投稿

1月, 2025の投稿を表示しています

万葉集巻第九1744‐1746番歌(埼玉の小埼の沼に)~アルケーを知りたい(1422)

イメージ
▼今回の三首は 高橋虫麻呂 が埼玉と茨城で詠んだ歌。 藤原宇合 の部下として、武蔵の国に出張していた時の歌。  武蔵の小埼の沼の鴨を見て作る歌一首 埼玉の小埼の沼に鴨ぞ翼霧る おのが尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし  万1744 *埼玉の小埼の沼にいる鴨が翼をぶるっとさせています。自分の尻尾に降りた霜を掃っているのだな。  那賀の郡の曝井の歌一首 三栗の那賀に向へる曝井の 絶えず通はむそこに妻もが  万1745 *三栗の那賀の向かいにある水あふれる井戸。ここにはしょっちゅう通いたいものよ、そこに妻がいてくれたら良いのに。  手綱の浜の歌一首 遠妻し多珂にありせば知らずとも 手綱の浜の尋ね来なまし  万1746 *もし遠くにいる妻が多珂にいれば、道を知らなくても「手綱の浜」のように尋ねて行くのに。 【似顔絵サロン】 高橋 虫麻呂  たかはし の むしまろ ? - ? 奈良時代の歌人。高橋連は物部氏の一族。 藤原 宇合  ふじわら の うまかい 694 - 737 奈良時代の公卿。藤原不比等の三男。藤原四兄弟の三男。藤原式家の祖。 740年、藤原広嗣の乱の関係者: 藤原 広嗣  ふじわら の ひろつぐ ? - 740 奈良時代の貴族。藤原式家の祖・藤原宇合の長男。朝廷に対し乱を起こすも鎮圧され斬刑。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1740‐1741番歌(常世辺に住むべきものを)~アルケーを知りたい(1421)

イメージ
▼今回は、おとぎ話の浦島太郎の万葉版。1740番の話から教訓を引き出すとすれば、過去に戻るな、かな。神も人も、見るな開けるなと言われると、必ず反対のことをする。そしてトラブルになる。そういうの行動を1741番で、 おそやこの君 (愚かな人だよ)と総括される。   水江の浦の島子 を詠む一首 幷せて短歌 春の日の 霞める時に 住江の 岸に出で居て 釣舟の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江の 浦の島子が 鰹釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海境を 過ぎて漕ぎ行くに 海神の 神の女に たまさかに い漕ぎ向ひ 相とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り  海神の 神の宮の  内のへの 妙なる殿に たづさはり ふたり入り居て 老いもせずして 長き世に ありけるものを 世間の  愚か人の  我妹子に 告りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告らひ 明日のごと 我れは来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この櫛笥 開くなゆめと そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年の間に 垣もなく 家失せめやと この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 臥いまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失せぬ 若くありし 肌も皺みね 黒くありし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける 水江の 浦の島子が 家ところ見ゆ 万1740  反歌 常世辺に住むべきものを剣太刀 汝が心からおそやこの君  万1741 *せっかく永遠に生きられる環境にいたのに、この人は自分の愚かさでこの結果。 【似顔絵サロン】 水江の浦の島子 高橋 虫麻呂  たかはし の むしまろ ? - ? 奈良時代の歌人。高橋連は物部氏の一族。今回の1740番と1741番「水江の浦の島子を詠む一首 幷せて短歌」は高橋連虫麻呂歌集にあるそうな。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1735‐1737番歌(山高み白木綿花に落ちたぎつ)~アルケーを知りたい(1420)

イメージ
▼今回は川を詠った作品3首。1735はカエルが登場する。カエルが歌に出ると、歌の面白みがマシマシなる気がする。1736に出てくる綿花を見たことがないので、日本にはコットンがあったのかと思った。不明を恥じる。   伊保麻呂 が歌一首 我が畳三重の川原の磯の裏に かくしもがもと鳴くかはづかも  万1735 *三重の川原の磯の裏蔭で、いつまでもこうしていたいよとカエルが鳴いています。   式部の大倭 、吉野にして作る歌一首 山高み白木綿花に落ちたぎつ 菜摘みの川門見れど飽かぬかも  万1736 *高い山から白い綿花が勢いよく落ちて散っているような菜摘川。この川の渡り場はいくら見ても見飽きることがありません。  兵部の 川原 が歌一首 大滝を過ぎて菜摘に近づきて 清き川瀬を見るがさやけさ  万1737 *大滝を通過して菜摘に近づいています。清らかな川瀬を見るとすがすがしい気持ちになります。 【似顔絵サロン】 伊保麻呂  いほまろ ? - ? 奈良時代の歌人。 大和 長岡  やまと の ながおか 689 - 769 奈良時代の貴族・明法家。万1736 川原  かはら ? - ? 兵部省の官吏。万1737 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1732‐1734番歌(思ひつつ来れど来かねて)~アルケーを知りたい(1419)

イメージ
▼万葉の和歌を見ていると、当時の人は移動に舟をよく使っていたようだ。今回の3首もそう。1732番は夜間の運航、1733と1734番は陸が見える距離で運航してるんだと分かる。風と人力なので、エンジン音もなく、静かに進んでいたのだろう。   碁師 が歌二首 大葉山霞たなびき夜更けて 我が舟泊てむ泊り知らずも  万1732 *大葉山に霞がたなびいて夜も更けようとしています。私の舟はどこに停泊するのでしょう、まだ分からないのですけど。 思ひつつ来れど来かねて三尾の崎 真長の浦をまたかへり見つ  万1733 *気になりつつも通り過ぎましたが、やはり気になって三尾の崎や真長の浦を振り返って見ました。   小弁 が歌一首 高島の安曇の港を漕ぎ過ぎて 塩津菅浦今か漕ぐらむ  万1734 *高島の安曇の港を通り過ぎて、今頃は塩津菅浦あたりを漕ぎ進めているのでしょう。 【似顔絵サロン】 碁師  ごし ? - ? 囲碁の専門家。 小弁  しょうべん ? - ? 万葉の歌人。小弁は役職名。太政官の左右小弁の職。  〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1726‐1727番歌(あさりする人とを見ませ)~アルケーを知りたい(1418)

イメージ
▼今回は対話形式の二首。男が若い女性に声をかける「ヘイ、お名前なんちゅーの」、若い女性は受け流す「知らない人には教えてやんない」といった格好。   丹比真人 が歌一首 難波潟潮干に出でて玉藻刈る 海人娘子ども汝が名告らさね  万1726 *難波の干潟で玉藻を刈っている漁師の娘さんよ、お前さんのお名前は何という?  和ふる歌一首 あさりする人とを見ませ草枕 旅行く人に我が名は告らじ  万1727 *ははは(笑)。ただの漁師ですからお見過ごしください。通りすがりのお方に名乗るほどの者ではございません。 【似顔絵サロン】 丹比真人 屋主 たぢひのまひとやぬし ? - ? 奈良時代の貴族・歌人。乙麻呂の父親。 丹比真人 乙麻呂 たぢひのまひとおとまろ ? - ? 屋主の次男。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1720‐1725番歌(馬並めて打ち群れ越え来)~アルケーを知りたい(1417)

イメージ
▼吉野川を詠う三首。1720の「 馬並めて」は好きな言葉。なぜかというと馬を並べている姿が絵になるから。次の二つの歌は否定形の言葉「飽かなく」「見ず」が入っているのに、良い感じで伝わる。これは、上手な否定形の使い方をしているからに違いない、と思ふ。1723と1724は「AだからB」型で、読んで?となる捻りのない表現が好き。   元仁 が歌三首 馬並めて打ち群れ越え来今日見つる 吉野の川をいつかへり見む  万1720 *仲間と馬を並べてやってきて今日見た吉野の川。次はいつ見られるだろうか。 苦しくも暮れゆく日かも吉野川 清き川原を見れど飽かなくに  万1721 *残念ながら日が暮れていく。吉野川の清い川原はいつまで見ても飽きないのに。 吉野川川波高み滝の浦を 見ずかなりなむ恋しけまくに  万1722 *吉野川の川波が高いので滝の浦を見ないままになりそう。そうなると後で恋しくなるでしょう。   絹 が歌一首 かはづ鳴く六田の川の川楊の ねもころ見れど飽かぬ川かも  万1723 *カエルが鳴く六田川。いくら眺めても見飽きない川です。   島足 が歌一首 見まく欲り来しくもしるく吉野川 音のさやけさ見るにともしく  万1724 *吉野川を見たくてやって来ました。川の流れる音のさわやかなこと。ますます心惹かれます。  麻呂が歌一首 いにしへの賢しき人の遊びけむ 吉野の川原見れど飽かぬかも  万1725  右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *昔の賢人たちがレジャーに来たという吉野の川原は、いくら見ても見飽きることがありません。 【似顔絵サロン】 元仁  がんにん ? - ? 万葉の歌人・法師・学者。万1720 絹  きぬ ? - ? 万葉の歌人。万1723 島足  しまたり ? - ? 万葉の歌人。万1724 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1717‐1719番歌(照る月を雲な隠しそ)~アルケーを知りたい(1416)

イメージ
▼今回は、不在を詠った三首。川でしっかり仕事をした・・・けれども濡れた服を乾かしてくれる人がいない、と詠う1717番。 寂しさが伝わる。声をかけあって舟を進めていた船頭たちの声が聞こえなくなった、どこかの港に着いた、と詠う1718番。 ここにはもう船頭の声も舟の姿もない静けさが伝わる。照る月を雲よ隠さないで、と詠う1719番。月の光の足らなさが伝わる。   春日 が歌一首 三川の淵瀬もおちず小網さすに 衣手濡れぬ干す子はなしに  万1717 *三川の淵にも瀬にもしっかり網を張ったので服の袖が濡れてしまった。けれど乾かしてくれる人はいない。   高市 が歌一首 率ひて漕ぎ去にし船は高島の 安曇の港に泊てにけむかも  万1718 *声を掛け合って漕ぎ去っていった舟。今頃は高島の安曇港に停泊していることだろう。   春日蔵 が歌一首 照る月を雲な隠しそ島蔭に 我が舟泊てむ泊り知らずも  万1719  右の一首は、或本には「 小弁 が作」といふ。 或いは姓氏を記せれど名字を記すことなく、或いは名号を稱へれど姓氏を稱はず。 しかれども、古記によりてすなはち次をもちて載す。 すべてかくのごとき類は、下みなこれに倣へ。 *雲よ、照っている月を隠さないでおくれ。私の舟が島のどこに泊まれば良いか分からないから。 【似顔絵サロン】 春日倉 老  かすがのくら の おゆ 670 - 720 飛鳥時代~奈良時代の僧・貴族・歌人。 高市 黒人  たけち の くろひと ? - ? 持統・文武両朝の官人・歌人。 小弁  しょうべん ? - ? 万葉の歌人。万1719 太政官の左右小弁の職にあった者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1712‐1715番歌(落ちたぎち流るる水の)~アルケーを知りたい(1415)

イメージ
▼今回は、月、鳥、風を詠った作品4首。捻りや匂わせがなくこうだからこうだ、という真っすぐな歌い方がいいなあ、素敵だなあ。  筑波山に登りて月を詠む歌一首 天の原雲なき宵にぬばたまの 夜渡る月の入らまく惜しも  万1712 *天一面雲のない夜なので、月が地平に沈んでしまうのが惜しい。  吉野の離宮に幸す時の歌二首 滝の上の三船の山ゆ秋津辺に 来鳴き渡るは誰れ呼子鳥  万1713 *滝の上に見える三船山から秋津に来て鳴いている鳥。誰を呼んでいるのか、呼子鳥。 落ちたぎち流るる水の岩に 触れ淀める淀に月の影見ゆ  万1714  右の三首は、作者未詳。 *滝から落ちて流れる水が岩で淀んでいる。その水面に月が写っているのが見える。   槐本 が歌一首 楽浪の比良山風の海吹けば 釣りする海人の袖返る見ゆ  万1715 *比良山から 風が 海へ吹くと、漁をしている海人の袖が翻っているのが見える。 【似顔絵サロン】 槐本  つきもと ? - ? 万葉の歌人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1706‐1709番歌(山背の久世の鷺坂)~アルケーを知りたい(1414)

イメージ
▼1706の「 衣手」は歌の中でどんな役をしているのか解釈できなかった。現代の解釈者も?と思っているんじゃないかと思ひたい。そこにいくと1707は分かりやすい。1708は、「なぜ、どうして」と思ふし、1709は「そんなことを言われても・・・」と思ふ。時代を越えて人の心を動かす万葉の歌である。  舎人皇子の御歌一首 ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手を 高屋の上にたなびくまでに  万1706 *夜の霧が立ちこめています。塔の屋根の上までたなびくほどに。  鷺坂にして作る歌一首 山背の久世の鷺坂神代より 春は萌りつつ秋は散りけり  万1707 *山背の久世の鶯坂は、昔の神の時代から、春は木々の葉が萌え出し、秋は散り落ちます。  泉川の辺にして作る歌一首 春草を馬咋山ゆ越え来なる 雁の使は宿り過ぐなり  万1708 *馬咋山を越えて来た雁たちは、ここで宿ることなく飛び去っていきます。  弓削皇子に献る歌一首 御食向ふ南淵山の巌には 降りしはだれか消え残りたる  万1709  右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づるところなり。 *南淵山の岩に降り積もった雪は消えてしまったろうか、それとも、残っているのだろうか。 【似顔絵サロン】 舎人親王  とねりしんのう 676 - 735 天武天皇の皇子。政治家・歌人。720年、『日本書紀』編集の総裁。729年、長屋王の変では、新田部親王らと共に罪を糾問。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1701‐1705番歌(雲隠り雁鳴く時は)~アルケーを知りたい(1413)

イメージ
▼ふだんの生活でも、空を見る、月を見る、大事かも知れないなと思ふ。1701などは、夜中に月を見て雁の鳴き声まで聞いているんだから、心のゆとりがないとできるこっちゃない。心の姿勢を自問するのにちょうど良い歌5首。   弓削皇子 に献る歌三首 さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の 聞こゆる空ゆ月渡る見ゆ  万1701 *夜が更けて真夜中になったようです。雁の鳴き声が聞こえる空で月が動いています。 妹があたり繁き雁が音夕霧に 来鳴きて過ぎぬすべなきさまでに  万1702 *妻の家のあたりで雁がよく鳴いています。その雁が夕霧に紛れてこちらに来て鳴いているのを聞くと悲しい気持ちになります。 雲隠り雁鳴く時は秋山の 黄葉片待つ時は過ぐとも  万1703 *雲に隠れて雁が鳴くのを聞くと秋山の黄葉がひたすら待ち遠しくなります。黄葉の時期は雁の後なんですけど。  舎人皇子に献る歌二首 ふさ手折り多武の山霧繁みかも 細川の瀬に波の騒ける  万1704 *多武の山霧が濃いからでしょうか、細川の瀬の波音がいっそう高いようです。 冬こもり春へを恋ひて植ゑし木の 実になる時を片待つ我れぞ  万1705 *冬の間、春が来るのを待って植えた木。その木が実をつける時をひたすら待っている私です。 【似顔絵サロン】 弓削皇子  ゆげのみこ 673 - 699 天武天皇の皇子。高市皇子薨去後の皇嗣選定会議で発言しようとして葛野王に叱責された。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1696‐1700番歌(家人の使にあらし)~アルケーを知りたい(1412)

イメージ
▼今回の歌も柿本人麻呂歌集からのセレクト。1696から1698は家から離れたところにいる作者と自宅の妻との無言の会話の歌。自宅からの連絡を春雨に喩えてあれこれ呟いた歌。おかしみを感じる。  名木川にして作る歌一首 衣手の名木の川辺を春雨に 我れ立ち濡ると家思ふらむか  万1696 *名木の川辺にいるとき春雨に逢って濡れてしまった。家の者は分かっているだろうか。 家人の使にあらし春雨の 避くれど我れを濡らさく思へば  万1697 *この 春雨は、 家からの使いじゃないでしょうね。避けても避けても濡れてしまうんだけど。 あぶり干す人もあれやも 家人の春雨すらを間使にする  万1698 *あぶって干してくれる人がいるとでも思っているのでしょうか。家の者は春雨も使いにして私に家に帰れと言っているようだ。  宇治川にして作る歌二首 巨椋の入江響むなり射目人の 伏見が田居に雁渡るらし  万1699 *巨椋の入江から何か音が聞こえます。伏見の田居で雁が渡る音らしい。 秋風に山吹の瀬の鳴るなへに 天雲翔る雁に逢へるかも  万1700 *秋風が山吹の瀬で音を立てて鳴るとき、天を飛び渡る雁と遭遇しました。 【似顔絵サロン】 山部 赤人  やまべ の あかひと 700 - 736 奈良時代の宮廷歌人。大伴家持は和歌の学びの道を「山柿之門」と称した。紀貫之は「人麻呂は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麻呂が下に立たむことかたくなむありける」と位置づけた。 わが背子に見せむと思ひし梅の花 それとも見えず雪の降れれば  万1426 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1690‐1695番歌(旅にあれば夜中をさして)~アルケーを知りたい(1411)

イメージ
▼今回は6首。いずれも柿本人麻呂歌集にある旅先の心情を詠う歌。 人麻呂歌集には、 自作と人麻呂が良いなと思った歌と両方あるという。1690は騒々しさと寂しさの対比、1691は理想と現実の対比、コントラストの付け方が面白い。  高島にして作る歌二首 高島の安曇川波は騒けども 我れは家思ふ宿り悲しみ  万1690 *滋賀県の高嶋の安曇川は波立って騒々しいけれど、私は旅の宿で家を思い出して悲しい気持ち。 旅にあれば夜中をさして照る月の 高島山に隠らく惜しも  万1691 *旅の途中、夜の 月は ありがたいのだけれど、今は残念ながら高島山に隠れている。  紀伊の国にして作る歌二首 我が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に 衣片敷きひとりかも寝む  万1692 *私の愛する妻と逢えないまま玉の浦で一人寝の寂しさよ。 玉櫛笥明けまく惜しきあたら夜を 衣手離れてひとりかも寝む  万1693 *明けるのが惜しい夜なのに、一人で寝ています。  鷺坂にして作る歌一首 栲領巾の鷺坂山の白つつじ 我れににほほに妹に示さむ  万1694 *鷺坂山の白つつじよ、私をその色で染めてくれ。妻に見せようと思うから。  泉川にして作る歌一首 妹が門入り泉川の常滑に み雪残れりいまだ冬かも  万1695 *泉川のつるつるした苔に雪が残っています。いまだに冬なのですね。 【似顔絵サロン】 柿本 人麻呂  かきのもと ひとまろ 645 - 724 飛鳥時代の歌人。紀貫之は人麻呂を歌聖 (うたのひじり) と呼ぶ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1685‐1689番歌(あぶり干す人もあれやも)~アルケーを知りたい(1410)

イメージ
▼ 1685と1686は 間人大浦(はしひとのおおうら)という人の歌。歌を見るに、 間人はとても素直な性格の人ではないか、という気がする。古今集の仮名序に、古代の帝は侍臣の 歌から それぞれの心を御覧になった、というくだりがあるけど、確かに歌にはその人物像がにじみ出るのだろう。 ▼1688は旅先から洗濯物を家に送っちゃろうか、という歌。長旅おつかれさまです。  泉川の辺にして 間人宿禰 が作る歌二首 川の瀬のたぎちを見れば玉かも 散り乱れたる川の常かも  万1685 *川の瀬で水が飛び散る様子は玉のよう。水が散り乱れる川ではいつものことだけど。 彦星のかざしの玉し妻恋ひに 乱れにけらしこの川の瀬に  万1686 *まるで彦星のかんざしの玉のよう。妻恋しさでこの川の瀬で散り乱れているのでしょう。  鷺坂にして作る歌一首 白鳥の鷺坂山の松蔭に 宿りて行かな夜も更けゆくを  万1687 *白鳥の鷺坂山の松蔭で野宿しましょう。夜も遅くなってきましたから。  名木川にして作る歌二首 あぶり干す人もあれやも濡れ衣を 家には遣らな旅のしるしに  万1688 *ここには濡れた服を乾かしくれる人がいないから、家に送ろうかな、旅の記念に。 あり布のへつきて漕がに杏人の 浜を過ぐれば恋しくありなり  万1689 *体にフィットする服のように 舟を 岸に沿って漕いでください。杏人浜を過ぎると恋しくなるでしょうから。 【似顔絵サロン】 間人 大浦  はしひとのおおうら ? - ? 文武朝頃の役人。間人宿禰は、天皇と臣下、または異国人との間をとりつぐ職掌の伴造氏族。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1680‐1684番歌(春山は散り過ぎぬとも)~アルケーを知りたい(1409)

イメージ
▼1680と1681は出張中の夫を妻が案じている歌。1682は仙人を描いた屏風でも見ながらの歌のよう。1683と1684は花が咲いていようが散っていようが歌にできる例。  後人の歌二首 あさもよし紀伊へ行く君が真土山 越ゆらむ今日ぞ雨な降りそね  万1680 *紀伊の国に行く貴方様が今日は真土山を越える予定です。雨よ、降ってくれるな。 後れ居て我が恋ひ居れば白雲の たなびく山を今日か越ゆらむ  万1681 *貴方様が出かけたので恋しがっております。貴方様は今日あたり白雲がたなびく山を越えていらっしゃるのでしょうか。   忍壁皇子 に献る歌一首 仙人の形を詠む とこしへに夏冬行けや裘 (かはごろも) 扇 放たぬ山に住む人  万1682 *永遠に夏と冬が同時に来るので、仙人は革コートとうちわを手放さないのですね。   舎人皇子 に献る歌二首 妹が手を取りて引き攀ぢふさ手折り 我がかざすべく花咲けるかも  万1683 *妻の手を取るような調子でぐいと引き寄せて手折り簪にしたくなるほど花が咲いています。 春山は散り過ぎぬとも三輪山は いまだふふめり君待ちかてに  万1684 *春山の花は散ってしまいました。けれど三輪山はまだ蕾のままで貴方様を待っています。 【似顔絵サロン】 忍壁皇子  おさかべ の みこ ? - 705 天武天皇の皇子。大宝律令の筆頭の編纂者。 舎人皇子  とねりしんのう 676年 - 735 天武天皇の皇子。政治家・歌人。729年、長屋王の変で罪を糾問。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1675‐1679番歌(紀伊の国の昔弓雄の)~アルケーを知りたい(1408)

イメージ
▼万葉時代の人が衣手が濡れると表現すると、悲しみの気持ちを表す表現だ、ということがだんだん分かってきた。袖が濡れるまで涙が出るだろうかと疑問に思っていたけど、それほど悲しいという譬喩。いちいち文字通り受け取る無粋な自分、我が衣手は濡れにけるかも。 藤白の御坂を越ゆと白栲の 我が衣手は濡れにけるかも  万1675 *藤白の御坂を越えるというので、悲しくて私の衣の袖が涙で濡れました。 背の山に黄葉常敷く神岳の 山の黄葉は今日か散るらむ  万1676 *背の山はいつも黄葉が散り積もっています。神岳の山の黄葉は今日も散っていることでしょう。 大和には聞こえも行くか大我野の 竹葉刈り敷き廬りせりとは  万1677 *大和にいる人には伝わっているでしょうか。大我野で竹の葉を刈り取って作った廬で野宿する話は。 紀伊の国の昔弓雄の鳴り矢もち 鹿取り靡べし坂の上にぞある  万1678 *紀伊の国で昔、弓雄が鳴り矢を持って敵を掃討したその坂の上にいますよ。 紀伊の国にやまず通はむ妻の杜 妻寄しこせに妻といひながら   一には「妻賜はにも妻といひながら」といふ  万1679  右の一首は、或いは「 坂上忌寸人長 が作」といふ。 *紀伊の国には止むことなく通いましょう。妻の杜の神様よ、私に妻を連れてきてください。妻という名前がついているからには。 【似顔絵サロン】 坂上 人長  さかのうえのひとおさ ? - ? 持統・文武両朝の官人・歌人。文武天皇の紀伊行幸に従駕。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1670‐1674番歌(朝開き漕ぎ出て我れは)~アルケーを知りたい(1407)

イメージ
▼今回は、海、海岸の歌。船で海に出て陸を眺めている歌。海岸の波や松原を詠う歌。白、黒、紅の文字もありカラフル。1670は釣りする海人を見たい、という。見るだけのものがあったのだろう。歌を見て似たような風景を見たくなる。海の香りをかぎたくなる。 朝開き漕ぎ出て我れは由良の崎 釣りする海人を見て帰り来む  万1670 *早朝に船出して由良の崎で釣りをする漁師の姿を見てから帰りましょう。 由良の崎潮干にけらし白神の 磯の浦みをあへて漕ぐなり  万1671 *由良の崎はいま干潮らしい。白神の磯の浦を苦労して漕いでいる。 黒牛潟潮干の浦を紅の 玉裳裾引き行くは誰が妻  万1672 *黒牛潟の潮が引いたとき、紅のスカートをひるがえしながら歩いているのは誰の奥さんだろうか。 風莫の浜の白波いたづらに ここに寄せ来る見る人なしに   一には「ここに寄せ来も」といふ  万1673  右の一首は、山上臣憶良が類聚歌林には「 長忌寸意吉麻呂 、詔に応へてこの歌を作る」といふ。 *風莫の浜で白波がしきりに立っている。ここに見に来る人もいないのに。 一には「ここに波が寄せ来ても見に来る人はいないのに」 我が背子が使来むかと出立の この松原を今日か過ぎなむ  万1674 *夫からの使いを妻が門に出て待つという「出立の松原」を今日、通り過ぎます。 【似顔絵サロン】 長忌寸意吉麻呂  ながのいみきおきまろ ? - ? 持統・文武両朝の官人・歌人。渡来系。宴席のとき即興で歌を作る名人。一二の目のみにはあらず五六三四さへありけり双六の采 万3829 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第九1665‐1669番歌(朝霧に濡れにし衣)~アルケーを知りたい(1406)

イメージ
▼1665と1667に出てくる玉は、岸辺の貝、あるいは丸くなった白い石。作者が贈り物に、と思って拾う歌。 ▼ 1668は白崎という場所に、1669は 南部浦の潮に、まるで場所や潮が言葉が分かるかのように 呼びかけている歌。  岡本の宮に天の下知らしめす天皇の紀伊の国に幸す時の歌二首 妹がため我れ玉拾ふ 沖辺なる玉寄せ持ち来沖つ白波  万1665 *妻への贈り物にと思って玉を拾っています。白波が沖から岸辺に持って来た 玉 です。 朝霧に濡れにし衣干さずして ひとりか君が山道越ゆらむ  万1666  右の二首は、作者未詳。 *朝の霧で湿った衣を干さないまま、私の夫は独りで山道を超えているのでしょう。  大宝元年辛丑の冬の十月に、太上天皇・大行天皇、紀伊の国に幸す時の歌十三首 妹がため我れ玉求む沖辺なる 白玉寄せ来沖つ白波  万1667  右の一首は、上に見ゆることすでに畢りぬ。ただし、歌辞少しく換り、年代相違ふ。よりて累ね載す。 *妻のために私は玉を探しています。沖にある白玉を白波が岸に運んでくれるのです。 白崎は幸くあり待て大船に 真楫しじ貫きまた帰り見む  万1668 *白崎はそのままでいて欲しい。大型船の船旅から戻ったときにまた見たいから。 南部の浦潮な満ちそね 鹿島にある釣りする海人を見て帰り来む  万1669 *南部浦の潮よ、満ちないでおくれ。鹿島で釣りをする漁師を見て帰りたいから。 【似顔絵サロン】 皇極天皇  こうぎょくてんのう 594 - 661 第35代天皇。皇極天皇としての在位:642年2月19日 - 645年7月12日。第37代天皇。斉明天皇としての在位:655年2月14日 - 661年8月24日。舒明天皇の皇后。天智天皇・天武天皇の母親。 持統天皇  じとうてんのう 645 - 703 第41代天皇。中大兄皇子の娘。天武天皇の皇后。 文武天皇  もんむてんのう 683 - 707 第42代天皇。父親は草壁皇子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9

万葉集巻第八1656‐1659番歌(酒坏に梅の花浮かべ)~アルケーを知りたい(1405)

イメージ
▼ 梅の花から見ると、 1656で「散りぬともよし」と言われ、次の1657では「散りこすなゆめ」と言われる。梅の花にしてみれば「私はいったいどうすれば良いのでしょうか」となる歌2首。 面白い。  大伴坂上郎女が歌一首 酒坏に梅の花浮かべ思ふどち 飲みての後は散りぬともよし  万1656 *盃に梅の花を浮かべて、仲の良い仲間同士でパーティをします。それが終わった後なら、花は散ってよろしい。  和ふる歌一首 官にも許したまへり今夜のみ 飲まむ酒かも散りこすなゆめ  万1657  右は、酒は官に禁制して「京中の閭里、集宴すること得ず。ただし、親々一二飲楽することは聴許す」といふ。これによりて和ふる人この発句を作る。 *お役所のお許しが出たので、飲める機会は今夜だけではあるまいよ。だから、梅の花よ、まだまだ 散らないで欲しい。  藤堂后、天皇 ( 聖武天皇 ) に奉る御歌一首 我が背子とふたり見ませばいくばくか この降る雪の嬉しくあらまし  万1658 *夫と一緒に眺められれば、この降る雪が どんなにか 嬉しいことでしょう。  他田広津娘子が歌一首 真木の上に降り置ける雪のしくしくも 思ほゆるかもさ夜問へ我が背  万1659 *真木の上に雪がしきりに降りしきっています。ますます今夜、貴方様においでいただきたい気持ちです。 【似顔絵サロン】 聖武天皇  しょうむてんのう 701 - 756 第45代天皇。父親は文武天皇、母親は藤原不比等の娘・宮子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1651‐1654番歌(梅の花折りも折らずも)~アルケーを知りたい(1404)

イメージ
▼沫雪は何だ?と思って調べると泡のようにふわっとした雪を言うらしい。1651は、ふわっとした雪が降り続くので梅の初花を見逃して散ってしまうよお、と困っている感じのようだ。1652と1653は、読み手に、なにかありました?と伺いたくなるくらい、歌の裏に真情がありそうに響く。1654に出てくる浅茅は何だ?と思って調べてみたら、 屋根をふくのに使う草で枯れる前がススキ、枯れた後が 茅( カヤ ) 。 茅に浅がつくと、短い茅とか、まばらに生えてる茅のこと。子どもの頃、茅の葉で手を切って痛かった。あの長い葉の縁はナイフみたいで要注意です。  大伴 坂上郎女 が歌一首 沫雪のこのころ継ぎてかく散らば 梅の初花散りてか過ぎなむ  万1651 * このところ 沫雪が降り続いています。この調子では梅の初花が散ってしまいそうです。  他田広津娘子が梅の歌一首 梅の花折りも折らずも見つれども 今夜の花になほ及かずけり  万1652 *これまで 梅の花を見ては 折ったり折らなかったりしてきました。でも今夜の見事な花には及びません。  県犬養娘子、梅に寄せて思ひを発す歌一首 今のごと心を常に思へらば まづ咲く花の地に落ちめやも  万1653 *今のように平常心を保っていましたら、早咲きの花が地面に落ちるようなことはないでしょう。  大伴坂上郎女が雪の歌一首 松蔭の浅茅の上の白雪を 消たずて置かむことはかもなき  万1654 *松の木陰の浅茅の上に積もった白雪が見事です。消えずそのままにしておけないのが残念です。 【似顔絵サロン】 大伴 安麻呂  おおとも の やすまろ 640 - 714 飛鳥時代~奈良時代の公卿・歌人。坂上郎女の父。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8