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万葉集巻第7_1192番歌(白栲ににほふ真土の)~アルケーを知りたい(2011)

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▼今回も、馬をきっかけにして家を思う歌。馬が進みたがらない。これは家の者が私を恋しく思っているからだ、と解釈する歌。本当に恋しがっているのか、それとも自分が恋しく思っているのか、読み手には、そこのところが分からない。そういう表現にしているのが馬つまづくや馬なづむタイプの歌のミソだ。 白栲ににほふ真土の山川に 我が馬なづむ家恋ふらしも  万1192 *真土山の川辺で私の馬が進むのを躊躇している。家の者が私を恋しがっているらしい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1191番歌(妹が門出入りの川の)~アルケーを知りたい(2010)

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▼万葉時代は、川の瀬で馬がつまづくのは、家族が自分を思っている印、ということになっていたようだ。自分が家族を思い出すのではないところが面白い。 妹が門 (かど) 出入 (いでいり) りの川の瀬を早み 我が馬つまづく家思ふらしも  万1191 *出入川の瀬の流れの早い所で私の馬が躓いた。家の者が私を思い出しているのだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1190番歌(舟泊ててかし振り立てて)~アルケーを知りたい(2009)

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▼今回は舟旅の途中、見逃せない場所で一泊しましょう、という歌。波が高いから寄りたいけれど残念ながら通り過ぎる歌があるが、それに対して今回は、ばっちり舟を泊めて素晴らしい浜辺を味わう歌。泊まることを「廬りせむ」と表現するのだが、景勝地らしいので もしかしたら ホテルというか旅館もあるのかも(葦を刈り取って小屋を作るのではなさそう)。 舟泊 (は) ててかし振り立てて廬 (いほ) りせむ 名児江 (なごえ) の浜辺過ぎかてぬかも  万1190 *舟を泊め、係留用の杭を打って宿泊しましょう。名児江の浜辺を素通りするのが惜しいから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1189番歌(大海にあらしな吹きそ)~アルケーを知りたい(2008)

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▼今回の歌のしなが鳥は 猪名の枕詞なので気にしない。港に着くまで嵐にならないように、と祈る歌。舟に乗っているのか、舟を待っているのか、どちらかは不明だけど、舟の無事入港を祈る心情は共通。舟泊つ後はあらし吹くともよし、だ。 大海にあらしな吹きそしなが鳥 猪名 (ゐな) の港に舟泊つるまで  万1189 *嵐よこの海で吹かないでくれ。猪名港に舟が無事に泊るまでは。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1188番歌(山越えて遠津の浜の)~アルケーを知りたい(2007)

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▼今回出て来る遠津浜 。これがどこの地名なのか、分かってない。浜があって岩つつじがある場所だ。歌からキレイな印象を受けるのだが、これは「ふふみて」の効果と思ふ。ふふみて待てというから待っていたら帰ってこない、ということはないのでしょうね。 山越えて遠津 (とほつ) の浜の岩つつじ 我が来るまでにふふみてあり待て  万1188 *遠津浜の岩つつじよ、私が来るまで蕾のままで待っていてくれ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1187番歌(網引する海人とか見らむ)~アルケーを知りたい(2006)

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▼今回は、当時から「人が自分をどう見るか」を意識していたのが分かる歌。漁師と見間違われるんじゃなかと詠うのが定番なのかな。よくあるのだが(笑)。さて、今だと、誰に見間違われたいかな自分は・・・そうさな、粋な人、かな。 網引する海人とか見らむ 飽の浦の清き荒磯を見に来し我れを  万1187 *人が見たら私のことを網を引いている漁師と思うかも知れない。飽の浦の清らかな磯の見物に来た私なのだが。   右の一首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1186番歌(あさりする海人娘子らが)~アルケーを知りたい(2005)

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▼濡れるのを嫌がっては仕事にならない、そんなことには構っちゃいられない働き者の海人娘子たちの歌。「干せど乾かず」のフレーズ良い。9月の天気も 「干せど乾かず」。 あさりする海人娘子 (あまをとめ) らが 袖通り濡れにし衣干せど乾かず  万1186 *漁をする漁師や娘子たちの袖がびっしょり濡れている。干しても渇きそうにないくらいに。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1185番歌(朝なぎに真楫漕ぎ出て)~アルケーを知りたい(2004)

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▼今回は、作者はちょっと嬉しい気持ち、楽しい気持ちになるだろうな、と読み手に思わせる歌。 舟から見慣れた松原が見えた、という 何でもないことかも知れないけれど、見慣れた風景を別の角度から見ると新鮮という気分に共感。いつも歩いている街角もバスから見たり、動画で見ると、何というか感慨っぽいものがあるから。あれはなぜなんだろうな。 朝なぎに真楫 (まかじ) 漕ぎ出て見つつ来し 御津 (みつ) の松原波越しに見ゆ  万1185 *朝なぎの時に舟を漕ぎ進めていると、見馴れた御津の松原が波の向こうに見えました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1184番歌(鳥じもの海に浮き居て)~アルケーを知りたい(2003)

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▼今回は、海の沖で立つ波を鳥に見立てた歌。前々回の歌では、小舟の帆に見立てていた。海の白波は歌人の創造意欲を刺激するのだ。今回の歌人は、波の音を聞いてあまた悲しもという気持ちになった。なぜだろう。あまた嬉しも、でも良さそうだが。情感としては、悲しものほうがしっくりくる。なぜだ?オレ? 鳥じもの海に浮き居て沖つ波 騒くを聞けばあまた悲しも  万1184 *鳥でもないのに海で浮いているような波。波の音を聞いていると悲しくなる。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1183番歌(ま幸くてまたかへり見む)~アルケーを知りたい(2002)

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▼今回は、出発の前、無事にここに戻って来るぞ、と自分に言い聞かせる歌。万葉時代の長距離の旅は危険が多かっただろうに、それでも活発に移動していた。心情は無事を祈りながらだったのだ。気力体力旺盛だ。 ま幸 (さき) くてまたかへり見むますらをの 手に巻き持てる鞆 (とも) の浦みを  万1183 *元気で戻って来てまた見るぞ、この鞆の浦を。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1182番歌(海人小舟帆かも張れると)~アルケーを知りたい(2001)

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▼今回の歌、今だと沖に白い帆を上げたヨットが走っているのか、と思うほど沖で白波が立っている、という感じかな。 鞆の浦の 場所は広島県福山市。万葉の時代も舟は楫で漕ぐだけじゃなくて帆を使ってのだなあ。 海人小舟 (あまをぶね) 帆かも張れると見るまでに 鞆 (とも) の浦みに波立てり見ゆ  万1182 *海人の小舟が帆を上げているのかと見えるほど鞆の浦で波が立っている。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1181番歌(朝霞やまずたなびく)~アルケーを知りたい(2000)

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▼今回は、旅先を去るとき、この日のことを思い出すだろう、と詠う作品。良いことがあるとこういう歌が詠めるのかも。 朝霞やまずたなびく竜田山 舟出しなむ日我恋ひむかも  万1181 *朝霞がたなびく竜田山を見ながら舟出する日、この日を私は恋しく思い出すだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1180番歌(荒磯越す波を畏み)~アルケーを知りたい(1999)

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▼今回の歌の荒磯を越す波の勢いはどれくらい大きいのだろう。舟旅の途中、波が高いから、淡路島を見るのはやめて通り過ぎようという内容。安全第一です。 荒磯越す波を畏み淡路島 見ずか過ぎなむここだ近きを  万1180 *荒磯を超える勢いの波を恐れて淡路島は見ないで通り過ぎます。とても近いんだけれど。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1179番歌(家にして我れは恋ひむな)~アルケーを知りたい(1998)

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▼今回は月夜の風景の歌。家に帰ったら思い出して恋しくなるだろう、というくらいだから、さぞかし見ごたえがある浅茅と月なんだろうな。風景の記憶を歌に残して万葉集に入ると、1300年が経過しても、読み手が浅茅に照る月を風景をイメージできる。って、やはりすごい。和歌は、時空を超えるなあ。 家にして我れは恋ひむな印南野 (いなみの) の 浅茅が上に照りし月夜を  万1179 *自宅で恋しく思うだろうな、印南野の浅茅の上で照っていた月夜を。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1178番歌(印南野は行き過ぎぬらし)~アルケーを知りたい(1997)

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▼今回は舟から見た風景の歌。舟から見える風景は、印南野→日笠浦と変化するようだ。この歌を見ると、作者は どうやら 印南野を見過ごしたらしいことが分かる。見過ごしても歌にできるんだから、大したもんだ。 印南野 (いなみの) は行き過ぎぬらし天伝 (あまづた) ふ 日笠 (ひかさ) の浦に波立てり見ゆ   一には「飾磨江 (しかまえ) は漕ぎ過ぎぬらし」といふ  万1178 *印南野を通り過ぎたようだ、日笠の浦で波が立っているのが見えるから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1177番歌(若狭にある三方の海の)~アルケーを知りたい(1996)

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▼いつも参考にしている『』万葉百科 』 によると「若狭にある三方の海」は 福井県の西南部、三方郡の若狭湾沿岸のこと。地図を見ると美浜の地名が見える。浜が清らかで、何度行ったり来たりして見ても飽きないのだろう。三方の地名が美浜の文字のインパクトで「美方」に見えてしまうほど。 若狭にある三方 (みかた) の海の浜清み い行き帰らひ見れど飽かぬかも  万1177 *若狭にある三方の海の浜はとても清らかなので、行ったり来たり繰返し見て飽きない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1176番歌(夏麻引く海上潟の)~アルケーを知りたい(1995)

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▼わあわあと騒がしい鳥の声は聞こえて来るけど、肝心の方からの連絡はない・・・という歌。分かるわ、この感じ。鳥の騒ぐ声が「君は音もせず」を際立たせる。じゃあ鳥たちの姿は見えるけど静かだったらどうか。鳥は見えれど君は現れもせず、だな。どちらにしても連絡がなくて寂しい思いをしている人の気持ちだ。 夏麻 (なつそ) 引く海上潟 (うみかみがた) の沖つ洲 (す) に 鳥はすだけど君は音 (おと) もせず  万1176 *海上潟の沖の洲に鳥が騒いでいるが、貴方からは何の連絡もない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1175番歌(足柄の箱根飛び越え)~アルケーを知りたい(1994)

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▼今回の歌の場所は、 神奈川県の足柄下郡の箱根町。箱根で大和を思い出すという歌だが、では大和とはどこ? 奈良県天理市に大和神社があるので、そのあたりだろう。家から遠く離れた旅の途中、空を悠々と飛ぶ鶴が見える。いいなあ、と。家のある大和が偲ばれるよなあ、と。 足柄の箱根飛び越え行く鶴 (たづ) の 羨 (とも) しき見れば大和し思ほゆ  万1175 *箱根を飛び越える鶴が羨ましい。見ると大和を思い出す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1174番歌(霰降り鹿島の崎を)~アルケーを知りたい(1993)

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▼今回の歌の日、千葉の銚子にあたりの「鹿島崎」の海は波が高かったのだなー、と分かる歌。太平洋に利根川が流れる河口だし、見物したいのに残念という作者の気持ちが伝わる。 霰 (あられ) 降り鹿島の崎を波高み 過ぎてや行かむ恋しきものを  万1174 *鹿島崎は霰が降り波が高いので、残念だがこのまま通り過ぎよう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1173番歌(飛騨人の真木流すといふ)~アルケーを知りたい(1992)

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▼万葉時代、飛騨産の材木は丹生川を流して運んでいたようだ。今回は、川で材木を流す職人が声をかけあう様子を詠ったもの。言葉は交わすが、舟は通わない、という締め方を眺めていると、この作者は、「通う」と「通はぬ」を対にしたかったのだな、という気がする。通うのは真木なんだが、通はぬものを何にしようか・・・ええい、舟にしておこう的な(笑)。 飛騨人 (ひだひと) の真木流すといふ丹生 (にふ) の川 言 (こと) は通へど舟ぞ通はぬ  万1173 *飛騨の人が真木を流すという丹生川。会話は交わせるが、舟は通わないのだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1172番歌(いづくにか舟乗りしけむ)~アルケーを知りたい(1991)

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▼琵琶湖を見ていたら舟が目についた。どこから来たのだろう、という歌。別にどこから来ても構わない話なんだが、こうやって歌にすると風情が感じられる。WhoもWhenもWhyもないのに。 いづくにか舟乗りしけむ高島の 香取の浦ゆ漕ぎ出来 (でく) る舟  万1172 *どこから舟を出してきたのだろう。高島の香取の浦を漕ぎ進めている舟は。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1171番歌(大御船泊ててさもらふ)~アルケーを知りたい(1990)

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▼この歌の「渚し思ほゆ」が響くわーと思ふ。渚は、波うちぎわ。海と陸が接するアナログ的な場所。干潮になれば陸、満潮になれば海。 高島の三尾の勝野は、現在の滋賀県高島市。海とは琵琶湖のことだったのだ。 大御船 (おほみふね) 泊 (は) ててさもらふ高島の 三尾の勝野の渚し思ほゆ  万1171 *大君が乗船する船が停泊したという高島の三尾の勝野の渚のことを思います。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1170番歌(楽浪の連庫山に)~アルケーを知りたい(1989)

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▼あの山の上に雲が出ると雨が降る、とか、月に笠がかかると雨になる、とか聞いたことがある。今回は、その元祖のような歌。 楽浪 (ささなみ) の連庫山 (なみくらやま) に雲居れば 雨ぞ降るちふ帰り來我が背  万1170 *楽浪の連庫山に雲がかかっています。雨になりますから私の夫よ、お帰りください。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1169番歌(近江の海港は八十ち)~アルケーを知りたい(1988)

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▼今回の歌の「 近江の海」とは琵琶湖のこと。 淡水の大きな海なので、 淡海 (あはうみ) と呼ばれていたのが変化した。琵琶湖は舟を泊める場所がたくさん (八十) あるから、そのどこにいるのだろう、という歌。いまはどれくらいの数の港があるのか調べると、県が 管理する 港湾が 4、市が管理する漁港と舟溜が合わせて66ある。そのどこに貴方様はお泊りなんでしょうという気持ち、分かる気がします。 近江の海港は八十 (やそ) ちいづくにか 君が舟泊て草結びけむ  万1169 *近江の海には沢山の港があるけれど、そのどれに貴方様は舟を停めて宿を取っていらっしゃるのでしょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1168番歌(今日もかも沖つ玉藻は)~アルケーを知りたい(1987)

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▼今回の「今日もかも沖つ玉藻」の歌は伊藤本では七首をひとまとまりにした七番目の歌。風景を詠むふうを装って、実はオヤジか若者かが、気になる女性を詠んだ歌のようだ。 今日もかも沖つ玉藻は白波の 八重をるが上に乱れてあるらむ  万1168 *今日もまた沖の玉藻は重なり來る白波に揉まれて乱れているのでしょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1167番歌(あさりすと磯に我が見し)~アルケーを知りたい(1986)

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▼今回は先を越されて残念な気持ちの歌。この歌い手の残念度合は・・・というと、それほどでもなさそうな印象なのですが。どうなんでしょう(笑)。 あさりすと磯に我が見しなのりそを いづれの島の海人か刈りけむ  万1167 *磯で見つけたなのりそを刈りに行ったら、すでにどこかの漁師が刈り取っていました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1166番歌(いにしへにありけむ人の)~アルケーを知りたい(1985)

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▼榛の木は 樹皮や果実が褐色の染料になる。今回の歌は、万葉人が 「いにしえの人」が探し求めていたというところを見ると、それより昔から榛の木が染料の素になるのは知られていた。こういう例は他にもたくさんあって、文脈というかストーリーというか由来を知らないままではもったいない。 いにしへにありけむ人の求めつつ 衣 (きぬ) に摺りけむ真野 (まの) の榛原 (はりはら)  万1166 *昔の人が衣を染めるのに探し求めた染料の元があるのが、ここ真野の榛原です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1165番歌(夕なぎにあさりする鶴)~アルケーを知りたい(1984)

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▼今回も海辺の鶴の動向を観察した歌。鶴はいつものように狩猟をしているのだが、それをじっと見ている人間は和歌作品にする。鶴は、おい人間、歌とか作って遊んでないで仕事しろや、と内心で思っているのかも。 夕なぎにあさりする鶴潮満てば 沖波高み己が妻呼ぶ  万1165 *夕なぎの時間、餌を探していた鶴が、 潮が満ちて波が高くなると 妻を呼び始める。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1164番歌(潮干ればともに潟に)~アルケーを知りたい(1983)

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▼この歌を見て、なかなかよく観察してるじゃないか、と思った。偉そうに(笑)。干潮になると鶴が餌を獲りにやってくる、その声がしばらくすると遠ざかる。現場にいなくても、鳴き声の変化で鶴の動きが感じられる。この歌の詠み手は現地にいるので、遠ざかる鶴を見て磯を廻っているのだろう、と見当をつけている。そうかも知れないし、餌を求めて場所を変えてるだけかも知れない。餌の身になると、干潮で潟から顔を出したらいきなり鶴につかまって飲み込まれるんだから、たまったもんじゃない。声が遠ざかるとホッとするんじゃないか。 潮干ればともに潟に出で鳴く鶴の 声遠ざかる磯廻すらしも  万1164 *干潮になると潟に出て鳴く鶴の声が遠ざかるようだ。磯を廻っているのだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1163番歌(年魚市潟潮干にけらし)~アルケーを知りたい(1982)

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▼今回は、時間の経過を舟がいる場所の違いで表現している歌だ。ということは、この歌い手は、舟が満潮の朝に停泊地から漕ぎ出したときから、干潮で沖合にいるのを見る間、 年魚市潟もしくはその周辺にいたのだろう。およそ6時間。 年魚市潟 (あゆちがた) 潮干にけらし知多 (ちた) の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ  万1163 *年魚市潟が干潮らしい。知多の浦で朝から漕ぎだしていた舟が沖にいるのが見える。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7