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万葉集巻第十七3947-3950番歌(天離る鄙に月経ぬ)~アルケーを知りたい(1499)

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▼都から離れた任地先で寂しいものですな、お互いに会いたいですな、と言い合う家持と池主の歌。3947番の解説によると、雁は遠くにいる人同士を結び付ける兆しと見られていたとのこと。あとの三つ、別れの時に紐を結んで再会したら解くというまじないを歌ったもの。 今朝の朝明秋風寒し遠つ人 雁が来鳴かむ時近みかも  万3947 *今朝の朝の明け方に吹く秋風で寒いです。遠方に人と縁を結ぶという雁がやって来る日が近いのかも知れません。 天離る鄙に月経ぬしかれども 結ひてし紐を解きも開けなくに  万3948  右の二首は、守大伴宿禰家持作る。 *都から離れたこの田舎の地にやって来てだいぶ日が過ぎました。けれども、妻が祈願して結んでくれた紐を解いたことはありません。 天離る鄙にある我れをうたがたも 紐解き放けて思ほすらめや  万3949  右の一首は、掾大伴宿禰池主。 *都から離れたこの田舎に我らを結び付けた紐を解き放ったなどと思ってるのでしょうか。 家にして結ひてし紐を解き放けず 思ふ心を誰か知らむも  万3950  右の一首は、守大伴宿禰家持作る。 *家で妻が祈願して結んだこの紐を解くことなく思いを募らせている私の心境を分かってくれる人はいるのか。 【似顔絵サロン】 藤原 仲麻呂  ふじわら の なかまろ 恵美押勝 706 - 764 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。757年、 橘奈良麻呂の乱を制圧し敵を一掃 。 764年、藤原仲麻呂の乱で敗北。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3943-3946番歌(秋の夜は暁寒し)~アルケーを知りたい(1498)

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▼大伴家持と池主の和歌のやりとり。池主は 橘奈良麻呂の乱で獄死、家持は藤原種継の乱で死去後、官位はく奪となる。すごい生き方の二人。  八月の七日の夜に、守大伴宿禰家持が館に集ひて宴する歌 秋の田の穂向き見てがり我が背子が ふさ手折り来るをみなへしかも  万3943  右の一首は、守大伴宿禰家持作る。 *我が友が秋の田の穂の様子を眺めながら、土産に手折って持って来てくれた女郎花ですね。 をみなえし咲きたる野辺を行き廻り 君を思ひ出た廻り来ぬ  万3944 *女郎花が咲いている野原を貴方様を思いながらぐるぐる歩き回ってやってきました。 秋の夜は暁寒し白栲の 妹が衣手着むよしもがも  万3945 *秋の夜は暁が特に冷え込む。妻の温かい衣が着られると良いのに。 ほととぎす鳴きて過ぎにし岡ひから 秋風吹きぬよしもあらなくに  万3946  右の三首は、掾 大伴宿禰池主 作る。 *ホトトギスが鳴きながら飛んでゆく岡のあたりから、秋風が吹いて来ますね。妹の衣で温まる方法もないのに。 【似顔絵サロン】 大伴 池主  おおとも の いけぬし ? - 757 奈良時代の官人・歌人。 橘奈良麻呂の乱に参加した罪で獄死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3926番歌(大宮の内にも外にも)~アルケーを知りたい(1497)

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▼橘諸兄をはじめとする朝廷の重鎮が中宮の 雪掃きに集い、宴を開いて和歌を詠んだ。締めが家持。後書きで、歌を詠んだ人はもっといたのに、その歌が記録に漏れた、とある。このメンバーに声をかけたのは橘諸兄。でも諸兄の歌がない。これは漏れたのではなく詠まなかったから。 秦朝元が「歌の代わりに ジャコウをお出ししては」冗談を言ったという。ジャコウは高価な香料。諸兄の豊かさと皆さんの歌の価値の高さをうまく言い表していると思ふ。  大伴宿禰家持、詔に応ふる歌一首 大宮の内にも外にも光るまで 降らす白雪見れど飽かぬかも  万3926 *大宮の内も外も光輝くまで降る白雪はいくら見ても見飽きません。  藤原豊成朝臣、 巨勢奈弖麻呂 、 大伴牛養 宿禰、藤原仲麻呂朝臣、三原王、智努王、船王、邑知王、小田王、林王、穂積朝臣老、小田朝臣諸人、小野朝臣綱手、高橋朝臣国足、太朝臣徳太理、高丘連河内、 秦忌寸朝元 、楢原造東人 右の件の王卿等、詔に応へて歌を作り、次によりて奏す。 その時に記さずして、その歌漏り失せたり。 ただし、 秦忌寸朝元 は、左大臣橘卿に謔れて云はく、「歌を賦するに堪へずは、麝をもちてこれを贖へ」といふ。 これによりて黙してやみぬ。 【似顔絵サロン】 秦 朝元  はた の あさもと ? - ? 奈良時代の官人。遣唐留学僧・弁正の子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3922-3925番歌(降る雪の白髪までに)~アルケーを知りたい(1496)

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▼今回は、太上天皇 (在位時は元正天皇) の御在所に雪が積もったので、左大臣や大納言が集まって雪掃きをしたとき、詠んだ歌を集めたもの。一気にたくさんの顔ぶれによる歌が出て来る。お酒も出て宴会になった模様。  天平十八年の正月に、白雪多に零り、地に積むこと数寸なり。 時に、左大臣橘卿、大納言藤原豊成朝臣また諸王諸臣たちを率て、太上天皇の御在所<中宮の西院>に参入り、仕へまつりて雪を掃く。 ここに詔を降し、大臣参議幷せて諸王は、大殿の上に侍はしめ、諸卿大夫は、南の細殿に侍はしめて、すなはち酒を賜ひ肆宴したまふ。 勅して曰はく、「汝ら緒王卿たち、いささかにこの雪を賦して、おのもおのもその歌を奏せ」とのりたまふ。   左大臣橘宿禰 、詔に応ふる歌一首 降る雪の白髪までに大君に 仕へまつれば貴くもあるか  万3922 *ここに降った白雪のように白髪になるまで大君に仕えることができましたことが、何より貴いことでございます。   紀朝臣清人 、詔に応ふる歌一首 天の下すでに覆ひて降る雪の 光りを見れば貴くもあるか  万3923 *天の下をあまねく覆って降る雪が光り輝いているのを見るのは誠に貴いことです。   紀朝臣男梶 、詔に応ふる歌一首 山の狭そことも見えず一昨日も 昨日も今日も雪の降れれば  万3924 *山の谷が見えないほど一昨日も昨日も今日も雪が降り続いております。   葛井連諸会 詔に応ふる歌一首 新しき年の初めに豊の年 しるすとならし雪の降れるは  万3925 *新年の初めに雪がこんなに降るのは今年が豊かな年になる予兆です。 【似顔絵サロン】 橘 諸兄  たちばな の もろえ 684 - 757 奈良時代の皇族・公卿。家持と和歌を通して密な関係を持っていた。家持:いにしへに君の三代経て仕へけり我が大主は七代申さね 万4256 紀 清人  き の きよひと ? - 753 奈良時代の貴族・学者。紀大人の孫。優れた学者として重んじられた。 紀 男梶  き の おかじ ? - ? 奈良時代の貴族。紀麻路の子。 葛井 諸会  ふじい の もろえ ? - ? 奈良時代の貴族。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3918-3921番歌(あをによし奈良の都は)~アルケーを知りたい(1495)

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▼前回の二首と合わせてホトトギスと鶉の歌、合計六首。 家持の作品。最後の3921番が猟の歌で前の歌と調子が違う。これは 鷹を使った 猟ではないだろうか。だから鳥の括りに入れたのだと思ふ。ファッションにも気を配っていて、家持の猟好きぶりが伝わる。 橘のにほへる園にほととぎす 鳴くと人告ぐ網ささましを  万3918 *橘の花の香が満ちた庭でホトトギスが鳴いていると人が知らせてくれた。やっぱり網で囲っておくべきだった。 あをによし奈良の都は古りぬれども ほととぎす鳴かずあらなくに  万3919 *奈良の都は古びたけれども、ホトトギスが鳴かないことなどないのだ。 鶉鳴く古しと人は思へれど 花橘のにほふこのやど  万3920 *鶉などが鳴いて古びた家だなと人は思うかも知れない。けれど、花橘の香りが満ちる家なのだよ。 かきつはた衣に摺り付けますらをの 着襲ひ猟する月は来にけり  万3921  右の六首の歌は、天平十六年の四月の五日に、独り平城故郷の旧宅に居りて、大伴宿禰家持作る。 *カキツバタの花の色を衣に摺り付けながら男たちが猟をする月が来ました。 【似顔絵サロン】 葛井 諸会  ふじい の もろえ ? - ? 奈良時代の貴族。万3925の作者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3914-3917番歌(ほととぎす今し来鳴かば)~アルケーを知りたい(1494)

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▼「このタイミングでこうなったら凄いんだけど」という気持ちを歌にしたのが3914番。「万代に語り継ぐ」は大げさじゃないかと思うけど、日常の一コマを際立たせてアクセントをつける作者の田口馬長、人生を面白く送れる人とお見受けした。 続く三首は山部赤人のウグイスの歌。なんだか言葉の選び方、ならべ方の品位が高い気がする。  霍公鳥を思ふ歌一首  田口朝臣馬長 作る ほととぎす今し来鳴かば万代に 語り継ぐべく思ほゆるかも  万3914  右は、伝へて云はく、「ある時に交遊集宴す。この日ここに、霍公鳥喧かず。 よりて、件の歌を作り、もちて思慕の意を陳ぶ」といふ。 ただし、その宴する所幷せて年月、いまだ詳審らかにすること得ず。 *ホトトギスが今ここに来て鳴いてくれたら、これからずっと先まで語り継げる話になるのだが。  山部宿禰赤人、春鶯を詠む歌一首 あしひきの山谷越えて野づかさに 今は鳴くらむうぐひすの声  万3915  右は、年月と所処と、いまだ詳審らかにすること得ず。 ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す。 *山や谷を越えた小高いところで今、ウグイスが鳴いている声が聞こえます。  十六年の四月の五日に、独り平城の故宅に居りて作る歌六首 橘のにほへる香かもほととぎす 鳴く夜の雨にうつろひぬらむ  万3916 *橘の花の香。ホトトギスが鳴く夜の雨で消えてしまっただろうか。 ほととぎす夜声なつかし網ささば 花は過ぐとも離れずか鳴かむ  万3817 *ホトトギスが夜鳴く声が心に沁みる。網で囲っておけば花が終わっても鳴いてくれるだろうか。 【似顔絵サロン】 田口 馬長  たぐち の うまおさ ?  -  ? 奈良時代の歌人。  〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3911-3913番歌(あしひきの山辺に居れば)~アルケーを知りたい(1493)

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▼兄の家持が弟の書持に送った歌三首。読んで良いなと思うものの、なぜそう思ったのか分からない。家持は、 橙橘が咲き霍鳥が鳴く時期、 鬱結の気分だったらしい。それを和歌にして弟に送った。自分の気分を訴えられる相手がいるのは幸い。  橙橘初めて咲き、霍鳥翻り嚶く。 この時候に対ひ、あに志を暢べざらめや。 よりて、三首の短歌を作り、もちて鬱結の緒を散らさまくのみ。 あしひきの山辺に居ればほととぎす 木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし  万3911 *山辺で暮らしているとホトトギスが木の間に来て鳴かない日はありません。 ほととぎす何の心ぞ橘の 玉貫く月し来鳴き響むる  万3912 *ホトトギスは何を思って橘の玉を貫く月にやって来ては鳴き声を響かせるのでしょう。 ほととぎす楝の枝に行きて居らば 花は散らむな玉と見るまで  万3913  右は、四月の三日に、内舎人大伴宿禰家持、久邇の京より弟書持に報へ送る。 *ホトトギスがセンダンの枝にとまると花が散り、まるで玉のように見えます。 【似顔絵サロン】 紀 男梶/小楫/男楫  き の おかじ ? - ? 奈良時代の貴族。紀麻路の子。 3924番「 山の峡そことも見えず一昨日も 昨日も今日も雪の降れれば」 の作者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3907-3910番歌(楯並めて泉の川の)~アルケーを知りたい(1492)

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▼今回出て来る久邇の都とは 740年から744まで聖武天皇が都にしていた場所。現在は京都府相楽郡加茂町。京都はすごい所だわ。  三香の原の新都を讃むる歌一首 幷せて短歌 山背の  久邇の都 は 春されば 花咲きををり 秋されば 黄葉にほひ 帯ばせる 泉の川の 上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には 浮橋渡し あり通ひ 仕へまつらむ 万代までに  万3909 *久邇の都は春には花、秋には黄葉、泉川の上流には打橋、淀には浮橋があります。この先いつまでも末永くこの都で仕えたい。  反歌 楯並めて泉の川の水脈絶えず 仕へまつらむ大宮ところ  万3908 *泉川の流れの絶えることがないのと同じくこの大宮所に仕えて参ります。  右は、天平十三年の二月に、右馬頭 境部宿禰老麻呂 作る。  霍公鳥を詠む歌二首 橘は常花にもがほととぎす 棲むと来鳴かば聞かぬ日なけむ  万3909 *橘の花が一年中咲いていたらホトトギスが住みついていつも鳴き声が聞けるのですが。 玉に貫く楝を家に植ゑたらば 山ほととぎす離れず来むかも  万3910  右は、四月の二日に、大伴宿禰書持、奈良の宅より兄家持に贈る。 *薬玉にする楝を家に植えたならば、山ホトトギスがいつも来てくれるかも、です。 【似顔絵サロン】 境部 老麻呂  さかいべ の おゆまろ ? - ? 奈良時代の貴族。「楯並めて泉の川の水脈絶えず 仕へまつらむ大宮ところ 万3908」の作者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3903-3906番歌(春雨に萌えし柳か梅の花)~アルケーを知りたい(1491)

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▼春の明るい気分の歌四首。うち二首が梅の花を折り取ろうとする歌。それにしても当時、どうやって小枝を取っていたのだろう。 ぽきっと折れるものでもない。 攀じり取ると花が散りそうだし、キレイに取れなさそう。小刀を使っていたのだろう、と思いたいが、無粋になるか。どうやって取っていたのかが気になる。3906番はたくさんの梅の花がいちど空に舞い上がり、雪になって降ってくるというイメージの歌。攀じり取るのが気になった後の口直しとして爽やかだ。 春雨に萌えし柳か梅の花 ともに後れぬ常の物かも  万3903 *春雨で萌えだした柳の花、梅の花。いつものとおりどちらも後になりたくない様子。 梅の花いつは折らじといとはねど 咲きの盛りは惜しきものなり  万3904 *梅の花を折り取ろうと思うけど、花が盛りの時は、惜しいものだ。 遊ぶ内の楽しき庭に梅柳 折りかざしては思ひなみかも  万3905 *庭で楽しく遊んで梅と柳を折りかざしていると心残りがなくなりますね。 御園生の百木の梅の散る花し 天に飛び上がり雪と降りけむ  万3906  右は、十二年の十二月の九日に、大伴宿禰家持作る。 *御園に植わっているたくさんの梅の花はいちど天に昇り、雪として地上に降ってくるのでしょう。 【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)と同時代の人びと: 紀 清人 / 浄人  き の きよひと ? - 753 奈良時代の貴族・学者。紀大人の孫。優れた学者として重んじられた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3896-3902番歌(家にてもたゆたふ命)~アルケーを知りたい(1490)

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▼大宰府から海路で都に戻る一行の歌の二首。当時の人(役人)にとって、船旅は心細く、大宰府は遠い遠い奥地だったことが分かる。続く七夕の歌、梅花の宴の歌は、詠み手のイメージが一気に飛躍する。作者は家持と弟の 書持。 家にてもたゆたふ命波の上に 浮きてし居れば奥か知らずも  万3896 *家にいてもどうなるか分からない命なので、舟にのって波に揺られていると、この先どうなるかまったく分からない気持ちです。 大海の奥かも知らず行く我れを いつ来まさむと問ひし子らはも  万3897  右の九首の作者は、姓名を審らかにせず。 *大きな海の上をどこに進んでいるのか分からない私、いつ家に戻るのかと聞いた妻を思い出します。  十年の七月の七日の夜に、独り天漢を仰ぎて、いささかに懐を述ぶる一首 織女し舟乗りすらしまさ鏡 清き月夜に雲立ちわたる  万3900  右の一首は、大伴宿禰家持作る。 *織女が舟に乗り込んだようです。清らかな月夜に雲が出てきましたから。  大宰の時の梅花に追ひて和ふる新しき歌六首 み冬継ぎ春は来れど梅の花 君にしあらねば招く人もなし  万3901 *冬に続いて春が来ました。お招きするのは梅の花、貴方様をおいて他にはありません。 梅の花み山としみにありともや かくのみ君は見れど飽かにせむ  万3902 *梅の花が山一面に咲いたとしても、(梅の花の)貴方様をいくら見ても見飽きることはありません。 【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)と同時代の人びと: 藤原 豊成  ふじわら の とよなり 704 - 766 奈良時代の貴族。長屋王の変を主導した藤原武智麻呂の長男。天性の資質が豊かな人物。逆境のときは「病気」と称して自宅に籠り表立った動きをしなかった。そのうち状況が変わると「病気」も治った。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3894-3899番歌(大船の上にし居れば)~アルケーを知りたい(1489)

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▼昨日に続いて、 大宰府から都までの海の旅路 のメンバーたちによる歌。明るい気分が伝わる。 淡路島門渡る船の楫間にも 我は忘れず家をしぞ思ふ  万3894 *淡路島を通り過ぎる船で楫の音を聞きながら、家をなつかしく思っています。 大船の上にし居れば天雲の たどきも知らず歌乞はむ我が背  万3898 *大型船に乗っていると天の雲にでもなったような気分です。ここでひとつ、歌をお願いしましょう、みなさん。 海人娘子漁り焚く火のおほほしく 角の松原思ほゆるかも  万3899 *漁師や娘子が漁をしながら焚いている火を見ていると角の松原を思い出します。 たまはやす武庫の渡りに天伝ふ 日の暮れ行けば家をしぞ思ふ  万3895 *武庫の船着き場で日暮れ時を迎えたので、家がなつかしく思います。 【似顔絵サロン】傔従 けんじゆう ? - ? 奈良時代の役人。730年、大伴旅人が大納言に任ぜられたとき、陸路の旅人とは別に海路で上京した従者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十七3890-3893番歌(我が背子を我が松原よ)~アルケーを知りたい(1488)

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▼今回から第17巻。大宰帥の大伴旅人が京都へ戻る時、陸路と海路に分かれた。旅人は陸路。 傔従( 従者)たちは海路をとった。 傔従の歌四首。ばらばらなように見えて、船旅の様子が伝わってくる。3890番は海岸で漁師たちが玉藻を刈っている風景のスケッチ。3891番は家が恋しい気持ちの表明、3892番は港で船が混みあっている様子、そして3893番で船の進みに驚く歌。いずれも都に帰る 傔従の 高揚感が伝わってくる。  天平二年庚午の冬の十一月に、大宰帥大伴卿、大納言を任けらえて<帥を兼ぬること旧のごとし>京に上る時に、傔従等、別に海路を取りて京に入る。ここに羇旅を悲傷しび、おのおのも所心を陳べて作る歌十首 我が背子を我が松原よ見わたせば 海人娘子ども玉藻刈る見ゆ  万3890  右の一首は、三重連石守作る。 *「わが背子を待つ」という松原を見渡すと、漁師と娘子たちが玉藻を刈り取っているのが見えます。 荒津の海潮干潮満ち時はあれど いづれの時か我が恋ひざらむ  万3891 *荒津の海は干潮満潮の時間は決まっていますが、家が恋しくなるのは決まった時がありません。 磯ごとに海人の釣舟泊てにけり 我が船泊てむ磯の知らなくに  万3892 *磯ごとに漁師の釣り舟が停泊しているので、私たちの船を泊める磯がどこか分かりません。 昨日こそ船出はせしか鯨魚取り 比治奇の灘を今日見つるかも  万3893 *昨日船出したばかりと思っていたら、今日は比治奇の灘を眺めているとは。 【似顔絵サロン】 三野 石守  みの の いしもり ? - ? 奈良時代の人物。大伴旅人の従者。引き攀ぢて折らば散るべみ梅の花 袖に扱入れつ染まば染むとも 万1644 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17

万葉集巻第十2332-2350番歌(思ひ出づる時はすべなみ)~アルケーを知りたい(1487)

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▼今回は万葉集巻第十の最後の4首。見えない月を詠ったり、來るであろう人を詠ったり、ここにいて欲しいけれどいない人を詠っている。中でも豊国の由布山の雪で不在の人を詠う2341番は寂しく美しい。  月を詠む さ夜更けば出で来む月を高山の 嶺の白雲隠すらむかも  万2332 *夜が更ければ出てくるはずの月を高山の嶺の白雲が隠しているのかも。 思ひ出づる時はすべなみ豊国の 由布山雪の消ぬべく思ほゆ  万2341 *思い出すとどうしようもないので大分の由布山の雪のように消え入るばかり。  花に寄す 我がやどに咲きたる梅を月夜よみ 宵々見せむ君をこそ待て  万2349 *我が家の庭で咲いた梅。月が良いのでお見せしたくお待ちしています。  夜に寄す あしひきの山のあらしは吹かねども 君なき宵はかねて寒しも  万2350 *山嵐は吹いてないけれども貴方様のいらっしゃらない夜は最初から寒々しいです。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 山上 憶良  やまのうえの おくら 660 - 733 奈良時代初期の貴族・歌人。726年に筑前守。728年、大宰帥として赴任した大伴旅人や満誓と共に筑紫歌壇を形成。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2328-2331番歌(来て見べき人もあらなくに)~アルケーを知りたい(1486)

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▼2328番の歌には何とも言えない感慨というか郷愁のような味わいがある。俺を訪ねて来る人なんていないから、よく咲いた梅の花なんだけど、散ってしまっても良いよ、と花に呼びかけるスタイル。誰かと梅の花をネタに会話できればよいのだが。それができないので、梅の花が孤独感を強調してしまう。散りぬともよし、と言ってしまう心情が、分かるわーと思ふ。 来て見べき人もあらなくに我家なる 梅の初花散りぬともよし  万2328 *わざわざやって来て見てくれる人もいないので、我が家の梅の一番花はこのまま散ってよし。 雪寒み咲きには咲かぬ梅の花 よしこのころはかくてもあるがね  万2329 *雪降る寒さなので咲こうにも咲けない梅の花よ。ま、このままでいてもよかろう。  露を詠む 妹がためほつ枝の梅を手折るとは 下枝の露に濡れにけるかも  万2330 *妻のためにと思って飛び出た梅の枝を手折ったところ、下の枝についていた露で濡れてしまった。  黄葉を詠む 八田の野の浅茅色づく有乳山 嶺の沫雪寒く降るらし  万2331 *八田野の浅茅が色づいています。有乳山の嶺では沫雪が寒々と降っているようです。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 満誓  まんぜい ? - ? 飛鳥時代から奈良時代の貴族・僧・歌人。723年、観世音寺の造寺司として筑紫に赴任。727年、大宰府に赴任した大伴旅人らと共に筑紫歌壇を形成。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2324-2327番歌(誰が園の梅にかありけむ)~アルケーを知りたい(1485)

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▼今回は雪の歌1首と梅の花の歌3首。あしひきの、と来たら山。山が白くなっている。これは昨夜我が家に降った雪かもね、という遊びの歌。こういう心のゆとり、取り戻したいなと思ふ。続く梅の花は、花びらを雪のように見立てているかのよう。それにしても万葉時代の人は良い梅を見るとすぐ折ろうとするなあ。 あしひきの山に白きは我がやどに 昨日の夕降りし雪かも  万2324 *山が白くなっているのは、昨日の夕方我が家に降った雪かも知れません。  花を詠む 誰が園の梅の花ぞもひさかたの 清き月夜にここだ散りくる  万2325 *誰の家の庭の梅の花が流れてこの清らかな月夜のここで散っているのでしょう。 梅の花まづ咲く枝を手折りてば つとと名付けてよそへてむかも  万2326 *梅の花を一番につけた枝を手折って土産としてプレゼントしようかな。 誰が園の梅にかありけむここだくも 咲きてあるかも見が欲しまでに  万2327 *どなたの家の庭にあった梅の花なのでしょうか。見事なので元の木を見たくなります。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 大伴 旅人  おおともの たびと 665 - 731 飛鳥時代から奈良時代の公卿・歌人。家持の父。728年、63歳で 大宰府に赴任、山上憶良・満誓らと筑紫歌壇を形成。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2320-2323番歌(我が背子を今か今かと)~アルケーを知りたい(1484)

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▼今回は雪の歌四首。どっさり降る雪ではなく、ほどろほどろに降る風情。沫雪という言葉が出て来るのが二首。雪の博士、中谷宇吉郎は雪を天からの手紙と表現した。今回の四首も天からの手紙を受け取った人の思いが詠われているよう。宇吉郎、うまいことを言った。 我が袖に降りつる雪も流れ行きて 妹が手本にい行き触れぬか  万2320 *私の袖に降りかかる雪が妻の手元まで流れて触れないものか。 沫雪は今日はな降りそ白栲の 袖まき干さむ人もあらなくに  万2321 *沫雪は今日は降らないでもらいたい。なぜなら白栲の袖を巻き上げて干してくれる人がいないから。 はなはだも降らぬ雪ゆゑこちたくも 天つみ空は曇らひにつつ  万2322 *あまり大して降る雪でもないのに、空一面曇っている。 我が背子を今か今かと出で見れば 沫雪降れり庭もほどろに  万2323 *私の夫の帰りを今か今かと待って外に出て見ると沫雪がうっすらと庭に積もっています。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 坂上 苅田麻呂  さかのうえ の かりたまろ 728 - 786 奈良時代の公卿・武人。父が坂上犬養。子が田村麻呂。代々弓馬の道を世職とし馳射(走る馬から弓を射る)を得意とする武門の一族。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2316-2319番歌(夕されば衣手寒し)~アルケーを知りたい(1483)

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▼今回は雪を詠う四首。歌の対象が遠くの山だったり、空だったり、庭だったり、と距離感いろいろ。2319番は上の句で衣手が寒く感じるのでと言い、下の句で山を見ると木に雪が、と言って、近距離と遠距離を一句のうちにまとめている。  雪を詠む 奈良山の嶺なほ霧らふうべしこそ 籬が下の雪は消ずけれ  万2316 *奈良山の嶺はいまだに霧が覆っています。だから籬の下の雪も消えずに残っているのですね。 こと降らば袖さへ濡れて通るべく 降りなむ雪の空に消えにつつ  万2317 *雪は同じ降るなら袖まで濡れるくらい降って欲しいのに、空で消えてしまってます。 夜を寒み朝戸を開き出で見れば 庭もはだらにみ雪降りたり   一には「庭もほどろに雪ぞ降りたる」といふ  万2318 *夜が寒かったので朝、戸を開けて外に出て見ると庭には雪が降っていました。 夕されば衣手寒し高松の 山の木ごとに雪ぞ降りたる  万2319 *夕方になるとたもとのあたりが冷える。それもそのはず高松の山の木ごとに雪が降っています。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 坂上 犬養  さかのうえ の いぬかい 682 - 765 奈良時代の貴族・武人。若い頃から武芸の才を発揮。聖武天皇が信頼。父は坂上大国。子は苅田麻呂。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2312-2315番歌(我が袖に霰た走る)~アルケーを知りたい(1482)

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▼今回は冬雑歌4首。私の一押しは2312番。ばらばらと降ってきた 霰(あられ)を袖に包んで妻に見せよう、という歌。気温は寒いかも知れないが気持ちは暖かい。2315番も、 枝がたわむほど雪が降り積もって山道がどれか分からないと詠う、 ゆったりした心の構えに、狭量な己が諭される思いがするので、良い歌だ。  冬雑歌 我が袖に霰た走る巻き隠し 消たずてあらむ妹が見むため  万2312 *袖に霰がぱらぱらと落ちる。これを妻に見せるため包んでおこう。 あしひきの山かも高き巻向の 崖の小松にみ雪降りくる  万2313 *山が高いからなのか、巻向の崖に生えた小松に雪が降っています。 巻向の檜原もいまだ雲居ねば 小松が末ゆ沫雪流る  万2314 *巻向の檜原にはまだ雲がかかってないのに、小松の枝の先から沫雪が流れてきます。 あしひきの山道も知らず白橿の 枝もとををに雪の降れれば   或いは「枝もたわたわ」といふ  万2315  右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。ただし、件の一首は、或本には「三方沙弥が作」といふ。 *山道がどこにあるのか分かりません。枝もたわわに雪が降り積もっているので。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 坂上 苅田麻呂  さかのうえ の かりたまろ 728 - 786 奈良時代の公卿・武人。代々弓馬の道を職とし馳射 (走る馬からの弓を射ること) を得意とする武門の一族。父が坂上犬養。子が田村麻呂。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2235-2238番歌(天飛ぶや雁の翼の)~アルケーを知りたい(1481)

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▼2235 番 と2237番は自分ひとりなので寂しい、孤独だ、という気持ちの歌。反対に2236番は、ポジティブな気持ちの歌。同じ時雨でも、捉え方の違いで歌の調子ががらっと変わる。2238番は霜がどこから降りて来るのかを考察した歌。空を飛ぶ雁の翼から霜がきらきらと降りてくるようなビジュアルの現代的な感覚 。 秋田刈る旅の廬りにしぐれ降り 我が袖濡れぬ干す人なしに  万2235 *旅の途中、雨になったので小屋に入ったんだけど、濡れた服を乾かしてくれる人はいない。 玉たすき懸けぬ時なく我が恋ふる しぐれし降らば濡れつつも行かむ  万2236 *いつも待ち望んでいた時雨が降れば、濡れても私は出かけますよ。 黄葉を散らすしぐれの降るなへに 夜さへぞ寒きひとりし寝れば  万2237 *黄葉を散らす時雨が降るのに加え夜の寒さがきつい。特に一人で寝ていると。  霜を詠む 天飛ぶや雁の翼の覆ひ羽の いづく漏りてか霜の降りけむ  万2238 *天空を飛ぶ雁の翼の羽のどこから漏れて霜が降りて来たのでしょう。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 氷上 川継 /河継 ひがみ の かわつぐ ? - ? 奈良時代後期から平安時代初期の貴族。天武天皇の曾孫。782年、氷上川継が朝廷を転覆する謀反を計画するも事前に発覚して失敗。家持(64)と坂上苅田麻呂が官職を解かれた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2231-2234番歌(一日には千重しくしくに)~アルケーを知りたい(1480)

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▼春に秋の歌を見ていると、二つの季節の味の違いがどこにあるのか、考えたくなる。春に桜花が散り、秋に萩の花が散る、散り落ちる点は同じ。風が吹くのも同じ。生き物が鳴くのも同じ。雨が降るのも同じ。同じが多いのに、季節の味わいが違う。この違いはどこから来るのだろうか。 萩の花咲きたる野辺にひぐらしの 鳴くなるなへに秋の風吹く  万2231 *萩の花が咲いている野原でヒグラシが鳴いています。そこに秋の風が吹いてきます。 秋山の木の葉もいまだもみたねば 今朝吹く風は霜も置きぬべく  万2232 *秋山の木の葉がまだ紅葉していないのに、今朝吹く風は霜を置いていくほど冷たい。  芳を詠む 高松のこの嶺も狭に笠立てて 満ち盛りたる秋の香のよさ  万2233 *高松のこの峰の狭に笠を立てるようにして満ち溢れている秋の香りの良いことといったら。  雨を詠む 一日には千重しくしくに我が恋ふる 妹があたりにしぐれ降る見ゆ  万2234  右の一首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *一日中繰返し思う我が妻のいるあたりに時雨が降るのが見えます。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 桓武天皇  かんむてんのう 737 - 806 第50代天皇(781 - 806) 平城京から長岡京および平安京への遷都を行った。782年、家持(64)は氷上川継の乱への関与を疑われ解官されるも四か月後に復帰。783年には中納言に、784年には持節征東将軍に任ぜられる。785年、出張先の陸奥国で死去。同年、藤原種継暗殺事件が発生。桓武天皇が亡くなったばかりの 家持に対して 激しく怒る。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2227-2230番歌(思はぬにしぐれの雨は)~アルケーを知りたい(1479)

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▼雨上がりの夜、空に月が出ている清涼感あふれる2227番。この歌はなぜ爽やかに感じるのだろう。冒頭が予想外の時雨、でも空の雲が晴れると、月夜がさやけし、という順で説明がある。変化の後の「さやけし」が効いていると思ふ。締めの言葉が大事なのだな。 思はぬにしぐれの雨は降りたれど 天雲晴れて月夜さやけし  万2227 *予想してなかった時雨が降ったけれども、空が晴れて清らかな月夜になりました。 萩の花咲きのををりを見よとかも 月夜の清き恋まさらくに  万2228 *萩の花が枝一杯に咲いています。その様子を見なさいと言わんばかりに月夜が清らかです。 白露を玉になしたる九月の 有明の月夜見れど飽かぬかも  万2229 *白露を玉にする九月の有明の月はいくら見ても見飽きません。  風を詠む 恋ひつつも稲葉かき別け家居れば 乏しくもあらず秋の夕風  万2230 *家が恋しいと思いながら、稲刈り用の小屋にいると、秋の夕風がなかなかの具合で吹いてくる。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 光仁天皇  こうにんてんのう 709 - 782 第49代天皇(770 - 781) 天智天皇の孫。光仁天皇の時期、家持は上昇気流に乗り正五位下から参議、公卿を経て従三位まで昇級。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2223-2226番歌(天の海に月の舟浮け)~アルケーを知りたい(1478)

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▼今回は、秋の月の歌四首。天に月というダイナミックな夜空の風景を見ながら、月人壮士が舟を漕ぐという具体的な姿を描いた歌の2223番。月人壮士に親しみが湧く。桂は舟材として古くから使われていたとう。ここはリアルなのだ。  月を詠む 天の海に月の舟浮け桂楫 懸けて漕ぐ見ゆ月人壮士  万2223 *大空の海に月の舟を浮かべ、桂の楫で漕ぎ進む月人壮士が見えます。 この夜らはさ夜更けぬらし 雁が音の聞こゆる空ゆ月立ち渡る  万2224 *今夜は更けたようです。雁の鳴き声が聞こえる空を月が渡っています。 我が背子がかざしの萩に置く 露をさやかに見よと月は照らし  万2225 *私の夫がかんざしにする萩に降りた露がよく見えるように、と月が照っています。 心なき秋の月夜の物思ふと 寐の寝らえぬに照りつつもとな  万2226 *明るい秋の月夜に物思いしていると、寝るに寝られないくらい月がよく照ってます。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 淳仁天皇  じゅんにんてんのう 733 - 765 第47代天皇。在位(758 - 764)。天武天皇の皇子・舎人親王の七男。764年、藤原仲麻呂の乱の後、孝謙上皇から「仲麻呂と関係が深かった」と見なされ廃位、死去。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2219-2222番歌(夕さらずかはづ鳴くなる)~アルケーを知りたい(1477)

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▼今回は刈り入れ前の田と川で鳴いている蛙を詠った四首。2221番で「我が門に守る田」と言っているように、なにしろ主食のコメを育てるのだから、万葉の時代から大切に守っていたのだ。  水田を詠む あしひきの山田作る子秀でずとも 繩だに延へよ守ると知るがね  万2219 *山で田を造っているお方よ、穂が出る前に縄張りすると良いよ、所有地であることを人に示すため。 さを鹿の妻呼ぶ山の岡辺にある 早稲田は刈らじ霜は降るとも  万2220 *牡鹿が妻を呼ぶ山の麓にある早稲の田は刈らないでおきましょう。霜が降りても。 我が門に守る田を見れば佐保の内の 秋萩すすき思ほゆるかも  万2221 *我が家の田を見ていると、佐保の秋萩やススキを思い出します。  川を詠む 夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の 清き瀬の音を聞かくしよしも  万2222 *毎夕、カエルが鳴く三輪川の清らかな瀬の音を聞くのは心地よい。 【似顔絵サロン】万葉集の編集者、大伴家持(718-785)の人脈: 藤原 仲麻呂  ふじわら の なかまろ/恵美押勝 706 - 764 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。757年、橘奈良麻呂の乱では勝利。 763年、藤原宿奈麻呂は家持(47)らと仲麻呂暗殺計画を立てるも失敗。宿奈麻呂が単独犯行を主張したので家持はお咎めなしだったが、翌764年、薩摩守へ左遷。 同764年、孝謙上皇・道鏡と対立し藤原仲麻呂の乱を起こすも敗北、斬首。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2215-2218番歌(さ夜更けてしぐれな降りそ)~アルケーを知りたい(1476)

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▼秋は時雨は降らないで欲しい、というのも秋萩の黄葉が散ってしまうから。春のいまも雨は降らないで欲しい、風も強く吹かないで欲しい、というのも桜花が散ってしまうのが惜しいから。春も秋も散って終わる時の移りがある。色がちょっと違うかな。 さ夜更けてしぐれな降りそ秋萩の 本葉の黄葉散らまく惜しも  万2215 *夜が更けてから時雨には降らないでもらいたい。秋萩の黄葉が散ってしまうのが惜しいから。 故郷の初黄葉を手折り持ち 今日ぞ我が来し見ぬ人のため  万2216 *故郷の初黄葉を手折って持ち帰りましょう。まだ見ていない人に今日の土産として。 君が家の黄葉は早散りにけり しぐれの雨に濡れにけらしも  万2217 *貴方様の家の黄葉はとっくに散ってしまったことでしょう。時雨の雨に濡れて。 一年にふたたび行かぬ秋山を 心に飽かず過ぐしつるかも  万2218 *一年の間に二度もない黄葉の秋の山ですが、十分に味わうことなく過ぎてしまいました。 【似顔絵サロン】万葉集の編集人、大伴家持(718-785)の人脈: 橘 奈良麻呂  たちばな の ならまろ 721 - 757 奈良時代の公卿。橘諸兄の子。757年、橘奈良麻呂が藤原仲麻呂に対して乱を起こすも敗北し獄死。関わっていた大伴池主と大伴古麻呂は獄死、大伴古慈斐は流罪。家持はお咎めなしだったが、758年に40歳で因幡守として地方転勤となる。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10