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万葉集巻第二十4468-4469番歌(うつせみは数なき身なり)~アルケーを知りたい(1681)

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▼今回は家持が病気になって床に就いたときの思いを詠った二首。4468番は、布団に寝ていると自分などこの世ではものの数にも入らない存在だから、この世に関わるのではなく山や川の自然の中で自分の道を求めるほうが良い、と考えている。4469番は、自然も変化著しいのだからそのスピードについて行って清い道に出会えるようにせねば、と言う。元気そうなので、回復基調にある時の歌のようだ。  病に臥して無常を悲しび、道を修めむと欲ひて作る歌二首 うつせみは数なき身なり山川の さやけき見つつ道を尋ねな  万4468 *現実のこの世ではものの数にも入らないこの身。山や川の清らかな場所で道を追求したいもの。 渡る日の影に競ひて尋ねてな 清きその道またもあはむため  万4469 *空を動く太陽とその影に競うように、求める清らかな道に出会えるように精進せねば。 【似顔絵サロン】 病の大伴家持 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4466-4467番歌(剣太刀いよよ磨くべし)~アルケーを知りたい(1680)

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▼今回は、前回の4465番の長歌に続く短歌二首。気になるのは4467番の後書き。今回の三首は、 淡海三船の讒言 (人を陥れるため目上の人に嘘を言うこと ) で大伴古慈斐が役職を解かれた、とある。理不尽な目に遭っても大伴一族の誇りを失わず、剣を研ぎ澄ませ、という家持の言葉。 磯城島の大和の国に明らけき 名に負ふ伴の男心つとめよ  万4466 *磯城島の大和の国で明らかな家名を背負う大伴の皆よ、気合を入れて務めに励むように。 剣太刀いよよ磨くべしいにしへゆ さやけく負ひて来にしその名ぞ  万4467 *剣を研ぎすますべし。昔から背負ってきた大伴の家名であるぞ。   右は、 淡海真人三船 が讒言によりて、出雲守 大伴古慈斐 宿禰、任を解かゆ。 ここをもちて、家持この歌を作る。 【似顔絵サロン】 淡海 三船  おうみ の みふね 722 - 785 奈良時代後期の皇族・貴族・文人。弘文天皇の曽孫。 756年、朝廷を誹謗したとして、大伴古慈斐と共に衛士府に禁固され、3日後に放免。 大伴 古慈斐  おおとも の こしび 695 - 777 奈良時代の公卿。大伴祖父麻呂の子。 756年、藤原仲麻呂により、朝廷を誹謗し臣下の礼を失したとの理由で淡海三船と共に衛士府に拘禁され、3日後に赦免。 757年、橘奈良麻呂の乱に連座して土佐国へ流罪。770年、復帰。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4465番歌(空言も祖の名絶つな)~アルケーを知りたい(1679)

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▼今回は久しぶりの長歌。家持が一族に大伴の名を大事にせよと檄を飛ばす歌。  族を喩す歌一首  幷せて短歌 ひさかたの 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし すろめきの 神の御代より はじ弓を 手握り持たし 真鹿子矢を 手挟み添へて 大久米の ますらたけをを 先に立て 靫取り負はせ 山川を 岩根さくみて 踏み通り 国求ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け まつろはぬ 人をも和し 掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇の 天の日継と 継ぎてくる 君の御代御代 隠さはぬ 明き心を 皇へに 極め尽して 仕へくる 祖の官と 言立てて 授けたまへる 子孫の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鏡にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言も 祖の名絶つな 大伴の 氏と名に負へる ますらをの伴  万4465 *かりそめにほ大伴の名前を汚すようなことがあってはならない。大伴の名を背負うわがますらをよ。 【似顔絵サロン】 族を喩す大伴家持 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4463-4464番歌(ほととぎすまづ鳴く朝明)~アルケーを知りたい(1678)

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▼家持は何かというとホトトギスを持ち出して詠っている。50首以上あるんとちゃう。4463番を見ると、どこからそんなこだわりが出て来るん?と思ふ。人のこだわりは人それぞれだから良いんだけど、ホトトギスが鳴きながら通り過ぎるんじゃなくて、通り過ぎないようにするにはどうすれば良いかとか、普通は考えないだろう(笑)。変な人だ、家持さんは。4464番は、気楽に話せる友達と飲み会をする日を楽しみにしつつ、ホトトギスを気にかけているという。ふむふむ、そうなんだ (笑) 。 ほととぎすまづ鳴く朝明いかにせば 我が門過ぎじ語り継ぐまで  万4463 *ホトトギスの朝の第一声。どうやれば我が家の門を通り過ぎないでいさせられるか。それが語り継がれるほどに。 ほととぎす懸けつつ君が松蔭に 紐解き放くる月近づきぬ  万4464  右の二首は、二十日に、 大伴宿禰家持興に依りて作る 。 *ホトトギスを気にしながら、貴方様が待つという松蔭で気分を解放して遊べる月が近づいています。 【似顔絵サロン】 興に依る大伴家持 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4460-4462番歌(堀江漕ぐ伊豆手の舟の)~アルケーを知りたい(1677)

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▼4460番は、伊豆メイドの舟は特長があったのだろうと思わせる。舟の漕ぎ手もさることながら、舟も大工の腕でルックスや性能が違っていたはず。4461番は、楫の音をフューチャーした歌。4462番も前の歌と同じく楫の音つながり。 楫を漕いでみたい。機会はないものか。昔、漕いだ記憶があるのだが、これは幻かも知れない。 堀江漕ぐ伊豆手の舟の楫つくめ 音しば立ちぬ水脈早みかも  万4460 *堀江を漕ぎ進めるメイドイン伊豆の舟。楫がきしむ音がしばしば聞こえるのは水の流れが早いからか。 堀江より水脈さかのぼる楫の音の 間なくぞ奈良は恋しかりける  万4461 *堀江から流れを遡る舟の楫の音が聞こえ続ける。奈良を いつも 恋しく思う私の気持ちのようだ。 舟競ふ堀江の川の水際に 来居つつ鳴くは都鳥かも  万4462 *漕ぎ競う舟ような音で堀江の川の水際で鳴いているのは、都鳥かも知れない。   右の三首は、江の辺にして作る。 【似顔絵サロン】 伊豆手の舟大工  ? - ? 奈良時代の船大工。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4457-4459番歌(葦刈りに堀江漕ぐなる)~アルケーを知りたい(1676)

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▼4457番の前書きと歌の関係がよく分からない。昔の和歌にはよくあること。だから気にしない。4457番は家持が馬国人の家の近くの植物を誉めている歌。木や草を誉めてどうするのかというと、これは馬国人に親しみの情を表しているのだろう。というのも続く4458番で馬国人が会話が楽しいと家持に返しているから。4459番は大原今城が前の歌を詠った日とは違う日に違う場所で詠んだ歌を大伴池主が声に出して読んだ歌。どういう関係なんだかさっぱり。でも歌の調子を見ると都の近くに住んでいる幸福感がにじみ出ているのが共通。  天平勝宝八歳丙申の二月の朔乙酉の二十四日戊申に、太上天皇、天皇、大后、河内の離宮に幸行し、経信壬子をもちて難波の宮に伝幸す。 三月の七日に、河内の国伎人の郷の 馬国人 の家にして宴する歌三首 住吉の松が根の下延へて 我が見る小野の草な刈りそね  万4457   右の一首は兵部少輔大伴宿禰家持。 *住吉の松の根が土深く延びているように、私が眺めるのを楽しみにしている小野の草は刈り取らないでくださいね。 にほ鳥の息長川は絶えぬとも 君に語らむ言尽きめやも  未詳 万4458   右の一首は主人散位寮の散位 馬史国人 。 *息長川が枯れることがあっても、貴方様に語りたい言葉が尽きることはありません。 葦刈りに堀江漕ぐなる楫の音は 大宮人の皆聞くまでに  万4459   右の一首は、式部丞大伴宿禰池主読む。 すなはち云はく「兵部大丞大原真人今城、先つ日に他し所にして読む歌ぞ」といふ。 *葦を刈るために堀江を進む舟の楫の音は、大宮人のみなさんに聞こえています。 【似顔絵サロン】 馬 国人  うま の くにひと/ときひと ? - ? 奈良時代の官人・歌人。王仁の後裔で、漢系渡来氏族。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4455-4456番歌(ますらをと思へるものを)~アルケーを知りたい(1675)

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▼4455番は、芹を摘んで贈りものにするときに添えた歌。 粋な振る舞いとはかくあるべし。4456番の返しを見ると、葛城王は純朴、 薩妙観はその上手を行く感じがした。歌の贈答勝負としては引き分けか。家持はニヤリとしながらこの二首を選んだのでは・・・。  天平元年の班田の時に、使の 葛城王 、山背の国より薩妙観命婦等の所に贈る歌一首  芹子の褁に副ふ あかねさす昼は田賜びてぬばたまの 夜のいとまに摘める芹これ  万4455 *昼間は班田収授の作業に追われていましたので、夜のすきま時間に摘んだ芹です、これは。   薩妙観命婦 が報へ贈る歌一首 ますらをと思へるものを大刀佩きて 可爾波の田居に芹ぞ摘みける  万4456   右の二首は、左大臣読みてしか云ふ。左大臣はこれ葛城王にして、後に橘の姓を賜はる *益荒男と思っておりましたのに、刀を腰につけたまま可爾波の田んぼに入って芹を積んでくださったとは、まあ。 【似顔絵サロン】 葛城王 =橘 諸兄 たちばな の もろえ 684 - 757 奈良時代の皇族・公卿。吉備真備と玄昉が政治を補佐。 薛妙観命婦  せちみょうかんのみょうぶ / 薩妙観 せちめうくわん/さつみょうかん ? - ? 奈良時代の女性歌人。 ほととぎすここに近くを来鳴きてよ過ぎなむ後に験あらめやも  万4438 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4454番歌(高山の巌に生ふる)~アルケーを知りたい(1674)

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▼4454番は、積もる雪の歌。700年の半ばころ(?)の、十一月の二十八日の話。今より寒冷だったようだ。詠うのは奈良麻呂。菅の根のねもころごろに、と「ね」の重複と「ころごろに」の響きが印象的な歌。  十一月の二十八日に、左大臣、兵部卿 橘奈良麻呂 朝臣が宅に集ひて宴する歌一首 高山の巌に生ふる菅の根の ねもころごろに降り置く白雪  万4454   右の一首は、左大臣作る。 *高山の岩に生えている菅の根のように、隅々まで降り積もった白雪であります。 【似顔絵サロン】 橘 奈良麻呂  たちばな の ならまろ 721 - 757 奈良時代の公卿。橘諸兄の子。橘奈良麻呂の乱の後、獄死。 奥山の真木の葉しのぎ降る雪のふりはますとも地に落ちめやも  万1010 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4452-4453番歌(秋風の吹き敷ける)~アルケーを知りたい(1673)

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▼4452番は「 内の南の安殿」という場所で肆宴 (とよのあかり) を楽しむ歌。景色が良い。4453番は前の歌の下の句を上の句に持って来て風景の良さを味わっている。秋風、花の庭、清き月夜。無粋な自分にも、良い時間が流れているのが分かる気がするぜ。  八月の十三日に、内の南の安殿に在して、肆宴したまふ歌二首 娘子らが玉裳裾引くこの庭に 秋風吹きて花は散りつつ  万4452  右の一首は、内匠兼播磨守正四位下 安宿王 奏す。 *娘たちが美しい衣裳を着て歩くこの庭に秋風が吹いて花が散っています。 秋風の吹き敷ける花の庭 清き月夜に見れど飽かぬかも  万4453  右の一首は、兵部少輔従五位上大伴宿禰家持。未奏。 *秋風が吹いて花が散っている庭は清い月夜にいくら見ても飽きません。 【似顔絵サロン】 安宿王  あすかべおう/あすかべのおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族。天武天皇の後裔、長屋王の五男。橘奈良麻呂の乱の後、佐渡に流罪。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4449-4451番歌(なでしこが花取り持ちて)~アルケーを知りたい(1672)

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▼4449番は左大臣(橘諸兄)が橘奈良麻呂の家で行った宴で、船王が詠った歌。続く4450番と4451番は奈良麻呂ではなく家持が後から作った歌。なぜ家持は自分が作った歌で補完したのだろう。後に奈良麻呂は乱を起こして捕まり、船王は拷問役になる。家持は何を考えてこの三首を残したのだろう、謎だ。  十八日に、左大臣、兵部卿橘奈良麻呂朝臣が宅にして宴する歌三首 なでしこが花取り持ちてうつらうつら 見まくの欲しき君にもあるかも  万4449  右の一首は治部卿 船王 。 *ナデシコの花を手に取ってしげしげと見るように、いつもお姿を拝見していたい貴方様であります。 我が背子がやどのなでしこ散らめやも いや初花に咲きは増すとも  万4450 *貴方様のお宅のナデシコが散ることがありましょうか。咲き始めた花のように増えることがあっても。 うるはしみ我が思ふ君はなでしこが 花にぞなそへて見れど飽かぬかも  万4451 *麗しいと私が思う貴方様は、ナデシコの花のように見ても見ても飽きません。  右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持追ひて作る。 【似顔絵サロン】 船王  ふねおう/ふねのおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族。舎人親王の子。757年、橘奈良麻呂の乱では、 杖で 謀反者の全身を打つ拷問を 監督する 。結果、道祖王・黄文王・大伴古麻呂そして奈良麻呂が死亡。 眉のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて漕ぐ船泊知らずも  万998 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4446-4448番歌(我がやどに咲けるなでしこ)~アルケーを知りたい(1671)

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▼今回は、橘諸兄と 丹比国人が会話を歌にしたような三首。4446番で丹比国人がナデシコに向かって語りかけ、4447番で 橘諸兄が、それは私にも言ってることでしょ、と分かり切ってはいるけど言葉にする。さらに4448番で次々と花を咲かせるアジサイのように貴方も元気でいてもらいたいと言葉を重ねる。花を介した寿ぎのコミュニケーション。  同じき月の十一日に、 左大臣橘 卿、右大弁 丹比国人真人 が宅にして宴する歌三首 我がやどに咲けるなでしこ賄はせむ ゆめ花散るないやをちに咲け  万4446  右の一首は、丹比国人真人、左大臣を寿く歌。 *私の家に咲いているナデシコよ。贈り物をしますから、花を散らさず咲き続けてくださいな。 賄しつつ君が生ほせるなでしこが 花のみ問はむ君ならなくに  万4447  右の一首は、左大臣が和ふる歌。 *贈り物をして大事に育てているナデシコの花だけに問いかける貴方ではないでしょう。 あぢさゐ八重咲くごとく八つ代にをいませ 我が背子見つつ偲はむ  万4448  右の一首は、左大臣、味狭藍の花に寄せて詠む。 *アジサイが次々に咲くように末永くお元気でいていただきたい。アジサイを見るたびに偲びましょう。 【似顔絵サロン】 丹比 国人  たぢひ の くにひと ? - ? 奈良時代の貴族。橘奈良麻呂の乱に連坐し遠江守から伊豆へ配流。 明日香川行き廻る丘の秋萩は今日降る雨に散りか過ぎなむ  万1557 橘 諸兄  たちばな の もろえ 684 - 757 奈良時代の皇族・公卿。左大臣になったのは743年、59歳。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4444-4445番歌(うぐひすの声は過ぎぬと)~アルケーを知りたい(1670)

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▼4442番から4445番までの四首は起承転結の構成になっているようだ。 4442番の起では、雨続きでも花の色は変わりませんねといって今城が家持の様子を誉めて始まる。 4443番の承では、誉め言葉を相手に返してポジティブな感情を共有する。 今回、4444番の転では、今城が上総に帰任するため奈良を離れるので、人恋しくなる秋の夕方には自分を思い出して欲しいと語る。 4445番の結では、ウグイスは声が聞こえずとも鳴き声が心に染みて恋しいと言い、家持が今城が帰っても懐かしく思い出すよ、と言って締める。  五月の九日に、兵部少輔大伴宿禰家持が宅にして集飲する歌四首 (後半の二首) 我が背子がやどなる萩の花咲かむ 秋の夕は我れを偲はせ  万4444  右の一首は 大原真人今城 。 *私の親愛なる貴方様の家の萩が花を咲かせる秋の夕方になりましたら、どうぞ私を思い出してください。  すなはち鶯の哢くを聞きて作る歌一首 うぐひすの声は過ぎぬと思へども しみにし心なほ恋ひにけり  万4445  右の一首は大伴宿禰家持。 *ウグイスが鳴く時期は過ぎたと思うんだけれど、鳴き声が心に染みてるので恋しいなあ。 【似顔絵サロン】 大原 今城/今木  おおはら の いまき 今城王/大原真人 705年 - ? 奈良時代の皇族・貴族・万葉歌人。764年、藤原仲麻呂の乱に連座。771年、赦免。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4442-4443番歌(我が背子がやどのなでしこ)~アルケーを知りたい(1669)

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▼今回は家持の家で大原真人と飲み会をしたときの歌。雨が続く秋の日、男二人で手弱女ぶりの歌を詠むのも一興とかなんとか言いながら作ったのだろう。  五月の九日に、兵部少輔大伴宿禰家持が宅にして集飲する歌四首(前半の二首) 我が背子がやどのなでしこ日並べて 雨は降れども色も変らず  万4442  右の一首は大原真人今城 *親愛なる貴方様のお庭のナデシコは、雨が続いても色は変わらないですね。 ひさかたの雨は降りしくなでしこが いや初花に恋しき我が背  万4443  右の一首は 大伴宿禰家持 。 *久しぶりの雨が降り続いていますが、そんな初花のように心惹かれる貴方様です。 【似顔絵サロン】 大伴 家持  おおともの やかもち 718 - 785 公卿・歌人。  〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4440-4441番歌(足柄の八重山越えて)~アルケーを知りたい(1668)

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▼大原今城が千葉から京都に出張か転勤するときの妻の歌二首。二首とも、防人の妻が夫を偲んで詠う歌と通じる寂しさが伝わる。  上総の国の朝集使大掾大原真人今城、京に向ふ時に、 郡司が妻女 等の餞する歌二首 足柄の八重山越えていましなば 誰れをか君と見つつ偲はむ  万4440 *足柄のたくさんの山を越えて貴方様がお出かけになったあとは、私は誰を貴方様として見て思い出せば良いのでしょうか。 立ちしなふ君が姿を忘れずは 世の限りにや恋ひわたりなむ  万4441 *貴方様のいつものお姿が忘れられませんから、世が続く限り恋しい思いが続くでしょう。 【似顔絵サロン】 上総国郡司妻女  かみつふさのくにのぐんしがめ ? - ? 大原真人今城の妻。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4439番歌(松が枝の地に着くまで)~アルケーを知りたい(1667)

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▼今回の歌は関係者が多いので、整理すると次です。 水主内親王(天智天皇の娘)は体調不良が続いたので気にかけた元正天皇が侍女たちに「水主内親王に贈るため、雪を題にした歌を作って納めるように」と言われた。多くの侍女たちは作れなかったが石川命婦だけがこの歌を作って奏上した。というエピソードを大原今城が大伴家持に伝えたという話。雪降る寒い日に心温まる気づかいの作品。大原今城は 石川命婦が家持の親戚であることを承知の上でこの歌と話を持ち出したと思ふ。  冬の日に靫負の御井に幸す時に、内命婦石川朝臣、詔に応へて雪を賦する歌一首  諱は巴婆(おほば)といふ 松が枝の地に着くまで降る雪を 見ずてや妹が隠り居るらむ  万4439 *松の枝が地面につくほど降る雪を見ないで貴方様は閉じこもっているのでしょうか。   時に、 水主内親王 寝膳安くあらずして、累日参りたまはず。 よりてこの日をもちて、太上天皇、侍嬬等に勅して曰はく、「水主内親王に遣らむために、雪を賦し歌を作りて奉献れ」とのりたまふ。 ここに、もろもろの命婦等、歌を作るに堪へずして、この 石川命婦 のみ独りこの歌を作りて奏す。 右の件の四首は、上総の国の大掾正六位上大原真人今城伝誦してしか云ふ。年月未詳。 【似顔絵サロン】 水主内親王 /水主皇女 みぬしのひめみ ? - 737天平9年9月22日 天智天皇の皇女。 石川 内命婦 /命婦 いしかわ の うちみょうぶ ? - ? 奈良時代の女性。大伴安麻呂の妻。子 が大伴坂上郎女、大伴稲公。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4438番歌(ほととぎすここに近くを)~アルケーを知りたい(1666)

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▼ホトトギスを詠うのは何も家持だけではなかった(笑)。今回は元正天皇の詔に応えて 薩妙観が詠った作品。何か一つ、と言われて歌を作れる、これはすごいことだ。  薩妙観、詔に応へて和へまつる歌一首 ほととぎすここに近くを来鳴きてよ 過ぎなむ後に験 (しるし) あらめやも  万4438 *ホトトギスよ、今、ここに来て鳴いておくれ。時期を過ぎるとありがたさがなくなるから。 【似顔絵サロン】薩妙観 さつみょうかん / 薛妙観命婦 せちみょうかんのみょうぶ  ? - ? 奈良時代の女性歌人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4436-4437番歌(闇の夜の行く先知らず)~アルケーを知りたい(1665)

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▼今回の二首は 大原今城が宴会で披露した、という古い和歌。4436番が防人の歌。心境の複雑さが伝わる。4437番は 先太上天皇( 元正天皇)の歌。元正天皇にはホトトギスの鳴き声が亡くなった草壁皇子、文武天皇・元明天皇の名を連呼するように聞こえて悲しくなるのだ。  昔年に相替りし防人が歌一首 闇の夜の行く先知らず行く我れを いつ来まさむと問ひし子らはも  万4436 *闇の夜に行く先も分からず進まないといけない私に、いつ帰って来るのかと問い詰める妻。  先太上天皇の御製 霍公鳥の歌一首 日本根子高瑞日清足姫天皇なり ほととぎすなほも鳴かなむ本 (もと) つ人 かけつつもとな我 (あ) を音 (ね) し泣くも  万4437 *ホトトギスよ、もっと鳴くなら鳴いてよい。亡くなった人の名前を呼んで私を泣かせる。 【似顔絵サロン】 大原 今城 /今木 おおはら の いまき 今城王/大原真人 705年 - ? 奈良時代の皇族・貴族・万葉歌人。764年、藤原仲麻呂の乱に連座。771年、赦免。 元正天皇  げんしょうてんのう 680天武天皇9年 - 748天平20年5月22日 第44代天皇(在位:715年10月3日 - 724年3月3日) 独身で即位した初めての女性天皇。母親は元明天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4433-4435番歌(朝な朝な上がるひばりに)~アルケーを知りたい(1664)

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▼今回は、防人を難波に集めて筑紫に送り出す検校=監督官の歌。4433番で安倍沙美麻呂がヒバリは都の往復が簡単にできるからうらやましい、と言い、次の4434番で家持が、そうは言っても霞がかかるシーズンだからよく見えないでしょう、と返す。続く4435番も家持の歌で、難波には春から秋にかけていることになると予定を語る。外敵の襲来がない限りは平穏だ。  三月の三日に、防人を検校する勅使と兵部の使人等と同に集ひ、飲宴して作る歌三首 朝な朝な上がるひばりになりてしか 都に行きて早帰り来む  万4433  右の一首は勅使紫微大弼 安倍沙美麻呂 朝臣。 *毎朝、空に上っていくヒバリになれば、都に行ってもすぐ帰ってこれますのに。 ひばり上がる春へとさやになりぬれば 都も見えず霞たなびく  万4434 *ヒバリが空に舞い上がる春になったので、都はたなびく霞でよく見えますまい。 ふふめりし花の初めに来し我れや 散りなむ後に都へ行かむ  万4435 *花がつぼみであったころに私はここにやって来ました。その花が散った後に都へ行くのでしょう  右の二首は兵部少輔大伴宿禰家持。 【似顔絵サロン】 阿倍 沙弥麻呂  あべ の さみまろ ? - 758天平宝字2年5月31日 奈良時代の公卿。阿倍名足の子。子が安倍東人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4431-4432番歌(笹が葉のさやぐ霜夜に)~アルケーを知りたい(1663)

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▼寒い夜は体を寄せ合って寝ていたのに、防人になって一人になると寒さもこたえる、という実感が伝わる4431番。続く4432番は、防人なんぞやりたくないと言いたいけれど、逆らうことなどできない命令だから従いますが、という気持ちが伝わる。昔からみなしんどい思いをして国を守ってきたのだ。 笹が葉のさやぐ霜夜に七重着る 衣に増せる子ろが肌はも  万4431 *笹の葉が寒風で音を立てる寒い夜に、いくら重ね着をしても妻の体温のほうが暖かい。 障 (さ) へなへぬ命 (みこと) にあれば 愛 (かな) し妹が手枕離れあやに悲しも  万4432 *逆らうことなどできないご命令なので、愛する妻と別れて寂しく悲しい。  右の八首は、昔年の防人が歌なり。 主典刑部少録正七位上 磐余伊美吉諸君 抄写し、兵部少輔大伴宿禰家持に贈る。 【似顔絵サロン】4431 番の 未詳の作者 4432 番の 未詳の作者 磐余伊美吉 諸君  いわれのいみき もろきみ ? - ? 奈良時代の役人。755年、昔年の防人の歌8首を抄写して兵部少輔大伴宿禰家持に進上。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4429-4430番歌(馬屋なる繩絶つ駒の)~アルケーを知りたい(1662)

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▼4429番は、防人に行く夫と別れたくない妻の言葉が、後になっても夫の心で響く。馬が綱を切って馬屋から逃げるという例が新鮮。4430番はプロの防人じゃないかと思いたくなる状況の見極め方。でも寂しさを感じてしまう。見送りから離れる人物の様子が浮かぶからだろうか。 馬屋なる繩絶つ駒の後るがへ 妹が言ひしを置きて悲しも  万4429 *馬屋の馬が縄を切るように私も貴方様と一緒に行く!と言った妻を家に置いてきたのが悲しい。 作者未詳 。 荒し男いをさ手挟み向ひ立ち かなるましづみ出でてと我が来る  万4430 *兵士が弓で狙いをつけて矢を放つタイミングを計るように見送りが静かになる一瞬を狙って私は出発した。 作者未詳 。 【似顔絵サロン】 4429番の 未詳の作者 4430 番の 未詳の作者 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4427-4428番歌(家の妹ろ我を偲ふらし)~アルケーを知りたい(1661)

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▼今回は防人と妻が衣の結び紐を介してお互いを偲ぶ歌二首。 家の妹ろ我を偲ふらし 真結ひに結ひし紐解くらく思へば  万4427 *家にいる妻が私を思っているようだ。しっかり結んだはずの紐が解けるところを見ると。 作者未詳 。 我が背なを筑紫は遣りて愛しみ えひは解かななあやにかも寝む  万4428 *夫が筑紫に行った後、私は着物の紐を解かずあれやこれや物思いしながら寝るのです。 作者未詳 。 【似顔絵サロン】 4427番の作者 。 4428番の作者 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4426番歌(天地の神に幣置き)~アルケーを知りたい(1660)

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▼今回は妻が 防人となった 夫に贈る歌。キーワードの「斎ひ」は、吉事を願い 心を清め身を 慎むという意味。私を大切に思ってくださるのでしたら、無事に再会できるよう、天地の神に捧げ物をして斎ってください、と願う。こう言われれば夫は、天地の神に幣を捧げて、防人に期待される役割を忠実に実行し、そして家に戻り妻と再会するのだ。 天地 (あめつし) の神に幣 (ぬさ) 置き斎 (いは) ひつつ いませ我が背な我れをし思はば  万4426 *天地の神に幣を捧げて無事を祈ってください、わが夫よ。私を思うのでしたら。 【似顔絵サロン】 4426番の 未詳の 作者  ? - ? 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4425番歌(防人に行くは誰が背と)~アルケーを知りたい(1659)

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▼夫が防人になった妻。その妻が誰かが「こんど防人になったのはどなたの夫なのかしら」と話すのを聞いたときの感慨。複雑な味わい。 防人に行くは誰が背と問ふ人を 見るが羨 (とも) しき物思ひもせず  万4425 *防人に行くのはどなたの夫ですか、と言ってる人を見ると、この人は物思いすることもないのだろうと羨ましい。 【似顔絵サロン】 未詳の作者  ? - ?  安曇 三国  あずみ の みくに ? - ? 奈良時代の貴族。755年、武蔵国防人部領使の掾として筑紫に赴任するさい、防人の歌20首を大伴家持に進上。4413~4424番が万葉集に収録。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20