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万葉集巻第1_34番歌(白波の浜松が枝の)~アルケーを知りたい(1741)

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▼今回の34番は、国史の編纂という大役を担っていた川島皇子の歌。手向け草とは、神や死者に供える品のこと。今でも見られる。草花もあれば、飲み物もある。草花や飲み物に託した人の祈りなのだな、と今さらながら気が付いた。  紀伊の国に幸す時に、 川島皇子 の作らす歌  或いは「 山上臣憶良 作る」といふ 白波の浜松が枝の手向けくさ 幾代までにか年の経ぬらむ   一には「年は経にけむ」といふ  万34 *白波が立つ浜の松に手向け草を見つけました。これはどれくらい前のものでしょう。   日本紀には「朱鳥の四年庚寅の秋の九月に、天皇紀伊の国に幸す」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_33番歌(楽浪の国つ御神の)~アルケーを知りたい(1740)

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▼32番、33番の二首は高市黒人の作なので、並べてみました。共に旧都である近江大津宮に対して「悲し」と言ってます。この場所が都だったのは7年間。天智天皇が崩御の後、壬申の乱が起き、その後、都が遷ることになった。その全体に対する感慨かも。 楽浪 (ささなみ) の国つ御神 (みかみ) のうらさびて 荒れたる都見れば悲しも  万33 *楽浪の国の御神が寂れて、荒れてしまった都を見ると悲しくなります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_32番歌(古の人に我れあれや)~アルケーを知りたい(1739)

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▼今回は、667年、天智天皇が飛鳥から遷都して作った 近江大津宮も時代が経つと「旧き都」になる。天智天皇亡き後、大友皇子は大海人皇子との戦に負け、近江朝は幕を閉じた。大海人皇子は飛鳥に浄御原宮を設けたので、その事情を知る高市古人や柿本人麻呂から見ると近江はもののあはれを感じる古き都となる。   高市古人 、近江の旧き都を感傷しびて作る歌  或書には「高市連黒人」といふ 古の人に我れあれや楽浪の 古き都を見れば悲しき  万32 *私は昔の人にちがいない、楽浪の古い都を見ていると悲しくなります。 【似顔絵サロン】 高市 古人/黒人  たけち の ふるひと/くろひと ? - ? 持統・文武両朝の官人・歌人。683年、連姓に改姓。『万葉集』に短歌18首あり。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_31番歌(楽浪の志賀の大わだ)~アルケーを知りたい(1738)

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▼29番の長歌の後には二首の反歌がついている。今回はその二首目。30番歌が「志賀の唐崎幸くあれど」と尖った岩を思わせる響きに対して31番歌は「志賀の大わだ淀むとも」とソフトな響き。昔の人には残念ながらもう逢えない、と言ってるの は同じ。▼藤原兼房や藤原顕季ら歌の通人は柿本人麻呂を歌聖と仰いだ。人麻呂の似顔絵の下で歌を詠んだ、というから熱烈ファンのやることは面白い。 楽浪の志賀の  一には「比良の」といふ  大わだ淀むとも 昔の人にまたも逢はめやも  一には「逢はむと思へや」といふ  万31 *楽浪の志賀の大わだに水がたっぷりあろうと、昔の人に逢えるものではない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_30番歌(楽浪の志賀の唐崎)~アルケーを知りたい(1737)

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▼今回の30番は前回の長歌の反歌。昔と変わらぬ風景を見て、華やかに賑わっていた昔と寂れた今との違いをしみじみ感じる歌。なぜ人々が人麻呂の歌を良いと言うのか分かる気がする。  反歌 楽浪 (ささなみ) の志賀の唐崎 (からさき) 幸 (さき) くあれど 大宮人の舟待ちかねつ  万30 *楽浪の志賀の唐崎は昔と変わらない。だが、大宮人が乗った舟が来ることはない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_29番歌(霞立つ春日の霧れる)~アルケーを知りたい(1736)

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▼今回は人麻呂の長歌。長歌の「ポイント」は最後のほうにあるんじゃないか、と思うのだけれど、どうだろうか。  近江の荒れたる都を過ぐる時に、 柿本朝臣人麻呂 が作る歌 玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ  或いは「宮ゆ」といふ 生まれましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを  或いは「めしける」といふ それにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え  或いは「そらみつ 大和を置き あをによし 奈良山越えて」といふ いかさまに 思ほしめせか  或いは「思ほしけめか」といふ 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる   或いは「霧立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも   或いは「見れば寂しも」といふ  万29 *昔、大宮はここにあった、大殿はここにあったと言うのだが、今は春草が繁っているのを見ると悲しい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_28番歌(春過ぎて夏来るらし)~アルケーを知りたい(1735)

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▼今回は超メジャーな歌。持統天皇は話題が詰まった存在。生まれた年が、乙巳の変があった645年。だから大化元年生まれ。わが国で年号が始まった最初の年の生まれ。父が乙巳の変を起こした 中大兄皇子 ( 天智天皇)、夫が壬申の乱を起こした大海人皇子(天武天皇)。17歳で 草壁皇子を生む。 夫が天武天皇になり、子供を吉野に集めてお互いに協力しあうと約束させた吉野の盟約のときは34歳。夫が死去したのが41歳、自らが持統天皇に即位したのが45歳。 28番歌は、持統天皇が52歳で譲位した年の歌。 藤原の宮に天の下知らしめす天皇の代  高天原広野姫天皇、元年丁亥の十一年に位を軽太子に譲りたまふ。尊号を太上天皇といふ  天皇の御製歌 春過ぎて夏来るらし白栲の 衣干したり天の香具山  万28 *春が過ぎて夏になったらしい。天の香具山で白栲の衣を干しています。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_27番歌(淑き人のよしとよく見て)~アルケーを知りたい(1734)

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▼今回も歴史的な場面で詠まれた歌。天武天皇が吉野に皇子を集め、のちに持統天皇となる皇后と共に、兄弟お互いに争うことなく助け合います、と約束させた。27番はそのときの歌。時期は、672年の壬申の乱の7年後。686年に崩御するまでこの約束は守られた。   天皇、吉野の宮に幸す時の御製歌 淑き人のよしとよく見てよしと言ひし 吉野よく見よ良き人よく見  万27 *よい人が吉野を見てヨシと言った。その吉野をよく見なさい、よい人よ、よく見なさい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_26番歌(み吉野の耳我の山に_2)~アルケーを知りたい(1733)

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▼壬申の乱の主人公、大海人皇子=天武天皇の歌。今回の26番は25番歌の「 句々相換れり 」 バリエーション。違った箇所に色をつけてみた。25番の「時なくぞ」が26番では「時じくぞ」になっている。どっちが良いかなーと楽しめる。  或本の歌 み吉野の 耳我の山に 時じくぞ 雪は降るといふ 間なくぞ 雨は降るといふ その雪の 時じきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を 万26 *吉野の耳我の嶺には絶え間なく雪と雨が降っている。そのように私は山道を曲がるごとに思いを巡らして進んだ。   右は句々相換れり。 これに因りて重ねて載す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_25番歌の作者:大海人皇子、壬申の乱~アルケーを知りたい(1732)

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▼今回は、大海人皇子が大友皇子と戦った「壬申の乱」の人びとを見る。 時は、645年の乙巳の変から27年後の672年7月から8月にかけての一か月間。 戦が起こった場所は、琵琶湖周辺の地域、美濃、近江、伊勢、伊賀、大倭。 戦ったのは、天智天皇の息子で皇太子の大友皇子を頭とする 近江朝廷軍。 対するは、天智天皇の弟、大海人皇子を頭とする と大海人皇子軍 。 結果は、大海人皇子軍の勝利。 翌673年に天皇に即位し、天武天皇となる。 ▼壬申の乱の時期と25番歌の季節は一致しないが、深くて緻密に考える様子が壬申の乱勝利とつながる気がする。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_25番歌(み吉野の耳我の嶺に_1)~アルケーを知りたい(1731)

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▼今回の歌は大海人皇子が大友皇子と戦うときに詠った長歌。雪と雨が絶え間なく降るなか、この戦いを考えながら山道を歩いた、という内容。672年、壬申の乱。  天皇の御製歌 み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間なくぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を 万25 *吉野の耳我の嶺には絶え間なく雪と雨が降っている。そのように私も思いを巡らしながら山道を進んだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_24番歌(うつせみの命の惜しみ)~アルケーを知りたい(1730)

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▼今回は、麻続王が時の人の問いかけに応えた一首。後書きによると本人は因幡に流され、子どもは伊豆の島に流された。前書きに「 哀傷しびて」とあるように、運命が、離散が、生きることが、悲しいと言っているよう。   麻続王 、これを聞きて哀傷しびて和ふる歌 うつせみの命の惜しみ波に濡れ 伊良虞 (いらご) の島の玉藻 (たまも) 刈り食む  万24 *この世の命を惜しんで波に濡れながら、伊良虞の島で玉藻を刈っては食しています。   右は、日本紀を案ふるに、曰はく、「天皇の四年乙亥の夏の四月戊戌の朔の乙卯に、三位麻続王罪あり。 因幡に流す。一の子をば伊豆の島に流す。」といふ。 ここに伊勢の国の伊良虞の島に流すといふは、けだし後の人、歌の辞に縁りて誤り記せるか。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_23番歌(打ち麻を麻続の王海人なれや)~アルケーを知りたい(1729)

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▼今回は流罪になった麻続王に語りかける 「時の人」の歌。海辺に佇む人物の姿が目に浮かぶ。前書きにシチュエーションが書かれているのがありがたい。   麻続王、伊勢の国の伊良虞の島に流さゆる時に、人の哀傷しびて作る歌 打ち麻 (そ) を麻続 (をみ) の王 (おほきみ) 海人 (あま) なれや 伊良虞の島の玉藻刈ります  万23 *麻続の王は漁師なのでしょうか。伊良虞の島で玉藻を刈っていらっしゃいます。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_22番歌(川の上のゆつ岩群に)~アルケーを知りたい(1728)

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▼今回の22番歌は、女性が若さを慈しむ内容。若々しさを良しと思う気持ちは昔も今も女も男も変わらない。十市皇女の父親は天武天皇、母親は額田王。結婚した相手は天武天皇の兄、天智天皇の息子である 大友皇子。天武天皇と大友皇子は672年の壬申の乱で敵味方に分かれるので、十市皇女にとっては父と夫が戦う辛い立場。▼古代ギリシャの賢人ソロンの言葉「人は死ぬまで幸福であり続けるとは限らない」を思い出す。   明日香の清御原の宮の天皇の代 天渟中原瀛真人天皇、謚して天武天皇といふ 十市皇女 、伊勢の神宮に参赴ます時に、波多の横山の巌を見て、 吹芡刀自 が作る歌 川の上のゆつ岩群に草生さず 常にもがもな常処女にて  万22 *川の回りの岩には苔が生していません。こんなふうにいつも若々しくありたいものです。   吹芡刀自はいまだ詳らかにあらず。 ただし、紀には「天皇の四年乙亥の春の二月乙亥の朔の丁亥に、十市皇女、伊勢の神宮に参赴ます」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_21番歌(紫草のにほへる妹を)~アルケーを知りたい(1727)

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▼いろいろ問題な21番歌。   皇太子の答へたまふ御歌 明日香の宮に天の下知らしめす天皇、謚して天武天皇といふ 紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻故に我恋ひめやも  万21 *紫草が咲き誇るような貴女が気に入らなかったら人妻なのにどうして恋しいと思うでしょう。   紀には「天皇の七年丁卯の夏の五月の五日に、蒲生野に縦猟す。 時に大皇弟・諸王、内臣また群臣、皆悉に従なり」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_20番歌(あかねさす紫野行き)~アルケーを知りたい(1726)

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▼今回の20番は額田王が大海人皇子に向かって語りかける歌。次回の21番は、応える歌。シチュエーションは、天智天皇、額田王、大海人皇子らが蒲生野にハンティングに出かけたときの話。フィールドで大海人皇子が額田王に向かって手を振っている。これを見た額田王の歌が20番。額田王、大海人皇子、天智天皇の関係が微妙でまことに興味深い歌。  天皇、蒲生野に遊猟したまふ時に、額田王が作る歌 あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る  万20 *紫の染料を取る草の畑を歩いたり、占有地に行ったりしたとき、こちらに向かって派手に手をお降りなさって、野の番人が見るではありませんか。 ▼この場面のイメージ 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_19番歌(綜麻形の林のさきの)~アルケーを知りたい(1725)

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▼今回の19番歌も、18番、15番と同じく、万葉集の編集者の苦労が伺える後書きがある。「今、この歌を見ると、和する歌とは思えないんだけど、昔の本に載せてあったので、ここでもそのようにする」と。この歌、ほんとにここで良いのか?いや、よくないだろう、でもなあ昔の本がそうなっているからなあ、という迷いの気持ち。迷える後書きは家持が書いた、ということで。これも違うかも知れないけど。それにしても「今案ふるに和する歌に似ず」というフレーズ、なかなか良きと思えるようになった。 ▼で、肝心の19番歌。三輪山を雲がここまで隠すのか、という恨み節の17番、18番歌の後に来る歌としては、確かに雰囲気が違う。 綜麻形は 三輪山の異名というから、三輪山つながりでここに置いたか。似顔絵は17番の前書きにあった井戸王を持ってきました。 綜麻形 (へそかた) の林のさきのさ野榛の 衣に付くなす目につく我が背  万19 *三輪山の林の榛の葉が衣に付くように、目につく我がご主人様です。   右の一首の歌は、今案ふるに和する歌に似ず。 ただし、旧本、この次に載す。 この故になほ載す。 【似顔絵サロン】 井戸王 いのへ の おおきみ ? - ? 飛鳥時代の歌人。667年、近江遷都のとき額田王に唱和した歌。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_18番歌(三輪山をしかも隠すか)~アルケーを知りたい(1724)

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▼今回は、 額田王、近江の国に下る時に作る歌、井戸王が即ち和ふる歌というタイトルの 17番の長歌の反歌。「三輪山をしかも隠す」を鹿が一緒になって隠すのか、と思っていた。どうやって鹿が隠すのか。思い違いにもほどがある。歌に戻って雲は思いやりなど持つはずもないので、雲が出れば景色は見えなくなるのだ。  反歌 三輪山をしかも隠すか雲だにも 心あらなも隠さふべしや  万18 *三輪山をこれほどまでに隠すとは。雲に思いやりがあれば、ここまで隠さないでしょうに。   右の二首の歌は、 山上憶良 大夫が類聚歌林には「 都を近江の国に遷す時に三輪山の御覧す御歌なり 」といふ。 日本書紀には「六年丙寅の春の三月辛酉の朔の己卯に、都を近江に遷す」といふ。 【似顔絵サロン】 山上 憶良  やまのうえの おくら 660 - 733 奈良時代初期の貴族・歌人。 『 類聚歌林』: 憶良が編纂した奈良時代の歌集。現存しない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_17番歌(しばしばも見放けむ山を)~アルケーを知りたい(1723)

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▼額田王が近江の国=滋賀=に行ったときの長歌と反歌。同行した井戸王 (いのへのおおきみ) の歌。心なく雲が隠してよいものか、で終わる歌。残念な気配が漂う不思議な歌。   額田王 、近江の国に下る時に作る歌、 井戸王 が即ち和ふる歌 味酒 (うまさけ)  三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際 (ま) に い隠るまで 道の隈 (くま)  い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放 (みさけ) けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや  万17 *山の景色を心行くまで見ながら進みたいのに、心ない雲が隠して良いものでしょうか。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_16番歌(そこし恨めし秋山我れは)~アルケーを知りたい(1722)

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▼今回は、天智天皇が 中臣鎌足に 「春の山と秋の山、どっちが良いか」という難題を出す。これに対してその場にいた額田王が丁寧に比べた結果、秋の山が良き、と結論を出した、という歌。特に何も言わない鎌足、空気を壊さない額田王。これもまた人間模様。   近江の大津の宮に天の下知らしめす天皇の代 天命開別天皇、謚して 天智天皇 といふ  天皇、内大臣 藤原朝臣 に詔して、春山の万花の艶と秋山の千葉の彩とを競ひ憐れびしめたまふ時に、 額田王 が歌をもちて判る歌 冬こもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山我れは  万16 *春の山と秋の山を比べれば、どちらかと言うと秋の山が良いですね、私は。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_15番歌(海神の豊旗雲に入日さし)~アルケーを知りたい(1721)

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▼今回は、中大兄皇子の三首セットの三番目の歌。 参考にしている伊藤博訳注『新版 万葉集一』では、この歌は額田王が斉明天皇に代わって詠ったものという解釈を載せている。もうひとつの参考、万葉百科ではこの歌は天智天皇の作となっている。 歌の後書きには「今考えてみるとこの歌は反歌らしくない」とある。前の二首が争いと見物を詠って、この歌ではがらっと空気が変わる。さすが「 旧本、この歌をもちて反歌に載す」の旧本の編集者だ。 ▼15番歌は、今見えている夕やけの風景をもとに今夜の月夜を楽しみにするという、誠にさやけき歌。 海神の豊旗雲に入日さし 今夜の月夜さやけくありこそ  万15 *海神の豊旗雲に夕日がさしています。今夜の月夜は清らかでしょう。   右の一首の歌は、今案ふるに反歌に似ず。 ただし、旧本、この歌をもちて反歌に載す。 この故に、今もなほこの次に載す。 また、紀には「天豊財重日足姫天皇の先の四年乙巳に、天皇を立てて皇太子となす」といふ。 【似顔絵サロン】中大兄皇子/天智天皇 てんちてんのう/なかのおおえのおうじ 626 - 672 第38代天皇。645年、中臣鎌足と共に乙巳の変、大化の改新を行う。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_14番歌(香具山と耳成山と闘ひし時)~アルケーを知りたい(1720)

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▼今回の14番歌は「香久山は畝傍を惜しと」で始まる13番の反歌。13番は長歌で、神の時代からこのように争っていた、昔もそうだった、だからこそ今現在でも争うのだ、という内容。争いを神代からの流れとして説明しているのが印象的。争いなどなくなれば良いのに、ではなく、それが人間の性なのだ、と言い切るのが中大兄皇子らしい。14番では、香具山と耳成が畝傍の争奪戦を印南国原が見物に来たと言って登場人物を増やしている。何か事が起こると野次馬が出て来る様子を俯瞰して面白く詠っている。  反歌 香具山と耳成山と闘ひし時 立ちて見に来し印南国原  万14 *香具山と耳成山が戦った時、見物に来たのが印南国原。 【似顔絵サロン】中大兄皇子/天智天皇 てんちてんのう/なかのおおえのおうじ 626 - 672 第38代天皇。645年、中臣鎌足と共に乙巳の変、大化の改新を行う。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_13番歌の作者:中大兄皇子、乙巳の変~アルケーを知りたい(1719)

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▼今回は、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を宮中で皇極天皇の眼前で斬り殺した「乙巳の変」当日の人々を見る。 ▼ 乙巳の変のWikipediaの説明:飛鳥時代645年(乙巳の年)に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中(飛鳥板蓋宮)にて暗殺して蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変。 ▼ もうひとつの説明。乙巳の変の山田圭一著『日本史の教科書』の説明:皇極天皇の子の中大兄皇子とその腹心の中臣鎌足は(中略)豪族政治を続けようとする蘇我氏を倒し、王族を中心とした新しい国づくりを進めたいと(中略)として起きたクーデター。 ▼ 登場人物 図の上から順に紹介 ()はその時の年齢 皇極天皇(51) 目の前で入鹿が斬られた。無言で殿中に退いた。 中大兄皇子(19) 実行部隊がビビっているのを見て長槍を持って自らおどり出た。 中臣鎌足(31) ビビる実行者2名を叱咤激励し、弓矢を取って潜んだ。 蘇我倉山田石川麻呂(?) 恐怖のあまり震え入鹿に不審がられた。 海犬養勝麻呂(?) 実行者2名に剣を渡し「ゆめゆめあからさまに斬るべし」と伝えた。 佐伯子麻呂(?) 入鹿を斬る役。 葛城稚犬養網田(?) 入鹿を斬る役。 蘇我入鹿(?) 皇極天皇の前で殺害される。 蘇我蝦夷(59) 入鹿の殺害を知り翌日、屋敷に火を放ち自害。 巨勢徳太(?) 入鹿側。中大兄皇子に降伏し蘇我氏遺臣を説得して兵を引かせた。 高向国押(?) 入鹿側。「誰が為に空しく戦ひて、刑せられむか」と武装解除。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 山田圭一著『日本史の教科書』SBクリエイティブ株式会社。

万葉集巻第1_13番歌(古もしかにあれこそ)~アルケーを知りたい(1718)

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▼今回の13番~15番は中大兄皇子の歌。中大兄皇子は19歳のとき朝廷で蘇我入鹿を斬った人物。後の天智天皇。時代を画した人物。13番歌に「争= 諍 」の文字が入っており、中大兄皇子らしい歌と思ふ。   中大兄  近江の宮に天の下知らしめす天皇  の三山の歌 香具山は 畝傍を惜しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争うふらしき  万13 *神代より相争ってきた。昔がそうだったので、今でも男は女性を取り合うらしい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_12番歌(我が欲りし野島は見せつ)~アルケーを知りたい(1717)

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▼今回の「我が欲りし」で始まる12番歌で 、間人皇女が斉明天皇の立場で詠んだ三首が揃った。前の二首を振り返ると、草を結んで幸いを祈る11番歌、仮廬の屋根を葺く茅を刈る12番歌。13番では、まだ玉は拾っていません、と最後のピースがまだ埋まっていない状態を詠う。まだ拾ってない、ということでこれからの動きが感じられる歌。 我が欲りし野島は見せつ底深き 阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ  万12  或いは頭に「我が欲りし子島は見しを」といふ   右は、山上憶良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、「天皇の御製歌云々」といふ。 *私が見たかった野島は見せてもらいました。でもまだ、水底深い阿胡根の浦の玉は拾っていません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_11番歌(我が背子は仮廬作らす)~アルケーを知りたい(1716)

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▼前回に続き、間人皇女が斉明天皇の立場で詠んだ三首セットの2番目の作品。この歌から、当時は仮設の建物の屋根に茅を使っていたことが分かる。さらに茅にも質の違いがあったようだ。 我が背子は仮廬作らす草 (かや) なくは 小松が下の草 (かや) を刈らさね  万11 *我が君の仮廬を作るのに使う上質の茅がないときは、小松の下の 茅 を刈れば良いのです。 【間人皇女の家族】 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_10番歌(君が代も我が代も知るや)~アルケーを知りたい(1715)

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▼今回の10番歌から12番歌までの三首は、 伊藤博訳注『新版 万葉集一』によると 中皇子=間人皇女が斉明天皇の立場で詠った作品で、10番歌の冒頭の「君が代」の君は、中大兄皇子を指すという。下の句の「草根を結ぶ」のは、祈りの行動で、ここでは長寿を祈っている。ネットでいう草wとは違う意味。  中皇命、紀伊の温泉に往す時の御歌 君が代も我が代も知るや岩代の 岡の草根をいざ結びてな  万10 *君の代も、私の代も支配する岩代の岡の草根を、さあ、結びましょう。 【似顔絵サロン】中皇命/間人皇女 はしひとのひめみこ ? - 665 父は舒明天皇、母は皇極天皇/斉明天皇。中大兄皇子(天智天皇)の妹、大海人皇子(天武天皇)の姉。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_9番歌(莫囂円隣之大相七兄爪謁気)~アルケーを知りたい(1714)

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▼今回の9番歌は、上の句が漢字のままになっているのが特長。定まった訓がないので有名な 難訓歌という。さらに歌の中にあるわが背子が誰をさすのか、よく分からないらしい。ここでは参考にしている伊藤博訳注『新版 万葉集一』に倣って 有間皇子にした。  紀伊の温泉に幸す時に、額田王が作る歌 莫囂円隣之大相七兄爪謁気我が背子が い立たせりけむ厳橿が本  万9 *ここが わが背子 が出発なさった場所、厳橿の根元よ。 【似顔絵サロン】 有間皇子  ありまのみこ 640舒明天皇12年 - 658斉明天皇4年12月11日 飛鳥時代の皇族。孝徳天皇の皇子。斉明天皇と中大兄皇子への謀反を企て藤白坂で絞首刑。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_8番歌(熱田津に船乗りせむと)~アルケーを知りたい(1713)

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▼今回の8番歌は637年に舒明天皇と皇后(皇極天皇)が一緒に温泉に来た地を、661年に斉明天皇( 皇極天皇) が再訪問して静養したときの歌。図の年譜を見ると、たいへんな時期を乗り越えられた天皇だったと分かる。この661年、天皇は百済救済の軍事行動準備のため九州に行って、その地で生涯を終える。白江村の戦いで大敗する二年前のこと。8番歌は、疲れた天皇の心身を奮い立てる歌にも見える。額田王が斉明天皇の気持ちを代弁した歌。  後の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代  天豊財重日足姫天皇 、後の後の岡本の宮に即位したまふ  額田王が歌  熱田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな  万8 *熱田津 ( にきたつ ) で舟に乗ろうと思って月を待っていたら、ちょうど潮も良い感じになってきました。さあ、今こそ漕ぎ出しましょう。   右は山上憶良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、 「飛鳥の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の元年己丑の、九年丁酉の十二月己巳の朔の壬午に、天皇・大后、伊予の湯の宮に幸す。 後の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の七年辛酉の春の正月丁酉の朔の壬寅に、御船西つかたに征き、始めて海道に就く。 庚戌に、御船伊予の熱田津の石湯の行宮に泊つ。 天皇、昔日のなほし存れる物を御覧して、その時にたちまちに感愛の情を起したまふ。 この故によりて歌詠を製りて哀傷しびたまふ」といふ。 ただし、額田王の歌は別に四首あり。 【似顔絵サロン】 天豊財重日足姫天皇 = 皇極天皇 / 斉明天皇 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_7番歌(秋の野のみ草刈り葺き)~アルケーを知りたい(1712)

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▼今回は、皇極天皇のそばにいた額田王が作った歌。但し書きを見ると何が何やらになるので、例のごとく大雑把に見て「この宮の草ぶき屋根を見ると、宇治の仮の宮を思い出しますね」という意味と解釈した。葺いた草の匂いがしたのだろうか。   明日香の川原の宮に天の下知らしめす天皇の代 天豊財重日足姫天皇   額田王 が歌 いまだ詳らかにあらず 秋の野のみ草刈り葺き宿れりし 宇治の宮処の仮廬し思ほゆ  万7 *秋の野で刈り取った草で屋根を葺いた宇治の宮。その仮の廬を思い出します。   右は山上憶良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、 「一書には『戊申の年に比良の宮に幸すときの大御歌』」といふ。 ただし、紀には「五年の春の正月己卯の朔の辛巳に、天皇紀伊の温湯より至ります。 三月戊寅の朔に、天皇、吉野の宮に幸して肆宴したまふ。 庚辰の日に、天皇近江の比良の浦に幸す」といふ。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1