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万葉集巻第二十4342-4343番歌(我ろ旅は旅と思ほど)~アルケーを知りたい(1616)

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▼4342番は母思いの防人の歌、4343番は妻思いの防人の歌。 真木柱ほめて造れる殿のごと いませ母刀自面変はりせず  万4342  右の一首は 坂田部首麻呂 。 *太い木の柱で作る立派な建物のように、母上はお変わりなくいらしてください。 我ろ旅は旅と思ほど家にして 子持ち痩すらむ我が妻愛しも  万4343  右の一首は 玉作部広目 。 *私は旅は旅だと割り切っているが、家で子育てに疲れ痩せする妻が愛しい。 【似顔絵サロン】 坂田部 首麻呂  さかたべ の おびとまろ ? - ? 奈良時代の防人。駿河国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 玉作部 広目  たまつくりべ のひろめ ? - ?  奈良時代の防人。駿河国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4340-4341番歌(父母え斎ひて待たね)~アルケーを知りたい(1615)

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▼私は九州の出身なので筑紫と聞くと良いところと分かるけど、万葉の時代に静岡あたりで暮らしていた人からすると筑紫は夜空の星ほど縁遠い所だったろう。4340番は、両親に土産を持って帰るから待っていてくださいと語りかける歌。4341番は、父親と別れて遠い道のりを進まなければならない不安感が伝わる歌。 父母え斎 (いは ) ひて待たね筑紫なる 水漬く白玉取りて来までに  万4340  右の一首は 川原虫麻呂 。 *父上、母上。私の帰りを祈ってお待ちください。筑紫の海にあるという白玉を持って帰るまで。 橘の美袁利 ( みをり ) の里に父を置きて 道の長道 ( ながて) は行きかてのかも  万4341  右の一首は 丈部足麻呂 。 *橘の里に父を置いて、これから長い道のりを進むのだ。 【似顔絵サロン】 川原 虫麻呂   かわらのむしまろ ? - ?  奈良時代の防人。駿河国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 丈部 足麻呂  はせつかべ の たりまろ ? - ? 奈良時代の防人。駿河国の出身。 755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4338-4339番歌(国廻るあとりかまけり)~アルケーを知りたい(1614)

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▼防人として遠くの地に長期間出かけなければならなくなった男たちの家族との離別を悲しむ歌。4338番の たたみけめ は、たたみこもの訛り。畳薦は薦で編んだ畳のことで、後に続くむらじが磯の枕詞。母親と離れるのは寂しいと詠う。4339番は、自分が帰って来るまで無事を祈ってくださいと家族に伝える歌。 畳薦 (たたみけめ) 牟良自 (むらじ) が磯の離磯の 母を離れて行くが悲しさ  万4338  右の一首は助丁 生部道麻呂 。 *岸から離れた 牟良自が磯が 寂しいように、母の元を離れるのは悲しい。 国廻るあとりかまけり行き廻り 帰り来までに斎 (いは) ひて待たね  万4339  右の一首は 刑部虫麻呂 。 *国を飛びめぐる渡り鳥が帰って来るように私が帰るまで祈って待っていてください。 【似顔絵サロン】 生部 道麻呂  いくべ/みむべ/おうしべ の みちまろ ? - ? 奈良時代の防人。駿河国の出身、助丁。 刑部 虫麻呂  おさかべ の むしまろ ? - ? 奈良時代の防人。駿河国の出身。755年、筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4334-4337番歌(水鳥の立ちの急ぎに)~アルケーを知りたい(1613)

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▼今回は4首。最初の3首は家持作。4334番はこれから筑紫に向けて出発する防人に向けたメッセージ、4335番は航海中の安全を祈る歌、4336番は船で移動する防人たちが家を恋しく思うだろうと心情を察する歌。四首目の4337番は、これから出発する新防人が、挨拶もそこそこに家をあわただしく出てしまった心残りを詠う歌。 海原を遠く渡りて年経とも 子らが結べる紐解くなゆめ  万4334 *海を渡って遠い場所で年を経ても、家族らとの絆は決して解けないのだ。 今替る新防人が船出する 海原の上に波なきさそね  万4335 *今、交替の防人が船出するところだ。海で波が立たないように祈る。 防人の堀江漕ぎ出る伊豆手船 楫取る間なく恋は繁けむ  万4336  右は、九日に大伴宿禰家持作る。 *防人が乗った船が港を出るところだ。楫を取る間も家を恋しく思っているだろう。 水鳥の立ちの急ぎに父母に 物言ず来にて今ぞ悔しき  万4337  右の一首は上丁 有度部牛麻呂 。 *水鳥が飛び立つように急いで出て来て、父母に挨拶できなかったことが今悔やまれる。 【似顔絵サロン】 有度部 牛麻呂  うとべ の うしまろ ? - ? 奈良時代の防人。 駿河国の出身。755年、 上丁の防人として筑紫に 派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4331-4333番歌(ますらをの靱取り負ひて)~アルケーを知りたい(1612)

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▼今回は防人が招集され難波から筑紫に出発するプロセスを見ていた家持の歌三首。筑紫が防衛拠点であること、勇敢な兵士の駐留が必要であること、務めが終われば故郷に戻ること、が分かる。4331番の長歌では防人の意義や概要が詠われている。4332番は、夫が防人になって家を離れるので妻は寂しい思いをしているだろう、と詠う。4333番は、防人になった夫も寂しいことだろう、と詠う。家持良き人、良き人家持。  追ひて、防人が悲別の心を痛みて作る歌一首  幷せて短歌 大君の 遠の朝廷と しらぬひ  筑紫の国は 敵まもる おさへの城ぞと きこしをす 四方の国には 人さはに 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男は 出で向ひ かへり見せずて 勇みたる 猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて 若草の 妻をもまかず あらたまの 月日数みつつ 葦が散る 難波の御津に 大船に ま櫂しじ貫き 朝なぎに 水手ととのへ 夕潮に 楫引き折り 率ひて 漕ぎ行く君は 波の間を い行きさぐくみ ま幸くも 早く至りて 大君の 命のまにま ますらをの 心を持ちて あり廻り  事し終らば つつまはず 帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の 袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ 愛しき妻らは 万4331 *筑紫は防衛拠点なので、男たちは親元や妻と別れて 防人の務めを果たす。妻は長い務めが終わって帰って来るのを待っている。 ますらをの靱 ( ゆき) 取り負ひて出て行けば 別れを惜しみ嘆きけむ妻  万4332 *一家の主人が武具を背負って家を出て行くと、別れを惜しんで妻が嘆いていることでしょう。 鶏が鳴く東壮士の妻別れ 悲しくありけむ年の緒長み  万4333  右は、二月の八日、兵部少輔大伴宿禰家持。 *東国の男子が任地に赴くために妻と別れるのは悲しいことでしょう、別れの期間が長いだけに。 【似顔絵サロン】 物部 古麻呂 もののべ の こまろ ? - ? 奈良時代の防人。遠江国長下郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 我が妻も絵に描き取らむ 暇もが旅行く我は見つつ偲はむ  万4327 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dat...

万葉集巻第二十4328-4330番歌(大君の命畏み)~アルケーを知りたい(1611)

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▼今回は相模国の男で防人に指名された人たち。大阪の難波に集まり、そこから船で九州の筑紫に移動したようだ。今回の三首とも背景の風景が海と船。いずれも家族との別れを惜しむ歌。 大君の命畏み磯に触り 海原渡る父母を置きて  万4328  右の一首は助丁 丈部造人麻呂 。 *大君のご命令なので磯を伝い海を渡ります。家に父母を遺して。 八十国は難波に集い船かざり 我がせむ日ろを見も人もがも  万4329  右の一首は足下の郡の上丁 丹比部国人 。 *諸国から人が難波に集まっている。船支度をする私を見てくれる人がいてくれたら良いのに。 難波津に装ひ装ひて今日の日や 出でて罷らむ見る母なしに  万4330  右の一首は鎌倉の郡の上丁 丸子連多麻呂 。 *難波津に船出の準備を整えて今日を迎えました。いざ出発ですが見送ってくれる母はいません。 二月の七日、相模の国の防人部領使守従五位下 藤原朝臣宿奈麻呂 。 進る歌の数八首。ただし、拙劣の歌五首は取り載せず。 【似顔絵サロン】 丈部 人麻呂  はせつかべ の ひとまろ ? - ? 奈良時代の防人。相模国の出身。助丁(防人の集団の長=国造丁を補佐する役割)。 丹比部 国人  たじいべ の くにひと ? - ? 奈良時代の防人。相模国足下郡の出身。上丁。 丸子 多麻呂  まるこ の おおま ? - ? 奈良時代の防人。相模国鎌倉郡の出身。上丁。 藤原 宿奈麻呂  ふじわら の すくなまろ/良継 よしつぐ 716 - 777 奈良時代の公卿。藤原宇合の次男。相模守の時、防人部領使として防人歌を大伴家持に進上。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4325-4327番歌(我が妻も絵に描き取らむ)~アルケーを知りたい(1610)

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▼4325番と4326番は、静岡出身の男性二人が防人として筑紫に派遣されるときに父母を花に喩えた歌。同じ 佐野郡 の出身なので、二人が話し合いながら作った歌のよう。 4327番は、写真がない時代だったので、妻の絵を描いておけば良かった、という歌。 これらの歌は防人を筑紫まで引率する役割の人が収集して家持に提出していた。家持はその歌の中から良きものを選んで万葉集の第20巻に収めた。ありがたい。 父母も花にもがもや草枕 旅は行くとも捧ごて行かむ  万4325  右の一首は佐野の郡の 丈部黒当 。 *父母が花であれば、この旅路でも捧げて行くのですが。 父母が殿の後方のももよ草 百代いでませ我が来るまで  万4326  右の一首は同じき郡の 壬生部足国 。 *父母の家に植わっているももよ草のように、ずっと元気でいてください、私が戻ってくるまで。 我が妻も絵に描き取らむ暇もが 旅行く我れは見つつ偲はむ  万4327  右の一首は長下の郡の 物部古麻呂 。 *私の妻の似顔絵を描く暇があれば良かったのに。旅先で見ては思い出すのに。 二月の六日、防人部領使遠江の国の史生 坂本朝臣人上 。 進つ歌の数十八首。 ただし、拙劣の歌十一首有るは取り載せず。 【似顔絵サロン】 丈部 黒当  はせつかべ の くろまさ ? - ? 奈良時代の防人。遠江国(静岡県)佐野郡の出身。丈部は軍事的部民。755年、防人として筑紫に派遣。 生玉部 足国  いくたまべ の たりくに ? - ? 奈良時代、遠江国佐野郡の防人。755年、坂本人上に率いられ筑紫に派遣。 物部 古麻呂 /古麿 もののべ の こまろ ? - ? 奈良時代の防人。遠江国長下郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 坂本 人上  さかもと の ひとかみ ? - ? 奈良時代の人物。755年、遠江国の史生の時、防人部領使として、物部秋持・丈部真麻呂・丈部黒当・生玉部足国・物部古麻呂らの防人を筑紫まで引率。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4323-4324番歌(時々の花は咲けども)~アルケーを知りたい(1609)

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▼4323番は、花はたくさんあるけど「母」という名の花がない、と母親との別れの寂しさを詠う歌。4324番は、行く場所が陸続きではないから言葉も分かれ分かれになる、と両方とも親しい人とのコミュニケーションがなくなるのを嘆く歌。 時々の花は咲けども何すれぞ 母とふ花の咲き出来ずけむ  万4323  右の一首は、防人山名の郡の 丈部真麻呂 。 *時々に花は咲くのだけれども、どうしてか母という名の花は咲いてこない。 遠江 (とへたほ み) 志留波 ( しるは) の磯と爾閇 (にへ) の浦と 合ひてしあらば言も通はむ  万4324  右の一首は同じき郡の 丈部川相 。 *遠江の白羽の磯と贄の浦が続きであれば、言葉を交わせたであろうに。 【似顔絵サロン】 丈部 真麻呂  はせつかべ の ままろ ? - ? 奈良時代の防人。遠江国(静岡県)山名郡の出身。丈部は軍事的部民。755年、防人として筑紫に派遣。 丈部 川相  はせつかべ の かわあい ? - ? 奈良時代の防人。遠江国山名郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4321-4322番歌(我が妻はいたく恋ひらし)~アルケーを知りたい(1608)

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▼今回から防人の歌。防人(さきもり)とはAI要約によると「 古代日本の律令時代に、主に東国から徴兵され、北九州の防衛にあたった兵士のこと」。防人になった人は、出発前に和歌を詠んでリーダーに提出していたらしい。それを家持が取りまとめて万葉集の巻20に収録したもの。家持、良い仕事してくれるぜ。  天平勝宝七歳乙未の二月に、相替りて筑紫に遣はさゆる諸国の防人等が歌 畏きや命被り明日ゆりや 草が共寝む妹なしにして  万4321  右の一首は、国造丁長下の郡の 物部秋持 。 *畏れ多くも命令が下りましたので、明日からは草と共寝です、妻は家にいるので。 我が妻はいたく恋ひらし飲む水に 影さへ見えてよに忘られず  万4322  右の一首は、主帳丁麁玉の郡の 若倭部身麻 呂 。 *妻が私をとても恋しがっているらしく、私の飲む水の面に妻の顔が浮かびます。忘れられませんよ。 【似顔絵サロン】 物部 秋持  もののべ の あきもち ? - ? 奈良時代の防人。遠江国(静岡県)長下郡出身の軍事的部民、国造丁(こくぞうのちょう)。755年、防人として筑紫に派遣。 若倭部 身麻呂  わかやまとべ の みまろ ? - ? 奈良時代の防人。遠江国(静岡県)麁玉郡出身の主帳丁(事務官)。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4314-4320番歌(八千種に草木を植ゑて)~アルケーを知りたい(1607)

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▼前回は七夕をお題にした八首、今回は秋の野をお題にした六首プラスワン。プラスワンといったのが4314番で、季節ごとの花を愛でるために多くの種類の草木を植えましょう、という歌。この歌を眺めて、そういえば大学にもたくさんの草木があるなあ、確かに季節の変化を感じるなあ、と気が付いた。大学の緑は歴史を踏まえた文化だったのだ(今ごろ言うか)。4315番は宮人の服を、4316番は女郎花、4317番は男女みんな、4318番は萩、4319番は鹿、4320番はますらをと鹿を詠った作品。秋の野をテーマに、鍵になる対象にピントを合わせる作り方とまとめ方が心憎い。 八千種に草木を植ゑて時ごとに 咲かむ花をし見つつ偲はな  万4314  右の一首は、同じき月の二十八日に、大伴宿禰家持作る。 *いろんな種類の草木を植えて、季節ごとに咲く花を見て楽しみたいものですな。 宮人の袖付け衣秋萩に にほひよろしき高円宮  万4315 *宮人が着用する袖が付いた衣裳が秋萩によく映える高円の宮であります。 高円の宮の裾廻の野づかさに 今咲けるらむをみなへしはも  万4316 *高円の宮の廻りの野原に今咲いている女郎花だよ。 秋野には今こそ行かめもののふの 男女の花にほひ見に  万4317 *秋の花が咲く草原に今こそ行かなくちゃ。男女の姿に花がよく映える景色を見るために。 秋の野に露負へる萩を手折らずて あたら盛りを過ぐしてむとか  万4318 *秋の野で露が降りた萩。手折られないまま空しく盛りを過ごしていくのか。 高円の秋野の上の朝霧に 妻呼ぶを鹿出で立つらむか  万4319 *高円の秋。野原に朝霧が出ると、牡鹿が現れて 妻を呼ぶ のだろう。 ますらをの呼び立てしかばさを鹿の 胸別け行かむ秋野萩原  万4320  右の歌六首は、兵部少輔 大伴宿禰家持 、独り秋野を憶ひて、いささかに拙懐を述べて作る。 *ますらをが追い立てると、雄鹿は野原の萩を胸で分けるようにして進むのだろう。 【似顔絵サロン】 大伴 家持  おおともの やかもち 718 - 785 公卿・歌人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4306-4314番歌(秋と言へば心ぞ痛き)~アルケーを知りたい(1606)

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▼今日、七夕の神事は 7月6日の夜から7日の早朝の間に行われるそうだ。「午前1時頃には天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の三つが最も見頃になる」という。家持も独りで天を見上げていたのだ。「七夕」なのに八首作ったのは、どうしてだろう。  七夕の歌八首 初秋風涼しき夕解かむとぞ 紐は結びし妹に逢はむため  万4306 *初めて吹く秋の風が涼しい夕方。その夕べにまた解こうと思って結んだ紐です、これは。彼女に逢いたくて。 秋と言へば心ぞ痛きうたて異に 花になそへて見まく欲りかも  万4307 *秋というと心が痛い。いつもと違って、彼女を花になぞらえて眺めたいと思うからでしょう。 初尾花花に見むとし天の川 へなりにけらし年の緒長く  万4308 *すぐ散る花のようにちょっとしか逢えないのは、長い年月天の川が隔てているからだ。 秋風に靡く川びのにこ草の にこよかにしも思ほゆるかも  万4309 *秋風に川岸のにこ草が靡いているけど、これは二人が逢えると思ってにこにこするからだな。 秋されば霧立ちわたる天の川 石並置かば継ぎて見むかも  万4310 *秋になると霧た立ち渡る天の川。ここに石を並べればいつでも二人は渡って逢えるのに。 秋風に今か今かと紐解きて うら待ち居るに月かたぶきぬ  万4311 *秋風に吹かれながら相手が来るのを今か今かと紐解いて待っているうちに月が傾いてきた。 秋草に置く白露の飽かずのみ 相見るものを月をし待たむ  万4312 *秋草の白露を飽きず眺めるようにお互い会えるはずなのに、私は月だけ待っているよ。 青波に袖さへ濡れて漕ぐ舟の かし振るほどにさ夜更けなむか  万4313  右は、大伴宿禰家持、独り天漢を仰ぎて作る。 *青波に袖を濡らしながら漕ぐ舟、つなぎ止めようとするうちにすっかり夜が更けてしまう。 【似顔絵サロン】大伴 家持 おおともの やかもち 718 - 785 公卿・歌人。子が永主 (ながぬし) 。三十六歌仙の一人。785年の藤原種継事件に関わるも、既に死去していたため官位剥奪。20年後に名誉回復し、万葉集も表に出た。  〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4302-4305番歌(山吹は撫でつつ生ほさむ)~アルケーを知りたい(1605)

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▼今回は、山吹やホトトギスを介して人の情を伝える歌四首。4302番は来客の喜びを 置始長谷 が詠った作品で、4303番は家持によるその返し。4304番は別の日に別の場面で家持が橘卿に捧げた歌。4305番は、誰かに説明しているのか、はたまた独り言か分からないけど、視線を山に向けてホトトギスを詠う家持お得意の作。  三月の十九日に、家持が庄の門の槻の樹の下にして宴飲する歌二首 山吹は撫でつつ生ほさむありつつも 君來ましつつかざしたりけり  万4302  右の一首は 置始連長谷 。 *わが家の山吹を撫でるように大切に育てましょう。貴方様がおいでになってかざしてくれるのですから。 我が背子がやどの山吹咲きてあれば やまず通はむいや年のはに  万4303   右の一首は、長谷、花を攀ぢ壺を堤りて到来す。 これによりて、大伴宿禰家持この歌を作りて和ふ。 *私の親しい友人の家で山吹が咲きました。これから毎年欠かすことなく通いますよ。  同じき月の二十五日に、左大臣橘卿、山田御母が宅にして宴する歌一首 山吹の花の盛りにかくのごと 君を見まくは千年にもがも  万4304   右の一首は、少納言大伴宿禰家持、時の花を嘱て作る。 ただし、いまだ出ださぬ時に、大臣宴を罷めて、挙げ誦はなくのみ。 *山吹の花の盛りのときにこのように貴方様とお目にかかれる機会は、これからもずっと続いて欲しいです。  霍公鳥を詠む歌一首 木の暗の茂き峰の上をほととぎす 鳴きて越ゆなり今し来らしも  万4305  右の一首は、四月に大伴宿禰家持作る。 *木が茂って暗くなっている峰の上をホトトギスが鳴きながら越えています。もうすぐここにやって来るでしょう。 【似顔絵サロン】 置始 長谷  おきそめ の はつせ ? - ? 飛鳥時代の歌人。629年から672年にかけての代表的歌人。  〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4301番歌(印南野の赤ら柏は)~アルケーを知りたい(1604)

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▼今回は一首。天皇が宮で開いた宴会に参加した播磨の国の守の安宿王が詠んだ歌。紅葉は年に一度、でも私は君を思うのは年中です、と忠誠心を言葉にした。裏があるんじゃないかと疑う気持ちが恥ずかしくなる。  七日に、天皇、太上天皇、皇大后、東の常宮の南の大殿に在して肆宴したまふ歌一首 印南野の赤ら柏は時はあれど 君を我が思ふ時はさねなし  万4301  右の一首は、播磨の国の守 安宿王 奏す。古今未詳 *印南野の赤柏が紅葉するのは時期がありますが、私が君をお慕いするのはいつものことで時期がありません。 【似顔絵サロン】 安宿王  あすかべおう/あすかべのおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族。天武天皇の後裔、長屋王の五男。橘奈良麻呂の乱の後、佐渡に流罪。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4298-4301番歌(年月は新た新たに)~アルケーを知りたい(1603)

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▼思ふどちが集まって宴会を開くのは楽しいねえ、と言い合う歌。集まって楽しい気持ちを言葉に出すことによって、さらに楽しくなる。楽しいときは楽しいね、とお互いに素直に言い合うのが大事だと思ふ。  六年の正月の四日に、氏族の人等、少納言大伴宿禰家持が宅に賀き集ひて宴飲する歌三首 霜の上に霰た走りいやましに 我れは参ゐ来む年の緒長く  古今未詳  万4298  右の一首は左兵衛督 大伴宿禰千室 。 *霜の上に降る霰が弾けるように私はこの会に参りますよ、この先いつまでも。 年月は新た新たに相見れど 我が思ふ君は飽き足らぬかも  古今未詳  万4299  右の一首は民部少丞 大伴宿禰村上 。 *年月はいつも新しくなりますが、気心知れた楽しいお仲間にお目にかかっているといくら一緒にいても飽き足りません。 霞立つ春の初めを今日のごと 見むと思へば楽しとぞ思ふ  万4200  右の一首は左京少進大伴宿禰池主。 *霞が立つ春の初めに今日のように顔を合わせのは、ホントに楽しいと思います。 【似顔絵サロン】 大伴 千室  おおとも の ちむろ ? - ? 奈良時代の官吏。 754年、大伴家持邸での年賀の宴で歌を詠んだ。 大伴 村上  おおとものむらかみ ? - ? 奈良時代の官吏。 754年、大伴家持邸での年賀の宴で歌を詠んだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4295-4297番歌(高円の尾花吹き越す)~アルケーを知りたい(1602)

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▼今回の4295番の説明書きが漢詩の雰囲気を感じさせる、、、と思ったら、漢詩好きの池主の作品だった。どこが漢詩を感じさせるかというと、酒を持って高円の野に登る、の箇所。杜甫の登高を連想する。高校時代の漢詩にあった。続く 中臣清麻呂の 4296番と家持の4297番も同じ高円を詠みこんでいるけど、4295番と違ってとても和歌和歌しい(笑)。  天保勝宝五年の八月の十二日に、二三の大夫等、おのもおのも壺酒を提りて高円の野に登り、いささかに所心を述べて作る歌三首 高円の尾花吹き越す秋風に 紐解き開けな直ならずとも  万4295  右の一首は左京少進 大伴宿禰池主 。 *高円のススキを吹き抜ける秋風を感じながら、衣の紐をほどきましょう。人と直接会うわけではありませんけど。 天雲に雁ぞ鳴くなる高円の 萩の下葉はもみちあへむかも  万4296  右の一首は左中弁 中臣清麻呂 朝臣。 *上空で雁が鳴いています。高円の萩の下葉は紅葉しました。 をみなへし秋萩しのぎさを鹿の 露別け鳴かむ高円の野ぞ  万4297  右の一首は少納言大伴宿禰家持。 *女郎花や秋萩に降りた露をかき分けながら雄鹿が鳴く高円の野ですな。 【似顔絵サロン】 大伴 池主  おおとも の いけぬし ? - 757 奈良時代の官人・歌人。 大中臣 清麻呂  おおなかとみ の きよまろ 702 - 788 奈良時代の公卿・歌人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4293-4294番歌(あしひきの山行きしかば)~アルケーを知りたい(1601)

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▼今回から 万葉集の最終巻、 巻二十。最初が仙人が出て来る歌、次が山に行く仙人の気持ちが分からないし、その仙人が出会ったという仙人って一体誰や?、という歌。最初はとぼけた歌だと思って笑うんだけど、いや立派な歌が載っているはずの万葉集の歌だから、そんなはずはないかも知れないと思い返し、もう一度読む。でも、ふたつとも遊びだらけの歌だと思ふぞこれ。巻二十が楽しみ。  山村に幸行す時の歌二首 先太上天皇 、陪従の王臣に詔して曰はく、「それ諸王卿等、よろしく和ふる歌を賦して奏すべし」とのりたまひて、すなはち口号びて曰はく あしひきの山行きしかば山人の 我れに得しめし山づとぞこれ  万4293 *山に行くと山で暮らす人が私に暮れた山の土産です、これは。   舎人親王 、詔に応へて和へまつる歌一首 あしひきの山に行きけむ山人の 心も知らず山人や誰れ  万4294   右は、天平勝宝五年の五月に、大納言藤原朝臣が家に在る時に、事を奏すによりて請問する間に、少主鈴 山田史土麻呂 、少納言 大伴宿禰家持 に語りて曰はく、「昔、この言を聞く」といふ。 すなはちこの歌を誦ふ。 *山に行ったという山人の気持ちが分かりませんが、この山人というのはいったい誰なのでしょう。 【似顔絵サロン】 元正天皇  げんしょうてんのう 680 - 748 第44代天皇。在位:715 - 724 独身で即位した初めての女性天皇。母親は元明天皇。 舎人親王  とねりしんのう 676 - 735 天武天皇の皇子。政治家・歌人。729年、長屋王の変では、新田部親王らと共に罪を糾問。 山田 土麻呂  やまだ の つちまろ/ひじまろ ? - ? 奈良時代の官吏。 大伴 家持  おおともの やかもち 718 - 785 公卿・歌人。三十六歌仙の一人。万葉集の編者。  〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第十九4289-4292番歌(青柳のほつ枝攀ぢ取り)~アルケーを知りたい(1600)

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▼昔の人は枝を切り取っては頭に差していたけど、その理由は、祈りであった。4289番に解説がある。 頭に青柳の枝を差すのは、 末長く栄えるようにと祈ってのことだと。 4290番は春の野の夕方の舞台でウグイスの声が聞こえる、うら悲しい、という。 4291番も音を詠った作品。竹林を吹き抜ける風の音。 4292番は空にヒバリが舞い上がって鳴く風景を見て、孤独感に悲しみを感じる歌。 こうやってみると今回の四首はみな内省的だ。  二月の十九日に、左大臣橘家の宴にして、攀ぢ折れる柳の条を見る歌一首 青柳のほつ枝攀ぢ取りかづらくは 君がやどにし千年寿くとぞ  万4289 *青柳の枝を攀じ取って頭につけるのは、貴方様のお宅が末永く栄えるようにと祈ってのことです。  二十三日に、興に依りて作る歌二首 春の野に霞たなびきうら悲し この夕影にうぐひす鳴くも  万4290 *春の野に霞がたなびいてうら悲しい風景です。そんな夕方にウグイスが鳴いています。 我がやどのい笹群竹吹く風の 音のかそけきこの夕かも  万4291 *私の家の笹竹の群を吹き抜ける風の音がかすかに聞こえるこの夕方です。  二十五日に作る歌一首 うらうらに照れる春日にひばり上がり 心悲しもひとりし思へば  万4292   春日遅々にして、鶬鶊正に啼く。 悽惆の意、歌にあらずしては撥ひかたきのみ。 よりて、この歌を作り、もちて締緒を展ぶ。 ただし、この巻の中に作者の名字を稱はずして、ただ、年月、所処、縁起のみを録せるは、皆大伴宿禰家持が裁作る歌詞なり。 *うらうらと照る春の日にひばりが空に飛んでいく。ひとりでもの思いしていると心悲しくなる。 【似顔絵サロン】今回の歌の時期に大納言を務めた人物二人。 巨勢 奈弖麻呂 こせ の なでまろ 670 - 753 奈良時代の公卿。父は巨勢人。万葉歌人。 天地と相栄えむと大宮を仕へ奉れば貴く嬉しき  万4273。 藤原 仲麻呂  ふじわら の なかまろ 恵美押勝 706 - 76 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。 天雲の去き還りなむもの故に思ひそ我がする別れ悲しみ  万4242 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19