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万葉集巻第十八4098-4100番歌(いにしへを思ほすらしも)~アルケーを知りたい(1542)

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▼長歌には対句的な言い回しがあって面白い。今回の歌では例えば「 畏くも・・・、 貴くも・・・」とか「この川の・・・、この山の・・・」。言いたいことを二方向で言うと、立体感が出る。これ、使える機会があったら使ってみようと思ふ。・・・さっそくやってみた。「和の心探すすべ いかにせむ 今日の日の 終わるまで 明日の日の 始まるまで いや次々に 仕へまつらむ」。意味わからんけど和歌風になるわー。  吉野の離宮に幸行す時のために、儲けて作る歌一首  幷せて短歌 高御座 天の日継と 天の下 知らしめしける すめろきの 神の命の 畏くも 始めたまひて 貴くも 定めためへる み吉野の この大宮に あり通ひ 見したまふらし もののふの 八十伴の男も おのが負へる おの名負ふ負ふ 大君の 任けのまにまに この川の 絶ゆることなく この山の いや継ぎ継ぎに かくしこそ 仕へまつらめ いや遠長に  万4098 *川のように絶えることなく山のように連なって末永く家名を背負って大君にお仕えするのだ。  反歌 いにしへを思ほすらしも我が大君 吉野の宮をあり通ひ見す  万4099 *昔のことに思いを馳せるのでしょう、我が大君が吉野の宮にお通いになるのは。 もののふの八十氏人も吉野川 絶ゆることなく仕へつつ見む  万4100 *大勢のもののふは吉野川のように絶えることなく大君にお仕えして拝見するのです。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 船王  ふねおう ? - ? 奈良時代の皇族。舎人親王の子。757年、橘奈良麻呂の乱では、百済王敬福とともに謀反に加担した者に対する拷問を担当。 なでしこが花取り持ちてうつらうつら見まくの欲しき君にもあるかも  万4449 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4093-4097番歌(ますらをの心思ほゆ)~アルケーを知りたい(1541)

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▼今回は朝廷の財政が苦しいときに 陸奥小田郡で金を掘り当てた 誠に目出度い話の歌。それが4097番。黄金の国だなと思わせてくれる歌。 4094番の長歌を最後に置いたり、似顔絵を前にもってきたりして見にくくなったのはご容赦。いつものように似顔絵を最後に置くと、サムネイルに反映されたかったための苦し紛れの事情。  英遠の浦に行く日に作る歌一首 英遠の浦に寄する白波いや増しに 立ちしき寄せ来東風をいたみかも  万4093  右の一首は、大伴宿禰家持作る。 *英遠の浦に寄せる白波がだんだん勢いが増している。これは東風が激しいからでしょうか。  (4094番の長歌の後に来る)反歌三首 ますらをの心思ほゆ大君の 御言の幸を  一には「の」といふ  聞けば貴み  一には「貴くしあれば」といふ  万4095 *ますらをの心が沸き立つ思いがする。大君のお言葉のありがたさ。聞くと貴くてならない。 大伴の遠つ神祖の奥城は しるく標立て人の知るべく  万4096 *大伴の先祖の奥城には、人が分かるように標識を立てましょう。 天皇の御代栄えむと東なる 陸奥山に金花咲く  万4097  天平感宝元年の五月の十二日に、越中の国の守が館にして大伴宿禰家持作る。 *天皇の御代が栄えますようにと東国の陸奥山に金の花が咲きました。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 百済王 敬福  くだらのこにきし きょうふく 698文武天皇元年 - 766天平神護2年8月8日 奈良時代の公卿。橘奈良麻呂の乱や藤原仲麻呂の乱で功績。749年、陸奥小田郡で産出した黄金900両を朝廷に貢上。大伴家持は「 すめろぎの御世栄えんと東なる みちのく山に黄金花咲く  万4097」と詠った。757年、橘奈良麻呂の乱では反乱者の勾留、警備、拷問を担当。  陸奥の国に金を出だす詔書を賀く歌一首  幷せて短歌 葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と 知らし來る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る 御調宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも 確けくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の  小田にある山に 金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相う...

万葉集巻第十八4089-4092番歌(ほととぎすいとねたけくは)~アルケーを知りたい(1540)

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▼和歌によく出て来るホトトギス。ホトトギスの鳴き声は何かの象徴か、何かを託しているのか、最近とんと聞いてないなあ、そもそも聞いたことがあったのか自分、と思ふ。それだけ鳥の鳴き声に無頓着だったと自覚する。  独り幄の裏に居り、遥かに霍公鳥の喧くを聞きて作る歌一首  幷せて短歌 高御座 天の日継と すめろきの 神の命の きこしをす 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥の 来居て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別れて偲はむ 卯の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす あやめぐさ 玉貫くまでに 昼暮らし 夜わたし聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし *四月から五月にかけて鳴くホトトギスの趣深いことといったらありません。  反歌 ゆくへなくありわたるともほととぎす 鳴きし渡らばかくや偲はむ  万4090 *考えがまとまらないときでも、ホトトギスが鳴き渡るのを聞くと、趣深いと思うことでしょう。 卯の花のともにし鳴けば橘の花散る時に いやめづらしも名告り鳴くなへ  万4091 *卯の花と共に鳴きはじめ、橘の花の散る時にも名乗って鳴くホトトギスよ。 ほととぎすいとねたけくは橘の 花散る時に来鳴き響むる  万4092  右の四首は、十日に大伴宿禰家持作る。 *ホトトギスが小憎らしいのは、橘の花が散る時に来て鳴き声を響かせるからです。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 藤原 永手  ふじわら の ながて 714 - 771 奈良時代の公卿。757年、乱の発覚後、小野東人、答本忠節らを拷問にかけ謀反を自白させた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4085-4088番歌(焼大刀を礪波の関に)~アルケーを知りたい(1539)

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▼今回は、家持と客人の歌がいくつか。4085番は僧平栄に贈った「焼太刀」で始まるインパクトのある歌。贈られた平栄は嬉しかっただろうけど、返しの歌を作るのに難儀したに違いない。返歌が載ってない(笑)。続く4086番からの三首は三人が顔を合わせた風流な会で詠まれた歌。「 主人、百合の花縵三枚を造りて、豆器に畳ね置き、賓客に捧げ贈る」という演出が心憎し。  天平感宝元年の五月の五日に、東大寺の占墾地使の僧 平栄 等に饗す。 時に、守大伴宿禰家持、酒を僧に送る歌一首 焼大刀を礪波の関に明日よりは 守部遣り添へ君を留めむ  万4085 *焼き鍛えた太刀を研ぐという礪波 (となみ) の関所に明日から番人を増やして貴方様が帰らないようお引き留めしましょう。  同じき月の九日に、諸僚、少目秦 伊美吉石竹 が館に会ひて飲宴す。 時に、主人、百合の花縵三枚を造りて、豆器に畳ね置き、賓客に捧げ贈る。 おのおのもこの縵を賦して作る三首 油火の光りに見ゆる我がかづら さ百合の花の笑まはしきかも  万4086  右の一首は守大伴宿禰家持。 *灯火の明かりで見える我らの花縵 小さい百合の花の微笑ましいことといったらありません。 燈火の光りに見ゆるさ百合花 ゆりも逢はむと思ひそめて  万4087  右の一首は介 内蔵伊美吉繩麻呂 。 *灯火の明かりで見える小百合の花、後になっても逢いたいと思い始めました。 さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ 今のまさかもうるはしみすれ  万4088  右の一首は大伴宿禰家持和ふ。 *小百合の花に後になっても逢いたいと思うからこそ、この今も親しんでおります。 【似顔絵サロン】 平栄  へいえい ? - ? 奈良時代の僧。 東大寺の役僧。749年、東大寺占墾地使として越中(富山県)へ出張、家持に接待を受けた。 秦 伊美吉石竹  はた の いみきいはたけ ? - ? 奈良時代の役人。749年、館で飲宴を開き、百合の花縵三枚を造り、豆器に畳ね置いて、賓客に捧げ贈った。 内蔵 縄麻呂  くら の なわまろ/つなまろ ? - ? 奈良時代後期の官人。 我が背子が国へましなばほととぎす 鳴かむ五月は寂しけむかも  万3996 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls...

万葉集巻第十八4080-4084番歌(暁に名告り鳴くなる)~アルケーを知りたい(1538)

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▼奈良の都にいる叔母の坂上郎女と越中にいる家持のやりとり。顔を見たいという思いの伝え方が上手い。  姑大伴氏坂上郎女、越中の守大伴宿禰家持に来贈する歌二首 常人の恋ふといふよりはあまりにて 我れは死ぬべくなりにたらずや  万4080 *「常の人」がいう恋しさ以上に、私は死にそうなくらい恋しいのですよ。 片思ひを馬にふつまに負はせ持て 越辺に遣らば人かたはむかも  万4081 *この私の思いの重荷を馬に載せて越中に送り届けたら (笑) 、誰が担いでくれるでしょうね。  越中の守大伴宿禰家持、報ふる歌幷せて所心三首 天離る鄙の都に天人しかく 恋すらば生ける験あり  万4082 *本物の都にいる「天の人」が 田舎の都にいる私に、 恋しいと仰ってくださるので、生きる甲斐もあるというものです。 常の恋いまだやまぬに都より 馬に恋来ば担ひあへむかも  万4083 *ふだんの恋しい気持ちの上に都から馬で恋しい気持ちが運ばれてきましたら、とても担ぎ切れるものではありますまい (笑) 。  別に所心一首 暁に名告り鳴くなるほととぎす いやめづらしく思ほゆるかも  万4084  右は、四日に使い付して京師に贈り上す。 *暁に私に言葉を贈ってくれるホトトギス。ますます懐かしく思えます。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 上道 斐太都  かみつみち の ひたつ ? - 767 奈良時代の貴族。757年、藤原仲麻呂を殺害する計画への参加を小野東人から勧められたので、藤原仲麻呂に知らせた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4076-4079番歌(あしひきの山はなくもが)~アルケーを知りたい(1537)

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▼池主からの和歌に応える家持の返信。箇条書き的なスタイルを揃えている。違うのは、それぞれのタイトルは池持ちが漢文ふうだったのに対して家持は和文にしているところ。池持ちの三首に応えながら、一首追加しているのも良い。  越中の国の守大伴家持、報へ贈る歌四首  一 古人云はくに答ふる あしひきの山はなくもが月見れば 同じき里を心隔てつ  万4076 *山などがなければ良いのに。月を見れば同じ里なのに、心を隔てる言い訳にされるから。  一 属目発思に答へ、兼ねて選任したる旧宅の西北の隅の桜樹を詠みて云ふ 我が背子が古き垣内の桜花 いまだふふめり一目見に来ね  万4077 *我が友が昔住んでいた家の庭の桜。まだつぼみですけど一目でも見においでなさい。  一 所心に答へ、すなはち古人の跡をもちて、今日の意に代ふる 恋ふといふはえも名付けたり 言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり  万4078 *恋しいという表現はうまく名付けたものです。言いようもないのは私の心境です。  一 さらに属目 三島野に霞たなびきしかすがに 昨日も今日も雪は降りつつ  万4079  三月の十六日 *三島野に霞がたなびいて春だというのに、昨日も今日も雪が降っています。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 孝謙天皇  こうけんてんのう / 称徳天皇 しょうとくてんのう 718 - 770 第46代天皇。第48代天皇。史上6人目の女性天皇。道鏡を法王にした。反抗した者に卑しい名前をつけた。道祖王に麻度比 (まどひ=惑い者) 、黄文王に久奈多夫禮 (くなたぶれ=愚か者) 、賀茂角足に乃呂志 (のろし=鈍い者) 、和気清麻呂に別部穢麻呂 (わけべのきたなまろ) 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4073-4075番歌(月見れば同じ国なり)~アルケーを知りたい(1536)

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▼池主が家持に、お目にかかりたいものです、という気持ちを伝える三首。箇条書きのようなスタイルにしているのがマネしたくなる。二番目は属物発思とあり、漢文のエキスパート池主らしさが伝わる。三番目の所心歌は、心で思う所を伝えるという意味だろう。歌は冗談ぽくて、家持はすぐ返信したくなるだろうな、と思わせる。  越前の国の掾大伴宿祢池主が来贈する歌三首 今月の十四日をもちて、深見の村に到来し、その北方を望拝す。 常に芳徳を念ふこと、いづれの日にか能く休まむ。 兼ねて隣近にあるをもちて、たちまち恋緒を増す。 しかのみにあらず、先の書に云はく、「暮春惜しむべし、膝を促くることいまだ期せず。 生別は悲しび、それまたいかにか言はむ」と。 紙に臨みて悽断し、状を奉ること不備。 三月の十五日、大伴宿禰池主  一 古人云はく 月見れば同じ国なり山こそば 君があたりを隔てたりけれ  万4073 *月を見れば貴方様と私は同じ国にいると実感します。山が隔てているだけです。  一 属物発思 桜花今ぞ盛りと人は言へど 我れは寂しも君としあらねば  万4074 *桜の花は今が盛りだと人は言いますが、貴方様とご一緒できないので寂しい限り。  一 所心歌 相思はずあるらむ君をあやしくも 嘆きわたるか人の問ふまで  万4075 *貴方様と私では思っている熱量が違うでしょう。私のほうでは人がどうしたのかと尋ねるくらい貴方様のことを思っております。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 山背王  やましろおう ? - 763 奈良時代の公卿。 長屋王の子。長屋王の変では母が藤原不比等の娘であったため罪を免れた。757年、孝謙天皇に「奈良麻呂が兵を挙げ仲麻呂の邸を包囲する」と知らせた。 うちひさす都の人に告げまくは見し日のごとくありと告げこそ  万4473 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18