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万葉集巻第九1744‐1746番歌(埼玉の小埼の沼に)~アルケーを知りたい(1422)

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▼今回の三首は 高橋虫麻呂 が埼玉と茨城で詠んだ歌。 藤原宇合 の部下として、武蔵の国に出張していた時の歌。  武蔵の小埼の沼の鴨を見て作る歌一首 埼玉の小埼の沼に鴨ぞ翼霧る おのが尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし  万1744 *埼玉の小埼の沼にいる鴨が翼をぶるっとさせています。自分の尻尾に降りた霜を掃っているのだな。  那賀の郡の曝井の歌一首 三栗の那賀に向へる曝井の 絶えず通はむそこに妻もが  万1745 *三栗の那賀の向かいにある水あふれる井戸。ここにはしょっちゅう通いたいものよ、そこに妻がいてくれたら良いのに。  手綱の浜の歌一首 遠妻し多珂にありせば知らずとも 手綱の浜の尋ね来なまし  万1746 *もし遠くにいる妻が多珂にいれば、道を知らなくても「手綱の浜」のように尋ねて行くのに。 【似顔絵サロン】 高橋 虫麻呂  たかはし の むしまろ ? - ? 奈良時代の歌人。高橋連は物部氏の一族。 藤原 宇合  ふじわら の うまかい 694 - 737 奈良時代の公卿。藤原不比等の三男。藤原四兄弟の三男。藤原式家の祖。 740年、藤原広嗣の乱の関係者: 藤原 広嗣  ふじわら の ひろつぐ ? - 740 奈良時代の貴族。藤原式家の祖・藤原宇合の長男。朝廷に対し乱を起こすも鎮圧され斬刑。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1740‐1741番歌(常世辺に住むべきものを)~アルケーを知りたい(1421)

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▼今回は、おとぎ話の浦島太郎の万葉版。1740番の話から教訓を引き出すとすれば、過去に戻るな、かな。神も人も、見るな開けるなと言われると、必ず反対のことをする。そしてトラブルになる。そういうの行動を1741番で、 おそやこの君 (愚かな人だよ)と総括される。   水江の浦の島子 を詠む一首 幷せて短歌 春の日の 霞める時に 住江の 岸に出で居て 釣舟の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江の 浦の島子が 鰹釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海境を 過ぎて漕ぎ行くに 海神の 神の女に たまさかに い漕ぎ向ひ 相とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り  海神の 神の宮の  内のへの 妙なる殿に たづさはり ふたり入り居て 老いもせずして 長き世に ありけるものを 世間の  愚か人の  我妹子に 告りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告らひ 明日のごと 我れは来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この櫛笥 開くなゆめと そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年の間に 垣もなく 家失せめやと この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 臥いまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失せぬ 若くありし 肌も皺みね 黒くありし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける 水江の 浦の島子が 家ところ見ゆ 万1740  反歌 常世辺に住むべきものを剣太刀 汝が心からおそやこの君  万1741 *せっかく永遠に生きられる環境にいたのに、この人は自分の愚かさでこの結果。 【似顔絵サロン】 水江の浦の島子 高橋 虫麻呂  たかはし の むしまろ ? - ? 奈良時代の歌人。高橋連は物部氏の一族。今回の1740番と1741番「水江の浦の島子を詠む一首 幷せて短歌」は高橋連虫麻呂歌集にあるそうな。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1735‐1737番歌(山高み白木綿花に落ちたぎつ)~アルケーを知りたい(1420)

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▼今回は川を詠った作品3首。1735はカエルが登場する。カエルが歌に出ると、歌の面白みがマシマシなる気がする。1736に出てくる綿花を見たことがないので、日本にはコットンがあったのかと思った。不明を恥じる。   伊保麻呂 が歌一首 我が畳三重の川原の磯の裏に かくしもがもと鳴くかはづかも  万1735 *三重の川原の磯の裏蔭で、いつまでもこうしていたいよとカエルが鳴いています。   式部の大倭 、吉野にして作る歌一首 山高み白木綿花に落ちたぎつ 菜摘みの川門見れど飽かぬかも  万1736 *高い山から白い綿花が勢いよく落ちて散っているような菜摘川。この川の渡り場はいくら見ても見飽きることがありません。  兵部の 川原 が歌一首 大滝を過ぎて菜摘に近づきて 清き川瀬を見るがさやけさ  万1737 *大滝を通過して菜摘に近づいています。清らかな川瀬を見るとすがすがしい気持ちになります。 【似顔絵サロン】 伊保麻呂  いほまろ ? - ? 奈良時代の歌人。 大和 長岡  やまと の ながおか 689 - 769 奈良時代の貴族・明法家。万1736 川原  かはら ? - ? 兵部省の官吏。万1737 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1732‐1734番歌(思ひつつ来れど来かねて)~アルケーを知りたい(1419)

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▼万葉の和歌を見ていると、当時の人は移動に舟をよく使っていたようだ。今回の3首もそう。1732番は夜間の運航、1733と1734番は陸が見える距離で運航してるんだと分かる。風と人力なので、エンジン音もなく、静かに進んでいたのだろう。   碁師 が歌二首 大葉山霞たなびき夜更けて 我が舟泊てむ泊り知らずも  万1732 *大葉山に霞がたなびいて夜も更けようとしています。私の舟はどこに停泊するのでしょう、まだ分からないのですけど。 思ひつつ来れど来かねて三尾の崎 真長の浦をまたかへり見つ  万1733 *気になりつつも通り過ぎましたが、やはり気になって三尾の崎や真長の浦を振り返って見ました。   小弁 が歌一首 高島の安曇の港を漕ぎ過ぎて 塩津菅浦今か漕ぐらむ  万1734 *高島の安曇の港を通り過ぎて、今頃は塩津菅浦あたりを漕ぎ進めているのでしょう。 【似顔絵サロン】 碁師  ごし ? - ? 囲碁の専門家。 小弁  しょうべん ? - ? 万葉の歌人。小弁は役職名。太政官の左右小弁の職。  〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1726‐1727番歌(あさりする人とを見ませ)~アルケーを知りたい(1418)

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▼今回は対話形式の二首。男が若い女性に声をかける「ヘイ、お名前なんちゅーの」、若い女性は受け流す「知らない人には教えてやんない」といった格好。   丹比真人 が歌一首 難波潟潮干に出でて玉藻刈る 海人娘子ども汝が名告らさね  万1726 *難波の干潟で玉藻を刈っている漁師の娘さんよ、お前さんのお名前は何という?  和ふる歌一首 あさりする人とを見ませ草枕 旅行く人に我が名は告らじ  万1727 *ははは(笑)。ただの漁師ですからお見過ごしください。通りすがりのお方に名乗るほどの者ではございません。 【似顔絵サロン】 丹比真人 屋主 たぢひのまひとやぬし ? - ? 奈良時代の貴族・歌人。乙麻呂の父親。 丹比真人 乙麻呂 たぢひのまひとおとまろ ? - ? 屋主の次男。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1720‐1725番歌(馬並めて打ち群れ越え来)~アルケーを知りたい(1417)

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▼吉野川を詠う三首。1720の「 馬並めて」は好きな言葉。なぜかというと馬を並べている姿が絵になるから。次の二つの歌は否定形の言葉「飽かなく」「見ず」が入っているのに、良い感じで伝わる。これは、上手な否定形の使い方をしているからに違いない、と思ふ。1723と1724は「AだからB」型で、読んで?となる捻りのない表現が好き。   元仁 が歌三首 馬並めて打ち群れ越え来今日見つる 吉野の川をいつかへり見む  万1720 *仲間と馬を並べてやってきて今日見た吉野の川。次はいつ見られるだろうか。 苦しくも暮れゆく日かも吉野川 清き川原を見れど飽かなくに  万1721 *残念ながら日が暮れていく。吉野川の清い川原はいつまで見ても飽きないのに。 吉野川川波高み滝の浦を 見ずかなりなむ恋しけまくに  万1722 *吉野川の川波が高いので滝の浦を見ないままになりそう。そうなると後で恋しくなるでしょう。   絹 が歌一首 かはづ鳴く六田の川の川楊の ねもころ見れど飽かぬ川かも  万1723 *カエルが鳴く六田川。いくら眺めても見飽きない川です。   島足 が歌一首 見まく欲り来しくもしるく吉野川 音のさやけさ見るにともしく  万1724 *吉野川を見たくてやって来ました。川の流れる音のさわやかなこと。ますます心惹かれます。  麻呂が歌一首 いにしへの賢しき人の遊びけむ 吉野の川原見れど飽かぬかも  万1725  右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *昔の賢人たちがレジャーに来たという吉野の川原は、いくら見ても見飽きることがありません。 【似顔絵サロン】 元仁  がんにん ? - ? 万葉の歌人・法師・学者。万1720 絹  きぬ ? - ? 万葉の歌人。万1723 島足  しまたり ? - ? 万葉の歌人。万1724 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1717‐1719番歌(照る月を雲な隠しそ)~アルケーを知りたい(1416)

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▼今回は、不在を詠った三首。川でしっかり仕事をした・・・けれども濡れた服を乾かしてくれる人がいない、と詠う1717番。 寂しさが伝わる。声をかけあって舟を進めていた船頭たちの声が聞こえなくなった、どこかの港に着いた、と詠う1718番。 ここにはもう船頭の声も舟の姿もない静けさが伝わる。照る月を雲よ隠さないで、と詠う1719番。月の光の足らなさが伝わる。   春日 が歌一首 三川の淵瀬もおちず小網さすに 衣手濡れぬ干す子はなしに  万1717 *三川の淵にも瀬にもしっかり網を張ったので服の袖が濡れてしまった。けれど乾かしてくれる人はいない。   高市 が歌一首 率ひて漕ぎ去にし船は高島の 安曇の港に泊てにけむかも  万1718 *声を掛け合って漕ぎ去っていった舟。今頃は高島の安曇港に停泊していることだろう。   春日蔵 が歌一首 照る月を雲な隠しそ島蔭に 我が舟泊てむ泊り知らずも  万1719  右の一首は、或本には「 小弁 が作」といふ。 或いは姓氏を記せれど名字を記すことなく、或いは名号を稱へれど姓氏を稱はず。 しかれども、古記によりてすなはち次をもちて載す。 すべてかくのごとき類は、下みなこれに倣へ。 *雲よ、照っている月を隠さないでおくれ。私の舟が島のどこに泊まれば良いか分からないから。 【似顔絵サロン】 春日倉 老  かすがのくら の おゆ 670 - 720 飛鳥時代~奈良時代の僧・貴族・歌人。 高市 黒人  たけち の くろひと ? - ? 持統・文武両朝の官人・歌人。 小弁  しょうべん ? - ? 万葉の歌人。万1719 太政官の左右小弁の職にあった者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9