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万葉集巻第二十4413-4414番歌(枕大刀腰に取り佩き)~アルケーを知りたい(1651)

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▼防人に出た夫を見送った妻の歌。いつ帰って来るのやら・・・と。何事もなければ三年、何か起きれば見当もつかない。考えると心細くなるだろう。 枕大刀とあるから 夫の 檜前 石前は自分の刀を寝る時も手放さない武人のようだ。 枕大刀腰に取り佩きま愛しき 背ろが罷き来む月の知らなく  万4413  右の一首は上丁那珂の郡の 檜前舎人石前 が妻の 大伴部真足女 。 *私の愛しい夫が 太刀を持って 出かけて行ったが、いつ務めが終わって帰って来るのか分かりません。 【似顔絵サロン】 大伴部真足女  おほともべのまたりめ ? - ? 奈良時代の女性。 防人、檜前石前の妻。 檜前 石前  ひのくまの いわさき ? - ? 奈良時代の防人。武蔵那珂郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。このとき妻の大伴部真足女が詠んだ歌が4413番。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4408-4412番歌(家づとに貝ぞ拾へる)~アルケーを知りたい(1650)

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▼家持が防人の歌の間に置いたインテルメッツオ。今回は長歌と短歌。長歌のタイトルは、防人が悲別の情を陳ぶる、で家持が手元に集まった防人の和歌を見て湧き上がる情を詠ったもの。防人として家族と別れるのはどんなに悲しく辛いことかを防人の気持ちになって詠う。  防人が悲別の情を陳ぶる歌一首  幷せて短歌 大君の 任けのまにまに 島守に 我が立ち来れば ははそ葉の 母の命は み裳の裾 摘み上げ掻き撫で ちちの実の 父の命は 栲づのの 白ひげの上ゆ 涙垂り 嘆きのたばく 鹿子じもの ただひとりして 朝戸出の 愛しき我が子 あらための 年の緒長く 相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言どひせむと 惜しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ 白栲の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと 引き留め 慕ひしものを 大君の 命畏み 玉桙の 道に出で立ち 岡の崎 い廻むるごとに 万たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来れば 思ふそら  安くもあらず 恋ふるそら  苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命も知らず 海原の 畏き道を 島伝ひ い漕ぎ渡りて あり廻り 我が来るまでに 平けく 親はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉の 我が統め神に 幣奉り 祈り申して 難波津に 船を浮け据ゑ 八十楫貫き 水手ととのへて 朝開き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ 万4408 *大君のご命令なので防人たちが親と別れ妻を家に待たせて難波津に集まる。船から楫を突き出し今こそ我らは漕ぎ出すと家に知らせたい。 家人の斎へにかあらむ平けく 船出はしぬと親に申さね  万4409 *家じゅう皆の祈りのおかげで無事に船出したと親にお伝えください。 み空行く雲も使と人は言へど 家づと遣らむたづき知らずも  万4410 *空を流れる雲も使いだと人は言うけれど、家に連絡する方法が分かりませんがな。 家づとに貝ぞ拾へる浜波は いやしくしくに高く寄すれど  万4411 *家の土産にと思って貝を拾いました。浜の波は高く寄せて来ます。 島蔭に我が船泊てて告げ遣らむ 使をなみや恋ひつつ行かむ  万4412 *島の蔭に私の乗った船が停泊しています。家への連絡方法がないので恋しく思いながらこれから進みます。  二月の二十三日、兵部少輔大伴宿禰家持。 【似顔絵サロン】...

万葉集巻第二十4406-4407番歌(ひな曇り碓氷の坂を)~アルケーを知りたい(1649)

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▼筑紫までの道のりが長いから、移動するだけでも辛いので、この気持ちを家の者に分かってもらいたいという4406番。同じく、移動の道中で急に妻を思い出して恋しくてたまらない気持ちを詠った4407番。 我が家ろに行かも人もが草枕 旅は苦しと告げ遣らまくも  万4406  右の一首は 大伴部節麻呂 。 *もし私の家に行く人がいたら、私は旅で苦労していると伝えてもらいたい。 ひな曇り碓氷の坂を越えしだに 妹が恋しく忘らえぬかも  万4407  右の一首は 他田部子磐前 。 *うす曇りの日にうすいの坂を越えたとき、妻が恋しく忘れられない気持ちになった。   二月二十三日、上野の国の防人部領使大目正六位下上毛野君駿河。 進る歌の数十二首。 ただし、拙劣の歌は取り載せず。 【似顔絵サロン】 大伴部 節麻呂  おおともべ の ふしまろ ? - ? 奈良時代の防人。上野国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 他田部 子磐前  おさだべ の こいわさき ? - ? 奈良時代の防人。上野国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4404-4405番歌(我が妹子が偲ひにせよと)~アルケーを知りたい(1648)

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▼万葉の時代は、家を出ている間の身の安全を祈って妻が夫の服の紐を結んでいた。4404番は、その紐がほどけたことを気にする歌。4405番は、妻の思いを大事にしている気持ちを表明する歌。 難波道を行きて来までと我妹子 (わぎもこ) が 付けし紐が緒絶えにけるかも  万4404  右の一首は助丁 上毛野牛甘 。 *難波道を行ってウチに戻るまで無事にと祈って妻が結んだ紐がほどけてしまいました。 我が妹子が偲 (しぬ) ひにせよと付けし紐 糸になるとも我は解かじとよ  万4405  右の一首は 朝倉益人 。 *妻が思い出に結んだ紐だから、糸のように細くなっても私は解いたりしないよ。 【似顔絵サロン】 上毛野 牛甘  かみつけの の うしかい ? - ? 奈良時代の防人。上野国の出身。755年、防人の助丁として筑紫に派遣。 朝倉 益人  あさくら の ますひと ? - ? 奈良時代の防人。上野国(群馬県)の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4403番歌(大君の命畏み)~アルケーを知りたい(1647)

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▼4403番は下の句 「青雲のたなびく山を越えて来ぬかも」 が訛って「 とのびく山を越よて来ぬかむ 」になっている。丸っこい響きがして良き。 大君の命畏み青雲の とのびく山を越よて来ぬかむ  万4403  右の一首は 小長谷部笠麻呂 。 *大君のご命令は畏れ多いので、青雲がたなびく山を越えてやって来ました。  二月の二十二日。 信濃の国の防人部領使、道に上り、病を得て来ず。 進る歌の数十二首。 ただし、拙劣の歌は取り載せず。 【似顔絵サロン】 小長谷部 笠麻呂  おはつせべ の かさまろ ? - ? 奈良時代の防人。信濃国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4401-4402番歌(ちはやふる神のみ坂に)~アルケーを知りたい(1646)

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▼4401番は、父子家庭なのに父に防人の役目が降ってきたケース。親がいなくなる場合、子どもは誰が養育するのか気になる。4402番は、神社で幣を捧げて祈るのは自分の言ではなく両親の健康。自分が生活の場を離れた後のことが気になって仕方がない、その気持ちが伝わる二首。 韓衣裾に取り付き泣く子らを 置きてぞ来ぬや母なしにして  万4401  右の一首は国造小県の郡の 他田舎人大島 。 *韓衣の裾に取り付くようにして泣く子どもたちを置いてきました。母親はいないのに・・・。 ちはやふる神のみ坂に幣奉り 斎ふ命は母父がため  万4402  右の一首は主帳埴科の郡の 神人部子忍男 。 *神のみ坂に幣を奉納して祈るのは両親の長寿です。 【似顔絵サロン】 他田 大嶋  をさだ の おほしま ? - ? 奈良時代の防人。信濃国小県郡の豪族で国造丁。755年、防人として筑紫に派遣。 神人部 子忍男  みわひとべ の こおしお ? - ? 奈良時代の防人。信濃国埴科郡の主帳。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4398-4400番歌(海原に霞たなびき)~アルケーを知りたい(1645)

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▼今回も家持の防人の歌のインテルメッツオ。防人の歌は全部で九十何首かある。4398番の長歌は防人の歌の全体の調子をうまくまとめているように思ふ。 ・そもそもが大君の命で始まる話なので、畏まって従います、という姿勢。 ・とはいえ家族との別れは辛く寂しい。 ・だから益荒男の心を奮い起こして出発する。 ・中継地の難波津までの道中、家を思い出すと背負 う武具が鳴る。 続く4399番と4400番は長歌を要約した格好の反歌。 そもそもなぜ関東から筑紫まで防人になって数年を過ごさねばならないのか。それは防衛のため。おかげで今がある。  防人が情のために思ひを陳べて作る歌一首  幷せて短歌 大君の 命畏み 妻別れ 悲しくはあれど ますらをの 心振り起し 取り装ひ 門出をすれば たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻取り付き 平らけく 我れは斎はむ ま幸くて 早帰り来と 真袖もち 涙を拭ひ むせひつつ 言どひすれば 群鳥の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ いや遠に 国を來離れ いや高に 山を越え過ぎ 葦が散る 難波に来居て 夕潮に 船を浮けすゑ 朝なぎに 舳向け漕がむと さもらふと 我が居る時に 春霞 島廻に立ちて 鶴が音の 悲しく聞けば はろはろに 家を思ひ出 負ひ征矢の そよと鳴るまで 嘆きつるかも  万4398 *大君のご命令なので妻と別れるのは辛くはあるけれども益荒男の気持ちを奮い起こして武具を身に付けて家を出る。(中略)家を思い出しては背負った矢が音を立てるほど悲し身を嘆くのだ。 海原に霞たなびき鶴が音の 悲しき宵は国辺し思ほゆ  万4399 *海原に霞がたなびき、鶴の鳴き声が悲し気に聞こえる宵は、故郷を思い出します。 家思ふと寐を寝ず居れば鶴が鳴く 葦辺も見えず春の霞に  万4400  右は、十九日に兵部少輔 大伴家持 作る。 *家を恋しく思って寝るに寝られないいると鶴の鳴き声が聞こえてくる。春霞のために鶴がいる葦辺は見えないが。 【似顔絵サロン】 大伴 家持  おおともの やかもち 718養老2年 - 785延暦4年10月5日 公卿・歌人。百人一首6:かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞふけにける  〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?c...

万葉集巻第二十4395-4397番歌(竜田山見つつ越え來し)~アルケーを知りたい(1644)

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▼防人の歌の間にときどき家持のインテルメッツオが入るけど、今回もそう。防人の歌の世界の流れに節目を入れる。なんと巧みな編集の技やろうか、と思ふ。防人の歌とのつながりに濃淡があるのがまた味わい深い。4395番は戻った時にどうなっているかを詠ったもの。防人の心情とつながる。4396番は、防人たちが集まっている様子を潮に乗る木屑と見立てているよう。4397番は妻を恋しがる防人の気持ちにインスパイアされたよう。  独り竜田山の桜花を惜しむ歌一首 竜田山見つつ越え來し桜花 散りか過ぎなむ我が帰るとに  万4395 *竜田山を眺めながら越えて来た時に見た桜の花。私が帰る頃には散っているだろう。  独り江水に浮かび漂ふ木屑を見、貝玉の依らぬことを怨恨みて作る歌一首 堀江より朝潮満ちに寄る木屑 貝にありせばつとにせましを  万4396 *堀江の方向から朝の潮流に乗って来る木屑。これが貝だったら土産にするのに。  館の門に在りて、江南の美女を見て作る歌一首 見わたせば向つ峰の上の花 にほひ照りて立てるは愛しき誰が妻  万4397  右の三首は、二月の十七日に兵部少輔大伴家持作る。 *見わたせば向こう側の峰に咲く花に照らされるように美女が立っているが、どなたの奥さんだろう。 【似顔絵サロン】 県犬養 浄人  あがたいぬかい の きよひと ? - ? 奈良時代の貴族。755年、防人部領使として筑紫国まで防人を引率。大伴家持に防人たちの歌22首を進上。4384番から4394番までの11首が万葉集に収録。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4394番歌(大君の命畏み)~アルケーを知りたい(1643)

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▼今回の歌から分かることは、①大君の命を畏まって受けとる精神性、②弓を肌身離さない武人の姿勢、の二点。大伴の名を持つ防人だからだろう、意識の違いが伝わる。 大君の命畏み弓の共さ寝 かわたらむ長けこの夜を  万4394  右の一首は相馬の郡の 大伴部子羊 。 *大君のご命令が畏れ多いので、弓を傍らにおいてこの長い夜を過ごすのです。  二月の十六日、下総の国の防人部領使少目従七位下県犬養宿禰浄人。 進る歌の数二十二首。ただし、拙劣の歌は取り載せず。 【似顔絵サロン】 大伴部 子羊  おおともべ の こひつじ ? - ? 奈良時代の防人。下総国相馬郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4392-4393番歌(天地のいづれの神を)~アルケーを知りたい(1642)

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▼今回の二首も親を思う歌。4392番は 「天と地のどちらの神に祈れば思いが通じるのか」という表現から 防人の親思い、不安を抱え無事に再会したい気持ちが伝わる。4393番は、家の前で見送ってくれた両親の姿が目に浮かぶよう。 天地のいづれの神を祈らばか 愛し母にまた言とはむ  万4392  右の一首は埴生の郡の 大伴部麻与佐 。 *天と地のどちらの神に祈りを捧げれば、愛しい母上とまた話ができるのでしょう。 大君の命にされば父母を 斎瓮 (いはひへ) と置きて参ゐ出来にしを  万4393  右の一首は結城の郡の 雀部広島 。 *大君のご命令なので、両親は家の戸口に置く斎瓮(壺)のように残して参上しました。 【似顔絵サロン】 大伴部 麻与佐  おおともべ の まよさ ? - ? 奈良時代の防人。下総国埴生郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 雀部 広島  さざきべ の ひろしま ? - ? 奈良時代の防人。総国結城郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4390-4391番歌(国々の社の神に)~アルケーを知りたい(1641)

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▼  今回も 下総国出身の防人の歌二首。4390番はしっかり者の妻が家にいてくれるありがたさで防人に行く不安感を打ち消す歌。4391番も妻を詠った作品。上の句で国々の神社で祈りを挙げてくれた妻といって自分のために祈りを捧げてくれた連れ合いを愛しく思う気持ちが伝わる。 群玉 (むらたま) の枢 (くる) にくぎさし堅 (かため) めとし 妹が心は動 (あよ) くなめかも  万4390  右の一首は猨島の郡の 刑部志加麻呂 。 *ドアにしっかりカギをかけたような妻の心は私がいない間、動揺することはない。 国々の社 (やしろ) の神に幣奉 (ぬさまつ) り 贖祈 (あがこひ) すなむ妹が愛 (かな) しさ  万4391  右の一首は結城の郡の 忍海部五百麻呂 。 *国々の神社で幣を捧げて無事を祈ってくれる妻が愛しい。 【似顔絵サロン】 刑部 志加麻呂  おさかべ の しかまろ ? - ? 奈良時代の防人。下総国猿島郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 忍海部 五百麻呂  おしぬみべ の いおまろ ? - ? 奈良時代の防人。下総国結城郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4388-4389番歌(潮舟の舳越そ白波に)~アルケーを知りたい(1640)

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▼4388番は、千葉~茨城( 下総国)から大阪に行って、大阪の難波津から船で筑紫に向かう長い旅で、衣服が垢まみれだと詠う。この言葉を参考にして、現代は清潔の維持が大事だと思ふ。4389番。これは船で移動しながら、どんと来る波に、防人の招集がいきなりだったことを思い出す歌。 旅とへど真旅になりぬ家の妹が 着せし衣に垢付きにかり  万4388  右の一首は 占部虫麻呂 。 *旅とはいってもマジ長い旅になってしまった。妻に着せてもらった衣が垢まみれ。 潮舟の舳 (へ) 越そ白波に はしくも負ふせたまほか思はへなくに  万4389  右の一首は印波の郡の 丈部直大麻呂 。 *舟の舳先にどんと来る大波のように、招集がかかったのも突然だった。 【似顔絵サロン】 占部 虫麻呂  うらべ のむしまろ ? - ? 奈良時代の防人。下総国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 丈部 大麻呂  はせつかべ の おおまろ ? - ? 奈良時代の防人。下総国印波郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4386-4387番歌(我が門の五本柳)~アルケーを知りたい(1639)

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▼4386番は、いつもとと読む五本といつもいつもを掛けた上の句と、防人に出た息子をいつもいつも恋しく思う母親思う下の句の組合せ。 4387番も、いつも一緒にいたい大切な人を思う歌。 我が門の五本 (いつもと) 柳いつもいつも 母が恋すす業 (な) りましつしも  万4386  右の一首は結城の郡の 矢作部真長 。 *うちの家の門の五本の柳のように母上は私の帰りをいつもいつも願っていることでしょう。 千葉の野の子手柏 (このてかしは) のほほまれど あやに愛しみ置きてたか来ぬ  万4387  右の一首は千葉の郡の 大田部足人 。 *子手柏 (ヒノキ) のつぼみのように可愛い子を置いて、ここまで私はやって来たのだ。 【似顔絵サロン】 矢作部 真長  やはぎべ の まなが ? - ? 奈良時代の防人。下総国結城郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 大田部 足人  おほたべ の たりひと ? - ? 奈良時代の防人。下総国千葉郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4384-4385番歌(暁のかはたれ時に)~アルケーを知りたい(1638)

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▼4384番では発見があった。「かはたれ時」は 「彼は誰時」じゃないかと思ったが、 漢字本文では「 加波多例等枳」だった。出発する船を見送った乗船順番待ちの防人の心細さが伝わってくる。4385番は、「行く先」と「後方」の絵が浮かぶので、穏やかな海であることを祈りたくなる。 暁 (あかとき) のかはたれ時に島蔭を 漕ぎ去し舟のたづき知らずも  万4384  右の一首は、助丁海上の郡の海上の国造 他田日奉直得大理 。 *早朝の薄暮の時間、島蔭を漕ぎ去って行った舟がどうしているのか手がかりもない。 行こ先に波なとゑらひ後方 (しるへ) には 子をと妻をと置きてとも来ぬ  万4385  右の一首は葛飾の郡の 私部石島 。 *これから行く先に波など立たないで欲しい。家には子と妻を置いて来ているのだから。 【似顔絵サロン】 他田日奉 得大理  おさだのひまつり の とこたり ? - ? 奈良時代の防人。下総国海上郡の出身。755年、防人の助丁として筑紫に派遣。 私部 石島  きさきべ の いそしま ? - ? 奈良時代の防人。下総国葛飾郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4383番歌(摂津の国の渚に船装ひ)~アルケーを知りたい(1637)

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▼4348番は 下野国 (茨城) から集められた防人の歌18首の締め。この歌では、出発する港の場所を難波津と言わず摂津の国と言っている。ずらっと港に並んだ船で出航するとき、母に手を振りたい気持ちを詠う。 摂津の国の渚に船装ひ 立し出も時に母が目もがも  万4383  右の一首は塩屋の郡の上丁 丈部足人 。 *摂津の国の海岸に並んだ船でいよいよ出航って時、母にひと目会えたらなあ。  二月の十四日、下野の国の防人部領使正六位上 田口朝臣大戸 。 進る歌の数十八首。 ただし、拙劣の歌は取り載せず。 【似顔絵サロン】 丈部足人  はせつかべのたりひと ? - ? 奈良時代の防人。下野国塩屋郡の出身。755年、防人の上丁として筑紫に派遣。 田口 大戸  たぐち の おおと/おおへ ? - ? 奈良時代の貴族。755年、防人部領使として防人を率いて下野国から筑紫へ派遣。この際、兵部少輔・大伴家持に防人歌18首を進上。11首が採用。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4381-4382番歌(ふたほがみ悪しけ人なり)~アルケーを知りたい(1636)

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▼4381番は、防人たちが港で見送りの人と別れる様子を見て「いともすべなし」と感じたという歌。辛みを感じる歌。4382番は防人の歌の中でも印象的な作。体調が悪いのを知っていて防人に行けと指示を出す人物に対する恨み。「誰それは悪しき人」とダイレクトに人を非難する歌を捨てず、万葉集に載せている家持。歌も家持も面白い。 国々の防人集ひ船乗りて 別るを見ればいともすべなし  万4381  右の一首は河内の郡の上丁 神麻続部島麻呂 。 *あちこちの地域からやってきた防人が船に乗り込んで別れを告げる様子を見ると何ともやりきれない。 ふたほがみ悪しけ人なりあたゆまひ 我がする時に防人にさす  万4382  右の一首は那須の郡の上丁 大伴部広成 。 *ふたほがみという人物は性根の悪い人だ。急病で苦しんでいる時に私を防人に指名するのだから。 【似顔絵サロン】 神麻績部 島麻呂  かんおみべ の しままろ ? - ? 奈良時代の防人。下野国河内郡の出身。755年、防人の上丁として筑紫に派遣。 大伴部 広成  おおともべ の ひろなり ? - ? 奈良時代の防人。下野国那須郡の出身。755年、防人の上丁として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4379-4380番歌(白波の寄そる浜辺に)~アルケーを知りたい(1635)

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▼今回の二首は、防人を運ぶ船が港から出ている時間を写し取った歌だ。4379番は、もうすることがないから陸に向かって手を振る、と詠う。4380番は、港を出て海から見える遠景を詠った。防人という意義は分かるが実りの見えないお役目に向かう男の心境が伝わる。 白波の寄そる浜辺に別れなば いともすべなみ八度 (やたび) 袖振る  万4379  右の一首は足利の郡の上丁 大舎人部禰麻呂 。 *白波が寄せる浜辺から離れると、することないので何度も何度も別れの手を振るばかり。 難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる 生駒高嶺に雲ぞたなびく  万4380  右の一首は梁田の郡の上丁 大田部三成 。 *難波津を出航すると見えるのは、 雲がたなびく 神さびた生駒山の嶺だ。 【似顔絵サロン】 大舎人部 祢麻呂 /禰麻呂 おおとねりべ の ねまろ ? - ? 奈良時代の防人。下野国足利郡の出身。755年、防人の上丁として筑紫に派遣。 大田部 三成  おおたべ の みなり ? - ? 奈良時代の防人。下野国梁田郡の出身。755年、防人の上丁として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20