アルケーを知りたい(100) コンプトン効果 Compton effect リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 6月 18, 2021 ▼コンプトン効果。X線が粒子の性質を持つことを確かめる実験。▲Arthur Comptonさん。光の粒子性の発見によりノーベル賞物理学賞を受賞したアメリカの物理学者。WWIIの時期、アメリカが本格的に原爆製造に乗り出す時期のキーパーソンの一人。物理学者としても、国家プロジェクトを推進する管理者としても超一流の人物。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
万葉集巻第十2219-2222番歌(夕さらずかはづ鳴くなる)~アルケーを知りたい(1477) 4月 08, 2025 ▼今回は刈り入れ前の田と川で鳴いている蛙を詠った四首。2221番で「我が門に守る田」と言っているように、なにしろ主食のコメを育てるのだから、万葉の時代から大切に守っていたのだ。 水田を詠む あしひきの山田作る子秀でずとも 繩だに延へよ守ると知るがね 万2219 *山で田を造っているお方よ、穂が出る前に縄張りすると良いよ、所有地であることを人に示すため。 さを鹿の妻呼ぶ山の岡辺にある 早稲田は刈らじ霜は降るとも 万2220 *牡鹿が妻を呼ぶ山の麓にある早稲の田は刈らないでおきましょう。霜が降りても。 我が門に守る田を見れば佐保の内の 秋萩すすき思ほゆるかも 万2221 *我が家の田を見ていると、佐保の秋萩やススキを思い出します。 川を詠む 夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の 清き瀬の音を聞かくしよしも 万2222 *毎夕、カエルが鳴く三輪川の清らかな瀬の音を聞くのは心地よい。 【似顔絵サロン】万葉集の編集者、大伴家持(718-785)の人脈: 藤原 仲麻呂 ふじわら の なかまろ/恵美押勝 706 - 764 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。757年、橘奈良麻呂の乱では勝利。 763年、藤原宿奈麻呂は家持(47)らと仲麻呂暗殺計画を立てるも失敗。宿奈麻呂が単独犯行を主張したので家持はお咎めなしだったが、翌764年、薩摩守へ左遷。 同764年、孝謙上皇・道鏡と対立し藤原仲麻呂の乱を起こすも敗北、斬首。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10 続きを読む
万葉集巻第十八4070-4072番歌(一本のなでしこ植ゑし)~アルケーを知りたい(1535) 6月 05, 2025 ▼4070番の前書きに出て来る「 牛麦」。どう読むのか。うしむぎ、あるいは、なでしこ。歌の作者は家持。歌を贈った相手は清見 (せいけん) 。酒と一緒に歌を贈った。歌も嬉しい、酒も嬉しい。どちらも人の心を和らげる。4071番も4072番も傍らには酒があったことでしょう。 庭中の牛麦が花を詠む歌一首 一本のなでしこ植ゑしその心 誰に見せむと思ひそめけむ 万4070 右は、先の国師の従僧 清見 、京師に入らむとす。 よりて飲饌を設けて饗宴す。 時に、主人大伴宿禰家持、この歌詞を作り、酒を清見に送る。 *一本の撫子を植えたその心、誰に見せようと思っていらっしゃるのでしょう。 しなざかる越の君らとかくしこそ 柳かづらき楽しく遊ばめ 万4071 右は、郡司已上の諸人、多くこの会に集ふ。 よりて、守大伴宿禰家持、この歌を作る。 *越中の皆さんがたとこのようにして柳をかづらにして楽しく遊びましょう。 むばたまの夜渡る月を幾夜経と 数みつつ妹は我れ待つらむぞ 万4072 右は、この夕、月光遅に流れ、和風やくやくに扇ぐ。 すなわち属目によりて、いささかにこの歌を作る。 *夜空を渡る月の夜を幾夜経たかと数えながら妻は帰りを待ち焦がれていることでしょう。 【似顔絵サロン】 清見 せいけん ? - ? 奈良時代の僧。越中国師の従僧。748年、越中から京師へ向かった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18 続きを読む
万葉集巻第十七4029-4031番歌(珠洲の海に朝開きして)~アルケーを知りたい(1525) 5月 26, 2025 ▼今回は第18巻の最後の三首。4029番は早朝の海に月が照っている風景の歌。家持が稲の出来栄えを検分する地域巡行中の歌。現場を回る仕事をしていたのだ、家持は。出挙とは、役所が農民に稲を貸し付け、収穫時に利子をつけて回収する仕組み。万葉時代から稲は経済基盤を担っていた。4030番は鶯の初鳴きを待つ歌で、こうやってみると、当時の人は鶯が鳴いたといって喜び、鳴かないと言って嘆いて、まあ、遊んでいたのだ。何かにつけて遊ぶマインド、今日はマネして実行するぞ。4031番の最後の「汝」が誰を言っているのか分からないのが、余韻、良いんだ。 珠洲の郡より舟を発し、太沼の郡に還る時に、長浜の湾に泊り、月の光を仰ぎ見て作る歌一首 珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば 長浜の浦に月照りにけり 万4029 右の件の歌詞は、春の出挙によりて、諸郡を巡行し、時に当りて、属目して作る。大伴宿禰家持 *珠洲の海を早朝舟でやって来ると、長浜の浦で月が輝いていました。 鶯の晩く哢くを恨むる歌一首 うぐひすは今は鳴かむと片待てば 霞たなびき月は経につつ 万4030 *ウグイスが今にも鳴くだろう、と待っているうちに霞がたなびいて月も傾いています。 造酒の歌一首 中臣の太祝詞言言ひ祓へ 贖ふ命も誰がために汝れ 万4031 右は、大伴宿禰家持作る。 *中臣氏は太祝詞言を唱え、お祓いをして、長命を祈ります。誰のためかというと、それは貴方様のためです。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 大伴 古麻呂 おおとも の こまろ ? - 757 奈良時代の貴族。橘奈良麻呂の乱に連座。杖で打たれる拷問で刑死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17 続きを読む
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