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万葉集巻第八1482‐1480番歌(皆人の待ちし卯の花)~アルケーを知りたい(1389)

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▼今回の4首はホトトギスを題材に、説明的に詠っている作品 。真似たくなる。1482は皆人の待ちし年末終わるとも明くる年来る我れ忘れめや、 1483は 我が背子が作りしAgendaを読み来週の会議我が支度し、 1484は 我が机の上の文房具あちこち散りて ホコリ に埋もれつ、 1485は 正月の郵便受けに我が出せば年賀状 響め鳴かましやそれ。   大伴清綱 が歌一首 皆人の待ちし卯の花散りぬとも 鳴くほととぎす我れ忘れめや  万1482 *皆で待っていた卯の花が散っても、鳴いているホトトギスのことを私は忘れませんよ。   奄君諸立 が歌一首 我が背子がやどの橘花をよみ 鳴くほととぎす見にぞ我が来し  万1483 *宴会を主催するご主人宅の橘の花が見事なので ホトトギス が来て鳴きます、その ホトトギス を見に私どもは参りました。   大伴村上 が橘の歌一首 我がやどの花橘をほととぎす 来鳴き響めて本に散らしつ  万1493 *我が家の花橘に ホトトギス がやって来て、鳴き声を響き渡らせて、花びらを根元に散らしました。  筑波山に登らざりしことを惜しむ歌一首 筑波嶺に我が行けりせばほととぎす 山彦響め鳴かましやそれ  万1497  右の一首は、高橋連虫麻呂が歌の中に出づ。 *筑波山の嶺に登れば、 ホトトギス は山びこになるほど鳴いてくれたのでしょうか。登らなくて残念なんですけど。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 栗隈王  くりくまのおおきみ ? - 676天武天皇5年6月 飛鳥時代の人物。筑紫率(筑紫大宰)。壬申の乱では外国への備えを理由に大友皇子の出兵要請を断る。 大伴 清縄  おおとも の きよつな ? - ? 奈良時代の官吏。 奄君 諸立  あむのきみ もろたち ? - ? 奈良時代の人。 大伴 村上  おおとものむらかみ ? - ? 奈良時代の官吏。 754年、大伴家持邸での年賀の宴で歌を詠んだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1530‐1533番歌(玉櫛笥蘆城の川を)~アルケーを知りたい(1391)

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▼今回は、福岡筑前の大宰府、滋賀県の 伊香山を詠った作品。筑前煮で一献、参りますか。師走だし。  大宰の諸卿大夫幷せて官人等、筑前の国の蘆城の駅家にして宴する歌二首 をみなえし秋萩交る蘆城の野 今日を始めて万代に見む  万1530 *女郎花と秋萩が入り混じっている大宰府の蘆城の野原。今日から末永く見て行きましょう。 玉櫛笥蘆城の川を今日見ては 万代までに忘らえめやも  万1531  右の二首は、作者いまだ詳らかにあらず。 *大宰府の蘆城川を今日見ました。これから先いつまでも忘れられないでしょう。   笠朝臣金村 、伊香山にして作る歌二首 草枕旅行く人も行き触れば にほひぬべくも咲ける萩かも  万1532 *旅人がちょっとでも触れたら染まりそうなくらい萩が咲き乱れています。 伊香山野辺に咲きたる萩見れば 君が家なる尾花し思ほゆ  万1533 *伊香山の野に咲いている萩の花を見ると、貴方様の家に咲くススキの花を思い出します。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 廬井 鯨  いおい の くじら ? - ? 飛鳥時代の人物。近江軍の武将。672年の壬申の乱で大友皇子側の将。中道の戦で敗北。 笠 金村  かさ の かなむら ? - ? 奈良時代の歌人。万葉集に45首。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1511‐1517番歌(経もなく緯も定めず)~アルケーを知りたい(1390)

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▼万葉の時代の人は、雁や黄葉に季節や思いを感じていたようだ。1512の大津皇子の歌は経糸、緯糸の区別が出てくる。これは今でも織物のポイント。確かに山の黄葉は経糸も緯糸もないのかも。  秋雑歌   岡本天皇 の御製歌一首 夕されば小倉の山に鳴く鹿は 今夜は鳴かず寝ねにけらしも  万1511 *夕方になると 鹿が 小倉山で鳴く。でも今夜は鳴かずに寝てしまったらしい。   大津皇子 の御歌一首 経もなく緯も定めず娘子らが 織る黄葉に霜な降りそね  万1512 *縦糸も横糸も決めないで娘子たちが織った山の黄葉に霜が降りています。  穂積皇子の御歌二首 今朝の朝明雁が音聞きつ春日山 もみちにけらし我が心痛し  万1513 *今朝の明け方、雁が鳴いて飛んでいく声が聞こえる春日山。紅葉したのだろう、心が痛い。 秋萩は咲くべくあらし我がやどの 浅茅が花の散りゆく見れば  万1514 *秋萩が咲く季節になったらしい。我が家の浅茅の花が散り始めたところをみると。  但馬皇女の御製歌一首 一書には「子部王が作なり」といふ 言繁き里に住まずは今朝鳴きし 雁にたぐひて行かましものを   一には「国にあらずは」といふ  万1515 *人の噂話が煩い里から、今朝鳴いた雁と一緒にどこか違う場所に行ければ良いのに。   山部王 、紅葉を惜しむ歌一首 秋山にもみつ木の葉のうつりせば さらにや秋を見まく欲りせむ  万1516 *秋山で紅葉している木の葉が散ってしまうと、もっと秋を見たい気持ちになるでしょうね。   長屋王 が歌一首 味酒三輪の杜の山照らす 秋の黄葉の散らまく惜しも  万1517 *三輪山の杜を照らすような秋の黄葉。散っていくのが惜しい。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 中臣 金  なかとみ の かね ? - 672天武天皇元年9月24日 飛鳥時代の官人。中臣可多能祜の孫。鎌足の従兄弟。天智天皇、大友皇子の重臣、壬申の乱で敗れて斬殺。 岡本天皇 = 舒明天皇  じょめいてんのう 593 - 641 第34代天皇。蘇我蝦夷が立てた天皇。政治の実権は蘇我蝦夷。630(37) 遣唐使を開始。皇后は皇極天皇。息子は中大兄皇子。 大津皇子  おおつのみこ 663 - 686 天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。異母兄が草壁皇子。 山部王  やまべおう ? - 672...

万葉集巻第八1474‐1476番歌(ひとり居て物思ふ宵に)~アルケーを知りたい(1388)

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▼1474と1475 の歌を詠んだ 大伴坂上郎女は大伴旅人の妹。旅人は任地先の大宰府で妻を亡くしたので、叔母の 坂上郎女が 残された兄弟 を育てた。 1480と1481を詠んだのが弟の書持。 兄は家持。兄弟ともに母亡きあと、叔母の 坂上郎女に育ててもらったわけだ。▼ ホトトギスの鳴き声は東京特許許可局。  大伴坂上郎女、筑紫の大城の山を思ふ歌一首 今もかも大城の山にほととぎす 鳴き響むらむ我れなけれども  万1474 *今でも大城の山で ホトトギス がよく鳴いていることでしょう。私はそこにはいませんけど。  大伴坂上郎女が霍公鳥の歌一首 何しかもここだく恋ふるほととぎす 鳴く声聞けば恋こそまされ  万1475 *どうしてこれほど私は ホトトギス を恋しいと思うのでしょうか。人恋しさがまさるばかりというのに。   小治田朝臣広耳 が歌一首 ひとり居て物思ふ宵にほととぎす こゆ鳴き渡る心しあるらし  万1476 *ひとりで物思いにふける夜。鳴きながら飛んでいく ホトトギス がいます。私の気持ちが分かってるようです。   大伴書持 が歌二首 我がやどに月おし照れりほととぎす 心あれ今夜来鳴き響もせ  万1480 *今夜は私の家には月がよく照っている。思いやりがあるなら ホトトギス よ、家に来て鳴いておくれ。 我がやどの花橘にほととぎす 今こそ鳴かめ友に逢へる時  万1481 * ホトトギス よ、今こそ私の家の花橘に来て鳴いておくれ。今、友達と会っているところなので。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 美努王 /三野王 みぬおう/みのおう ? - 708和銅元年6月22日 飛鳥時代の人物。父は栗隈王。壬申の乱の前、父と面談した佐伯男から兄弟の武家王と共に父を守る。 小治田 広耳  おわりだの ひろみみ ? - ? 奈良時代の歌人。 大伴 書持  おおとも の ふみもち ? - 746天平18年 奈良時代の貴族・歌人。父親は大伴旅人。大伴家持の弟。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1469‐1473番歌(あしひきの山ほととぎす)~アルケーを知りたい(1387)

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▼ホトトギスの歌4首。1469の 沙弥は、出家したばかりの人という意味。誰かは分からない。1472と1473は問答歌というほどではないけれど、堅魚のつぶやきに似た歌に対して大伴旅人がホトトギスに託して自分の心情を述べた歌。   沙弥 が霍公鳥の歌一首 あしひきの山ほととぎす 汝が鳴けば家なる妹し常に偲はゆ  万1469 *山ホトトギスよ、お前の鳴き声を聞くと家で留守番している妻を思い出す。   刀理宣令 が歌一首 もののふの石瀬の杜のほととぎす 今も鳴かぬか山の常蔭に  万1470 *石瀬の杜のホトトギスよ、今、鳴いてくれないか、山の中で。  式部大輔 石上堅魚 朝臣が歌一首 ほととぎす来鳴き響もす卯の花の 伴にや来しと問はましものを  万1472  右は、神亀五年戊辰に、大宰帥大伴卿が妻大伴郎女、病に遇ひて長逝す。 その時に、勅使式部大輔 石上朝臣堅魚 を大宰府に遣はして、喪を弔ひ幷せて物を賜ふ。 その事すでに畢、駅使と府の諸卿大夫等と、ともに記夷の城に登りて望遊する日に、すなはちこの歌を作る。 * ホトトギス が来てよく鳴いています。卯の花の伴連れとして来ているのか尋ねてみたいものです。  大宰帥大伴卿が和ふる歌一首 橘の花散る里のほととぎす 片恋しつつ鳴く日しぞ多き  万1473 *橘の花が散る里の ホトトギス は、亡き妻を思い出しては鳴く日が多いようです。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 武家王  たけいえのおおきみ ? - ? 飛鳥時代の皇族。栗隈王の子。栗隈王が大友皇子の命に従わない場合、殺す命を帯びていた佐伯男を兄弟の三野王と共に威圧。 三方 沙弥  みかたのさみ /  山田 三方 やまだ の みかた /  ? - ? 飛鳥時代~奈良時代の貴族・学者。 刀利 宣令  とり の せんりょう ? - ? 奈良時代の官人・学者。氏は土理・刀理とも記す。百済系の渡来氏族。 石上 堅魚  いそのかみ の かつお ? - ? 奈良時代の貴族。大宰府で妻を亡くした旅人にお悔みを伝えた人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1465‐1468番歌(神なびの石瀬の杜の)~アルケーを知りたい(1386)

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▼ ホトトギスの鳴き声から湧き出る感慨を歌にした作品4首。実際の鳴き声を聞いた記憶がほぼないんだけど、あるような気がするのが不思議。  夏雑歌  藤原夫人が歌一首  明日香の清御原の宮に天の下知らしめす天皇の夫人なり。字を大原大刀自といふ。すなはち新田部皇子の母なり。 ほととぎすいたくな鳴きそ汝が声を 五月の玉にあへ貫くまでに  万1465 * ホトトギス よ、そんなに鳴かないで。お前の声を五月の節句の薬玉をつなぎ通す糸にするまで。  志貴皇子の御歌一首 神なびの石瀬の杜のほととぎす 毛無の岡にいつか来鳴かむ  万1466 *神奈備の岩瀬の杜のホトトギスよ、毛無の岡にはいつ来て鳴いてくれるのだろう。  弓削皇子の御歌一首 ほととぎすなかる国にも行きてしか その鳴く声を聞けば苦しも  万1467 * ホトトギス がいない国に行きたいものだ。その鳴き声を聞くとつらくなるから。  小治田の広瀬王が霍公鳥の歌一首 ほととぎす声聞く小野の秋風に 萩咲きぬれや声の乏しき  万1468 * ホトトギス の声が聞こえていた小野。秋風が吹いているからもう萩が咲いたのだろうか。 ホトトギス の声が小さくなっている。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 佐伯 男  さえき の おとこ ? - ? 飛鳥時代の人物。壬申の乱で大友皇子の遣いで筑紫国の栗隈王に出兵を要請すれど断られる。大友皇子から断ったら殺せと命令されていたが、栗隈王の二人の子が剣を持って守っていたので断念。乱の後は赦免。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1442‐1447番歌(風交り雪は降るとも)~アルケーを知りたい(1385)

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▼寒い師走に春の歌を眺めるのも一興。1442の「悲しさ」はいとおしいの意。悲しい気持ちも混じった味わいの言葉のようだ。  大蔵少輔丹比屋主真人が歌一首 難波辺の人の行ければ後れ居て 春菜摘む子を見るが悲しさ  万1442 *難波の方に夫が出張に行った後、残って春菜を摘む子を見るといとおしさが募ります。  丹比真人乙麻呂が歌一首 屋主真人が第二子なり 霞立つ野の上の方に行きしかば うぐひす鳴きつ春になるらし  万1443 *霞が立つ野原に登ってみるとウグイスが鳴いています。春になったのですねえ。  高田女王が歌一首 高安が女なり 山吹の咲きたる野辺のつほすみれ この春の雨に盛りなりけり  万1444 *山吹が咲いている野原の壺スミレ。この春の雨で勢いよく咲いています。  大伴坂上郎女が歌一首 風交り雪は降るとも実にならぬ 我家の梅を花に散らすな  万1445 *風が吹き雪が降ってもいいけれど、まだ実をつけない我が家の梅の花を散らさないでおくれ。  大伴坂上郎女が歌一首 世の常に聞けば苦しき呼子鳥 声なつかしき時にはなりぬ  万1446  右の一首は、天平四年の三月の一日に、佐保の宅にして作る。 *ふだんは耳にしても面白くもない呼子鳥だけど、その鳴き声に懐かしさを覚える時になりました。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 山部王  やまべおう ? - 672天武天皇元年7月31日 飛鳥時代の皇族。壬申の乱で大友皇子の将。味方の蘇我果安、巨勢比等(巨勢人)に殺された。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1436‐1440番歌(ふふめりと言ひし梅が枝)~アルケーを知りたい(1384)

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▼今回は、梅と桜の花、雨と雪、山と里を詠った5作品。風景画のような歌あり、メッセージを伝えているような歌あり。自然と人の考えが溶け合っている。  大伴宿禰村上が海の歌二首 ふふめりと言ひし梅が枝 今朝降りし沫雪にあひて咲きぬらむかも  万1436 *つぼみと言っていた梅の花ですが、今朝降った沫雪と競って咲いたかもしれません。 霞立つ春日の里の梅の花 山のあらしに散りこすなゆめ  万1437 *霞が立っている春日の里の梅の花よ。山の嵐で散らないでおくれよ、くれぐれも。  大伴宿禰駿河麻呂が歌一首 霞立つ春日の里の梅の花 花に問はむと我が思はなくに  万1438 *霞立つ春日の里の梅の花。花だけに私が問いかけようと思っているのではなく。  中臣朝臣武良自が歌一首 時は今春になりぬとみ雪降る 遠山の辺に霞たなびく  万1439 *時は今、春です。雪が降り、遠い山には霞がたなびいています。  川辺朝臣東人が歌一首 春雨のしくしく降るに高円の 山の桜はいかにかあるらむ  万1440 *春雨が降り続けています。高円山の桜はどんな調子でしょうね。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 紀 阿閉麻呂  き の あへまろ ? - 674天武天皇3年4月9日 飛鳥時代の人物。壬申の乱では大海人皇子側。吹負の指揮下で戦闘に参加。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1432‐1435番歌(霜雪もいまだ過ぎねば)~アルケーを知りたい(1383)

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▼冬至から数日が経って、まだまだ寒いけど今回は春の歌。冬の間に春を思うのが良いか、それとも春になって春を確認するのが良いか、どっちが良いかな。  大伴坂上郎女が柳の歌二首 我が背子が見らむ佐保道の青柳を 手折りてだにも見むよしもがも  万1432 *私の夫が見ているという佐保道の青柳。手折った 枝だけでも見られると嬉しいのだが 。 うち上る佐保の川原の青柳は 今は春へとなりにけるかも  万1433 *馬に鞭を当てながら佐保の川原を上ると見えてくる青柳。今はもう春ですね。  大伴宿禰三林が梅の歌一首 霜雪もいまだ過ぎねば思はぬに 春日の里に梅の花見つ  万1434 *霜も雪もまだ消えてないというのに、思いがけず春日の里で梅の花が咲いているのを見つけました。  厚見王が歌一首 かはず鳴く神なび川に影見えて 今か咲くらむ山吹の花  万1435 *カエルが鳴く神奈備川に影を写す山吹の花。今ごろ咲いているのでしょう。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 蘇我 赤兄  そが の あかえ 623推古天皇31年 - ? 飛鳥時代の豪族。蘇我馬子の孫。父は蘇我倉麻呂。有間皇子の変の仕掛け人。壬申の乱では大友皇子側。子孫と共に配流。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1428‐1430番歌(去年の春逢へりし君に)~アルケーを知りたい(1382)

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▼今回は長めの歌と短歌。詠ってる題材は花。季節は春だろう。1430は作者が桜の花の気持ちになって詠ったスタイル。私じゃないんです、桜の花の気持ちなんです、という間接光のような表現。  草香山の歌一首 おしてる 難波を過ぎて  うち靡く 草香の山を  夕暮れに 我が越え来れば  山も狭に 咲ける馬酔木の  悪しからぬ 君をいつしか  行きて早見む  万1428  右の一首は、作者の微しきによりて、名字を顕さず。 *山も狭しと咲いている馬酔木が悪くない。貴方様のところに早く行ってお目にかかりたい。  桜花の歌一首 幷せて短歌 娘子らが かざしのために  風流士が かづらのためと  敷きませる  国のはたてに  咲きにける 桜の花の  にほひもあなに  万1429 *国の隅々まで咲いている桜の花のなんと輝かしいことでしょう。  反歌 去年の春逢へりし君に恋ひにてし 桜の花は迎へけらしも  万1430  右の二首は、若宮年魚麻呂誦む。 * 昨年の春に逢った貴方様を恋しがって、 桜の花が 美しく咲いてお迎えしています。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 忍坂 大麻呂  おしさか の おおまろ ? - ? 飛鳥時代の人物。672年、壬申の乱で大友皇子側。兵力を動員する使者。韋那磐鍬、書薬。途上、美濃国の不破で韋那磐鍬、書薬が高市皇子の兵に捕らえられたのを見て逃げる。乱の終結後に赦免。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1418‐1423番歌(去年の春いこじて植ゑし)~アルケーを知りたい(1381)

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▼今回から巻八。 先取りするように春の雑歌。 昨日は冬至、今日から朝が早くなります。  春雑歌  志貴皇子の懽の御歌一首 石走る垂水の上のさわらびの 萌え出づる春になりにけるかも  万1418 *岩にぶつかってしぶきを上げる滝の近くで蕨が萌え出る春になったのですね。  鏡王女が歌一首 神なびの石瀬の杜の呼子鳥 いたくな鳴きそ我が恋まさる  万1419 *神々しい石瀬の杜のホトトギスよ、私の恋しい気持ちが高まるのであまり鳴かないで欲しい。  駿河采女が歌一首 沫雪かはだれに降ると見るまでに 流らへ散るは何の花ぞも  万1420 * うっすらと 散る 沫雪の ように見える、あれは何の花でしょう。  尾張連が歌二首 名は欠けたり 春山の咲きのをゐりに春菜摘む 妹が白紐見らくしよしも  万1421 *花が咲き誇る 春の山 で春菜を摘む少女。その娘の服の白紐を見るのは良い気分です。 うち靡く春来るらし山の際の 遠き木末の咲きゆく見れば  万1422 *春が来たようです。 山の木に花が咲いているのが見えますから。  中納言阿倍広庭卿が歌一首 去年の春いこじて植ゑし我がやどの 若木の梅は花咲きにけり  万1423 *昨年の春に移植した我が家の若木の梅が花を咲かせました。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 韋那 磐鍬  いな の いわすき ? - ? 飛鳥時代の人物。672年、壬申の乱で大友皇子の側。兵力を動員する使者として書薬、忍坂大摩侶らと行動。途上、美濃国の不破で高市皇子の兵を見つけて逃げ帰った。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第七1412‐1417番歌(名児の海を朝漕ぎ来れば)~アルケーを知りたい(1380)

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▼今回が巻七の最後。配偶者を失って残された側の切ない気持ちを詠った作品のかずかず。 我が背子をいづち行かめとさき竹の そがひに寝しく今し悔しも  万1412 *私の夫はどこにも行かないわと思って背を向けて寝たのが今になって悔やまれます。 庭つ鳥鶏の垂れ尾の乱れ尾の 長き心も思ほえぬなも  万1413 *庭で飼っている鶏の長く乱れた尾のようにおっとりした気持ちに私がなれるとは、ちょっと考えられませんね。 薦枕相枕きし子もあらばこそ 夜の更くらくも我が惜しみせめ  万1414 *薦枕を共にした妻が生きていれば、夜が更けるのを惜しんだろうけれど。 玉梓の妹は玉かもあしひきの 清き山辺に撒けば散りぬる  万1415 *妻は玉だったのでしょうか。清い山の周辺に撒くと散ってしまいました。  或本の歌に曰はく 玉梓の妹は花かもあしひきの この山蔭に撒けば失せぬる  万1416 *妻は花だったのでしょうか。この山の蔭に撒くといなくなってしまいました。  羇旅の歌 名児の海を朝漕ぎ来れば海中に 鹿子ぞ鳴くなるあはれその鹿子  万1417 *名児の海を朝、舟で漕ぎ進んでいると海の中から鹿の鳴き声が・・・。心動かす鹿であることよ。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 書 薬  ふみ の くすり ? - ? 飛鳥時代の人物。672年、壬申の乱で大友皇子の側。兵力を動員する使者として韋那磐鍬、書薬、忍坂大摩侶と行動。途上、美濃国の不破で高市皇子の兵に捕らえられた。乱の終結後に赦免。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1407‐1411番歌(幸はひのいかなる人か)~アルケーを知りたい(1379)

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▼今回は5首。はじめの4首は挽歌、かなしい歌。さいごの1首が心ほぐれる思ひのする作品。「 幸はひのいかなる人か」と投げかけ「黒髪の白くなるまで妹が声を聞く 」と応えている。中味も形も良き。幸はひのいかなる歌か 心の澱の清くなるまで言霊が声を聞く こもりくの泊瀬の山に霞立ち たなびく雲は妹にかもあらむ  万1407 *泊瀬山に霞が立っています。たなびいている雲は妻なのかも知れません。 たはことかおよづれことかこもりくの 泊瀬の山に廬りせりといふ  万1408 *嘘か、たわごとか、泊瀬山に籠ったなどという話は。 秋山の黄葉あはれとうらぶれて 入りにし妹は待てど来まさず  万1409 *秋山の黄葉に惹かれてうらぶれた様子で入っていった妻は二度と戻ってこない。 世間はまこと二代はゆかずあらし 過ぎにし妹に逢はなく思へば  万1410 *世の中は本当に二度繰り返すことはないようです。いなくなった妻に再び逢えることはないと思うと。 幸はひのいかなる人か黒髪の 白くなるまで妹が声を聞く  万1411 *幸せな人とはどんな人でしょう。白髪になるまで妻の声を聞ける人でしょうね。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 谷 塩手  たに の しおて ? - 672天武天皇元年8月21日 飛鳥時代の人物。壬申の乱で大友皇子側の将。村国男依の軍に敗れて戦死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1402‐1406番歌(こと放けば沖ゆ放けなむ)~アルケーを知りたい(1378)

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▼今回は、どう解釈すれば良いのか、一筋縄ではいかない作品が並んでいます。1402は解説を見ないことには意味が取れなかった、でもいったんそういうことかと分かれば、親しみやすくなります。1403などは解説を見ても謎、だから印象に残ります。挽歌を見ると頭が下がります。 こと放けば沖ゆ放けなむ港より 辺著かふ時に放くべきものか  万1402 *距離をおくならば沖にいるときにそうして欲しかった。港に入って岸に着くときになって距離を取ろうというのはなんですか、いったい。  旋頭歌 御幣取り三輪の祝が斎ふ杉原 薪伐りほとほとしくに手斧取らえぬ  万1403 *幣で三輪の祝を捧げる杉原で薪伐りをしたので、あやうく手斧を取られるところでした。  挽歌 鏡なす我が見し君を阿婆の野の 花橘の玉に拾ひつ  万1404 *鏡のように私が大切にしていた貴方様。その貴方様のお骨を阿婆野の花橘の玉と思って拾いました。 秋津野を人の懸くれば朝撒きし 君が思ほえて嘆きはやまず  万1405 * 人が 秋津野と言うと、私は朝お骨を撒いた貴方様を思い出して嘆き悲しみが止まりません。 秋津野に朝居る雲の失せゆけば 昨日も今日もなき人思ほゆ  万1406 * 昨日も今日も 秋津野の朝の雲が消えるのを見ると、故人が思い出されてなりません。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 犬養 五十君  いぬかい の いきみ ? - 672天武天皇元年8月21日 飛鳥時代の人物。壬申の乱で大友皇子側の将。村国男依の軍に敗れて戦死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1394‐1401番歌(荒磯越す波は畏し)~アルケーを知りたい(1377)

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▼いろんな表現で自分の思いを伝える歌の数々。1397は全体は怖いけれどその中に好きなものがある、という困った気持ちを詠った作品。万葉の時代から、世の中、全部良い、というわけにはいかないのだ。  藻に寄す 潮満てば入りぬる磯の草なれや 見らく少く恋ふらくの多き  万1394 *滿潮になると見えなくなる磯の草のように、逢えないと気になることが多い。 沖つ波寄する荒磯のなのりそは 心のうちに障みとなれり  万1395 *沖の波が寄せる荒磯に生えているなのりそが、私の心の悩みになっています。 紫の名高の浦のなのりその 磯に靡かむ時待つ我れを  万1396 *名高の浦でなのりそが磯で靡いています。タイミングを見計らっている私です。 荒磯越す波は畏ししかすがに 海の玉藻の憎くはあらずて  万1397 *荒磯を越す波は恐ろしいです。でも海の玉藻は好ましいものです。  舟に寄す 楽浪の志賀津の浦の舟乗りに 乗りにし心常忘らえず  万1398 *志賀津の浦で舟に乗ったときの気持ちが忘れられません。 百伝ふ八十の島みを漕ぐ舟に 乗りにし心忘れかねつも  万1399 *島々の間を漕ぎ渡る舟に乗った心地は忘れられません。 島伝ふ足早の小舟風まもり 年はや経なむ逢ふとはなしに  万1400 *島を結ぶ船足の早い小舟があるんだけれど、風を待つ間が長すぎて、逢えなくなるのでしょうか。 水霧らふ沖つ小島に風をいたみ 舟寄せかねつ心は思へど  万1401 *水霧が出ている沖の小島は風が強いので舟を寄せにくいのですが、心は寄せています。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 秦 友足  はだ の ともたり ? - 672天武天皇元年8月7日 飛鳥時代の人物。壬申の乱で大友皇子側の将。村国男依の軍に鳥籠山で敗れて戦死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1388‐1393番歌(朝なぎに来寄る白波)~アルケーを知りたい(1376)

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▼今回の喩えの歌も好きに解釈しているけど、1391はどう解釈すれば良いか分からない歌。どういうことかというと、この歌の意味を「風が止む朝なぎのときに海岸に寄せる白波を見たいのだけれど、風が波を寄せてくれない」ととると、「いやそれはアンタが風がないときの白波を見たいといって朝凪のときに来たんでしょ、それなのに風が吹かないと文句をつけるのは、おかしいんじゃないの」とツッコミを入れたくなる。これは、私が1391の真意を分かってないからかなあ。 石そそき岸の浦みに寄する波 辺に来寄らばか言の繁けむ  万1388 *岸の岩に押し寄せる波。私の近くに寄せてきたら噂話がうるさくなるでしょう。 磯の浦に来寄る白波返りつつ 過ぎかてなくは誰れにたゆたへ  万1389 *磯の浦に打ち寄せる白波。繰り返すのは他ならない貴方様のためです。 近江の海波畏みと風まもり 年はや経なむ漕ぐとはなしに  万1390 *いくら近江の海の波が怖いといって、風向きをみてばかりいても漕ぎ出せませんよ。 朝なぎに来寄る白波見まく欲り 我れはすれども風こそ寄せね  万1391 *朝凪の時に寄せる白波を見たいのに、風が波を寄せてくれない。  浦の沙に寄す 紫の名高の浦の真砂地 袖のみ触れて寝ずかなりなむ  万1392 *名高の浦の真砂土には袖を触れるくらいで、寝転んだりまではしないなあ。 豊国の企救の浜辺の真砂地 真直にしあらば何か嘆けむ  万1393 *豊国にある企救の浜辺の真砂土は、素性が良いから何の問題もありません。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 境部 薬  さかいべ の くすり ? - 672天武天皇元年8月5日 飛鳥時代の人物。壬申の乱で大友皇子側の将。近江方面の会戦で村国男依の軍に敗北。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1382‐1387番歌(伏越ゆ行かましものを)~アルケーを知りたい(1375)

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▼1382や1385のように否定形を使う表現は、すっとアタマに入って来ない。いちど肯定形に転換しようとするからだろう。1387のように、グズグズしているからタイミングを失した、とストレートなほうが分かりやすい。でも和歌は分かりやすさだけを目指すものではない。感情の機微を表現するときは否定形が出てきてもおかしくないのだ。 泊瀬川流るる水沫の絶えばこそ 我が思ふ心遂げじと思はめ  万1382 *泊瀬川の流れがもし途絶えでもしたら、私の思いも遂げられないでしょう。 嘆きさば人知りぬべみ山川の たぎつ心を塞かへてあるかも  万1383 *嘆いたら人に知られるので、 山を 激しく流れる 川の ような思いを塞き止めています。 水隠りに息づきあまり早川の 瀬には立つとも人に言はめやも  万1384 *潜水中、息がきつくなって流れの速い瀬で立ちあがります。でも人に思いを言ったりはしません。  埋もれ木に寄す 真鉋持ち弓削の川原の埋れ木の あらはるましじきことにあらなくに  万1385 *弓削の川原の埋れ木が表に出て来ない、なんてことはありません。  海に寄す 大船に真楫しじ貫き漕ぎ出なば 沖は深けむ潮は干ぬとも  万1386 *大船の楫を突き出して漕ぎ出ましょう。潮が引いていても沖は深いでしょうから。 伏越ゆ行かましものをまもらふに うち濡らさえぬ波数まずして  万1387 *匍匐前進してでも行くべきだったのにぐずぐずしたからタイミングを失いました。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 竹田 大徳  たけだ の だいとく ? - ? 飛鳥時代の人物。出自は不明。672年、壬申の乱で高市皇子に従って都を脱した。仲間は、民大火、赤染徳足、大蔵広隅、坂上国麻呂、古市黒麻呂、胆香瓦安倍。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1376‐1381番歌(絶えず行く明日香の川の)~アルケーを知りたい(1374)

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▼今回の6首も、喩えで思っている人を詠う歌。  埴に寄す 大和の宇陀の真赤土のさ丹付かば そこもか人の我を言なさむ  万1376 *大和宇陀の真赤土の色がちょっと付いただけなのに、人は私のことを噂するのでしょう。  神に寄す 木綿懸けて祭るみもろの神さびて 斎むにはあらず人目多みこそ  万1377 *木綿の布を掛けて祭るみもろの神さまに仕えるフリをしているのではなく、人目が多いから目立たないようにしているのです。 木綿懸けて斎ふこの杜越えぬべく 思ほゆるかも恋の繁き に 万1378 *木綿の布を掛けて祭るこの杜を越えてしまいそうです。恋の気持ちゆえに。  川に寄す 絶えず行く明日香の川の淀めらば 故しあるごと人の見まくに  万1379 *明日香川の流れがもし淀んだら、 人は 何かあるに違いないと思うことでしょう。 明日香川瀬々に玉藻は生ひたれど しがらみあれば靡きあはなくに  万1380 *明日香川には瀬ごとに玉藻が生えています。でも柵があるので、靡き合えません。 広瀬川袖漬くばかり浅きをや 心深めて我が思へるらむ  万1381 *広瀬川は袖が濡れるくらいの浅さなんですけど、心は深くものを思っています。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 古市 黒麻呂  ふるいち の くろまろ ? - ? 飛鳥時代の人物。百済系の渡来氏族。672年、壬申の乱で高市皇子に従って都を脱した。仲間は、民大火、赤染徳足、大蔵広隅、坂上国麻呂、竹田大徳、胆香瓦安倍。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7