投稿

万葉集巻第十七3983-3984番歌(あしひきの山も近きを)~アルケーを知りたい(1510)

イメージ
▼立夏になってもホトトギスの鳴き声が聞こえないので、なぜ来ないのかと家持がホトトギスに呼びかける3983番。当然、ホトトギスから返事がないので、家持がひとり言で理由を推察する3984番。こういう家持も面白い。  立夏四月、すでに累日を経ぬるに、なほし霍公鳥の鳴くを聞かず。 よりて作る恨みの歌二首 あしひきの山も近きをほととぎす 月立つまでに何か来鳴かぬ  万3983 *ここは山が近いのにホトトギスよ、立夏四月を過ぎたというのになぜ来て鳴かないのだ? 玉に貫く花橘をともしみし この我が里に来鳴かずあるらし  万3984  霍公鳥は、立夏の日に、来鳴くこと必定なり。 また、越中の風土は、橙橘のあること希なり。 これによりて、大伴宿禰家持、懐に感発して、いささかにこの歌を裁る。 三月の二十九日 *花橘が少ないという理由で、私の里には来て鳴かないらしい。 【似顔絵サロン】『梨壺の五人』を集めて万葉集編纂を命じた:村上天皇 むらかみてんのう 926 - 967 第62代天皇。醍醐天皇の第十四皇子。平安文化を開花させた天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3976-3977番歌(咲けりとも知らずしあらば)~アルケーを知りたい(1509)

イメージ
▼前回の池主から家持に贈った3974番と3975番に応えて、家持が詠い贈った短歌二首。短歌より多い文字数のイントロと漢詩がついている。「 古人は言に酬いずといふことなし」が良い。だから「いささかに拙詠を栽り、敬みて解笑に擬ふらく」。そして短歌に出て来る山吹と葦垣が池主の歌に呼応する。よき。  昨暮の来使は、幸しくも晩春遊覧の詩を垂れたまひ、今朝の累信は、辱くも相招望野の歌をたまふ。 一たび玉藻を看るに、やくやくに鬱結を写き、二たび秀句を吟ふに、すでに愁緒をのぞく。 この眺翫にあらずは、孰れか能く心を暢べむ。 ただし下僕、稟性彫ること難く、闇神螢こと靡し。 翰を握りて毫を腐し、研に対ひて渇くことを忘る。 終日目流すとも、これを綴ること能はず。 謂ふならく、文章は天骨にして、これを習ふこと得ずと。 あに字を探り韻を勒して、雅篇に叶和するに堪へめや。 はた、鄙里の少児に聞えむ。 古人は言に酬いずといふことなし。 いささかに拙詠を栽り、敬みて解笑に擬ふらくのみ。 <今し、言を賦し韻を勒し、この雅作の篇に同ず。 あに石をもちて瓊に問ふるに殊ならめや。 声に唱へて走が曲に遊ぶといふか。 はた、小児の、濫りに謡ふがごとし。 敬みて葉端に写し、もちて乱に擬へて曰はく、>  七言一首 抄春の余日媚景麗しく、 初巳の和風払ひておのづからに軽し。 来燕は蘆を引きとほく瀛に赴く。 聞くならく君は侶に嘯き流曲を新たにし、 禊飲に爵を促して河清にうかぶと。 良きこの宴を追ひ尋ねまく欲りすれど、 なほし知る懊に染みて脚跉䟓することを。 *春の宴に参加したいのですが、病のために脚もふらふらなので・・・。    短歌二首 咲けりとも知らずしあらば黙もあらむ この山吹を見せつつもとな  万3976 *咲いたことを知らなければ平静でおれたのに、この山吹を目にしたら、そうは言ってられません。 葦垣の外にも君が寄り立たし 恋ひけれこそば夢に見えけれ  万3977  三月の五日に、大伴宿禰家持病に臥して作る。 *葦の垣根の外に貴方様が寄り掛かって立っておられる。お目にかかりたいと思っていたから夢でお姿を見られたのですね。 【似顔絵サロン】『万葉集』継承に貢献した『梨壺の五人』のひとり: 紀 時文  き の ときぶみ 922 - 996 平安時代中期の貴族・歌人。紀貫之の子。能書家。梨壺の五人に入れたのは「親の...

万葉集巻第十七3974-3975番歌(山吹は日に日に咲きぬ)~アルケーを知りたい(1508)

イメージ
▼今回は長歌3973番の後に続く短歌二首。長歌の意を濃縮する内容。3974番の「しくしく思ほゆ」は機会を見つけて使いたくなる。3975番では家から出て、さらに垣根の外に出ている。じっとしていられない気持ちが伝わる。 山吹は日に日に咲きぬうるはしと 我が思ふ君はしくしく思ほゆ  万3974 *山吹が日に日に咲き揃っています。敬愛する貴方様のことをしきりに思っております。 我が背子に恋ひすべながり葦垣の 外に嘆かふ我れし悲しも  万3975  三月の五日、大伴宿禰池主 *貴方様におめにかかりたい一心で葦の垣根の外に出て、悲しい気持ちでため息をついています。 【似顔絵サロン】『万葉集』継承に貢献した『梨壺の五人』のひとり: 坂上 望城  さかのうえ の もちき ? - 980 平安時代中期の貴族・歌人。坂上是則の子。梨壺の五人に入れたのは「親の七光り」と言われた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3973番歌(心ぐしいざ見にいかな)~アルケーを知りたい(1507)

イメージ
▼家持と池主の和歌の贈答の続き。今回は、池主から家持への長歌。ちょっと長めのイントロつき。二行目に死罪死罪と、ちょっとドキッとする言葉がある。これは、ご無礼申し上げて死罪に相当する、という意味で、今だと、すまんすまん、くらいの調子。文中の「 山柿の歌泉は、これに比ぶれば蔑きがごとく 」を見た家持はにんまりしたに違いない。長歌の結びに出てくる「ことはなたゆひ」は指切りげんまんの意味。  昨日短懐を述べ、今朝耳目を汗す。 さらに賜書を承り、また不次を奉る。死罪死罪。 下賤を遺れず、頻りに徳音を恵みたまふ。 英霊星気あり、逸調人に過ぐ。 智水仁山、すでに琳瑯の光彩をつつみ、潘江陸海、おのづからに詩書の廊廟に坐す。 思を非常に騁せ、情を有理に託す。 七歩にして章を成し、数篇紙に満つ。 巧く愁人の重患を遣り、能く恋者の積思を除く。 山柿の歌泉は、これに比ぶれば蔑きがごとく、彫竜の筆海は、燦然として看ること得たり。 まさに知りぬ、僕が幸あることを。 敬みて和ふる歌、その詞に云はく、 大君の 命畏み あしひきの 山野さはらず 天離る 鄙も治むる ますらをや なにか物思ふ あをによし 奈良道来通ふ 玉梓の 使絶えめや 隠り恋ひ 息づきわたり 下思ひ 嘆かふ我が背 いにしへゆ 言ひ継ぎくらし 世間は 数なきものぞ 慰むる こともあらむと 里人の 我れに告ぐらく 山びには 桜花散り かほ鳥の 間なくしば鳴く 春の野に すみれを摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘子らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋すなり 心ぐし いざ見にいかな ことはたなゆひ *大君のミッションを立派に遂行なさっている貴方様が物思いして嘆いておられる。昔からこの世は定めなきものと言われてきました。里人が言うには、山には春が訪れていると。桜が咲き、鳥が鳴いていると。娘子たちも貴方様のお出ましを待ち焦がれています。一緒に参りましょう。 ことはたなゆひ=事は・たな(しっかりと)結ひ(約束)~ゆびきりげんまん。 【似顔絵サロン】『万葉集』継承に貢献した『梨壺の五人』のひとり: 清原 元輔  きよはら の もとすけ 908 - 990 平安時代中期の貴族・歌人。契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは(百人一首42) 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-h...

万葉集巻第十七3970-3972番歌(出で立たむ力をなみと)~アルケーを知りたい(1506)

イメージ
▼前回の3696番の長歌に幷せた短歌3首。それぞれ、山桜を一緒に見られたらどんなに嬉しいか、ウグイスの鳴き声を聞ける貴方様が羨ましい、自分は外に出る気力が湧かず貴方様に会いたいと思うばかりで心もとなし、と詠う。こういう歌を詠んで贈る友達を持つ家持がうらやましい。 あしひきの山桜花一目だに 君とし見れば我れ恋ひめやも  万3970 *山桜を一目で良いから貴方様と共に眺められればどんなに嬉しいかと思います。 山吹の茂み飛び潜くうぐひすの 声を聞くらむ君は羨しも  万3971 *山吹の茂みを飛び回るウグイスの声を聞ける貴方様が羨ましくてなりません。 出で立たむ力をなみと隠り居て 君に恋ふるに心どもなし  万3972  三月の三日、大伴宿禰家持 *外に出かける気力が湧かず家に引きこもって貴方様を思っているばかりで心もとない気がします。 【似顔絵サロン】『万葉集』継承に貢献した『梨壺の五人』のひとり: 源 順  みなもと の したごう 911 - 983 平安時代中期の貴族・歌人・学者。三十六歌仙の一人。 夕さればいとどわびしき大井川 かがり火なれや消えかへりもゆ (順集) 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3969番歌(この夜すがらに寐も寝ずに)~アルケーを知りたい(1505)

イメージ
▼体調不良の家持と池主のやりとりの続き。今回は、家持が贈った長歌。漢詩文調の イントロに、山柿の門、という言葉がある。柿本人麻呂、 山部赤人、山上憶良らの名前から一文字とって和歌の手本の方々としている。家持の時からもう山柿の門という表現で先達を敬っていた。 長歌は床に伏した身の家持の思いを綴った内容。「ここに思ひ出」「そこに思ひ出」とか「嘆くそら」「思ふそら」など対比の妙が良き。最後は、貴方様のご配慮がありがたく、一晩中お目にかかりたいと思い続けております、と結ぶ。この長歌の後に短歌が三つ続く。それは次回。  さらに贈る歌一首 含弘の徳は、恩を蓬体に垂れ、不貲の思は、慰を陋心に報ふ。 来眷を載荷し、喩ふるところに堪ふるものなし。 但以、稚き時に遊芸の庭に渉らずして、横翰の藻、おのづからに彫虫に乏し。 幼き年に山柿の門に逕らずして、裁歌の趣、詞を聚林に失ふ。 ここに、藤をもちて錦に続く言を辱みし、さらに石をもちて瓊に間ふる詠を題す。 もとよりこれ俗愚にして癖を懐き、黙してやむこと能はず。 よりて、数行を捧げ、もちて嗤笑に酬いむ。その詞に曰はく、 大君の 任けのまにまに 世間の しなざかる 越を治めに 出でて来し ますら我すら 世間の 常しなければ うち靡き 床に臥い伏し 痛けくの 日に異に増せば 悲しけく ここに思ひ出 いらなけく そこに思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山さへなりて 玉桙の 道の遠けば 間使も 遣るよしもなみ 思ほしき 言も通はず たまきはる 命惜しけど せむすべの たどきを知らに 隠り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折りかざさず 春の野の 茂み飛び潜く うぐひすの 声だに聞かず 娘子らが 春菜摘ますと 紅の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣りつれ 偲はせる 君が心を うるはしみ この夜すがらに 寐も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居る  万3969 *一晩中寝るに寝られず、昼になってもずっと貴方様にお目にかかりたいと思い続けております。 【似顔絵サロン】『万葉集』継承に貢献した『梨壺の五人』のひとり:大中臣 能宣 おおなかとみ の よしのぶ 921 - 991 平安時代中期の貴族・歌人。百人一首49:みかきもり衛士のたく火の夜は燃...

万葉集巻第十七3967-3968番歌(うぐひすの来鳴く山吹)~アルケーを知りたい(1504)

イメージ
▼今回は家持からの悲歌二首に対して、 池主が返信した歌二首。 格調高い漢詩文の体裁のイントロがつき。こういう文章を書ける人、すごい。「淡交に席を促け、意を得て言を忘る。楽しきかも美しきかも。」というフレーズはいつか真似してみたい。家持が送信した日は二月二十九日、池主の返信が三月二日。このやりとりの時間のリズムも良い。 たちまちに芳音を辱みし、翰苑雲を凌ぐ。 兼に倭詩を垂れ、詞林錦を舒ぶ。 もちて吟じもちて詠じ、能く恋緒をのぞく。 春は楽しぶべく、暮春の風景もとも怜れぶべし。 紅桃灼々、戯蝶は花を廻りて舞ひ、翠柳依々、嬌鶯は葉に隠れて歌ふ。 楽しぶべきかも。 淡交に席を促け、意を得て言を忘る。 楽しきかも美しきかも。 幽襟賞づるに足れり。 あに慮らめや、蘭けい、叢を隔て、琴そん用ゐるところなからむとは。 空しく令節を過ぐさば、物色人を軽みせむかとは。 怨むるところここにあり、黙してやむこと能はず。 俗の語に云はく、藤をもちて錦に続ぐといふ。 いささかに談笑に擬ふらくのみ。 山狭に咲ける桜をただ一目 君に見せてば何をか思はむ  万3967 *山間に咲いている桜を一目で良いから貴方様に見てもらいたい。そしたら何の心残りがあるでしょう。 うぐひすの来鳴く山吹うたがたも 君が手触れず花散らめやも  万3968  沽洗の二日、掾大伴宿禰池主。 *ウグイスがやってきて鳴いています。貴方様が手を触れてもないのに、山吹の花が散ることはないでしょう。 【似顔絵サロン】 大伴家持(718-785)と同時代の人びと: 橘 諸兄  たちばな の もろえ 684 - 757 奈良時代の皇族・公卿。吉備真備と玄昉が政治を補佐。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17