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源融の歌~アルケーを知りたい(1046)

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▼ 源融 は百人一首14番歌「 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに みだれそめにし我ならなく に 」の作者。 ▼陸奥地方にはしのぶもぢずりという布を染色加工する方法があった。色の境界がにじんだ感じになるので、みだれ染めにし、と歌った。おしゃれだ。 ▼友達の在原行平と月を見てやりとりした歌も良い。友達、月、酒そして和歌。 ▼源融 / 河原左大臣 みなもと の とおる  822(弘仁13)年 - 895(寛平7)年9月17日 73歳。  平安時代初期~前期の貴族。 嵯峨天皇 の第十二皇子。光源氏のモデル(?)。 838(16) 元服。839(17) 侍従。851(29) 公卿。武官。 856(34) 参議。870(48) 大納言。872(50) 左大臣。 876(54) 陽成天皇 、 藤原基経 の体制になると自宅に引籠。 891(69) 宇多天皇 の下で太政官。 ▼源融の和歌と*勝手に解釈 貞観御時、弓のわざつかうまつりけるに けふ桜しづくに我が身いざ濡れむ 香ごめにさそふ風の来ぬまに *今日、桜よ、雫で私の体を濡らそう。香りを誘って去っていく風が来るまでに。 題しらず 陸奥のしのぶもぢずり誰たれゆゑに 乱れむと思ふ我ならなくに *陸奥の「忍び草を使った捩じ摺り」の乱れ模様のように、私の心は誰ゆえに乱れると思うのか。他の誰にも心を乱そうと思う私ではないのに。 五節の朝に、簪の玉の落ちたりけるを見て、誰がならむととぶらひてよめる ぬしやたれ問へどしら玉いはなくに さらばなべてやあはれと思はむ *持ち主は誰なの?と問うても白玉は答えない。ならば皆全員、趣が深く素晴らしいと思うことにしよう。 家に 行平 朝臣まうで来たりけるに、月のおもしろかりけるに、酒などたうべて、まかりたたむとしけるほどに 照る月をまさ木のつなによりかけて あかず別るる人をつながむ *照る月をまさ木の綱で撚り懸けて、心残りのまま帰ろうとする人をつなぎ止めよう。 行平の返し: 限りなき思ひの綱の無くはこそ まさきのかづら撚りも悩まめ *限りない思いの綱がないから、まさ木の蔓を撚るのも大変だよ。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E8%9E%8D https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta

光孝天皇の歌~アルケーを知りたい(1045)

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▼ 光孝天皇 は百人一首15番歌「 きみがため春の野に出でてわかなつむ 我がころもでに雪は降りつつ 」の作者。 ▼今日はプログラミング教室なので今から大学のホールに行く。雨天なので「 きみがため家を出て授業の準備をする 我が足元は雨に濡れつつ 」です。 ▼光孝天皇 こうこうてんのう  830(天長7)年 - 887(仁和3)年9月17日 57歳。  第58代天皇。 仁明天皇 の第三皇子。文事を好み古風を復活、 宇多 ・ 醍醐 朝の和歌復興の基をなす。 遍昭 と親交。 日本三代実録の光孝天皇評:天皇少く(わかく)して聡明、好みて経史を読む。容止閑雅、謙恭和潤、慈仁寛曠、九族を親愛す。性、風流多く、尤も人事に長ず。 843(13) 元服。親王。 882(52) 一品。親王の筆頭。884(54) 陽成天皇 が譲位、第58代天皇。 藤原基経 が実質的関白。 ▼光孝天皇の和歌と*勝手に解釈 仁和のみかど、みこにおましましける時に、人に若菜たまひける御うた 君がため春の野にいでて若菜つむ わが衣手に雪はふりつつ *君のために春の野原に出て若菜を摘んできたよ。私の手に雪が降っていたけどね。 仁和の御時、僧正遍昭に七十の賀たまひける時の御歌 かくしつつとにもかくにも永らへて 君が八千代にあふよしもがな *こんなふうにとにもかくにも今日まで生きながらえて来たのだ。これからもこの調子で長生きして欲しいよ。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%AD%9D%E5%A4%A9%E7%9A%87 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/koukou.html

在原行平の歌~アルケーを知りたい(1044)

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▼ 在原行平 は百人一首16番歌「 たちわかれいなばの山の峰におふる 待つとし聞かばいま帰りこむ 」の作者。この歌はいなくなった飼い猫が帰って来るように祈る歌として重宝されているという。 ▼行平が鷹狩りのときに詠んだ「 翁さび人なとがめそ狩衣 けふばかりとぞ鶴も鳴くなる 」の「翁さび人」という言葉が良い。年甲斐もなく狩り衣なんか着てと思われるのを先取りして自分から詠んだ。鶴の絵をあしらった狩り衣なので、気取らずこういう歌にしてくれると周りも和む。 ▼在原行平 / 中納言行平 ありわら の ゆきひら 818(弘仁9)年 - 893(寛平5)年9月6日 75歳。  平安初期~前期の公卿・歌人。    平城天皇 の孫。 阿保親王 の次男。 業平 の兄。 源融 (14番歌)と交流。 藤原基経 と対立。 奨学院を創設。 840(22) 仁明天皇 の蔵人。855(37) 因幡守。859(41) 播磨守。870(52) 参議。873(55) 参議兼大宰権帥。881(63) 在原氏の学問所、大学別曹奨学院を創設。882(64) 中納言。887(69) 引退。 ▼在原行平の和歌と*勝手に解釈 題しらず 立ちわかれいなばの山の峰におふる まつとし聞かば今かへりこむ *立ち別れ行く因幡の山の峰に生える松、待っていると聞けば、今にも帰ってきましょう。 現代は、飼猫がいなくなったときに帰りを願うおまじないワード。 津の国のすまといふ所に侍りける時、よみ侍りける 旅人は袂すずしくなりにけり 関吹き越ゆる須磨の浦風 *旅人の袂が涼しい感じになる。関を吹き超える須磨の浦風に当たると。 布引の滝見にまかりて 我が世をば今日か明日かと待つかひの なみだの滝といづれ高けむ *我が世が来るのが今日か明日かと待つこの身。甲斐の涙の滝とどちらが高いだろう。 鷹飼ひにて、狩衣のたもとに鶴の形を縫ひて、書きつけたりける 翁さび人なとがめそ狩衣 けふばかりとぞ鶴も鳴くなる *爺くさい人が狩衣を、などと咎めないでね。今日だけだからと鶴も鳴いている。 友達の源融が行平に贈った歌: 照る月をまさきの綱によりかけて あかず別るる人をつながむ *照っている月をマサキで編んだ綱で繋いで引きとどめ、帰ろうとする人をずっと繋ぎ止めよう。 行平の返歌: 限りなき思ひの綱のなくはこそ まさきの葛かづらよりもなやまめ *そんなに限りない

在原業平の歌~アルケーを知りたい(1043)

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▼ 在原業平 は百人一首17番歌「 ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 」の作者。この歌の意味は、龍田川を唐紅の色に染めるとは神代の昔から聞いたことがない。初見では意味が分からなかった。 ▼でも業平の歌は分かりやすくて好きだ。気になるのは紀貫之の業平評。「 月やあらぬ春や昔の春ならぬ  我が身ひとつはもとの身にして 」と「 おほかたは月をもめでじこれぞこの つもれば人の老いとなるもの 」を例に挙げて「 その心余りて言葉足らず。しぼめる花の色なくて、にほひ残れるがごとし」と言っている。 ▼そうだなあと思えるし、そうかなあとも思える。両方とも好きな歌なんだけど。 ▼在原 業平 ありわらの なりひら 825(天長2)年 - 880(元慶4)年7月9日 55歳。  平安初期~前期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。 阿保親王 の五男。 在原行平 (16番歌)の弟。兄同様、鷹狩の名手。 『伊勢物語』は、業平の物語。 紀貫之 の業平評:その心余りて言葉足らず。しぼめる花の色なくて、にほひ残れるがごとし。( その例として挙げられたのが★の歌。私はとても良い歌だと思いますけど。) 『三代実録』の業平評:体貌閑麗、放縦不拘、略無才覚、善作倭歌。 847(22) 蔵人。879(54) 蔵人頭。880(55) 兼美濃権守。 ▼在原業平の和歌と*勝手に解釈 なぎさの院にて桜を見てよめる 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし *この世に最初から桜がなければ、春になっても心は長閑だったろうに。 ★ 月やあらぬ春や昔の春ならぬ  我が身ひとつはもとの身にして *月は月でなくなったのか、春は昔の春ではないのか。私独りだけが変わっていないのか。 題しらず ゆく蛍雲のうへまでいぬべくは 秋風吹くと雁に告げこせ *蛍よ、雲の上まで飛んでいくのなら、秋風が吹いているよと雁に伝えてくれ。 二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田河に紅葉流れたるかたを描けりけるを題にてよめる ちはやぶる神世もきかず龍田河 唐紅に水くくるとは *ちはやぶる神の世でも聞いたことがない、龍田川の水を唐紅の色に染めあげるとは。 名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと *都鳥という名を持つ鳥にお尋ねしよう、私を思い出してくれる人は都にいるかいないか。 あづまの方にまかりけ

藤原敏行の歌~アルケーを知りたい(1042)

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▼ 藤原敏行 は百人一首18番歌「 住江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ 」の作者。 下の句の「 夢の通ひ路 」という表現が良い。 ▼老いをポジティブに歌う「 老いぬとてなどかわが身をせめぎけむ 老いずは今日に逢はましものか 」が好き。今日もこういう気持ちでいようと思う。 ▼藤原 敏行 ふじわら の としゆき  ? - 907延喜7年 ?歳。  貴族・歌人・書家。 藤原富士麻呂 の長男。三十六歌仙の一人。古今最高の能書家。 871(?) 蔵人。895(?) 蔵人頭。897(?) 兼近江権守。 ▼藤原敏行の和歌と*勝手に解釈 住江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ *住江の岸に寄せる波は夜もやって来る。人は夢の通い道では人目を避けているのでしょうか。 秋立つ日、よめる 秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる *秋の訪れ。目にはっきり映るわけではなく、風の音で驚かされる。 白露の色はひとつをいかにして 秋の木の葉をちぢにそむらん *白露の色はひとつなのに、どのようにして秋の木の葉を千々に染めるのだろう。 寛平御時、うへのさぶらひ(殿上の間の侍)にて、をのこどもに大御酒たまひて、大御遊びありけるついでにつかうまつれる 老いぬとてなどかわが身をせめぎけむ 老いずは今日に逢はましものか *老いたからと言ってどうしてわが身を責めることがあろうか。老いずして今日のように楽しい日に巡り会えないのだから。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%95%8F%E8%A1%8C https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tosiyuki.html

元良親王の歌~アルケーを知りたい(1041)

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▼ 元良親王 は百人一首20番歌「 わびぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ 」の作者。 ▼難波の「みをつくし(澪標)」は 海の道路標識。 澪標は 「身を尽く」して船の航路を示してくれる存在。 大阪市のシンボルマーク。さすが歴史とセンスの大阪。 ▼元良親王 もとよししんのう  890(寛平2)年 - 943(天慶6)年8月29日 53歳。  平安前期~中期の皇族・歌人。 陽成天皇 の第一皇子。 929(39) 四十の算賀に 紀貫之 が屏風歌を作る。 936(46) 醍醐寺で塔の心柱を施入する儀式に 右大臣藤原仲平と共に 参加。 ▼元良親王の和歌と*勝手に解釈 題しらず 朝まだきおきてぞ見つる梅の花 夜のまの風のうしろめたさに *朝早く起きてすぐ確認したのが梅の花だよ。夜の間吹いていた風で散ったのじゃないかと気がかりで。 あひしりて侍りける人のもとに、返り事見むとてつかはしける 来や来やと待つ夕暮と今はとて かへる朝といづれまされ *早く時間にならないかと待っている夕暮れと、今はもう帰りましょうという朝と、どちらが勝っているでしょうか。 事いできてのちに、京極御息所につかはしける わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ *事が露見した以上、あなたに身を尽くしても会いたいと思います。 花の色は昔ながらに見し人の 心のみこそうつろひにけれ *昔ながらの美しさはそのままでありながら、お心が変わったのでしょうね。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8B https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/motoyosi.html

素性の歌~アルケーを知りたい(1040)

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▼ 素性 は百人一首21番歌「 いまこむと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな 」の作者。 ▼素性はよき歌詠みと思う。その理由は21番歌以外にもよき歌をたくさん詠んでいるから。例えば「 もみぢ葉のながれてとまる湊には 紅深き浪やたつらむ 」からは、色鮮やかな波が動く風景が浮かんでくる。「 もみぢ葉は袖にこきいれてもていでなむ 秋は限りと見む人のため 」からは、紅葉を見た感動を知人らと共有したいという気持ちが伝わってくる。「 秋風に山の木の葉のうつろへば 人のこころもいかがとぞ思ふ 」からは自分ではコントロールできない他人の心情の変化を自然の移り変わりと同様に受け入れる心境が伝わってくる。 ▼素性 そせい ? - ? ?歳。  歌人・僧侶。 三十六歌仙の一人。 遍昭 (12番歌)の子。 桓武天皇 の曾孫。  死去の後、 紀貫之 (35番歌) と 凡河内躬恒 (29番歌) が追慕の歌を詠む。 ▼素性の和歌と*勝手に解釈 花山にて、道俗、酒らたうべける折に 山守は言はば言はなむ高砂の をのへの桜折りてかざさむ *山の管理人が文句を言うならば言わせておこう。山の上に咲いた桜の枝を折って頭にかざそう。 桜の花の散り侍りけるを見てよみける 花ちらす風のやどりはたれかしる 我にをしへよ行きてうらみむ *花を散らしてしまう風がどこにいるか知っている人がいたら私に教えてください。そこに行って恨み言を言いますから。 寛平御時きさいの宮の歌合のうた 花の木も今はほりうゑじ春たてば うつろふ色に人ならひけり *今は花の木を掘り出して植え移すのは止めておきましょう。春が過ぎれば人と同じく花の色も移ろいます。 二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢ流れたるかたを画けりけるを題にてよめる もみぢ葉のながれてとまる湊には 紅深き浪やたつらむ *紅葉場が流れて溜まる湊には、赤色深い浪が立つことでしょう。 題しらず もみぢ葉に道はむもれてあともなし いづくよりかは秋のゆくらむ *紅葉葉で道が埋もれて分からなくなっている。どこを通って秋は去るのだろう。 望月のこまよりおそく出でつれば たどるたどるぞ山は越えつる *望月が木の間から出るのが遅く、馬で出発も遅れました。道を辿って山を越えて来ました。 いづくにか世をばいとはむ心こそ 野にも山にもまどふべらなれ *どこに行け