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山部赤人の万葉集923-925番歌~アルケーを知りたい(1199)

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▼ 赤人が作る歌二首の最初の一首。長歌と短歌2つで構成。 春、秋、山、川を詠みこんだ長歌。もう一首は次回。  山部宿禰赤人が作る歌二首  幷せて短歌 やすみしし 我ご大君の 高知らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠り 川なみの 清き河内ぞ 春へは  花咲ををり 秋されば  霧立ちわたる その山の  いやしくしくに この川の  絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ 万923 *吉野の宮は山の緑美しく、川は清く、春は花、秋は霧が見事です。宮仕えの人は吉野の宮に常に通うことでしょう。  反歌二首 み吉野の象山の際の木末には ここだも騒ぐ鳥の声かも  万924 *吉野の象山の木立ではこんなにもたくさんの鳥が鳴き騒いでいます。 ぬばたまの夜の更けゆけば 久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く  万925 *夜が更けると木が生えている清らかな川原で千鳥が鳴いています。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 大伴 室屋  おおとも の むろや ? - ? 古代日本の豪族。允恭天皇から顕宗天皇まで5代の天皇に大連として仕えた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集917-919番歌~アルケーを知りたい(1198)

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▼今回の歌は724年に聖武天皇が和歌の浦に行幸したときの歌。長歌を見ると対比のフレーズを探したくなる。今回は「 風吹けば白波騒き  潮干 (ふ) れば玉藻刈りつつ 」を発見。風景に動画的な動きが出てくる。  神亀元年甲子の冬の十月五日に、紀伊の国に幸す時に、山部宿禰赤人が作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我ご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山 万917 *雑賀野の向こうに見える沖の島の渚が見事です。神代から貴い玉津島山です。  反歌二首 沖つ島荒磯の玉藻潮干満ち い隠りゆかば思ほえむかも  万918 *沖にある島の荒磯の玉藻が満潮で見えなくなったら、どうしようと思うことでしょう。 若の浦に潮満ち来れば潟をなみ 葦辺をさして鶴鳴き渡る  万919  右は、年月を記さず。ただし、「玉津島に従駕す」といふ。 よりて今、行幸の年月を検し注して載す。 *和歌の浦が満潮になったら、干潟がなくなるので、葦辺に向かって鶴が鳴きながら渡って行きます。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 大伴 金村  おおとも の かなむら ? - ? 豪族。外交政策の失敗で失脚。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集378・384番歌~アルケーを知りたい(1197)

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▼378番の故太政大臣とは、藤原不比等 ( 659 - 720 ) のこと。時を経て庭の山池 (しま) にさびが出て良い感じになっている様子を描いた鎮魂歌。384番の韓藍 (からあゐ) はけいとうの花。  山部宿禰赤人、故太政大臣藤原家の山池を詠む歌一首 いにしへの古き堤は年深み 池の渚に水草生ひにけり  万378 *昔からある古い堤は年を経るに従って深みを増しています。水際には水草が生えています。  山部宿禰赤人が歌一首 我が宿に韓藍蒔き生ほし枯れぬれど 懲りずまたも蒔かむとぞ思ふ  万384 *私の家で韓藍の種を蒔いて育てていたのに枯れてしまいました。これに懲りずまた蒔こうと思います。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 物部 麁鹿火  もののべ の あらかい ? - 536 古墳時代の豪族。528年、磐井の乱を平定。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集357-361番歌~アルケーを知りたい(1196)

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▼赤人が瀬戸内を旅したときの歌六首のうちの五首。舟で移動しているので、舟、島、磯、藻など海に関係するワードが出てくる。5つめの歌だけが陸の話。  山部宿禰赤人が歌六首 繩の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島 漕ぎ廻る舟は釣りしすらしも  万357 *繩の浦の後ろに見える沖の島あたりで漕ぎ廻っている舟は釣りでもしておるのかな。 武庫の浦を漕ぎ廻る小舟粟島を そがひに見つつ羨しき小舟  万358 *武庫の浦を漕ぎ回っている小舟よ。粟島を後ろに見ながらな漕いでいるのが羨ましいぞ、小舟よ。 阿倍の島鵜の棲む磯に寄する波 間なくこのころ大和し思ほゆ  万359 *阿倍の島の鵜が棲む磯に寄せる波のように絶えず大和のことを思っています。 潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が 浜づと乞はば何を示さむ  万360 *潮が引いたら玉藻を刈り集めておこう。家の妻が土産が欲しいと言ったら他に何もないので。 秋風の寒き朝明を佐農の岡 越ゆらむ君に衣貸さましを  万361 *秋風が寒い朝、佐農の岡を越えるあなた様に、防風着をお貸しすれば良かった。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 蕭 衍  しょう えん 464 - 549 南朝梁の初代皇帝。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集324-325番歌~アルケーを知りたい(1195)

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▼対比したフレーズが素晴らしい歌。「 春の日は 」と「 秋の夜は 」、「 朝雲に 」と「 夕霧に 」。そして締めに「 見るごとに音のみし泣かゆ  いにしへ思へば 」でまとめる。憎いね!  神岳に登りて、山部宿禰赤人が作る歌一首  幷せて短歌 みもろの 神なび山に 五百枝さし 繁に生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 玉蔓 絶ゆることなく ありつつも やまず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見が欲し 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづは騒ぐ 見るごとに 音のみし泣かゆ いにしへ思へば 万324  反歌 明日香川川淀さらず立つ霧の 思ひ過ぐべき恋にあらなくに  万325 *明日香川の川淀に立つ霧が消えないように、私たちの明日香への思いは消えるものではありません。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 安閑天皇  あんかんてんのう 466 - 536 第27代天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集322-323番歌~アルケーを知りたい(1194)

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▼今回は、赤人が松山の道後温泉で作った歌。かつて天皇が訪れた地の風景を詠んだ。 道後温泉は、 歴史と赤人の歌を持つ地であることがわかる。千年後には俳句の地になる。たしかに「 遠き代に神さびゆかむ  幸しところ 」だ。  山部宿禰赤人、 伊予の温泉 に至りて作る歌一首  幷せて短歌 すめろきの 神の命の 敷きいます 国のことごと 湯はしきも さにはあれども 島山の 宜しき国と こごしかも 伊予の高嶺の 射狭庭 (いざには) の 岡に立たして 歌思ひ 辞思ほしし み湯の上の 木群を見れば 臣の木も 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 幸 (いでま) しところ  万322  反歌 ももしきの大宮人の熟田津に 船乗りしけむ年の知らなく  万323 *昔、熟田津で 大宮人が 船乗りしていた時代がいつだったのか、分からなくなりました。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 クローヴィス1世  Clovis I 466 - 511 メロヴィング朝フランク王国の初代国王。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集317-318番歌~アルケーを知りたい(1193)

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▼今回から山部赤人の歌を味わう。トップバッターは 超有名作品 「 田子の浦ゆうち出てみれば真白にぞ 」の歌。日本では子どもが中学か高校の教科書で出会い、以来、心の糧とぞなりける。長歌の「 語り継げ言い継ぎ行かむ  富士の高嶺は 」のフレーズが良き。  山部宿禰赤人、富士の山を望る歌一首  幷せて短歌 天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継げ 言い継ぎ行かむ 富士の高嶺は  万317  反歌 田子の浦ゆうち出てみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける  万318 *田子の浦に出てみると、真っ白だ、富士の高嶺に雪が降って。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 宣化天皇  せんかてんのう 467 - 539 第28代天皇。父は継体天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

柿本人麻呂の万葉集3602-3611番歌~アルケーを知りたい(1192)

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▼3602番は人麻呂が奈良の空雲を飽かず眺める 歌。 この歌を見ると、自分にはいくら見ても見飽きない風景があっただろうか、とか、風景を長い時間見るような余裕があっただろうか、とか思ふ。そして人麻呂の時間の流れ方をうらやましく思ふ。 人麻呂時間の歌。  所に当りて誦詠する古歌 あをによし奈良の都にたなびける 天の白雲見れど飽かぬかも  万3602  右の一首は雲を詠む。 *奈良の都にたなびく空の白雲はいくら見ても飽きない。 妹が袖別れて久になりぬれど 一日も妹を忘れて思へや  万3604 *妻が袖を振って分かれてからだいぶ日が経ちましたけど、一日たりとも忘れたことはありません。 わたつみの海に出でたる飾麿川 絶えむ日にこそ我が恋やまめ  万3605  右の三首(ここでは一つ略したので二首)は恋の歌。 *海に流れ込む飾麿川 (しかまがわ) が干上がる日があるとしたら、その日こそ私の思いが途切れる時です(そんな日はないので、思いが途切れることはありません)。 玉藻刈る処女を過ぎて夏草の 野島が先に廬りす我れは  万3606  柿本朝臣人麻呂が歌には「駿馬 (みぬめ) を過ぎて」といふ。また「船近づきぬ」といふ。 *処女 (をとめ) を通り過ぎ、夏草が生える野島の少し先で我われは野宿します。 白栲の藤江の浦に漁りする 海人とや見らむ旅行く我れを  万3607  柿本朝臣人麻呂が歌には「荒栲の」といふ。また「鱸釣る海人とか見らむ」おいふ。 *知らない人が見ると、旅行中の我われは藤江の浦で魚を獲っている漁師に見えるかも、ですね。 天離る鄙の道を恋ひ来れば 明石の門より家のあたり見ゆ  万3608  柿本朝臣人麻呂が歌には「大和島見ゆ」といふ。 *田舎の道を都を思いながら旅するうちに、明石の門から我が家のあたりが見えてきます。 武庫の海の庭よくあらし漁りする 海人の釣舟波の上ゆ見ゆ  万3609  柿本朝臣人麻呂が歌には「笥飯の海の」といふ。また「刈り薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣舟」といふ。 *武庫の海は 良い 漁場らしい。漁師たちの釣り舟が波の上に見えます。 安胡の浦に舟乗りすらむ娘子らが 赤裳の裾に潮満つらむか  万3610  柿本朝臣人麻呂が歌には「嗚呼見の浦」といふ。また「玉裳の裾に」といふ。 *安胡の浦で舟に乗っている娘子たち。赤い裾まで潮が満ちていることでしょう。  七

柿本人麻呂の万葉集1812-1818番歌~アルケーを知りたい(1191)

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▼人麻呂の「霞たなびく」シリーズ。歌の中に「霞たなびく」が詠みこまれている。こういう趣向は面白いので何かで真似したくなる。  春雑歌 ひさかたの天の香具山この夕 霞たなびく春立つらしも  万1812 *天の香具山の夕方、霞がたなびいている。春が来たようだ。 巻向の檜原に立てる春霞 おほにし思はばなづみ来めやも  万1813 *檜原の春霞のようにぼんやりした思いでは苦労してここまで来たりはしない。 いにしへの人が植ゑけむ杉が枝に 霞たなびく春は来ぬらし  万1814 *昔の人が植えた杉の枝に霞がかかっている。春が来た印だ。 子らが手を巻向山に春されば 木の葉しのぎて霞たなびく  万1815 *巻向山に春が来ると、木の葉を霞が覆ってたなびく。 玉かぎる夕さり来ればさつ人の 弓月が岳に霞たなびく  万1816 *夕刻が近づくと弓月が岳に霞がたなびく。 今朝行きて明日には来ねと言ひし子か 朝妻山に霞たなびく  万1817 *今朝はお出かけになっても明日はまた戻って来てくださいと言った子のように、朝妻山に霞がたなびく。 子らが名に懸けのよろしき朝妻の 片山崖に霞たなびく  万1818  右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *その子の名に懸けるのにふさわしい朝妻の片山崖に霞がたなびく。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ヌルシアのベネディクトゥス  Benedictus de Nursia 480 - 547 中世のキリスト教の修道院長。西欧修道士の父。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集1761-1762番歌~アルケーを知りたい(1190)

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▼今回の 1761番は鹿が鳴く歌。これは、 1664番の鹿が鳴かない歌に応えて人麻呂が作った。  泊瀬の朝倉の宮に天の下知らしめす大泊瀬稚武天皇の御製一首 夕されば小倉の山に伏す鹿は 今夜は鳴かず寝にけらしも  万1664  右は、或る本には「岡本天皇の御製」といふ。  正指を審らかにせず、よりて累ね載す。 *夕方になったので小倉山で鹿が伏せている。今夜は鳴かずに寝るのだろう。  鳴く鹿を詠む一首  幷せて短歌 みもろの 神なび山に  たち向ふ 御垣の山に  秋萩の 妻をまかむと  朝月夜 明けまく惜しみ  あしひきの   山彦響め  呼び立て鳴くも  万1761 *山で鳴く鹿を詠む歌。  反歌 明日の宵逢はずあらめやもあしひきの 山彦響め呼び立て鳴くも  万1762  右の件の歌は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ。 *宵には逢えると思ってか、鹿が鳴いて 山彦を響かせている 。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ユスティニアヌス1世  Justinianus I 482 - 565 東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の第2代皇帝。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集1710-1711番歌~アルケーを知りたい(1189)

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▼今回の二つの和歌は、人麻呂が遊んで作ったみたい。最初の作品は「倉無の浜」をネタにして、二番目の作品は「粟の小島」をネタにして。ダジャレかな(笑)。実際の風景は 分からないけど実は倉が並んでいる倉無の浜だったり、でかい粟の小島だったりして。 我妹子が赤裳ひづちて植ゑし田を 刈りて収めむ倉無の浜  万1710 *わが妻が赤い裳を泥にまみれて植えた田んぼ。収穫した後、貯蔵する倉がない、というアホな名前の倉無の浜。 百伝ふ八十の島みを漕ぎ来れど 粟の小島は見れど飽かぬかも  万1711  右の二首は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ *たくさんの島を眺めながら漕ぎ進んできたけど、粟の小島は見ても見ても飽きることがないねえ。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 物部 尾輿  もののべ の おこし ? -? 古墳時代の豪族。安閑・欽明両天皇の大連。廃仏を主張、崇仏派の蘇我稲目と対立。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集501-504番歌~アルケーを知りたい(1188)

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▼501、502番は今の時代、ペテン師が使いそうなセリフ。自分がひねくれているせいか、これだけ見ると、その言葉、果たして信用できるかどうか分からない、と疑ってしまう(笑)。でも、503番などは、分かる分かる、そんなことあるよなーという感じ。  柿本朝臣人麻呂が歌三首 未通女らが袖布留山の瑞垣の 久しき時ゆ思ひき我は  万501 *乙女らが別れの時に袖を振ったという袖布留山の垣根が昔からあるように、私はお前さんをずっと思って来たんだよ。 夏野行く小鹿の角の束の間も 妹が心を忘れて思へや  万502 *夏の野原を歩く小鹿の角、それくらい短い間だって私はお前さんを忘れないのさ。 玉衣のさゐさゐしずみ家の妹に 物言はず来にて思ひかねつも  万503 *出かけるときの騒々しさが静まると、ふと家に残した妻に言い忘れたことがなかったか、気になってしまう。  柿本朝臣人麻呂が妻の歌一首 君が家に我が住坂の家道をも 我れは忘れじ命死なずは  万504 *あなた様の家に続く住坂の道を私は死んでも忘れませんよ。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 蕭 統  しょう とう 501 - 531 南朝梁の皇族。『文選』を編纂。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集496-500番歌~アルケーを知りたい(1187)

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▼出張先の人麻呂が自宅の妻とやりとりした格好の歌。大正・昭和時代だったら葉書に相当するのか、と思わせる。特に499番は郵便配達人と重なる。  柿本朝臣人麻呂が歌四首 み熊野の浦の浜木綿百重なす 心は思へど直に逢はぬかも  万496 *熊野浦の浜の木綿のように何度も繰り返しお前さんのことを思うけれど、直には逢えないのだな。 いにしへにありけむ人も我がごとか 妹に恋ひつつ寐寝かてずけむ  万497 *昔の人も私のように妻を恋しがりながら寝ていたのだろうね。 今のみのわざにはあらずいにしへの 人ぞまさりて音にさへ泣きし  万498 *(妻)それは今に限ったことではありませんよ。しかも昔の人は声をあげて泣いていたそうです。 百重にも来及かぬかもと思へかも 君が使の見れど飽かずあらむ  万499 *(妻)いつも、今こそあなた様がいっしゃるんじゃないか、と思っているので、あなた様からの使いは見飽きることがありません。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 穴穂部皇子  あなほべのみこ ? - 587 飛鳥時代の皇族。欽明天皇の皇子。聖徳太子の叔父。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集429-430番歌~アルケーを知りたい(1186)

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▼ 溺れ死にした出雲の娘の歌。火葬の煙を吉野山の霧に例えている。  溺れ死にし出雲娘子を吉野に火葬る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌二首 山の際ゆ出雲の子らは霧なれや 吉野の山の嶺にたなびく  万429 *山の際から湧き出る雲のように生き生きとしていた娘子が今は霧になって吉野の山の嶺でたなびいている。 八雲さす出雲の子らが黒髪は 吉野の川の沖になづさふ  万430 *雲が群がる出雲の娘子の黒髪が吉野川の波の間で漂っている。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 蘇我 稲目  そが の いなめ 506 - 570 古墳時代の豪族。欽明天皇の血縁。物部氏と仏教受容問題で争った。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集426、428番歌~アルケーを知りたい(1185)

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▼人麻呂の時代は、行き倒れの人の遺体が目に入ることがあったようだ。火葬の煙も見えた。目にするたびに生き死にを意識したに違いない。  柿本朝臣人麻呂、香具山の屍を見て、悲慟しびて作る歌一首 草枕旅の宿りに誰が夫か 国忘れたる家待たまくに  万426 *旅の途中で誰の夫か分からないが、国を忘れたように臥せる人がいる。国では家人が待っているであろうに。  土形娘子を泊瀬の山に火葬る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 こもりくの泊瀬の山の山の際に いさよふ雲は妹にかもあらむ  万428 *ひっそりとした泊瀬の山。その山の際でただよっている雲はあの娘子なのだろうか。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 欽明天皇  きんめいてんのう 509 - 571 第29代天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集303-304番歌~アルケーを知りたい(1184)

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▼今回は人麻呂が筑紫に出張するときに明石あたりで作った歌。飛鳥時代から奈良~大宰府の人の往来は活発だったようだ。朝廷が奈良県明日香村、遠の朝廷が大宰府、その間の明石海峡あたりを朝廷の門、としている。スケールが大きい。  柿本朝臣人麻呂、筑紫の国に下る時に、海道にして作る歌二首 名ぐはしき印南の海の沖つ波 千重に隠りぬ大和島根は  万303 *播磨灘の沖の波が幾重にも重なって、大和の山なみが見えなくなりました。 大君の遠の朝廷とあり通ふ 島門を見れば神代し思ほゆ  万304 *大君のいらっしゃる場所から離れたところにある遠の朝廷(大宰府)へに続く島門を見ると、神代が偲ばれる。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 敏達天皇  びだつてんのう 538 - 585 第30代天皇。欽明天皇の第二皇子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集264・266番歌~アルケーを知りたい(1183)

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▼人麻呂が近江の川と海で詠んだ歌2首。「 網代木にいさよふ波の 」とか「 近江の海夕波千鳥 」とかカッコ良いフレーズが味わい深い。水辺に立って口ずさんでみたくなる。  柿本朝臣人麻呂、近江の国より上り来る時に、宇治の川辺に至りて作る歌一首 もののふの八十宇治川の網代木に いさよふ波のゆくへ知らずも  万264 *宇治川に設置されている網代木でせき止められながら流れる波は、どこに行くのだろう。  柿本朝臣人麻呂が歌一首 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのにいにしへ思ほゆ  万266 *近江の海の夕方の波の上で千鳥が鳴くと、心が萎れて昔のことを思ってしまう。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 用明天皇  ようめいてんのう ? - 587 第31代天皇。欽明天皇の第四皇子。息子が厩戸皇子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集261-262番歌~アルケーを知りたい(1182)

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▼人麻呂が天武天皇の息子である新田部皇子 (にいたべしんのう) に献上した歌。 人麻呂の長歌の中ではいちばん短い作品。短くても枕詞が三つ 「やすみしし」「 高光る 」 「ひさかたの」が入っている。  柿本朝臣人麻呂、新田部皇子に献る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君  高光る 日の御子  敷きいます 大殿の上に  ひさかたの  天伝ひ来る  雪じもの 行き通ひつつ  いや常世まで  万261 *我が大君がお住まいになっておられる大殿の上に遥かな天から雪が降ってきます。その雪のようにこれからも長く長く通い続けたいものです。  反歌一首 矢釣山木立も見えず降りまがひ 雪の騒ける朝楽しも  万262 *矢釣山の木立も見えないほど雪が降り舞っている朝は楽しい。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 崇峻天皇  すしゅんてんのう 553 - 592 第32代天皇。蘇我馬子に殺される。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集249-256番歌~アルケーを知りたい(1181)

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▼ 羇旅は旅のこと。旅行中のあれこれを詠んだ歌。船での移動のようだ。場所は、野島が淡路島、 敏馬が神戸、藤江が明石。  柿本朝臣人麻呂が羇旅の歌八首 御津の崎波を畏み 隠江の船なる君は野島にと宣る  万249 *御津の崎の波が高いので安全のため、隠江に船を入れて静まるのを待っていた主君は、さあ野島に向かおうと宣言する。 玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の 野島の崎に船近づきぬ  万250  一本には「処女を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす我は」といふ。 *敏馬のあたりを過ぎて、夏草が茂る野島の先に船が近づいている。 淡路の野島の崎の浜風に 妹が結びし紐吹き返す  万251 *淡路の野島の崎で吹いてくる浜風に、妻が結んだ服の紐が風にたなびいている。 荒栲の藤江の浦に鱸釣る 海人とか見らむ旅行く我れを  万252  一本には「白栲の藤江の浦に漁りする」といふ。 *藤江の浦で鱸を釣る海人と見られるかも知れないな、旅をしている私は。 稲日野も行き過ぎかてに思へれば 心恋しき加古の島見ゆ <一には「水門(みと)見ゆ」といふ>  万253 *稲日野を通り過ぎたと思っていると心恋しい加古の島が見えてきた。 燈火の明石大門に入らむ日や 漕ぎ別れなむ家のあたり見ず  万254 *燈火のある明石大門に入る日になると、漕ぎながら別れるのだろうか、家のあたりを見ることもなく。 天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば 明石の門より大和島見ゆ  万255  一本には「家のあたり見ゆ」といふ。 *田舎の長い道を家が恋しいなあと思いながら進むと、明石の門から大和島が見えてくる。 笥飯の海の庭よくあらし 刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船  万256  一本には「武庫の海船庭ならし漁りする 海人の釣船波の上見ゆ」といふ。 *笥飯の海はよい漁場のようだ、海人の釣船がたくさん出ている。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ホスロー1世  Khusrau I ? - 579 ササン朝ペルシア帝国の第21代君主。不死の霊魂を持つ者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%

柿本人麻呂の万葉集239-241番歌~アルケーを知りたい(1180)

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▼この和歌の主人公の長皇子 (ながのみこ) は天武天皇の皇子。息子が 文室浄三 。百人一首の歌人、 文屋康秀と朝康はだいぶ後の子孫。 ▼この歌は「 い匐ひ〇〇〇 」が四回続いて出てくる。鹿は「拝」、鶉は「廻」がセットになっているのが印象的。  長皇子、猟路の池に遊す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷せて短歌 やすみしし 我が大君  高光る 我が日の御子の  馬並めて 御狩立たせる  若薦を 猟路の小野に  鹿こそば  い匐ひ拝め   鶉こそ  い匐ひ廻れ   鹿じもの  い匐ひ拝み   鶉なす  い匐ひ廻り   畏みと 仕へまつりて  ひさかたの 天見るごとく  まそ鏡 仰ぎて見れど  春草の いやめづらしき  我が大君かも 万239  反歌一首 ひさかたの天行く月を網に刺し 我が大君は蓋にせり  万240 *天に浮かぶ月を網で捉えて、我が大君は日よけの傘にしていらっしゃいます。  或本の反歌一首 大君は神にしませば真木の立つ 荒山中に海を成すかも  万241 *大君は神でいらっしゃるので、険しい山の中であっても海を作っておられます。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。 文室 浄三  ふんや の きよみ 693 - 770 飛鳥時代~奈良時代の皇族・公卿。天武天皇の孫。長親王の子。 天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒を  万4275 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集235番歌~アルケーを知りたい(1179)

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▼今回の歌は、万葉集第三巻の冒頭に出てくる人麻呂作の雑歌。この天皇が誰をいうのかというと、持統天皇、天武天皇、文武天皇の説があるらしい。   天皇、雷の岳に幸す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 大君は神にしませば天雲の 雷の上に廬らせるかも  万235  右は或本には「忍壁皇子に献る」といふ。 その歌には「 大君は神にしませば雲隠る 雷山に宮敷きいます 」といふ。 *大君は神であられるので、天の雲、雷の上の廬にいらっしゃる。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ホルミズド4世  Hormizd IV 540 - 590 ササン朝の王。ホスロー1世の息子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集226-227番歌~アルケーを知りたい(1178)

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▼226番歌は、人麻呂の222番歌にインスパイアされた 丹比真人 (たぢひのまひと) という人物が詠んだ作品。  讃岐の狭岑の嶋にして、石中の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌 沖つ波来寄る荒磯を敷栲の 枕とまきて寝せる君かも  万222 *沖から波が寄せる荒磯を枕にして寝ている人がいる。  丹比真人 <名は欠けたり> 、柿本朝臣人麻呂が意に擬へて報ふる歌一首 荒波に寄り来る玉を枕に置き 我れここにありと誰か告げけむ  万226 *荒波に寄せられて来る玉のような波を枕にして私が横たわっていることを誰が妻に知らせてくれたのだろうか。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ホスロー2世  Khosrow II 570 - 628 ササン朝最後の偉大な王。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html