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万葉集巻第7_1162番歌(円方の港の洲鳥)~アルケーを知りたい(1981)

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▼今回は、港から見た鳥の群れが鳴きながら場所を変える様子を詠った歌。鳥が妻を呼ぶ、とまるで人のように見ている。鳥に親しみをもつ歌い手と、この歌に親しみを持つ読み手の姿が目に浮かぶ。自分もそのひとり。 円方 (まとかた) の港の洲鳥波立てや 妻呼び立てて辺 (へ) に近づくも  万1162 *円方港の波が高くなると洲にいた鳥が妻を呼びながら岸辺に寄って来る。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1161番歌(家離り旅にしあれば)~アルケーを知りたい(1980)

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▼今回は秋風の寒き夕べの歌。暑い日にこの歌を見ると清涼感あり。寒い日にこの歌を見ると寂寥感あり。雁は冬鳥という。秋風+寒き夕べ+雁、で、気持ちまで寒くなりそう。  羇旅作 家離り旅にしあれば秋風の 寒き夕に雁鳴き渡る  万1161 *家から離れた旅の途中。秋風が吹く寒い夕方、雁が鳴きながら飛んでいく。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1160番歌(難波潟潮干に立ちて)~アルケーを知りたい(1979)

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▼人は難波から淡路に行くには舟を漕ぐしかない。でも鶴はひと飛びで渡れるんだよなあ、と羨ましい気持ちが感じられる歌。鶴にしてみれば、こっちは食べ物を求めて飛び歩いてるんですぜ、干潟に見物に来る暇がある人間が羨ましいです、かも知れない。 難波潟潮干に立ちて見わたせば 淡路の島に鶴渡る見ゆ  万1160 *干潮の難波潟を眺めていると、淡路島の方に向かって鶴が飛んでいくのが見えました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1159番歌(住吉の岸の松が根)~アルケーを知りたい(1978)

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▼今回は波の音の爽やさを詠ったもの。爽やかな波の音が聞こえる気持ちになるのが不思議。この歌の波はかなり大きい。岸の松が根をうちさらす勢いだから。近くで聞くのは、私はちょっと苦手かも。大きな波は怖いので。 住吉の岸の松が根うちさらし 寄せ来る波の音のさやけさ  万1159 *住吉の岸辺に生えた松の根を洗わんばかりに寄せて来る波の音の爽やかなこと。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1158番歌(住吉の沖つ白波)~アルケーを知りたい(1977)

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▼この歌を見ると思い出すのが宮崎市の一ッ葉海岸。太平洋の波が直接どーんと来る。そして、その波が来寄する浜を見れば清しも、は歌のとおり。子どもだったので波の音と迫力が怖かった。この歌は大阪の住吉に面した海なので一ッ葉海岸の波よりすこし穏やかじゃないかと思うんだけど、どうだろう。 住吉の沖つ白波風吹けば 来寄する浜を見れば清しも  万1158 *住吉の海の沖で白波が立っている。風が吹いて波が寄せる浜を見るとなんとも清らかだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1157番歌(時つ風吹かまく知らず)~アルケーを知りたい(1976)

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▼天気を心配して早めに動きましょう、という歌。今も昔も変わらないなあ。 時つ風吹かまく知らず吾児の海の 朝明の潮に玉藻刈りてな  万1157 *海の強い風がいつ吹きだすか分かりません。だから玉藻を刈りに 朝早く 吾児の海に出かけましょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1156番歌(住吉の遠里小野の)~アルケーを知りたい(1975)

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▼今回は、ある意味怖い歌(笑)。なぜかというと下の句の「衣の盛り過ぎゆく」というフレーズ。まさにオレやん、と。ま、それは置いといて、1156番は人との関係、おそらくは男女の距離感を表した歌だ。衣なら神さびてヴィンテージ感が出て来るから、嘆息ぎみの表現はしないだろう。というわけで今回はちょっぴり心に痛い歌。 住吉 (すみのえ) の遠里小野 (とほさとおの) の真榛 (まはり) もち 摺れる衣の盛り過ぎゆく  万1156 *住吉の遠里小野のハンノキの染料で染めた衣なのに、だんだんと色褪せている。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1155番歌(名児の海の朝明のなごり)~アルケーを知りたい(1974)

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▼今回の歌、遠浅の岸があるところだとお馴染みの風景。潮が引いた後にできる水たまり。いろんな形や大きさで現れる。時間が経つとだんだん消える。引いたときに奥まで行って小石や貝拾いに夢中になっていると、潮が満ちて帰り道がなくなる。 名児の海の朝明のなごり今日もかも 磯の浦みに乱れてあるらむ  万1155 *名児の海で朝早い時間に見られる潮だまり。今日の磯の浦にも乱れて現れているだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1154番歌(雨は降る仮廬は作る)~アルケーを知りたい(1973)

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▼今回は、そんな経験あるある、分かるわーと共感しながら笑える歌。 雨は降る仮廬は作るいつの間に 吾児の潮干に玉は拾はむ  万1154 *雨が降り出すわ、仮庵は作らねばならないわで、大忙し。吾児の潮干で玉を拾う時間はあるのかな。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1153番歌(住吉の名児の浜辺に)~アルケーを知りたい(1972)

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▼これはいい思い出だな、同じような経験は自分にもあるな、という懐かしい気持ちになる。これは誰かと一緒に名児の浜に行って楽しく玉拾いした思い出だろう。誰だったか思い出せないけれど、あの場所で楽しかった記憶が玉のように輝いている。 住吉の名児の浜辺に馬立てて 玉拾ひしく常忘らえず  万1153 *住吉の名児の浜辺に馬を駐めて、玉拾いに興じた思い出が忘れられない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1152番歌(楫の音ぞほのかにすなる)~アルケーを知りたい(1971)

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▼今回は、働き者に思いを寄せた歌。海人娘子が朝早くから舟を出して沖で藻を刈るんだ、その楫の音が聞こえて来るといういい歌だなーと思ったら「夕されば」というバリエーションがくっついていた。ということは、夕方? 沖の藻を刈るのになぜ夕方なのだろう、と分からなくなった。 楫の音ぞほのかにすなる海人娘子 沖つ藻刈りに舟出すらしも   一には「夕されば楫の音すなり」といふ  万1152 *楫の音がほのかに聞こえて来る。きっと海人と娘子が沖で藻刈りするため舟を出しているのだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1151番歌(大伴の御津の浜辺を)~アルケーを知りたい(1970)

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▼この歌から何を感じるかは読み手にお任せタイプの作品。私はなんとなく寂しい感じ、無常観を感じる。歌の場面は、武人で官人の大伴氏が所有する浜辺だろう、歌そのものは、その浜辺に寄せ来る波を見た歌人の感慨だ。波が繰返し繰返し岸辺に寄せてくる。ゆくへ知らずも、という言葉に寂しい感じ、無常観みたいなものを感じるのだが。 大伴の御津の浜辺をうちさらし 寄せ来る波のゆくへ知らずも  万1151 *大伴の御津の浜辺に寄せては返す波はその後、どこに行くのだろうか。分からないなあ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1150番歌(住吉の岸に家もが)~アルケーを知りたい(1969)

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▼海の近くに住みたいという歌。海と山、どちらに住みたいかといえば、中間がいいな。長所も欠点も薄まるから。 住吉の岸に家もが沖に辺に 寄する白波見つつ偲はむ  万1150 *住吉海岸の近くに家があれば、沖で立つ波や岸辺に寄せる波をいつも眺められるのになあ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1149番歌(住吉に行くといふ道に)~アルケーを知りたい(1968)

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▼今回は、なかなか思いを忘れられない気持ちの表明歌。結びの「言にしありけり」は、看板に偽りあり、羊頭狗肉の上品な表現。例えば、あの人は約束を実行しますと言ったのに結局言にしありけり、などで応用できそう。と言いながら、言にしありけりで終わらないようにしないと言にしありけりになってしまう(笑)。 住吉に行くといふ道に昨日見し 恋忘れ貝言にしありけり  万1149 *住吉に通じるという道で昨日、恋忘れ貝を見つけたが、現実は名前のようには行かなかった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1148番歌(馬並めて今日我が見つる)~アルケーを知りたい(1967)

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▼「馬並めて」という大好きワードで始まる歌。 「馬並めて」がなぜ好きかというと、 同じ時に同じ場所で同じ体験をする喜びが感じられるから。いま 「馬並めて」に近いのは、 中高生が自転車を並べて談笑しながら走っている姿かな。 馬並 (な) めて今日我が見つる住吉の 岸の埴生を万代に見む  万1148 *友達と馬を並べて今日見て来た住吉の岸の埴生。これから先もずっと見たい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1147番歌(暇あらば拾いに行かむ)~アルケーを知りたい(1966)

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▼「暇があれば」という条件を最初にもってきた歌。ふつう暇はないから、作者は恋忘れ貝を拾いに行かない。となると、作者はこの恋を忘れません、と詠っているわけだ。なかなかやん。 暇あらば拾いに行かむ住吉の 岸に寄るといふ恋忘れ貝  万1147 *時間があれば拾いに行きましょう。住吉の岸辺にあるという恋忘れ貝を。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1146番歌(めづらしき人を我家に)~アルケーを知りたい(1965)

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▼今回の歌は、なんというか前半は住吉を持ち出すための枕詞のようなもんで、本意は岸の埴生を見たいという希望なので、枕詞がむしろ邪魔になってる。・・・いや待てよ、上の句をそんな浪費に使うかな、何か意味があるんじゃないか、と思ってしまう。惑わせる歌だ。 めづらしき人を我家に住吉の 岸の埴生を見むよしもがも  万1146 *住吉の岸の埴生を見る方法があれば。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1145番歌(妹がため貝を拾ふと)~アルケーを知りたい(1964)

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▼今回は結びの「 干せど乾かず」をどう解釈するか、で読み手の人間性がにじみ出るようで怖い(笑)。解釈一、妻のことが頭から離れない。解釈二、思ったより乾きが遅い(いらんことをした)。前者の受け取り方をする人は信頼できる気がする。後者は難しい人だ。自分は・・・後者かな。 妹がため貝を拾ふと浅茅 (ちぬ) の海に 濡れにし袖は干せど乾かず  万1145 *妻のために貝を拾うと浅茅の海の水で 袖が濡れた。干してもなかなか乾かない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1144番歌(悔しくも満ちぬる潮か)~アルケーを知りたい(1963)

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▼今回は、何かするつもりだったのに残念ながらできなかったときに応用できる歌。悔しくも、で始まるのが良い。例えば遠出するつもりだったのに台風のため家を出られないとか。 悔しくも満ちぬる潮か住吉の 岸の浦みゆ行かましものを  万1144 *残念ながら潮が満ちた。住吉の岸を歩いてみたかったのだが。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1143番歌(さ夜更けて堀江漕ぐなる)~アルケーを知りたい(1962)

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▼今回は夜の川を漕ぎ進む舟の歌。夜でも舟を出していたの!と驚く。 月明りがあればナイトクルーズ可? しかも流れの早いところを。 松浦舟の性能の良さをアピールするCM効果もある。昔、小型船で荒れた大阪湾を進んで酔った経験がある。この歌のように、音だけで結構。 さ夜更けて堀江漕ぐなる松浦舟 (まつらぶね)  楫の音 (おと) 高し水脈 (みを) 早みかも  万1143 *夜更けに堀江を漕ぎ進む松浦舟の楫の音がよく聞える。水の流れが早いのだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1142番歌(命をし幸くよけむと)~アルケーを知りたい(1961)

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▼今回は、おいしい水に恵まれるありがたみを思い出させてくれる歌。日本の山や森に降った雨が地盤で濾過されておいしい水になる。大分の酒造メーカーを訪問したとき技術者が「20度をお勧めしたい、なぜならここの水を味わえるから」と言ってたのを思い出す。 命をし幸くよけむと石走る 垂水の水をむすびて飲みつ  万1142 *健康長寿を祈って垂水の水を手ですくって飲みました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1141番歌(武庫川の水脈を早みと)~アルケーを知りたい(1960)

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▼暑い日にぴったりの情景の歌。川に入って馬も喜んでいるみたい。わざと水を跳ね上げて載せている人を濡らして遊んでいるのでは(笑)。 武庫川の水脈 (みを) を早みと赤駒の 足掻くたぎちに濡れにけるかも  万1141 *武庫川の水の流れが早いので、赤駒の脚がはね上げる水に濡れてしまった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1140番歌(しなが鳥猪名野を来れば)~アルケーを知りたい(1959)

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▼旅の途中、夕方になって霧が出ている、まだ宿が決まっていないのに。今回の歌は、眺めていると心細い気持ちになる。なぜだろう。「夕霧立ちぬ宿りはなくて」のせいだな。この中の「宿りはなくて」の「なくて」が効いている気がする。「無い」から来る不安感。「宿りはあれど」ではダメなんだ。  摂津作 (つのくにさく) しなが鳥猪名野 (ゐなの) を来れば有馬山 夕霧立ちぬ宿りはなくて   一本には「猪名の浦みを漕ぎ来れば」といふ  万1140 *猪名野まで来ました。有馬山に夕方の霧が出ています。まだ宿を決めてないというのに。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1139番歌(ちはや人宇治川波を)~アルケーを知りたい(1958)

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▼今回は下の句の「立ちかてにする」の立ちかてがキーワードだ。旅人が宇治川の清流を立ち止まって見ている。宇治川の清流から生まれた歌、と言いたくなる。 ちはや人宇治川波を清みかも 旅行く人の立ちかてにする  万1139 *宇治川の清らかな波を見て、旅の途中の人が立ち止まっています。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1138番歌(宇治川を舟渡せをと)~アルケーを知りたい(1957)

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▼今回は、渡し舟の乗り場の様子が伝わってくる歌。渡し場に行っても舟がない。おーいと呼びかけても返事がない。舟がこちらに来る気配もない。ったく困ったなー的な状況。昔、バス停に来たもののバスが行ってしまったのか待てば来るのか分からなくて困っていたのを思い出した。乗り物とは昔も今もそういうものらしい。でもそんなスケッチが万葉歌になるんだ、とおどろいた。 宇治川を舟渡せをと呼ばへども 聞こえずあらし楫の音もせず  万1138 *宇治川の渡し舟を呼んでも船頭に聞こえてないらしい。楫の音もしない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1137番歌(宇治川の譬への網代)~アルケーを知りたい(1956)

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▼今回は読み手が自由に解釈できる譬喩の歌。例えば、男と女の距離の詰め方。例えば、クセの強い企画の募集。歌じたいは、私がいるじゃないか、他は要らないじゃないか、という自分アピ。自分以外を木っ端扱いして敵を作るリスクが、これまた香辛料として効いている。 宇治川の譬 (たと) への網代我れならば 今は寄らまし木屑 (こつみ) 来ずとも  万1137 *宇治川の象徴の網代。私ならとっくに捕まってる。木っ端は来なくてもよい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1136番歌(宇治川に生ふる菅藻を)~アルケーを知りたい(1955)

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▼家づと、というと家に持ち帰るお土産。今回の歌の下の句に「つとにせましを」の「つと」がそれ。電通大プログラミング教室では学生講師やOBが遊びに行った先でお菓子を「つと」にして持って来てくれる。つと。心温まります。 宇治川に生ふる菅藻 (すがも) を川早み 採らず来にけりつとにせましを  万1136 *宇治川の流れが早いのでお土産にするつもりだった菅藻が採れませんでした。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1135番歌(宇治川は淀瀬ならかし)~アルケーを知りたい(1954)

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▼今回は吉野作につづく山背作五首の一首目。宇治川で働いている漁師たちのスケッチ。網代を調べてみた。網の代わりで網代というそうだ。魚が泳いでくる道に竹や葦で作った装置(簀)をしかけておいて捕獲するやり方。仕掛け担当、移動用の舟担当に分かれて仕事をしてたのだろう。  山背 (やましろ) 作 宇治川は淀瀬 (よどせ) なからし網代人 (あじろひと)  舟呼ばふ声をちこち聞こゆ  万1135 *宇治川には歩いて渡れれるところがないらしい。網代をかける人が移動するときに舟を呼ぶ声があちこちから聞こえる。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1134番歌(吉野川巌と柏と)~アルケーを知りたい(1953)

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▼今回も吉野讃歌。吉野作と題した5首の締めの作品。吉野川の岩と樹木に永遠を感じ、自らも通い続けたいと述べる歌。岩と樹木で作った庭園を思うと、庭園の主は、この歌の作者の気持ちを庭で表現したのかも知れないな。なんとも贅沢なことだ。 吉野川巌と柏と常盤なす 我れは通はむ万代までに  万1134 *岩と柏の木がいつまでも変わらないように、私も吉野川にこれからも通います。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1133番歌(すめろきの神の宮人)~アルケーを知りたい(1952)

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▼吉野詣では、場の良さだけでなく、代々の宮人に倣う気持ちがあるようだ。ここで吉野の盟約があったのだなあ、とか、持統天皇は30回以上行幸したのだなあ、とか、農繁期の行幸は民の負担になるからお止めくださいと諫めた 三輪高市麻呂は偉いやっちゃなあとか。自分がいろんなことに「いやとこしへに我かへり見む」のを忘れていた、と怖くなる。 すめろきの神の宮人ところづら いやとこしくに我れかへり見む  万1133 *代々の大君に仕えてきた宮人と同じく、吉野を見に我らも戻ってこよう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1132番歌(夢のわだ言にしありけり)~アルケーを知りたい(1951)

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▼今回の歌は、ツンデレだ、と思ふ。嬉しいくせに素直に嬉しいと言わず、独特の言い回しをしている。素直に言えよ、と思ひつつもスルーしがたい歌。 夢のわだ言にしありけりうつつにも 見て来るものを思ひし思へば  万1132 *「夢のわだ」とは言葉だけの存在になった。思い続けていたものを実際に見て来たので。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7