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万葉集巻第1_4番歌(たまきはる宇智の大野に)~アルケーを知りたい(1709)

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▼今回 は前回の万3の反歌。意味は「 宇智の大野に馬を並べ、朝、深い草むらへ踏み出します」。舒明天皇が猟をするために早朝の奈良県五條市宇智の野に臣下と共に馬を並べている姿を描いた歌。「たまきはる」は漢字本文では 玉尅春、霊尅と書いている。意味は、霊魂がきわまる、とか、魂が打ち漲る。この言葉が出るとピーンと張りつめた空気が伝わる。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_3番歌(今立たすらしみ執らしの)~アルケーを知りたい(1708)

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▼今回の3番歌は舒明天皇が奈良五条市の宇智の野で猟をしたとき、娘の中皇命が 間人連老に歌を詠んでもらい天皇に献上した作品。「朝狩に」「夕狩に」のリズムが心地よい。 「音すなり」のフレーズが二度出て 弓の弦の音が聞こえて来そうな臨場感がよい。  天皇、宇智の野に遊猟したまふ時に、中皇命の間人連老をして献らしめたまふ歌 やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝狩に 今立たすらし 夕狩に   今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり  万3 *わが天皇が、朝に夕にお手にとっておられる梓弓、狩りにお出になる朝に夕に中弭(なかはず)の音が聞こえてきます。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_2番歌(作者の舒明天皇について)~アルケーを知りたい(1707)

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▼今回は2番歌の作者、舒明天皇について調べてみた。万葉集のエディタである家持(718 - 785)が登場するのは舒明天皇の時代から80年くらいあと。だから舒明天皇の時代の出来事は、家持にとっては一時代前の出来事。 ▼舒明天皇で印象的なのは、①家族の面子がすごいこと、②第一回の遣唐使の送り迎えを行ったこと。そして③「 うまし国ぞ 蜻蛉島  大和の国は」と詠ったこと。 ▼①は、万葉集に収められた歌を詠った人が揃っているので、歌ごと見て行くのが楽しみ。 ②についても、都度、どんな人とどんなご縁があったのか、確認する。 ③は、この歌の滋味が味わえるのが嬉しい、に尽きる。政治の実権は蘇我蝦夷だった、と理解してそれで思考停止していたが、いやいや、そうじゃない。 【似顔絵サロン】 蘇我 蝦夷  そが の えみし 586年 - 645皇極天皇4年7月11日 飛鳥時代の政治家・貴族。父は蘇我馬子。子は入鹿。乙巳の変で自害。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_2番歌(大和には)~アルケーを知りたい(1706)

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▼今回から万葉集巻1に戻ります。歌と歌人、その人に関係する人々を見てゆきます。寄り道が多くなりそうです。最初は2番歌から( 1番歌はその時が来てからやる予定。何しろ”濃い”ので)。2番歌は短めの長歌。 舒明天皇が香具山に登り、風景を眺めて大和がよい国だと褒める歌。「 うまし国ぞ 蜻蛉島 (あきづしま)   大和の国は」。口ずさむと心が落ち着く。   高市の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代 息長足日広額天皇   天皇、香具山に登りて国を望たまふ時の御製歌 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は  煙立ち立つ 海原は  鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は  万2 *よい国だ、大和の国は。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第二十4516番歌(新しき年の初めの)~アルケーを知りたい(1705)

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▼今回は、万葉集4515首を締めくくる歌。雄略天皇の1番歌に始まり舒明天皇の時代の4516番で終わる。上の句は「新しき」「年の初め」「初春の」とパリっとしたおニュー感を打ち出して下の句は「いやしけ吉事」と良いことが次々と続くよう祈って締める。和歌はキレイな世界に咲く花・・・というより、厭離穢土に咲く花、であるかのよう。  三年の春の正月の一日に、因幡の国の庁にして、饗を国郡の司等に賜ふ宴の歌一首 新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいやしけ吉事  万4516  右の一首は、守大伴宿禰家持作る。 *新年初春の今日、雪が降っています。よいことが重なる吉祥です。 【似顔絵サロン】 淳仁天皇  じゅんにんてんのう 733天平5年 - 765天平神護元年11月10日 第47代天皇。在位:758年9月7日 - 764年11月6日 天武天皇の皇子・舎人親王の七男。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4514-4515番歌(青海原風波靡き)~アルケーを知りたい(1704)

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▼4514番は、 内相・ 藤原仲麻呂内相の邸宅で渤海大使の小野田守を送る家持の歌。航路の安全を祈る内容。後書きの最後にいまだ 誦せずとあるのが気になる。4515番は因幡守として任地に出かける家持の送別会での本人の歌。会を開いた大原今城に向けた作品。寂しさが漂う。   二月の十日に、内相が宅にして渤海大使 小野田守 朝臣等を餞する宴の歌一首 青海原風波靡き行くさ来さ つつむことなく舟は早けむ  万4514   右の一首は右中弁大伴宿禰家持。いまだ誦せず *青海原の風と波が平穏で、往復には何も問題なく舟はすいすいと早く進むことでしょう。    七月の五日に、治部少輔大原今城真人が宅にして、因幡守大伴宿禰家持を餞する宴の歌一首 秋風の末吹き靡く萩の花 ともにかざさず相か別れむ  万4515   右の一首は、大伴宿禰家持作る。 *秋風が吹き抜け萩の花が靡いています。一緒にかざすことなしでお別れするのでしょうか。 【似顔絵サロン】 小野 田守 /淡理 おの の たもり ? - ? 奈良時代の貴族。730年、旅人の梅花の宴に参加。 霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも  万846 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4511-4513番歌(池水に影さへ見えて)~アルケーを知りたい(1703)

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▼今回は家持の仲間が 山斎 (しま) という家持邸の庭を眺めて作った歌三首。4511番で三形王が馬酔木の花に着目した歌を詠う。続く4512番では家持が 池と水を加えて 馬酔木続きの歌、そして4512番で 伊香が、池と水に映える馬酔木の花が散るのが惜しい、と締める。  山斎 を属目 (しょくもく) して作る歌三首 鴛鳶 (をし) の棲む君がこの山斎 (しま)  今日見れば馬酔木の花も咲きにけるかも  万4511  右の一首は大監物 三形王 。 *鴛鳶が棲息するという貴方様のお館を今日拝見すると馬酔木の花が咲いています。 池水に影さへ見えて咲きにほふ 馬酔木の花を袖に扱入れな  万4512  右の一首は右中弁大伴宿禰家持。 *池の水に姿を映しながら咲き誇っている馬酔木の花を袖にこき入れましょう。 磯影の見ゆる池水照るまでに 咲ける馬酔木の散らまく惜しも  万4513  右の一首は大蔵大輔甘南備伊香真人。 *磯の影が見える池の水を輝かせるほど咲き誇っている馬酔木の花が散るのは惜しい。 【似顔絵サロン】 三方王 /御方王/三形王 みかたおう ? - ? 奈良時代の皇族。舎人親王の孫。大伴家持と親交。 み雪降る冬は今日のみうぐひすの鳴かむ春へは明日にしあるらし  万4488 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20