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万葉集巻第7_1100番歌(巻向の穴師の川ゆ)~アルケーを知りたい(1919)

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▼気に入った場所を見つけ、そこにまた戻って来よう、という歌。この表現はひとつの型になっているようだ。川の流れが絶えることがないのは大人になったというか老人になった今も不思議だ。雨とか山の保水力とか海から蒸発とかメカニズムの説明はありがたいが、絶ゆることなく流れる川は、やっぱり不思議。  河を詠む 巻向の穴師の川ゆ行く水の 絶ゆることなくまたかへり見む  万1100 *巻向の穴師川を流れる水が絶えないように、私もまた見に戻って来よう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1099番歌(片岡のこの向つ峰に)~アルケーを知りたい(1918)

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▼今回の岳を詠む歌は、どんな状況で生まれたのか、気になる。言ってることは分かります(本当はよく分からない)けど、なぜそのように詠うのですか?と作者に尋ねたくなる。 桃クリ三年というので、 椎の実が成長して日陰を作るまで何年かかるのだろう、など歌の真意とは関係ないであろう妄想に迷い込んでしまう。不思議な歌。  岳を詠む 片岡のこの向つ峰に椎蒔かば 今年の夏の蔭にならむか  万1099 片岡の向こう側の峰に椎を撒いておいたら、夏には日陰を作ってくれるんじゃないか。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1098番歌(紀伊道にこそ妹山ありといへ)~アルケーを知りたい(1917)

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▼今でもよくある会話のような歌。〇〇ならあそこにもあるよ的な(笑)。元の話が進まず、逸れてしまうことがあるから要注意。その場合、どう対応すると良いか。そのまま流れてしまうもよし、元の話に戻るもよし。会話の上品さとか雑さの吟味とか、出くわしたときの対応、自分がしでかしたときの収拾法とか、考えさせてくれる。教訓の歌。 紀伊道にこそ妹山ありといへ玉櫛笥 二上山も妹こそありけれ  万1098 *紀伊道には妹山があると世間で言ってるけど、二上山にも妹山があります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1097番歌(我が背子をこち巨勢山と)~アルケーを知りたい(1916)

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▼今回は面白くて笑える歌。待ち人来たらずの心境で 巨勢山に八つ当たりした歌。 巨勢山にしてみれば、そんなこと言われましても・・・だ。 我が背子をこち巨勢山と人は言へども 君も来まさず山の名にあらし  万1097 *「待ち人が来る巨勢山」と言うけれど、貴方様は来てくれない。単なる山の名前だわ、あれは。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1096番歌(いにしへのことは知らぬを)~アルケーを知りたい(1915)

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▼上の句が面白い。いにしへのことは知らぬを、という言葉。謙虚な人、とも、偉そう・生意気とも解釈できる。この人どっちなんだろう (笑) 。 いにしへのことは知らぬを我れ見ても 久しくなりぬ天の香具山  万1096 *昔のことを知らない私が見てもずいぶん時代が経ったのだと感じる天の香具山です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1095番歌(みもろつく三輪山)~アルケーを知りたい(1914)

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▼前回に続く山を詠むシリーズ第二群4首のうちの1首目の歌。場所は奈良県の桜井市。三輪山、泊瀬を謳っている。檜がたくさんあったのだろう。 持統天皇の藤原京の造営のときここの檜が使われた。檜=日の木。目出度い。 みもろつく三輪山見ればこもりくの 泊瀬 (はつせ) の檜原 (ひはら) 思ほゆるかも  万1095 *三輪山を見ると泊瀬の檜原を思い出します。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1094番歌(我が衣にほひぬべくも)~アルケーを知りたい(1913)

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▼今回は、服に色移りしそうなくらい三室山の紅葉がすごいという歌。色移りを利用したのが、カモフラ柄なんだ、と思った。雪景色に溶け込むように白、乾燥地帯に溶け込むように茶、草木に溶け込むように緑。三諸山の紅葉時期に赤黄で行くと溶け込める(笑)。それにしてもなぜ万葉歌では染まるのを「にほひ」というのだろう。にほふ=香りを連想してしまうので。万葉百科の漢字本文は「 我衣色服染味酒三室山黄葉為在」になっている 。解釈の元は、、、「 色服」あたりが匂う(笑)。 我が衣にほひぬべくも味酒 (うまさけ)   三室の山は黄葉しにけり  万1094 *私の衣が染まりそうなくらい三室山が黄葉している。   右の三首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1093番歌(みもろのその山なみに)~アルケーを知りたい(1912)

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▼今回は暗号文の和歌。みもろの、とは神が来臨する場所のこと。1093番では三輪山のこと。子らが手を、は巻向山の枕詞。で、歌は二つの山の続き具合がよろしい、という眺めの良さを褒めるもの。三輪山が隠されたままなのがいかにも暗号的。 みもろのその山なみに子らが手を 巻向山は継ぎのよろしも  万1093 *三輪山の山なみと巻向山が接続している姿がよい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1092番歌(鳴る神の音のみ聞きし)~アルケーを知りたい(1911)

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▼今回は冒頭が「鳴る神の」というインパクトの強い枕詞で始まっているものだから、後がぶっ飛んでしまいました。鳴る神の、はあくまで音の枕詞なので、冷静に続きを見ると、何のことはない、噂で聞いていた山を実際に見たよ、という内容。だからどうした?とツッコミを入れたくなる。もう少し冷静になると、噂で聞いていた山を自分の目で見たという満足感、納得感、自慢みたいな気持ちを詠っているのだろう、と思ふ。噂でしか聞いたことのないストラディバリウスを今日、この目で見ました!的な。  山を詠む 鳴る神の音のみ聞きし巻向の 檜原の山を今日見つるかも  万1092 *人の話でしか聞いたことのない巻向の檜原山を今日、この目で見ました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1091番歌(通るべく雨はな降りそ)~アルケーを知りたい(1910)

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▼今回の歌を分かりやすくするために並び替えて見ると、 我れ、 我妹子が 形見の衣、 下に着り、 雨は 通るべく な降りそ になった。倒置表現、要らん!と思うが、かといってストレートだと味わいがなくなるとは言わんが、味が変わる。となると、倒置表現は和歌を和歌たらしめる基本の作法なのだろう、きっと。いまは服のサイズはS、M、Lで男性用と女性用がある。その感覚からすると妻の衣を着るのはサイズの関係で難しいのではないか・・・と思う。万葉時代はフリーサイズだったのだろう。歌を見て思うことがことごとくピント外れだ。この歌の芯は妻への思いを謳う男の心にありそう。ちゃうやろか。 通るべく雨はな降りそ我妹子が 形見の衣我れ下に着り  万1091 *雨が浸み通るほど降らないで欲しい。妻の形見の衣を下に着ているから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1090番歌(我妹子が赤裳の裾の)~アルケーを知りたい(1909)

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▼雨を共通項にして妻を思い出している良い感じの歌。お揃い、とか、一緒であることは大事なことなのだ。距離が離れていても、いや距離が離れているからこそ、あえて。  雨を詠む 我妹子が赤裳の裾のひづつらむ 今日の小雨に我れさへ濡れな  万1090 * 今日の 小雨で妻は 赤裳の裾を濡らしているだろう。私も濡れていくことにしよう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1089番歌(大海に島もあらなくに)~アルケーを知りたい(1908)

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▼今回は、天皇が伊勢に行幸したときに随行した人が詠んだ歌。作者不明。目の前に広がる海、おだやかな波、空には雲。陸から見たのか、舟から見たのか分からない。分からないことが多いけど、風景が見えて来そう。主張も感想もない、物語の始まりか途中かもわからない。この風景描写から自分で感じれば良いのだろう、この歌は。  大海に島もあらなくに海原の たゆたふ波に立てる白雲  万1089 *大きな海、島もない海原でたゆたう波の上に見える白い雲。   右の一首は、伊勢の従駕(おほみとも)の作。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1088番歌(あしひきの山川の瀬の)~アルケーを知りたい(1907)

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▼前回は、結果から原因を推理するタイプ、今回は、因果を仄めかすタイプ。共通する言葉は川・弓月が岳・雲。印象は、一首で世界が完結・心情吐露なし・男性的・ドライ。月の歌の二首セット、とても良い。 あしひきの山川の瀬の鳴るなへに 弓月が岳に雲立ちわたる  万1088 *山で川の瀬の音が賑やかだ。見ると弓月岳に雲が湧き立っている。   右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1087番歌(穴師川川波立ちぬ)~アルケーを知りたい(1906)

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▼川の水量が増えたのを見て、上流の山で雨が降っていると予想する歌。そのまま言うと面白くない理科的説明になる。しかし、「川波立ちぬ」と「雲居立てる」というと歌になるのだな、これが。  雲を詠む 穴師川 (あなしがは) 川波立ちぬ巻向の 弓月が岳に雲居立てるらし  万1087 *穴師川に波が立っている。巻向の弓月岳の空に雨雲が湧いているらしい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1086番歌(靫懸くる伴の男広き)~アルケーを知りたい(1905)

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▼今回の歌、解釈によると、前半は、難波の地域には矢立てを肩にかけた大伴の武人が大勢いたことを表しているそうだ。後半は、月が一帯を照らしている様子を「国栄えむ」と寿いでいる。誰が詠んだ歌か分からないけれど、大伴氏の領地を褒めている歌。静かなモノクロの風景画のイメージ。夜の月が照らし出す風景はどんなだろう、見たいと思ふ。 靫 (ゆき) 懸くる伴の男広き大伴に 国栄えむと月は照るらし  万1086 *大伴の領地一帯が栄えませというように月は照っているらしい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1085番歌(妹があたり我は袖振らむ)~アルケーを知りたい(1904)

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▼今回の歌も良いなと思う。でも、なぜ月に雲がかからないで欲しいと思うだろうか、とも思う。同じ照る月の下にいるのが大事なのに、その月が隠れては趣がなくなるじゃないか、ということだろう。だから雲に、今出て来るんじゃないよ、と言う。妻への慕情と、月への無茶な注文ぶりを楽しむ歌だな、これは。 妹があたり我は袖振らむ木の間より 出で来る月に雲なたなびき  万1085 *妻のいる方向に向かって私は袖を振ろう。雲よ、木の間から出て来る月を隠さないでくれよ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1084番歌(山の端にいさよふ月を)~アルケーを知りたい(1903)

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▼待つほどに現れない、のはよくある話で、今回は山からなかなか出てこない月を待つ歌。来ないから先に行ってしまうぞとも言えないし、時間だけが過ぎて行く(笑)。これから待たされることがあったら「我が待ち居らむ夜は更けにつつ」と口ずさむと、気持ちにゆとりが出て来るかも。この歌は周りとも、自分の気持ちとも、ほどよい距離を置いて眺める大人 (たいじん) のゆとりを感じさせる。 山の端にいさよふ月をいつともか 我が待ち居らむ夜は更けにつつ  万1084 *山の向こう側で出待ちしている月。いつ出るのだろうと待っているうちに夜は更けゆく。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1083番歌(霜曇りすとにかあるらむ)~アルケーを知りたい(1902)

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▼今回は、霜曇り、夜渡る月、という二つの言葉が印象的な歌。しかもちょっと寒そう。ただ「霜曇りすとにかあるらむ」が謎。というのは、霜曇りになるだろう、という意味にもなりそうだから。そうすると、下の句が予測になる。その可能性もあるけど、ここでは作者が月が見えないのでその理由を詠った歌だ、と思ふことにしました。 霜曇 (しもぐも) りすとにかあるらむひさかたの 夜渡る月の見えなく思へば  万1083 *霜をふらす雲に隠れてしまったのだろうな、夜の月をわたるが見えないのは。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1082番歌(水底の玉さへさやに)~アルケーを知りたい(1901)

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▼今回の歌の言いまわし方は印象的。そうか、月の明かりで水底の玉まで見えそうなくらいか、と。落ち着いて考えると、なぜ玉を持ち出したのだろう。葉っぱ、木の枝、貝殻、沈んだ花でも良いかも知れないのに。これはイメージの歌だから、月の光に渡り合うために玉を持ってきたのだろう、と思ふ。いやちょっと待てよ、透明な水晶玉だと全く見えないから、きっと白玉だ。 水底の玉さへさやに見つべくも 照る月夜かも夜の更けゆけば  万1082 *水の底に沈んだ玉がはっきりと見えそうなほど 明るい月夜です。夜が更けるにつれて。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1081番歌(ぬばたまの夜渡る月を)~アルケーを知りたい(1900)

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▼今回の歌の第一印象は、夜空を移動する月を眺めているうちに夜露で服が湿るなんてことがあるのだろうか、だった。でもしばらく考えて見ると、そういうこともあるかも、という気がしてきた。しばらく夜露で湿ってなかったので忘れたなー。 ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ 我が居る袖に露ぞ置きにける  万1081 *夜空を渡る月を面白く眺めているうち袖が露で湿っているのに気づいた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1080番歌(ひさかたの天照る月は)~アルケーを知りたい(1899)

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▼今回の歌のキモは「年は経につつ」だ。だから、この歌は人の老いを月に託して嘆いているのだ。月は毎晩、再起動して姿を現す。それに対して人は・・・という感慨だ。 ひさかたの天照る月は神代にか 出で反るらむ年は経につつ  万1080 *天の月は神代の時代に立ち戻ってまた出て来るのだろうか。地上の年は経つばかりなのだが。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1079番歌(まそ鏡照るべき月を)~アルケーを知りたい(1898)

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▼月が出ているはずなのに見えない。その理由を推理した歌。理科の話を和歌で表現した趣 。まそ鏡と白栲を取り去ると「照るべき月を雲か隠せる。(あるいは)天つ霧かも」となって分かりやすい。でもストレート過ぎ。枕詞が入るとクッションと味わいの効果が出て来る。同じことを表現するにしても、方法はいろいろあるのだなあ。 まそ鏡照るべき月を白栲の 雲か隠せる天つ霧かも  万1079 *鏡のように照るはずの月を隠しているのは、白栲のような雲かそれとも天の霧か。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1078番歌(この月のここに来れば)~アルケーを知りたい(1897)

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▼今回の歌を見て、そういえば、60年くらい前、家の玄関先で人を待つ様子を描いた漫画を見たような。玄関前に立って人や郵便を待つ姿があった時代だ。この歌もその源流で、妻が夫の帰りを、月の位置から割り出して、そろそろだろうと思って待つという話。天空が時計なんだ。 この月のここに来れば今とかも 妹が出で立ち待ちつつあるらむ  万1078 *空の月がこの場所に来れば今にも着くはず、と思って妻が玄関先で待っているだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1077番歌(ぬばたまの夜渡る月を)~アルケーを知りたい(1896)

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▼今回の作品は印象に残る面白い歌。月の歌を眺めているうちに、山に沈む月を見たくなる。太陽は毎日出入りしているので晴れていれば見られるけど、月はなかなかだ。今週は曇りの日ばかりだから、しばらくはお目にかかれない。そうなると、月の歌がありがたい存在になる。 ぬばたまの夜渡る月を留めむに 西の山辺に関もあらぬかも  万1077 *夜空を通り過ぎる月を留めるために西の山に関所があればよいのに。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1076番歌(ももしきの大宮人の)~アルケーを知りたい(1895)

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▼月の明かりだけで宴を張れるものか?と思うが、万葉時代の人はやれてたのだなあ。月に対する人の感覚は今より鋭敏そう。月のおかげで夜の風景が見えていた時代。新月から満月まで月の変化が夜の景色の見え方の違いになっていた、と思うと、なんかすごい。月のない夜は外に出られたもんじゃなさそう。 ももしきの大宮人の罷り出て 遊ぶ今夜の月のさやけさ  万1076 *大宮人が集まって宴会をして遊んでいます。今夜の月が良いから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1075番歌(海原の道遠みかも)~アルケーを知りたい(1894)

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▼今回の歌、詠み手は今夜の月はちょっと暗いと感じている。月は「そう言われましても、、、いつも通り照ってますけど」と言いそう。両者の 間に立つ 読み手としては、ちょっとおろおろ(笑)。 海原の道遠みかも月読の 光少なき夜は更けにつつ  万1075 *海原を渡る道のりが長いせいか、月の光が物足りないまま夜が更けています。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1074番歌(春日山おして照らせる)~アルケーを知りたい(1893)

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▼月の光(照らし出される風景)を見ながら離れたところにいる妻に思いを馳せる。エレガントな歌。今の時代、こういう風景を見る体験ってできるのだろうか。こういう風景というのは、山が月に照らし出される風景。どこかで電灯が点いている(それが安心なんだけど)。春日山どこかで灯る電灯は 妹が庭にもさやけくありけり。これはちょっと無理がある。 春日山おして照らせるこの月は 妹が庭にもさやけくありけり  万1074 *春日山一帯を照らすこの月は、妻の庭にも清らかに照っているのだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1073番歌(玉垂の小簾の間通し)~アルケーを知りたい(1892)

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▼この作品は、いくら良い夕月でも 独りぼっちは嫌だ、寂しい、とブーたれる歌。やっぱり人は気心通じる人と一緒にいるのが楽しいのだ。一人より二人のほうが何倍も楽しい。 玉垂の小簾の間通しひとり居て 見る験なき夕月夜かも  万1073 *ブラインドごしに一人で見る夕月なんて味気ないったらありゃしない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1072番歌(明日の宵照らむ月夜は)~アルケーを知りたい(1891)

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▼今回の歌、何を言ってるのだろう?と 最初は 思った。明日照る分の月を今夜に付け加えるという話なんだが。つまり今夜がナイスなので名残惜しい、長く続いて欲しいという意味だ。月夜の時間を融通できるとは知らんかった。 明日の宵照らむ月夜は片寄りに 今夜に寄りて夜長くあらなむ  万1072 *明日の夜の分も今日の月夜に寄せてできるだけ長くあって欲しい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1071番歌(山の端にいさよふ月を)~アルケーを知りたい(1890)

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▼今回は月が出るのを待つ歌。日の出待ちはあるあるだけど月の出待ちは・・・思い出そうとするが 記憶も経験もなかったので、新鮮。月の動きになんと鈍感だったことか。かといって敏感になれそうもない。友人と飲み屋を探して町をうろついているときビルの間に月が見えて良いなと思った記憶はあるのですが。 山の端にいさよふ月を出でむかと 待ちつつ居るに夜ぞ更けにける  万1071 *山の端っこで出待ちする月を待っているうちに夜が更けていきます。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7