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万葉集巻第十九4209-4210番歌(藤波の茂りは過ぎぬ)~アルケーを知りたい(1573)

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▼家持から「おれのところではホトトギスは鳴かない。お前のところでは鳴いているだろう」と因縁を付けられた 広縄が「いやいや私のところでも聞こえてません」と長歌と短歌で応えるコミュニケーション和歌。 4209番の「谷近く家は居れども」と「 木高くて里はあれども」の畳みかけ、「 朝には門に出で立ち」と「 夕べには谷を見わたし」の繰り返しが良き。 長歌は畳みかけたり繰り返したりするので短歌にはない面白さが出せる。 4210番は前の長歌を凝縮して、 ひとことで言うとこういうことですわ、とコンパクトにまとめている 。家持の先手に対して、後手は防御に回ってる感じ(笑)。  霍公鳥を詠む歌一首  幷せて短歌 谷近く 家は居れども 木高くて 里はあれども ほととぎす いまだ来鳴かず 鳴く声を 聞かまく欲りと 朝には 門に出で立ち 夕べには 谷を見わたし 恋ふれども 一声だにも いまだ聞こえず  万4209 *朝に夕にホトトギスを待っているのだけど、まだ 一声も 聞こえませんがな。 藤波の茂りは過ぎぬあしひきの 山ほととぎすなどか来鳴かぬ  万4210  右は、二十三日に掾久米朝臣広繩和ふ。 *藤の花の盛りは過ぎようとしているのに山ホトトギスはなぜか来て鳴いてくれません。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 巨勢 広足  こせ の ひろたり ? - ? 奈良時代の貴族。764年、藤原仲麻呂の乱の後、解官。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4207-4208番歌(我がここだ待てど来鳴かぬ)~アルケーを知りたい(1572)

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▼今回も 家持が ホトトギスをネタに 広繩に贈った長歌と短歌。自分ちではホトトギスは鳴いてくれない、君んちではよく鳴いている、それは良いとして、鳴いているのを君は一人で聞いて私には教えてくれないんだ、と恨みがましく詠ってみせるコミュニケーション和歌。  二十二日に、判官久米朝臣広繩に贈る霍公鳥を怨恨の歌一首  幷せて短歌 ここにして そがひに見ゆる 我が背子が 垣内の谷に 明けされば 榛のさ枝に 夕されば 藤の茂みに はろはろに 鳴くほととぎす 我がやどの 植木橘 花に散る 時をまだしみ 来鳴かなく そこは恨みず しかれども 谷片付きて 家居れる 君が聞きつつ 告げなくも憂し  万4207 *貴方様の家の庭ではろはろに鳴くほととぎすは我が家の庭に来て鳴いてくれない。それは良いとしても、貴方様は家にいて聞きながら知らせてくれないのはひどいな。  反歌一首 我がここだ待てど来鳴かぬほととぎす ひとり聞きつつ告げぬ君かも  万4208 *私がここで待っているのに来て鳴いてくれないホトトギス。それを独りで聞きながら知らせてくれない貴方様。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 阿倍 小路  あべ の こみち ? - 764天平宝字8年10月17日 奈良時代の貴族。764年、藤原仲麻呂の乱では仲麻呂側に加担し、敗走し斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4203-4206番歌(家に行きて何を語らむ)~アルケーを知りたい(1571)

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▼今回、わりと軽めの歌四首。 4203番は、ホトトギスを聞きに来たのに鳴かないのでクレームをつけている歌。 4204番は、家持が手にした ホホガシの大きな葉っぱを友達の恵行 がデカいですなーと言っている歌。 4205番は、それに対して家持が、昔はこれを折って器にして酒を呑んでたらしいですな、と応じる歌。 4206番は、 家持が仲間と 馬並めて移動しているとき「どうです、この月。馬をとめてじっくり眺めましょうや」と提案する歌。  霍公鳥の喧かぬことを恨むる歌一首 家に行きて何を語らむあしひきの 山ほととぎす一声も鳴け  万4203   判官久米朝臣広繩 *ホトトギスを聞きに来たのに、鳴かないじゃないか。家に帰って何を土産話にすれば良いのか。山ホトトギスよ、一声くらいここで鳴けよ。  攀ぢ折れる保宝葉を見る歌二首 我が背子が捧げて持てるほほがしは あたかも似るか青き蓋  万4204   講師僧恵行 *貴方様が大事に捧げ持つホホガシは、まるで青い天蓋のように見えます。 すめろきの遠御代御代はい重き折り 酒飲みきといふぞこのほほがしは  万4205   守大伴宿禰家持 *昔の時代は、このホホガシを重ね折って酒器にしたそうですよ。  還る時に、浜の上にして月の光を仰ぎ見る歌一首 渋谿をさして我が行くこの浜に 月夜飽きてむ馬しまし止め  万4206   守大伴宿禰家持 * 我われは 渋谿を目指して この浜を 進んでいますが、月を心行くまで眺めたいので しばし馬を止めましょう。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 石川 氏人  いしかわ の うじひと ? - 764天平宝字8年10月17日 奈良時代の貴族。764年、藤原仲麻呂の乱では藤原仲麻呂側に加担して斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4199-4202番歌(藤波の影なす海の底清み)~アルケーを知りたい(1570)

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▼今回も風景が目に浮かぶような四首。今はもうなくなって久しいという絶景の地「 布勢の水海」を家持らが舟で廻りながら詠った作品。 4199番は、海の底に沈んでいる石を詠ったもの。水が清いので石が玉に見えるという。分かる気になるのが不思議。 4200番は、前の歌の「海の底」を受けながら、藤の花をかんざしにする、という風情を詠う 内蔵縄麻呂の歌 。 4201番は、風景が思ったより良くて、藤の花を眺めて一晩過ごしそう、という誉め方の歌。 4202番は、ここに来た自分達を見た人は、観光客ではなく漁師と思うかも、という歌。 ゲストの三名が ホストの家持 の勧めに応じて和歌を作れるのがすごい、と思ふ。  十二日に、布勢の水海に遊覧するに、多祜湾に舟泊りす。 藤の花を望み見て、おのもおのも懐を述べて作る歌四首 藤波の影なす海の底清み 沈く石をも玉とぞ我が見る  万4199  守大伴宿禰家持 *藤の花を映す海は底まで澄み渡り、私の目には沈んでいる石まで玉のように見える。 多祜の浦の底さへにほふ藤波を かざして行かむ見ぬ人のため  万4200  次官内蔵忌寸繩麻呂 *多祜の浦の底まで照り輝く藤の花をかざして参りましょう、この見事な風景を見ていない人のために。 いささかに思ひて来しを多祜の浦に 咲ける藤見て一夜経ぬべし  万4201  判官 久米朝臣広繩 *ちょっとだけのつもりで来た多祜の浦ですが、咲いている藤の花を見ていると一夜を過ごしそうです。 藤波を仮廬に作り浦廻する 人とは知らに海人とか見らむ  万4202   久米朝臣継麻呂 *藤の花で小屋を作り浦を舟で回れば観光に来た人とは見られず、漁師と見られるかも知れませんね。 【似顔絵サロン】 久米 広縄  くめ の ひろただ/ひろつな ? - ? 奈良時代中期の歌人・官人。越中守・家持のもとで和歌の筆録を行い『万葉集』巻18となった。 久米  継麻呂  くめ の つぎまろ ? - ? 奈良時代の官吏。750年、家持らと布勢水海を遊覧して歌を詠んだ。4202番。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4192-4196番歌(ほととぎす鳴く羽触れにも)~アルケーを知りたい(1569)

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▼4192番は家持が欲張ってホトトギスと藤の花の両方を詠んだ長歌。「 かそけき野辺 」とか「 はろはろに 鳴く 」などの言葉が良き。「 引き攀じて袖に扱入れつ  染めば染むとも 」は、ますらをぶりだと思ふ。 4193番は、ホトトギスが鳴く時にちょっと羽を震わせるだけで藤の花が散る、これは藤の盛りが過ぎたのだろう、と詠う。時を感じさせる歌。 4194番からの三首は、ホトトギスの鳴くのが遅い!と 家持が気をもむ歌。  霍公鳥幷せて藤の花を詠む一首  幷せて短歌 桃の花 紅色に にほひたる 面輪のうちに 青柳の 細き眉根を 笑み曲がり 朝顔見つつ 娘子あが 手に取り持てる まそ鏡 二上山に 木の暗の 茂き谷辺を 呼び響め 朝飛び渡り 夕月夜  かそけき野辺に はろはろに   鳴く ほととぎす 立ち潜くと 羽触れに散らす 藤波の 花なつかしみ 引き攀じて 袖に扱入れつ 染めば染むとも  万4192 *藤の花が見事なので、折り取って袖に入れました。色が移っても構わないと思って。 ほととぎす鳴く羽触れにも散りにけり 盛り過ぐらし藤波の花   一には「散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花」といふ   万4193   同じき九日に作る。 *ほととぎすが鳴いて羽を震わせるだけでも散るのを見ると藤の花は盛りを過ぎたらしい。  さらに、霍公鳥の哢くこと晩きを恨むる歌三首 ほととぎす鳴き渡りぬと告ぐれども 我れ聞き継がず花は過ぎつつ  万4194 *ホトトギスが鳴きながら飛んで行ったと人は教えてくれるが、私は聞いてないまま花の時期が過ぎている。 我がここだ偲はく知らにほととぎす いづへの山を鳴きか越ゆらむ  万4195 *私がこんなにホトトギスを待っているというのに、どこの山を鳴きながら越えているのだろう。 月立ちし日より招きつつうち偲ひ 待てど来鳴かぬほととぎすかも  万4196 *月が改まったら来てくれないものかと待っているけど、なかなか来ない ホトトギス だよ。 【似顔絵サロン】 内蔵 縄麻呂  くら の なわまろ/つなまろ ? - ? 奈良時代後期の官人。 我が背子が国へましなばほととぎす 鳴かむ五月は寂しけむかも  万3996 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=...

万葉集巻第十九4189-4191番歌(鵜川立ち取らむ鮎の)~アルケーを知りたい(1568)

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▼友達に4189番や4190番の気持ちで手紙を書ければよいのにと思ふ二首。 二首とも、野外でホトトギスの声を聞いたり川で鵜飼をしたりして気晴らししましょう、都から離れた鄙びた地でもの思うことも多いから、という内容。 4191番では、アユが獲れたらヒレを送るよう頼んでいる。ふぐのヒレならヒレ酒で美味いがアユのヒレはどうやって食していたのだろう。  鵜を越前の判官大伴宿禰池主に贈る歌一首  幷せて短歌 天離る 鄙としあれば そこここも 同じ心ぞ 家離り 年の経ゆけば うつせみは 物思ひ繁し そこゆゑに 心なぐさに ほととぎす 鳴く初声を 橘の 玉にあへ貫き かづらきて 遊ばむはしも ますらをを 伴なへ立てて 叔羅川 なづさひ上り 平瀬には 小網さし渡し 早き瀬に 鵜を潜けつつ 月に日に しかし遊ばね 愛しき我が背子  万4189 *お互い都から遠い田舎にいるので、同じ気持ちでしょう。物思いすることも多いので、心を晴らすためホトトギスの声を聞いたり川で鵜を潜らせて月日をお過ごしください。 叔羅川瀬を尋ねつつ我が背子は 鵜川立たさね心なぐさに  万4190 *叔羅川に行って、友よ、鵜飼をなさい、気晴らしに。 鵜川立ち取らむ鮎のしが鰭は 我れにかき向け思ひし思はば  万4191  右は、九日に使に付けて贈る。 *鵜川で鮎が獲れたら、鰭は私に送ってくださいよ。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 山口 佐美麻呂/沙弥麻呂  やまぐち の さみまろ ? - ? 奈良時代の貴族。764年、藤原仲麻呂の乱に連座して位階剥奪。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4187-4188番歌(藤波の花の盛りに)~アルケーを知りたい(1567)

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▼家持とっておきの場所、布勢の水海の歌。舟で漕ぎ廻りながら陸の風景を見るのは最高だという。この場所を誉める歌は前の巻でも出て来た。よほど気に入ってたのだろう。 4187番は冒頭、思ふどち、ますらをおのこ、という好きなキーワードで始まる長歌。友達と見ると格別なのだ。 4188番の短歌は前の長歌の要約。ボートに乗って風景を見る、という非日常を経験したくなる。  六日に、布勢の水海に遊覧して作る歌一首  幷せて短歌 思ふどち   ますらをのこの 木の暗 繁き思ひを 見明らめ 心遣らむと 布勢の海に 小舟つら並め ま櫂掛け い漕ぎ廻れば 乎布の浦に 霞たなびき 垂姫に 藤波咲きて 浜清く 白波騒き しくしくに 恋はまされど 今日のみに 飽き足らめやも かくしこそ いや年のはに 春花の 茂き盛りに 秋の葉の もみたむ時に あり通ひ 見つつ偲はめ この布勢の海を  万4187 *布勢の海に小舟を出して遊覧すると霞たなびく風景は見飽きるものではありません。通い続けて風景を見ましょう。 藤波の花の盛りにかくしこそ 浦漕ぎ廻つつ年に偲はめ  万4188 *藤波の花の盛りの時期に毎年、こうやって小舟で浦を漕ぎ廻りましょう。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 大伴 田麻呂  おおとも の たまろ ? - ? 奈良時代の貴族。764年、藤原仲麻呂の乱に連座して官位剥奪。伊勢老人が三河守の後任。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19