後鳥羽天皇~百人一首でアルケーを知りたい(964)
▼ 人も惜し 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は 99 感想 上の句と下の句の間の「あぢきなく」が両方に効いていると解釈すると、人はどうにもならないし、世もどうにもならない、それらを思う自分もどうにもならない。なかなかに無力感あふれる味わいの和歌。その味わいに共感が持てて面白いと思ふ。 ▼ 後鳥羽天皇 / 後鳥羽院 ごとばてんのう 1180治承4年8月6日 - 1239延応元年3月28日 59歳。 第82代天皇。在位:1183寿永2年9月8日 - 1198建久9年2月18日 高倉天皇 の第四皇子。 土御門天皇 、 順徳天皇 の父親。 文武両道。中世屈指の歌人。鍛刀を好み御番鍛冶を置く。菊の御紋の始祖。 1183(3) 平家が安徳天皇と 神器 をもって落ちのびる。 第82代天皇に即位。 後白河法皇が院政。 1185(5) 壇ノ浦の戦い。神器のうち宝剣が海中に沈む。 1190(10) 元服。 1192(12) 源頼朝が鎌倉で幕府を開く。 1195(15) 土御門天皇が生まれる。 1197(17) 順徳天皇が生まれる。 1198(18) 土御門天皇(3)に譲位。 1200(20) 「正治初度/後度百首和歌」を主催。式子内親王・九条良経・藤原俊成・慈円・寂蓮・藤原定家・ 藤原家隆 ・飛鳥井雅経・源具親・鴨長明らが詠進。 1201(21) 和歌所を開設。『 新古今和歌集 』編纂を開始。 1203(23) 和歌史上最大規模の「 千五百番歌合 」を主宰。 1210(30) 『新古今和歌集』完成。 土御門天皇が 順徳天皇に譲位。 1221(41) 承久の乱 。 北条義時 に兵を挙げ敗北、隠岐に配流。 1236(56) 「遠島御歌合」「時代不同歌合」他を開催。 後鳥羽天皇が秋を歌った: さびしさをいつより馴れてながむらん まだ見ぬ山の秋の夕暮 時代を超えて人々の共感を呼ぶであろう歌: 見ず知らぬ昔の人の恋しきは この世を嘆くあまりなりけり 【キーワードと感想】 『 新古今和歌集 』 しんこきんわかしゅう。1201年、後鳥羽院が勅命を出して編纂を開始し、1210年に完成した勅撰和歌集。後鳥羽院は1221年に承久の乱を起こし、敗北して隠岐に配流。『新古今和歌集』を再編集し、正統な『新古今和歌集』であるとして藤原家隆にプレゼント。これを「隠岐本」という