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万葉集巻第八1570‐1573番歌(春日野にしぐれ降る見ゆ)~アルケーを知りたい(1397)

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▼昨夜から雨。1570の応用で、ここにありて銀座やいづち雨障み出て行かねば恋ひつつぞ居る。1571の応用、調布ヶ丘にしぐれ降る見ゆ明日よりは黄葉かざさむ深大寺の山。地名を織り込むと身近になるなあ。ついでに1573の応用、冬の雨に濡れたくあらずいやしかど我が妹がやどし出ていかずかも。   藤原朝臣八束 が歌二首 ここにありて春日やいづち雨障み 出でて行かねば恋ひつつぞ居る  万1570 *ここからみて春日はどの方向にあるでしょうか。雨で外出がままならず恋しい気持ち。 春日野にしぐれ降る見ゆ明日よりは 黄葉かざさむ高円の山  万1571 *春日野に時雨が降るのが見えます。明日から 高円の山 は黄葉するでしょう。  大伴家持が白露の歌一首 我がやどの尾花が上の白露を 消たずて玉に貫くものにもが  万1572 *我が家の尾花に降りた白露を消さないで数珠玉にできないものかな。   大伴利上 が歌一首 秋の雨に濡れつつ居ればいやしかど 我が妹がやどし思ほゆるかも  万1573 *秋の雨に濡れると、質素ですけど妻の家が恋しく思えてきます。 【似顔絵サロン】 藤原 真楯  ふじわら の またて 初名は 八束  やつか 715 - 766 奈良時代の公卿。藤原北家の祖・藤原房前の三男。 大伴 村上  おおともの むらかみ ? - ? 奈良時代の官吏。利上は村上の誤り。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1555‐1559番歌(秋立ちて幾日もあらねば)~アルケーを知りたい(1396)

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▼万葉の時代の人は寒さ耐性が今の人よりも強かったに違いない、と思ふ。今は暖房もあり、服も防寒と保温性も高いおかげで助かるわーと思ふ。1558に「思ふどち」という大好きキーワードがあって、いい味出している。   安貴王 が歌一首 秋立ちて幾日もあらねばこの寝ぬる 朝明の風は手本寒しも  万1555 *立秋を過ぎて幾日も経ってないのに、 目を覚ますと 朝、 風で袖口が寒いです。   忌部首黒麻呂 が歌一首 秋田刈る仮廬もいまだ壊たねば 雁が音寒し霜も置きぬがに  万1556 *秋の稲刈り用の小屋を 撤去しないうちから、雁が寒々しく鳴いて霜が下りそうです。  故郷の豊浦の寺の尼の私房にして宴する歌三首 明日香川行き廻る岡の秋萩は 今日降る雨に散りか過ぎなむ  万1557  右の一首は 丹比真人国人 *明日香川に沿うように生えている岡の秋萩は、今日の雨で散り果ててしまうでしょう。 鶉鳴く古りにし里の秋萩を 思ふ人どち相見つるかも  万1558 *鶉の鳴き声が響くなか、古びた里の秋萩を気の合った者同士で眺めました。 秋萩は盛り過ぐるをいたづらに かざしに挿さず帰りなむとや  万1559  右の二首は沙弥尼等。 *秋萩の盛りが過ぎましたが、このまま簪に挿すこともなくお帰りですか。 【似顔絵サロン】 安貴王  あきおう 690 - ? 奈良時代の皇族。父親は 春日王。 息子が市原王。 忌部 黒麻呂  いんべ の くろまろ ? - ? 奈良時代の官人。歌人。 丹比国人  たぢひのくにひと ? - ? 奈良時代の官吏。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1551‐1554番歌(夕月夜心もしのに)~アルケーを知りたい(1395)

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▼時雨と紅葉、露とコオロギ、組合せの良き。1553の「あまねく色づきにけり」に答える1554の「 散りか過ぎなむ 」はどう解釈すると良いのだろう。せっかく色づいたよ、と言っているのだから、散ってしまうのが心配、くらいの答えだと良いのかも。   市原王 が歌一首 時待ちて降りししぐれの雨やみぬ 明けむ朝か山のもみたむ  万1551 *時を待ったように時雨がやみました。明日の朝は山が紅葉するでしょう。                                                                                  湯原王 が蟋蟀の歌一首 夕月夜心もしのに白露の 置くこの庭にこほろぎ鳴くも  万1552 *夕月の夜、心がしおれる時、露のが降りた庭でコオロギが鳴いています。  衛門大尉 大伴宿禰稲公 が歌一首 しぐれの雨間なくし降れば御笠山 木末あまねく色づきにけり  万1553 *休みなく降った 時雨のおかげ で御笠山の木々はすべて紅葉しました。  大伴家持が和ふる歌一首 大君の御笠の山の黄葉は 今日のしぐれに散りか過ぎなむ  万1554 *大君の御笠という名の御笠山の黄葉は、今日の時雨で散ってしまいそうです。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 田辺 小隅  たなべ の おすみ ? - ? 飛鳥時代の人物。672年の壬申の乱では大友皇子側。倉歴道を守っていた田中足麻呂に夜襲をかけて敗走させる。 市原王  いちはらおう 719 - ? 奈良時代の皇族。安貴王の子。大伴家持と交流。 湯原王  ゆはらおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族・歌人。天智天皇の孫。志貴皇子の子。 大伴 稲公  おおとも の いなきみ ? - ? 奈良時代の貴族。父親は大伴安麻呂。旅人の弟、宿奈麻呂の兄。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二...

万葉集巻第八1547‐1550番歌(咲く花もをそろはうとし)~アルケーを知りたい(1394)

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▼1548を見ると、早いよりも遅めでも良いのだ、という気持ちになる。1550を見ると、対比の妙が大事だ、という気持ちになる。目の前と遠くという距離の対比、視覚と聴覚という感覚の対比。   藤原朝臣八束 が歌一首 さを鹿の萩に貫き置ける露の白玉 あふさわに誰れの人かも手に巻かむちふ  万1547 *雄鹿が萩の枝に貫き通して置いた露の白玉。これを軽々しく誰が手に巻こうと言うのか。  大伴坂上郎女が晩萩の歌一首 咲く花もをそろはうとし おくてなる長き心になほ及かず  万1548 *萩の花は早咲きよりも、後から咲く気長な心には及びません。  典鋳正 紀朝臣鹿人 、衛門大尉 大伴宿禰稲公 が跡見の庄に至りて作る歌一首 射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花 ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人のため  万1549 *跡見の岡辺に咲く 撫子の花。房を手折って参りましょう、奈良の人への土産として。   湯原王 が鳴鹿の歌一首 秋萩の散りの乱ひに呼びたてて 鳴くなる鹿の声の遥けさ  万1550 *目の前では秋萩の花が散り乱れています。 遠くから 鹿の鳴き声が聞こえてきます。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 智尊  ちそん ? - 672天武天皇元年8月20日 飛鳥時代の人物。渡来人。672年の壬申の乱で大友皇子側の将。瀬田の戦いで戦死。 藤原 真楯  ふじわら の またて 初名は 八束  やつか  715 - 766 奈良時代の公卿。藤原北家の祖・藤原房前の三男。山上憶良と交流。 紀 鹿人  き の かひと ? - ? 奈良時代の官人・歌人。 大伴 稲公  おおとも の いなきみ ? - ? 奈良時代の貴族。父親は大伴安麻呂。旅人の弟、宿奈麻呂の兄。 湯原王  ゆはらおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族・歌人。天智天皇の孫。志貴皇子の子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1543‐1546番歌(秋の露は移しにありけり)~アルケーを知りたい(1393)

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▼1543の歌は、葉っぱの露がレンズになって色を映し出すイメージが美しい。作ったのは三原王。パレットの色は移しにありけり白い紙の人の顔に色づく見れば。   三原王 が歌一首 秋の露は移しにありけり水鳥の 青葉の山に色づく見れば  万1543 *秋の露は色が変化するのですね。水鳥のように青かった山の葉が秋色に染まるのを見ていますと。   湯原王 が七夕の歌二首 彦星の思ひますらむ心より 見る我れ苦し夜の更けゆけば  万1544 *彦星が織女との別れを悲しむ気持ちよりも、星を見上げる私たちの気持ちが苦しくなります。夜が更けるにつれて。 織女の袖継ぐ宵の暁は 川瀬の鶴は鳴かずともよし  万1545 *織女と彦星が一緒に過ごしている暁には、川瀬の鶴は鳴かなくても良いからね。   市原王 が七夕の歌一首 妹がりと我が行く道の川しあれば つくめ結ぶと夜ぞ更けにける  万1546 *妻のもとに帰る道の途中に川があるので、渡し舟の準備をしているうちに夜が更けてしまいました。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 壱伎 韓国  いき の からくに ? - ? 飛鳥時代の人物。渡来系。672年の壬申の乱で大友皇子側の将。葦池の側の戦いで敗北。 三原王  みはらのおおきみ ? - 752 奈良時代の皇族。舎人親王の子。従兄弟が坂合部王、智努王(文室浄三)。 湯原王  ゆはらおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族・歌人。天智天皇の孫。志貴皇子の子。 市原王  いちはらおう 719 - ? 奈良時代の皇族。安貴王の子。大伴家持と交流。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8

万葉集巻第八1534‐1538番歌(我が背子をいつぞ今かと)~アルケーを知りたい(1392)

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▼1534のオミナエシとハギは共に秋の七草。1537と1538の雁は、いまは禁猟、当時は食用。今回の5首には空間の広がり、時の推移、風を感じるなあ。   石川朝臣老夫 が歌一首 をみなへし秋萩折れれば玉桙の 道行きづとと乞はむ子がため  万1534 *女郎花と秋萩を折り取っておきましょう。旅の土産が欲しいとせがむ人のために。  藤原宇合卿が歌一首 我が背子をいつぞ今かと待つなへに 面やは見えむ秋の風吹く  万1535 *私の夫の帰りを待つうちに、姿が見えないまま秋の風が吹いています。   縁達師 が歌一首 宵に逢ひて朝面なみ名張野の 萩は散りにき黄葉早継げ  万1536 *夜会うと朝は逢えない名張野の萩は散りました。黄葉よ、早く 萩の 後を継げ。   天皇 の御製歌二首 秋の田の穂田を雁がね暗けくに 夜のほどろにも鳴き渡るかも  万1537 *秋の田の穂を刈るという雁が、まだ明けやらない夜に鳴きながら飛んでいます。 今朝の朝雁が音寒く聞きしなへ 野辺の浅茅ぞ色づきにける  万1538 *今朝早く寒い中 雁が 鳴くのを聞きました。野原の浅茅も色づきました。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 来目 塩籠  くめ の しおこ ? - 672年天武天皇元年7月 飛鳥時代の人物。672年、壬申の乱で大海人皇子側。壱伎韓国に計画を知られ自殺。 石川 老夫  いしかわのおきな ? - ? 奈良時代の歌人。 縁達師  えんだちほうし ?-? 奈良時代の僧。縁は百済系の姓。 聖武天皇  しょうむてんのう 701 - 756 第45代天皇。父親は文武天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=8