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万葉集巻第6_943-945番歌(玉藻刈る唐荷の島に)~アルケーを知りたい(1812)

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▼今回の反歌三首は、旅先で早く家に帰りたくてしょうがない、でも簡単には帰れない気分を詠う赤人。943番は鵜を見ては自分を重ね、944番では故郷に向かって進む船を見て羨ましく思う。944番では海が荒れるので危険を避けて湾内で大人しくしている。 まだまだ続きそうな、波を気にし ながらの海の旅。  反歌三首 玉藻刈る唐荷の島に島廻 (しまみ) する 鵜にしもあれや家思はずあらむ  万943 *唐荷の島を廻る鵜になった気分で家を偲んでいます。 島廻り我が漕ぎ来れば羨しかも 大和へ上るま熊野の船  万944 *島廻りしながら私たちが漕いでいると、羨ましいことに大和に向かう熊野の船が見えました。 風吹けば波か立たむとさもらひに 都太 (つだ) の細江に浦隠り居り  万945 *風が吹いて波が立つのではないかと様子見して、いま都太の細江に浦で大人しくしています。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_942番歌(あぢさはふ妹が目離れて)~アルケーを知りたい(1811)

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▼赤人が長旅の途中、船から風景の移り変わりを眺めながら「 隈も置かず 」家を恋しがる長歌。赤人の目には、島々、山々、雲が家から離れた象徴に映る。家への思いが募る。  唐荷の島を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首  幷せて短歌 あぢさはふ 妹が目離れて 敷栲の 枕もまかず 桜皮 (かには) 巻き 作れる船に 真楫貫き 我が漕ぎ来れば 淡路の 野島も過ぎ 印南都麻 (いなみつま)  唐荷の島の 島の際ゆ 我家を見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎたむる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々 隈も置かず 思ひ我が来る 旅の日 (け) 長み  万941 *妻と別れて船旅で淡路までやってきました。我が家はというと青い山と白い雲のずっと向こう。船は相変わらず島々の間を漕ぎ進んでいますが、長い旅の一日、考えるのは我が家のことばかり。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_939-941番歌(沖つ波辺波静けみ漁りすと)~アルケーを知りたい(1810)

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▼今回は、前回の美しい938番の長歌に続く三首の反歌。心弾む明るさが伝わってくる。939番で旅先の賑わいを詠い、次の940番で旅先での夜が長いので家が偲ばれると詠い、941番では帰途につくことになってニンマリする自分を詠う。「 下笑まむ」が効いてくる。  反歌三首 沖つ波辺波静けみ漁りすと 藤江の浦に舟ぞ騒ける  万939 *波が静かになると、 藤江の浦が 漁に出る 舟で 賑わいます。 印南野の浅茅押しなべさ寝る夜の 日長くしあれば家し偲はゆ  万940 *印南野で野宿すると夜が長いので、家のことばかり偲ばれます。 明石潟潮干の道を明日よりは 下笑 (したゑ) ましけむ家近づけば  万941 *明石潟が干潮になると現れる道を進むと思うと 嬉しくなります。明日から だんだん家に近づくから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_938番歌(印南野の邑美の原の)~アルケーを知りたい(1809)

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▼今回も山部赤人が明石の海を褒める歌。歌は3段構造になっている。①最初に場所を知らせ、②対比で説明し、③褒めて締める。938番は②の対比が鮮やか。こういう表現ができるようになりたい。   山部宿禰赤人 が作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君の 神ながら 高知らせる 印南野 (いなみの) の 邑美 (おふみ) の原の 荒栲の 藤井の浦に 鮪 (しび) 釣ると  海人舟 (あまぶね) 騒ぎ 塩焼くと  人ぞさはにある 浦をよみ  うべも釣りはす 浜をよみ  うべも塩焼く あり通ひ 見さくもしるし 清き白浜 万938 *藤井の浦にはマグロを釣りに漁師が集まり、塩を焼きに人が集まります。浦が良いから、浜が良いからです。だから天皇もお通いになるのでしょう、この清い白浜に。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_936-937番歌(玉藻刈る海人娘子ども)~アルケーを知りたい(1808)

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▼前回の長歌の後に続く反歌二首。観光だな、これはと思ふ。 936番は普段の生活では見られない仕事と人を見たい気持ち、937番は普段の生活では見られない風景を見たい気持ち。この気持ちを満たすのが観光なんだ。なんだか発見した気分。  反歌二首 玉藻刈る海人娘子 (あまをとめ) ども見に行かむ 舟楫もがも波高くとも  万936 *玉藻を刈る漁師や娘子たちを見に行く舟と楫があれば、波が高くても行きたいものです。 行き廻り見とも飽かめや名寸隅 (なきすみ) の 舟瀬の浜にしきる白波  万937 *周回して見ても飽きることがないでしょう。名寸隅の舟瀬の浜に寄せる白波は。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_935番歌(名寸隅の舟瀬ゆ見ゆる)~アルケーを知りたい(1808)

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▼今回の長歌は、726年の作品。聖武天皇行幸に合わせて笠金村が詠んだ歌。 名寸隅 (なきすみ) は地名で、現在の明石市の魚住町付近という。聞いたことがある町名だなと思ったら、中学時代の友人が住んでいる地名だ。天皇行幸の地なんだ、すごいな。 「朝なぎにと夕なぎに」「ますらをのとたをや女の」の対比が良き良き。  三年丙寅の秋の九月十五日に、播磨の国の印南野 (いなみの) に幸す時に、 笠朝臣金村 が作る歌一首  幷せて短歌 名寸隅 (なきすみ) の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに  玉藻刈りつつ 夕なぎに  藻塩焼きつつ 海人娘子 (あまをとめ)  ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ ますらをの  心はなしに たわや女の  思ひたわみて た廻 (もとほ) り 我れはぞ恋ふる 舟楫をなみ 万935 *淡路島の浦では海人や娘子たちが朝は玉藻を借り、夕は塩を焼くそうな。見に行くにも舟と楫がないので、益荒男の気持ちはどこへやら、手弱女のように思い悩んで、じりじりするばかり。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_934番歌(朝なぎに楫の音聞こゆ)~アルケーを知りたい(1807)

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▼海の近くで暮らしていると、朝凪が実感できるのだろう、と思うと羨ましい。というか自分が風に鈍感なのだろう。凪で静かになっているだけに楫の音がよく響くのだろう。野島の 海人の舟の楫の音、聞いてみたい。  反歌一首 朝なぎに楫の音聞こゆ御食 (みけ) つ国 野島の海人の舟にしあるらし  万934 *朝なぎのなか楫の音が聞こえます。御食の国の野島の海人が漕ぐ舟のようです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_933番歌(天地の遠きがごとく)~アルケーを知りたい(1806)

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▼「天地の遠きがごとく、日月の長きがごとく」は悠々としていて、リズムも響きも良い。こういうフレーズで詠う山部赤人と柿本人麻呂を大伴家持が「山柿」と呼んだのは、ごもっともなこと。後半は鰒も出てきて食欲を誘う。こうしてみると長歌も良いものだなーと思ふ。  山部宿禰赤人が作る歌一首  幷せて短歌 天地の  遠きがごとく 日月の  長きがごとく おしてる 難波の宮に 我ご大君 国知らすらし 御食つ国 日の御調と 淡路の 野島の海人の 海の底 沖つ海石に 鮑玉  さはに潜き出 舟並めて 仕へ奉るし 貴し見れば 万933 *天地が広大なように、時間が悠久のように、我が大君は国をお治めになる。淡路の海人が舟を並べて海から取った鮑玉を奉げるのは何とも貴いことです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_932番歌(白波の千重に来寄する住吉の)~アルケーを知りたい(1805)

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▼白波が寄せては返す住吉の浜。932番歌は陸に見える「埴生=赤や黄色の粘土」が焦点。 衣を染めて行きたいくらい良い色らしい。 埴生は 埴輪を作る時の土という。今でいうとカーキ色。そういえば今日のチノパンがカーキ色だ。何か嬉しいぞ。埴輪に染まる気分で、ゆったり過ごそう。  反歌一首 白波の千重に来寄する住吉の 岸の埴生 (はにふ) ににほひて行かな  万932 *白波が繰り返し寄せて来る住吉の岸の埴生に染まって行こう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_931番歌(鯨魚取り浜辺を清み)~アルケーを知りたい(1804)

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▼今回は大阪の住吉(すみのえ)の浜の歌。同じ地名で、大分には住吉浜( すみよしはま )という 歌川広重が絵にした 海岸がある。こちら「潮干狩り 浜辺を清み」の浜で、朝なぎに千重波寄せ、夕なぎに五百重波寄せているのだろう。浜は良いなあ。   車持朝臣千年 が作る歌一首  幷せて短歌 鯨魚 (いさな) 取り 浜辺を清み うち靡き 生 (お) ふる玉藻に 朝なぎに  千重波寄せ 夕なぎに  五百重波 (いほへなみ) 寄す 辺つ波の いやしくしくに 月に異に 日に日に見とも 今のみに 飽き足らめやも 白波の い咲き廻れる 住吉 (すみのえ) の浜  万931 *清らかな浜辺に玉藻が揺れています。朝のなぎに波が寄せ、夕のなぎにも波が寄せて来ます。 見飽きることがありません。白波が花のように咲き乱れるここ住吉の浜は。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_929-930番歌(荒野らに里はあれども)~アルケーを知りたい(1803)

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▼929番の「 大君の敷きます時は」を「所は」と誤読していたのに今、気づきました。ということは、大君がいらっしゃるとき、そこが都になる、と詠っているのでした。次の930番は場面が一転。棚なし小舟の楫の音の歌。貸しボートのイメージでとらえてしまったので、オールの音に聞こえてしまう。オリジナルの楫の音ってどんなだ?  反歌二首 荒野らに里はあれども大君の 敷きます時は都となりぬ  万929 *荒野にいくつも里はあるけれども大君がここと決めたところが都となるのです。 海人娘子棚なし小舟漕ぎ出らし 旅の宿りに楫の音聞こゆ  万930 *海人や娘子が小型の舟を漕ぎだしているようだ。旅の宿に楫の音が聞こえて来るところを見ると。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_928番歌(もののふの八十伴の男は)~アルケーを知りたい(1802)

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▼今回の笠金村の長歌は「大君がここと定めると臣下の大勢の男たちが集まって都を成す」という、大君と従う臣下を褒める内容のようだ。末尾に「旅にはあれども」とあるのは、行幸の途中でも大君がいらっしゃる場所が都になる、と強調しているのかな・・・難解歌のひとつ。  冬の十月に、難波の宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首  幷せて短歌 おしてる 難波の国は 葦垣 (あしかき) の 古 (ふ) りにし里と 人皆の 思ひやすみて つれもなく ありし間に 続麻 (うみを) なす 長柄の宮に 真木柱 太高敷きて 食 (を) す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味経 (あじふ) の原に もののふの 八十伴の男は 廬りして 都成したり 旅にはあれども  万928 *難波の国に対して人々はつれなかったけれど、大君がここと決めたからには、八十伴の男たちが旅の途中のキャンプを張って都にするのです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_927番歌(あしひきの山にも野にも)~アルケーを知りたい(1801)

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▼大がかりな狩り。狩場全体を見渡せる場所から、人々の動きをショート動画のように見せる歌。  反歌一首 あしひきの山にも野にも御狩人 (みかりひと)   さつ矢手挟み騒きてあり見ゆ  万927 *山にも野にも狩人のみなさんが幸矢を持って機敏に動き回っている様子が見えます。   右は、先後を審らかにせず。 ただし、便をもちての故に、この次に載す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_926番歌(み吉野の秋津の小野の)~アルケーを知りたい(1800)

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▼今回は天皇が吉野で行った狩りを詠う長歌。場所は野原や山。 ターゲットは鹿・猪・鳥。 時間は朝と夕方。 跡見や 射目を配置し、 馬を並べて実施 。大きい猪は、ものすごいパワフルで危ないから、きっと離れた所から矢で射たのだろう。となると、鹿や鳥を獲るのも矢だろう。当時の人たちはみな弓矢の名人ぞろいだろう。頼もしい。 やすみしし 我ご大君は み吉野の 秋津の小野の 野の上には 跡見 (とみ) 据ゑ置きて み山には 射目 (いめ) 立て渡し 朝狩に 鹿猪 (しし) 踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て 馬並めて 御狩ぞ立たす 春の茂野 (しげの) に 万926 *わが大君は吉野の野原と山にポイントを設け、朝は鹿と猪を、夕は鳥を狩りに、供と馬を並べて春の野にお立ちになります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_924-925番歌(み吉野の象山の際の)~アルケーを知りたい(1799)

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▼924番に出てくる「ここだくも(こんなにも)」が良い。ここだくも見つかる土産話かも、とか、ここだくもやらねばならぬ仕事かも、とか。ここだくもは、次に続くのが肯定的・否定的を問わず行ける。例えば、ここだくも輝く夜空の星の光かも、ここだくも鳴る尻の声かも。  反歌二首 み吉野の象山の際の木末には ここだくも騒く鳥の声かも  万924 *吉野の象山の木立では鳥がこんなにも騒いで鳴く声が聞こえるんですね。 ぬばたまの夜の更けゆけば久木 (ひさぎ) 生ふる 清き川原に千鳥しば鳴く  万925 *夜が更けるにつれて久木が生えているきれいな川原で千鳥がしきりに鳴きます。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_923番歌(やすみしし我が大君の)~アルケーを知りたい(1798)

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▼「やすみしし」で始まると山部赤人の歌と思ってしまう枕詞。やすみししの山部赤人化している。今回の長歌も対比が良い。春へは、と、秋されば。その山の、と、この川の。春と秋で季節の幅が、山と川で土地の表情が、豊かになる。マネしよう。朝は満タン、夕は残りわずか・・・自分のエネルギーですけど。この歌は吉野の宮を誉め、大宮人が常に通うところと詠う。天武天皇、持統天皇が大切にしていた聖地吉野。  山部宿禰赤人が作る歌二首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君の 高知らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠り 川なみの 清き河内ぞ 春 へは 花咲ををり 秋 されば 霧たちわたる その 山 の いやしくしくに この 川 の 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ 万923 *吉野は緑と清らかな川があります。川の流れの絶えないように大宮人はいつも通うのです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_921-922番歌(皆人の命も我がも)~アルケーを知りたい(1797)

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▼今回は吉野を褒める長歌920番の反歌二首。921番は吉野の滝から激しく流れる水を詠う。922番は吉野の滝を流れる水が絶えないように、人も自分も命が永遠に続けば良いのに、と詠う。誰もがそうだねと思うであろう歌だ。  反歌二首 万代に見とも飽かめやみ吉野の たぎつ河内の大宮ところ  万921 *長く長く見ても飽きることのない吉野のほとばしる流れの大宮は 皆人の命も我がもみ吉野の 滝の常盤の常ならぬかも  万922 *人も自分も命というものは、吉野の滝のように永遠であればよいのに。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_920番歌(あしひきのみ山もさやに)~アルケーを知りたい(1796)

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▼吉野の清らかで素晴らしい環境が万代にも続きますようにと祈る笠金村の歌。吉野川は落ちぎたつ。川の瀬は清い。上からは千鳥の鳴き声。地面からはカエルの声。大宮人の姿が見える。記憶に残る夏の五月の吉野の風景。ふと自分の記憶かと思ってしまいそうになる。いやいや笠金村の歌なのだ。  神亀二年乙丑 (きのとうし) の夏の五月に、吉野の離宮に幸 (いでま) す時に、笠朝臣金村が作る歌一首  幷せて短歌 あしひきの み山もさやに 落ちたぎつ 吉野の川の 川の瀬の 清きを見れば 上辺には  千鳥しば鳴く 下辺には  かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人も をちこちに 繁 (しげ) にしあれば 見るごとに あやにともしみ 玉葛 絶ゆることなく 万代に かくしもがもと 天地の 神をぞ祈る 畏くあれども 万920 *この先もずっと長くこのようにあって欲しいと天地の神に祈ります。畏れ多いことですが。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_918-919番歌(沖つ島荒磯の玉藻)~アルケーを知りたい(1795)

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▼今回の2首は長歌の後に続く反歌。724年の冬に聖武天皇が紀伊国に行幸したとき随行した山部赤人の歌、とのこと。後書きと前書きによれば。918番は捻った表現、919番は原因と結果を順序良く詠っているので分かりやすい。でもストレート過ぎるという批判もあるかも。あれこれと思いが浮かびあがる反歌二首。  反歌二首 沖つ島荒磯の玉藻潮干 (しほひ) 満ち い隠りゆかば思ほえむかも  万918 *沖の島の荒磯の玉藻が満潮になって隠れてしまうとどうなるだろう、と思ってしまいます。 若の浦に潮満ち来れば潟をなみ 葦辺 (あしへ) をさして鶴 (たづ) 鳴き渡る  万919 *若の浦の潮が満潮になると潟がなくなるので、水辺の葦を目指してやってきた鶴の鳴き声が響きます。  右は、年月を記さず。 ただし、「玉津島に従駕(おほみとも)す」といふ。 よりて今、行幸の年月を検し注して載す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_917番歌(やすみしし我ご大君の)~アルケーを知りたい(1794)

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▼917番の「清き渚に風吹けば白波騒ぎ 潮干れば玉藻刈りつつ 神代よりしかぞ貴き玉津島山」を見て、なるほど大伴家持が、山部赤人を柿本人麻呂と合わせて「山柿の門」と呼んだのが分かる・・・という気がしました。我が大君を褒める言葉の選び方、並べ方の良き。   神亀元年甲子の冬の十月五日に、紀伊の国に幸す時に、 山部宿禰赤人 が作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我ご大君の 常宮 (とこみや) と 仕へ奉れる 雑賀野 (さひかの) ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒ぎ 潮干 (ふ) れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山  万917 *雑賀野の先に見える島の清らかな渚。風が吹くと白波がたち、潮が引くと人が岸で玉藻を刈る。 神代の時代から貴い玉津島山です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6