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万葉集巻第6_1022-1023番歌(父君に我れは愛子ぞ)~アルケーを知りたい(1857)

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▼都から土佐に配流された人の嘆き歌四首の後半二首。本人がいろいろ言うとります(笑)。1022番は怖いところに連れていかれるという嘆き。1023番は途中で人気の観光スポットに寄れないという嘆き。石上乙麻呂卿と言う人、反省しているのか図太いのか、よく分からない人物。 父君に 我れは愛子ぞ 母刀自に 我れは愛子ぞ 参ゐ上る 八十氏人の 手向けする  畏の坂に 幣奉り 我れはぞ追へる 遠き土佐道を  万1022 *私は父と母の大事な息子であるのに、皆が厄除けに幣を奉る恐ろしい道を通って遠い土佐まで行かねばならない。  反歌一首 大崎の神の小浜は狭けども 百舟人も過ぐと言はなくに  万1023 *大崎の神の小浜は狭いけれども、舟で旅する人なら素通りすることはないと言うのに。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1020(1021)番歌(大君の命畏み)~アルケーを知りたい(1856)

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▼今回も女性問題で流罪になった高官の歌。前回は男が詠んだ歌、今回は女が詠んだ歌。無事の帰還を祈る内容になっている。参考書の脚注によると妻の立場で詠んでいる。万葉集巻6の編集者はこの歌の歌番号をひとつ間違えているのが可笑しい。なぜ気を散らしたのかなあ。 大君の 命畏み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我が背の君を かけまくも ゆゆし畏し 住吉の 現人神 船舳に うしはきたまひ 着きたまはむ  島の崎々 寄りたまはむ  磯の崎々 荒き波  風にあはせず 障みなく  病あらせず 速けく 帰したまはね もとの国辺に 万1020 *大君のご命令ですので夫は遠い地へ流罪になりましたが、途中で事故にも病にも遭わず速やかに帰って元に戻れますように。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1019番歌(石上布留の命は)~アルケーを知りたい(1855)

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▼今回は、女性問題で流刑になった高官を詠った長歌。「馬じもの綱取り付け、鹿じもの弓矢囲みて」で「馬鹿」になるのが面白い。   石上乙麻呂 卿、土佐の国に配さゆる時の歌三首  幷せて短歌 石上 布留の命は たわや女の 惑ひによりて 馬じもの 綱取り付け 鹿じもの 弓矢囲みて 大君の 命畏み 天離る 鄙辺に罷る 古衣 真土山より 帰り来ぬかも 万1089 *女に迷ったせいで都を追放されド田舎に流されることになった。帰って来れるのだろうか。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1018 番歌(白玉は人に知らえず)~アルケーを知りたい(1854)

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▼今回は「知らず」を繰り返す印象的な歌。27番歌「 よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見」を思い出す。27番は天武天皇が皇子たちに伝えたメッセージソング。今回の1018番は元興寺のお坊さんが自分を励ます歌。前書きと後書きでシチュエーションが分かるので助かる。助かるものの、前後に「嘆く」とあるから、嘆きの歌なんだと思ってしまうけど、歌じたいは嘆くのではなく、自らを納得鼓舞する内容。   十年戊寅に、 元興寺の僧 が自ら嘆く歌一首 白玉は人に知らえず知らずともよし 知らずとも我れし知れらば知らずともよし  万1018 *貴重な白玉の存在は人に知られていない。それで良い。私も人に知られていないが、自分が分かっているのでこれで良いのだ。   右の一首は、或いは「元興寺の僧、独覚にして多智なり。 いまだ顕聞あらねば、諸衆狎侮る。 これによりて、僧この歌を作り、自ら身の才を嘆く」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1017 番歌(木綿畳手向けの山を)~アルケーを知りたい(1853)

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▼坂上郎女が遠方の神社にお参りに行った日の夕方、宿泊先を思案する歌。この時代はオンラインで予約する仕組みはないので、宿が並んでいる通りを歩きながら 「いづれの野辺に廬りせむ我れ」と言いながら決めたのだろう 。泊りがけでどこかに行くとき、このセリフを呟いてみたい。   夏の四月に、 大伴坂上郎女 、賀茂神社を拝み奉る時に、すなはち逢坂山を越え、近江の海を望み見て、晩頭 (ひのぐれ) に帰り来りて作る歌一首 木綿畳 (ゆふたたみ) 手向けの山を今日越えて いづれの野辺に廬 (いほ) りせむ我れ  万1017 *手向けの山(逢坂山)を越えました、さて今日はどこに泊まろうか、私は。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1016 番歌(海原の遠き渡りを)~アルケーを知りたい(1852)

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▼宴会に集まる人々を滋味豊かな故事に喩えた歌。風流士とか風流秀才の士とか、ちょっと気取った言葉を持ち出したところが面白い。前に見た1011番では風流意気の士と言い、今回は風流秀才で来た。風流+二文字で世界が広がる。風流検索、風流散策、風流飲酒・・・どうもイマイチ。昼時なので風流昼食。   春の二月に、諸大夫等、左小弁 巨勢宿奈麻呂 朝臣が家に集ひて宴する歌一首 海原の遠き渡りを風流士の 遊ぶを見むとなづさひぞ来し  万1016 *遠い海を渡って風流士が遊んでいらっしゃる姿を見ようと苦労して参りました。   右の一首は、白き紙に書きて屋の壁に懸著く。 題には「蓬莱の仙媛の化れる嚢縵(ふくろかづら)は、風流秀才の士の為なり。 これ凡客の望み見るところならじか」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1013-1015 番歌(あらかじめ君來まさむと)~アルケーを知りたい(1851)

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▼急な来客に、おいでになると前もって分かっていたら支度してましたのに、と応対する歌。アポなしで来るんじゃなえ、ではなく、訪問を喜び歓迎する。こういう気持ちの余裕をなくなって幾星霜の自分には、今回の三首は、遠くてなつかしい思い出の風景のよう。   九年丁丑の春の正月に、橘少卿、幷せて諸大夫等、弾正尹 門部王 が家に集ひて宴する歌二首 あらかじめ君來まさむと知らませば 門にやどにも玉敷かましを  万1013 *あらかじめ貴方様がおいでになることが分かってましたら、門にも庭にも玉砂利を敷いてましたのに。   右の一首は主人門部王 後には姓大原真人の氏を賜はる 一昨日も昨日も今日も見うれども 明日さへ見まく欲しき君かも  万1014 *一昨日も昨日も今日もお会いしていますが、明日も会いたいと思う貴方様です。   右の一首は 橘宿禰文成  すなはち少卿が子なり   榎井王 、後に追和する歌一首 志貴親王の子なり 玉敷きて待たましよりはたけそかに 来る今夜し楽しく思ほゆ  万1015 *準備万端整えて待ち構えているより、突然いらっしゃって一緒に過ごす夜が楽しいです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1011-1012 番歌(我がやどの梅咲きたりと)~アルケーを知りたい(1850)

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▼「梅が咲いた」と告げる。これは 「集まれ」という意味だから、花は散っても構わないのだ、という1011番。その知らせを貰ったとき「こちらでは桜が咲きました」と返信するのは野暮、ということになる。言外の意を汲むのは難しい。その点、次の1012番は「わが家にやまず通はせ」と分かりやすい。   冬の十二月の十二日に、歌儛所の諸王・臣子等、 葛井連広成 が家に集ひて宴する歌二首 此来、古儛盛りに興り、古歳漸に晩れぬ。 理に、ともに古情を尽し、同じく古歌を唱ふべし。 故に、この趣に擬へて、すなわち古曲二節を献る。 風流意気の士、たまさかにこの集ひの中にあれば、争ひて念を発し、心々に古体に和せよ。 我がやどの梅咲きたりと告げ遣らば 来と言ふに似たり散りぬともよし  万1011 *我が家の梅が咲いたぞと伝えるのは遊びにおいでと言うことなので、花は散っても構わないのだ。 春さればををりにををりうぎひすの 鳴く我が山斎ぞやまず通はせ  万1012 *春になれば梅の花がぎっしりと咲き、ウグイスは鳴きます。そんな我が家にお通いください。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1009-1010番歌(橘は実さへ花さへ)~アルケーを知りたい(1849)

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▼今回、人名が交錯していて私は何が何だかしかとは分からないのだけれど、橘諸兄( 葛城王)が聖武天皇から橘の姓を賜ったときの歌。1009番は御製歌とあるので、聖武天皇の作品。1010番は詔に応えて諸兄の子、奈良麻呂が詠んだ歌。りっぱだ。親子ともに立派だ。  冬の十一月に、左大弁葛城王等、姓橘の氏を賜はる時の御製歌一首 橘は実さへ花さへその葉さへ 枝に霜降れどいや常葉の木  万1009 *橘は実、花、葉っぱ、枝に霜が降りても、いつも新鮮な緑の木です。   右は、冬の十一月の九日に、従三位葛城王・従四位上佐為王等、皇族の高き名を辞び、外家の橘の姓を賜はること已訖りぬ。 その時に、太上天皇・皇后、ともに皇后の宮に在して、肆宴をなし、すなはち橘を賀く歌を御製らし、幷せて御酒を宿禰等に賜ふ。 或いは「この歌一首は太上天皇の御製。 ただし、天皇・皇后の御歌おのおのも一首あり」といふ。 その歌遺せ落ちて、いまだ探ね求むること得ず。 今、案内に検すに、「八年の十一月の九日に、葛城王等、橘宿禰の姓を願ひて表を上る。 十七日をもちて、表の乞ひによりて橘宿禰を賜ふ」と。   橘宿禰奈良麻呂 、詔に応ふる歌一首 奥山の真木の葉しのぎ降る雪の 降りは増すとも地に落ちめやも  万1010 *奥山の真木の葉に降り積もる雪がますます降っても、橘の実が落ちることはありません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1008 番歌(山の端にいさよふ月の出でむかと)~アルケーを知りたい(1848)

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▼今回は、待ち人来たらずで困ってる気分の歌。待っているうちに時間が過ぎていく、というだけで別に困ったなーと言っているわけではない。けど読み手には遅れに対する不満が 十分に 伝わる。考えて見るとこの歌は実用的かも知れない。待たされたときに口ずさんで心を静める、とか、待たせたときにこの歌を添えて謝るとか。たしかに首黒麻呂は待たされたけど、こんな面白くていい歌を作ったから、タダでは起きてない。   忌部首黒麻呂 、友の遅く来ることを恨むる歌一首 山の端にいさよふ月の出でむかと 我が待つ君が夜は更けにつつ  万1008 *山から月が出るのをいつかいつかと待っているように俺は君を待っているというのに、なかなか現れないから夜が更ける一方じゃないか、プンプン。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1007 番歌(言とはぬ木すら妹と兄とあり)~アルケーを知りたい(1847)

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▼今回は、自分はひとりっ子なのが苦だと悲しぶる歌。これは遊びの歌ではないか、と思ふ。市原王じしんにはどうしようもないことだから。というのは例えば「言とはぬ花すらおしべめしべありといふを 夢と希望のなきが苦しき」と考えると、こちらのほうが悲しい。   市原王 、独り子にあることを悲しぶる歌一首 言とはぬ木すら妹と兄とありといふを ただ独り子にあるが苦しさ  万1007 *もの言わぬ木でも兄妹があるというのに、私は独りっ子だからつらい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1005-1006番歌(神代より吉野の宮に)~アルケーを知りたい(1846)

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▼「やすみしし我が大君の」と来れば山部赤人。冒頭で大君を詠う歌だ、と主旨がすぐ分かる。スピード感が良い。「山柿の門」というのもごもっとも。和歌の伝え方はこうでなくっちゃという王道の見本だ。   八年丙子の夏の六月に、吉野の離宮に幸す時に、 山辺宿禰赤人 、詔に応へて作る歌一首 幷せて短歌 やすみしし 我が大君の 見したまふ 吉野の宮は 山高み 雲ぞたなびく 川早み 瀬の音ぞ清き 神さびて 見れば貴く よろしなへ 見ればさやけし この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ ももしきの 大宮ところ やむ時もあらめ  万1005 *吉野宮は山高く川が速い。山がなくなりでもすれば、川が絶えでもすればこの大宮もなくなるだろうが、そんなことは決してない。  反歌一首 神代より吉野の宮にあり通ひ 高知らせるは山川をよみ  万1006 *神代の時代から吉野の宮に大君が通い世を支配するのは山と川が素晴らしいからです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1004番歌(思ほえず来ましし君を)~アルケーを知りたい(1845)

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▼ふらりと人が尋ねて来る、あるいは誰かを尋ねる、、、そんなことずいぶん長い間経験してないなーと思い出させてくれる歌。・・・とは言っても藤原俊成とかはいつも勉強していただろうから、人は遠慮した気がする。もっとも俊成は万葉時代の人ではないけれど。じゃあ万葉の時代でアポなし訪問を控えないといけなさそうな人は、というと・・・みなさんゆったりしている感じがするから、今は思いつかないなあ。   桉作村主益人 が歌一首 思ほえず来ましし君を佐保川の かはづ聞かせず帰しつるかも  万1004 *思いかげずおいでくださった貴方様に、佐保川の蛙の声をお聞かせしないままお帰ししたのが残念。   右は、内匠寮大属桉作村主益人、いささか飲饌を設けて、長官 佐為王 に饗す。 いまだ日斜つにも及ばねば、王すでに還帰りぬ。 時に、益人、厭かぬ帰りを怜惜しみ、よりてこの歌を作る。  〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1003番歌(海人娘子玉求むらし)~アルケーを知りたい(1844)

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▼今回は荒れた海に舟を出す漁師たちを見て 筑後守が 驚きを詠った歌。海人娘子のバイタリティとガッツがすごい。ご安全に。  筑後守外従五位下 葛井連大成 、遥かに海人の釣舟を見て作る歌一首 海人娘子 (あまを とめ) 玉求むらし沖つ波 畏 (かしこ ) き海に舟出せり見ゆ  万1003 *海人娘子は玉を求めているらしい。沖の波が激しい海なのに舟を出しているところを見ると。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1000-1002番歌(子らしあらばふたり聞かむを)~アルケーを知りたい(1843)

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▼ 今回は前回に続き六首ワンセットの後半の三首。万1000は一人で経験するのではなくてあの人と一緒だと良いのになと詠う歌。気の合う人といると楽しみが増え辛みは減る。万1002も仲間に寄り道して楽しもうと誘う歌。こういう寄り道、遊びは潤滑油。ものごとの進め方、これで良いのかと振り返らせてくれる。二つの歌に挟まれた万1001は、男は山に女は海にというスナップ写真。裳の赤がポイントだな。 子らしあらばふたり聞かむを沖つ洲に 鳴くなる鶴の暁の声  万1000 *あの子がいたら二人で聞きたいな。沖の洲で鳴いている明け方の鶴の声。  右の一首は 守部王 が作。 ますらをは御狩に立たし娘子らは 赤裳裾引く清き浜びを  万1001 *男たちは狩に出かけ、娘子ら赤裳を着用して清らかな浜辺に出ています。  右の一首は 山辺宿禰赤彦 が作。 馬の歩み抑へ留めよ住吉の 岸の埴生ににほひて行かむ  万1002 *ちょっとここで馬を止め、住吉の岸の埴生に染まってから参りましょう。  右の一首は 安倍朝臣豊継 が作。   〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_997-999番歌(住吉の粉浜のしじみ)~アルケーを知りたい(1842)

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▼今回は六首ワンセットから前半の三首。天皇が難波宮に出かけたときの歌。海岸の様子を詠っている。題材は順に、しじみ貝、山と舟、漁師。万葉人は、とにかく何でも歌にできる・していたのだなと思ふ。  春の三月に、難波の宮に幸す時の歌六首 住吉の粉浜のしじみ開けもみず 隠りてのみや恋わたりなむ  万997 *住吉の粉浜のシジミはぴったり閉じています。そうやって恋しい心を閉ざしているのでしょう。  右の一首は、作者いまだ詳かにあらず。 眉のごと雲居に見ゆる阿波の山 懸けて漕ぐ舟泊り知らずも  万998 *眉の形のように雲を率いる阿波の山。その山を目がけて漕ぎ進む舟。どこに停泊するのやら。  右の一首は船王が作。 茅渟 (ちぬ) みより雨ぞ降り来る四極 (しはつ) の海人 (あま)  網を干したり濡れもあへむかも  万999 *茅渟のあたりから雨が降ってきている。ここ四極の地の海人は網を干したままだ。濡れても良いのか。   右の一首は、住吉の浜に遊覧し、宮に還ります時に、道の上にして、守部王、詔に応へて作る歌。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_996番歌(御民我れ生ける験あり)~アルケーを知りたい(1841)

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▼今回は、734年に官人の 海犬養岡麻呂が詔に応えて詠った歌。今自分が生きている時代に巡り会えた幸いを詠う。この気持ち同感だなあ。  六年甲戌に、 海犬養宿禰岡麻呂 、詔に応ふる歌一首 御民 (おたみ) 我れ生ける験あり 天地 (あめつち) の栄ゆる時にあへらく思へば  万996 *大君の民として生きる私に良いことがありました、この世界が栄える時を見られるのですから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_993-995番歌(かくしつつ遊び飲みこそ)~アルケーを知りたい(1840)

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▼今回は三首。中でも「 かくしつつ遊び飲みこそ草木すら 春は生ひつつ秋は散りゆく」の 995番歌がぐっと來る。楽しい時間を過ごしながら春に生まれ秋に散る草木に命のうつろいを歌にする坂上郎女。無常観色のキャンパスに草木の絵を描いてる感じ。  同じき 坂上郎女 が初月の歌一首 月立ちてただ三日月の眉根掻き 日長く恋ひし君に逢へるかも  万993 *月が変わり三日月のように細い眉を掻いたおかげか、長らく逢ってなかった貴方様にようやくお目にかかれました。   大伴宿禰家持 が初月の歌一首 振り放けて三日月見れば一目見し 人の眉引き思ほゆるかも  万994 *顔を上げて三日月を見ると、一目見たお方の眉を思い出します。  大伴坂上郎女、親族を宴する歌一首 かくしつつ遊び飲みこそ草木すら 春は生ひつつ秋は散りゆく  万995 *こんなふうに遊び飲みしましょう。草木ですら春に生え秋には散っていくのですから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_992番歌(故郷の明日香はあれど)~アルケーを知りたい(1839)

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▼遷都すると明日香の場所も変わるらしい。坂上郎女が古い明日香も良いが奈良の新しい明日香は素晴らしいと詠う。大分には吉野があるので、この歌を応用すると、大分に吉野はあれどあをによし奈良の吉野を見らくしよしも、となる。   大伴坂上郎女 、元興寺の里を詠む歌一首 故郷の明日香はあれどあをによし 奈良の明日香を見らくしよしも  万992 *古里にも明日香はあるけれど、奈良の明日香を見るのは素晴らしい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_990-991番歌(茂岡に神さび立ちて)~アルケーを知りたい(1838)

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▼今回の二首は語呂がとても良い。キーワードも効いている。990番は「神さび立ちて栄えたる」の神さび立つが静かな動きを感じさせ、991番は「石走りたぎち流るる」のたぎち流るるが動きの動きを見せてくれる。この歌を「またも来て見む」になる。   紀朝臣鹿人 が跡見の茂岡の松の樹の歌一首 茂岡 (しげおか) に神さび立ちて栄えたる 千代松の木の年の知らなく  万990 *茂岡に良い感じの古びた松の木があるんだけど、樹齢がどれくらいか分からないんだ。  同じき鹿人、泊瀬の川辺に至りて作る歌一首 石走りたぎち流るる泊瀬川 絶ゆることなくまたも来て見む  万991 *岩の間を激しく流れる泊瀬川。これからもまた見に来よう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6