投稿

6月, 2025の投稿を表示しています

万葉集巻第十八4125-4127番歌(天の川橋渡せば)~アルケーを知りたい(1550)

イメージ
▼今回は、なぜ年に一度しか二人は会えないのか、七夕伝説の不思議さを詠った長歌と短歌。長歌では、舟でも橋でもありゃいつでも会えるのに、なんでかねえ、とりあえず言い継いでいこう、と詠う。先人が謎を究明せず先送りするから今も分からないままなのだ。  七夕の歌一首  幷せて短歌 天照らす 神の御代より 安の川 中に隔てて 向ひ立ち 袖振り交し 息の緒に 嘆かす子ら 渡り守 舟も設けず 橋だにも 渡してあらば その上ゆも い行き渡らし たづさはり うながけり居て 思ほしき 言も語らひ 慰むる 心はあらむを 何しかも 秋にしあらねば 言どひの 乏しき子ら うつせみの  世の人我れも ここをしも あやにくすしみ 行きかはる 年のはごとに 天の原 振り放け見つつ 言ひ継ぎにすれ 万4125 *なぜ年に一度の七夕の夜しか二人は逢えないのか、とても不思議に思いながら天を見上げながら語り継いでいます。  反歌二首 天の川橋渡せばその上ゆも い渡らさむを秋にあらずとも  万4126 *天の川に橋をかければ、秋でなくても上を渡って行けるのに。 安の川い向ひ立ちて年の恋 日長き子らが妻どひの夜ぞ  万4127  右は、七月の七日に、天漢を仰ぎ見て、大伴宿禰家持作る。 *天の川を隔てていた二人が一年待ってやっと逢える夜が来ました。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 真先  ふじわら の まさき ? - 764 奈良時代の公卿。藤原仲麻呂の次男。仲麻呂側だったため官軍により斬殺。 堀江越え遠き里まで送り来る君が心は忘らゆましじ  万4482 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4122-4124番歌(我が欲りし雨は降り来ぬ)~アルケーを知りたい(1549)

イメージ
▼5月6日から田んぼに雨が降らず干ばつの心配が出ていたところ6月1日に雨雲が現れ、 6月4日には 久しぶりの雨になった。今回は、百姓の田んぼを見る家持が、長歌で心配、短歌で期待、もうひとつの短歌で安心を詠った三連作。   天平感宝元年の閏の五月の六日より以来、小旱を起こし、百姓の田畝やくやくに凋む色あり。 六月の朔日に至りて、たちまちに雨雲の気を見る。 よりて作る雲の歌一首  短歌一絶 天皇の 敷きます国の 天の下 四方の道には 馬の爪 い尽くす極み 船舳の い果つるまでに いにしへよ 今のをつつに 万調 奉るつかさと 作りたる その生業を 雨降らず 日の重なれば 植ゑし田も 蒔きし畑も 朝ごとに 凋み枯れゆく そを見れば 心を痛み みどり子の 乳乞ふがごとく 天つ水 仰ぎてぞ待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる 天の白雲 海神の  沖つ宮辺に 立ちわたり との曇りあひて 雨も賜はね  万4122 *雨が降らない日が続き、田畑が枯れかけて心を痛めていたところ、空に雲が現れました。雨を降らせてください。   反歌一首 この見ゆる雲はびこりてとの曇り 雨も降らぬか心足らひに  万4123  右の二首は、六月の一日の晩頭に、守大伴宿禰家持作る。 *見える限り空を雲が覆っています。満足するまで雨を降らせてください。  雨落るを賀く歌一首 我が欲りし雨は降り来ぬ かくしあらば言挙げせずとも年は栄えむ  万4124  右の一首は、同じき月の四日に、大伴宿禰家持作る。 *私たちが待ち望んでいた雨が降ってきました。おかげで言挙げしなくて今年は豊作でしょう。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 巨勢麻呂  ふじわら の こせまろ ? -  764 奈良時代の貴族。仲麻呂側だったため、官軍により斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4119-4121番歌(いにしへよ偲ひにければ)~アルケーを知りたい(1548)

イメージ
▼越中にいる家持、奈良の都から垢抜けて帰ってきた広繩。家持は都をなつかしむ気持ちがいつもある。4121番にはそれがよく表れている。もうひとつ家持のモチベーションには、人恋しさがある。4119番にはそれがよく表れている。   霍公鳥の喧くを聞きて作る歌一首 いにしへよ偲ひにければほととぎす 鳴く声聞きて恋しきものを  万4119 *昔から人が愛でてきたものですからホトトギスの鳴き声を聞くと人恋しくなります。   京に向ふ時に、貴人を見、また美人に相ひて、飲宴する日のために、懐を述べ、儲けて作る歌二首 見まく欲り思ひしなへにかづらかげ かぐはし君を相見つるかも  万4120 *お目にかかりたいと思っていましたら、かづらを着けたすがすがしい貴方様にお目にかかることができました。 朝参の君が姿を見ず久に 鄙にし住めば我れ恋ひにけり   一には「はしきよし妹が姿を」といふ  万4121  同じき閏の五月の二十八日に、大伴宿禰家持作る。 *朝廷に報告に行ったので、久しく貴方様の姿を拝見できませんでした。田舎に住んでいるのでずっとお目にかかりたいと思っていました。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 坂上 石楯  さかのうえ の いわたて ? - ? 奈良時代の貴族。漢系渡来氏族。764年、藤原仲麻呂の乱で仲麻呂を捕らえて斬殺、首を京に運んだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4116-4118番歌(去年の秋相見しまにま)~アルケーを知りたい(1547)

イメージ
▼広繩が報告書をもって都に行き、戻ってきたので、再会の喜びを詠った家持の長歌と短歌。長歌の中にある「 にふぶに笑みて」が印象的な表現。にこにこ微笑んで、という意味のようだ。前年の秋に出発し、翌年5月に戻るまでの間、都に滞在しているうちに広繩は都風になったようで、その印象を家持は「 面やめづらし都方人」と詠っている。 「男子、三日会わざれば刮目して見よ」を思い出しました。  国の掾久米朝臣広繩、天平二十年をもちて朝集使に付きて今日に入る。 その事畢りて、天平感宝元年の閏の五月の二十七日に、本任に還り至る。 よりて、長官が館にして、詩酒の宴を設けて楽飲す。 時に、主人守大伴宿禰家持が作る歌一首  幷せて短歌 大君の 任きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が背を あらたまの 年行き返り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば ほととぎす 来鳴く五月の あやめぐさ 蓬かづらき 酒みづき 遊びなぐれど 射水川 雪消溢りて 行く水の いや増しにのみ 鶴が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ばれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷りて 夏の野の さ百合の花の 花笑みに  にふぶに笑みて 逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず 万4116 *貴方様の長い出張の間、お目にかかれず逢いたいと思っておりました。無事にお帰りになって笑顔を見ることができました。これからはしょっちゅう逢いましょう。  反歌二首 去年の秋相見しまにま今日見れば 面やめづらし都方人  万4117 *去年の秋にお目にかかって以来、今日お姿を見ると都の人の面持ちですね。 かくしても相見るものを少なくも 年月経れば恋しけれや  万4118 *こうやってまたお目にかかれるものなんですが、お目にかかれない間の年月の 恋しさはちょっとやそっとじゃありませんでした。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 三方王  みかたおう ? - ? 奈良時代の皇族。舎人親王の孫。家持と親交のある万葉歌人。764年、藤原仲麻呂の乱の後、位階剥奪。 み雪降る冬は今日のみうぐひすの鳴かむ春へは明日にしあるらし  万4488 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-h...

万葉集巻第十八4113-4115番歌(さ百合花ゆりも逢はむと)~アルケーを知りたい(1546)

イメージ
▼今回は、越中に赴任して五年になる家持が都で待っている妻を思い出す長歌と短歌。4114番の「 笑まひのにほひ 」という表現がよき。  庭中の花を見て作る歌一首  幷せて短歌 大君の 遠の朝廷と 任きたまふ 官のまにま み雪降る 越に下り來 あらたまの 年の五年 敷栲の 手枕まかず 紐解かず 丸寝をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔き生ほし 夏の野の さ百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻に さ百合花 ゆりも逢はむと 慰むる 心しなくは 天離る 鄙に一日も あるべくもあれや  万4113 *越中に来てはや五年。気持ちがふさぐので、気晴らしに庭に撫子や百合を植えました。咲いた花を見ていると、都で私を待っている妻に早く逢いたい。  反歌二首 なでしこが花見るごとに娘子らが 笑まひのにほひ思ほゆるかも  万4114 *撫子の花を見るたびに娘子の笑顔が思い出されてならない。 さ百合花ゆりも逢はむと下延ふる 心しなくは今日も経めやも  万4115  同じ閏の五月の二十六日に、大伴宿禰家持作る。 *百合の花の名のように後 (ゆり) で逢える楽しみなくして、どうして今日を過ごせるものか。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 船王  ふねおう/ふねのおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族。舎人親王の子。764年、藤原仲麻呂の乱では加担しなかったものの隠岐国へ流罪。 眉のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて漕ぐ船泊知らずも  万998 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4111-4112番歌(橘は花にも実にも)~アルケーを知りたい(1545)

イメージ
▼Wikipediaによると橘は「 日本に古くから野生していた日本固有のカンキツ」。4111番では、家持が橘の由来を紹介して橘を誉めている。トーストにマーマレードをつけて食べたくなる。  橘の歌一首  幷せて短歌 かけまくも あやに畏し 天皇の 神の大御代に 田道間守  常世に渡り 八桙持ち 参ゐ出来し時 時じくの かくの菓を 畏くも 残したまへれ 国も狭に 生ひ立ち栄え 春されば 孫枝萌いつつ ほととぎす 鳴く五月には 初花を 枝に手折りて 娘子らに つとにも 遣りみ 白栲の 袖にも扱入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実は 玉に貫きつつ 手に巻きて 見れども飽かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末は 紅に にほひ散れども 橘の なれるその実は ひた照りに いや見が欲しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常盤なす いやさかはえに しかれこそ 神の御代より よろしなへ この橘を 時じくの かくの菓と 名付けけらしも  万4111 *橘は春は枝がつぎつぎと生える。夏は枝一杯に花が咲く。秋は実が見事。冬でも葉はいつもどおりの緑色。だから昔から橘を「時じくのかくの木の実」と名付けたのでしょう。  反歌一首 橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し  万4112  閏の五月の二十三日に、大伴宿禰家持作る。 *橘は花も実も見どころいっぱいなのだが、いつ見てももっともっと見たくなるもの。 【似顔絵サロン】 田道間守  たじまもり/たぢまもり ? - ? 古代日本の人物。渡来人。菓子の神。 柑橘の祖神。 藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 塩焼王  しおやきおう ? - 764 奈良時代の皇族。757年の橘奈良麻呂の乱では謀議に参加していなかったので不問。764年の藤原仲麻呂の乱では仲麻呂側で 殺された。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4106-4110番歌(紅はうつろふものぞ)~アルケーを知りたい(1544)

イメージ
▼家持が部下の 尾張少咋 (をはりのおくひ) を「教え諭す」歌。そんなことであらあら、その姿は私まで恥ずかしくなる、さあどうなることか、という家持の合いの手が可笑しい。 【似顔絵サロン】 尾張 少咋  おわり の おくい ? - ? 奈良時代の官吏。 越中の史生。大伴家持の部下。妻を顧みず遊行女婦の左夫流子に入れ上げた。家持が諭す歌を作った。万4106~4110  史生 尾張少咋 を教え喩す歌一首  幷せて短歌 七出例に云はく、 「ただし、一条を犯さば、すなはち出だすべし。 七出なくして輙く棄つる者は、徒一年半」といふ。 「七出を犯すとも、棄つべくあらず。 違ふ者は杖一百。 ただし奸を犯したると悪疾とは棄つること得」といふ。 両妻例に云はく、 「妻有りてさらに娶る者は徒一年、女家は杖一百にして離て」といふ。 詔書に云はく、 「義夫節婦を愍み賜ふ」とのりたまふ。 謹みて案ふるに、先の件の数条は、法を建つる基にして、道を化ふる源なり。 しかればすなはち、義夫の道は情存して別なく、一家財を同じくす。 あに旧きを忘れ新しきを愛しぶる志あらめや。 ゆゑに数行の歌を綴り作し、旧きを棄つる惑ひを悔いしむ。 その詞に曰はく 大汝少彦名の 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子見れば 愛しくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と 朝夕に 笑みみ笑まずも うち嘆き 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹が いつしかも 使の来むと 待たすらむ 心寂しく 南風吹き 雪消溢りて 射水川 流る水沫の 寄るへなみ 左夫流その子に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並ぎ居 奈呉の海の 奥を深めて  さどはせる 君が心の すべもすべなさ   左夫流と言ふは遊行女婦が字なり  万4106 * 血迷ったのだろう、、、貴方の心はどうしようもないなあ。  反歌三首 あをによし奈良にある妹が高々に 待つらむ心しかにはあらじか  万4107 *奈良にいる妻がつま先で立って遠くを見て夫の帰りを待つ、そんないじらしい気持ちが妻の心である。 里人の見る目恥づかし左夫流子に さどはす君が宮出後姿  万4108 *世間の見る目が恥ずかしくないのか。左夫流子に逢うため...

万葉集巻第十八4101-4105番歌(白玉を包みて遣らば)~アルケーを知りたい(1543)

イメージ
▼家持が富山に赴任している間、都で家を守っている妻に真珠を贈りたいと思っている気持ちを詠った作品。  京の家に贈るために、真珠を願う歌一首  幷せて短歌 珠洲の海人の 沖つ御神に い渡りて 潜き取るといふ 鮑玉 五百箇もがも はしきよし 夜床片さり 朝寝髪 掻きも梳らず 出でて来し 月日数みつつ 嘆くらむ 心なぐさに ほととぎす 来鳴く五月の あやめぐさ 花橘に 貫き交へ かづらにせよと 包みて遣らむ  万4101 *京で待っている妻の心の慰めに、あやめ草を花橘と編んでかづらにせよと包んで贈ろう。 白玉を包みて遣らばあやめぐさ 花橘にあへも貫くがね  万4102 *白玉を包んで贈れば、あやめ草と花橘を編んでかづらにするだろうな。 我妹子が心なぐさに遣らむため 沖つ島なる白玉もがも  万4103 *我が妻の心の慰めとして贈るのは、沖の島で取れる白玉が良いだろう。 沖つ島い行き渡りて潜くちふ 鮑玉もが包みて遣らむ  万4104 *沖の島に渡って海に潜り鮑玉を取って包み贈ってやろう。 白玉の五百つ集ひを手にむすび おこせむ海人はむがしくもあるか   一には「我家牟伎波母」といふ  万4105 *たくさんの白玉を手で集めて寄越してくれる漁師がいたらありがたいことだろうな。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 道鏡  どうきょう 700 - 772 奈良時代の僧侶。平将門、足利尊氏とともに日本三悪人。孝謙上皇の寵愛は藤原仲麻呂から道鏡に移る。764年、仲麻呂は乱を起こして敗れた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4098-4100番歌(いにしへを思ほすらしも)~アルケーを知りたい(1542)

イメージ
▼長歌には対句的な言い回しがあって面白い。今回の歌では例えば「 畏くも・・・、 貴くも・・・」とか「この川の・・・、この山の・・・」。言いたいことを二方向で言うと、立体感が出る。これ、使える機会があったら使ってみようと思ふ。・・・さっそくやってみた。「和の心探すすべ いかにせむ 今日の日の 終わるまで 明日の日の 始まるまで いや次々に 仕へまつらむ」。意味わからんけど和歌風になるわー。  吉野の離宮に幸行す時のために、儲けて作る歌一首  幷せて短歌 高御座 天の日継と 天の下 知らしめしける すめろきの 神の命の 畏くも 始めたまひて 貴くも 定めためへる み吉野の この大宮に あり通ひ 見したまふらし もののふの 八十伴の男も おのが負へる おの名負ふ負ふ 大君の 任けのまにまに この川の 絶ゆることなく この山の いや継ぎ継ぎに かくしこそ 仕へまつらめ いや遠長に  万4098 *川のように絶えることなく山のように連なって末永く家名を背負って大君にお仕えするのだ。  反歌 いにしへを思ほすらしも我が大君 吉野の宮をあり通ひ見す  万4099 *昔のことに思いを馳せるのでしょう、我が大君が吉野の宮にお通いになるのは。 もののふの八十氏人も吉野川 絶ゆることなく仕へつつ見む  万4100 *大勢のもののふは吉野川のように絶えることなく大君にお仕えして拝見するのです。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 船王  ふねおう ? - ? 奈良時代の皇族。舎人親王の子。757年、橘奈良麻呂の乱では、百済王敬福とともに謀反に加担した者に対する拷問を担当。 なでしこが花取り持ちてうつらうつら見まくの欲しき君にもあるかも  万4449 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4093-4097番歌(ますらをの心思ほゆ)~アルケーを知りたい(1541)

イメージ
▼今回は朝廷の財政が苦しいときに 陸奥小田郡で金を掘り当てた 誠に目出度い話の歌。それが4097番。黄金の国だなと思わせてくれる歌。 4094番の長歌を最後に置いたり、似顔絵を前にもってきたりして見にくくなったのはご容赦。いつものように似顔絵を最後に置くと、サムネイルに反映されたかったための苦し紛れの事情。  英遠の浦に行く日に作る歌一首 英遠の浦に寄する白波いや増しに 立ちしき寄せ来東風をいたみかも  万4093  右の一首は、大伴宿禰家持作る。 *英遠の浦に寄せる白波がだんだん勢いが増している。これは東風が激しいからでしょうか。  (4094番の長歌の後に来る)反歌三首 ますらをの心思ほゆ大君の 御言の幸を  一には「の」といふ  聞けば貴み  一には「貴くしあれば」といふ  万4095 *ますらをの心が沸き立つ思いがする。大君のお言葉のありがたさ。聞くと貴くてならない。 大伴の遠つ神祖の奥城は しるく標立て人の知るべく  万4096 *大伴の先祖の奥城には、人が分かるように標識を立てましょう。 天皇の御代栄えむと東なる 陸奥山に金花咲く  万4097  天平感宝元年の五月の十二日に、越中の国の守が館にして大伴宿禰家持作る。 *天皇の御代が栄えますようにと東国の陸奥山に金の花が咲きました。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 百済王 敬福  くだらのこにきし きょうふく 698文武天皇元年 - 766天平神護2年8月8日 奈良時代の公卿。橘奈良麻呂の乱や藤原仲麻呂の乱で功績。749年、陸奥小田郡で産出した黄金900両を朝廷に貢上。大伴家持は「 すめろぎの御世栄えんと東なる みちのく山に黄金花咲く  万4097」と詠った。757年、橘奈良麻呂の乱では反乱者の勾留、警備、拷問を担当。  陸奥の国に金を出だす詔書を賀く歌一首  幷せて短歌 葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と 知らし來る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る 御調宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも 確けくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の  小田にある山に 金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相う...

万葉集巻第十八4089-4092番歌(ほととぎすいとねたけくは)~アルケーを知りたい(1540)

イメージ
▼和歌によく出て来るホトトギス。ホトトギスの鳴き声は何かの象徴か、何かを託しているのか、最近とんと聞いてないなあ、そもそも聞いたことがあったのか自分、と思ふ。それだけ鳥の鳴き声に無頓着だったと自覚する。  独り幄の裏に居り、遥かに霍公鳥の喧くを聞きて作る歌一首  幷せて短歌 高御座 天の日継と すめろきの 神の命の きこしをす 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥の 来居て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別れて偲はむ 卯の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす あやめぐさ 玉貫くまでに 昼暮らし 夜わたし聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし *四月から五月にかけて鳴くホトトギスの趣深いことといったらありません。  反歌 ゆくへなくありわたるともほととぎす 鳴きし渡らばかくや偲はむ  万4090 *考えがまとまらないときでも、ホトトギスが鳴き渡るのを聞くと、趣深いと思うことでしょう。 卯の花のともにし鳴けば橘の花散る時に いやめづらしも名告り鳴くなへ  万4091 *卯の花と共に鳴きはじめ、橘の花の散る時にも名乗って鳴くホトトギスよ。 ほととぎすいとねたけくは橘の 花散る時に来鳴き響むる  万4092  右の四首は、十日に大伴宿禰家持作る。 *ホトトギスが小憎らしいのは、橘の花が散る時に来て鳴き声を響かせるからです。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 藤原 永手  ふじわら の ながて 714 - 771 奈良時代の公卿。757年、乱の発覚後、小野東人、答本忠節らを拷問にかけ謀反を自白させた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4085-4088番歌(焼大刀を礪波の関に)~アルケーを知りたい(1539)

イメージ
▼今回は、家持と客人の歌がいくつか。4085番は僧平栄に贈った「焼太刀」で始まるインパクトのある歌。贈られた平栄は嬉しかっただろうけど、返しの歌を作るのに難儀したに違いない。返歌が載ってない(笑)。続く4086番からの三首は三人が顔を合わせた風流な会で詠まれた歌。「 主人、百合の花縵三枚を造りて、豆器に畳ね置き、賓客に捧げ贈る」という演出が心憎し。  天平感宝元年の五月の五日に、東大寺の占墾地使の僧 平栄 等に饗す。 時に、守大伴宿禰家持、酒を僧に送る歌一首 焼大刀を礪波の関に明日よりは 守部遣り添へ君を留めむ  万4085 *焼き鍛えた太刀を研ぐという礪波 (となみ) の関所に明日から番人を増やして貴方様が帰らないようお引き留めしましょう。  同じき月の九日に、諸僚、少目秦 伊美吉石竹 が館に会ひて飲宴す。 時に、主人、百合の花縵三枚を造りて、豆器に畳ね置き、賓客に捧げ贈る。 おのおのもこの縵を賦して作る三首 油火の光りに見ゆる我がかづら さ百合の花の笑まはしきかも  万4086  右の一首は守大伴宿禰家持。 *灯火の明かりで見える我らの花縵 小さい百合の花の微笑ましいことといったらありません。 燈火の光りに見ゆるさ百合花 ゆりも逢はむと思ひそめて  万4087  右の一首は介 内蔵伊美吉繩麻呂 。 *灯火の明かりで見える小百合の花、後になっても逢いたいと思い始めました。 さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ 今のまさかもうるはしみすれ  万4088  右の一首は大伴宿禰家持和ふ。 *小百合の花に後になっても逢いたいと思うからこそ、この今も親しんでおります。 【似顔絵サロン】 平栄  へいえい ? - ? 奈良時代の僧。 東大寺の役僧。749年、東大寺占墾地使として越中(富山県)へ出張、家持に接待を受けた。 秦 伊美吉石竹  はた の いみきいはたけ ? - ? 奈良時代の役人。749年、館で飲宴を開き、百合の花縵三枚を造り、豆器に畳ね置いて、賓客に捧げ贈った。 内蔵 縄麻呂  くら の なわまろ/つなまろ ? - ? 奈良時代後期の官人。 我が背子が国へましなばほととぎす 鳴かむ五月は寂しけむかも  万3996 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls...

万葉集巻第十八4080-4084番歌(暁に名告り鳴くなる)~アルケーを知りたい(1538)

イメージ
▼奈良の都にいる叔母の坂上郎女と越中にいる家持のやりとり。顔を見たいという思いの伝え方が上手い。  姑大伴氏坂上郎女、越中の守大伴宿禰家持に来贈する歌二首 常人の恋ふといふよりはあまりにて 我れは死ぬべくなりにたらずや  万4080 *「常の人」がいう恋しさ以上に、私は死にそうなくらい恋しいのですよ。 片思ひを馬にふつまに負はせ持て 越辺に遣らば人かたはむかも  万4081 *この私の思いの重荷を馬に載せて越中に送り届けたら (笑) 、誰が担いでくれるでしょうね。  越中の守大伴宿禰家持、報ふる歌幷せて所心三首 天離る鄙の都に天人しかく 恋すらば生ける験あり  万4082 *本物の都にいる「天の人」が 田舎の都にいる私に、 恋しいと仰ってくださるので、生きる甲斐もあるというものです。 常の恋いまだやまぬに都より 馬に恋来ば担ひあへむかも  万4083 *ふだんの恋しい気持ちの上に都から馬で恋しい気持ちが運ばれてきましたら、とても担ぎ切れるものではありますまい (笑) 。  別に所心一首 暁に名告り鳴くなるほととぎす いやめづらしく思ほゆるかも  万4084  右は、四日に使い付して京師に贈り上す。 *暁に私に言葉を贈ってくれるホトトギス。ますます懐かしく思えます。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 上道 斐太都  かみつみち の ひたつ ? - 767 奈良時代の貴族。757年、藤原仲麻呂を殺害する計画への参加を小野東人から勧められたので、藤原仲麻呂に知らせた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4076-4079番歌(あしひきの山はなくもが)~アルケーを知りたい(1537)

イメージ
▼池主からの和歌に応える家持の返信。箇条書き的なスタイルを揃えている。違うのは、それぞれのタイトルは池持ちが漢文ふうだったのに対して家持は和文にしているところ。池持ちの三首に応えながら、一首追加しているのも良い。  越中の国の守大伴家持、報へ贈る歌四首  一 古人云はくに答ふる あしひきの山はなくもが月見れば 同じき里を心隔てつ  万4076 *山などがなければ良いのに。月を見れば同じ里なのに、心を隔てる言い訳にされるから。  一 属目発思に答へ、兼ねて選任したる旧宅の西北の隅の桜樹を詠みて云ふ 我が背子が古き垣内の桜花 いまだふふめり一目見に来ね  万4077 *我が友が昔住んでいた家の庭の桜。まだつぼみですけど一目でも見においでなさい。  一 所心に答へ、すなはち古人の跡をもちて、今日の意に代ふる 恋ふといふはえも名付けたり 言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり  万4078 *恋しいという表現はうまく名付けたものです。言いようもないのは私の心境です。  一 さらに属目 三島野に霞たなびきしかすがに 昨日も今日も雪は降りつつ  万4079  三月の十六日 *三島野に霞がたなびいて春だというのに、昨日も今日も雪が降っています。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 孝謙天皇  こうけんてんのう / 称徳天皇 しょうとくてんのう 718 - 770 第46代天皇。第48代天皇。史上6人目の女性天皇。道鏡を法王にした。反抗した者に卑しい名前をつけた。道祖王に麻度比 (まどひ=惑い者) 、黄文王に久奈多夫禮 (くなたぶれ=愚か者) 、賀茂角足に乃呂志 (のろし=鈍い者) 、和気清麻呂に別部穢麻呂 (わけべのきたなまろ) 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4073-4075番歌(月見れば同じ国なり)~アルケーを知りたい(1536)

イメージ
▼池主が家持に、お目にかかりたいものです、という気持ちを伝える三首。箇条書きのようなスタイルにしているのがマネしたくなる。二番目は属物発思とあり、漢文のエキスパート池主らしさが伝わる。三番目の所心歌は、心で思う所を伝えるという意味だろう。歌は冗談ぽくて、家持はすぐ返信したくなるだろうな、と思わせる。  越前の国の掾大伴宿祢池主が来贈する歌三首 今月の十四日をもちて、深見の村に到来し、その北方を望拝す。 常に芳徳を念ふこと、いづれの日にか能く休まむ。 兼ねて隣近にあるをもちて、たちまち恋緒を増す。 しかのみにあらず、先の書に云はく、「暮春惜しむべし、膝を促くることいまだ期せず。 生別は悲しび、それまたいかにか言はむ」と。 紙に臨みて悽断し、状を奉ること不備。 三月の十五日、大伴宿禰池主  一 古人云はく 月見れば同じ国なり山こそば 君があたりを隔てたりけれ  万4073 *月を見れば貴方様と私は同じ国にいると実感します。山が隔てているだけです。  一 属物発思 桜花今ぞ盛りと人は言へど 我れは寂しも君としあらねば  万4074 *桜の花は今が盛りだと人は言いますが、貴方様とご一緒できないので寂しい限り。  一 所心歌 相思はずあるらむ君をあやしくも 嘆きわたるか人の問ふまで  万4075 *貴方様と私では思っている熱量が違うでしょう。私のほうでは人がどうしたのかと尋ねるくらい貴方様のことを思っております。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 山背王  やましろおう ? - 763 奈良時代の公卿。 長屋王の子。長屋王の変では母が藤原不比等の娘であったため罪を免れた。757年、孝謙天皇に「奈良麻呂が兵を挙げ仲麻呂の邸を包囲する」と知らせた。 うちひさす都の人に告げまくは見し日のごとくありと告げこそ  万4473 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4070-4072番歌(一本のなでしこ植ゑし)~アルケーを知りたい(1535)

イメージ
▼4070番の前書きに出て来る「 牛麦」。どう読むのか。うしむぎ、あるいは、なでしこ。歌の作者は家持。歌を贈った相手は清見 (せいけん) 。酒と一緒に歌を贈った。歌も嬉しい、酒も嬉しい。どちらも人の心を和らげる。4071番も4072番も傍らには酒があったことでしょう。  庭中の牛麦が花を詠む歌一首 一本のなでしこ植ゑしその心 誰に見せむと思ひそめけむ  万4070  右は、先の国師の従僧 清見 、京師に入らむとす。 よりて飲饌を設けて饗宴す。 時に、主人大伴宿禰家持、この歌詞を作り、酒を清見に送る。 *一本の撫子を植えたその心、誰に見せようと思っていらっしゃるのでしょう。 しなざかる越の君らとかくしこそ 柳かづらき楽しく遊ばめ  万4071  右は、郡司已上の諸人、多くこの会に集ふ。 よりて、守大伴宿禰家持、この歌を作る。 *越中の皆さんがたとこのようにして柳をかづらにして楽しく遊びましょう。 むばたまの夜渡る月を幾夜経と 数みつつ妹は我れ待つらむぞ  万4072  右は、この夕、月光遅に流れ、和風やくやくに扇ぐ。 すなわち属目によりて、いささかにこの歌を作る。 *夜空を渡る月の夜を幾夜経たかと数えながら妻は帰りを待ち焦がれていることでしょう。 【似顔絵サロン】 清見  せいけん ? - ? 奈良時代の僧。越中国師の従僧。748年、越中から京師へ向かった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4066-4069番歌(明日よりは継ぎて聞こえむ)~アルケーを知りたい(1534)

イメージ
▼家持と廣繩はわりと気安い関係だったように感じる。万葉集巻18の編集をサポートしたという説もある。こういうポジティブな関係から出て来る歌は良い。4067番は 遊行女婦 (うかれめ) の作。場の空気を読んで和やかに活気づける潤滑油の役割だったことが分かる。  四月の一日に、掾久米朝臣廣縄が館にして宴する歌四首 卯の花の咲く月立ちぬほととぎす 来鳴き響めよふふみたりとも  万4066  右の一首は、守大伴宿禰家持作る。 *卯の花が咲く四月がやってきました。ホトトギスよ、ここに来て鳴いてくれ、まだつぼみであっても。 二上の山に隠れるほととぎす 今も鳴かぬか君に聞かせむ  万4067  右の一首は、遊行女婦土師作る。 *二上山で隠れているホトトギスよ、今来て鳴いてくれないか、わが君にお聞かせしたいから。 居り明かしも今夜は飲まむほととぎす 明けむ朝は鳴き渡らむぞ   二日は立夏の節に応る。このゆゑに、「明けむ朝は鳴かむ」といふ。  万4068  右の一首は、守大伴宿禰家持作る。 *今夜は朝までここで飲みましょう。夜が明けた朝はきっとホトトギスが鳴いて飛ぶことでしょう。 明日よりは継ぎて聞こえむほととぎす 一夜のからに恋ひわたるかも  万4069  右の一首は、羽咋の郡の擬主帳 能登臣乙美 作る。 *明日からは途切れることなく鳴き声が聞こえるでしょう。一晩違いで今日は恋しがって待っているのでしょう。 【似顔絵サロン】 能登 乙美  のと の おとみ ? - ? 奈良時代の役人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18

万葉集巻第十八4061-4065番歌(夏の夜は道たづたづし)~アルケーを知りたい(1533)

イメージ
  ▼最初の2首は舟で移動するときの歌。次の2首は橘卿を讃える歌。最後の1首は家を恋しく思ふ歌。時々の感慨を和歌にすると型が同じだけによくまとまる。内容はそれぞれ違うけれど。4065番の「つばらつばらに」という言葉が良い。作者の山上臣は憶良の子という説がある、と後書きに書かれている。歌と同じく後書きにある情報も見逃せない。 堀江より水脈引きしつつ御船さす 賤男のともは川の瀬申せ  万4061 *堀江から水路を進む御船の船頭たちは、川の浅瀬に注意して進みなさい。 夏の夜は道たづたづし船に乗り 川の瀬ごとに棹さし上れ  万4062  右の件の歌は、御船綱手をもちて江を泝り、遊宴する日に作る。  伝誦する人は田辺史福麻呂ぞ。 *夏の夜に道を進むのは心もとないので、船に乗って瀬ごとに棹を入れて上りなさい。  後に橘の歌に追ひて和ふる歌二首 常世物この橘のいや照りに 我ご大君は今も見るごと  万4063 *常世から来た物というこの橘が輝くように光輝く大君でありますように。今、みなでお見受けするように。 大君は常盤にまさむ橘の 殿の橘ひた照りにして  万4064  右の二首は、大伴宿禰家持作る。 *大君はいついつまでも変わらずにいらっしゃるでしょう。橘の殿の橘が光輝いているように。  射水の郡の駅の館の屋の柱に題著す歌一首 朝開き入江漕ぐなる楫の音の つばらつばらに我家し思ほゆ  万4065  右の一首は、山上臣作る。 名を審らかにせず。 或いは憶良大夫が男といふ。 ただし、その正しき名いまだ詳らかにあらず。 *朝早くから入江を漕ぐ舟の楫の音がしきりに聞こえるように、私は家のことを思っています。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 小野 東人  おの の あずまひと ? - 757 奈良時代の貴族。740年の広嗣の乱に連座し杖罪100回、伊豆国へ流罪。757年の乱に連座し杖で打たれる拷問の末、獄死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18