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万葉集巻第十九4163-4165番歌(ますらをは名をし立つべし)~アルケーを知りたい(1560)

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▼男子たるもの、かく生きたいという思いを背負う4164番の長歌と4165番の短歌。「 後の世の語り継ぐべく 名を立つべしも 」や 「 後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐ 」と、後の世を意識して今の行動を奮い立たようとしている。これは山上憶良の先行歌がある。家持は子供のころ父親の旅人と仲良くしていた山上憶良の姿を知っているから、文字の上だけの話ではない。この気合にはたじろぐ。  予め作る七夕の歌一首 妹が袖我れ枕かむ川の瀬に 霧立ちわたれさ夜更けぬとに  万4163 *妻の袖を枕にして寝よう。 霧よ、 夜が更ける前に川の瀬に立ちこめよ。  勇士の名を振はむことを慕う歌一首  幷せて短歌 ちちの実の 父の命 ははそ葉の 母の命 おほろかに 心尽して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空しくあるべき 梓弓 末振り起し 投矢持ち 千尋射わたし 剣太刀 腰に取り佩き あしひきの 八つ峰踏み越え さしまくる 心障らず 後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも  万4164 *ますらをたる者、後の世まで名を立てるように今を生きなければ。 ますらをは名をし立つべし後の世に 聞き継ぐ人も語り継ぐがね  万4165  右の二首は、山上憶良が作る歌に追ひて和ふ。 *ますらをは名を立てるべきなのだ。後世、その名を聞いた人が語り継げるように。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 佐伯 毛人  さえき の えみし ? - ? 奈良時代の貴族。764年、大宰大弐として大宰府に赴任。765年、乱に連座したとして左遷。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4159-4162番歌(言とはぬ木すら)~アルケーを知りたい(1559)

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▼今回は時間の流れと無常についての歌。4159番では年を重ねた存在に対する敬意。この歌に出て来る言葉の「神さび」が良い。新品もイイけど、神さびて年季が入ったのはやはり良い。 4160番は「世間は常なきもの」であることは「天地の遠い初め」からのことで昨日今日始まった話ではないと言い聞かせるフレーズで始まる。そうなんだけど、それは承知しているのだけれど、やはり変化に無常を感じるのは万葉人も現代人も同じです。 4161番ではモノを言わない木ですら変化すると言う。 4162番では変化に心を煩わせないようにしようと思ふが、物を思ってしまうと言う。もう一つのバージョンとして「嘆く日が多い」と言うのがある。 「常なきもの」に人は対処が難しいのだ。  季春三月の九日に、出挙の政に擬りて、古江の村に行く道の上にして、物花を属目する詠、幷せて興の中に作る歌 渋谿の崎を過ぎて、巌の上の樹を見る歌一首  樹の名はつまま 磯の上のつままを見れば根を延へて 深くあらし神さびにけり  万4159 *磯の上にタブノキが生えている。根を伸ばし、樹齢も長く、神々しい。  世間の無常を悲しぶる歌一首  幷せて短歌 天地の 遠き初めよ 世間は 常なきものと 語り継ぎ 流らへ来れ 天の原 振り放け見れば 照る月も 満ち欠けしけり あしひきの 山の木末も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて 風交り もみち散りけり うつせみも かくのみならし 紅の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪り 朝の笑み 夕変らひ 吹く風の  見えぬがごとく 行く水の  止まらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも  万4160 *吹く風、行く水のようにこの世の移ろいを見ると、涙が流れて止まらない。 言とはぬ木すら春咲き秋づけば もみち散らくは常をなみこそ   一には「常なけむとぞ」といふ  万4161 *ものを言わない樹木でも春は花を咲かせ、秋には紅葉して葉を落とすのは不変というのがないからです。 うつせみの常なき見れば世間に 心つけずて思ふ日ぞ多き   一には「嘆く日ぞ多き」といふ  万4162 *はかなくて不変というもののないので、世の中に心を煩わせないようにしようと思うけど、もの思いをする日は多いのだ。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 仲 石伴  なか の いわとも ? - ...

万葉集巻第十九4156-4158番歌(紅の衣にほはし)~アルケーを知りたい(1558)

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▼今回は、 富山県高岡市に流れていた辟田川 (さきたがわ) を詠った歌。春、鮎を獲りに、夜、鵜飼の者を伴って夜、かがり火を焚きながら 辟田 川の流れに入って歩く。妻が送ってくれた紅色の衣の裾が濡れるという歌。文字で視覚を刺激してくれる歌。  鵜を潜くる歌一首  幷せて短歌 あらたまの 年行きかはり 春されば 花のみにほふ あしひきの 山下響み 落ち激ち 流る辟田の 川の瀬に 鮎子さ走る 島つ鳥 鵜養伴なへ 篝さし なづさひ行けば 我妹子が 形見がてらと 紅の 八しほに染めて おこせたる 衣の裾も 通りて濡れぬ  万4156 *春になって鮎が飛び跳ねる川を上っていると妻が染めて作ってくれた衣の裾がびしょ濡れになる。 紅の衣にほはし辟田川 絶ゆることなく我れかへり見む  万4157 *紅の衣も鮮やかに辟田川の流れが絶えないように、また来てみよう。 年のはに鮎し走らば辟田川 鵜八つ潜けて川瀬尋ねむ  万4158 *毎年、鮎が走る辟田川で、鵜を放って鮎を追いながら川を上りましょう。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 執棹  ふじわら の とりさお ? - 764 奈良時代の貴族。藤原仲麻呂の九男。764年、藤原仲麻呂の乱で官軍から一族郎党44人とともに斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4148-4153番歌(今日のためと思ひて標めし)~アルケーを知りたい(1556)

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▼今回はまず、明け方、雉の鳴き声を聞いた家持の感想二首。雉も鳴かずば撃たれまい、という、あの雉。姿は鶏にとても似ているが鳴き声は異なる。 家持は雉の鳴き声の感慨を詠った。動画で雉の鳴き声を聞くと、この二首に共感。 雉の鳴き声には 鶏にはない悲しい響きが感じられる。 続く一首は、船頭の歌。船頭は歌うのが好きなのだろう。でもヴェニスの船頭の歌い方のイメージとはだいぶ違う印象。 最後の三首は、家持が館で宴を開いたときの歌。騒がしい宴会ではなく、しっとりとした感じがする。  暁に鳴く雉を聞く歌二首 杉の野にさ躍る雉いちしろく 音にも泣かむ隠り妻かも  万4148 *杉の野原に騒がしい雉がいます。これは我慢できずに泣いている隠れ妻なのかも。 あしひきの八つ峰の雉鳴き響む 朝明の霞見れば悲しも  万4149 *あちらこちらの峰から雉の鳴き声が響いて来ます。朝明の霧を見ると悲しい気持ちになります。  遥かに、江を泝る舟人の唱ふを聞く歌一首 朝床に聞けば遥けし射水川 朝漕ぎしつつ唱ふ舟人  万4150 *朝、寝床の中で聞こえてくるのは遥か遠くの射水川で早朝から舟を漕ぎながら歌っている舟人の声。  三日に、守大伴宿禰家持が館にして宴する歌三首 今日のためと思ひて標めしあしひきの 峰の上の桜かく咲きにけり  万4151 *今日のためにと思って囲っておいた峰の上の桜。このように見事に咲いています。 奥山の八つ峰の椿つばらかに 今日は暮らさねますらをの伴  万4152 *あの遠い峰々の椿もよく咲いています。今日はますらをのみなさんと心行くまで楽しく過ごしましょう。 漢人も筏浮べて遊ぶといふ 今日ぞ我が背子花かづらせな  万4153 *漢の国の粋人は筏を浮かべて遊んだと言います。皆さん、今日は花かづらを付けましょうよ。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 辛加知  ふじわら の からかち/しかち ? - 764 奈良時代の貴族。藤原仲麻呂の八男。764年、藤原仲麻呂の乱で孝謙上皇方の佐伯伊多智から斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4154-4155番歌(矢形尾の真白の鷹を)~アルケーを知りたい(1557)

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▼都から遠く離れた越中の国で毎年過ごしているうちに鬱屈する気持ちが溜まる。そんなとき、山野を馬で駆け巡り、大切に育てた真白斑の鷹を飛ばす。その眺めを見る喜びの歌。  八日に、白き大鷹を詠む歌一首  幷せて短歌 あしひきの 山坂越えて 行きかはる 年の緒長く しなざかる 越にし住めば 大君の 敷きます国は 都をも ここも同じと 心には 思ふものから 語り放け 見放くる人目 乏しみと 思ひし繁し そこゆゑに 心なぐやと 秋づけば 萩咲きにほふ 石瀬野に 馬だき行きて をちこちに 鳥踏み立て 白塗の 小鈴もゆらに あはせ遣り 振り放け見つつ いきどほる 心のうちを 思ひ延べ 嬉しびながら 枕付く  妻屋のうちに 鳥座結ひ 据ゑてぞ我が飼ふ 真白斑の鷹 万4154 *都から遠い越中で過ごしていると悶々とする。そこで山に出て真白斑の鷹を放つ。その様子を思い出してにんまりする。我が家で大切に買っている真白斑の鷹。 矢形尾の真白の鷹をやどに据ゑ 掻き撫で見つつ飼はくしよしも  万4155 *矢の形の尾が白い鷹が我が家にいる。撫でては姿を見て飼育するのは嬉しいこと。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 佐伯 伊多智  さえき の いたじ ? - ? 奈良時代の貴族。764年、孝謙上皇方として活躍。藤原辛加知を斬殺。功が認められ昇進。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4143-4147番歌(燕來る時になりぬと)~アルケーを知りたい(1555)

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▼和歌によるスケッチ。 4143番は、井戸の周りの娘たちとカタクリの花。どういう絵にしますかねえ。 4144番は、一方では燕、もう一方では雁が飛ぶ、という絵。 4145番。秋風。これはどう描くか。秋風で紅葉する山は描けそう。 4146番と4147番は夜の川千鳥の鳴き声の歌。さすがに鳥の声は絵にできますまい。でも名人なら、夜の川、うっすらと川千鳥の姿。観賞する人が鳥の声が聞こえるような、、、。  堅香子草の花を攀ぢ折る歌一首 もののふの八十娘子らが汲み乱ふ 寺井の上の堅香子の花  万4143 *多くの娘子たちが押しかけて水を汲む寺井。その上で咲き乱れているカタクリの花。  帰雁を見る歌二首 燕來る時になりぬと雁がねは 国偲ひつつ雲隠り鳴く  万4144 *燕が飛んでくる季節になると雁たちは雲に隠れて 鳴きながら 故郷に 帰ります。 春まけてかく帰るとも秋風に もたみむ山を越え來ずあらめや   一には「春されば帰るこの雁」といふ  万4145 *春を待ってこのように帰って行く。でも、秋風で紅葉する山を越えて再びやって来るのです。  夜裏に千鳥の鳴くを聞く歌二首 夜ぐたちに寝覚めて居れば川瀬尋め 心もしのに鳴く千鳥  万4146 *夜半遅く目が覚めてしまった。川瀬で鳴く千鳥の声が聞こえて悲しくなります。 夜くたちて鳴く川千鳥うべしこそ 昔の人も偲ひきにけれ  万4147 *夜半すぎて鳴く川千鳥の声を昔の人は悲しく感じたという。よくわかる。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 刷雄  ふじわら の よしお ? - ? 奈良時代の貴族。藤原仲麻呂の六男。764年、藤原仲麻呂の乱では、一族が悉く処刑されるも遣唐使留学生だった経歴が考慮され死罪を免れ、隠岐国へ流罪。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4139-4142番歌(春の日に萌れる柳を)~アルケーを知りたい(1554)

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▼今回から巻十九。春の歌で始まっている。 4139番は絵になる歌。じっさい絵にしようとしたら、絵描きはどういう構図を考えるだろう。 4140番は目を地面に向けて、散っているのは花か雪かと詠う。こういう表現はチャンスがあればマネしたいぞ。 4141番は前二首とうって変わった雰囲気の歌。 鴫(シギ)を動画で見ると昼でも悲しく聞こえる声。 4142番。この歌では、柳を攀じているのだが、どういう仕草なのだろう。枝を手にとってするりと手を動かす、みたいな? 昔の人はすぐ切り取ってかざそうとするのでこの歌でも同じことをしたのかと思ったが、芽ぶいた枝を手に取って眺め、都を思い出しただけのようだ。  天平勝宝二年の三月の一日の暮に、春苑の桃李の花を眺矚めて作る歌二首 春の園紅にほふ桃の花 下照る道に出で立つ娘子  万4139 *春の園で桃の花が紅く咲いています。花輝く 道に立つ娘さん。 我が園の李の花か庭に散る はだれのいまだ残りてあるかも  万4140 *私の庭に散っているのは李の花? それとも雪の消え残り?  翻び翔る鴫を見て作る歌一首 春まけてもの悲しきにさ夜更けて 羽振き鳴く鴫誰が田にか棲む  万4141 *春を待つもの悲しい気分の夜遅く、羽をばたつかせて鳴く鴫。誰の田にいるのだろう。  二日に、柳黛を攀ぢて京師を思ふ歌一首 春の日に萌れる柳を取り持ちて 見れば都の大道し思ほゆ  万4142 *春の日に芽を出している柳を手に持って見ると、都の大通りを思い出します。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 薩雄  ふじわら の ひろお ? - 764 奈良時代の貴族。藤原仲麻呂の七男。764年、藤原仲麻呂の乱で官軍から斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十八4134-4138番歌(我が背子が琴取るなへに)~アルケーを知りたい(1553)

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▼今回は家持が宴の会で詠んだ歌の数々。 4134番は、雪が積もった月夜に開かれた宴会で、都に残してきた妻に会いたい気持ちを詠んだ歌。万葉時代の人は寒さにめちゃ強かったようだ。雪だよ、月が出ている夜だよ。 4135番は、琴の名手のお宅で開かれた宴での歌。演奏は内省的なものだったようだ。 4136番は、宴に参加している皆さまの長寿を祈る歌。人が集まるところでは寿の歌、皆の幸いを祈るポジティブな言葉がふさわしいと分かる。 4137番は気の置けない友人、広繩と向かい合って、こうして笑い合える時間は貴重だよなと言う歌。 4138番は趣が がらっと 代わって、仕事先で雨に降られたから今雨宿り中、という妻への連絡の歌。雨に濡れたくない家持、家持の言いつけで雨に濡れながら歌を運ぶ奴。雨宿り先は「 郡の主帳」宅なので、そのまま宴会になっているに違いない。  宴席にして雪月梅花を詠む歌一首 雪の上に照れる月夜に梅の花 折りて送らむはしき子もがも  万4134  右の一首は、十二月に大伴宿禰家持作る。 *雪の夜、月に照らし出された梅の花を折り取る。それをプレゼントするかわいい妻がここにいてくれたらなあ。 我が背子が琴取るなへに常人の 言ふ嘆きしもいやしき増すも  万4135  右の一首は、少目秦伊美吉石竹が館の宴にして守大伴宿禰家持作る。 *貴方様が琴を手に取るやいなや、世間の人の嘆きが音になって溢れてきます。   天平勝宝二年の正月の二日に、国庁にして饗を諸の郡司等に給ふ宴の歌一首 あしひきの山の木末のほよ取りて かざしつらくは千年寿くとぞ  万4136  右の一首は、守大伴宿禰家持作る。 *山の樹木の下にある「ほよ」をかんざしにしたのは、皆さまの長寿をお祈りしているからです。  判官久米朝臣広繩が館にして宴する歌一首 正月立つ春の初めにかくしつつ 相し笑みてば時じけめやも  万4137  同じき月の五日に、守大伴宿禰家持作る。 *正月の初春にこのように顔を合わせて笑い合えるのはじつに時を得たことです。  墾田地を検察する事によりて、礪波の郡の主帳 多治比部北里 が家に宿る。 時に、たちまちに風雨起り、辞去すること得ずして作る歌一首 藪波の里に宿借り春雨に 隠りつつむと妹に告げつや  万4138  二月の十八日に、守大伴宿禰家持作る。 *藪波の里のお宅で降り出した春雨が止むのを待ってい...

万葉集巻第十八4132-4133番歌(縦さにもかにも横さも)~アルケーを知りたい(1552)

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▼池主が前回に続いて針袋ネタで家持に送った手紙と短歌。ふざけた表現だが、漢文に長けた池主の手にかかると名文になってしまう。「 それ水を乞ひて酒を得るはもとより能き口なり 」には笑っても良いのではないか、恐れ多いけど。  さらに来贈する歌二首 駅使を迎ふる事によりて、今月の十五日に、部下の加賀の郡の境に到来す。 面蔭に射水の郷を見、恋緒深見の村に結ぼほる。 身は胡馬に異なれども、心は北風に悲しぶ。 月に乗じて徘徊れども、かつて為すところなし。 やくやくに来封を開くに、その辞云々とあれば、先に奉る書、返りて畏るらくは疑ひに度れるかと。 僕れ羅を嘱することをなし、 かつがつ使君を悩ます 。 それ水を乞ひて酒を得るはもとより能き口なり 。 時を論じて理に合はば、何せむに強吏と題さむや。 尋ぎて針袋の詠を誦むに、 詞泉酌めども渇きず 。 膝を抱き独り笑み、よく旅の愁を覘く 。 陶然に日を遣り、何をか慮らむ、何をか思はむ。 短筆不宣  勝宝元年の十二月の十五日物を徴りし下司  謹上 不伏使君 記室 別に奉る云々 歌二首 縦さにもかにも横さも奴とぞ 我れはありける主の殿外に  万4132 *上下の関係であろうと対等の関係であろうと、私は奴でありまして、ご主人様の館の外で控えております。 針袋これは賜りぬすり嚢 今は得てしか翁さびせむ  万4133 *針袋、これは確かに頂きました。今度はすり嚢を頂いて、翁っぽくしたいです。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 小湯麻呂  ふじわら の おゆまろ ? - 764天平宝字8年10月17日 奈良時代の貴族。藤原仲麻呂の子。764年、藤原仲麻呂の乱で 坂上石楯 から斬殺された。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4128-4131番歌(草枕旅の翁と思ほして)~アルケーを知りたい(1551)

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▼池主が家持から贈られたプレゼントに対するお礼の 戯歌。例のごとく漢文調。これはいったい何だろうかと思ったら、針袋である。これは私を旅に出た翁だと思って贈ってきたものだから、何か縫うものが要る、で始まる四首。この歌への返答の歌は脱漏して見つからない、という後書きも冗談っぽい。これも古の方々のふざけ方、と思ふ。  越の国の掾大伴宿禰池主が来贈する戯歌四首 たちまちに恩賜を辱みし、驚欣すでに深し。 心中笑を含み、独り座してやくやくに開けば、表裏同じきことあらず。 相違何しかも異なる。 所由を推量るに、いささめに策をなせるか。 明らかに知りて言を加ふること、あに他意あらめや。 凡そ本物を貿易することは、その罪軽きことあらず。 正贓倍贓、急けく幷満すべし。 今し風雲を勒して、徴使を発遣す。 早速に返報せよ、延廻すべくあらず。   勝宝元年の十一月の十二日物の貿易せらえたる下吏謹みて貿易人を断宮司の庁下に訴ふ。 別に曰さく、可怜の意、黙止をること能はず。 いささかに四詠を述べ、睡覚に准擬せむと。 草枕旅の翁と思ほして 針ぞ賜へる縫はぬ物もが  万4128 *旅をしている翁と思われたのか、針を貰ったので、何か縫う物が欲しいです。 針袋取り上げ前に置き返さへば おのともおのや裏も継ぎたり  万4129 *針袋を手に取ってよく見ると、何と裏地までついています。 針袋帯び続けながら里ごとに 照らひ歩けど人もとがめず  万4130 *針袋を腰につけて見せびらかしながら里から里を歩いたが咎める人はいません。 鶏が鳴く東をさしてふさへしに 行かむと思へどよしもさねなし  万4131  右の歌の返し報ふる歌は、脱漏して探ね求むること得ず。 *針袋にふさわしい鶏が鳴く東の方へ行ってみようかと思うが、そのきっかけがありません。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 朝狩  ふじわら の あさかり ? - 764天平宝字8年10月17日 奈良時代の公卿。藤原仲麻呂の四男。764年、藤原仲麻呂の乱で官軍から斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4125-4127番歌(天の川橋渡せば)~アルケーを知りたい(1550)

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▼今回は、なぜ年に一度しか二人は会えないのか、七夕伝説の不思議さを詠った長歌と短歌。長歌では、舟でも橋でもありゃいつでも会えるのに、なんでかねえ、とりあえず言い継いでいこう、と詠う。先人が謎を究明せず先送りするから今も分からないままなのだ。  七夕の歌一首  幷せて短歌 天照らす 神の御代より 安の川 中に隔てて 向ひ立ち 袖振り交し 息の緒に 嘆かす子ら 渡り守 舟も設けず 橋だにも 渡してあらば その上ゆも い行き渡らし たづさはり うながけり居て 思ほしき 言も語らひ 慰むる 心はあらむを 何しかも 秋にしあらねば 言どひの 乏しき子ら うつせみの  世の人我れも ここをしも あやにくすしみ 行きかはる 年のはごとに 天の原 振り放け見つつ 言ひ継ぎにすれ 万4125 *なぜ年に一度の七夕の夜しか二人は逢えないのか、とても不思議に思いながら天を見上げながら語り継いでいます。  反歌二首 天の川橋渡せばその上ゆも い渡らさむを秋にあらずとも  万4126 *天の川に橋をかければ、秋でなくても上を渡って行けるのに。 安の川い向ひ立ちて年の恋 日長き子らが妻どひの夜ぞ  万4127  右は、七月の七日に、天漢を仰ぎ見て、大伴宿禰家持作る。 *天の川を隔てていた二人が一年待ってやっと逢える夜が来ました。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 真先  ふじわら の まさき ? - 764 奈良時代の公卿。藤原仲麻呂の次男。仲麻呂側だったため官軍により斬殺。 堀江越え遠き里まで送り来る君が心は忘らゆましじ  万4482 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4122-4124番歌(我が欲りし雨は降り来ぬ)~アルケーを知りたい(1549)

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▼5月6日から田んぼに雨が降らず干ばつの心配が出ていたところ6月1日に雨雲が現れ、 6月4日には 久しぶりの雨になった。今回は、百姓の田んぼを見る家持が、長歌で心配、短歌で期待、もうひとつの短歌で安心を詠った三連作。   天平感宝元年の閏の五月の六日より以来、小旱を起こし、百姓の田畝やくやくに凋む色あり。 六月の朔日に至りて、たちまちに雨雲の気を見る。 よりて作る雲の歌一首  短歌一絶 天皇の 敷きます国の 天の下 四方の道には 馬の爪 い尽くす極み 船舳の い果つるまでに いにしへよ 今のをつつに 万調 奉るつかさと 作りたる その生業を 雨降らず 日の重なれば 植ゑし田も 蒔きし畑も 朝ごとに 凋み枯れゆく そを見れば 心を痛み みどり子の 乳乞ふがごとく 天つ水 仰ぎてぞ待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる 天の白雲 海神の  沖つ宮辺に 立ちわたり との曇りあひて 雨も賜はね  万4122 *雨が降らない日が続き、田畑が枯れかけて心を痛めていたところ、空に雲が現れました。雨を降らせてください。   反歌一首 この見ゆる雲はびこりてとの曇り 雨も降らぬか心足らひに  万4123  右の二首は、六月の一日の晩頭に、守大伴宿禰家持作る。 *見える限り空を雲が覆っています。満足するまで雨を降らせてください。  雨落るを賀く歌一首 我が欲りし雨は降り来ぬ かくしあらば言挙げせずとも年は栄えむ  万4124  右の一首は、同じき月の四日に、大伴宿禰家持作る。 *私たちが待ち望んでいた雨が降ってきました。おかげで言挙げしなくて今年は豊作でしょう。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 巨勢麻呂  ふじわら の こせまろ ? -  764 奈良時代の貴族。仲麻呂側だったため、官軍により斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4119-4121番歌(いにしへよ偲ひにければ)~アルケーを知りたい(1548)

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▼越中にいる家持、奈良の都から垢抜けて帰ってきた広繩。家持は都をなつかしむ気持ちがいつもある。4121番にはそれがよく表れている。もうひとつ家持のモチベーションには、人恋しさがある。4119番にはそれがよく表れている。   霍公鳥の喧くを聞きて作る歌一首 いにしへよ偲ひにければほととぎす 鳴く声聞きて恋しきものを  万4119 *昔から人が愛でてきたものですからホトトギスの鳴き声を聞くと人恋しくなります。   京に向ふ時に、貴人を見、また美人に相ひて、飲宴する日のために、懐を述べ、儲けて作る歌二首 見まく欲り思ひしなへにかづらかげ かぐはし君を相見つるかも  万4120 *お目にかかりたいと思っていましたら、かづらを着けたすがすがしい貴方様にお目にかかることができました。 朝参の君が姿を見ず久に 鄙にし住めば我れ恋ひにけり   一には「はしきよし妹が姿を」といふ  万4121  同じき閏の五月の二十八日に、大伴宿禰家持作る。 *朝廷に報告に行ったので、久しく貴方様の姿を拝見できませんでした。田舎に住んでいるのでずっとお目にかかりたいと思っていました。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 坂上 石楯  さかのうえ の いわたて ? - ? 奈良時代の貴族。漢系渡来氏族。764年、藤原仲麻呂の乱で仲麻呂を捕らえて斬殺、首を京に運んだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4116-4118番歌(去年の秋相見しまにま)~アルケーを知りたい(1547)

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▼広繩が報告書をもって都に行き、戻ってきたので、再会の喜びを詠った家持の長歌と短歌。長歌の中にある「 にふぶに笑みて」が印象的な表現。にこにこ微笑んで、という意味のようだ。前年の秋に出発し、翌年5月に戻るまでの間、都に滞在しているうちに広繩は都風になったようで、その印象を家持は「 面やめづらし都方人」と詠っている。 「男子、三日会わざれば刮目して見よ」を思い出しました。  国の掾久米朝臣広繩、天平二十年をもちて朝集使に付きて今日に入る。 その事畢りて、天平感宝元年の閏の五月の二十七日に、本任に還り至る。 よりて、長官が館にして、詩酒の宴を設けて楽飲す。 時に、主人守大伴宿禰家持が作る歌一首  幷せて短歌 大君の 任きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が背を あらたまの 年行き返り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば ほととぎす 来鳴く五月の あやめぐさ 蓬かづらき 酒みづき 遊びなぐれど 射水川 雪消溢りて 行く水の いや増しにのみ 鶴が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ばれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷りて 夏の野の さ百合の花の 花笑みに  にふぶに笑みて 逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず 万4116 *貴方様の長い出張の間、お目にかかれず逢いたいと思っておりました。無事にお帰りになって笑顔を見ることができました。これからはしょっちゅう逢いましょう。  反歌二首 去年の秋相見しまにま今日見れば 面やめづらし都方人  万4117 *去年の秋にお目にかかって以来、今日お姿を見ると都の人の面持ちですね。 かくしても相見るものを少なくも 年月経れば恋しけれや  万4118 *こうやってまたお目にかかれるものなんですが、お目にかかれない間の年月の 恋しさはちょっとやそっとじゃありませんでした。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 三方王  みかたおう ? - ? 奈良時代の皇族。舎人親王の孫。家持と親交のある万葉歌人。764年、藤原仲麻呂の乱の後、位階剥奪。 み雪降る冬は今日のみうぐひすの鳴かむ春へは明日にしあるらし  万4488 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-h...

万葉集巻第十八4113-4115番歌(さ百合花ゆりも逢はむと)~アルケーを知りたい(1546)

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▼今回は、越中に赴任して五年になる家持が都で待っている妻を思い出す長歌と短歌。4114番の「 笑まひのにほひ 」という表現がよき。  庭中の花を見て作る歌一首  幷せて短歌 大君の 遠の朝廷と 任きたまふ 官のまにま み雪降る 越に下り來 あらたまの 年の五年 敷栲の 手枕まかず 紐解かず 丸寝をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔き生ほし 夏の野の さ百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻に さ百合花 ゆりも逢はむと 慰むる 心しなくは 天離る 鄙に一日も あるべくもあれや  万4113 *越中に来てはや五年。気持ちがふさぐので、気晴らしに庭に撫子や百合を植えました。咲いた花を見ていると、都で私を待っている妻に早く逢いたい。  反歌二首 なでしこが花見るごとに娘子らが 笑まひのにほひ思ほゆるかも  万4114 *撫子の花を見るたびに娘子の笑顔が思い出されてならない。 さ百合花ゆりも逢はむと下延ふる 心しなくは今日も経めやも  万4115  同じ閏の五月の二十六日に、大伴宿禰家持作る。 *百合の花の名のように後 (ゆり) で逢える楽しみなくして、どうして今日を過ごせるものか。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 船王  ふねおう/ふねのおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族。舎人親王の子。764年、藤原仲麻呂の乱では加担しなかったものの隠岐国へ流罪。 眉のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて漕ぐ船泊知らずも  万998 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4111-4112番歌(橘は花にも実にも)~アルケーを知りたい(1545)

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▼Wikipediaによると橘は「 日本に古くから野生していた日本固有のカンキツ」。4111番では、家持が橘の由来を紹介して橘を誉めている。トーストにマーマレードをつけて食べたくなる。  橘の歌一首  幷せて短歌 かけまくも あやに畏し 天皇の 神の大御代に 田道間守  常世に渡り 八桙持ち 参ゐ出来し時 時じくの かくの菓を 畏くも 残したまへれ 国も狭に 生ひ立ち栄え 春されば 孫枝萌いつつ ほととぎす 鳴く五月には 初花を 枝に手折りて 娘子らに つとにも 遣りみ 白栲の 袖にも扱入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実は 玉に貫きつつ 手に巻きて 見れども飽かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末は 紅に にほひ散れども 橘の なれるその実は ひた照りに いや見が欲しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常盤なす いやさかはえに しかれこそ 神の御代より よろしなへ この橘を 時じくの かくの菓と 名付けけらしも  万4111 *橘は春は枝がつぎつぎと生える。夏は枝一杯に花が咲く。秋は実が見事。冬でも葉はいつもどおりの緑色。だから昔から橘を「時じくのかくの木の実」と名付けたのでしょう。  反歌一首 橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し  万4112  閏の五月の二十三日に、大伴宿禰家持作る。 *橘は花も実も見どころいっぱいなのだが、いつ見てももっともっと見たくなるもの。 【似顔絵サロン】 田道間守  たじまもり/たぢまもり ? - ? 古代日本の人物。渡来人。菓子の神。 柑橘の祖神。 藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 塩焼王  しおやきおう ? - 764 奈良時代の皇族。757年の橘奈良麻呂の乱では謀議に参加していなかったので不問。764年の藤原仲麻呂の乱では仲麻呂側で 殺された。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4106-4110番歌(紅はうつろふものぞ)~アルケーを知りたい(1544)

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▼家持が部下の 尾張少咋 (をはりのおくひ) を「教え諭す」歌。そんなことであらあら、その姿は私まで恥ずかしくなる、さあどうなることか、という家持の合いの手が可笑しい。 【似顔絵サロン】 尾張 少咋  おわり の おくい ? - ? 奈良時代の官吏。 越中の史生。大伴家持の部下。妻を顧みず遊行女婦の左夫流子に入れ上げた。家持が諭す歌を作った。万4106~4110  史生 尾張少咋 を教え喩す歌一首  幷せて短歌 七出例に云はく、 「ただし、一条を犯さば、すなはち出だすべし。 七出なくして輙く棄つる者は、徒一年半」といふ。 「七出を犯すとも、棄つべくあらず。 違ふ者は杖一百。 ただし奸を犯したると悪疾とは棄つること得」といふ。 両妻例に云はく、 「妻有りてさらに娶る者は徒一年、女家は杖一百にして離て」といふ。 詔書に云はく、 「義夫節婦を愍み賜ふ」とのりたまふ。 謹みて案ふるに、先の件の数条は、法を建つる基にして、道を化ふる源なり。 しかればすなはち、義夫の道は情存して別なく、一家財を同じくす。 あに旧きを忘れ新しきを愛しぶる志あらめや。 ゆゑに数行の歌を綴り作し、旧きを棄つる惑ひを悔いしむ。 その詞に曰はく 大汝少彦名の 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子見れば 愛しくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と 朝夕に 笑みみ笑まずも うち嘆き 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹が いつしかも 使の来むと 待たすらむ 心寂しく 南風吹き 雪消溢りて 射水川 流る水沫の 寄るへなみ 左夫流その子に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並ぎ居 奈呉の海の 奥を深めて  さどはせる 君が心の すべもすべなさ   左夫流と言ふは遊行女婦が字なり  万4106 * 血迷ったのだろう、、、貴方の心はどうしようもないなあ。  反歌三首 あをによし奈良にある妹が高々に 待つらむ心しかにはあらじか  万4107 *奈良にいる妻がつま先で立って遠くを見て夫の帰りを待つ、そんないじらしい気持ちが妻の心である。 里人の見る目恥づかし左夫流子に さどはす君が宮出後姿  万4108 *世間の見る目が恥ずかしくないのか。左夫流子に逢うため...

万葉集巻第十八4101-4105番歌(白玉を包みて遣らば)~アルケーを知りたい(1543)

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▼家持が富山に赴任している間、都で家を守っている妻に真珠を贈りたいと思っている気持ちを詠った作品。  京の家に贈るために、真珠を願う歌一首  幷せて短歌 珠洲の海人の 沖つ御神に い渡りて 潜き取るといふ 鮑玉 五百箇もがも はしきよし 夜床片さり 朝寝髪 掻きも梳らず 出でて来し 月日数みつつ 嘆くらむ 心なぐさに ほととぎす 来鳴く五月の あやめぐさ 花橘に 貫き交へ かづらにせよと 包みて遣らむ  万4101 *京で待っている妻の心の慰めに、あやめ草を花橘と編んでかづらにせよと包んで贈ろう。 白玉を包みて遣らばあやめぐさ 花橘にあへも貫くがね  万4102 *白玉を包んで贈れば、あやめ草と花橘を編んでかづらにするだろうな。 我妹子が心なぐさに遣らむため 沖つ島なる白玉もがも  万4103 *我が妻の心の慰めとして贈るのは、沖の島で取れる白玉が良いだろう。 沖つ島い行き渡りて潜くちふ 鮑玉もが包みて遣らむ  万4104 *沖の島に渡って海に潜り鮑玉を取って包み贈ってやろう。 白玉の五百つ集ひを手にむすび おこせむ海人はむがしくもあるか   一には「我家牟伎波母」といふ  万4105 *たくさんの白玉を手で集めて寄越してくれる漁師がいたらありがたいことだろうな。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 道鏡  どうきょう 700 - 772 奈良時代の僧侶。平将門、足利尊氏とともに日本三悪人。孝謙上皇の寵愛は藤原仲麻呂から道鏡に移る。764年、仲麻呂は乱を起こして敗れた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18