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万葉集巻第六913‐914、931‐932番歌(三船の山は畏けど)~アルケーを知りたい(1303)

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▼913番は「 見下ろせば」「 明け来れば」「 夕されば」という音のリズムが良いなと思ふ。915番は「朝なぎに」「夕なぎに」「月に異に」「 今のみに」という言葉の響きが心地よし。   車持朝臣千年 が作る歌一首  幷せて短歌 味凝り あやにともしく  鳴る神の 音のみ聞きし  み吉野の 真木立つ山ゆ  見下ろせば 川の瀬ごとに  明け来れば 朝霧立ち  夕されば かはづ鳴くなへ  紐解かぬ 旅にしあれば  我のみして 清き川原を  見らくし惜しも  万913 *妻を家に残した一人旅なのでせっかくの清い川原を見ても残念な気持ち。  反歌一首 滝の上の三船の山は畏けど 思ひ忘るる時も日もなし  万914 *滝の上に見える三船の山は畏れ多いと思うけれど、都で待っている妻を片時も忘れることはないのだ。  車持朝臣千年が作る歌一首  幷せて短歌 鯨魚取り 浜辺を清み  うち靡き 生ふる玉藻に  朝なぎに 千重波寄せ  夕なぎに 五百重波寄す  辺つ波の いやしくしくに   月に異に 日に日に見とも  今のみに 飽き足らめやも  白波の い咲き廻れる  住吉の浜  万931 *住吉の浜は、 千重波 が寄せ 、 五百重波 が寄せる見事な浜です。まるで浜沿いに 白波 の花が 咲いているかのよう。  反歌一首 白波の千重に来寄する住吉の 岸の埴生ににほひて行かな  万932 *白波が繰返し寄せてくる住吉の岸辺。記念に岸の埴生の色を染めてから進みましょう。 【似顔絵サロン】 車持 千年  くらもち の ちとせ ? - ? 奈良時代の歌人。元正天皇・聖武天皇の宮廷歌人、行幸に従う。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六907‐912番歌(年のはにかくも見てしか)~アルケーを知りたい(1302)

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▼今回から万葉集の巻6の歌を見る。最初は、723年製、詠み手は 笠金村の和歌。宮がある山や川の自然 を褒め、これから何度も見たい、という構造になっている。万葉人の自然の愛で方はカッコ良い。  雑歌  養老七年癸亥の夏の五月に、吉野の離宮に幸す時に、 笠朝臣金村 が作る歌一首  幷せて短歌 滝の上の 三船の山に  瑞枝さし 繁に生ひたる  栂の木の いや継ぎ継ぎに  万代に かくし知らさむ  み吉野の 秋津の宮は   神からか 貴くあらむ  国からか 見が欲しくあらむ  山川を 清みさやけみ  うべし神代ゆ 定めけらしも  万907 *吉野は山川が清らかなので、神代から宮に定められたのでしょう。  反歌二首 年のはにかくも見てしかみ吉野の 清き河内のたぎつ白波  万908 *毎年毎年、このようにして吉野の清らかな河内の水が跳ねて白波になっているのを見たいものです。 山高み白木綿花に落ちたぎつ 滝の河内は見れど飽かぬかも  万909 *山高い白木綿の花のような滝の河内は見飽きることがありません。  或本の反歌に曰はく 神からか見が欲しからむみ吉野の 滝の河内は見れど飽かぬかも  万910 *神がかっているほどだからみんな見たいがるのでしょう、吉野の滝の河内は見飽きることがありません。 み吉野の秋津の川の万代に 絶ゆることなくまた帰り見む  万911 *吉野の秋津の川はこれから万代にわたって絶えることがないでしょう。私も絶えることなく見に帰って来たい。 泊瀬女の造る木綿花み吉野の 滝の水沫に咲きにけれずや  万912 *泊瀬の女性が作る木綿花が吉野の滝の水沫になって咲いているかのようです。 【似顔絵サロン】 笠 金村  かさ の かなむら ? - ? 奈良時代の歌人。姓は朝臣。車持千年・山部赤人と並ぶ歌人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第三443‐445番歌(昨日こそ君はありしか)~アルケーを知りたい(1301)

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▼ 729年、摂津の国の役所で班田関係の仕事をしていた 丈部竜麻呂 が自殺した。なぜこういうことになったのかと詠う上司の 大伴 三中 による長歌と反歌。戸惑う気持ちが伝わる挽歌。  天平元年己巳に、摂津の国の班田の史生 丈部竜麻呂 自ら経きて死にし時に、判官 大伴宿禰三中 が作る歌一首  幷せて短歌 天雲の 向伏す国の  ますらをと 言はるる人は  天皇の 神の御門に  外の重に 立ち侍ひ  内の重に 仕へ奉りて  玉葛 いや遠長く  祖の名も 継ぎ行くものと  母父に 妻に子どもに  語らひて 立ちにし日より  たらちねの 母の命は  斎瓮を 前に据ゑ置きて  片手には 木綿取り持ち  片手には 和栲奉り  平けく ま幸くませと  天地の 神を祈ひ祷み  いかにあらむ 年月日にか  つつじ花 にほへる君が  にほ鳥の なづさむ来むと  立ちて居て 待ちけむ人は  大君の 命畏み おしてる 難波の国に  あらたまの 年経るまでに 白栲の 衣も干さず  朝夕に ありつる君は  いかさまに 思ひいませか  うつせみの 惜しきこの世を  露霜の 置きて去にけむ  時にあらずして  万443 *何を思ってこの世を去ってしまったのでしょうか。その時でもないというのに。  反歌 昨日こそ君はありしか 思はぬに浜松の上に雲にたなびく  万444 *昨日までいつものようにしていらした貴方様。今は思いもよらないことに浜松の上でたなびく雲になってしまった。 いつしかと待つらむ妹に玉梓の 言だに告げず去にし君かも  万445 *お帰りを待っている妻に、ひとこと言うことなくこの世を去った貴方様です。 【似顔絵サロン】 大伴 三中  おおとも の みなか ? - ? 奈良時代の貴族。大納言・大伴御行の子。 丈部 竜麻呂  はせつかべ の たつまろ ? - 729年 奈良時代の官人。摂津国の班田の書記。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3

万葉集巻第三441‐442番歌(大殯の時にはあらねど)~アルケーを知りたい(1300)

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▼今回は「長屋王の変」の長屋王と息子・ 膳部王の 死を悲しむ歌。441番では、 長屋王が 死に追い込まれた理不尽さを娘の 倉橋部女王が 「 時にはあらねど 雲隠ります 」と詠っています。442番は未詳の 作者が 、この世が空しいものであることを人に思い出させるために「 照る月は満ち欠け 」すると詠っています。  神亀六年己巳に、左大臣 長屋王 、死を賜はりし後に、倉橋部女王が作る歌一首 大君の命畏み大殯の 時にはあらねど雲隠ります  万441 *大君のご命令を畏れ多くも賜り、わが主人はその時ではないけれどもこの世を去り雲に隠れたのでございます。   膳部王 を悲傷しぶる歌一首 世間は空しきものとあらむとぞ この照る月は満ち欠けしける  万442 *世の中は空しいものだと示すように、照る月は満ち欠けしている。  右の一首は、作者未詳。 【似顔絵サロン】 長屋王  ながやおう 676年 - 729年 奈良時代の 皇族 。高市皇子の長男。長屋王の変。 膳部王  かしわでのおほきみ ? - 729年 奈良時代の皇族。長屋王の子。親子で縊死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3