投稿

10月, 2024の投稿を表示しています

万葉集巻第七1099-1102番歌(片岡のこの向つ峰に)~アルケーを知りたい(1330)

イメージ
▼1099番は「Aすれば、Bになる」型の仮説文の典型。実際そうなるのかどうかをやろうと思えば実際に検証できる話になっているのが嬉しい。1101番は「 夜が来れば、巻向川の音が高くなる 」という 仮説に続いて あらしかも疾き と作者が自分なりの原因究明というか解釈をしている。別の原因を考えて黙っておれない読者から、異議申し立てが起りそう。  岳を詠む 片岡のこの向つ峰に椎蒔かば 今年の夏の蔭にならむか  万1099 *片岡の向こう側の峰に椎の種を蒔いておけば、今年の夏には良い日影になるでしょう。  河を詠む 巻向の穴師の川ゆ行く水の 絶ゆることなくまたかへり見む  万1100 *巻向の穴師川を流れる水が絶えることないよう、また見に戻って来よう。 ぬばたまの夜さり来れば巻向の 川音高しもあらしかも疾き  万1101  右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *夜になると巻向川の流れの音が大きくなった。嵐の風が吹いているのだろうか。 大君の御笠の山の帯にせる 細谷川の音のさやけさ  万1102 *御笠山が帯にしている細谷川の音がすがすがしいことといったら。 【似顔絵サロン】巻7と同じ時代に起こった長屋王の変に関係する人々から: 小野 牛養  おのの うしかい ? - 739天平11年11月10日 奈良時代の貴族。729年、長屋王の変のさい、長屋王の屋敷で罪の糾問にあたった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1090-1098番歌(いにしへのことは知らぬを)~アルケーを知りたい(1329)

イメージ
▼今回は雨と山を詠んだ歌。遊び心ありの明るい歌たち。  雨を詠む 我が妹子が赤裳の裾のひづつらむ 今日の小雨に我れさへ濡れな  万1090 *かわいい彼女の赤裳の裾に泥が着くかも知れないな。今日の小雨に私も濡れてゆこう。 通るべく雨はな降りそ我妹子が 形見の衣我れ下に着り  万1091 *服に浸み通るほどの雨は降らないで欲しい。彼女がプレゼントしてくれた肌着を着ているから。  山を詠む 鳴る神の音のみ聞きし巻向の 檜原の山を今日見つるかも  万1092 *人から話だけ聞いていた巻向の檜原山を今日、やっと見たのだ。 みもろのその山なみに子らが手を 巻向山は継ぎのよろしも  万1093 *三輪山の山なみは巻向山の続き具合がまことによろしい。 我が衣にほひぬべくも味酒 三室の山は黄葉しにけり  万1094  右の三首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ 。 *私の衣に色移りするほど三諸山が黄葉しています。 みもろつく三輪山見ればこもりくの 泊瀬の檜原思ほゆるかも  万1095 *三輪山を見ていると泊瀬の檜原を連想します。 いにしへのことは知らぬを我れ見ても 久しくなりぬ天の香具山  万1096 *昔のことは知らない私ですけど、そんな私が見ても時代を経たのが伝わる天の香具山です。 我が背子をこち巨勢山と 人は言へども君は来まさず山の名にあらし  万1097 * 人は 私の夫を「こちらに来る巨勢山」と言います。けれど、本人は山の名前のようには来ないのです。 紀伊道にこそ妹山ありといへ玉櫛笥 二上山も妹こそありけれ  万1098 * 世間は 紀伊道にだけ妹山があると言ってます。でも二上山にも妹山があるんですよ。 【似顔絵サロン】巻7と同じ時代に起こった長屋王の変に関係する人々から: 中臣宮処 東人  なかとみのみやところ の あずまびと ? - 738年 奈良時代の官人。729年、聖武天皇に長屋王を 誣告 (ぶこく。わざと 事実と異なる内容で人を訴えること ) 。 大伴子虫と囲碁に興じていた時、話題が長屋王に及ぶにあたり、怒りを発した 子虫に 斬殺された。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1087-1089番歌(大海に島もあらなくに)~アルケーを知りたい(1328)

イメージ
▼雲を詠んだ歌三首。前二首は柿本人麻呂の作、三首目は詠み人知らず。海と空と雲の絵のような歌。  雲を詠む 穴師川川波立ちぬ巻向の 弓月が岳に雲居立てるらし  万1087 *穴師川で川波が立っています。低気圧で巻向の弓月岳に雲がもくもく湧き上がっているらしい。 あしひきの山川の瀬の鳴るなへに 弓月が岳に雲立ちわたる  万1088  右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *山川の瀬の音もいちだんと高くなっています。弓月岳は雲がかぶさっています。 大海に島もあらなくに海原の たゆたふ波に立てる白雲  万1089  右の一首は、伊勢の従駕の作。 *島ひとつない大海の海原。ゆったりした波の上に白雲が浮かんでいます。 【似顔絵サロン】巻7と同じ時代に起こった長屋王の変に関係する人々から: 大伴 子虫  おおとも の こむし ? - ? 奈良時代の官人。長屋王に仕え厚遇を受けていた。729年の長屋王の変で連座した話は見あたらない。738年、中臣宮処東人(長屋王を誣告した人物)と囲碁をしていた時、話題が長屋王に及ぶにあたり、子虫は憤り、東人を罵ってその場で斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1083-1086番歌(山の端にいさよふ月を)~アルケーを知りたい(1327)

イメージ
▼月を詠むシリーズの最後の四首。前半の二首は月が見えていない歌、後半の二首は月が出て夜の景色が見えている歌。締めの四首目は、月が国の繁栄を祈って照っていると詠う。 霜曇りすとにかあるらむひさかたの 夜渡る月の見えなく思へば  万1083 *霜で曇っているのでしょうか。夜空を動く月が見えないのは。 山の端にいさよふ月をいつとかも 我が待ち居らむ夜は更けにつつ  万1084 *山の端で出待ちしている月を待っているうちに夜が更けていきます。 妹があたり我が袖振らむ木の間より 出で来る月に雲なたなびき  万1085 *妻がいる方向に袖を振ってみましょうか。木の間から出る月が雲で隠れないうちに。 靫懸くる伴の男広き大伴に 国栄えむと月は照るらし  万1086 *弓矢で武装した大伴の男たち。国が栄えるようにと月が照っています。 【似顔絵サロン】巻7と同じ時代に起こった長屋王の変に関係する人々から: 上毛野 宿奈麻呂  かみつけの の すくなまろ ? - ? 奈良時代の官人。729年、長屋王の変に連座し流罪。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1079-1082番歌(まそ鏡照るべき月を)~アルケーを知りたい(1326)

イメージ
▼今回も月を詠む歌四首。言い回しは古風でも月を詠む感覚は今も昔も変わらない印象。1081番など、屋外で天体観測しているうちに服が夜露でしっとりするなんてこと今でもあるのではないでしょうか。 まそ鏡照るべき月を白栲の 雲か隠せる天つ霧かも  万1079 *鏡のように照る月を隠しているのは白栲の雲かな、それとも天に立つ霧かな。 ひさかたの天照る月は神代にか 出で反るらむ年は経につつ  万1080 *天の月は神代に戻ったかのように照っています。神代からは年を経たというのに。 ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ 我が居る袖に露ぞ置きにける  万1081 *夜空を動く月が面白いので 見ているうちに 時間が経ち、袖に露が下りてしまいました。 水底の玉さへさやに見つべくも 照る月夜かも夜の更けゆけば  万1082 *水底の玉が清らかに見えるほど、今夜の月はよく照っています。夜が更けるほどに。 【似顔絵サロン】 巻7と同じ時代に起こった 長屋王の変 に関係する人々から: 桑田王  くわたおう ? - 729年 長屋王の第二王子。長屋王の変で父と共に自殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1075-1078番歌(海原の道遠みかも)~アルケーを知りたい(1325)

イメージ
▼詠み人知らずの歌4首。月読、月のさやけさ、夜渡る月、この月のここ、と表現して 月を謳っている。 海原の道遠みかも月読の 光少き夜は更けにつつ  万1075 *海原の道が遠いせいか、月の光が少ないままに夜が更けています。 ももしきの大宮人の罷り出て 遊ぶ今夜の月のさやけさ  万1076 *大宮人たちが出てきて遊んでいます。今夜の月は一段とさわやかです。 ぬばたまの夜渡る月を留めむに 西の山辺に関もあらぬかも  万1077 *夜の空を動いて行く月を留めるために、西の山辺に関所があるとよいのに。 この月のここに来れば今とかも 妹が出で立ち待ちつつあるらむ  万1078 *月があのあたりに来る時間になれば、妻が外に出て私を待ってくれているでしょう。 【似顔絵サロン】 巻7と同じ時代に起こった 長屋王の変 に関係する人々から: : 膳部王  かしわでのおほきみ ? - 729年 奈良時代の皇族。長屋王の子。長屋王の変で父と共に自殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1071-1074番歌(山の端にいさよふ月を)~アルケーを知りたい(1324)

イメージ
▼ 今回は、月をネタにした四首の歌。 月の出を待つ、今夜の月夜をいつくしむ、一人を嘆く、別の場所を思う。 山の端にいさよふ月を出でむかと 待ちつつ居るに夜ぞ更けにける  万1071 *山の端でなかなか出ない月。いつ出るかと待っているうちに夜が更けてしまいました。 明日の宵照らむ月夜は片寄りに 今夜は寄りて夜長くあらなむ  万1072 *明日の月夜は今夜に合流して、今夜は格別長くあってほしい。 玉垂の小簾の間通しひとり居て 見る験なき夕月夜かも  万1073 *部屋で独りで見る月夜は味気ないものよ。 春日山おして照らせるこの月は 妹が庭にもさやけくありけり  万1074 *春日山を照らすこの月の光で、妻の家の庭もよく見えることでしょう。 【似顔絵サロン】 巻7と同じ時代に起こった 長屋王の変 に関係する人々から: 長屋王  ながやおう 676年 - 729年 奈良時代前期の皇親・政治家。高市皇子の長男。 藤原四兄弟と政治的に対立。誣告により 自殺した。 長屋王の変。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1068-1070番歌(天の海に雲の波立ち月の舟)~アルケーを知りたい(1323)

イメージ
▼前回で巻六は終わり。今回から巻七。この巻は、柿本人麻呂歌集の歌と詠み人知らずの歌が たくさん ある。 巻七の始まり は人麻呂の月の歌。万葉の時代は、今より月がはっきり見えていたような、明るかったような。星も煌めいていたような。  雑歌  天を詠む 天の海に雲の波立ち月の舟 星の林に漕ぎ隠る見ゆ  万1068   右の一首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *天空の海に雲の波が立っている。月の舟が星の林の間を漕ぎ進みながら見え隠れしている。  月を詠む 常はかつて思はぬものをこの月の 過ぎ隠らまく惜しき宵かも  万1069 *今まではそんなことを思ったこともないのに、月が動いて沈もうとする宵の時間が惜しい。 ますらをの弓末振り起し猟高の 野辺さへ清く照る月夜かも  万1070 *ますらをが思い切り弓を引く猟高の草原。その草原が清く照り出される月夜です。 【似顔絵サロン】 柿本 人麻呂  かきのもと ひとまろ 645年 - 724年 飛鳥時代の歌人。歌聖。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第六1047-1067番歌(たち変わり古き都となりぬれば)~アルケーを知りたい(1322)

イメージ
▼今回は、遷都した旧都を惜しむ歌と新都を祝う歌。歌人・ 田辺福麻呂の歌集に収められた歌たち。 【似顔絵サロン】 田辺 福麻呂  たなべのさきまろ ? - ? 奈良時代の歌人。宮廷歌人。 久米 広縄  くめ の ひろなわ ? - ? 奈良時代中期の歌人・官人。748年、田辺福麻呂を招待して饗宴。その時の歌が1047-1067番。  寧楽の故郷を悲しびて作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君の  高敷かす 大和の国は  すめろきの 神の御代より  敷きませる 国にしあれば  生れまさむ 御子の継ぎ継ぎ  天の下 知らしまさむと  八百万 千年を兼ねて  定めけむ 奈良の都は  かぎろひの 春にしなれば  春日山 御笠の野辺に  桜花 木の暗隠り  貌鳥は 間なくしば鳴く  露霜の 秋さり来れば  生駒山 飛火が岳に  萩の枝を しがらみ散らし  をさ鹿は 妻呼び響む  山見れば 山も見が欲し  里見れば 里も住よし  もののふの 八十伴の男の  うちはへて 思へりしくは  天地の 寄り合ひの極み  万代に 栄えゆかむと  思へりし 大宮すらを  頼めりし 奈良の都を  新代の ことにしあれば  大君の 引きのまにまに  春花の うつろひ変り  群鳥の 朝立ち行けば  さす竹の 大宮人の  踏み平し 通ひし道は  馬も行かず 人も行かねば  荒れにけるかも  万1047  反歌二首 たち変わり古き都となりぬれば 道の芝草長く生ひにけり  万1048 *昔とは打って変わって古い都になったので、道の雑草も長く伸びています。 なつきにし奈良の都の荒れゆけば 出で立つごとに嘆きし増さる  万1049 *慣れ親しんだ奈良の都が荒れているので、道を進むたびに嘆きたくなります。  久邇の新京を讃むる歌二首  幷せて短歌 現つ神 我が大君の  天の下 八島の内に  国はしも さはにあれども  里はしも さはにあれども  山なみの よろしき国と  川なみの たち合ふ里と  山背の 鹿背山の際に  宮柱 太敷きまつり  高知らす 布当の宮は  川近み 瀬の音ぞ清き  山近み 鳥が音響む  秋されば 山もとどろに  さを鹿は 妻呼び響め  春されば 岡辺も繁に  巌には 花咲きををり  あなあはれ 布当の原  いと貴 大宮ところ  うべしこそ 我が大君は  君ながら 聞かしたまひて  ...

万葉集巻第六1044-1046番歌(世間を常なきものと今ぞ知る)~アルケーを知りたい(1321)

イメージ
▼今回は、遷都の後、旧都を詠った作。作者未詳。都の荒廃に 世の無常を詠んだ歌 。  寧楽の京の荒墟を傷惜みて作る歌三首  作者審らかにあらず 紅に深く染みにし心かも 奈良の都に年の経ぬべき  万1044 *紅の染料で染めたように私の心は奈良暮らしに馴染んでいる。その都が荒れたまま年を経ているとは。 世間を常なきものと今ぞ知る 奈良の都のうつろふ見れば  万1045 *奈良の都の荒れた様子を見ると、世の中には常なるものはないと思うのである。 岩つなのまたをちかへりあをによし 奈良の都をまたも見むかも  万1046 *岩蔦のように枯れたように見えてもまた青々と復活する、そのように奈良の都の復活ぶりをまた見ることが出来るだろうか。 【似顔絵サロン】この歌は740~745年あたりの作。 740年は 藤原広嗣の乱 が起こった年。 藤原 広嗣  ふじわら の ひろつぐ ? - 740年 奈良時代の貴族。藤原宇合の長男。 吉備真備と玄昉を中心とする政治体制に不満を抱き、挙兵。しかしすぐに聖武天皇の命を受けた官軍により 鎮圧、広嗣は斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六1034番歌(いにしへゆ人の言ひ来る)~アルケーを知りたい(1320)

イメージ
▼今回は老人が若返る!というありがたい滝の水の歌。  美濃の国の多芸の行宮にして、 大伴宿禰東人 が作る歌一首 いにしへゆ人の言ひ来る老人の をつといふ水ぞ名に負ふ滝の瀬  万1034 *昔から人が言い伝えてきた、老人が若返る滝の瀬の水です、これは。 【似顔絵サロン】 大伴 東人  おおとも の あずまひと ? - ? 奈良時代の貴族・歌人。740年、聖武天皇の東国行幸に従駕し、美濃国当伎郡の多芸行宮で1034番の歌を詠んだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六1024-1028番歌(長門なる沖つ借島)~アルケーを知りたい(1319)

イメージ
▼宴での贈答歌、宴で取り上げられた過去の歌。談話の流れに応じてこういう歌があったね、と取り出されたのだろうか。歌のコレクションがあって、時に応じて取り出せる仕組みというか記憶力がすごいわ。  秋の八月の二十日に、 右大臣橘 家にして宴する歌四首 長門なる沖つ借島奥まへて 我が思ふ君は千年にもがも  万1024  右の一首は長門守 巨會倍対馬 朝臣。 *長門にある沖の借島のように私にとって大切な存在である貴方様は千年も長生きしてください。 奥まへて我れを思へる我が背子は 千年五百年ありこせぬかも  万1025  右の一首は右大臣が和ふる歌。 *私のことを 心 の奥底から そのように思ってくださる貴方も、五百年も千年も長生きして欲しいものです。 ももしきの大宮人は今日もかも 暇をなみと里に行かずあらむ  万1026 *大宮に努める方々は今日も忙しい隙がないと言って自分の故郷 に戻らないのでしょう。  右の一首は、右大臣伝へて「故豊島采女が歌」といふ。 橘の本に道踏む八街に 物をぞ思ふ人に知らえず  万1027  右の一首は、右大弁 高橋安麻呂 卿語りて「故豊島采女が作なり」といふ。 ただし、或本には「 三方沙弥 、妻園臣に恋ひて作る歌なり」といふ。 しからばすなはち、豊島采女は当時当所にしてこの歌を口吟へるか。 *橘の木が植わった八方に分かれる道を歩きながら、あれやこれやと物を思っている。でもその思いは知ってもらいたい人には届かない。 【似顔絵サロン】 巨曾倍 対馬  こそべ の つしま ? - ? 奈良時代の貴族。長門守・外従五位下。 橘 諸兄  たちばな の もろえ 684年 - 757年 奈良時代の皇族・公卿。 高橋 安麻呂  たかはし の やすまろ ? - ? 奈良時代の貴族。 三方 沙弥  みかたのさみ ? - ? 奈良時代の貴族・学者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六1019-1023番歌(大崎の神の小浜は狭けども)~アルケーを知りたい(1318)

イメージ
▼今回は、作者は不明なれど詠われる対象の人物ははっきりしている歌。1019番は詠われる人にとってはどうなんだろう、と思える調子になっている。調べてみると案の定、策謀という説も出ている。その目でみると1023番まで全部、乙麻呂を貶めているように見える。光の当て方で見え方が変わる。レリーフの如し。   石上乙麻呂 卿、土佐の国に配さゆる時の歌三首  幷せて短歌 石上 布留の命は  たわや女の 惑ひによりて  馬じもの 綱取り付け  鹿じもの 弓矢囲みて  大君の 命畏み  天離る 鄙辺に罷る  古衣 真土山より  帰り来ぬかも  万1019 *男女の問題を起こし都から追放される石上布留、帰って来ないのかも。 大君の 命畏み  さし並ぶ 国に出でます  はしきやし 我が背の君を  かけまくも ゆゆし畏し  住吉の 現人神  舟舳に うしはきたまひ  着きたまはむ 島の崎々  寄りたまはむ 磯の崎々  荒き波 風にあはせず  障みなく 病あらせず  速けく 帰したまはね  もとの国辺に  万1020・1021 *船の移動が平穏で、何ごともなくまた故郷に戻れますように、と祈っています。 父君に 我れは愛子ぞ  母刀自に 我れは愛子ぞ  参ゐ上る 八十氏人の  手向けする 畏の坂に  幣奉り  我れはぞ追へる  遠き土佐道を  万1022 *都から遠い土佐に配流されました。  反歌一首 大崎の神の小浜は狭けども 百舟人も過ぐと言はなくに  万1023 *大崎にある神の小浜は狭いけれども、舟で通る人はみな素通りしようなどとと言わずに集まってくる。 【似顔絵サロン】 石上 乙麻呂  いそのかみ の おとまろ ? - 750年 奈良時代の公卿・文人。石上麻呂の三男。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六1018番歌(白玉は人に知らえず)~アルケーを知りたい(1317)

イメージ
▼今回は、 元興寺の僧侶が自分の才が人から認められない状況を嘆いた作品。▼この僧と反対に、人が認めるかどうかが眼中にないのが18世紀イギリスの物理学者 キャヴェンディッシュ 。この人、デフォルトが孤独、人に会いたくない、話をしたくない、邪魔されたくない性格。そして大金持ち。結果、持ち時間をフルに関心事に集中する。白玉は後の時代の人が知る。もう超カッコいいんですけど。  十年戊寅に、元興寺の僧が自ら嘆く歌一首 白玉は人に知らえず知らずともよし 知らずとも我れし知れらば知らずともよし  万1018 *私の才は人に知られない。だが知られなくても良い。知られなくても自分が価値を分かっていれば、人には知られなくて良い。  右の一首は、或いは「元興寺の僧、独覚にして多智なり。いまだ顕聞あらねば、衆諸狎侮る。 これによりて、僧この歌を作り、自ら身の才を嘆く」といふ。 【似顔絵サロン】 ヘンリー・キャヴェンディッシュ  Henry Cavendish 1731年 - 1810年 イギリスの物理学者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六1016‐1017番歌(海原の遠き渡りを)~アルケーを知りたい(1316)

イメージ
▼1016番を見ていると、悠然と遊ぶゆとりをもつ 風流士 になりたい、と凡客の我れは思ふのであった。  春の二月に、諸大夫等、左少弁 巨勢宿奈麻呂 朝臣が家に集ひて宴する歌一首 海原の遠き渡りを風流士の 遊ぶを見むとなづさひぞ来し  万1016 *船ではるばるとやってきました。風流な方々のあそんでらっしゃるお姿を見たいので、苦労して来ました。  右の一首は、白き紙に書きて屋の壁に懸著く。題には「蓬莱の仙媛の化れる嚢蘰は、風流秀才の士の為なり。これ凡客の望み見るところならじか」といふ。  夏の四月に、大伴坂上郎女、賀茂神社を拝み奉る時に、すなはち逢坂山を越え、近江の海を望み見て、晩頭に帰り来りて作る歌一首 木綿畳手向けの山を今日越えて いづれの野辺に廬りせむ我れ  万1017 *手向山を今日越えてきて夕方になりました。さて、どのあたりのフィールドにテントを張りましょうか、私たちは。 【似顔絵サロン】 巨勢 宿奈麻呂  こせ の すくなまろ ? - ? 奈良時代の貴族。長屋王の変のさい、罪の糾問にあたる。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六1013‐1015番歌(あらかじめ君来まさむと知らませば)~アルケーを知りたい(1315)

イメージ
▼ 奈良時代の皇族の方々の交遊が伺える歌。1013番「前もっていらっしゃるとお知らせくだされば、通路に玉を敷いて準備いたしましたのに」とか1015番「準備万端で待ち構えているところにおいでいただくより、急にお見えになるほうが嬉しいです」とか、おもてなしの心の表し方がよき。  九年丁丑の春の正月に、 橘少卿 、幷せて諸大夫等、弾正尹 門部王 が家に集ひて宴する歌二首 あらかじめ君来まさむと知らませば 門にやどにも玉敷かましを  万1013 *前もって貴方様がいらっしゃると知っていたら、門にも家にも玉を敷いておりましたのに。  右の一首は主人門部王 後には姓大原真人の氏を賜はる 一昨日も昨日も今日も見つれども 明日さへ見まく欲しき君かも  万1014 *一昨日も昨日も今日もお目にかかってますけど、明日もまたお目にかかりたい貴方様ですよ。  右の一首は橘宿禰文成 すなはち少卿が子なり 玉敷きて待たましよりはたけそかに 来る今夜し楽しく思ほゆ  万1015 *玉を敷いてしっかり準備してお待ちするより、いきなり訪問してくださった今夜が楽しいです。 【似顔絵サロン】 門部王  かどべおう ? - ? 奈良時代の皇族。天武天皇の孫。太政大臣・高市皇子の子。 橘 佐為  たちばな の さい ? - 737年 奈良時代の貴族。橘諸兄の弟なので少卿と呼ばれる。 橘 文成  たちばなのあやなり ? - ? 橘佐為の子。伝未詳。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六1011‐1012番歌(我がやどの梅咲きたりと)~アルケーを知りたい(1314)

イメージ
▼1011番は、何かにかこつけて集まりましょう、という心の表現。「風流意気の士」という言葉、よろし。そうなりたい。  冬の十一月の十二日に、歌儛所の諸王・臣子等、 葛井連広成 が家に集ひて宴する歌二首  此来、古儛盛りに興り、古歳漸に晩れぬ。  理に、ともに古情を尽くし、同じく古歌を唱ふべし。  故に、この趣に擬へて、すなわち古曲二節を献る。  風流意気の士、たまさかにこの集ひの中にあらば、争ひて念を発し、心々に古体に和せよ。 我がやどの梅咲きたりと告げ遣らば 来と言ふに似たり散りぬともよし  万1011 *うちの梅が咲いたよ、とお知らせするのは、家に遊びにおいでという意味なので、花は散っても良いのです。 春さればををりにををりうぐひすの 鳴く我が山斎ぞやまず通はせ  万1012 *春になれば花がいっぱいの枝でウグイスが鳴きますゆえ、どうぞ家にお通い続けください。 【似顔絵サロン】 葛井 広成  ふじい の ひろなり ? - ? 奈良時代の貴族・歌人。渡来系。文雅の士、漢詩人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六1009‐1010番歌(橘は実さへ花さへその葉さへ)~アルケーを知りたい(1313)

イメージ
▼1009番は聖武天皇が 葛城王に 橘の名前を贈る時に天皇が詠んだ歌。1010番は葛城王= 橘諸兄=の息子である奈良麻呂の歌。  冬の十一月に、左大弁 葛城王 等、姓橘の氏を賜はる時の御製歌一首 橘は実さへ花さへその葉さへ 枝に霜降れどいや常葉の木  万1009 *橘は、実も花も葉も目出度い。枝に霜が下りる季節もエバーグリーンの樹です。  右は、冬の十一月の九日に、従三位葛城王・従四位上佐為王等、皇族の高き名を辞び、外家の橘の姓を賜はること已訖りぬ。 その時に、太上天皇・皇后、ともに皇后の宮に在して、肆宴をなし、すなはち橋を賀く歌を御製らし、幷せて御酒を宿禰等に賜ふ。 或いは「この歌一首は太上天皇の御製。ただし、天皇・皇后の御歌おのおのも一首あり」といふ。 その歌遺せ落ちて、いまだ探ね求むること得ず。 今案内に検すに、「八年の十一月の九日に、葛城王等、橘宿禰の姓を願ひて表を上る。 十七日をもちて、表の乞によりて橘宿禰を賜ふ」と。   橘宿禰奈良麻呂 、詔に応ふる歌一首 奥山の真木の葉しのぎ降る雪の 降りは増すとも地に落ちめやも  万1010 *奥山の真木の葉にたくさんの雪が降り積もっても木が古くなっても、橘の実が地に落ちることはございません。 【似顔絵サロン】 葛城王 こと 橘諸兄  たちばな の もろえ 684年 - 757年 奈良時代の皇族・公卿。吉備真備と玄昉が政治を補佐。 橘 奈良麻呂  たちばな の ならまろ 721年 - 757年 奈良時代の公卿。橘諸兄の子。橘奈良麻呂の乱で獄死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六1007‐1008番歌(言とはぬ木すら妹と兄とありといふを)~アルケーを知りたい(1312)

イメージ
▼1007番は一人っ子であることを嘆く歌、1008番は約束した時間に友達が遅れてイラつく歌。こういう感覚は時代を超えるのだ。   市原王 、独り子にあることを悲しぶる歌一首 言とはぬ木すら妹と兄とありといふを ただ独り子にあるが苦しさ  万1007 *物をいわない木ですら兄弟があるというのに、私は独り子なのが辛いのだ。   忌部首黒麻呂 、友の遅く来ることを恨むる歌一首 山の端にいさゆふ月の出でむかと 我が待つ君が世は更けにつつ  万1008 *山からなかなか出ない月のように、貴方様はなかなかいらっしゃらない。夜が更けて来ました。 【似顔絵サロン】 忌部 黒麻呂  いんべ の くろまろ ? - ? 奈良時代の官人。歌人。762年、図書寮次官。 市原王  いちはらおう 719年 - ? 奈良時代の皇族。志貴皇子の曾孫。安貴王の子。大伴家持と交流。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第六1003‐1004番歌(海人娘子玉求むらし)~アルケーを知りたい(1311)

イメージ
▼1003番は構造が、A:観察したこと、 B : 解釈、で、このスタイルは分かりやすいから好き(そのままだと味もそっけもないから倒置法をカマしてるけど)。A:漁師は波が高いのに 舟を出している、B:お 宝を探しているらしい。Aは誰が見ても同じもの。Bはその人の解釈だから、面白さや味が出る。 ▼1004番は、おもてなしには、カエルの声を一緒に聞くのもありなんだ、と気づかせてくれる。人をもてなすのはこうでなくては、と固く考えがちな頭を解きほぐしてくれる。  筑後守外従五位 下葛井連大成 、遥かに海人の釣舟を見て作る歌一首 海人娘子玉求むらし沖つ波 畏き海に舟出せり見ゆ  万1003 *海人たちは玉を探しているらしい。沖の波も恐ろしい海に舟を出しているところをみると。   鞍作村主益人 が歌一首 思ほえず来ましし君を佐保川の かはづ聞かせず帰しつるかも  万1004 *思いがけずご来訪くださった貴方様に佐保川のカエルの声をお聞かせするのを忘れてお帰ししてしまいました。  右は内匠寮大属鞍作村主益人、いささか飲饌を設けて、長官 佐為王 に饗す。 いまだ日斜つにも及ばねば、王すでに還帰りぬ。 時に、益人、厭かぬ帰りを怜惜しみ、よりてこの歌を作る。 【似顔絵サロン】 葛井 大成  ふじい の おおなり ? - ? 奈良時代の官人。筑後守。大伴旅人と交流。 按作村主益人  くらつくりのすぐりますひと ? - ? 官吏。村主は渡来系氏の姓。 橘 佐為  たちばな の さい ? - 737年 奈良時代の貴族。諸兄の弟。子が橘文成。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6