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万葉集巻第二十4423-4424番歌(色深く背なが衣は)~アルケーを知りたい(1658)

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▼今回も防人の夫婦が詠んだ歌。夫は山の坂から手を振ると家にいる妻はしっかり見てくれるかなあと詠う。妻はそれなら袖をもっと濃い色に染めておくほうが良かった、と返す。妻の手染めの服を着て筑紫に向かうのだ。昔、祖母にろうけつ染めを習ったのを思い出した。 足柄の御坂に立して袖振らば 家なる妹はさやに見もかも  万4423  右の一首は埼玉の郡の上丁 藤原部等母麻呂 。 *足柄山の坂道に立って袖を振れば、家にいる妻にはっきり見えるだろうか。 色深く背なが衣は染めましを み坂給らばまさやかに見む  万4424  右の一首は妻の 物部刀自売 。 *夫の衣を濃い色で染めておけば良かった。坂を越えるときによく見えただろうに。   二月の二十九日、武蔵野の国の部領防人使掾正六位上安曇宿禰三国。 進る歌の数二十首。 ただし、拙劣の歌は取り載せず。 【似顔絵サロン】 藤原部 等母麻呂  ふじわらべ の ともまろ ? - ? 奈良時代の防人。武蔵埼玉郡の出身。物部刀自売の夫。755年、防人の上丁として筑紫に派遣。 物部 刀自売  もののべ の とじめ ? - ? 奈良時代の人物。武蔵埼玉郡の出身。藤原部等母麻呂の妻。755年、夫の防人の歌に返した歌。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4421-4422番歌(我が行きの息づくしかば)~アルケーを知りたい(1657)

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▼4421番は横浜から筑紫に派遣された防人の妻へのメッセージ、4422番はその妻から夫へのメッセージ。夫は妻に寂しくなったら足柄山地の雲を見て偲んでくれ、と言い、妻は愛しい夫がいない夜を少し緊張して寂しく過ごす、と応える。 我が行きの息づくしかば足柄の 峰延 (みねは) ほ雲を見とと偲はね  万4421  右の一首は都筑 (づつく) の郡の上丁 服部於由 。 *私が出かけた後寂しいと思ったときは足柄山の峰に出る雲を眺めて思い出してくれ。 我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ 帯は解かななあやにかも寝も  万4422  右の一首は 服部砦女 。 *夫を筑紫に送りだしたら帯を解かないまま、さびしくひとりで寝るのだ。 【似顔絵サロン】 服部 於田/於由  はとりべ の うえだ/おゆ ? - ? 奈良時代の防人。武蔵国都筑郡の出身。755年、防人の上丁として筑紫に派遣。 服部 呰女  はとりべ の あさめ ? - ? 奈良時代の女性。武蔵国都筑郡の人物。755年、防人の上丁として筑紫に派遣された服部於田の妻。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4419-4420番歌(家ろには葦火焚けども)~アルケーを知りたい(1656)

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▼4419番は貧乏な暮らしを「葦火を焚く」と言っている。煙がたくさん出るし、火持ちも良くないからだろう。そんな家でも住めば天国なんだな。4420番は夫を送り出す妻が、服の紐が切れたら自分で繕うんだよ、と言い聞かせる歌。どちらもいじらしい良い歌だ。 家 (いは) ろには葦火焚 (あしふた) けども住みよけを 筑紫に至りて恋 (こふ) しけ思 (も) はも  万4419  右の一首は橘樹の郡の上丁 物部真根 。 *自宅では葦火を焚いて住み心地が良かったので、筑紫に来ると恋しく思い出すだろうな。 草枕旅の丸寝の紐絶えば 我が手と付けろこれの針持 (はるも) し  万4420  右の一首は妻の 椋椅部弟女 。 *旅先ではごろ寝だから着物の紐が切れたら、私の手と思ってこの針で自分で付けなおしなさい。 【似顔絵サロン】 物部 真根  もののべ の まね ? - ? 奈良時代の防人。武蔵国橘樹郡の出身。妻が椋椅部弟女。755年、防人の上丁として筑紫に派遣。 椋椅部弟女  くらはしべのおとめ ? - ? 奈良時代の女性。武蔵国橘樹郡に夫の物部真根と居住。755年、真根が防人の上丁として筑紫に派遣されたとき歌を詠んだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4418番歌(我が門の片山椿)~アルケーを知りたい(1655)

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▼この防人の家には椿の花が咲いていたのだろう。触れれば落ちるのが椿の花。触れるのは自分か他の人か。自分は触れないでおこう、でもそうなると・・・という心残りの歌。 我が門の片山椿まこと汝 (な) れ 我が手触れなな地 (つち) に落ちもかも  万4418  右の一首は荏原の郡の上丁 物部広足 。 *我が家の門に植えている片山椿よ。私は触れないでおこう。でもいづれ落ちるかも知れない。 【似顔絵サロン】 物部 広足 /廣足 もののべ の ひろたり ? - ? 奈良時代の防人。武蔵国荏原郡の出身。755年、防人の上丁として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4417番歌(赤駒を山野にはかし)~アルケーを知りたい(1654)

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▼今回の4417番には「多摩の横山」という地域名が出て来る。広々としているが起伏に富む場所。川の水も豊かなので馬も快適だろう。でも必要な時に捕まえられないので飼ってると言えるのかどうか。防人になった夫が徒歩で歩いていくのを見送る妻の歌。 赤駒を山野にはかし捕りかにて 多摩の横山徒歩ゆか遣らむ  万4417  右の一首は豊島の郡の上丁妻の 椋椅部荒虫 が妻の 宇遅部黒女 。 *赤駒を山で放し飼いにしたので捕まえられず、多摩の山を歩いて行くことになったわ。 【似顔絵サロン】 宇遅部黒女  うじべ の くろめ ? - ? 奈良時代の女性。武蔵国豊島郡の出身。椋椅部荒虫の妻。755年、荒虫が防人の上丁として筑紫に派遣されたときに歌を詠んだ。 椋椅部荒虫   くらはしべのあらむし ? - ? 奈良時代の防人。755年、防人の上丁として筑紫に派遣。このとき妻の宇遅部黒女が詠んだ歌が4417番。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十44154416番歌(白玉を手に取り持ちて)~アルケーを知りたい(1653)

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▼防人に出た夫と家に残った妻の歌。夫婦の歌が揃って登場するのは、今回の4415番と4416番の組合せが初めて。 白玉を手に取り持ちて見るのすも 家なる妹をまた見てももや  万4415  右の一首は主帳荏原の郡の 物部歳徳 。 *真珠の粒を手に取ってじっくり見るように、家にいる妻をまた眺めたいよ。 草枕旅行く背なが丸寝せば 家なる我れは紐解かず寝む  万4416  右の一首は妻の 椋椅部刀自売 。 *夫は旅に出て背を丸くして寝ているのでしょう。家にいる私はそんな夫を偲んで寝ます。 【似顔絵サロン】 物部 歳徳  もののべ の としとこ ? - ? 奈良時代の防人。武蔵国荏原郡の出身。755年、防人の主帳として筑紫に派遣。妻が 椋椅部刀自 。 椋椅部刀自売  くらはしべのとじめ ? - ? 奈良時代の女性。武蔵国荏原郡の人。755年、防人として筑紫に派遣された物部歳徳の妻。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4414番歌(大君の命畏み愛しけ)~アルケーを知りたい(1652)

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▼防人の辛さの筆頭は大切な人と別れなければならないこと。それが伝わる4414番。「手離り」と訛った響きからも悲しさが伝わる。 大君の命畏み愛 (うつく) しけ真子 (まこ) が 手離 (てはな) り島伝ひ行く  万4414 (うつく)  右の一首は助丁秩父の郡の 大伴部小歳 。 *大君のご命令を受け、愛しい子とつないでいた手を離しました。これから舟で島を伝って先に進みます。 【似顔絵サロン】 大伴部 小歳  おほともべ の をとし ? - ? 奈良時代の防人。武蔵秩父郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20