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万葉集巻第7_1129番歌(琴取れば嘆き先立つ)~アルケーを知りたい(1948)

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▼ 今回は 楽器の音を出す前に嘆きが先立つ、という歌。 どう解釈するのが正解なのか分からないけど、作者の気持ちが分かるような気がする歌。琴のボディの空間は霊魂が宿る場所と思われていたという。楽器を鳴らそうという時間はそれまでの時間の流れとちょっと違う。楽器を前にしたその瞬間、心で思っていたことがほろりと出て来る。レッスンだと、先生から集中しなさい!と注意される場面だ(笑)。  倭琴 (やまとこと) を詠む 琴取れば嘆き先立つけだしくも 琴の下樋 (したび) に妻や隠れる  万1129 *琴を手に取ると音より先にため息が漏れる。もしかすると琴の中に妻が隠れているのだろうか。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1128番歌(馬酔木なす栄えし君が)~アルケーを知りたい(1947)

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▼前回は 走井 (はしりゐ) の水、今回は石井 (いしゐ) の水。飲んでも飽かない、おいしい水。今回の歌のすごいのは、井戸を掘った人のことを詠い込んでいる点。その人物を馬酔木なす栄えし君、と讃えている。感謝の気持ちが伝わる歌は読めど飽かぬかも。 馬酔木 (あしび) なす栄えし君が掘りし井の 石井の水は飲めど飽かぬかも  万1128 *馬酔木のように栄えた貴方様が掘った井戸の石井の水は美味しくて飲み飽きません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1127番歌(落ちたぎつ走井水の)~アルケーを知りたい(1946)

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▼今回の歌の「走井の水の清くあれば」を見て、 実家の井戸を思い出した。子どもの頃はクラシックな形をした鋳鉄製の手押しポンプで水を汲んでいた。そのポンプが自分にとっての水汲みポンプ原型なので、その後登場するスマートなポンプやましてやモーターのポンプを見ると、こいつらは果たしてデザインの進化と言えるのだろうか、とか思った。実際は効率もよくて進化以外の何物でもないんだけど。で、今回の歌の走井の井戸はポンプではなくオケで汲み上げる方式だろうが、これがまた良いんだなあ。井戸でスイカを冷やすときオケを使うんだけど。万葉集の歌で、夏の涼をとるのに井戸水を使うという作品あるのかな。  井を詠む 落ちたぎつ走井 (はしりゐ) 水の清くあれば 置きては我れは行きかてぬかも  万1127 *流れ落ちる走井の水が清らかなので、素通りすることができません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1126番歌(年月もいまだ経なくに)~アルケーを知りたい(1945)

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▼今回の歌は、川に石を並べてぴょんぴょんと飛んで向こう岸に跳べるようにしたのだけど、しばらくぶりに再訪するとその石がなくなっている、という内容。子どもの頃、川辺で石ころを並べて防波堤を築いたり、海岸で砂のお城を作ったなあ。思い出したわ。こういうのはたちどころに無くなる。今回の歌もそれと似たような気持ちじゃんと嬉しくなった。 年月もいまだ経なくに明日香川 瀬々ゆ渡しし石橋もなし  万1126 *それほど年月が経っていないのに明日香川の瀬を渡る置き石がなくなっています。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1125番歌(清き瀬に千鳥妻呼び)~アルケーを知りたい(1944)

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▼今回は「故郷を思ふ」歌。清らかな川、瀬の流れ、山で響く千鳥の鳴き声。そこで空気を吸い込みながら、故郷を神なびの里、と詠う。日本そのものが神なびの里、と思ふ。  故郷を思ふ 清き瀬に千鳥妻呼び山の際に 霞立つらむ神なびの里  万1125 *清らかな流れの瀬で千鳥が妻を呼んでいる。山の際では霞が立っている。神なびの里です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1124番歌(佐保川に騒ける千鳥)~アルケーを知りたい(1943)

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▼夜、千鳥の鳴き声が聞こえると寝るに寝られない。子どもの頃、親戚の家にお泊りに行って夜、しくしく泣いて、家に送り返してもらったことがあるのを思い出した。我ながら情けないやつだった。今、1124番を見て、思い出しました。 佐保川に騒ける千鳥さ夜更けて 汝が声聞けば寐寝かてなくに  万1124 *佐保川で鳴き声をさかんに立てる千鳥よ。夜遅くなってから鳴くと寝ようにも寝られなくなる。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1123番歌(佐保川の清き川原に)~アルケーを知りたい(1942)

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▼下の句から見ると面白い。かはづと二つ忘れかねつも、と言うので、二つ?かはづの他に誰?と思うと答えが上の句にある。千鳥です。千鳥とかはづが忘れられない、という。場所は、佐保川の川原です。 佐保川の清き川原に鳴く千鳥 かはづと二つ忘れかねつも  万1123 *佐保川の清らかな川原で鳴く千鳥。カエルと共に忘れられない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1122番歌(山の際に渡るあきさの)~アルケーを知りたい(1941)

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▼この鳥を詠む歌に出る「あきさ」が秋沙という鳥。 カモ科の水鳥で日本では冬鳥、とのこと。鳥が川に浮かんでいるから、川よ波を立てるなよ、という鳥にも川にも伝わらなさそうなメッセージ。 さては、 川に語りかけているフリをしながら、人間に伝わることを意図した歌のようだぞ。  鳥を詠む 山の際に渡るあきさの行きて居む その川の瀬に波立つなゆめ  万1122 *山際を飛ぶ小鳥が一休みする川がある。瀬で波が立たないようにしておくれ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1121番歌(妹らがり我が通ひ道の)~アルケーを知りたい(1940)

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▼お目当てのところに行くのに邪魔な草原がある。歩きやすくなるよう倒れろと草に命じるのが面白い。  草を詠む 妹らがり我が通ひ道の小竹すすき 我れし通はば靡け小竹原  万1121 *あの娘の元に私が通う道に生えている小竹のようなススキよ。私が通るときは歩きやすいよう横になってくれ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1120番歌(み吉野の青根が峰の苔筵)~アルケーを知りたい(1939)

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▼この歌の作者は、苔の見事な様子を見てゴージャスな布地が峰を覆っている、と思ったのだろうなー。下の句にたて糸とよこ糸が出て来る。当時はビロードのような生地はまだなかったが。で、誰が織ったのだろうか、とつぶやく。それもそうだと思う人がいて、糸や織り方を考える。かくして織物技術が発達する。  苔を詠む み吉野の青根 (あをね) が峰の苔筵 (こけむしろ)  誰が織りけむ経緯 (たてぬき) なしに  万1120 *吉野の青根が峰の苔の筵は、いったい誰が織ったものだろうか、経糸緯糸もなしに。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1119番歌(行く川の過ぎにし人の)~アルケーを知りたい(1938)

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▼この歌によると、ヒノキの葉を手折って頭に挿すのは、通りかかる人のミッションなのだ。そうしないとヒノキの葉はうらぶれたままだから。強引だけど、それもそうかと思わせる説だ。 行く川の過ぎにし人の手折らねば うらぶれ立てり三輪の檜原は  万1119 *行く川の流れのように通りかかる人が手折って簪にしないとうらぶれたままの三輪の檜原です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1118番歌(いにしへにありけむ人も)~アルケーを知りたい(1937)

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▼この歌の場所は三輪の檜原。ここで何をやっているかというと、ヒノキの葉を適当に切り取って頭に挿した。旅人が催した花の宴でも参加者は頭に梅を頭に挿して興じていた。昔の歌詠みはこういう楽しみ方をしていたのだ。なんかうらやましい。  葉を詠む いにしへにありけむ人も我がごとか 三輪 (みわ) の檜原 (ひはら) にかざし折りけむ  万1118 *昔の人も、今わたしがやっているように三輪の檜原で檜の枝を折り取ってかんざしにしたのだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1117番歌(島廻すと磯に見し花)~アルケーを知りたい(1936)

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▼今回は花を詠むというタイトルの歌。シチュエーションが特殊で、なんと波間で揺れている花。これは波に濡れても取らなくちゃ、という。いや、これは花と言っているけど、実は気になる女性のことを詠っている歌なんじゃないか。自分には、古い時代は素朴で朴訥で未発達、時代が進むほど複雑で洗練され耽美的、という思い込みがあった。んなこたあない。1117番は新古今の歌、と言われたら、そうかあと思ってしまいそうだ。目が利かないだけと言われればそうかもだが。  花を詠む 島廻 (しまみ) すと磯に見し花風吹きて 波は寄すとも採らずはやまじ  万1117 *島廻りしていると風に吹かれた花が磯の水面に漂っているのを発見。波に濡れてもそれを採らずにはいられない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1116番歌(ぬばたまの我が黒髪に)~アルケーを知りたい(1935)

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▼今回の歌は、印象を言葉にするともともとの味わいが消えてしまいそう、だから黙ってそっと感じるだけにするのが良い。そんなタイプの歌と思ふ。量子力学を説明してくれという友人に 「それは目隠しした人に触覚だけで雪の結晶がなにかを教えるようなもので、触ったとたん溶けてしまう」と言ったポール・ディラック( 1902 - 1984、 英の物理学者)を思い出した。  露を詠む ぬばたまの我が黒髪に降りなづむ 天 (あめ) の露霜取れば消 (け) につつ  万1116 *私の黒い髪に天から降ってくる露霜に触れるとすぐ消えてしまいます。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1115番歌(妹が紐結八河内を)~アルケーを知りたい(1934)

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▼今回も結八川ネタの二首目。河内は見どころだったらしく、昔からよき人が見に訪れていた。そういうことも次第に忘れ去られ、いまや知っている人はいない、とつぶやく。この歌の味わいは人生の第4四半期を意識する年齢になると分かると思ふ 妹が紐結八 (ゆふや) 河内 (かふち) をいにしへの よき人見きとここを誰れ知る  万1115 *結八川の河内を昔の賢人が見たという。このことを今の誰が知っていることだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1114番歌(我が紐を妹が手もちて)~アルケーを知りたい(1933)

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▼この歌の内容は、結八川をまた見に来よう、なのだが(つまりシンプル)、上の句の仕掛けが楽しい。手もちて結八川。手もちては誰が?というと、妹。何を手もちて?というと紐。紐は誰の?というと我。最初から読んでも、逆から読んでも楽しめる。上の句を行ったり来たりした後、下の句を見ると、またかへり見む万代までに、となる。下の句にうまくつながっているわ。で、 結八川はどこにあるのか、というと今は分からない。 我が紐を妹が手もちて結八川 (ゆふやがは)   またかへり見む万代 (よろづよ) までに  万1114 *私の帯紐を妻が結ぶという結八川だ。これからもまた見に来よう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1113番歌(この小川霧ぞ結べる)~アルケーを知りたい(1932)

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▼誰かが言挙げするとどこかに霧が出る、そんな因果関係があったらしい、万葉時代は。だから霧が出たら、誰かが言挙げしたのだな、と分かるのだ。ただし、 吉祥なのか、凶兆なのか分からない。どちらかというと 凶兆のほうかな。分からんけど。 この小川霧ぞ結べるたぎちたる 走井 (はしりゐ) の上に言挙げせねども  万1113 *この小川に霧が出ている。激しく流れる走井の上で威勢の良いことを叫んだわけでもないのに。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1112番歌(はねかづら今する妹を)~アルケーを知りたい(1931)

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▼今回の歌は、3つの要素があると思ふ:ナンパの歌。若い娘の装いの歌。駄洒落の歌。下の句で率川の音のさやけさを詠いたいようだが、それまでに出て来る三杯飯でお腹いっぱい。 はねかづら今する妹をうら若み いざ率川の音のさやけさ  万1112 *新しい羽の髪飾りをつけた若い女性をいざいざと誘ってみたくなる率川 (いざがわ) の音のすがすがしさ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1111番歌(いにしへもかく聞きつつか)~アルケーを知りたい(1930)

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▼川岸に佇んで瀬の水音を聞く人の姿、いいなと思ふ。 いにしへもかく聞きつつか偲びけむ この布留川の清き瀬の音を  万1111 *昔もこんなふうに聞いていたのだろうか、布留川の清らかな瀬の音を。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1110番歌(ゆ種蒔くあらきの小田を)~アルケーを知りたい(1929)

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▼今回の歌は、「ゆ種」「あらきの小田」という言葉が何だろう?と思わせて目を引く。清めた籾を撒く田を探すという意味らしい。主人公は、川に入る可能性を考えてか、裾を上げてやってきた。そして川の瀬で濡れた、という歌。最初、濡れたのは想定外だったからこの歌?と思ったのだけれど、そうじゃなくて、狙い通り川に入って濡れたのだ、と予定していたことを実現させて、ちょっとドヤってる気分なのか?とも思える。不思議に気になる歌。 ゆ種蒔くあらきの小田を求めむと 足結ひ出で濡れぬこの川の瀬に  万1110 *清めた籾を蒔くのに相応しい田を探そうと袴の裾を上げて来たんだけど、この川の瀬で濡れてしまった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7