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万葉集巻第6_923番歌(やすみしし我が大君の)~アルケーを知りたい(1798)

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▼「やすみしし」で始まると山部赤人の歌と思ってしまう枕詞。やすみししの山部赤人化している。今回の長歌も対比が良い。春へは、と、秋されば。その山の、と、この川の。春と秋で季節の幅が、山と川で土地の表情が、豊かになる。マネしよう。朝は満タン、夕は残りわずか・・・自分のエネルギーですけど。この歌は吉野の宮を誉め、大宮人が常に通うところと詠う。天武天皇、持統天皇が大切にしていた聖地吉野。  山部宿禰赤人が作る歌二首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君の 高知らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠り 川なみの 清き河内ぞ 春 へは 花咲ををり 秋 されば 霧たちわたる その 山 の いやしくしくに この 川 の 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ 万923 *吉野は緑と清らかな川があります。川の流れの絶えないように大宮人はいつも通うのです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_921-922番歌(皆人の命も我がも)~アルケーを知りたい(1797)

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▼今回は吉野を褒める長歌920番の反歌二首。921番は吉野の滝から激しく流れる水を詠う。922番は吉野の滝を流れる水が絶えないように、人も自分も命が永遠に続けば良いのに、と詠う。誰もがそうだねと思うであろう歌だ。  反歌二首 万代に見とも飽かめやみ吉野の たぎつ河内の大宮ところ  万921 *長く長く見ても飽きることのない吉野のほとばしる流れの大宮は 皆人の命も我がもみ吉野の 滝の常盤の常ならぬかも  万922 *人も自分も命というものは、吉野の滝のように永遠であればよいのに。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_920番歌(あしひきのみ山もさやに)~アルケーを知りたい(1796)

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▼吉野の清らかで素晴らしい環境が万代にも続きますようにと祈る笠金村の歌。吉野川は落ちぎたつ。川の瀬は清い。上からは千鳥の鳴き声。地面からはカエルの声。大宮人の姿が見える。記憶に残る夏の五月の吉野の風景。ふと自分の記憶かと思ってしまいそうになる。いやいや笠金村の歌なのだ。  神亀二年乙丑 (きのとうし) の夏の五月に、吉野の離宮に幸 (いでま) す時に、笠朝臣金村が作る歌一首  幷せて短歌 あしひきの み山もさやに 落ちたぎつ 吉野の川の 川の瀬の 清きを見れば 上辺には  千鳥しば鳴く 下辺には  かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人も をちこちに 繁 (しげ) にしあれば 見るごとに あやにともしみ 玉葛 絶ゆることなく 万代に かくしもがもと 天地の 神をぞ祈る 畏くあれども 万920 *この先もずっと長くこのようにあって欲しいと天地の神に祈ります。畏れ多いことですが。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_918-919番歌(沖つ島荒磯の玉藻)~アルケーを知りたい(1795)

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▼今回の2首は長歌の後に続く反歌。724年の冬に聖武天皇が紀伊国に行幸したとき随行した山部赤人の歌、とのこと。後書きと前書きによれば。918番は捻った表現、919番は原因と結果を順序良く詠っているので分かりやすい。でもストレート過ぎるという批判もあるかも。あれこれと思いが浮かびあがる反歌二首。  反歌二首 沖つ島荒磯の玉藻潮干 (しほひ) 満ち い隠りゆかば思ほえむかも  万918 *沖の島の荒磯の玉藻が満潮になって隠れてしまうとどうなるだろう、と思ってしまいます。 若の浦に潮満ち来れば潟をなみ 葦辺 (あしへ) をさして鶴 (たづ) 鳴き渡る  万919 *若の浦の潮が満潮になると潟がなくなるので、水辺の葦を目指してやってきた鶴の鳴き声が響きます。  右は、年月を記さず。 ただし、「玉津島に従駕(おほみとも)す」といふ。 よりて今、行幸の年月を検し注して載す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_917番歌(やすみしし我ご大君の)~アルケーを知りたい(1794)

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▼917番の「清き渚に風吹けば白波騒ぎ 潮干れば玉藻刈りつつ 神代よりしかぞ貴き玉津島山」を見て、なるほど大伴家持が、山部赤人を柿本人麻呂と合わせて「山柿の門」と呼んだのが分かる・・・という気がしました。我が大君を褒める言葉の選び方、並べ方の良き。   神亀元年甲子の冬の十月五日に、紀伊の国に幸す時に、 山部宿禰赤人 が作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我ご大君の 常宮 (とこみや) と 仕へ奉れる 雑賀野 (さひかの) ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒ぎ 潮干 (ふ) れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山  万917 *雑賀野の先に見える島の清らかな渚。風が吹くと白波がたち、潮が引くと人が岸で玉藻を刈る。 神代の時代から貴い玉津島山です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_914-916番歌(滝の上の三船の山は)~アルケーを知りたい(1793)

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▼914番は、前回の913番の長歌に続く反歌。この歌が面白いのは、三船山を畏い、と言いつつも、思うのは家に残した妻のこと、と本心を見せるような表現にしてあるところ。油断ならん人だな、車持千年さんは(笑)。 ▼続く915番と916番、これは相聞歌だと思うがどうでしょう。編集者の注釈によると、「吉野川」が歌に入っているから、ここに入れたそうだ。編集者の迷いの後が伝わる気がする。  反歌一首 滝の上の三船の山は畏 (かしこ) けど 思ひ忘るる時も日もなし  万914 *滝の上に見える三船山は畏れ多いけれども、家で待つ妻のことをしょっちゅう思っています。  或本の反歌に曰はく 千鳥鳴くみ吉野川の川音の やむ時なしに思ほゆる君  万915 *千鳥が鳴く吉野川の川のせせらぎの音が止むときがないように、いつも私は彼女を思っています。 あかねさす日並べなくに我が恋は 吉野の川の霧に立ちつつ  万916 *旅に出てから日数は経っていないのに私の妻への思いは吉野川の霧のように立ち昇ります。  右は、年月詳らかにあらず。 ただし、歌の類をもちてこの次に載す。 或本には「養老七年の五月に、吉野の離宮に幸す時の作」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_913番歌(味凝りあやにともしく)~アルケーを知りたい(1792)

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▼「あやにともしく」の枕詞「味凝(うまこ)り」で始まる長歌。両方、意味が分からんのだが、響きから非日常的なことを詠う予感がする。味凝の文字を見ると、なぜか寒天をイメージしてしまう。凝固させて味わうものだからか。 ▼この歌で車持千年さんは、吉野を一人で旅しているので、山や川、朝霧や蛙の鳴き声に触れた心象を誰かと分かち合えないのが残念、と詠う。SNSがあれば写真をつけて発信しているのは間違いない。   車持朝臣千年 が作る歌一首  幷せて短歌 味凝 (うまこ) り あやにともしく 鳴る神の 音のみ聞きし み吉野の 真木立つ山ゆ 見下ろせば  川の瀬ごとに 明け来れば  朝霧立ち 夕されば  かはづ鳴くなへ 紐解かぬ 旅にしあれば 我のみして 清き川原を 見らくし惜しも  万913 *吉野の山から見下ろすと朝は霧、夕がたは蛙が鳴いている。ひとり旅の途中なので、清らかな川原を見た印象を人と分かち合えないのが残念だ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_910-912番歌(神からか見が欲しからむ)~アルケーを知りたい(1791)

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▼前回の908番、909番の別バージョンの反歌。水の泡を木綿の花に見立てた912番が印象的です。みなさんはいかがでしょうか。  或る本の反歌に曰はく 神 (かむ) からか見が欲しからむみ吉野の 滝の河内 (かふち) は見れど飽かぬかも  万910 *神々しいから誰もが見たくなるのだろう。吉野の滝の河内はいくら見ても見飽きない。 み吉野の秋津の川の万代 (よろづよ) に 絶ゆることなくまた帰り見む  万911 *吉野の秋津川にはこれからも絶えることなく見に戻ってこよう。 泊瀬女 (はつせめ) の造る木綿花み吉野の 滝の水沫 (みなわ) に咲きにけらずや  万912 *泊瀬の女性が作る木綿の花のように、吉野の滝で水泡が咲いているではありませんか。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_908-909番歌(年のはにかくも見てしか)~アルケーを知りたい(1790)

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▼今回は、長歌907番の後に続く 反歌2首。天武天皇と持統天皇が吉野を大事にしていた気持ちが引き継がれている。吉野川と滝を褒める歌。滝はそうそうどこにでもあるものではないから、とっておきの存在。  反歌二首 年のはにかくも見てしかみ吉野の 清き河内のたぎつ白波  万908 *毎年繰返し見たいのが吉野の清らかな河内でほとばしる白波です。 山高み白木綿花に落ちたぎつ 滝の河内は見れど飽かぬかも  万909 *高い山から白木綿の花のように落ちてしぶきをあげる滝がある河内。ここは見ても見ても飽きません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_907番歌(み吉野の秋津の宮は)~アルケーを知りたい(1789)

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▼前に味わった巻3から巻5は思い切って飛ばして今日から巻6。参考書にしている角川ソフィア文庫の万葉集では第二巻。最初は 笠金村が吉野を褒める歌。神からか貴くあらむ、国からか見が欲しくあらむ、と二方向から良さを強調する表現が魅力的で、マネせねばと思ふ  雑歌  養老七年葵亥の夏の五月に、吉野の離宮に幸す時に、 笠朝臣金村 が作る歌一首  幷せて短歌 滝の上の 三船の山に 瑞枝さし 繁に生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 万代に かくおし知らさむ み吉野の 秋津の宮は 神からか 貴くあらむ 国からか 見が欲しくあらむ 山川を 清みさやけみ うべし神代ゆ 定めけらしも  万907 *吉野の秋津宮は、神々のおかげで貴い、国柄のおかげで誰もが見たいと思う。 山や川は清くさわやかだ。だから神代の昔からここを都と定められたのだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第2_143-144番歌(岩代の崖の松が枝)~アルケーを知りたい(1788)

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▼前回で巻一の最後の歌を味わったので、今回から巻二を見よう、と思った。のだが、相聞から始まり挽歌に続く。相聞は苦手だし、挽歌の背景には悲しいエピソードがあって辛い。そこで 長忌寸意吉麻呂の歌二首に巻二を代表してもらうことにした。困った時の長忌寸意吉麻呂頼み。   長忌寸意吉麻呂 、結び松を見て哀咽しぶる歌二首 岩代の崖の松が枝結びけむ 人は帰りてまた見けむかも  万143 *岩代の岸の松の枝。祈りを込めて結んだ人はまたここに戻って来れたのだろうか。 岩代の野中に立てる結び松 心も解けずいにしへ思ほゆ   いまだ詳らかにあらず  万144 *岩代の野原に立っている結び松のように、私の心も解けないまま昔を偲んでいます。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=2

万葉集巻第1_84番歌(秋さらば今も見るごと)~アルケーを知りたい(1787)

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▼今回は天智天皇の息子と天武天皇の息子が二人で秋の終わりに開いた宴での歌。 巻一の最後を締めるのにふさわしい 穏やかな雰囲気。  寧楽の宮  長皇子、志貴皇子と佐紀の宮にしてともに宴する歌 秋さらば今も見るごと妻恋ひに 鹿鳴かむ山ぞ高野原の上  万84 *秋が去ると、今見ているように、妻を求めて鹿が鳴く山です、あの高野原の上は。  右の一首は 長皇子 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_83番歌(海の底沖つ白波竜田山)~アルケーを知りたい(1786)

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▼今回は「海の底沖つ白波」で始まるので海の歌かなと思うと、違うのだ。白波が立つ、竜田山、の駄洒落遊び。読み進めると、竜田山を越えるのはいつ頃になるだろう、早く妻が待っている方向を見たいのだが、という趣旨だと分かる。「妹があたり見む」を言いたい歌だ。 振返ってわが身と見ると、結論は何か、と急ぐばっかしのせっかち気質。これではいかん。ゆったりと余裕を持って人の言うことを聞かないといけない。ありがたい教訓歌だった。 海 (わた) の底沖つ白波竜田山 いつか越えなむ妹があたり見む  万83 *竜田山を越えるのはいつになるだろうか。妻がいるところを早く見たい。  右の二首は、今案ふるに、御井にして作るところに似ず。けだし、その時に誦む古歌か。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_82番歌(うらさぶる心さまねし)~アルケーを知りたい(1786)

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▼この歌のキーフレーズは、下の句「天のしぐれの流れ合ふ見れば」だ。それでどうなるかというと、上の句「うらさぶる心さまねし」状態になる。長田王の場合は。自分だと、時雨がわちゃわちゃなっているので上 空は風が強そうだ、と思ってしまいそう。情緒っちゅうもんが足らないと自覚。 うらさぶる心さまねしひさかたの 天のしぐれの流れ合ふ見れば  万82 *うら寂しい気持ちになります。天を見上げて時雨が風に流されているのを見ると。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_81番歌(山辺の御井を見がてり)~アルケーを知りたい(1786)

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▼今回は、皇族が聖地でギャルのグループに会った、という歌。彼女ら、どんなファッションで来ていたのだろう。赤裳か、そうじゃない衣裳か、でもイメージできないなあとか。  和銅五年壬子の夏の四月に、長田王を伊勢の斎宮に遣はす時に、山辺の御井 にして作る歌 山辺 (やまのへ) の御井 (いゐ) を見がてり神風 (かむかぜ) の 伊勢娘子 (をとめ) ども相見つるかも  万81 *山辺の御井を見に来た時、たまたま伊勢の娘子たちと出会いました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_80番歌(あをによし奈良の家には)~アルケーを知りたい(1785)

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▼あをによし、と来れば、奈良と応える。今回の80番はまさしくその歌。「あおに」が良いのだ。あおに= 青丹、 質の良い青い土。見たことがないので、ああ、あれだと実感できないのが残念。 ▼歌の下の句で、奈良の家に末長く通いますからお忘れなく、と宣言している。人の事情は移ろふもの。いつか通わなくなるかも知れない。が、そこを問題にしないのが大人の受け止め方。  反歌 あをによし奈良の家には万代に 我も通はむ忘ると思ふな  万80 *奈良の家にはこれから末永く私もお通いします。決して忘れるなどと思わないでください。  右の歌は、作者未詳。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_79番歌(千代までにいませ)~アルケーを知りたい(1784)

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▼今回の長歌は、宮殿の建設に携わった役人の歌。夜、服に霜が降りている、川は凍っているという。屋根なしで野宿していたのだろうか。当時の人は、今では考えられないほど寒さに強かったようだ。  或本、藤原の京より寧良の宮に遷る時の歌 大君の 命畏 (みことかしこ) み 親 (にき) びにし 家を置き こもりくの 泊瀬 (はつせ) の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈の 八十隈 (やそくま) おちず万 (よろづ) たび かへり見しつつ 玉桙 (たまほこ) の道行き暮らし あおにより 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲のほに 夜の霜降り 岩床と 川の氷凝り 寒き夜を 休むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに いませ大君よ  我れも通はむ  万79 *大君に置かれましては、みなが力を合わせて作った宮に長くお暮らし下さい、我われも通います! 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_78番歌(飛ぶ鳥明日香の里を)~アルケーを知りたい(1783)

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▼今回の78番歌は、明日香から藤原へ遷都するとき、天武天皇と過ごした旧都を名残惜しく詠う持統天皇の御製。遷都は694年。  和銅三年庚戌 (かのえいぬ) の春の二月に、藤原の宮より寧楽 (なら) の宮に遷る時に、御輿 (みこし) を長屋の原に停め、古郷を廻望 (かへりみ) て作らす歌  一書には「太上天皇の御製」といふ 飛ぶ鳥明日香の里を置きて去なば 君があたりは見えずかもあらむ  万78  一には「君があたりを見ずてかもあらむ」といふ *鳥でさえ明日香の里を後に飛び去ってしまえば、貴方様がいらっしゃるあたりは見えなくなってしまうでしょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_77番歌(我が大君ものな思ほし)~アルケーを知りたい(1782)

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▼今回の77番歌は、 元明天皇の76番歌「 ますらをの鞆 (とも) の音すなり 物部の大臣 (おほまへつきみ) 楯立つらしも」に 御名部皇女が 応えた歌。 御名部皇女と 元明天皇は共に天智天皇の娘。しかも 御名部皇女は 同母姉。だから77番は、天皇に即位して責任の重さを感じて不安そうにしている妹を実の お姉さんが 思いやっている歌だ。  御名部皇女 の和へ奉る御歌 我が大君ものな思ほし統め神の 継ぎて賜へる我がなけなくに  万77 *我が大君は物思いし続けておられます。国を率いるお立場を引き継いだからでしょうか。私もお力になります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_76番歌(ますらをの鞆の音すなり)~アルケーを知りたい(1781)

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▼今回は708年の元明天皇の 「ますらを」で始まる 御歌。外から聞こえる鞆の音を聞いた天皇が頼もしいと思っているのか、やや不安を感じているのか、分からない。どうなんだろう?  和銅元年戊申 (つちのえさる)  天皇の御歌 ますらをの鞆 (とも) の音すなり 物部の大臣 (おほまへつきみ) 楯立つらしも  万76 *益荒男の鞆の音が聞こえる。物部の大臣が楯を立てているらしい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_75番歌(宇治間山朝風寒し)~アルケーを知りたい(1780)

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▼文武天皇が吉野の宮に行幸したときに長屋王が作った歌。26歳の時の作品。宇治間山は吉野にある山。寒さに強い昔の人が寒し旅と詠うくらいだから、相当冷え込んだのだろう。長屋王は藤原四兄弟と対立した結果、 53歳で 自刃することになる。その藤原四兄弟もその8年後に 天然痘で揃って亡くなり「長屋王の祟り」と言われた 。75番歌からは、生きている人間の体温が伝わる気がする。 宇治間山 (うぢまやま) 朝風寒し旅にして 衣貸すべき妹もあらなくに  万75 *宇治間山は朝風が格別寒い。旅の途中なので、着物を貸してくれる妻もいないのだ。  右の一首は 長屋王 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_74番歌(み吉野の山のあらしの)~アルケーを知りたい(1779)

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▼74番を受けて、武蔵野の空の冷気の寒けくにはたや今日もみなで頑張ろう、の気持ち。  大行天皇、吉野の宮に幸す時の歌 み吉野の山のあらしの寒けくに はたや今夜も我がひとり寝む  万74 *吉野では山嵐が吹いてとても寒い。さてさて今夜も一人で寝るとしますか。  右の一首は、或いは「天皇の御製歌」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_73番歌(我妹子を早見浜風)~アルケーを知りたい(1778)

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▼今回の73番歌は、というか、この歌も、「松」と「待つ」をかけて遊んでいる。真面目な顔で鑑賞しないといけないのか、ぷふふと笑っても良いものか、ちょっと戸惑ってしまう。結局、堅苦しくなるのはいやなので、おお、こりゃ駄洒落だな、「まつ」たくしょうがねえな、とほほ笑むことにします。 長皇子 の御歌 我妹子を早見浜風大和なる 我れ松椿吹かずあるなゆめ  万73 *我が妻に早く会いたい気持ちを代弁するように激しく吹く早見浜風よ。いま大和にいる私を地元で松(待つ ) ている椿をくれぐれも吹き忘れないように。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_72番歌(玉藻刈る沖辺は漕がじ)~アルケーを知りたい(1777)

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▼ 藤原四兄弟の宇合 (うまかい) さんの歌。この歌で、宇合さんの人物像がなんとなく浮かび上がって來る。でもそれが全体かどうか分からない。謎がたくさん。 玉藻刈る沖辺は漕がじ敷栲の 枕のあたり思ひかねつも  万72 *海に舟を出しても沖までは漕ぎ出ないでおきます。昨夜一緒だった女への思いが止まなくなるので。  右の一首は式部卿 藤原宇合 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_71番歌(大和恋ひ寐の寝らえるに)~アルケーを知りたい(1776)

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▼今回も天皇の行幸に随行した人が、里が恋しいとつぶやく歌。天皇としては、随行者たちが、里を恋しがってばかりで行幸を誉める歌を詠んでないのをどう思うだろう。おのおの好きに歌に出来て、それが万葉第一巻のコレクションに入るとは! 自由ぶりがすごい。 大行天皇 (さきのすめらみこと) 、難波の宮に幸す時の歌 大和恋ひ寐 (い) の寝 (ね) らえるに心なく この洲崎 (すさき) みに鶴鳴くべしや  万71 *大和が恋しくて寝るに寝られない。それなのに鶴が心なくも洲崎で鳴いたりして良いものか。  右の一首は 忍坂部乙麻呂 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_70番歌(大和には鳴きてか来らむ)~アルケーを知りたい(1775)

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▼今回の歌は、参考にしている本の脚注によると、701年に文武天皇が吉野に行幸したとき、従った高市黒人が詠った作品だ。太上天皇とは前天皇のこと。で、701年の天皇は文武天皇。ここで?になった。文武天皇の前の天皇は持統天皇だから、太上天皇は持統天皇のことでは? 万葉では5W1Hが分からない歌が少なくない。ん?となる、これがまた良い。万葉の味。 太上天皇、吉野の宮に幸 (いでま) す時に、 高市連黒人 が作る歌。 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥 象 (きさ) の中山呼びぞ越ゆなる  万70 *大和では呼子鳥は来て鳴いているでしょうか。ここ象の中山では呼子鳥が鳴きながら山越してます。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_69番歌(草枕旅行く君と)~アルケーを知りたい(1774)

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▼今回は甘いトークの歌。時々ハニートラップという言葉を聞く。トラップにかかる場面では、69番のような表現が出て来そう。この歌で女性は「そうと知っていればこんなことをして差し上げましたのに」と言うだけ。言うだけのリップサービス。でも言われたほうは嬉しくなるのだ。ひっかかってしまうのも無理ないか。 草枕旅行く君と知らませば 岸の埴生ににほはさましを  万69 *貴方様が旅のお方と知っていれば、岸の埴生で衣を染めて差し上げたものを。  右の一首は 清江娘子 。姓氏未詳。  長皇子に進 (たてまつ) る。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_68番歌(大伴の御津の浜にある)~アルケーを知りたい(1773)

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▼今回の歌の趣旨は、海岸を歩いて貝を見つけて家で待つ妻を思い出した、というもの。「忘れて思へや」という不思議な言い方をしている。忘れて思ふ、という思い方。忘れてないわけだ。奥深い表現。作者の身人部王は「風流侍従の一人」という。万葉時代も風流は一風変わってるわ。 大伴の御津の浜にある忘れ貝 家にある妹を忘れて思へや  万68 *御津の浜で忘れ貝を見つけました。家で私の帰りを待つ妻を忘れることがあるものか。  右の一首は 身人部王 (むとべのおほきみ) 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1