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万葉集巻第7_1174番歌(霰降り鹿島の崎を)~アルケーを知りたい(1993)

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▼今回の歌の日、千葉の銚子にあたりの「鹿島崎」の海は波が高かったのだなー、と分かる歌。太平洋に利根川が流れる河口だし、見物したいのに残念という作者の気持ちが伝わる。 霰 (あられ) 降り鹿島の崎を波高み 過ぎてや行かむ恋しきものを  万1174 *鹿島崎は霰が降り波が高いので、残念だがこのまま通り過ぎよう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1173番歌(飛騨人の真木流すといふ)~アルケーを知りたい(1992)

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▼万葉時代、飛騨産の材木は丹生川を流して運んでいたようだ。今回は、川で材木を流す職人が声をかけあう様子を詠ったもの。言葉は交わすが、舟は通わない、という締め方を眺めていると、この作者は、「通う」と「通はぬ」を対にしたかったのだな、という気がする。通うのは真木なんだが、通はぬものを何にしようか・・・ええい、舟にしておこう的な(笑)。 飛騨人 (ひだひと) の真木流すといふ丹生 (にふ) の川 言 (こと) は通へど舟ぞ通はぬ  万1173 *飛騨の人が真木を流すという丹生川。会話は交わせるが、舟は通わないのだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1172番歌(いづくにか舟乗りしけむ)~アルケーを知りたい(1991)

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▼琵琶湖を見ていたら舟が目についた。どこから来たのだろう、という歌。別にどこから来ても構わない話なんだが、こうやって歌にすると風情が感じられる。WhoもWhenもWhyもないのに。 いづくにか舟乗りしけむ高島の 香取の浦ゆ漕ぎ出来 (でく) る舟  万1172 *どこから舟を出してきたのだろう。高島の香取の浦を漕ぎ進めている舟は。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1171番歌(大御船泊ててさもらふ)~アルケーを知りたい(1990)

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▼この歌の「渚し思ほゆ」が響くわーと思ふ。渚は、波うちぎわ。海と陸が接するアナログ的な場所。干潮になれば陸、満潮になれば海。 高島の三尾の勝野は、現在の滋賀県高島市。海とは琵琶湖のことだったのだ。 大御船 (おほみふね) 泊 (は) ててさもらふ高島の 三尾の勝野の渚し思ほゆ  万1171 *大君が乗船する船が停泊したという高島の三尾の勝野の渚のことを思います。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1170番歌(楽浪の連庫山に)~アルケーを知りたい(1989)

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▼あの山の上に雲が出ると雨が降る、とか、月に笠がかかると雨になる、とか聞いたことがある。今回は、その元祖のような歌。 楽浪 (ささなみ) の連庫山 (なみくらやま) に雲居れば 雨ぞ降るちふ帰り來我が背  万1170 *楽浪の連庫山に雲がかかっています。雨になりますから私の夫よ、お帰りください。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1169番歌(近江の海港は八十ち)~アルケーを知りたい(1988)

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▼今回の歌の「 近江の海」とは琵琶湖のこと。 淡水の大きな海なので、 淡海 (あはうみ) と呼ばれていたのが変化した。琵琶湖は舟を泊める場所がたくさん (八十) あるから、そのどこにいるのだろう、という歌。いまはどれくらいの数の港があるのか調べると、県が 管理する 港湾が 4、市が管理する漁港と舟溜が合わせて66ある。そのどこに貴方様はお泊りなんでしょうという気持ち、分かる気がします。 近江の海港は八十 (やそ) ちいづくにか 君が舟泊て草結びけむ  万1169 *近江の海には沢山の港があるけれど、そのどれに貴方様は舟を停めて宿を取っていらっしゃるのでしょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1168番歌(今日もかも沖つ玉藻は)~アルケーを知りたい(1987)

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▼今回の「今日もかも沖つ玉藻」の歌は伊藤本では七首をひとまとまりにした七番目の歌。風景を詠むふうを装って、実はオヤジか若者かが、気になる女性を詠んだ歌のようだ。 今日もかも沖つ玉藻は白波の 八重をるが上に乱れてあるらむ  万1168 *今日もまた沖の玉藻は重なり來る白波に揉まれて乱れているのでしょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1167番歌(あさりすと磯に我が見し)~アルケーを知りたい(1986)

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▼今回は先を越されて残念な気持ちの歌。この歌い手の残念度合は・・・というと、それほどでもなさそうな印象なのですが。どうなんでしょう(笑)。 あさりすと磯に我が見しなのりそを いづれの島の海人か刈りけむ  万1167 *磯で見つけたなのりそを刈りに行ったら、すでにどこかの漁師が刈り取っていました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1166番歌(いにしへにありけむ人の)~アルケーを知りたい(1985)

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▼榛の木は 樹皮や果実が褐色の染料になる。今回の歌は、万葉人が 「いにしえの人」が探し求めていたというところを見ると、それより昔から榛の木が染料の素になるのは知られていた。こういう例は他にもたくさんあって、文脈というかストーリーというか由来を知らないままではもったいない。 いにしへにありけむ人の求めつつ 衣 (きぬ) に摺りけむ真野 (まの) の榛原 (はりはら)  万1166 *昔の人が衣を染めるのに探し求めた染料の元があるのが、ここ真野の榛原です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1165番歌(夕なぎにあさりする鶴)~アルケーを知りたい(1984)

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▼今回も海辺の鶴の動向を観察した歌。鶴はいつものように狩猟をしているのだが、それをじっと見ている人間は和歌作品にする。鶴は、おい人間、歌とか作って遊んでないで仕事しろや、と内心で思っているのかも。 夕なぎにあさりする鶴潮満てば 沖波高み己が妻呼ぶ  万1165 *夕なぎの時間、餌を探していた鶴が、 潮が満ちて波が高くなると 妻を呼び始める。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1164番歌(潮干ればともに潟に)~アルケーを知りたい(1983)

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▼この歌を見て、なかなかよく観察してるじゃないか、と思った。偉そうに(笑)。干潮になると鶴が餌を獲りにやってくる、その声がしばらくすると遠ざかる。現場にいなくても、鳴き声の変化で鶴の動きが感じられる。この歌の詠み手は現地にいるので、遠ざかる鶴を見て磯を廻っているのだろう、と見当をつけている。そうかも知れないし、餌を求めて場所を変えてるだけかも知れない。餌の身になると、干潮で潟から顔を出したらいきなり鶴につかまって飲み込まれるんだから、たまったもんじゃない。声が遠ざかるとホッとするんじゃないか。 潮干ればともに潟に出で鳴く鶴の 声遠ざかる磯廻すらしも  万1164 *干潮になると潟に出て鳴く鶴の声が遠ざかるようだ。磯を廻っているのだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1163番歌(年魚市潟潮干にけらし)~アルケーを知りたい(1982)

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▼今回は、時間の経過を舟がいる場所の違いで表現している歌だ。ということは、この歌い手は、舟が満潮の朝に停泊地から漕ぎ出したときから、干潮で沖合にいるのを見る間、 年魚市潟もしくはその周辺にいたのだろう。およそ6時間。 年魚市潟 (あゆちがた) 潮干にけらし知多 (ちた) の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ  万1163 *年魚市潟が干潮らしい。知多の浦で朝から漕ぎだしていた舟が沖にいるのが見える。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1162番歌(円方の港の洲鳥)~アルケーを知りたい(1981)

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▼今回は、港から見た鳥の群れが鳴きながら場所を変える様子を詠った歌。鳥が妻を呼ぶ、とまるで人のように見ている。鳥に親しみをもつ歌い手と、この歌に親しみを持つ読み手の姿が目に浮かぶ。自分もそのひとり。 円方 (まとかた) の港の洲鳥波立てや 妻呼び立てて辺 (へ) に近づくも  万1162 *円方港の波が高くなると洲にいた鳥が妻を呼びながら岸辺に寄って来る。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1161番歌(家離り旅にしあれば)~アルケーを知りたい(1980)

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▼今回は秋風の寒き夕べの歌。暑い日にこの歌を見ると清涼感あり。寒い日にこの歌を見ると寂寥感あり。雁は冬鳥という。秋風+寒き夕べ+雁、で、気持ちまで寒くなりそう。  羇旅作 家離り旅にしあれば秋風の 寒き夕に雁鳴き渡る  万1161 *家から離れた旅の途中。秋風が吹く寒い夕方、雁が鳴きながら飛んでいく。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1160番歌(難波潟潮干に立ちて)~アルケーを知りたい(1979)

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▼人は難波から淡路に行くには舟を漕ぐしかない。でも鶴はひと飛びで渡れるんだよなあ、と羨ましい気持ちが感じられる歌。鶴にしてみれば、こっちは食べ物を求めて飛び歩いてるんですぜ、干潟に見物に来る暇がある人間が羨ましいです、かも知れない。 難波潟潮干に立ちて見わたせば 淡路の島に鶴渡る見ゆ  万1160 *干潮の難波潟を眺めていると、淡路島の方に向かって鶴が飛んでいくのが見えました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1159番歌(住吉の岸の松が根)~アルケーを知りたい(1978)

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▼今回は波の音の爽やさを詠ったもの。爽やかな波の音が聞こえる気持ちになるのが不思議。この歌の波はかなり大きい。岸の松が根をうちさらす勢いだから。近くで聞くのは、私はちょっと苦手かも。大きな波は怖いので。 住吉の岸の松が根うちさらし 寄せ来る波の音のさやけさ  万1159 *住吉の岸辺に生えた松の根を洗わんばかりに寄せて来る波の音の爽やかなこと。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1158番歌(住吉の沖つ白波)~アルケーを知りたい(1977)

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▼この歌を見ると思い出すのが宮崎市の一ッ葉海岸。太平洋の波が直接どーんと来る。そして、その波が来寄する浜を見れば清しも、は歌のとおり。子どもだったので波の音と迫力が怖かった。この歌は大阪の住吉に面した海なので一ッ葉海岸の波よりすこし穏やかじゃないかと思うんだけど、どうだろう。 住吉の沖つ白波風吹けば 来寄する浜を見れば清しも  万1158 *住吉の海の沖で白波が立っている。風が吹いて波が寄せる浜を見るとなんとも清らかだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1157番歌(時つ風吹かまく知らず)~アルケーを知りたい(1976)

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▼天気を心配して早めに動きましょう、という歌。今も昔も変わらないなあ。 時つ風吹かまく知らず吾児の海の 朝明の潮に玉藻刈りてな  万1157 *海の強い風がいつ吹きだすか分かりません。だから玉藻を刈りに 朝早く 吾児の海に出かけましょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1156番歌(住吉の遠里小野の)~アルケーを知りたい(1975)

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▼今回は、ある意味怖い歌(笑)。なぜかというと下の句の「衣の盛り過ぎゆく」というフレーズ。まさにオレやん、と。ま、それは置いといて、1156番は人との関係、おそらくは男女の距離感を表した歌だ。衣なら神さびてヴィンテージ感が出て来るから、嘆息ぎみの表現はしないだろう。というわけで今回はちょっぴり心に痛い歌。 住吉 (すみのえ) の遠里小野 (とほさとおの) の真榛 (まはり) もち 摺れる衣の盛り過ぎゆく  万1156 *住吉の遠里小野のハンノキの染料で染めた衣なのに、だんだんと色褪せている。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1155番歌(名児の海の朝明のなごり)~アルケーを知りたい(1974)

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▼今回の歌、遠浅の岸があるところだとお馴染みの風景。潮が引いた後にできる水たまり。いろんな形や大きさで現れる。時間が経つとだんだん消える。引いたときに奥まで行って小石や貝拾いに夢中になっていると、潮が満ちて帰り道がなくなる。 名児の海の朝明のなごり今日もかも 磯の浦みに乱れてあるらむ  万1155 *名児の海で朝早い時間に見られる潮だまり。今日の磯の浦にも乱れて現れているだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7