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万葉集巻第二十4413-4414番歌(枕大刀腰に取り佩き)~アルケーを知りたい(1651)

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▼防人に出た夫を見送った妻の歌。いつ帰って来るのやら・・・と。何事もなければ三年、何か起きれば見当もつかない。考えると心細くなるだろう。 枕大刀とあるから 夫の 檜前 石前は自分の刀を寝る時も手放さない武人のようだ。 枕大刀腰に取り佩きま愛しき 背ろが罷き来む月の知らなく  万4413  右の一首は上丁那珂の郡の 檜前舎人石前 が妻の 大伴部真足女 。 *私の愛しい夫が 太刀を持って 出かけて行ったが、いつ務めが終わって帰って来るのか分かりません。 【似顔絵サロン】 大伴部真足女  おほともべのまたりめ ? - ? 奈良時代の女性。 防人、檜前石前の妻。 檜前 石前  ひのくまの いわさき ? - ? 奈良時代の防人。武蔵那珂郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。このとき妻の大伴部真足女が詠んだ歌が4413番。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4408-4412番歌(家づとに貝ぞ拾へる)~アルケーを知りたい(1650)

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▼家持が防人の歌の間に置いたインテルメッツオ。今回は長歌と短歌。長歌のタイトルは、防人が悲別の情を陳ぶる、で家持が手元に集まった防人の和歌を見て湧き上がる情を詠ったもの。防人として家族と別れるのはどんなに悲しく辛いことかを防人の気持ちになって詠う。  防人が悲別の情を陳ぶる歌一首  幷せて短歌 大君の 任けのまにまに 島守に 我が立ち来れば ははそ葉の 母の命は み裳の裾 摘み上げ掻き撫で ちちの実の 父の命は 栲づのの 白ひげの上ゆ 涙垂り 嘆きのたばく 鹿子じもの ただひとりして 朝戸出の 愛しき我が子 あらための 年の緒長く 相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言どひせむと 惜しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ 白栲の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと 引き留め 慕ひしものを 大君の 命畏み 玉桙の 道に出で立ち 岡の崎 い廻むるごとに 万たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来れば 思ふそら  安くもあらず 恋ふるそら  苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命も知らず 海原の 畏き道を 島伝ひ い漕ぎ渡りて あり廻り 我が来るまでに 平けく 親はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉の 我が統め神に 幣奉り 祈り申して 難波津に 船を浮け据ゑ 八十楫貫き 水手ととのへて 朝開き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ 万4408 *大君のご命令なので防人たちが親と別れ妻を家に待たせて難波津に集まる。船から楫を突き出し今こそ我らは漕ぎ出すと家に知らせたい。 家人の斎へにかあらむ平けく 船出はしぬと親に申さね  万4409 *家じゅう皆の祈りのおかげで無事に船出したと親にお伝えください。 み空行く雲も使と人は言へど 家づと遣らむたづき知らずも  万4410 *空を流れる雲も使いだと人は言うけれど、家に連絡する方法が分かりませんがな。 家づとに貝ぞ拾へる浜波は いやしくしくに高く寄すれど  万4411 *家の土産にと思って貝を拾いました。浜の波は高く寄せて来ます。 島蔭に我が船泊てて告げ遣らむ 使をなみや恋ひつつ行かむ  万4412 *島の蔭に私の乗った船が停泊しています。家への連絡方法がないので恋しく思いながらこれから進みます。  二月の二十三日、兵部少輔大伴宿禰家持。 【似顔絵サロン】...

万葉集巻第二十4406-4407番歌(ひな曇り碓氷の坂を)~アルケーを知りたい(1649)

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▼筑紫までの道のりが長いから、移動するだけでも辛いので、この気持ちを家の者に分かってもらいたいという4406番。同じく、移動の道中で急に妻を思い出して恋しくてたまらない気持ちを詠った4407番。 我が家ろに行かも人もが草枕 旅は苦しと告げ遣らまくも  万4406  右の一首は 大伴部節麻呂 。 *もし私の家に行く人がいたら、私は旅で苦労していると伝えてもらいたい。 ひな曇り碓氷の坂を越えしだに 妹が恋しく忘らえぬかも  万4407  右の一首は 他田部子磐前 。 *うす曇りの日にうすいの坂を越えたとき、妻が恋しく忘れられない気持ちになった。   二月二十三日、上野の国の防人部領使大目正六位下上毛野君駿河。 進る歌の数十二首。 ただし、拙劣の歌は取り載せず。 【似顔絵サロン】 大伴部 節麻呂  おおともべ の ふしまろ ? - ? 奈良時代の防人。上野国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 他田部 子磐前  おさだべ の こいわさき ? - ? 奈良時代の防人。上野国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4404-4405番歌(我が妹子が偲ひにせよと)~アルケーを知りたい(1648)

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▼万葉の時代は、家を出ている間の身の安全を祈って妻が夫の服の紐を結んでいた。4404番は、その紐がほどけたことを気にする歌。4405番は、妻の思いを大事にしている気持ちを表明する歌。 難波道を行きて来までと我妹子 (わぎもこ) が 付けし紐が緒絶えにけるかも  万4404  右の一首は助丁 上毛野牛甘 。 *難波道を行ってウチに戻るまで無事にと祈って妻が結んだ紐がほどけてしまいました。 我が妹子が偲 (しぬ) ひにせよと付けし紐 糸になるとも我は解かじとよ  万4405  右の一首は 朝倉益人 。 *妻が思い出に結んだ紐だから、糸のように細くなっても私は解いたりしないよ。 【似顔絵サロン】 上毛野 牛甘  かみつけの の うしかい ? - ? 奈良時代の防人。上野国の出身。755年、防人の助丁として筑紫に派遣。 朝倉 益人  あさくら の ますひと ? - ? 奈良時代の防人。上野国(群馬県)の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4403番歌(大君の命畏み)~アルケーを知りたい(1647)

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▼4403番は下の句 「青雲のたなびく山を越えて来ぬかも」 が訛って「 とのびく山を越よて来ぬかむ 」になっている。丸っこい響きがして良き。 大君の命畏み青雲の とのびく山を越よて来ぬかむ  万4403  右の一首は 小長谷部笠麻呂 。 *大君のご命令は畏れ多いので、青雲がたなびく山を越えてやって来ました。  二月の二十二日。 信濃の国の防人部領使、道に上り、病を得て来ず。 進る歌の数十二首。 ただし、拙劣の歌は取り載せず。 【似顔絵サロン】 小長谷部 笠麻呂  おはつせべ の かさまろ ? - ? 奈良時代の防人。信濃国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4401-4402番歌(ちはやふる神のみ坂に)~アルケーを知りたい(1646)

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▼4401番は、父子家庭なのに父に防人の役目が降ってきたケース。親がいなくなる場合、子どもは誰が養育するのか気になる。4402番は、神社で幣を捧げて祈るのは自分の言ではなく両親の健康。自分が生活の場を離れた後のことが気になって仕方がない、その気持ちが伝わる二首。 韓衣裾に取り付き泣く子らを 置きてぞ来ぬや母なしにして  万4401  右の一首は国造小県の郡の 他田舎人大島 。 *韓衣の裾に取り付くようにして泣く子どもたちを置いてきました。母親はいないのに・・・。 ちはやふる神のみ坂に幣奉り 斎ふ命は母父がため  万4402  右の一首は主帳埴科の郡の 神人部子忍男 。 *神のみ坂に幣を奉納して祈るのは両親の長寿です。 【似顔絵サロン】 他田 大嶋  をさだ の おほしま ? - ? 奈良時代の防人。信濃国小県郡の豪族で国造丁。755年、防人として筑紫に派遣。 神人部 子忍男  みわひとべ の こおしお ? - ? 奈良時代の防人。信濃国埴科郡の主帳。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4398-4400番歌(海原に霞たなびき)~アルケーを知りたい(1645)

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▼今回も家持の防人の歌のインテルメッツオ。防人の歌は全部で九十何首かある。4398番の長歌は防人の歌の全体の調子をうまくまとめているように思ふ。 ・そもそもが大君の命で始まる話なので、畏まって従います、という姿勢。 ・とはいえ家族との別れは辛く寂しい。 ・だから益荒男の心を奮い起こして出発する。 ・中継地の難波津までの道中、家を思い出すと背負 う武具が鳴る。 続く4399番と4400番は長歌を要約した格好の反歌。 そもそもなぜ関東から筑紫まで防人になって数年を過ごさねばならないのか。それは防衛のため。おかげで今がある。  防人が情のために思ひを陳べて作る歌一首  幷せて短歌 大君の 命畏み 妻別れ 悲しくはあれど ますらをの 心振り起し 取り装ひ 門出をすれば たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻取り付き 平らけく 我れは斎はむ ま幸くて 早帰り来と 真袖もち 涙を拭ひ むせひつつ 言どひすれば 群鳥の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ いや遠に 国を來離れ いや高に 山を越え過ぎ 葦が散る 難波に来居て 夕潮に 船を浮けすゑ 朝なぎに 舳向け漕がむと さもらふと 我が居る時に 春霞 島廻に立ちて 鶴が音の 悲しく聞けば はろはろに 家を思ひ出 負ひ征矢の そよと鳴るまで 嘆きつるかも  万4398 *大君のご命令なので妻と別れるのは辛くはあるけれども益荒男の気持ちを奮い起こして武具を身に付けて家を出る。(中略)家を思い出しては背負った矢が音を立てるほど悲し身を嘆くのだ。 海原に霞たなびき鶴が音の 悲しき宵は国辺し思ほゆ  万4399 *海原に霞がたなびき、鶴の鳴き声が悲し気に聞こえる宵は、故郷を思い出します。 家思ふと寐を寝ず居れば鶴が鳴く 葦辺も見えず春の霞に  万4400  右は、十九日に兵部少輔 大伴家持 作る。 *家を恋しく思って寝るに寝られないいると鶴の鳴き声が聞こえてくる。春霞のために鶴がいる葦辺は見えないが。 【似顔絵サロン】 大伴 家持  おおともの やかもち 718養老2年 - 785延暦4年10月5日 公卿・歌人。百人一首6:かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞふけにける  〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?c...