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万葉集巻第十九4260-4263番歌(大君は神にしませば)~アルケーを知りたい(1590)

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▼4260番と4262番は壬申の乱が平定した後の歌という。わざわざそれを言う意味は何だろうと思ふ。そして新たに都にしたのは、馬の腹が漬かるような、水鳥が騒ぐような沼地。不思議だ。 4263番と4264番は遣唐使として出発する人を見送る歌。行ってミッションを果たし必ず帰って来るのだぞ、と詠う。御酒奉る、とある。今月留学するますら健男がいるのを思い出した。 御酒奉ることにしようか。  壬申の年の乱の平定まりし以後の歌二首 大君は神にしませば赤駒の 腹這ふ田居を都と成しつ  万4260   右の一首は、 大将軍贈右大臣大伴卿 が作。 *大君は神であらせられるので、赤駒の腹が漬かるような田んぼの地を都にしました。 大君は神にしませば水鳥の すだく水沼を都と成しつ   作者未詳  万4261   右の件の二首は、天平勝宝四年の二月の二日に聞く。 すなはちここに載す。 *大君は神であらせられるので、水鳥が群れ騒いでいる水沼を都にしました。  閏の三月に、衛門督 大伴古慈悲 宿禰の家にして、入唐副使同じき 胡麻呂 宿禰等を餞する歌二首 唐国に行き足らはして帰り来む ますら健男に御酒奉る  万4261  右の一首は、 多治真人鷹主 、副使大伴胡麻呂宿禰を寿く。 *唐の国に行って御勤めを果たしてお帰りになる立派な男子に御酒を捧げます。 櫛も見じ屋内も掃かじ草枕 旅行く君を斎ふと思ひて  作者未詳 万4263   右の件の歌、伝誦するは大伴宿禰村上、同じき清継らぞ。 *櫛も見ず屋内を掃きもせずそのままに、旅に出る貴方様の幸いをお祈りしています。 【似顔絵サロン】 大将軍贈右大臣大伴卿 = 大伴 御行  おおとも の みゆき ? - ? 飛鳥時代中期〜後期の豪族。父親は右大臣・大伴長徳。子が三中。 大伴 古慈斐  おおとも の こしび 695 - 777 奈良時代の公卿。大伴祖父麻呂の子。藤原不比等が人物を見込んで娘を古慈斐の妻とした。 多治比 鷹主  たじい の たかぬし ? - ? 奈良時代の人。757年、橘奈良麻呂事件で捕縛され拷問死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4256-4259番歌(手束弓手に取り持ちて)~アルケーを知りたい(1589)

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▼4256番は、家持が上司の橘諸兄を祝福する歌。昔は三代の天皇に仕えた 武内宿禰 がいらっしゃるので、わが橘卿におかれまして は七代の天皇にお仕えください、と祈る内容。実際、 諸兄は 四代の天皇に仕えた。 4257番から4259番は 紀飯麻呂の邸宅で開いた宴会で出た歌。最初の二首は伝誦(昔からある歌を口頭で唱える)、三首目は家持のオリジナル。その場で作った歌。さすが家持。  左大臣橘卿を寿くために預め作る歌一首 いにしへに君の三代経て仕へけり 我が大主は七代申さね  万4256 *昔は三代の天皇にお仕えした大臣もいらしたそうです。わが大主も長きにわたってお仕えください。  十月の二十二日に、左大弁 紀飯麻呂 朝臣が家にして宴する歌三首。 手束弓手に取り持ちて朝猟に 君は立たしぬ棚倉の野に  万4257   右の一首は治部卿 船王 伝誦す。 久邇の京都の時の歌。 いまだ作主を詳らかにせず。 *手束弓をしっかりと手に持ち、朝の猟を行う棚倉の野にお立ちになっているわが君よ。 明日香川川門を清み後れ居て 恋ふれば都いや遠そきぬ  万4258   右の一首は、左中弁朝臣 清麻呂 伝誦す。 古京の時の歌。 *明日香川の渡し場の水が清らかなので、旧都に残って新都を思っているうちにますます遠のきました。 十月しぐれの常か我が背子がやどの 黄葉散りぬべく見ゆ  万4259   右の一首は、少納言大伴宿禰家持、時に当りて梨の黄葉を矚てこの歌を作る。 *十月の時雨の時期の常なのでしょう。貴方様のお屋敷の黄葉が今にも散りそうに見えます。 【似顔絵サロン】 武内 宿禰  たけうちのすくね ? - ? 記紀に伝わる古代日本の忠臣。日本銀行券の肖像になった。 紀 飯麻呂  き の いいまろ 690 - 762 奈良時代の公卿。 橘諸兄派。 橘諸兄の 葬儀では 監護を務めた 。 船王  ふねおう/ふねのおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族。舎人親王の子。757年、橘奈良麻呂の乱では、謀反者の尋問を担当 。764年、藤原仲麻呂の乱では隠岐国へ流罪。 眉のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて漕ぐ船泊知らずも  万998 大中臣 清麻呂  おおなかとみ の きよまろ 676 - 735 奈良時代の公卿・歌人。中臣意美麻呂の七男。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://man...

万葉集巻第十九4254-4255番歌(秋の花種にあれど)~アルケーを知りたい(1588)

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▼5年に及ぶ越中赴任を終えて都に帰る途上、家持がおそらく弾む気持ちで詠った長歌と短歌。タイトルに「 興に依りて預め作る侍宴応詔の歌」とあるから、宴会で盛り上がる場面を想定してあらかじめ作っているのだ。何事も準備が大切。  京に向ふ路の上にして、興に依りて預め作る侍宴応詔の歌一首  幷せて短歌 蜻蛉島  大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真楫しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ 整へたまひ 食す国の 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば いにしへゆ なかり瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき 栄ゆる今日の あやに貴さ  万4254 *我が大君が秋の花をご覧になり皆で酒宴を開き栄える今日の何と貴いことでしょう。  反歌一首 秋の花種にあれど色ごとに 見し明らむる今日の貴さ  万4255 *秋の花はたくさん の種類が ある。それぞれをご覧になりお心をお晴らしになる今日のなんと貴いことでしょう。 【似顔絵サロン】 孝安天皇  こうあんてんのう ? - ? 第6代天皇。皇居が秋津島( 蜻蛉島 )=奈良県にあった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4251-4253番歌(玉桙の道に出で立ち)~アルケーを知りたい(1587)

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▼4251番は、5年の越中暮らしを終え、都に帰任することになった家持が送別会で披露した歌。家持は、皆さんの実績を都で報告するからね、と伝える。残る人たちへの行き届いた心配りの言葉と思ふ。 4252番と4253番は、それまでの歌とは別のシチュエーションでのやりとり。当時は、お互いの家を訪ねて話をしていたようだ。今のようにホテルや食事処がある時代じゃないから。来客があるから庭も作りがいがある、というものだ。   五日の平旦に道に上る。 よりて、国司の次官已下の諸僚皆共に視送る。 時に、射水の郡の大領 安努君広島 が門前の林中に預め餞饌の宴を設く。 ここに大帳使大伴宿禰家持、内蔵 伊美吉繩麻呂 が盞を捧ぐる歌に和ふる一首 玉桙の道に出で立ち行く我れは 君が事跡を負ひてし行かむ  万4251 *これから都に行く私はみなさんの業績を背負って行くのです。   正税帳使、掾久米朝臣広繩、事畢り、任に退る。 たまさかに越前の国の掾大伴宿禰池主が館に遇ひ、よりて共に飲楽す。 時に、久米朝臣広繩、萩の花を見て作る歌一首 君が家に植ゑたる萩の初花を 折りてかざさな旅別るどち  万4252 *貴方様の家に植えている萩の初花をお別れする者みなで折り取ってかざしましょう。  大伴宿禰家持が和ふる歌一首 立ちて居て待てど待ちかね出でて来し 君にここに逢ひかざしつる萩  万4253 *立ったり座ったり落ち着かずに待ちかねてここまで来て、ようやく貴方様にお目にかかれてかざしている萩です。 【似顔絵サロン】 安努 広島  あのの ひろしま ? - ? 奈良時代の官吏。 越中射水郡の大領。 内蔵 縄麻呂  くら の なわまろ/つなまろ ? - ? 奈良時代後期の官人。 我が背子が国へましなばほととぎす 鳴かむ五月は寂しけむかも  万3996 /  多祜の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため  万4200 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4248-4250番歌(しなざかる越に五年)~アルケーを知りたい(1586)

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▼下に載せている参考本とWikipediaの解説を見ると、家持がこの歌を詠んだのは30歳くらいのとき。4248番と4249番は赴任先の越中で出会った広繩に別れの気持ちを伝える内容。自分に寄り添ってくれた感謝とこれから一緒にやろうと思っていたことができなくなった残念な気持ちを表している。和歌は詠めなくても、こういう気持ちを大事な相手に言葉で伝えるのは大事なことだ、と思ふ。 4250番は、いざ去るとなると惜しい気持ちにもなりますな、と心境を表している。それにしても30歳そこそこ。心象の可視化の名人と思ふ。   七月の十七日をもちて、少納言に遷任す。 よりて悲別の歌を作り、朝集使掾 久米朝臣広繩 が館に贈り貽す二首 すでに六載の期に満ち、たちまちに遷替の運に値ふ。 ここに旧きを別るる悽しびは、心中に鬱結ほれ、涙を拭ふ袖は、何をもちてか能く早さむ。 よりて悲歌二首を作り、もちて莫忘の志を遺す。 その詞に曰はく、 あらたまの年の緒長く相見てし その心引き忘らえめやも  万4248 *長い間、お付き合いした間柄です。お心を寄せてくださったお気持ち、どうして忘れることができましょう。 石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて 初鳥猟だにせずや別れむ  万4249   右は、八月の四日に贈る。 *石瀬野で秋萩を惜しみながら皆で馬を並べて初鳥の猟をしたいと思っていましたが、それもできずお別れになるとは。   すなはち、大帳使に付き、八月の五日を取りて京師に入らむとす。 これによりて、四日をもちて、国厨の餞を介 内蔵伊美吉繩麻呂 が館に設けて餞す。 時に大伴宿禰家持が作る歌一首 しなざかる越に五年住み住みて 立ち別れまく惜しき宵かも  万4250 *越中に五年も住んでいたが、お別れするとなると惜しい宵であることよ。 【似顔絵サロン】 久米 広縄  くめ の ひろつな ? - ? 奈良時代中期の歌人・官人。越中守・家持のもとで和歌の筆録を行い『万葉集』巻18となった。 めづらしき君が来まさば鳴けと言ひし山ほととぎすなにか来鳴かぬ  万4050 内蔵 縄麻呂  くら の なわまろ/つなまろ ? - ? 奈良時代後期の官人。 我が背子が国へましなばほととぎす 鳴かむ五月は寂しけむかも  万3996 /  多祜の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため  万4200 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉...

万葉集巻第十九4245-4247番歌(沖つ波辺波な越しそ)~アルケーを知りたい(1585)

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▼今回も遣唐使の無事の往復を祈る歌三首。毎回無事に往復できるわけではないリスクの多い船旅。もしかすると今生の別れになるかも知れない。 4245番は「 荒き風波にあはず  平けく率て帰りませ  もとの朝廷に」と、帰国再会を祈る長歌。 4246番は、前の長歌をコンパクトにまとめた短歌。とにかく港まで無事に戻って来てね、と詠う。 4247番は、出発が近づいた本人が母親に別れを惜しむ歌。  天平五年に入唐使に贈る歌一首  幷せて短歌 作者不詳 そらみつ 大和の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波に下り 住吉の 御津に船乗り 直渡り 日の入る国に 任けらゆる 我が背の君を かけまくの ゆゆし畏き 住吉の 我が大御神 船の舳に 領きいまし 船艫に み立たしまして さし寄らむ 磯の崎々 漕ぎ泊てむ 泊り泊りに 荒き風 波にあはず 平けく 率て帰りませ もとの朝廷に  万4245 *住吉の我が大御神、どうぞ船にお立ちになって、荒い風や波に逢わず無事に皆を率いて朝廷に無事にお戻りになってください。  反歌一首 沖つ波辺波な越しそ君が船 漕ぎ帰り来て津に泊つるまで  万4246 *沖の波も海岸の波も越えて貴方様の船が無事に 港に 戻って停泊するまでお祈りしています。   阿部朝臣老人 、唐に遣はさえし時に、母に奉る悲別の歌一首 天雲のそきへの極み我が思へる 君に別れむ日近くなりぬ  万4247 *天雲の果てまでも思っている母上とお別れする日が近くなりました。   右の件の歌、伝誦する人は越中の大目 高安 倉人 種麻呂 ぞ。 ただし、年月の次は、聞きし時のまにまにここに載す。 【似顔絵サロン】 阿倍 老人  あべ の おゆひと ? - ? 伝未詳。遣唐使の随員。 高安 種麻呂  たかやす の たねまろ ? - ? 奈良時代の官吏。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4242-4244番歌(住吉に斎く祝が神言と)~アルケーを知りたい(1584)

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▼遣唐使は必ず往復できる、というものではなかった。今回は750年の第12次遣唐使の送別会の歌三首。 4242番の結びに「悲しみ」があるとおり。二度と会えないかも知れない別れの会。 4243番は、場を明るくしようとする内容。 4244番は出発の時が近づいている、慣れ親しんだ人とお別れの時が近づいていると詠う。 ▼4242番の作者・藤原仲麻呂は 、この送別会の十数年後、藤原仲麻呂の乱を起こす。 4244番の作者・ 藤原清河は、行ったきりで帰国できないまま。 4243番の作者・多治比土作は、乱の後も朝廷で政に務めた。   大納言藤原家 にして入唐使等を餞する宴の日の歌一首  すなはち、主人卿作る 天雲の行き帰りなむものゆゑに 思ひぞ我がする別れ悲しみ  万4242 *雲のように行けばすぐお帰りになるのに、お別れは悲しいものです。  民部少輔 多治比真人土作 が歌一首 住吉に斎く祝が神言と 行くとも来とも船は早けむ  万4243 *住吉神社のお告げによると、往来とも船はすいすいと進むそうです。  大使 藤原朝臣清河 が歌一首 あらたまの年の緒長く我が思へる 子らに恋ふべき月近づきぬ  万4244 *これまで長い間親しんできた方々を恋しいと思う月が近づきました。 【似顔絵サロン】 藤原 仲麻呂  ふじわら の なかまろ / 恵美押勝 706 - 764 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。 多治比 土作  たじひ の はにつくり/はにし ? - 771 奈良時代の公卿。左大臣・多治比嶋の孫。宮内卿・多治比水守の子。 藤原 清河  ふじわら の きよかわ ? - ? 奈良時代の公卿。藤原北家の祖・ 房前の四男。 750年、第12次遣唐使の大使。阿倍仲麻呂と共に 帰国しようとするも、叶わぬまま 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4238-4241番歌(君が行きもし久にあらば)~アルケーを知りたい(1583)

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▼4328番は送別の歌、、、なのかな。しばしの別れだけど、別れは寂しいものがあるよね、の歌なのか。ますらをの家持がたおやめの面を見せている、と思ふ。 4239番は、ホトトギスを待っているけど籠っていてここまで来て鳴いてくれないと詠う。会えぬ寂しさを詠っているので、前の4238番と調子が合う。 4240番と4241番は遣唐使を送り出す側と送りだされる側の歌のセット。道中の安全を神に祈る歌と不在の間も変わらずいてくださいと祈る歌。両方とも幸いを祈る歌。  二月の二日、守が館に会集し宴して作る歌一首 君が行きもし久にあらば梅柳 誰れとともにか我がかづらかむ  万4238   右は判官久米朝臣広繩、正税帳をもちて、京師に入らむとす。 よりて、守大伴宿禰家持この歌を作る。 ただし、越中の風土、梅花柳絮三月にして初めて咲くのみ。 *貴方様が行ってしまって長い間不在となれば、梅柳の時期、いったい誰と一緒にかづらにして遊べばよいのでしょう。   霍公鳥を詠む歌一首 二上の峰の上の茂に隠りにし そのほととぎす待てど来鳴かず  万4239   右は、四月の十六日に大伴宿禰家持作る。 *二上山の峰の繁みに隠れているというホトトギス、待っているけど来て鳴いてくれない。  春日にして神を祭る日に、藤原太后の作らす歌一首  すなはち、入唐大使藤原朝臣清河に賜ふ  参議従四位下遣唐使 大船に真楫しじ貫きこの我子を 唐国へ遣る斎へ神たち  万4240 *大型船で唐の国向けて出帆する私の部下たちを、神様、どうかお守りください。  大使 藤原朝臣清河 が歌一首 春日野に斎くみもろの梅の花 栄きてあり得て帰り来るまで  万4241 *春日野に植えた神をお招きする梅の花よ、我われが帰るまで咲き栄えていておくれ。 【似顔絵サロン】 藤原 清河  ふじわら の きよかわ ? - ? 奈良時代の公卿。遣唐大使。阿倍仲麻呂と共に唐朝に仕えた。 あらたまの年の緒長く我が思へる児らに恋ふべき月近付きぬ  万4244 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4236-4237番歌(うつつにと思ひてしかも)~アルケーを知りたい(1582)

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▼4230番から始まる雪の日の宴会の歌。今回の二首はこれまでと趣がガラッと違って悲歌が登場する。なぜ宴会で悲歌なのか、伝誦が 遊行女婦 (うかれめ ) なのか、謎。  死にし妻を悲傷しぶる歌一首  幷せて短歌 作主不詳 天地の 神はなかれや 愛しき 我が妻離る 光る神 鳴りはた娘子 携はり ともにあらむと 思ひしに 心違ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに 木綿たすき 肩に取り懸け 倭文幣を 手に取り持ちて な放けそと  我れは祈れど まきて寝し 妹が手本は 雲にたなびく  万4236 *天と地に神はいないのか。去らないでと祈っても愛しい妻は雲にたなびいている。  反歌一首 うつつにと思ひてしかも夢のみに 手本まき寝と見ればすべなし  万4237  右の二首、伝誦するは遊行女婦蒲生ぞ。 *現実のことと思いたい。一緒にいるのは夢だけと思うと何もすべがなくて悲しすぎます。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 紀 船守  き の ふなもり 731 - 792 奈良時代の公卿。764年の藤原仲麻呂の乱で、天皇の御璽を奪いに来た仲麻呂方の矢田部老を射殺した。この功労で8階級昇進。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4234-4237番歌(鳴く鶏はいやしき鳴けど)~アルケーを知りたい(1581)

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▼4234番が生まれる背景はこうだ。 縄麻呂が自邸で宴会を開いた。その日はすごい 雪。にも拘わらず家持や参加者は雪漕ぎしながらやって来て、宴会は盛り上がり、鶏の鳴き声が聞こえてきた。それを聞いた繩麻呂が、家持を引き留めるために、まだ雪が降っているので帰れませんよ、と詠う。それに家持が そうなんですよねーと 和したのが4234番。 4235番は、家持の歌を聞いた繩麻呂がこんどは古歌を持ち出してこの日の宴会の喜びを表現する。 この宴会に来た人は、過去の歌をよく知っているので、おお、そうじゃそうじゃとなったのだろう。  守大伴宿禰家持が和ふる歌一首 鳴く鶏はいやしき鳴けど降る雪の 千重に積めこそ我が立ちかてね  万4234 *鶏はさかんに鳴くけれども、雪がどんどん降り積もるので、私は立ち去りかねているのです。  太政大臣藤原家の 県犬養命婦 、天皇に奉る歌一首 天雲をほろに踏みあだし鳴る神も 今日にまさりて畏けめやも  万4235   右の一首、伝誦するは掾久米朝臣広繩。 *天の雲を蹴散らすほどの雷神でありましょうとも、今日に勝って畏れ多いことがありましょうか。 【似顔絵サロン】 県犬養 三千代/ 県犬養命婦 /橘三千代 あがた の いぬかい の みちよ 665 - 733 奈良時代前期の女官。美努王の妻。離別後、藤原不比等の後妻。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4230-4233番歌(降る雪を腰になづみて)~アルケーを知りたい(1580)

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▼4230番は、雪が凄く積もった道を雪漕ぎして 繩麻呂主催の 宴会にやって来た、という話なので、家持の野外活動能力は尋常じゃない(笑)。万葉時代の人の活動力は凄い。 4231番も雪つながりの歌。家持のナデシコ好きを知っている広繩が雪の岩に造花を乗せて驚かせた話。ホスピタリティ満点。 4232番は、ナデシコをかんざしに、という歌。花のネタで盛り上がっている。宴会の参加者もよく心得たものだ。 4233番は、宴会が続き、鶏の鳴き声が聞こえ始めた。雪はまだ降っている。宴会主催者の 繩麻呂が、これじゃ帰れませんよねえと詠う。 万葉時代は時の流れはゆったり、みなさんの体力もたっぷりのようだ。 降る雪を腰になづみて参り来し 験もあるか年の初めに  万4230  右の一首は、三日に介内蔵忌寸繩麻呂が館に会集して宴楽する時に、大伴宿禰家持作る。 *大雪なので雪漕ぎしてここまで来ました、年の初めにめでたいことです。  時に、雪を積みて重巌の起てるを彫り成し、奇巧みに草樹の花を綵り発す。 これに属きて掾久米朝臣広繩が作る歌一首 なでしこは秋咲くものを君が家の 雪の巌に咲けりけるかも  万4231 *なでしこはふつう秋に咲くのですが、貴方様の家では雪の巌に咲いていますね。  遊行女婦蒲生娘子が歌一首 雪の山斎巌に植ゑたるなでしこは 千代に咲かぬか君がかざしに  万4232 *雪が積もった岩に植えたなでしこはずっと長い間咲いてくれないものか、貴方様の挿頭として。  ここに、諸人酒酣にして、更深けて鶏鳴く。 これによりて、主人内蔵伊美吉繩麻呂が作る歌一首 うち羽振き鶏は鳴くともかくばかり 降り敷く雪に君いまさめやも  万4233 *いくら羽を振って鶏が鳴いても、これだけ雪が降っているのですから、貴方様はお帰りになれるでしょうか。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 矢田部 老  やたべ の おゆ ? - 764天平宝字8年 奈良時代の官吏。764年、藤原仲麻呂の乱で紀船守に射殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4226-4229番歌(この雪の消残る時に)~アルケーを知りたい(1579)

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▼今回は雪をめぐる四首。4226番は、雪が消えないうちに見に行こう、という歌。 4227番は、めったにない大殿の雪景色だから、近づいたり踏んだりしないように、という歌。 4228番は、前の歌の反歌なので、同じことを重ねて謳っている。 4229番は、前の3首と反対に、皆で雪を踏んで平らにして楽しく宴会をやろう、という歌。 万葉時代の人はホント、寒さに強い。  雪の日に作る歌一首 この雪の消残る時にいざ行かな 山橘の実の照るも見む  万4226   右の一首は、十二月に大伴宿禰家持作る。 *この雪が消えないで残っている間に参りましょう。山橘の実が雪で輝いているのを見たいから。 大殿の この廻りの 雪な踏みそね しばしばも 降らぬ雪ぞ 山のみに 降りし雪ぞ  ゆめ寄るな 人や な踏みそね 雪は  万4227 *この大殿に降った雪は踏まないように。めったに降る雪ではないから。  反歌一首 ありつつも見したまはむぞ大殿の この廻りの雪な踏みそね  万4228   右の二首の歌は、三形沙弥、贈左大臣藤原北卿が語を承けて作り誦む。 これを聞きて伝ふるは、笠朝臣子君。 また後に伝え読むは、越中の国の掾久米朝臣広繩ぞ。 *降ったままの状態でご覧いただきたいのです。大殿の廻りの雪を踏み荒らさないように。  天平勝宝三年 新しき年の初めはいや年に 雪踏み平し常かくにもが  万4229   右の一首は、正月の二日に、守が館に集宴す。 時に、降る雪ことに多にして、積みて四尺あり。 すなはち、主人大伴宿禰家持この歌を作る。 *新しい年の初めは、年を重ねても皆で集まり、このように雪を踏んで平らにして賑やかでありたいものです。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々:橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 答本 忠節  とうほん ちゅうせつ ? - 757 奈良時代の百済系の官人・医師。757年、乱に加担、杖で打たれて獄死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4222-4225番歌(このしぐれいたくな降りそ)~アルケーを知りたい(1578)

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▼今回の 四首は、風物を詠いながら、人への思いを描く歌。誰が、誰に、何を言っているのか、を確認してから、もう一度歌を眺める。いつもの自分がいかに無粋なコミュニケーションしかできてないか、自覚。 4222番は、広繩が 秋の雨に呼びかけるのを見て、読者が感興を呼び起こす、という趣向。広繩が妻へ。 4223番は、家持が広繩の歌を受けながら、収めるという格好の歌。この二首はセット。家持が広繩へ。 4224番は、状態が続くという意味で前の二首と共通。藤原皇后が天皇へ(?)。 4225番は、黄葉つながり。家持が 秦伊美吉石竹へ  。   九月の三日に宴する歌二首 このしぐれいたくな降りそ我が妹子に 見せむがために黄葉取りてむ  万4222   右の一首は掾久米朝臣広繩作る。 *時雨よ、あまり強く降らないでおくれ。私の妻に見せるために黄葉を取っているのだから。 あをによし奈良人見むと我が背子が 標めけむ黄葉地に落ちめやも  万4223   右の一首は、守大伴宿禰家持作る。 *奈良の人に見せようと私の友達が標をつけた黄葉が地面に散ることなどありましょうか。 朝霧のたなびく田居に鳴く雁を 留め得むかも我がやどの萩  万4224   右の一首の歌は、吉野の宮に幸す時に、藤原皇后作らす。 ただし、年月いまだ審詳らかにあらず。 十月の五日に、河辺朝臣東人、伝誦してしか伝ふ。 *朝霧がたなびく田居で鳴いている雁をそのまま留めおくことができるだろうか、我が家の萩は。 あしひきの山の黄葉にしづくあひて 散らむ山道を君が越えまく  万4225   右の一首は、同じき月の十六日に、朝集使少目秦伊美吉石竹を餞する時に、守大伴宿禰家持作る。 *山の黄葉が雫と一緒に散る山道を貴方様が越えていらっしゃるのでしょう。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 板持 鎌束  いたもち の かまつか ? - ? 奈良時代の貴族。764年、藤原仲麻呂の乱で獄が囚人であふれたため、別件で拘束されていた鎌束は近江国に移された。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4211-4213番歌(娘子らが後の標と)~アルケーを知りたい(1574)

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▼今回は万葉の中で納得できない歌のひとつ。そもそもなぜそうなった?とか、どうして?とか分からないことが重なる。なぜそうなるか、というと、自分の中にこの歌を理解する回路(短縮して理回路)がないからだろうと思ふ。かといって生成AIに聞く気にならない。家持は読者がこういうモヤモヤした気持ちになるのを承知で載せているのかも。  処女墓の歌に追同する一首  幷せて短歌 いにしへに ありけるわざの くすばしき 事と言ひ継ぐ 茅渟壮士 菟原壮士の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命も捨てて 争ひに 妻どひしける 娘子らが 聞けば悲しき 春花の にほひ栄えて 秋の葉の にほひに照れる あたらしき 身の盛りすら ますらをの 言いたはしみ 父母に 申し別れて 家離り 海辺に出で立ち 朝夕に 満ち来る潮の 八重波に 靡く玉藻の 節の間も 惜しき命を 露霜の 過ぎましにけれ 奥城を ここと定めて 後の世の 聞き継ぐ人も いや遠に  偲ひにせよと 黄楊小櫛 しか挿しけらし 生ひて靡けり  万4211 *二人の男に言い寄られた娘子が入水自殺したので黄楊小櫛を土に挿したら黄楊になって緑の葉をなびかせている。 娘子らが後の標と黄楊小櫛 生ひ変り生ひて靡きけらしも  万4212  右は、五月の六日に、興に依りて大伴宿禰家持作る。 *娘子のために後の人が分かるようにと黄楊の小櫛を作ったら、それが黄楊の木になって葉が靡いている。 東風をいたみ奈呉の浦廻に寄する波 いや千重しきに恋ひわたるかも  万4213  右の一首は、京の多比家に贈る。 *東風が激しく吹いて奈呉の浦に何重にもなって打ち寄せて来る波、その波のように恋しく思っています。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 村国 虫麻呂/武志麻呂  むらくに の むしまろ ? - ? 奈良時代の官人。764年、藤原仲麻呂の乱の後、官位剥奪。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4220-4221番歌(かくばかり恋しくあらば)~アルケーを知りたい(1577)

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▼今回の二首は 大伴氏坂郎女 (おおとものさかのうえのいらつめ ) が自分の娘に贈った長歌と短歌。これは アルケーを知りたい (1562)にある、 娘が母に贈った4169番と4170番の返信 。 大伴氏坂郎女は家持の叔母で娘は家持の妻。  京師より来贈する歌一首  幷せて短歌 海神の 神の命の み櫛笥に 貯ひ置きて 斎くとふ 玉にまさりて 思へりし 我が子にはあれど うつせみの 世の理と ますらをの 引きのまにまに しなざかる 越道をさして 延ふ蔦の 別れにしより 沖つ波 撓む眉引き 大船の ゆくらゆくらに 面影に もとな見えつつ かく恋ひば 老いづく我が身 けだし堪へむかも  万4220 *わが娘と別れて、恋しい思いが募るばかりなので、老いていく我が身が堪えられるだろうか。  反歌一首 かくばかり恋しくあらばまそ鏡 見ぬ日時なくあらましものを  万4221  右の二首は、大伴氏坂郎女、女子大嬢に賜ふ。 *離れると恋しいので、一緒にいるとき、もっとそなたを見ておけばよかった。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 平群 虫麻呂  へぐり の むしまろ ? - ? 奈良時代の貴族。764年、藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇側に与したので乱の後、昇進、村国子老に代わって能登守に。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4217-4219番歌(卯の花を腐す長雨の)~アルケーを知りたい(1576)

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▼4217番の 霖雨 (りんう) とは長雨のこと。ながあめは和語らしい響き、りんうは漢語の響きがする。雨続きで家持はよほど人恋しい気持ちになっていたのだろう。増水した川の流れで集まった木屑を人に見立てて、寄り合いたいと思うくらいだから。 4218番は、表に出していない思いを詠っている。それが何だかは分からない。 4219番は、秋風が吹く前に花をつけた萩を見て、待ちきれないのだろう、と詠っている。「 吹かむを待たばいと遠みかも 」に、都に帰りたい家持の心境が伝わってくる。  霖雨の晴れぬる日に作る歌一首 卯の花を腐す長雨の始水に 寄る木屑なす寄らむ子もがも  万4217 *卯の花を腐らせるという長雨が始まり、川が増水して木屑が集まっている。私にも寄り添ってくれる人がいたらなあ。  漁夫の火花を見る歌一首 鮪突くと海人の燭せる漁り火の 穂にか出ださむ我が下思ひを  万4218   右の二首は五月。 *鮪突き漁をする海人の漁り火のように、はっきり出てしまうのだろうか、私の思いは。 我がやどの萩咲きにけり秋風の 吹かむを待たばいと遠みかも  万4219   右の一首は、六月の十五日に、萩の早花を見て作る。 *我が家の萩が咲いた。秋風が吹くのを待っているとずっと先のことになるからだろうか。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 村国 島主  むらくに の しまぬし ? - 764天平宝字8年10月19日 奈良時代の官人。764年、藤原仲麻呂の乱では内応し朝廷に帰順しようとしたが孝謙上皇側の使者に間違って誅殺された。766年、名誉回復。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4214-4216番歌(世間の常なきことは)~アルケーを知りたい(1575)

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▼今回の4214番は親戚の死去を知った家持の挽歌。「 立つ霧の  失せぬるごとく  置く露の  消ぬるがごとく」のフレーズが良い。 「 たはことか  人の言ひつる  およづれか  人の告げつる 」のフレーズもリズムも響きも良い。最後に「 遠音にも 聞けば悲しみ  にはたづみ 流るる涙  留めかねつも 」と結ぶ。 4215番の長歌を短縮した 短歌 。 4216番は 前の長歌と短歌をふまえた 娘婿への励まし。  挽歌一首  幷せて短歌 天地の 初めの時ゆ うつそみの 八十伴の男は 大君に まつろふものと 定まれる 官にしあれば 大君の 命畏み 鄙離る 国を治むと あしひきの 山川へだて 風雲に 言は通へど 直に逢はず 日の重なれば 思ひ恋ひ 息づき居るに 玉桙の 道来る人の 伝て言に 我れに語らく はしきよし 君はこのころ うらさびて 嘆かひいます 世間の 憂けく辛けく 咲く花も 時にうつろふ うつせみも 常なくありけり たらちねの 御母の命 何しかも 時しはあらむを まそ鏡 見れども飽かず 玉の緒の  惜しき盛りに 立つ霧の  失せぬるごとく 置く露の  消ぬるがごとく 玉藻なす 靡き臥い伏し 行く水の 留めなねつと たはことか  人の言ひつる およづれか  人の告げつる 梓弓 爪引く夜音の 遠音にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙 留めかねつも  万4214 *(娘聟の母親の逝去を聞いて)知らせを聞いて悲しく流れる涙が止まりません。  反歌二首 遠音にも君が嘆くと聞きつれば 哭のみし泣かゆ相思ふ我れは  万4215 *遠くにいても貴方様が嘆いておられると聞きました。同じ思いですので、私も涙しております。 世間の常なきことは知るらむを 心尽すなますらをにして  万4216   右は、大伴宿禰家持、聟の南の右大臣家の藤原二郎が慈母を喪ふ患へを弔ふ。五月の二十七日。 *世の中が常なきことは承知のこと、気力が尽きないようにしてください、男なのですから。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 村国 子老  むらくに の こおゆ ? - ? 奈良時代の官人。764年、藤原仲麻呂の乱の後、位階剥奪。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_ka...