  幷せて短歌 天降りつく 天の香具山  霞立つ 春に至れば  松風に 池波立ちて  桜花 木の暗茂に  沖辺には 鴨妻呼ばひ  辺つ辺に あぢ群騒き  ももしきの 大宮人の  退り出て 遊ぶ船には  楫棹も なくてさぶしも  漕ぐ人なしに  万257 *華やいだ時期には大宮人が船遊びしていたものだ。しかし、今や楫や棹もなくて寂しい。船を漕ぐ人もいない。  反歌二首 人漕かずあらくもしるし潜きする 鴛鴦とたかべと船の上に棲む  万258 *人々が船を使わなくなったのは明らかだ。オシドリと鴨が船の上に棲んでいるから。 いつの間も神さびけるか香具山の 桙杉の本にて苔生すまでに  万259 *いつの間にこれほど神さびたのだろうか。香具山の杉の根本には苔が生している。  或本の歌に曰はく 天降りつく 神の香具山  うち靡く 春さり来れば  桜花 木の暗茂に  松風に 池波立ち  辺つ辺には あぢ群騒ぎ  沖辺には 鴨妻呼ばひ  ももしきの 大宮人の  退り出て 漕ぎける船は  棹楫も なくてさぶしも  漕がむと思へど  万260  右は、今案ふるに、寧楽に遷都したる後に、旧を怜びてこの歌を作るか。 【似顔絵サロン】 鴨君足人  かものきみのたりひと ? - ? 藤原宮の大極殿にの祭祀氏。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三245‐248番歌(まこと尊くくすしくも)~アルケーを知りたい(1273)

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▼ 長田王が九州に出張に出て、熊本の八代 市や 鹿児島の阿久根市の海や島を見たときの歌。245番のタイトルには「水島に渡る」とあるけれどGoogleマップで見ると今は陸地と一体になっている模様。海を臨んで 水島龍神社がある。   長田王 、筑紫に遣はさえて、水島に渡る時の歌二首 聞きしごとまこと尊くくすしくも 神さびをるかこれの水島  万245 *聞いていたとおり誠に尊く不思議なほどに神々しい。この水島は。 葦北の野坂の浦ゆ船出して 水島に行かむ波立つなゆめ  万246 *葦北の野坂の浦から船を出して水島に参りましょう。波よ、立ってくれるな!  石川大夫が和ふる歌一首 名は欠けたり 沖つ波辺波立つとも我が背子が 御船の泊り波立ためやも  万247 *沖の波や浜辺の波が立とうとも、わが主人の御船が泊まるところに波は立ちません。  右は、今案ふるに、従四位下石川宮麻呂朝臣、慶雲の年の中に大弐に任けらゆ。 また、正五位下 石川朝臣君子 、神亀の年の中に少弐に任けらゆ。 両人のいづれがこの歌を作るかを知らず。  また、長田王が作る歌一首 隼人の薩摩の瀬戸を雲居なす 遠くも我れは今日見つるかも  万248 *隼人がいる薩摩の瀬戸を今日見るたぞ。はるかに遠い所だけれども。 【似顔絵サロン】 長田王  ながたおう ? - 737年 奈良時代の皇族 ・歌人 。聖武朝初期の風流侍従のひとり。 石川 宮麻呂  いしかわ の みやまろ 655年 - 713年 飛鳥時代~奈良時代の公卿。 石川 君子  いしかわ の きみこ 700年? - 750年? 奈良時代の貴族・歌人。聖武天皇に仕えた風流侍従のひとり。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三242‐244番歌(三船の山に居る雲の)~アルケーを知りたい(1272)

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▼679年、吉野の誓い。皇位継承の序列が草壁皇子、大津皇子、高市皇子となる。 ▼ 686年、天武天皇 逝去 、大津皇子 逝去 。689年、草壁皇子逝去。696年、高市皇子逝去。 持統天皇が群臣を集め次の皇太子を誰にするべきか議論の場を設ける。ここで発言しようとした弓削皇子を葛野王が抑え、 持統天皇の孫である軽皇子を推挙。これで決着し、 軽皇子は文武天皇となり、持統天皇は後見を務める 太上天皇になる。   弓削皇子 、吉野に遊す時の御歌一首 滝の上の三船の山に居る雲の 常にあらむと我が思はなくに  万242 *御船山の上に出ている雲が常にそのようにあると、私は思っているわけではない。  春日王が和へ奉る歌一首 大君は千年に座さむ白雲も 三船の山に絶ゆる日あらめや  万243 *大君はこれからも長く長くそのようにあることでしょう。白雲が三船山に絶える日がないように。  或る本の歌一首 み吉野の三船の山に立つ雲の 常にあらむと我が思はなくに  万244 *吉野の三船山にかかる雲のように自分がいつまでも変わらないと思っているわけではない。  右の一首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 【似顔絵サロン】 弓削皇子  ゆげのみこ 673年 - 699年 天武天皇の皇子の一人。高市皇子薨去後の皇嗣選定会議で発言しようとして 葛野王 に叱責され口を閉じる。 葛野王  かどののおう 669年 - 706年 弘文天皇(大友皇子)の第一皇子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第二230‐234番歌(なにしかも もとなとぶらふ)~アルケーを知りたい(1271)

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▼万葉集の 第二巻は 志貴親王 の挽歌230‐ 234番で閉じる。 志貴親王は879年の吉野の誓いに参加した6名の皇子のひとり。歌の作者は 笠金村。  霊亀元年歳次乙卯の秋の九月に、 志貴親王 の薨ぜし時に作る歌一首  幷せて短歌 梓弓 手に取り持ちて  ますらをの さつ矢手挟み  立ち向かふ 高円山に  春野焼く 野火と見るまで  燃ゆる火を 何かと問へば  玉桙の 道来る人の  泣く涙 こさめに降れば  白栲の 衣ひづちて  立ち留まり 我れに語らく  なにしかも もとなとぶらふ   聞けば 哭のみし泣かゆ  語れば 心ぞ痛き  天皇の 神の御子の  いでましの 手火の光りぞ  ここだ照りてある 万230 *どうして「何の火か」などとお尋ねになるのですか、私たちは志貴親王がお亡くなりになった悲しみで涙にくれながら松明に火をともしているのです。  短歌二首 高円の野辺の秋萩いたづらに 吹きか散るらむ見る人なしに  万231 *高円の野の秋萩が風が吹くたびにいたづらに散っている。見る人もないというのに。 御笠山野辺行く道はこきだくも 茂り荒れたるか久にあらなくに  万232 *御笠山の野辺に行く道はなぜこんなに雑草が生えて荒れ果てているのか。志貴親王が亡くなってそれほど年月が経ったわけでもないのに。  右の歌は、笠朝臣金村が歌集に出づ。  或る本の歌に曰はく 高円の野辺の秋萩な散りそね 君が形見に見つつ偲はむ  万233 *高円の野辺の秋萩よ、散らないで欲しい。志貴親王の形見として偲びたいから。 御笠山野辺ゆ行く道こきだくも 荒れにけるかも久にあらなくに  万234 *御笠山の野辺の道はこれほどまでに荒れてしまった。志貴親王が亡くなってそれほど年月が経ったわけでもないのに。 【似顔絵サロン】 志貴皇子  しきのみこ 668年 - 716年 天智天皇の第7皇子。吉野の盟約に参加。光仁天皇の父親。皇位と無縁の文化人。今日の皇室は、志貴皇子の男系子孫。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=2

万葉集巻第二163‐164番歌(神風の伊勢の国にもあらましを)~アルケーを知りたい(1270)

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▼679年の吉野の誓いに参加したときの大津皇子は16歳。草壁皇子( 17歳 )に次ぐ順位。681年に草壁皇子は皇太子。 683年、20歳になった 大津皇子は朝廷で 政治に参加。 686年、9月に天武天皇が崩御、10月に大津皇子は謀反を疑われ自宅で自害。163-164番歌はその直後、大津皇子の姉の 大伯皇女が詠った歌。  藤原宮に天の下知らしめす天皇の代  高天原広野姫天皇、天皇の元年丁亥の十一年に、位を軽皇子に譲り、尊号を太上天皇といふ   大津皇子 の薨ぜし後に、大伯皇女、伊勢の斎宮より京に上る時に作らす歌二首 神風の伊勢の国にもあらましを 何しか来けむ君もあらなくに  万163 *神風が吹く伊勢の国にいたほうが良かったのに、私はここに何しに来たのだろう、弟の皇子はいなくなったというのに。 見まく欲り我がする君もあらなくに 何しか来けむ馬疲るるに  万164 *顔を見たいと思っていた弟の皇子はこの世にいないというのに、私は何をしに来たのだろう、ただ馬が疲れただけというのに。 【似顔絵サロン】 大津皇子  おおつのみこ 663年 - 686年 天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。異母兄が草壁皇子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=2