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紫式部の歌~アルケーを知りたい(1056)

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▼ 紫式部 は百人一首57番歌「 めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな 」の作者。 ▼この作品は、幼友達と久しぶりに会ったのに十分に話ができずに別れたことを残念に思った気持ちを歌ったもの。 ▼気持ちを和歌の形式で表出化する、って素晴らしい技術だ。 ▼紫式部 むらさきしきぶ 970天禄元年 -1031長元4年 61歳。 藤原兼輔 (27番歌)の曾孫。 藤原宣孝 の妻。娘が賢子( 大弐三位 、58番歌)。『源氏物語』『紫式部日記』の著者。 和泉式部 (56番歌) を「素行は良くないが、歌は素晴らしい」とし、 赤染衛門 (59番歌) を「家柄は良くないが、歌は素晴らしい」とし、 清少納言 (62番歌) を酷評した。 ▼紫式部の和歌と*勝手に解釈 はやくよりわらはともだちに侍りける人の、としごろへてゆきあひたる、ほのかにて、七月十日の比、月にきほひてかへり侍りければ めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲隠れにし夜半の月かげ *幼友達と久しぶりに会ったものの、夜半の月が雲に隠れるように十分に話もしないまま別れてしまった。 とほき所へまかりける人のまうできて暁かへりけるに、九月尽くる日、虫の音もあはれなりければよめる なきよわる籬の虫もとめがたき 秋のわかれや悲しかるらむ *まがきで鳴いている虫の声がだんだん弱っている。止めようとしても止まらない秋との別れが悲しいのでしょう。 浅からず契りける人の、行きわかれ侍りけるに 北へゆく雁のつばさにことづてよ 雲のうはがきかき絶えずして *北へ渡っていく雁の翼に言付けて、手紙を絶えず書き送ってください。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E5%BC%8F%E9%83%A8 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/musikibu.html

小式部内侍の歌~アルケーを知りたい(1055)

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▼ 小式部内侍 は百人一首60番歌「 大江山いくのの道の遠ければ まだふみもみず天の橋立 」の作者。 ▼ 小式部内侍は和泉式部の娘。あるとき 藤原定額 (64番歌)が「 お母さんの助けがないと和歌が詠めなくて困るでしょ」とか らかった時、 小式部内侍が たちどころにこの歌で返してやりこめたという。このエピソードが64番歌の 詞書になっている 。 ▼小式部内侍 こしきぶ の ないし 999長保元年 - 1025万寿2年11月 26歳。 平安時代の歌人。掌侍。父は橘道貞、母は 和泉式部 (56番歌) 。藤原公成の子を出産後、死去。 ▼小式部内侍の和歌と*勝手に解釈 題しらず 見てもなほおぼつかなきは春の夜の 霞をわけていづる月かげ *よく見てもはっきり分からないのは、春の夜に霞の間から出てくる月の姿です。 和泉式部、 保昌 に具して丹後国に侍りける頃、都に歌合侍りけるに、小式部内侍歌よみにとられて侍りけるを、 定頼 卿、局のかたに詣で来て、「歌はいかがせさせ給ふ、丹後へ人はつかはしてけんや、使まうで来ずや、いかに心もとなくおぼすらん(お歌作りの調子はいかがです? お母さまのいらっしゃる丹後まで助け 小式部内侍は をお求めになりましたか? お母さまの助けがないとさぞ心細いことでしょうな)」など、たはぶれて立ちけるを、引き留めてよめる 大江山いく野の道のとほければ まだふみもみず天の橋立 *母のいる大江山までは道が遠く、途中の天の橋立にも足を伸ばしてませんし返事の手紙も見ておりません。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%BC%8F%E9%83%A8%E5%86%85%E4%BE%8D https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kosikibu.html

和泉式部の歌~アルケーを知りたい(1054)

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▼ 和泉式部 は百人一首56番歌「 あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな 」の作者。 ▼和泉式部の歌は面白いが多い。「 世の中にあらまほしき事」として3首詠んだり、「 偲んでくれる人もない自分だから、生きている間に自分であはれあはれと言っておこう」と歌ったり「 どうしようどうすべきかという世の中で、世に背くと悲しいし世に従うと恨めしい 」と歌っている。 面白くて共感できる歌詠み人。 ▼和泉式部 いずみ しきぶ 978天元元年 - ? 平安時代中期の歌人。越前守・大江雅致の娘。大江雅致は 赤染衛門 (59番歌)の夫・ 大江匡衡 の兄弟。和泉守・橘道貞と結婚、娘が 小式部内侍 (60番歌)。 橘道貞と 離婚し 藤原保昌 と再婚。 藤原道長 の評:浮かれ女。 紫式部 の評:恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない。 1008(30)『和泉式部日記』 ▼和泉式部の和歌と*勝手に解釈 ここちあしきころ、人に あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな *私がこの世からいなくなる思い出に、もう一度お目にかかりたいものです。 丹後国にて、保昌 ( 和泉式部の再婚相手) あす狩せむといひける夜、鹿のなくをききてよめる ことわりやいかでか鹿の鳴かざらむ 今宵ばかりの命と思へば *明日は保昌さん が狩りをするので、鹿が今夜限りの命と思って鳴くのはもっともなことです。 世の中にあらまほしき事 (三首) おしなべて花は桜になしはてて 散るてふことのなからましかば *すべての花が桜になって、しかも散るなどということがなくなると良い。 みな人をおなじ心になしはてて 思ふ思はぬなからましかば *人はみんな同じ心になり、考え方の違いがなくなると良い。 世の中に憂き身はなくて をしと思ふ人の命をとどめましかば *辛い身の上の人が世の中からなくなり、良い人が長命であれば良い。 題しらず いかにせむいかにかすべき世の中を そむけば悲しすめばうらめし *どうしようどうすべきかという世の中で、世に背くと悲しいし世に従うと恨めしい。 世間はかなき事を聞きて しのぶべき人もなき身はある時に あはれあはれと言ひやおかまし *偲んでくれる人もない自分だから、生きている間に自分であはれあはれと言っておこう。 よみ花のさきたるを見て かへらぬは齢なりけり 年のうちにい

右近の歌~アルケーを知りたい(1053)

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▼ 右近 は百人一首38番歌「 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな 」の作者。 ▼この歌の意味は「人から忘れられる自分のことはさておき、人の命は惜しい」。自分よりも人、の歌。 ▼もうひとつの作品「 とふことを待つに月日はこゆるぎの 磯にや出でて今はうらみむ 」は、人を待つ月日の忍耐が切れたので海辺に行って恨みを言うのだ、という意味。 ▼右近 うこん ? - ?  村上天皇 期の歌壇で活躍した歌人。藤原季縄の娘。 元良親王 (20番歌 )、 藤原敦忠 (43番歌 ) 、 藤原 朝忠 ( 44番歌 ) らと交流。 960年、962年、内裏歌合に出詠。 966年の内裏前栽合(だいりぜんざいあわせ)の歌合に出詠。 ▼右近の和歌と*勝手に解釈 男の久しうとはざりければ とふことを待つに月日はこゆるぎの 磯にや出でて今はうらみむ *訪れを待っている月日が忍耐の限界を超えたので、こゆるぎの磯辺に出て恨み言を申しましょう。 題しらず 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな *忘れられる私の身はどうこう思いません。そう誓った人の命は惜しいものです。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E8%BF%91_(%E6%AD%8C%E4%BA%BA) https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ukon.html

伊勢の歌~アルケーを知りたい(1052)

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▼ 伊勢 は百人一首19番歌「 難波潟短き葦のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや 」の作者。 ▼伊勢の名は、役人の父が 伊勢守だったことから。 伊勢本人は宇多天皇の皇后に使えた女官。 ▼伊勢 いせ 872貞観14年 - 938天慶元年 66歳。 平安時代の歌人。 宇多天皇 の皇子敦慶親王(あつよししんのう)との間に娘の 中務 (なかつかさ)を生む。 宇多天皇の没後、摂津国嶋上郡古曽部で庵を結んで隠棲。 ▼伊勢の和歌と*勝手に解釈 難波潟短き葦のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや *難波潟の水辺に生えている短い葦の節の間のように短い時間も逢えずにこの世を過ごせと仰いますか。 題しらず 難波なるながらの橋もつくるなり 今は我が身をなににたとへむ *難波にある長柄橋も古くなったので新しく造りかえるそうだ。そうなると年を取った自分の身を何に例えればよいだろう。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2_(%E6%AD%8C%E4%BA%BA) https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ise.html#VR

蝉丸の歌~アルケーを知りたい(1051)

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▼ 蝉丸 は百人一首10番歌「 これやこの行くも帰るも別れつつ 知るも知らぬもあふさかの関 」の作者。 ▼蝉丸は琵琶の演奏家。10番歌の、これやこの・行くも帰るも・知るも知らぬも、からも蝉丸のリズム感が伝わる。 ▼ 今昔物語の蝉丸伝説では 源博雅 が蝉丸から琵琶の奏法を伝授される場面があり「諸々の道はこのようにひたすら好むべきものである 」と結ばれる。この話にも同感。( 巻二十四第二十三話 ) ▼「これやこの昨日今日と過ごしつつ 明日は知らぬ逢坂の関」。心の逢坂の関、と言いたいところだけど字余り過ぎるので略しました。 ▼蝉丸 せみまる ? - ? ?歳。 平安時代前期の歌人。隠者。盲、琵琶の名手。出家前の 遍昭 (12番歌 ) の和琴の師。音曲・芸能の神。 ▼蝉丸の和歌と*勝手に解釈 題しらず (二首) 秋風になびく浅茅の末ごとに おく白露のあはれ世の中 *秋風になびく浅茅の葉の白露のような世の中のはかなさよ。 世の中はとてもかくても同じこと 宮もわら屋もはてしなければ *世の中は宮殿であろうと藁屋であろうと同じことだ。最後はなくなってしまうのだから。 題しらず 逢坂の関の嵐のはげしきに しひてぞゐたるよを過ぎむとて *逢坂の関の嵐が激しいので、無理して外に出ず一晩じっとして過ごした。 相坂の関に庵室をつくりて住み侍りけるに、ゆきかふ人を見て これやこの行くも帰るも別れつつ 知るも知らぬもあふさかの関 *これがあの旅立つ人・帰る人・知っている人・知らない人たちが行き交う逢坂の関なのだ。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%89%E4%B8%B8 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/semimaro.html

小野小町の歌~アルケーを知りたい(1050)

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▼ 小野小町 は百人一首9番歌「 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせし間に 」の作者。 ▼「わがみよにふるながめせしまに」は「わが身、世に古る、眺めせし間に」の意味と「わが身、夜に降る長雨せし間に」の意味とが重なって味わいを出している。 ▼改変して「 街の色は移りにけりないたづらに わが身世に古る気づかぬ間に 」と詠んでみました。 ▼小野 小町 おの の こまち 825天長2年 - 900昌泰3年 75歳。 平安時代前期の歌人。 祖父が 小野篁 (11番歌)。 在原業平 (17番歌) 、 文屋康秀 (22番歌) 、良岑宗貞( 遍照 、12番歌)と和歌を贈答。 ▼小野小町の和歌と*勝手に解釈 題しらず 色見えでうつろふものは世の中の 人の心の花にぞありける *色が見えないまま変わるのは、世の人の心の中の花です。 題しらず 花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに *容色はいたずらに移り変わってしまうもの。世に降る長雨を眺めているうちにわが身も老いた。 井手の山吹を 色も香もなつかしきかな蛙なく ゐでのわたりの山吹の花 *色も香りも懐かしい。蛙の鳴き声が聞こえる井出のあたりに咲く山吹の花。 里にて、秋の月を 山里に荒れたる宿をてらしつつ 幾世へぬらむ秋の月影 *山里の荒れた小屋を照らして、幾世代も経た秋の月。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B0%8F%E7%94%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/komati.html

小野篁の歌~アルケーを知りたい(1049)

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▼ 小野篁 は百人一首11番歌「 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよあまのつりぶね 」の作者。 ▼小野篁は文武両道でガッツがある。11番歌は筋の通らない話に抗議した結果、流罪を被るという面白くない結果になったときの歌。 こういう人物のこういう歌が好き。 ▼小野 篁 / 参議篁 おの の たかむら 802(延暦21)年 - 853(仁寿2)年2月3日 51歳。  平安時代初期の公卿、文人。 いとこが武人にして歌詠みの 小野春風 。 父は 小野小町 の曾祖父。 815(13)  陸奥守になった父親の 岑守 ( みねもり) と陸奥国に同行。 弓馬に熱中。 嵯峨天皇 から「漢詩に優れる岑守の子であるのになぜ弓馬の士になってしまったのか」と嘆かれる。一念発起して学問。 822(20) 文章生試に合格。834(32) 遣唐副使。838(36) 遣唐使でトラブル。隠岐国へ流罪。840(38) 赦免、帰京。841(39) 刑部大輔。845(43) 蔵人頭。847(45) 参議。 ▼小野篁の和歌と*勝手に解釈 梅の花に雪のふれるをよめる 花の色は雪にまじりて見えずとも 香をだににほへ人の知るべく *花の色が雪に混じって見えなくても、香りだけでも匂わせてよ、人が知るように。 隠岐の国に流されける時に、舟にのりて出でたつとて、京なる人のもとにつかはしける わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人にはつげよ海人の釣舟 *大海原の島々に向かって舟で出て行ったと京の人には告げてね、海人の釣り船よ。 隠岐の国に流されて侍りける時によめる 思ひきや鄙のわかれにおとろへて 海人のなはたきいさりせむとは *思いもしなかったわ、鄙びたところまでやって来て、海人の縄を操って漁をしようとは。 題しらず しかりとて背かれなくに事しあれば まづ嘆かれぬあな憂世の中 *だからといって世に背を向けることもできない。まず嘆きから始まるのが憂き世の出来事だ。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%AF%81 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/takamura.html

遍昭の歌~アルケーを知りたい(1048)

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▼ 遍昭 は百人一首12番歌「 天つ風雲の通ひぢ吹き閉ぢよ 乙女の姿しばしとどめむ 」の作者。 ▼改変して 「 天つ風雲の通ひぢ吹き開け 多くの人もの動けるように 」。滞って困ることがないよう祈って。 ▼紀貫之は遍照を「 歌のさまは得たれどもまことすくなし」と評している。こんな怖いことよく言ったものだ。 ▼地震で能登の海岸がありえないほど隆起した。「 すゑの露もとのしづくや世の中の おくれさきだつためしなるらむ 」を改変して「船の底海の底の入れ替わり 新し港を作るためしなるらむ」。 ▼遍昭 へんじょう 816(弘仁7)年 - 890(寛平2)年2月12日 74歳。  僧・歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人。 桓武天皇 の孫。 素性法師 は息子。 紀貫之 の遍照評:近き世にその名きこえたる人。僧正遍昭は、歌のさまは得たれどもまことすくなし。例が★印。 849(33) 仁明天皇 の蔵人頭。 850(34) 仁明天皇が崩御、出家。 885(69) 京都市山科区花山の元慶寺で僧正。 ▼遍昭の和歌と*勝手に解釈 西大寺のほとりの柳をよめる ★ 浅みどり糸よりかけて白露を 玉にもぬける春の柳か *浅緑色の糸が白露を玉のように貫いている春の柳だ。 はちすの露を見てよめる ★ はちす葉のにごりにしまぬ心もて なにかは露を玉とあざむく *ハスの葉は濁りを知らない心を持つものなのに、なぜ露をして人に玉だと欺くのでしょう。 嵯峨野にて馬より落ちてよめる ★ 名にめでて折れるばかりぞ女郎花 我おちにきと人に語るな *オミナエシという名前が面白くて折り取っただけだ。それで体勢を崩して落馬した。このことは人に言わないでくれよ、女郎花。 里は荒れて人はふりにし宿なれや 庭もまがきも秋の野らなる *里は荒れて、住む人は年老いた我が家です。庭の真垣も秋の野になっています。 五節の舞姫をみてよめる あまつ風雲のかよひぢ吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ *天の風よ、雲が通う道を吹き閉じてくれ、そうして踊っている舞姫の姿をしばし止めてくれ。 題しらず すゑの露もとのしづくや世の中の おくれさきだつためしなるらむ *末の露、元の雫、これらは世の中の出来事の順序が後先になる例なのだろう。 題しらず 秋山のあらしのこゑをきくときは 木の葉ならねど物ぞかなしき *秋の山で嵐が吹いている音を聞くとき、自分は木の葉では

陽成天皇の歌~アルケーを知りたい(1047)

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▼ 陽成天皇 は百人一首13番歌 「筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる 」の作者。 ▼この歌の筑波嶺は 筑波山のこと、 みなの川は桜川のこと。 和歌に詠み込まれる名高い山や川が 茨城県に あった 。日本百名山、日本百景、茨城県のシンボル。 ▼陽成天皇 / 陽成院 ようぜいてんのう 869(貞観10)年1月2日 - 949(天暦3)年10月23日 80歳。 上皇歴65年、歴代1位。 876(7) 父親の 清和天皇 が譲位し、第57代天皇になる。 藤原基経 が摂政。 880(11) 清和天皇が崩御。基経と関係悪化。 883(14) 基経が政務放棄。 884(15) 退位し太上天皇になる。大叔父の 光孝天皇 ( 15番歌 ) が即位。 887(18) 光孝天皇が崩御。 宇多天皇 が即位。 890(21) 第一皇子の 元良親王 ( 20番歌 ) が誕生。 ▼陽成天皇の和歌と*勝手に解釈 つりどのの皇女につかはしける 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる *筑波の山の峰から流れ落ちるみなの川。恋が積もって淵となる。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E6%88%90%E5%A4%A9%E7%9A%87 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/youzei.html